掘って、掘って、掘り進めた。 火山島である忌部島の地盤は軟らかい。水捌けが良いので作物の栽培には適しており、そのおかげもあってゾゾ が育てた野菜の恩恵に与れている。石や珊瑚礁に混じって過去に起きた噴火の名残と思しき溶岩の固まりもいくつか 埋まっていたが、大した問題ではない。綺麗な穴を掘る必要などないのだから。ただひたすらに火山灰混じりの 土を掘り返し、忌部島の地表そのものに近付ければいいのだ。小松は背中の排気筒から黒煙を噴くと、掘削用の バケットを装着した多目的作業腕を振り上げて大量の土砂を穴の外に掻き出した。土の飛沫はいびつな弧を描き、 穴の外側に降り積もった。こういった作業には紀乃がいてくれれば捗るのだが、生憎、人智を越えた超能力を操る 少女は忌部島から遠く離れた本土で竜ヶ崎全司郎の手に落ちている。かといって、他の面々では助けになるどころ か足手纏いでしかない。畑と森の中間地点を掘り始めてから一日半が経過したが、まだまだ終わりそうにない。 半球状の頭部を半回転させると、安全圏から事の次第を見守っている面々が目に留まった。作業を始めてからは 微動だにせずに直立しているゾゾ、興味深げに大穴を覗き込んでくる甚平、手慰みにエレキギターを爪弾いている 呂号、不安げで今にも倒れてしまいそうな翠、いつになく真面目な顔をしたミーコ。彼らの姿は小松の頭上より遙か に遠く、穴の深さが窺い知れた。この分では外側に降り積もった土は山ほどあるだろうが、小松にはそれを捨て に行くことは出来なくなっていた。随分前に紀乃を連れて昇った火山の火口とは異なり、土壌が軟らかすぎて六本足 を突き立てようにも崩れ落ちてしまう。ワイヤーフックを打ち込んで昇ろうにも、外周部には小松の体重に耐えられる ほどの強度はない。深さにして十二三メートル、といったところだろう。円形に区切られた空はすっかり暮れていて、 漁船の集魚ランプを改造して作った投光器からの光がなければ、穴の中は真っ暗で作業どころではない。 砂と土と火山灰が積もった地層にバケットを突っ込み、抉る。バケットを擦らせながら何百回と繰り返した作業を 行おうとしたが、バケットに硬いものが擦れた。また溶岩の固まりにぶち当たったか、と思いながら、小松は頭部に 内蔵されているランプを下に向けた。バケットの中身を背後に放り出してから違和感の主を凝視すると、岩のようで いて岩ではないものが現れた。土を払いのけてから更に凝視すると、バケットの幅と同じ摩擦痕が付いた赤い岩盤 があった。赤だと解ったのは、投光器だけでは光量不足なので光度を調節した上に色調を補正して見たからだ。 「ゾゾ。出てきたぞ」 顔を上げた小松がシャッターを瞬かせると、ゾゾは頷いた。 「それだけ露出させて頂ければ、よろしいでしょう」 「……ん」 不意にエレキギターの音色が止まり、セーラー服姿の呂号は指を止めて耳を澄ませた。 「あ、えと、どうしたの?」 ほとんど腹這いになって穴の底を覗いていた甚平が訝ると、呂号は穴の方向に顔を向けた。 「音が聞こえる。恐らく脈拍だ」 「それが、ワンさんの心臓の音ですの?」 離れた場所に座っていた翠が腰を上げると、ミーコが笑った。 「そうだよ、だよ、だよ、だよー。だって、ワンは生き物だもん、もん、もーん」 「では、術式開始です」 ゾゾは軽く足元を踏み切ると、穴の真上に跳躍した。背中からはコウモリのそれに酷似した翼を生やし、広げると 同時に空気を叩いた。それを何度か繰り返して落下の勢いを緩めたゾゾは、土砂まみれになっている小松の頭部 の上に着地し、滑り落ちないように外装に足の爪を立てて単眼を凝らした。顎に太い指を添えたゾゾは低く唸ると、 しばらく考え込んでいたが、小松に指示を出してきた。 「下大動脈に程近い場所ですね。では、小松さん、まず最初に杭打ち機で杭を打ち込んで下さい」 「ここに直接か?」 小松はバケットを付けたままの腕で、僅かばかり露出した宇宙怪獣戦艦の皮膚を叩いた。 「ええ。ワンは生きてはいますが、脈が弱すぎますので。