仕事の振り分けはこうである。 ゾゾは以前と変わらずに炊事洗濯を行い、小松は廃校の片付けと平行して新たな住居となる校舎の建設を行い、 紀乃とミーコはその手伝いをし、忌部は手も尻尾も空かないゾゾに代わって畑仕事をし、甚平は重労働で疲弊した 面々の空腹を癒すべく海産物の調達し、地下室に籠もる翠は新たな住居に必要になるカーテンなどを縫っている。 瓦礫の山を呆然と眺めて時間を浪費するよりも、忙しなく働いていた方が気が紛れるというものだ。 だが、紛れない仕事もある。紀乃は小松が書き起こした配線図と睨み合いながら、唸っていた。同じように配線図を 覗き込んでいるミーコも解らないらしく、目を丸めている。配線に必要な長さのケーブルを丸めて運んできた小松は 作業が滞っているのが面白くないのか、先程からしきりに半球状の頭部を回転させていた。 「なんでもいいから、早く仕事に掛かってくれ」 小松はケーブルの束を置き、急かしてきた。紀乃はむくれ、言い返す。 「だって、この部屋に引っ張るのにケーブルはこっちに行くなんて変じゃん」 「変じゃない。そうした方が効率が良いからだ」 小松が言い返すと、ミーコはぐりんと首を捻った。 「でもでもでも、建ちゃん。電圧とか足りるの? るの? るの? るの?」 「足りるというか、多すぎるんだ。だから、余計に面倒なんだ。間にトランスも挟まなきゃならんし。で、あれがこの島の 電気を賄っている施設だ。電圧が強すぎて危険だから、俺以外は立ち入り禁止だが」 小松は右腕を上げ、給水塔から少し離れた位置を指した。今の住居と大差のない掘っ立て小屋があった。 「そういえば、これまでなんとなーく電気を使ってきたけど、どうやって発電しているの?」 紀乃が不思議がると、小松は答えた。 「地面から引っ張ってきている。ケーブルを突き刺しておくと、自然に流れ出してくるんだ」 「でも、電気ってタービンを回転させて発生させるものじゃなかったっけ? 理科の授業でそう習ったもん。水力火力 原子力も、ちょっと方法が違うだけで本を正せば同じ原理で電気を作っているんだし。火山島だから地熱発電だと しても、あれも上昇気流でタービンを回して発電するんでしょ? でも、どこにも湯気は見えないよ?」 「俺も変だと思うんだが、本当にそうなんだから仕方ないじゃないか。これ以上説明しようがない」 小松がメインカメラのシャッターを開閉させると、ミーコが勢いを付けて立ち上がった。 「生体電流! 電流電流デンデンリュー! きっとそう、そうだよ建ちゃん建ちゃんちゃんちゃんちゃーん!」 「デンキウナギ的な何かってこと? まさか、それはさすがにナシでしょ」 紀乃が半笑いになると、小松は頭部の付け根をマニュピレーターでさすった。 「いや、アリかもしれないな。これまでのことを踏まえると」 「う、うーん……」 紀乃は掘っ立て小屋に目をやり、割と真剣に思い悩んだ。ミーコは自分の考えが小松に好意的に取られたのが 嬉しいらしく、その辺りでびょんびょんと跳ね回っている。小松はこの件をあまり深く考えたくないらしく、ケーブルを 引っ張って真っ直ぐに伸ばし始めた。確かに、広い世界には電気を発する生き物はいないわけではないし、人間も 僅かながらの電流を帯びている。それに、ゾゾとのやり取りから察するに忌部島は島そのものが生き物らしいという ことも解ってきた。ハルキゲニアを食べてしまう口もあるし、溶解して地面に吸収されたはずのミーコが再生するの だから、何もなければ逆におかしいぐらいだ。かといって、すぐに納得出来るわけもなく、紀乃は小松が引っ張って きたケーブルと掘っ立て小屋を見比べた。あまりにも不可解なので、このまま作業を始めたら、雑念が入ってしまい かねない。そう思った紀乃は挙手し、現場監督である小松に進言した。 「小松さーん。デンキウナギ的な何か、ちょっと見てきてもいい?」 「見てもいいが、中に入るなよ。