純情戦士ミラキュルン




第八話 敵地潜入! 決死のミラキュルン!



 自分の写真だからこそ、正視出来なかった。
 美花の携帯電話から転送されてきた画像を開いたが、むず痒さに襲われた鋭太はフリップを閉じた。 向かい側に座る美花も、やりづらそうに俯いている。喜んでいるのは、その写真を撮った七瀬ただ一人だった。 七瀬のやけに得意げな笑い声を聞き流しながら、鋭太は耳を傾けて目を動かして、美花の表情を窺ってみた。 机に置いた自身の携帯電話を見つめていた美花は、鋭太の視線に気付くと申し訳なさそうに細い眉を下げた。

「あの、鋭太君、ごめんなさい」

「もういいっつの」

 思い出すだけで恥ずかしい。鋭太は目を逸らし、尻尾を低く揺らした。

「いやあ傑作傑作ぅ」

 七瀬はひとしきり笑ってから、ぎこちなく腕を組んだ美花と鋭太の写真を二人に見せつけた。

「つか、マジ微笑ましいし。カレカノじゃん?」

「だから、それはてめぇがさせたんだろうが天童!」

 鋭太が牙を剥くが、七瀬は自身の携帯電話を閉じた。

「だあって、写メ撮ってやるつったのに鋭太ってば逃げるんだもん。ああでもしなきゃ撮れないだろうが」

「だからって、なんであんな」

「嫌なら美花を振り解きゃ良かったのに」

 七瀬の言葉に、鋭太は勢いを失った。

「そりゃ、そうかもしんねーけどさ」

 そうしたいのは山々だが、出来る状況ではなかった。お兄ちゃんに紹介するために一枚撮らせて、と美花に 懇願され、それはどういう意味なのかと邪推した鋭太は、それを喜ぶよりも先に畏怖して逃げ回ってしまったのだ。 兄に紹介するということはつまりは交際していると認めることではあるが、いきなりそこまで行くのは怖くなった。 先に進みたいと思う傍らで感じていた矛盾した感情に負けた鋭太は教室から出ようとしたが、七瀬に阻まれた。 そこで、背後から近寄ってきた美花に左腕を取られて動揺している隙に、七瀬が美花の携帯電話で撮影した。 そして、その写真は鋭太と七瀬の携帯電話にも転送され、先述通り美花の兄の手元へも送られたというわけだ。

「一緒に弁当食べるような間柄なんだから、もう他人じゃないじゃん?」

 七瀬ににやにやされ、鋭太は尻尾を下げた。

「つか、野々宮の弁当はまだ喰ってねーし。気ぃ早すぎだし」

「あ、無理に一緒に食べなくてもいいよ。この間の御礼にって思って、作ってきただけだから」

 美花が手を横に振ると、七瀬はきちきちと顎を軋ませた。

「でも、作ってくれた張本人に礼も言わずに貪り喰うってのは、人としてマジどうかと思うんだけど」

「俺、人間じゃねーんだけど」

「でも人間じゃん。戸籍上の扱いは」

 七瀬に再び言い負かされ、鋭太は鬱陶しげに耳を下げた。

「つか、今回だけだからな。女子と昼飯なんてマジウゼェし」

「ありがとう、鋭太君」

 美花から笑みを向けられ、鋭太は顔を背けた。教室の廊下側では数人の男子が鋭太の様子を窺っていた。 彼らは少し前までは事ある毎に鋭太と連んでいたのだが、美花と七瀬と関わるようになってからは疎遠になった。 鋭太が目を向けると、わざとらしく会話を始めた。それが無性に苛立ったが、突っ掛かるのは格好悪い。美花と七瀬と 会話するのはそれなりに楽しいが、気の合う男子同士で騒ぎ立てて遊び倒すのとは正反対だ。だから、こんな つまらないことで彼らと仲違いしてしまっては今後の高校生活に関わる。

