純情戦士ミラキュルン




狂おしき野望の果てに! ジャール・決死の総攻撃!



 ずっと前から気付いていた。
 美花は、純情戦士ミラキュルンは、矛盾する戦いに苦悩していた。だが、大神は、ヴェアヴォルフは、見ないふり をした。戦い続けなければ悪の秘密結社ジャールの存続が危うくなる。士気が保てなければ怪人達は付いてこない。 ミラキュルンもそれを解っていたから、ジャールと戦い続けていた。けれど、彼女は呆れるほど心優しいヒーローだ。 ヴェアヴォルフの野望や怪人達の気持ちを汲んで、自身の気持ちを押し殺して、ヒーローとして戦い続けてくれた。 そうすることで救われる者達がいるのなら、怪人達が報われるのならと、ピンクでハートのヒーローに変身していた。 だが、ミラキュルンは戦いの最中にヴェアヴォルフや怪人達と親しくなりすぎて正義と人情の板挟みになった。それ でも、ミラキュルンは戦い続けていた。他でもないヴェアヴォルフ、大神剣司を他のヒーローから守るために。
 ミラキュルンと戦えば、ジャールは他のヒーローと戦わずに済む。そうすれば、怪人達が過剰に傷付くことはない。 けれど、それでは怪人が傷付かなくなる代わり、ミラキュルン一人だけが孤独に傷付き続けることになってしまう。
 ヒーローは誰かを守る。怪人ですら守る。だが、そのヒーローは誰からも守られず、全てを背負い込んでしまった。 その背中を支える者もいなければ、背負うものを肩代わりする者もなく、バトルマスクの下に涙すらも隠して戦った。 それこそが正義の神髄であり、尊いことだとは解る。けれど、怪人ではなく恋人としては耐えきれないことだった。
 姿勢を整えて落下したヴェアヴォルフは、雑居ビルの屋上に靴底を力一杯擦り付けて速度を殺すと、着地した。 衝撃を全て受け止めた膝を伸ばし、軍帽を整える。いつもと変わらぬ駅前広場を見下ろす、寂しげな少女がいた。 ヴェアヴォルフの着地した雑居ビルの向かい側にある同程度のビルの屋上で、ミラキュルンは両膝を抱えていた。 白いマントは灼熱のビル風を孕んで漂い、ピンクのバトルマスクは眩しく輝くが、ハート型のゴーグルの下で涙を 流している。ヴェアヴォルフは奥歯を噛み締めて戦意を固めた後、背筋を伸ばし、腹の底から声を張り上げた。

「純情戦士ミラキュルンッ!」

 渾身の叫びに、駅前広場を行き交う人々も足を止め、ヴェアヴォルフを見上げた。ミラキュルンも顔を上げた。

「我が名は暗黒総統ヴェアヴォルフ! 悪の秘密結社ジャールを統べる支配者であり、世界を悪に染め上げる ために選ばれた邪悪の権化!」

 ヴェアヴォルフはミラキュルンを指し、屋上の端のコンクリート枠に足を掛けた。

「今日こそは貴様を倒し、世界征服への足掛かりにしてくれる!」

「……う、うん!」

 ミラキュルンは立ち上がり、砂埃の付いた部分を払ってから身構えた。

「どこからでも掛かってきなさい!」

「ふははははははははっ! 望むところだぁっ!」

 コンクリート枠を蹴って飛び上がったヴェアヴォルフは、空中を蹴り、ミラキュルン目掛けて飛び出した。

「世界の平和は、私が守るんだからぁっ!」

 ミラキュルンもすかさず飛び出し、マントを翻す。真っ向から衝突した二人は、迷わずに拳を振るい合った。

「カタストローフェッ!」

 ヴェアヴォルフは接近と同時にミラキュルンのバトルマスクを掴み、急降下した。

「シュラァアアアアアアアアアアアアクッ!」

 赤い影とピンクの影が駅前広場に吸い込まれた直後、衝撃波が発生し、レンガ状の舗装が円形に抉れる。その 中心にはミラキュルンが没し、舗装の破片が飛び散ったが、すぐさまミラキュルンはヴェアヴォルフを蹴った。ヴェア ヴォルフの腹部に両足蹴りを叩き込んで引き剥がしたミラキュルンは、衝撃をものともせずに起き上がった。