感電すると大事だからな」 「はーい」 小松の注意を背に受けながら、紀乃は小走りに掘っ立て小屋へと向かった。トタン屋根と木材の壁で出来ている 小屋を覗き込むと、空気が違っていた。小屋の外は眩しく力強い日差しが降り注いでいて暑いのだが、小屋の内側は 真冬の早朝のような雰囲気があった。肌に擦れる毛先の様子からして、緊張感の原因は静電気だろう。そして、 小屋の中心には銅線が幾重にも巻き付けられた機械が据えられていた。これが、小松の言うトランスに違いない。 トランスにハンダ付けされているケーブルを辿ってみると、確かに先端が地中に埋め込まれていた。それはまるで、 コンセントにプラグを差し込んでいるかのような光景だった。しかし、地面は地面であり、スニーカーの先で抉っても 感触も湿り気も変化はない。いっそ手で触ってみようか、と思ったが、小松から感電する危険があると忠告されて いたし、うっかりケガでもしたら後が面倒だ。便利は便利なのだろうが、電気とは電力会社が様々な方法でタービンを 回転させて作るものだ、という認識が抜けない紀乃はどうしても納得出来ず、首を捻りながら建設現場に戻った。 「なんでもいいから、仕事を始めるぞ。でないと、終わらない」 小松は配線図を書いた紙をマニュピレーターで抓み、操縦席に押し込んだ。 「始める始めるめるめるめるぅー!」 ミーコはケーブルを抱え上げ、またもやびょんびょんと飛び跳ねた。紀乃は不可解さが振り払えなかったが、小松の 言う通り、仕事を始めなければ終わらないし、終わらなければいつまでたっても掘っ立て小屋で雑魚寝暮らしだ。 また以前のように一人で広い部屋を使いたいし、ベッドで眠りたいし、ドラム缶でない風呂にも入りたいし、テレビも 見たいし、冷蔵庫できんと冷やしたプリンもアイスクリームも食べたい。どれもこれも煩悩ばかりだが、人間が労働に 従事する動機なんてそんなものだ。紀乃は深呼吸してから、サイコキネシスを解放した。 「どりゃあ!」 変な掛け声と共に力を放った紀乃は、何本ものケーブルを浮かび上がらせた。 「で、これをどこに突っ込むんだっけ?」 「何のために設計図を見せたと思っているんだ。それと、それは最初に入れるケーブルじゃない。長さが違う」 小松は紀乃が浮かばせたケーブルを引っ張って地面に下ろさせてから、別のケーブルを三本持ち上げた。 「最初に入れるのはこれとこれとこれ、ちゃんと番号も振ってあるだろう」 「あ、そっか」 「まともに話を聞いて作業を始めろ。手順と工具と部品の確認を怠るな。少しでも解らないと思ったら、独断を下さずに 俺に指示を仰げ。いいか、解ったか」 「はーい」 「解ったったったー!」 紀乃が生返事を返すと、ミーコは陽気に笑った。その態度で尚更不安に駆られたのか、小松は背部からどす黒い 排気を零しながら建設途中の校舎に向かっていった。海を見下ろす高台に建てたログハウスの基礎の十倍はある 大きさの基礎には漁船から剥がした鉄骨が埋め込まれ、小松の多目的作業腕に内蔵されたグラインダーで表面を 磨き上げられた柱が建てられ、外壁が張られ、台風が来ても倒壊しないようにと補強の筋交いも入れられてはいるが、 まだまだ完成には程遠い状態だった。断熱材を張って壁と屋根を完成させ、配線と配管を終えても、内装工事や 諸々の細かな仕事はいくらでもある。快適に暮らすためには、それ相応の手間が必要だと今更ながら思い知る。 名も知らない誰かから拝借した生体電流を利用するケーブルと共に自分の体を浮かばせて、紀乃は小松の指示の 通りに配線を這わせていくと、ミーコが小松がプラスチックを加工して作ったケーブルクランプで固定していった。 今のところ、作業は順調である。 草毟りも奥が深い。 なぜなら、雑草の根は見た目以上に長いからだ。忌部は透明な体から噴き出した汗をぼたぼたと落としながら、 長時間曲げていたせいで疲労が溜まった腰を伸ばした。背骨がぼきぼきと鳴り、伸び切っていた腰の筋肉が縮み、 前のめりに体重を受け続けた足に血流が戻ってくる。