まずは刺激を与えて下さい、それも強烈に」 ゾゾが頷いたので、小松は両腕からバケットを外して合わせ、杭打ち機に変形させた。 「解った」 合体させた多目的作業腕の後方からは油圧シリンダーが伸び、掘削用のスクリューの尖端の奥に長い杭を装填 した。ギアを組み替え、エンジンから発せられる動力を両腕にだけ伝わるようにし、六本足も曲げて衝撃に耐えうる 状態にした後、小松は杭の尖った尖端を岩盤に似た皮膚に据えた。スクリューを時計回りに回転させて岩盤に似た 皮膚の表面に抉り込ませていくと、次第に感触が変化し始めた。最初は岩を砕く時となんら変わりない手応えだったが、 一メートル、二メートルと押し進んでいくと、ぐじゅりと水気が噴き出した。小松は作業は止めずにメインカメラを 足元に向けると、液体が滲み出してきた。だが、それはただの地下水ではなく、小松の外装に触れると途端に酸化 して薄い煙が立ち上った。痛みはなかったが少々動揺した小松は、思わずスクリューの回転を止めた。 「うおっ」 「御心配なく、ワンの体液は金属は腐食しますが、生き物は腐食いたしません」 ゾゾは小松が開けた穴を睨みながら、宇宙怪獣戦艦の体液の臭気を嗅いだ。 「ふむ。多少栄養失調気味ではありますが、火山から乖離しての生命活動には支障は来しませんでしょう。杭打ち 機で掘り進めているだけでもかなりの刺激になっているからでしょうね、鼓動が早まり始めています」 ゾゾが言い終えるや否や、小松の足元が上下した。 「杭の方向を、下大動脈から右心房に向けて下さい。こういう具合に」 ゾゾは小松のメインカメラの前で手を捻ってみせるが、小松は今一つ把握出来ず、左半身を下げてみた。 「こうか?」 「その姿勢のまま、もう少し前に出てみて下さい。杭の尖端が下大動脈を通って右心房に入るはずです」 「こう、か?」 小松が上半身を押し出すと、杭が円筒形の液体の中に没した。噴き出す体液の量も増え、小松の外装を焼く。 「ええ、そうです。それでよろしいのです」 ゾゾは小松の杭が突き刺さった位置を確かめてから、指示を出した。 「次は、杭から電流を流して下さい。強さは小松さんにお任せしましょう」 「解った」 小松は右腕から伸びているスクリューと杭を据えてから、穴の外に向けて言った。 「電気が必要だ。なんでもいいから、ケーブルを下ろしてくれ。投光器の傍にあるはずだ」 「だそうだが。早くしろ」 呂号が投光器に顔も向けずに言い捨てると、ぞんざいな返事と共に太いケーブルが穴の中に放り込まれた。鞭の ようにしなりながら降ってきたケーブルは、ゴムカバーが剥がされて露出した銅線から火花が散っていたので、小松は 左腕を伸ばして体液に浸かる前に絡め取った。それを杭に巻き付けると鋭く電流が弾け、強烈な刺激を受けた 心臓の筋肉が一度収縮した後に痙攣した。小松の杭がへし折れかねないほどの痙攣が何度となく続いていたが、 不意に足元がぐらついた。と、同時に地面自体を揺らがす振動が発生し、どぅん、どぅん、どぅん、と規則正しい揺れが 始まった。それが心臓の鼓動であることは言うまでもなく、宇宙怪獣の名に相応しい強さで、六本足のシリンダーが 鼓動を受けるたびに伸縮してしまう。このままでは横転してしまう、と危機感を覚え、小松はスクリューを高速回転 させて杭ごと回収すると、心臓の真上から後退った。途端に穴を開けられた皮膚から大量の体液が噴出し、小松 に襲い掛かった。防ぐ手立てもなかった小松はたっぷりと体液を浴び、黄色と黒の外装はすっかり剥げ落ちた。 「ワン・ダ・バは体液が酸性なのか。だとすると、お前もそうなのか、ゾゾ」 「ええ。ワンほど酸性は強くありませんけどね」 ゾゾは小松の頭部から操縦席の上に下りると、膝の高さまで溜まった体液を掻き分けて進み、小松の杭打ち機が 開けた穴の中に尻尾を差し込んだ。それを宇宙怪獣戦艦の肉に突き刺したのか、鼓動とは違ったタイミングで小松 の足元が上下して体液の海が荒く波打った。ゾゾは単眼を閉じて考え込んでいたが、赤黒く汚れた尻尾を体液の中 から引き抜くと、飛沫を散らしながら尻尾を立てた。 