「らしくないよ、ヴェアヴォルフさん! 全部、全部、らしくないっ!」

 ミラキュルンは仰け反ったヴェアヴォルフに掴み掛かり、足を払い、鮮やかに投げた。

「デートを断ったことも、今日の作戦も、今の戦い方も、全部!」

「……だろうな。だが!」

 背中から叩き付けられたヴェアヴォルフは、ずれた軍帽を直してから跳ね上がった。

「それだけ負けたくない戦いだということだ、ミラキュルン!」

 焼けた靴底で割れた舗装を噛んで蹴り付けて、体を弾き飛ばしたヴェアヴォルフは、彼女に肩から突っ込んだ。 体格に見合った重量に速度で上乗せされた衝撃をもろに受け止めたミラキュルンは、背中から派手に転倒した。

「うん、解っている。解っているけど」

 ざざざ、と手を擦らせて勢いを殺したミラキュルンは、付きそうになった両膝を伸ばした。

「私だって、絶対に負けるわけにはいかない!」

 視線がぶつかった、ほんの僅かな瞬間、焼け付きそうなほどの真夏の日光が注ぐ中で二人の間だけが凍った。 それは、頑なな正義の冷たさだった。ゴーグルの奥に隠れていた美花の眼差しはぞっとするほど厳しかった。大神 に見せる甘えた顔でもなければ、家族に見せる気の緩んだ顔でもなく、友人に見せる明るい顔でもない。この四年 余り、ミラキュルンとして体を張って心を割きながら戦い続けた末に完成された、強い戦士の顔だった。

「美花」

 心を据えるため、雑踏に紛れるほど小さな声で彼女の名を呟いてから、ヴェアヴォルフは構え直した。

「さあ、俺を倒してみせろ!」

「言われなくたってぇええええええっ!」

 ミラキュルンは駆け出す。いつのまにか二人の周囲には人垣が出来て、正義と悪の戦いを傍観していた。ヴェア ヴォルフは正面から突っ込んだミラキュルンの拳を腕で受け、若干後退ったが、踏み止まって足を振るった。体重と 身長のおかげでリーチと重みを兼ね備えた蹴りでミラキュルンの腰を払うと、続けて回し蹴りを放つ。ミラキュルンは 回し蹴りを浴びるかと思われたが受け止め、ヴェアヴォルフの足を捻って転倒させた。だが、ヴェアヴォルフは落下 する寸前に両手を付いて身を支え、掴まれた足を抜いた瞬間にバトルマスクを蹴る。バトルマスクが上向いて視線 が逸れた隙を見逃さず、ヴェアヴォルフはもう一方の足でミラキュルンの首を刈る。