「あ、そうだ」

 七瀬が爪を弾き、鋭太に詰め寄った。

「今日の午後、鋭太んちに行かせてよ」

「は? 意味解んねーし」

「勉強するに決まってんでしょうが。テスト期間なわけだし。あんたの成績、ただでさえヤバいんだからさ」

「今更勉強なんかしたって、俺の成績なんて良くなるわけねーし。つか、悪くても死ぬわけじゃねーし」

 鋭太が七瀬に言い返すと、美花がおずおずと発言した。

「でも、出来る範囲で頑張るべきじゃないかな」 

「つか、このままじゃマジで単位取れないよ?」

 七瀬の黒光りする複眼に迫られ、鋭太は後退った。

「てめぇらには関係ねーだろ! 俺んちなんか来て何がしてぇんだよ!」

「大神屋敷がどんなのか気になるんだよね。それだけ」

 あっさり本音を白状した七瀬に、鋭太は安堵すると共に拍子抜けした。

「んだよ……」

 本気で鋭太の成績を改善したいわけでもなければ、鋭太と同じ空間にいたいわけでもなく、家が目当てとは。 今までにもそんなことを言ったクラスメイトは多かったが、いざ連れてくると怪人の使用人に驚いて逃げてしまう。 人間に擬態出来る芽依子が来る以前に実家で使用人として働いていたのは、女性のリビングメイル怪人だった。 彼女は関節の繋ぎ合わせが今一つ緩かった上に些細なことで転んでしまうので、頻繁にバラバラになっていた。 家人達は慣れていたのだが、初めて見る人間にとっては目の前で転んだ鎧が吹っ飛ぶのは恐ろしかったらしい。 おかげで、鋭太は何度クラスメイトを泣かせたか解らない。だが、四天王が家に来ていた時はもっとひどかった。 カブトエビのレピデュルス、戦車のパンツァー、ハヤブサのファルコはまだいいが、アラーニャが最悪だったのだ。 女性とはいえ、クモはクモだ。子供の頃は鋭太でさえも怖いと思ったのだから、初めて見ると物凄く怖いはずだ。
 そのせいで、小学生時代はどれほど苦労したか。同じ目に遭ってたまるか、と鋭太は低く唸りを漏らした。 自分の成績が厳しいことは重々承知しているし、このままでは卒業出来るかどうか危ういことも自覚している。 だが、それとこれとは別問題だ。七瀬はともかく、美花が怪人に怯えてしまっては鋭太とも距離を開けるだろう。 過去の経験から言えば、そうならない可能性の方が低い。鋭太は少々残念に思いながら、二人に顔を向けた。

「あのさ」

「あのね」

 鋭太の言葉を遮ったのは、意外なことに美花だった。

「鋭太君の御実家には、芽依子さんがいるんでしょ?」

「ん、まぁな。メイドだし。つか、それが仕事だし」

「この前会った時は、挨拶はしたけど変なことになっちゃったから、そのこともきちんと謝りたいなぁって思って」

 美花はスカートを握り締め、俯きかけた顔を上げた。大神と一緒にいた芽依子を見た後、逃げてしまった。 名乗りはしたが、ろくに挨拶もしなかった。これからも大事にしたい友達の恋人に対しては、失礼すぎる態度だ。 だから、そのことを謝ってから改めて挨拶するためにも、芽依子の元に出向いてきちんと話さなければならない。 大神の実家が見たいという下心も多少なりともないわけではないのだが、動機の大部分は芽依子のことだった。

「芽依子ねぇ」

 自分が目当てではないのが悔しいが、そこまで言われては仕方ない。鋭太は渋々了承した。

「んじゃ、弁当もうちで食えよ。学校で食うよりはまだハズくねーし」

「あ、うん、そうだね」

 美花が頷くと、七瀬がけたけたと笑った。

「おおう、いいねぇ。ピクニックじゃん、屋内だけど」

「ウゼェな」

 鋭太が顔をしかめるが、七瀬は怯まずに黒い爪で鋭太を指し示した。

「んじゃ、今日の放課後に大神屋敷に行かせてもらうからね。きっちり勉強しろよ?」

「つか、天童は人のこと言えるのかよ」

「あんたに比べりゃ大分マシよ。それでも下から数えた方が早いけどね」

 軽口を交わす二人を見つつ、美花は机の下に隠した両手を拳に握った。少しだけだが頑張ることが出来た。 以前の美花なら鋭太に意見することなど出来なかったが、七瀬のおかげで会話に参加出来るようになった。 鋭太は見た目も言動も軽薄だが、付き合ううちにそれほど性格の悪い少年ではないことが解ってきたからだ。 この調子で芽依子にも謝ろう。大神と友達として付き合っていくためにも、こちらの態度は示しておかなければ。
 美花は大神の恋人にはなれない。なりたいと思ったことはあったが、最初からなれるわけがなかったのだ。 また以前のように大神の勤めるコンビニに行けるようになり、挨拶も再開したが、あくまでも友達としての行為だ。 大神のことは、変わらずに好きだ。だが、好きだからといって、どんなことをしても許されるというわけではない。 好きだから、大神と芽依子を応援するのだ。大神が幸せに笑っていてくれれば、それだけでいいと思えてきた。
 いや、思うしかないからだ。