「おかしいですね? ワンの心臓には間違いなく電気ショックを与えられたのですが、反応が今一つ……」 「どうかしたのか」 「頭部がないことを差し引いても、生体活動に活性が見られないのです」 「心臓は動いているぞ」 と、小松が鼓動に合わせて波打つ体液の海を指すと、ゾゾは首を横に振った。 「それだけではいけません。脳を目覚めさせなければいけないのですが、私が生体接触しても条件反射程度の反応 しか返ってこないのです。エンジンが動いても、運転手がいなければ車は動きませんからね」 「ワン・ダ・バは、首がないのに脳があるのか?」 「構造としては、人類が発明した機械と同じですよ。小松さんだって頭部に様々なセンサーが搭載されていますが、 そこに脳が入っているわけではありませんでしょう? ワンもそうなのです、頭部は飽くまでも感覚器官であって脳は また別にあるのです。ですが、頭部がなければワンは外界を知覚できませんし、満足な動作も取れませんし、次元 乖離空間跳躍航行技術など以ての外なのです」 「だったら、どうするつもりだ」 「恐らく、ワンに足りていないのは神経伝達物質でしょう。脳が反応していないのに条件反射が返ってくる、ということは、 ワンの神経系統は生きているのです。ハルキゲニアも小松さんの資材も元気に食べておられましたから、内臓は 至って元気ですし、その他の器官もそうでしょう。ですが、脳だけが沈黙しているようなのです。神経伝達物質が 消耗した原因として考えられるのは、前回、恒星間航行技術を使用してから補給しなかったからでしょう」 「要するに、ワン・ダ・バは腹が減っているのか」 「それはそうなのですが、ワンの主食は、惑星のエネルギーと言いますか、惑星を破壊した際に発生する大規模な 衝撃破が生み出す空間変動による次元断裂によって異次元空間から通常空間に飛散する反物質なのです」 「面倒臭いな」 「そうなのですよねぇ。ですが、そのために地球を吹っ飛ばしてしまっては元も子もありませんし」 「だが、こいつが動かないと困るのか」 「それはもちろん。紀乃さんも、あなた方も、助けられませんからね」 ゾゾは体液にまみれた尻尾を揺すりながら、思案し始めた。小松はその様を視界の端に捉えながら、単眼に似た メインカメラを上げて穴の外を見やった。呂号以外の視線が集まっていたが、小松はミーコに視線を向けた。ミーコは 酸性の体液に浸りすぎて外装がすっかり焼け焦げてしまった小松が心配で仕方ないのか、眉を下げていて、身を 乗り出して覗き込んでいる。自分の肉体から立ち上る煙を纏いながら、小松は姉と向き合った。 「ねえ、建ちゃん」 ミーコはおもむろに口の中に手を入れると、喉の奥から寄生虫を一掴みして引き摺り出した。 「私のコレ、使えないかな? かな? かな?」 「使うって……ああ、うん、そういうことかな。でも、それは……」 すぐにミーコの考えを察したが、甚平は口籠もった。呂号はそれが面白くないのか、つま先で甚平を小突く。 「何がどういうことかさっさと説明しろ」 「ああ、うん、えとね。ほら、ミーコさんって、寄生虫の固まりでしょ? 見た目は人間っぽいけど、人間の皮を被って いるだけっていうかで。要するに群体だね。軍隊じゃなくて、群れる体って書いて群体。でも、ミーコさんの場合は、 魚の群れとか虫の大群とかとは違って、全体が一つの意志でまとまって動いているわけじゃなくって、女王寄生虫 っていう中枢があるっていうか。で、一匹一匹はその意志を伝え合って一人の人間のように動いているっていうか、 脳も神経もなしに人間っぽいことが出来ているっていうか。だから、その」 「要するにミーコの寄生虫は接触するだけで神経細胞と同じ役割を果たすばかりか同時に情報統制を行っている というわけか。シナプスもニューロンもないのにだ。その理屈が正しければミーコの寄生虫を不足した情報伝達物質の 代用品として使用出来る可能性もなきにしもあらずだがミーコをミーコとして構成している寄生虫が著しく欠如すれば ミーコはミーコではなくなってしまう可能性も非常に高い。