「あうっ!」

 首を薙ぎ払われたミラキュルンは後頭部から倒れ込み、強かにぶつけた。

「確かに貴様はパワーがある、スピードも充分だ、必殺技も凶悪だ、だが、しかし!」

 ヴェアヴォルフは跳ねるように立ち上がり、頭部の衝撃が抜けきらないミラキュルンを押し倒した。

「ヒーローに徹しきれない貴様では、悪を貫く俺には勝てない!」

 彼女の首は片手に収まるほど細く、バトルスーツに覆われた喉が上下する。ヴェアヴォルフは、それを握る。

「ぐぁ……」

 息苦しさに呻くミラキュルンに、ヴェアヴォルフはその胸に膝を乗せ、体重を掛ける。

「俺はずっと、君の正義を砕くために戦ってきた!」

 ごき、と首を舗装に押し付けたヴェアヴォルフは、叫びと共に力を放った。

「ベーゼフォイアァアアアアアアッ!」

 炎と呼ぶには禍々しく、闇と呼ぶには熱すぎる奔流がミラキュルンを覆う。それが晴れる前に、追撃に掛かる。

「カタストローフェシュラァアアアアアアアクッ!」

 もう一方の手でミラキュルンのバトルマスクを掴んで衝撃波を放ち、先程と同等の抉れを生み出す。

「ヴァールゲヴァルトォオオオオオオオオオオオオオオッ!」

 両手をきつく握り合わせたヴェアヴォルフは、凄まじい破壊力を纏った拳をミラキュルンに振り下ろした。

「なっ!?」

 が、それが阻まれた。ミラキュルンは両手でヴェアヴォルフの拳を受け止め、握り締めた。

「受けてばかりだと、思わないで!」

「がっ!」

 その手を捻られ、腹を蹴られたヴェアヴォルフが後退ると、ミラキュルンは破片にまみれた体を起こした。

「私だって、あなたの野望を砕くために戦ってきた!」

 両手をハート型にしたミラキュルンはヴェアヴォルフに照準を合わせたが、その手は小刻みに震えていた。

「そのためだったら、私はどんなことも出来る! 私以外の誰も出来ないことだから、だから、ずっと、ずっと!」

 力を込めても手の震えは収まらず、ハート型にした手からは必殺技が出なかった。

「嫌われてもいいから、ヒーローらしく戦おうって、決めたのに……」

 ミラキュルンは肩まで震えが至り、ハート型にした手が解けた途端にへたり込んだ。

「撃てない撃てない撃てない! もう大神君を攻撃出来ない! そんなこと、本当はしたくないの!」

「撃たなくてもいい。俺だって、もう戦いたくない」

 ミラキュルンの肉を殴り付けた余韻が残る拳を緩め、ヴェアヴォルフはミラキュルンに近付いた。

「でも、戦わなきゃいけない。私はヒーローだから、世界を守らなきゃ、大神君や皆のために戦わなきゃ……」

「俺に負けてくれ。そうすれば、もう」

 ヴェアヴォルフはミラキュルンに手を差し伸べるが、ミラキュルンは顔を逸らした。

「出来ないよ。ヒーローは、絶対に負けちゃいけないんだから」

「ならば、悪の元に屈させてくれる!」

 その体を抱き締めてやりたい衝動を押し殺し、ヴェアヴォルフはミラキュルンを出せる限りの腕力で殴り付けた。 人垣からは罵声が上がり、悲鳴も混じった。殴られたミラキュルンは無防備に倒れ込んだが、反撃に転じなかった。 ヴェアヴォルフはミラキュルンの襟首を持ち上げて無理矢理立たせると、腹部に拳を埋め、上空に弾き飛ばした。 宙に舞い上がったミラキュルンにヴェアヴォルフは膝を入れて更に浮かび上がらせ、その高度まで飛び上がった。 そして、先程不発に終わった必殺技、ヴァールゲヴァルトを放つ姿勢になり、両の拳を組み合わせる。

「ヴァールッ!」

 脱力した手足を投げ出して落下するミラキュルンの胸に、真実の破壊の名を持つ技が入った。

「ゲヴァルトォオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」

 衝撃。衝撃。衝撃。舗装に背中から衝突したミラキュルンの周囲が、抉れ、抉れ、抉れ、深い穴が出来上がった。 二三メートル以上の深さがある穴に降りたヴェアヴォルフは、地中に背中を埋めたミラキュルンの前に歩み寄った。 時折崩れる舗装と、その下の土に埋もれたミラキュルンは、耳を澄ませなければ聞こえないほど細く泣いていた。

