同時刻、都内某所。 海上基地内で発生した爆発音に、電影は条件反射で反応した。頭部を動かして振り向き、ズームすると、寄宿舎 の辺りからうっすらと煙が立ち上っている。爆音の中心らしき部屋の壁は丸く穴が空いていて、穴を中心にして窓は 綺麗に吹き飛び、建物に致命的な損傷を与えかねないほどの深さのひび割れも走っている。余程威力のある爆弾 なのか、そうでなければ充満したガスが何らかの原因で引火したか、もしくは斎子紀乃のサイコキネシスの暴走か。 可能性が最も高いのは、斎子紀乃だろう。ミサイルをも押し返せるパワーの持ち主だが、それ故に不安定だという ことはこれまでの経験で思い知っている。意識を取り戻してからしばらくは、彼女の傍にいたからだ。 不安げにざわめく自衛官達を横目に、電影は東京スカイツリーを仰ぎ見た。地上六百四十三メートルもの高さを 誇る巨大な構造物は周囲のビルを追い越して屹立し、真下からでは尖端がよく見えない。数歩後退って仰ぎ見るも、 結果は同じだ。遠くから見ても充分大きかったが、近付くと尚更だ。昇ってみたい気がしないでもないが、電影は エレベーターには乗れないし、飛行能力はせいぜい十数メートルしかないし、頂上までよじ登っても耐えきれるほど のバッテリーも持っていない。人間が羨ましいものだ、と、つくづく思った。演算能力は恐ろしく低く、個体差が小さい わりに格差を持ちたがり、そのくせ平等だ何だのと主張する矛盾を孕んだ種族だが、なかなか面白い。ゾゾ・ゼゼが 執心する理由も、今なら理解出来る。そうなるように作られて産み出される、惑星ニルァ・イ・クァヌアイの生命体とは まるで違うからだ。中には手を加えられて産まれてくる人間達もいるが、ほとんどは単純な生殖行為で受胎し、 出産され、成長する過程で個性が決まる。生体情報を固定されていないから、自由度が高いが、自己責任も大いに 伴うのが難点だ。それを乗り越えていくことで人間は強くなる、のだそうだが、世の中に氾濫する情報を見ていると ぶち当たった壁を乗り越えるどころか正面衝突して挫折している人間も多くいる。となると、やはり生体情報を調節 して産み出された方が良いのでは、と思わないでもないが、何一つ決められずに産まれてみたかった、という羨望も 起きてくる。相反する考えの間で揺らぎながら、電影は珪素回路の収まった胸を押さえた。 多次元宇宙跳躍能力宇宙怪獣戦艦ワン・ダ・バの機能が戻ると同時に、電影の機能も復活していた。ワン・ダ・バは 頭部の縫合手術を行っていないので六割程度の機能しか復活していないが、電影の珪素細胞に生体活性をもたらす には充分すぎるほどの生体電流を放電していた。ワン・ダ・バが発する電流は、地球人類が使用する電流とは 根本的に性質が違う。同じ電気で出来てはいるが、分子の揺らぎが異なるのだ。だから、これまで、電影は過去の 記憶や経験を朧気にしか再生出来ずにいた。言語中枢も不安定だったせいで中途半端な琉球訛りでしか喋れず、 いい加減な行動しか取れなかった。だが、ワン・ダ・バの生体電流を受けた今、電影は電影ではなく、本来の役割で ある宇宙怪獣戦艦の珪素回路であるヴィ・ジュルとしての能力を取り戻しつつあった。 『電影? どうしたの、ぼんやりして?』 人型に変形したガニガニは電影に近付き、頭部に貼り付けたスピーカーから発声した。 「情報処理能力に問題はない」 電影が答えると、ガニガニはちょっと臆した。 『え、あ、どうしたの? なんか、秋葉姉ちゃんみたいな喋り方だけど』 「言語中枢における情報の断片化を処理した。その結果に過ぎない」 『そう、なんだ』 ガニガニはヒゲを伏せたが、上体を反らしてスカイツリーを仰いた。現在、ガニガニと電影を含めた実働部隊は、 波号の護衛としてスカイツリーの周辺に配備されていた。