そういうことだろう。ゾゾ」 呂号が捲し立てると、ゾゾは両手を上向けた。 「大体はそんなところですね。説明する手間が省けましたが、御株を奪われました」 「何もミーコがそこまでする必要はない。なんとか出来るだろう、ゾゾ」 小松は頭部を左右に振ってから、ゾゾを見下ろした。ゾゾは体液の底を探っていたが、呟いた。 「残念ながら。今のワンでは、地球の大気圏外まで飛行すら出来ません。地球以外の惑星を破壊して反物質を調達 することも考えてみましたが、まず無理です。それこそ、地球存亡に関わる重力変動が起きてしまいますから。です から、最も安全かつ効率的な手段としては、ミーコさんのお命を頂く他はないでしょう」 「まあ……」 動揺した翠がよろめくと、それをミーコが受け止めた。 「大丈夫だよ、だよ、だよー。大したことないもん、もん、もーん」 ミーコは翠を抱き締めて宥めつつ、いつものように明るく笑っている。投光器からの青白く鮮烈な光が逆光となり、 図らずもミーコの陰影を濃くしていた。良い子良い子ー、と泣き出しかけている翠を撫でてやりながら、ミーコは笑顔 を絶やさない。甚平は呂号から裾を引っ張られてつんのめったが、呂号がいつになく表情を強張らせていると知ると 彼女の手を取ってやった。小松は再びゾゾを見下ろしたが、なぜか憎悪は湧かなかった。ワン・ダ・バを生かすために ミーコを殺すと明言したのに、エンジンは過熱しなかった。逆に冷却装置が暴走したかのように冷え込んできて、 視界が定まらずにメインカメラがふらつき、端々にノイズが散った。 「やっぱり、あんたって最低っすよ」 投光器の真後ろから声を荒げたのは、投光器を操作していた山吹丈二だった。 「お褒め頂き、光栄です」 ゾゾが自嘲すると、小松は呆気に取られた。 「なぜお前が怒る、山吹」 「なぜってそりゃ、あんたらのリアクションが薄いからっすよ」 在り合わせの資材を組んで作った投光器から飛び降りた山吹は、穴の傍まで駆け寄り、更に叫んだ。 「乙型一号もそうっすけど、ミーコのことも道具扱いしてばっかりじゃないっすか。インベーダーだけあって、血も涙も ないっすね! インベーダーが減るのは結構なことっすけど、やり方ってもんがあるんじゃないっすか!?」 「山吹にしてはまともな言い分だな」 呂号は、甚平の傍から離れずに言った。翠はミーコに抱き締められながら、山吹を見やる。 「ですけれど、山吹さん。私には、ミーコさんのお気持ちもゾゾさんのお気持ちもよく解りますわ。私も、こんな体です から誰のお役にも立てませんでしょう。御兄様を始めとした皆様には余りあるほどの御恩がございますし、どんな形 でもよろしゅうございますから、お返ししたいって思っておりますわ。御兄様や紀乃さんをお助けして差し上げたいと いうお気持ちも、本家の御前様を快く思わないお気持ちも、私には解りますわ。ですから、ゾゾさんのお考えも一概に 否定出来ませんし、ミーコさんのお気持ちもとても嬉しゅうございますの。どちらもお止め出来ませんわ」 「あ、えと、まあ、そういうことだから。だから、その、僕らだって、全面的に賛成したわけじゃないっていうか。でも、 そうしなきゃ、もっと悪いことになるっていうか。だから、その……」 甚平が翠の意見に同意すると、小松は山吹に問うた。 「山吹。お前にも女がいるじゃないか。このままだと、竜ヶ崎のクソ野郎はお前の女にも手を出すかもしれない。それで なくとも、放っておけば竜ヶ崎のクソ野郎がのさばるばかりだ。それが良くないと思ったから、お前はワン・ダ・バの 蘇生手術を阻止しなかったんだろう? 俺達の誰も殺さなかったんだろう?」 「そうっすよ! 俺だって、本当は局長のことは裏切りたくなかったすよ! インベーダーなんか信じたくなかったし、 増して俺とむーちゃんを殺しかけた小松建造となんか口も利きたくなかったすよ! 俺は天下の国家公務員であり、 この世でただ一人の人型軍用機のパイロットであって、地上最強のサイボーグであって、むーちゃんの未来の旦那 なんすよ! でも、でも、でも!」 