「負けたくない……負けちゃ、ダメなんだぁ……」

 ミラキュルンは起き上がろうとするが、ブーツのヒールは土を噛まずにずるりと外れた。

「負けたら、私は……。大神君のことも、誰も、救えやしないぃ……」

「救えているよ」

 ヴェアヴォルフは彼女の前に膝を付き、目線を合わせた。

「だから、俺はセイントセイバーと戦えた。ジャールを守れた。だから、今度は俺が君を救う番なんだ」

 ヴェアヴォルフはミラキュルンのバトルマスクを両手で挟み、向かい合った。

「結婚しよう。そうすれば、君は俺と戦う必要もなくなる」

「うあぁ……」

 緊張も戦意も途切れたミラキュルンは、ヴェアヴォルフの軍服を掴んでしなだれかかってきた。

「言おう言おうとは思っていたんだ。旅行の時も、その前も、言おうと思っても上手く言えず終いだった」

 バトルスーツ越しでも柔らかさが伝わる体を抱き寄せ、ヴェアヴォルフは泣き声の度に引きつる背を撫でた。

「ごめんな。もっと早く言えば良かった。そうしたら、ここまで辛い思いをさせることはなかったんだ」

「私なんかでいいの……?」

 不安げに問い掛けてきたミラキュルンに、ヴェアヴォルフはつい笑った。

「何を今更」

「あ、でも、そしたら、今度はどこの誰がジャールと戦うの?」

「そんなのは誰でもいい。ヒーローならいくらでもいるじゃないか。でも、美花は一人だけだ」

 軍服を握り締めてくる手の力の入りように少し心が痛んだが、ヴェアヴォルフは笑みを浮かべた。

「これも言ってなかったことだけど、俺が世界征服したかったのは美花を幸せにしたかったからだ。ヒーローだって 解ってからも、ずっとそうなんだ。それはこれからも変わらないだろうし、変えるつもりもない。だから、結婚しよう」

「うん、うん、うん!」

 ミラキュルンは何度も頷き、ヴェアヴォルフにバトルマスクを寄せた。

「わ、私もね、大神君を守りたいから戦ったの! それも、ずっと変わらない!」

「そりゃ嬉しい!」

 ヴェアヴォルフはミラキュルンを横抱きにして持ち上げるとミラキュルンは驚き、ひゃっ、と甲高い悲鳴を上げた。 必殺技で作った大穴を一度跳ねただけで脱したヴェアヴォルフは、穴の縁に降り立つと、周囲の人垣が割れた。

「今ここに、悪の勝利を宣言しよう! 純情戦士ミラキュルンは、暗黒総統ヴェアヴォルフの前に屈服した!」

 観衆の前に曝されたミラキュルンは狼狽え、ヴェアヴォルフの首に腕を回して顔を伏せた。

「いかに純粋な正義であろうとも、崇高なる悪の前には無力! そして、崇高なる悪は真の勇気に似たり!」

 ヴェアヴォルフはもう一段跳ね、手近な街灯の上に降り立った。

「悪に問おう! 愛する者を守る悪は、果たして邪悪であるか! 正義に問おう! 行使する者すらも救えぬ正義は、 果たして正義であるか! そして、愚民共に問おう!」

 ミラキュルンを守るように抱き寄せたヴェアヴォルフは、猛々しく咆哮した。

「貴様らを守る戦士を守らぬ世界に価値などあるものか! いいや、ない! だからこそ、我らは世界を欲して止まない!  貴様ら愚民共の手で穢し尽くされた世界を悪に染め上げ、新たな秩序と均衡を構築するのだ! 我が大望に異を唱える者が いるのならば、我らジャールに挑むがいい! 返り討ちにしてくれる!」

 ふはははははははははははっ、と捨てゼリフ代わりに邪悪そのものの笑い声を振りまきながら、高々と跳躍した。 再び雑居ビルの屋上に着いたヴェアヴォルフは、恥ずかしさと嬉しさで身悶えるミラキュルンに頬を寄せた。彼女 は泣き声とも呻き声とも付かない声を漏らしたが、駅前広場の惨状に気付いて手をハート型にした。声を詰まらせ ながらもミラキュリペアを放ち、派手な戦いの痕跡を元通りに修復してから、きつく抱き付いてきた。ヴェアヴォルフは ミラキュルンの体を落とさないように両腕に力を込めてから、ジャール本社に向かって跳躍した。
 エヒトシュナイト作戦。すなわち、真の勇気作戦は見事成功した。




