純情戦士ミラキュルン




第四話 正義と悪! 地獄のダブルデート!



 景気の良く弾かれた白球が、フェンスに衝突した。
 打った主は翻ったスカートを気にして裾を押さえたが、数秒後に新たに放たれた剛速球を芯に当てた。 そして、またもフェンスに当たった。ホームランゾーンの看板には届かないものの、ヒットかフライになったはずだ。 これで、十五本以上は打っている。本人の表情を窺うと、表情は至って落ち着いていて焦っている様子はない。 バットを握って体重を移動する動作も慣れているので、この打撃がビギナーズラックではないのは確かだった。 お兄ちゃんに教えられた、と言っていたがそれにしては上手すぎる。
 大神はバッティングセンターのバッターボックスの傍にあるベンチに座り、美花の打席を眺めていた。 胃の中ではファミリーレストランで注文したトロピカルハンバーグセットが収まり、パイナップルの甘酸っぱさと ハンバーグの肉汁混じった複雑な味が舌にこびり付いていた。意地で全部食べたが、二度と頼まないと胸に誓った。
 時速百二十キロ。怪人である大神にも厳しい速度のボールを、美花は細腕で軽々と打ち上げているのだ。 七瀬は何度か付き合ったことがあるらしく別段驚いた様子はないが、鋭太は余程驚いたのか黙り込んでしまった。 当然、大神も心底驚いている。だが、驚きすぎては悪い気がしたので、なるべく表情に出さないようにしていた。 料金分のボールが止まると、美花はバットをバッターボックスの後ろにある筒に入れ、鉄線の入ったガラスが 填ったドアを開けて室内に戻ってきた。

「これなら、あっちのも行けるかな」

「やりたいんならやってきていいよ、どうせ私は打てないし」

 荷物は見ててあげるから、と七瀬が美花のトートバッグを軽く叩くと、美花はそのバッグを探った。

「じゃ、百五十キロも打ってこようかな。この前来た時は、バットが弾かれちゃって打てなかったから」

「頑張ってこいよー」

 七瀬が触角を立てると、美花は三百円を握り締めて頷いた。

「うん。すぐに終わるから、待っててね」

 美花は大神と鋭太にはにかみ混じりの笑みを向けてから、底が平たい靴をぺたぺたと鳴らしながら去った。 時速百五十キロの超剛速球のバッターボックスに入った美花は、使い古されたバットを取って三百円を入れた。 そして、美花はまたもや打った。先程よりも若干動作が重たいので、球速に押されているようではあったが。 けれど、大神には打てない。これはまずくないか、と大神が内心で焦っていると七瀬は缶ジュースを開けた。