首を曲げて凝りを解してから、忌部は泥と草の汁にまみれた 軍手を外して作業着の袖で顔を拭った。全身が透明なおかげで直射日光を浴びても常人ほど熱が蓄積しないが、 それでも暑いものは暑い。作業着の紺色の生地には汗染みが広がり、腕や首回りは黒々と染まり、背中に至っては べったりと貼り付いている始末だ。それを引き剥がしてから、忌部は手近な石に腰を下ろした。 「ああ、やれやれ」 ゾゾから借りてきたヤカンを傾けてコップに真水を注ぎ、呷った。生温かったが、飲まないよりは余程いい。畑の 傍に置いている手押し車には、これまで忌部が毟った雑草が山と積まれていた。この一週間の間に何度となく毟った はずなのだが、一昼夜もするとすっかり成長してしまう。作物の成長速度に比例しているのだろうが、それにしても 面倒臭い。生き物をいじくり回せる力のあるゾゾなのだから、雑草の生えない土壌にすることなど簡単そうである。 いっそそうしてくれりゃいいのに、と思いつつ、忌部は塩田で作った粗塩を舐めた。時折口の中に入っていた汗よりも 濃く、まろやかな味の塩だった。これでキュウリでもあれば最高なのだが。 「よう、甚平」 忌部が中身が透けた袖を振ると、砂浜から歩いてきた甚平は立ち止まった。 「あ、え、どうも、忌部さん」 「そっちはどうだった」 「あ、うん、まぁ、それなりに」 甚平はバナナの葉でくるんだ魚介類を抱え直し、忌部から目を逸らした。 「いい加減に目を合わせてくれても良いと思うんだがな。俺もこっち側になっちまったんだし」 忌部は腰を上げて甚平に近付くと、甚平は若干身動いだ。 「あ、いや、その、努力はしているんだけど、えと、どうしても出来ないっていうか、苦手っていうかで……」 甚平は丸い目を伏せ、瞬膜を慌ただしく開閉させる。忌部は作業着の上半身を脱ぎ、袖を腰で結んだ。 「それはそれとして、俺は役立たずだと改めて痛感したよ。ただ透明なだけだもんな」 「あ、いや、その、そんなことはないっていうか、その」 「気を遣わなくてもいい。俺が一番自覚している」 「あ、え、でも、えと、透明人間にも利点はあるっていうか、僕みたいにサメってだけよりもマシっていうか」 「甚平は海の中なら最強じゃないか」 「あ、ああいや、そんなの全然!」 最強、と言われてぎょっとした甚平が後退ると、忌部は笑った。 「人間がどれだけ訓練して潜水装備を付けたとしても、活動には限界がある。潜水艦も潜水艇も然りだ。だが、甚平 は違うだろ。水陸両用だから何時間でも水中に入っていられるし、泳げない代わりに海底の地形をよく知っているし、 海流に乗って動けば長距離移動が可能だ。素手で魚も捕れるしな」 「あ、いや、その、えぇと」 思いがけずに褒められたため、甚平は大きな背を丸めて照れた。 「他の連中は言わずもがな、翠にしても裁縫も料理も得意だ。それに引き替え、俺には何があるんだろうなぁ」 「え、あ、隠密行動とか?」 甚平が目線を彷徨わせながら返すが、忌部は噴き出した。 「それが出来てなかったから、俺はインベーダー扱いされちまったんじゃないか。さっきも言ったように俺は体が透明 ってだけであって、気配を消したり、重量を消したりは出来ないし、超能力もなきゃ不死身でもない」 「あ、え、うーんと……。あ、そうだ、うん、光学兵器が通用しない、とか」 「それはそうかもしれないが、どこの国も光学兵器は実用化に至っていないんだぞ? 存在しない兵器が通用しない と言われても、それは利点でも何でもないような」 「あ、え、その、ごめんなさい」 「だから、謝る必要はない」 「あ、はい。でも、その、なんで急にそんなことを?」 「俺はついこの前までお前らの敵だったわけだし、色々と手間が掛かる翠も含めてこの島に住まわせてもらっている 身分なんだ、タダメシを喰らうわけにはいかないんだ。だが、差し当たって俺の得意分野が見つからなくてな。一応、 俺は忌部家の御前って立場らしいんだが、その御前が何をするものなのかも解らないんだ。