 そして、悪の秘密結社ジャール。
 暗黒総統ヴェアヴォルフは書類の束を揃えると、デスクの隅に置いた。いつのまにか正社員達は出払っていた。 外回りであったり、取材であったり、昼食に出掛けたり、と用事はそれぞれで違うが、全てのデスクが空いていた。 壁掛け時計を見上げると、昼休みが始まって久しい。ぼやぼやしていると、午後の業務が始まってしまう。デスクを 押して椅子のキャスターを転がし、デスクワークで凝り固まってしまった手足を思い切り伸ばした後、立ち上がった。 社名の入ったドアがテンポ良くノックされた後、美花が顔を覗かせて、がらんとした社内を不思議そうに見回した。

「あれ?」

「やあ、いらっしゃい」

 ヴェアヴォルフが出迎えると、ピンクのチュニックにレギンス姿の美花はヴェアヴォルフに駆け寄った。

「珍しいね、誰もいないなんて」

「パンツァーとファルコは外回りで、アラーニャは七瀬さんとランチで、刀一郎さん、というか、四天王の新メンバーの ベーゼリッターはカメリーと一緒に業界誌の取材を受けに、レピデュルスは芽依子さんの話し相手を兼ねた光一君 のお守りのために速人君のマンションに、ついでに言えば鋭太とちえりさんは婚約指輪の品定めに銀座に」

 ヴェアヴォルフは軍服を脱いでネクタイも緩め、応接セットのソファーに背もたれに軍服を引っ掛けた。

「でも、今日は一体どうしたんだ? この前みたいに弁当の渡し忘れじゃないだろう?」

「うん、あのね」

 美花は肩から提げていたトートバッグを探ったが、その手を一旦止め、ヴェアヴォルフをまじまじと見つめた。

「驚かない? ていうか、困ったりしない?」

「何が?」

 ヴェアヴォルフが聞き返すと、美花はトートバッグから小さな冊子を出した。

「こ、こういうことになっちゃいました」

「え」

 ヴェアヴォルフの鼻先に突き付けられたのは、母子手帳だった。

「今日、病院に行って調べてもらったら、三ヶ月だって言われたの」

 美花は可愛らしい装丁の母子手帳で顔を隠し、俯いた。

「偉いぞ、でかした!」

 歓喜したヴェアヴォルフは、派手に尻尾を振り回した。

「心当たりは充分すぎるぐらいあるよねぇ……」

 美花は赤面してヴェアヴォルフの胸元に顔を埋めると、ヴェアヴォルフも耳を引っ掻いた。

「うん、まぁな……」

「でも、嬉しい。大神君が、じゃなくって、剣司君が喜んでくれたんだもん」

「そりゃ喜ぶさ」

 ヴェアヴォルフの背中に回された美花の左手薬指には指輪が光り、ヴェアヴォルフの左手薬指にも光っていた。 誰もいないのを良いことに思い切り甘えてくる美花を抱き締め、ヴェアヴォルフはソファーに腰掛けた。甘えついで にキスもねだってきたので、ヴェアヴォルフは誰もまだ帰ってきていないことを確かめてから応えた。浅めだが長い キスを終えた後、ヴェアヴォルフは美花を後ろから抱き、その身と我が子を守るように覆い被さった。