「あの子、走るのは遅いけど、目がとにかく凄ぇの」

「にしたって……あれは異常じゃねぇの?」

 両耳を伏せた鋭太が剛速球を次々に打ち上げる美花を指すと、大神は言葉を濁した。

「いや、別に悪いってことはないんだが、うん」

「つか、男の御株が奪われちゃうよねー、あれは」

 七瀬はきちきちと顎を軋ませて笑い、黒い外骨格で成された足を組んだ。

「私も最初に見た時はマジビビッたし。てか、普通はあんなの打てなくね?」

「だろ、天童もそう思うだろ? だから、俺らのリアクションがマジ普通なんだって!」

 鋭太は七瀬に迫るが、七瀬は爪先で鋭太の鼻先を指して制した。

「でも、萎えるってことはないっしょ?」

「そもそも盛ってねぇし!」

 鋭太は七瀬に噛み付くが、七瀬は怯まない。

「なんだったら、打ってみたら? あんた、運動得意じゃん」

「あんなの打てたら野球部でレギュラー張ってるっつの!」

「ああ、そういえば、あんたは補欠だったっけねぇ」

 バスケ部のベンチウォーマー、と七瀬が笑うと、鋭太は牙を剥いて唸った。

「つか、お前マジ何言いたいわけ? てか超ウゼェんだけど」

「大神君はどうです? 美花の後に打ってみますか、百五十キロの剛速球」

 七瀬に話を振られたが、大神は苦笑した。

「俺も無理だな。見えたとしても、打てなきゃどうしようもないんだから」

「つか、あいつの兄貴って何なんだよ。野球部か何かか?」

 七瀬にからかわれたことで拗ねたのか鋭太の口調は刺々しかったが、七瀬は平然と答えた。

「違うよ。前に美花んちに遊びに行った時に会ったことあるけど、至って普通の大学生。高校ん時は 文化部だったし、成績だって中の上ぐらいで、顔もそんなレベル」

 その正体はヒーローなんだけどね、と内心で付け加えたが言葉には出さず、七瀬は缶ジュースの残りを呷った。

「まあ、たまにいるからなぁ。見た目は普通でも中身がとんでもない人間は」

 それがヒーローと呼ばれる人種だ、と内心で付け加えたが、大神は表情を取り繕った。

「つか、そういうのマジウザくね?」

 その兄貴とやらがヒーローだったらマジどうしようもねぇし、と内心で付け加えて、鋭太は片方の耳を曲げた。 七瀬が空になった缶ジュースを下げると大神と鋭太は揃って沈黙していたが、物思いに耽っているようだった。 どちらもあらぬ方向を睨んでいるがいやに真剣な形相で、たまに動いていた尻尾も微動だにしなくなっていた。 こいつら何考えてんだ、と七瀬は訝ったが、言及すると面倒なことになりそうなので空き缶をゴミ箱に投げ込んだ。

「ふぅ」

 時速百五十キロのボールを八割方打った美花は、バッターボックスから出てきた。

「終わったよー」

「おお、ご苦労さん。んで、どうだった?」

 七瀬が美花に声を掛けると、美花は乱れた髪を整えながら七瀬の隣に座った。

「今日は調子良く打てたよ。これなら、お兄ちゃんにもダメ出しされなくて済むかもしれないな」

「相変わらず厳しいねー、あんたの兄貴」

「仕方ないよ。お兄ちゃん、真面目な人だから」

 美花はトートバッグから財布を出すと自動販売機に近付き、小銭を入れてボタンを押した。

「大神君と鋭太君はしないんですか? 男の人って、こういうの好きだと思うんですけど」

「えっ、あ、ああ!」

 あんなの出来るわけがない。大神が答えかねていると、鋭太が立ち上がった。

「出来ねーわけねーだろ、あんなん」

「……え?」

 さっきはあんなに出来ないと言っていたじゃないか。大神は、弟の解りやすさにちょっと呆れた。

「おーおー、頑張れよー」

 事の次第を知っている七瀬は、にやにやしながら鋭太を見送った。面白くなりそうだからだ。

「じゃ、私は見てるね。頑張ってね、鋭太君」

 美花に手を振られ、鋭太は一番球速の遅い時速七十キロのバッターボックスに入りかけたが足を止めた。 二番目に球速の遅い時速九十キロのバッターボックスに入り、やりにくそうな顔をしながら三百円を入れた。 ベンチから立ち上がらずに、大神は弟を傍観した。粋がったからには、それなりに頑張ってもらおうじゃないか。 そして、鋭太目掛けて時速九十キロのボールが撃たれ始めたが、鋭太の振り回すバットに掠りもしなかった。 バットが空を切る唸りは聞こえるものの、美花が何度となく鳴らしていた快音は聞こえず、ボールも転げていく。 一球だけバットの端に触れたが、やはり打ち上げることは出来ず、そうこうしている間に三十球は終わった。