山吹は銀色の拳を固め、土砂の中に転がる溶岩の固まりを殴り付けた。 「どう考えたって局長はやりすぎなんすよ! 乙型一号と忌部さんが逮捕されるのは仕方ないにしたって、竜の首を メテオの地下から復活させるように仕向けたり、虎鉄と芙蓉を逮捕したりして! 無茶苦茶じゃないっすか!」 「遠からず関係者の粛清が始まると見て間違いない。甚平が話してくれた歴史にはそういう展開が多い」 呂号が淡々と述べると、山吹はいきり立った。 「そうっすよ、俺の頭でもそんな展開が予想出来るから、じっとしていられないんすよ! 俺もむーちゃんも局長から 見れば余計なことを知りすぎているはずなんす! だけど、俺には飛行能力もなければあんたらみたいに常識外れの 能力なんてないっす! でも、こうしている間にも、むーちゃんが危ない目に遭っているかもしれないって思うと、 あんたらに味方するしかないんすよ! 自分で自分が馬鹿みたいっすけどね!」 山吹は荒く吸排気を繰り返していたが、穴に背を向けた。 「だから俺は、忌部島で起きている件には一切関知しないっす。本土に戻り次第、局長の腹積もりを止めるために 動くっす。俺は忌部さんと違うからあんたらと馴れ合うつもりなんて毛頭ないっすけど、あんたらが動いてくれなきゃ、 事態はどうにもならないんす」 「前から思っていたが。山吹。お前は他人に対して優しすぎる。ミーコから概要を聞かされた宮本都子の件にしても そうだ。今の演説にしてもそうだ。角を立てたくないあまりに緩衝材になろうとしすぎている。その結果がこれだ」 呂号が冷ややかに言い切ると、山吹は肩を竦めた。 「そりゃどうも。ロッキーは良いプロファイラーになれそうっすねぇ」 山吹が足早に立ち去っていくと、穴の周辺には静寂が広がった。小松は山吹の気配をセンサーで感じ取ったが、 機体の冷え込みがますます深まった。その理由は考えるまでもなかった。ミーコは翠から離れると、ちょっと寂しげだが、 妙に誇らしげな表情を作っていた。小松の胸中がぎしりと噛み合い、鈍い音を立てた。 「ゾゾ」 小松は単眼をゾゾに据え、一度、シャッターを開閉させた。 「神経伝達物質の他に、足りないものがあるんじゃないのか」 「ええ。ヴィ・ジュルの珪素回路です。彼がいなければ、ワンの演算能力と情報処理能力は大幅に低下してしまい、 通常空間の航行もままなりませんが、私がワンと生体接触して情報処理を行えば、ワンを飛ばせられないこと もありませんから。お気持ちはありがたいですが、ミーコさんだけで充分です」 ゾゾは大きく裂けた口を薄く開いて笑みに似た表情を作ったが、小松は頭部を半回転させて目を逸らした。 「俺の脳を使え。珪素で出来ているのなら、ヴィ・ジュルよりも性能は低いだろうが、多少は役に立つだろう」 「ですがね、小松さん」 「俺もミーコも、生体洗浄を受けても元の姿には戻れないんじゃないのか? だから、ミーコを止めないんだろう?」 「よくお解りで。小松さんもミーコさんも、クソ野郎の生体情報との相性がなまじ良すぎたのです。それに、お二人は 元々の生体情報をほとんど失っておりますから、ワンの生体洗浄プラントにお入りになったところで、本来の肉体を 取り戻せる保証はありません。むしろ、ワンに吸収されてしまうかと」 ゾゾは小松を直視出来なくなったのか、単眼を逸らした。 「だったら、尚更だ」 消えるくらいなら、いっそ、共に果てたい。小松は今一度ミーコを見上げると、片腕を掲げて振ってみせた。柄でも ない上に慣れないことだったので恥ずかしかったが、ミーコは瞬時に歓喜して飛び跳ねながら手を振り返してきた。 姉の歓声を聞き取りながら、小松はメインカメラのシャッターを出来る限り細めた。笑みに見えるかどうかは定かでは なかったが、初めて笑ってやりたいと思った。ミーコは小松の意図を感じ取ったのか、奇声に近い歓声を上げて 跳ね回っている。視界の隅にゾゾを捉えると、ゾゾは顔を覆って項垂れていた。惜しんでくれているのだ。 それが、照れ臭くなるほど嬉しかった。 10 11/28 |