 また、掃除の手が止まっていた。
 大神は汚れた畳を拭いていた雑巾を握ったまま、その場に座り込んで訳もなくあらぬ方向を見上げていた。 コンビニの仕事が休みで悪の秘密結社ジャールの仕事も休みなので、徹底的に掃除をしようと思っていたのだ。 男の独り暮らしというものは、ただでさえ汚れるのに掃除する暇がないので、あっという間に部屋が荒れてしまう。 ゴミ箱から溢れたゴミやコーヒーや酒類の空き缶、灰皿に山盛りになった吸い殻、脱いだままの服の固まりなど。 それらを徹底的に排除し、万年床と化した布団を干し、久々に目にした畳は埃を吸ってどことなく白くなっていた。 掃除機を使えればいいのだろうが、今は夜勤の仕事をしている怪人が眠っているのでうるさくするのは良くない。 なので、大神は今までほとんど使う機会がなかった雑巾で畳を拭いていたが、バケツの水はすぐに黒くなった。
 大神はバケツの水を交換するべく、サンダルを引っ掛けて共同トイレに向かい、ステンレスの手洗い場に流した。 バケツを軽く洗ってからまた新しい水を入れて自室に戻ると、風通しを良くするためにドアは開きっ放しにさせた。 窓の外では洗濯物がはためき、その先には清々しい快晴が見えるが、大神の心中はどんよりと重く淀んでいた。

「野々宮さん……」

 大神は雑巾を固く絞って広げたが、掃除を続行する気分になれなかった。

「俺ってやつは、どうしてこう」

 芽依子は大事な家族だから、蔑ろには出来ない。しかし、美花との関係はもっと大事ではないのか。

「いや、それはちょっと違うな」

 自分の考えに自分で意見した大神は、その場に胡座を掻いた。家族とガールフレンドは別物ではないか。 どちらもかけがえのない女性だが、似て非なる位置付けだ。芽依子に対する感情と美花に対する感情は異なる。 だから、双方に同じ態度を取るのは違う気がする。しかし、大事にしなければならないし、大事にしたいとも思う。 けれど、どちらかをえこひいきするのは良くない。だが、曖昧な態度を取り続けているのも良くないことだとは解る。 バイト先の同僚である中村は、同時に複数の女性と関係を持った挙げ句にどちらからも愛想を尽かされていた。 大神が好きなのは美花だと示すべきだ。しかし、芽依子に伝えれば四天王や社員達にも知られてしまう可能性が。

「あー……」

 事態が混迷しすぎて、どうしたらいいやら。大神は頭を抱え、力なく唸った。

「せめて誰かに相談でもしたいところだけど、俺にはそんな都合のいい相手がいたっけか」

 女友達でもいれば良かったのだろうが、大神の交友関係は広くない。だが、一人で悶々としていても始まらない。 誰かに話せば頭の整理が出来るかもしれないし、少しは気が楽になる。けれど、差し当たって思い付かなかった。 大神は両方の耳を押し潰すように頭を押さえ込んでいたが、その手を外した。一人もいない、というわけではない。

「姉さんだ」

 最も身近な異性であり、相談相手として妥当なのは、姉の弓子以外にいないだろう。

「そうだな、それがいい」

 三歳年上の姉、名護弓子は結婚と同時に仕事を辞め、夫である名護刀一郎と共に実家で暮らしている。 名護と結婚してから二年が過ぎたので、そろそろ子供を作ってもいいだろう、ということでその準備をしている。 だから、今はメイドである芽依子と同じように家事をしているので、用事でもない限りは間違いなく家にいるだろう。 それに、近頃あまり実家に顔を出していない。実家が近すぎるので、いつでも行けると思うと逆に行かないのだ。

「よし」

 大神は腰を上げたが、部屋の片隅に押し込められたゴミの山と油汚れがひどい台所周りが視界に入った。 掃除を一段落させてから、とは思ったが、一段落させるためには更に一日休みがなければ終わらない気がした。 布団は日差しを浴びているし、洗濯も終わったし、畳は拭いたので、片付けた範疇に入っていると自分では思う。 妥協することも大事だ、と適当な言い訳を自分に言い聞かせながら、大神はバケツの水を狭いシンクに流した。 ゴミ袋を玄関に置こうとしたが、そうすると出入りが出来なくなってしまうので、拭いたばかりの畳の上に置いた。
 実家に行けば芽依子がいるだろうが、芽依子はメイドなのだ。家人同士の会話に立ち入ってくることはない。 意見を求められたり会話に参加することを認められたら加わるだろうが、彼女はメイドとしての本分を弁えている。 だから、心配はいらないだろう。そう思った大神は、埃だらけのジャージを脱いで手近なシャツとジーンズを着た。 窓を閉めてから玄関のドアの鍵を掛け、板張りの床を軋ませないように気を付けながら一階まで降りていった。 玄関脇に止めてある自転車の鍵を外し、スタンドを蹴り上げてから跨ると、ペダルを踏み込んで走らせていった。
 その間、考えるのは美花のことばかりだった。次があるかどうか解らないのに、どこに遊びに行こうか、など。 芽依子のことも全く考えないわけではなかったが、考え込んでいるうちにいつのまにか美花に関することになる。 骨の髄まで甘ったるい恋に毒されているのだ、と思う傍ら、恋愛と結婚は違うよな、とも頭の片隅を掠めていた。
 そのせいで、大神の悩みはますます深まった。





 


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