人払いが済んでいるので非常にやりやすく、ものの十数分 で戦闘車両も戦闘員も配備に付いた。幹線道路には装甲車がずらりと並び、壮観ですらある。 『はーちゃん、これのてっぺんにいるんだね。何をするつもりなのかな』 「波号は、竜ヶ崎全司郎の生体情報を取得したことによって拡張したコピー能力を利用し、ワン・ダ・バの生体情報を コピーするために電波塔の突端に移動した。波号の視覚による情報取得能力は万能だが、可視状態にあるもので なければ上手くコピー出来ないという欠点もある。故に、視野を高く取らなければ、ワン・ダ・バほどの巨体の生体 情報を取得出来ない。効率的だ」 『電影。僕達、本当にこのままでいいのかな』 ガニガニのヒゲの尖端が電影の手に触れ、音声ではなく、電流として言葉が伝わってきた。 『僕もだけど君も元々はゾゾの側にいたんだし、あっちに戻るべきじゃないのかな。局長がやろうとしていることは、 どう考えてもおかしいよ。ワンや皆に対抗するためなのは解るけど、どうしてはーちゃんにこんなことをさせるの? 局長ははーちゃんを一番可愛がっているのに、一番辛い目に遭わせるなんて変だよ』 「波号の意志は無関係。生体兵器だからだ」 『でも、僕も電影も生き物じゃないか。そりゃ、兵器扱いされているかもしれないけど』 「兵器扱いされている時点で、我らは一個の生命体として認められていない」 『だけど、意志があるよ? 喋れるよ? 自分の意見もあるよ? それなのに、生き物じゃないの? 僕は前の電影の 方が、生き物らしくて好きだったなぁ……』 物悲しげに触角を下げるガニガニに、電影は疑問を抱いた。演算能力が復活する前の電影は本来の機能からは 程遠いレベルの低さで、人格も中途半端だった。自分の役割すらも思い出せない始末で、珪素生物回路らしからぬ 言動ばかり取っていた。演算能力が上手く発揮出来ないせいで任務では失敗ばかりで、戦闘も下手で、それどころか 山吹丈二の足を引っ張ったこともある。知能が低いので精神年齢が十歳ぐらいのガニガニとは仲良く出来ていた かもしれないが、それだけだ。珪素生物回路としての機能を損なっていたのに、好意を抱かれるのは奇妙だ。 『電影は局長のこと、好き? 正直言って、僕はあんまり』 ガニガニは鋏脚を曲げ、身を縮めるような格好をした。 「好意は関係ない。ゼン・ゼゼはヴィ・ジュルの使用者として生体認証されている」 電影が事実をなぞって答えると、ガニガニは落胆した。 『そう。でも、僕はそうじゃないよ。だけど、僕は何も出来ない。この前だって、紀乃姉ちゃんが局長の御屋敷に来た けど、ごめんなさいって言えなかった。泳げないけどちょっとなら飛べるから、ワンのところまで逃げ出そうと思えば 逃げられるのに、電影やはーちゃんやイッチーを放って自分だけ逃げるのは悪いから、逃げ出そうともしない。今も、 はーちゃんがワンの情報をコピーするのは良くないことだと思っているのに、はーちゃんを止められない。局長 にだって、文句も言えない。僕、自分が嫌になってくるよ。皆を戦わせたくないのに、戦いたくもないのに、僕は何も しようとしない。こんなんじゃ、紀乃姉ちゃんにもっと嫌われちゃうよ』 「では、具体策を示せばいい。行動を起こすためには不可欠だ」 『それが難しいんだってば。秋葉姉ちゃんとした約束だって、破れないし』 ガニガニはヒゲの片方を上げ、かちかちと顎を打ち鳴らした。 「約束?」 電影が聞き返すと、ガニガニは電流を弱めた。 『うん。僕ね、秋葉姉ちゃんと最初に会った時に、僕が変異体管理局に行くから忌部島を攻撃しないでって約束して もらったの。今まで秋葉姉ちゃんはそれを守ってくれたから、だから、これからも』 「だが、現時点で忌部島と称すべき島は存在していない。事実上、消滅した」 『え……。あ、そっかぁ!』 