「……マジ調子悪いし」

 鋭太は物凄く不機嫌そうに尻尾を振りながら、バッターボックスから出てきた。

「んじゃ、次は兄貴な。百五十」

「え」

 そんな無茶な。大神は鋭太に言い返そうとしたが、美花の視線には勝てずに了承した。

「ああ、まあ、そうだな。やるだけやってみるのも悪くないよな」

 本音を言えばやりたくない。ただでさえ格好悪い姿ばかりだったのに、これ以上醜態を曝すのはごめんだ。 けれど、この流れでは断れない。大神は渋々時速百五十キロのバッターボックスに入り、三百円を投入した。 使い込まれて汚れたバットを取って腰を据え、怪人としての感覚を目一杯に引き出し、ピッチングマシンを睨む。 学生時代は運動部に入っていなかったので、自信などない。バットを握ったのは、体育の授業の時ぐらいだ。 少年野球チームにも入っていなかったし、せいぜい友達同士で休み時間に三角ベースをしていた程度だった。 だから、打てるわけがない。しかし、これぐらい打てなければ世界征服を狙う暗黒総統の器ではない。 大神は一瞬のうちに不安と意地と野望が頭に駆け巡ったが、放たれるボールを目で追うことだけに集中した。 機械音の後、ピッチャーの絵が描かれた壁から白球が迫り出し、大神目掛けて時速百五十キロでやってきた。 安定な腰つきでバットを振るが、当然当たらない。ボールは背後で空しく弾け、足元まで転がり落ちてきた。 バッターボックスの背後にある強化ガラスの奥で鋭太が馬鹿笑いしているのが見えたが、無視を決め込んだ。
 二球目、三球目、四球目、と同じ結果が続いた。大神はバットを握り締める手に力を込め、剛速球を睨んだ。 何度も見ていると、次第に白球が見えるようになった。獣人以上の能力を持つ怪人なのだ、適応能力も高い。 五球目が襲来した瞬間、大神はボールから目を離さずにバットを振ると凄まじい衝撃を伴った物体が激突した。 バット自体が弾かれてしまいそうになったが衝撃に負けぬ力で振り抜くと、甲高い打撃音が間近から聞こえた。

「……マジ?」

 打ち上げられた白球はフェンス上部に当たり、転げ落ちた。大神は何が起きたのかよく解らず、瞬きした。

「あ、ヤベ」

 まだ次があるのだ、ぼやぼやしていたらまともにボールを喰らってしまう。大神は意識を戻してバットを構えたが、 両手が少し痺れていた。時速百五十キロのボールが、まさかあそこまで衝撃を伴う物体だとは思っていなかった。 プロ野球は簡単そうにやっているのになぁ、と思ったが、あれはプロだから簡単そうに見えるだけだ、と思い直した。 そして、六球目がやってきたが今度は打てなかった。手の痺れが残っていたのと、自分に驚きすぎていたからだ。 それからはもうぐだぐだで、打てそうなのに打てなかったり、打てたはずなのにバットが外れたり、と散々だった。 三十球が終わった頃には大神は疲れ果て、バットを筒に差し込むと、肩を落としてバッターボックスから出てきた。

「一発打てましたね!」

 美花は大神に歩み寄り、小さく手を叩いた。大神は恥じ入るあまり、頬を歪めた。

「一発だけだよ。野々宮さんには足元も及ばないさ」

「高く上がりましたから、きっとホームランですよ!」

「そうかな。いいとこ内野フライじゃないか、高すぎたから」

「でも、きっと、ランナーは出ましたよ」

 美花は笑みを見せたが、照れの波が襲ってきたので七瀬の背に逃げ隠れた。

「よしよし、良く頑張った」

 七瀬は自分の背に隠れた美花を宥めると、美花は泣き出しそうな声を出した。

「うぅぅ……」

 余程恥ずかしかったのか、精一杯身を縮めて背を丸めている。飼育カゴの隅に逃げ込んだハムスターのようだ。 褒められた嬉しさとその姿の弱々しさに邪な感情が煽られたが、大神は割と自然な笑みを作ることに成功した。 だが、当の美花はそれを見ておらず、七瀬に縋り付いている。代わりに、鋭太から凶悪な眼差しを注がれていた。 そんなに怒るならお前も打てばいいじゃないか、と大神は文句が出かけたが場の空気を守るために飲み込んだ。
 それから、ダブルデートの雰囲気は少しだけ持ち直した。美花は笑顔を見せるようになり、七瀬は尚更大神に 馴れ馴れしくなり、鋭太は大神にやたらと突っかかってきた。だが、美花に褒められたことで全てがどうでもよくなっていた 大神には、弟に噛み付かれても痛くも痒くもなかった。
 すっかり頭が煮えていたからだ。