「愛しているよ」

 ヴェアヴォルフが笑みを含ませながら言うと、美花は唇を尖らせた。

「私だって愛してるもん」

 その言葉に、ヴェアヴォルフはますます嬉しくなった。美花の手を取って自分の手と重ねてから、彼女の下腹部 をさすった。今はまだ膨らみすらないが、これから現れてくる。血を分けた存在が、愛する女性の内から産まれてくる。 そう思うだけで、怒濤のような幸福感が押し寄せる。ヴェアヴォルフは美花の髪に鼻先を当て、温もりを感じた。
 ヴェアヴォルフ、もとい、大神が美花と結婚したのは、エヒトシュナイト作戦を決行した半年後だった。出来る限り 急いだつもりだったが、ジャールと大神の都合もあり、美花の都合もあり、そこまで伸びてしまった。結婚披露宴では ロックガーが録画していた作戦中の一部始終を上映されてしまったが、今となっては良い思い出だ。結婚した後も 全てが順調というわけではなく、悪に屈したミラキュルンの評価はヒーロー業界では最悪となった。ミラキュルンは 両親がスーパーヒーローだということが悪評の主な原因で、正義に対する侮辱だとも言われた。だが、当のパワー イーグルとピジョンレディは全く気にしておらず、それどころかそれもまた正義だと言い切った。おかげですぐに悪評 も落ち着いたが、今度はヒーローばかり引き入れるジャールに怪人業界から酷評が起きた。しかし、ミラキュルンは 元セイントセイバーのベーゼリッターとは違って、ジャールの社員に加わったわけではない。それでも味方に付けた ことには変わりないと言われたが、これもまた世界征服への近道だと強引に言い切った。それに対しても多少反発 があったが、ヒーローを引き入れる利点と征服効率、という記事をカメリーが書いて業界全体の印象操作が成功する と、波を引くように怪人業界の酷評も落ち着き、それどころ評価が上がった。そして、それらの波乱を乗り越えた 悪の秘密結社ジャールは、音速戦士マッハマンと敵対し、戦い続けている。

「あ、あの写真……」

 美花はヴェアヴォルフの腕から顔を上げ、応接セットの向かいの壁に掛かったフレームを見上げた。

「恥ずかしいな、まだ飾ってあるの?」

「嫌だって言っても飾るよ。俺達の永遠の宿敵、純情戦士ミラキュルンの最後の勇姿なんだから」

 ヴェアヴォルフは愛妻の肩越しにフレームを見上げた。そこには、ピンクでハートの正義の味方が収まっていた。 彼女の背景にはジャールに所属する怪人達がぎっちりと並んでいて、四天王、幹部怪人達は一歩前に並んでいる。 一番手前では、ミラキュルンとヴェアヴォルフが隣り合っている。この日の戦いを最後に、美花は変身しなくなった。 ヴェアヴォルフ、もとい、大神と婚約をしたのは写真を撮った日の翌日で、ミラキュルン引退記念の大乱闘だった。 結婚する喜びに煽られているミラキュルンは恐ろしく強かったが、怪人達も最後の最後まで戦い抜いた。大乱闘の 締めはやはりヴェアヴォルフで、駅前広場での決闘に勝る熱戦となって、ミラキュルンを打ち倒した。手加減せずに 本音を曝け出して戦い合い、気持ちを確かめ合い、力を拮抗させ、愛とは別のものも繋げ合った。
 引退記念の写真の隣は新婚旅行で行った沖縄の写真だった。青い空、珊瑚礁の砂浜、エメラルドグリーンの海。 そして、その手前には弾けんばかりの笑顔の美花。この写真を撮る直前に、美花は大神にこんなことを言った。

「こんなに綺麗な世界なら、誰だって征服したくなっちゃうよね」

 美花は沖縄旅行の写真を見上げ、写真を撮る前に言った言葉を繰り返した。

「だから、俺は戦うんだ」

 ヴェアヴォルフは美花を見下ろし、牙を覗かせるように口元を緩めた。美花は頷き、夫の胸に寄り掛かる。

「だから、私も戦っていたんだよ」

 結婚してから一年が過ぎても、世界は変わっていない。ジャールが征服出来た領域など無きに等しい。それでも、 ヴェアヴォルフが長らく求めていた世界である美花とその心を支配することは果たし、愛し合えた。そうしていけば、 いずれ世界は一つになる。途方もない考えではあるが、出来ないことではないと信じ抜こう。現に、こうして、美花が 傍にいる。ヴェアヴォルフは、かつて世界の覇権と命を懸けて戦った戦士を、そして妻を慈しんだ。
 幸せすぎて、泣けてくる。




 世界を背負う数多のヒーローと、世界を狙う数多の怪人に捧ぐ。

 それぞれの正義とそれぞれの野望に、それぞれの幸あらんことを。







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