ゾゾから少し聞いた話 とミーコが聞かせてくれた昔話を合わせて考えてみても、御前ってのは単に遺伝子の乗り物でしかないようなんだ。 要するに御飾りなんだ。だが、御飾りに過ぎなくても、御前である俺が動けばどうにかなる事態もあるんじゃないかと 思ってな。けど、いかんせん情報が足りなさすぎて、手を付けようにも手を付ける端っこすら見当たらないんだ」 「御前……? それって、あの、本家の御前様ってやつ?」 「そうだ。甚平は色々と調べていたようだが、御前について何か知っているのか?」 「あ、いや、まだ全然。あ、でも、まるっきり知らないってこともないっていうか」 「だったら、甚平は何を知っているんだ?」 「あ、え、うんと」 甚平は口籠もり、鋭い牙の並ぶ尖った口元を弱く開閉させた。 「あ、そ、それについてはまだ調べ切れてないっていうか、文献は見つけたけど読み込んでないっていうか。だから、その、 答えようにも答えづらいっていうかで……」 「だったら、無理に答えてくれなくてもいい。俺達には、いくらでも時間と自由があるんだ」 「あ、はい。だから、その、何か解ったら、ちゃんと教えるっていうかで」 「だったら、それを楽しみにしておくとするさ」 「あ、う、はい」 甚平はまたもや照れてしまい、忌部に背を向けた。ヒレの付いた両足を不器用に動かしながら、緩い坂道を昇る 背を見上げていると、忌部はサメ男の青年に無性に親しみを感じた。甚平の気の弱さと頼りなさは苛立ちを誘うことも ないわけではないが、他人の顔色を窺いながらも自己を貫こうとする姿勢は気に入っている。他の面々ほど派手 ではないが、甚平も地味に世界を侵略しようとしている。忌部の先祖が支配していたというわりには歴史をほとんど 知らない忌部島の由来が明かされれば、大なり小なり異変が起きるだろう。異星人であるゾゾの古くからの友人で あるらしい忌部島は、どう考えても地球の産物ではないからだ。真相を知る日が怖くもあり、とてつもなく楽しみだ。 それまで、忌部は外側からインベーダーを見るだけだった。彼らと同類でありながら同じ目線に立とうとはせずに、 攻撃し、殲滅することばかりを考えていた。忌部島で長らく生活を共にしていても、最後の部分で線引きをしていた。 そうすることが自分の心を守る唯一の方法だと信じて、人間であることにしがみついていた。だが、それ自体が誤り だったのだ。人間であろうとなかろうと、生活が大事なのに代わりはない。近しい者達を愛おしく思うのも、守りたいと 願うのも、平穏な明日を迎えたいと祈るのも、違いはない。皆が皆、マイノリティーであるというだけだ。 「お?」 忌部は畑から少し離れた草むらで自生するハイビスカスを見つけ、胸が弾んだ。今頃は地下室で大人しくしている であろう翠に、何本か取って持って行ってやろう。草刈り鎌で鮮やかなピンク色の花を茎ごと切りながら、忌部は 頬の緩みが押さえられなかった。たったこれだけのことでも、翠はきっと喜んでくれる。極度の紫外線アレルギーという 厄介な体質のために昼夜逆転の生活を余儀なくされているからこそ、華やかなものを見せてやりたい。即興の花束を 作った忌部は、浮かれついでに鼻歌を零しながら、妹が身を潜めている地下室へと向かった。虎鉄と芙蓉による 襲撃を受ける前、翠は廃校の地下にゾゾが作った研究室の中で寝起きしていたのだが、翠自身が巨大化したため にその地下室は倒壊してしまった。なので、今は、ゾゾが手近な樹木を生体改造して根の部分を拡張させて地中に 六畳間ほどの空洞を作り、翠はその中に暮らしている。忌部は朝も早ければ夜も早いという健康的な生活を送って いるがために妹と会える時間は限られているが、傍にいられるだけで充分だ。生体改造を施すためにゾゾが尻尾を 突き刺した跡が残る大木の根本にハイビスカスの花束を横たえ、忌部は根元の出入り口を塞ぐ蓋をノックした。 ここにいる、と伝えるために。 10 9/19 |