 薄暗くなると、二人の少女達はそれぞれの自宅に帰った。
 私鉄の駅前に二人残された大神兄弟は、なんとなく帰る気が起きなかったので手近なベンチに座っていた。 大神は美花と七瀬がいる間は吸わずにいたタバコを取り出すと、鋭太から催促されたが、当然ながら無視した。 怪人とはいえ、未成年ならば社会のルールは守るべきだ。鋭太は不満げだったが、自分のジュースを飲んだ。 大神はファルコが外回りをした時にもらってきた、怪人の派遣先である社名入りのライターでタバコに火を灯した。 緩く紫煙を吐き出すと、陰り始めた空に溶けていった。駅前広場の外れなので、家路を急ぐ人々の姿が見えた。

「んで?」

 鋭太が呟くと、大神は聞き返した。

「何が」

「とぼけんじゃねーよ。兄貴、なんで野々宮なんかと知り合いなんだよ」

「俺の勤めてるコンビニが、市立高校の通学路にあるからだよ」

「マジでそれだけ?」

「それ以外に何がある。俺は怪人かもしれないが、その辺の甲斐性はないからな」

「つか、マジずるくね?」

「何が」

「てか、なんでよりによってあいつなんだよ。マジウゼェし」

 鋭太は苛立たしげに、スニーカーのつま先でレンガ状の舗装を叩いた。

「俺に聞くな。俺だって、よく解らないんだから」

 大神は煙を深く吸い込み、肺に入れた。美花のことは以前から気になっていたが、親しくなったのは最近だ。 美花を意識するようになった大神は、道端にひっそりと咲く花を自分だけが見つけ出したような気分になっていた。 近付いてみたい気持ちもあったが、触れたいとは思わなかった。日常に紛れていても、怪人は怪人なのだから。 うっかり握り潰してしまったり、汚してしまいたくなかった。だから、大神から美花に声を掛けることはしなかった。 だが、美花の方から大神を誘ってきた。それならば、と思って今日一日遊んだが、後になって後悔に苛まれた。
 好きで好きでたまらないが、一般人である美花と怪人である大神の住む世界は違う。征服される側とする側だ。 だから、押さえるべきだと思うのに、美花に心を奪われる。全てをかなぐり捨て、好きだと言えたらどんなに楽か。 けれど、大神にはそれが出来ない。怪人だが一般人として生きる弟が鬱陶しいのは、そんな妬みもあるからだ。

「あーあ」

 鋭太はずるりと腰を下げ、ベンチからずり落ちそうなほど下がった。

「俺がヒーローだったら、今すぐ兄貴なんか倒しちまうのに」

「倒すのは構わないが、会社は傾けないでくれよ。今でも充分厳しいんだから」

「わぁかってるっつの。言ってみただけに決まってんだろ、馬鹿兄貴」

 鋭太はベンチから背を外し、太いチェーンのアクセサリーを鳴らしながら立ち上がった。

「んじゃ、俺、帰るわ」

「ちゃんと授業に出ろよ、ノートも取れよ、遅刻するなよ、携帯使いすぎるなよ、まともな食事を摂れよ、女の子には 優しくしろよ、夜遅くまで遊び歩くなよ、小遣いが足りなかったら自分でバイトして稼げよ」

「いちいちウッゼェんだよ!」

 鋭太は牙を剥いたが、大神に背を向けて走り去った。その後ろ姿は、幼い頃となんら変わっていなかった。 背丈も手足も伸びて性格も変わってきたが、走り方は変わらない。背景が夕焼けだからか、過去と重なった。 鋭太の尻尾の付いた後ろ姿が雑踏に紛れるまで見送っていた大神はタバコを蒸かし、先に灯った火を強めた。 渋い煙を味わってから吐き出し、ベンチの傍にある灰皿スタンドに灰を落とし、込みあがってくる笑いを殺した。
 それはそれとして嬉しい。幸せだ。世界はピンク色だ。美花の様々な表情が見られただけでも幸福だった。 何度も大神君と呼ばれただけでなく、褒められた。笑顔も向けられた。これでまた、明日から働ける。戦える。 美花と手を繋ぐためにも、告白するためにも、デートを申し込むためにも、行く行くは妻として娶るためにも。
 世界征服しなければ。





 


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