少し間を置いてから気付いたガニガニは、ヒゲと触角をぴんと立てた。忌部島はワン・ダ・バの仮の姿に過ぎず、 ワン・ダ・バとして活動した時点で忌部島は存在しなくなっているのだが、今の今までガニガニはそれに気付いて いなかったらしい。秋葉との間に交わした約束は生きているのかもしれないが、約束の対象の片方が消滅していては 無意味だ。ガニガニが変異体管理局側に付いている理由は忌部島を守るためだけであって、それ以外にはない。 やっと事実を理解したガニガニは、ちょっと気まずげに電影の傍から離れたが、頭部を傾けた。 『そうなると、えぇと、僕が局長に従う理由もなくなったってことだよね? ワンや皆を攻撃するために準備をしている はーちゃんの護衛をするのは、僕の目的とは正反対ってことで……』 「だとすれば、どうする」 電影が聞き返すと、ガニガニは口籠もった。 『ど、どうしよう』 結局、どっちつかずではないか。ガニガニは心優しい少年ではあるが、誰に対しても優しくあろうとするせいで心根 が弱い部分がある。紀乃に謝りたいというわりに行動には移さないし、竜ヶ崎のやり方に疑問を感じていても、他の 生体兵器を見捨てられないから裏切れない。ヤシガニなのに人間臭すぎるが、他人の感情に気を配ってばかりでは 戦う以前の問題だ。非効率的極まる上に、自分の主義主張を貫き通せないのでは意志を持っている意味がない ではないか。電影の珪素回路の電圧が変わったことを感じ取ったのか、ガニガニは巨体を縮めた。情けなくなって しまったのか、大きな鋏脚で顔を覆っている。二人のやり取りを見ていた自衛官達は訝しげな目を向けてきたが、 彼らはすぐにそれぞれの任務に戻った。自衛官達は変異体管理局に関する箝口令が敷かれているので、電影らに 話し掛けてくることはない。任務上で必要な情報交換はするが、それだけだ。ガニガニに対しても、最初からそうある べきだったのではないか、と電影は回路の隅で思考した。本来の役割を思い出したからには、ワン・ダ・バの内部に 珪素回路を収めて膨大な情報を処理し、量子計算を行い、一万年以上前に中断したままになっている次元乖離 空間跳躍航行技術の実験を再開、続行しなければならない。ゾゾ・ゼゼの指揮の下で、ゼン・ゼゼと生体融合した ワン・ダ・バを動かし、実験を成功させた後に惑星ニルァ・イ・クァヌアイへと帰還しなければならないのだ。だから、 ガニガニと友情を育んでいる余裕はない。一緒に遊んだり、どうでもいいことを話し合ったり、夜中にこっそり格納庫を 抜け出して星空を眺めたり、山吹や秋葉から教えてもらった言葉遊びをしたり、ふざけあったり、をしている時間は ない。中途半端だった頃の記憶が蘇るが、それを処理すべきか否か、電影は躊躇した。 その結論を出す前に、珪素回路の端に過電流が走り、電影はスカイツリーを見上げた。ガニガニも何かを感じた のか、顔を覆っていた鋏脚を外してスカイツリーを仰いだ。自衛官達は二人を気にせずに任務を続行していたが、 数秒も経たないうちに揃って同じ行動を取った。最初は甲高い少女の悲鳴が響いていたが、次第にその声は悲鳴 から苦痛を吐き出す絶叫に変化し、スカイツリーの突端が掻き消されるように消滅した。それを切っ掛けに完成した ばかりの電波塔の上部が消滅し、続いて展望台も消滅し、複雑に組まれた鉄骨が円形に抉られる。その真上には 波号が浮かんでいたが、薄いシャツワンピースは背中から伸びる鉄骨で破られていた。少女に一度吸収されてから 再構成されたスカイツリーの構成物は、骨組みだけの翼だった。その数は一本や二本ではなく、波号が喘ぐたびに 背中を突き破って生えていく。背を丸めた波号は、袖が破れるのも構わずに爪を立てる。 「う、あ、あ、あおうっ」 腕に細い引っ掻き傷を付けながら頭を振った波号は、鉄骨の翼から過電流を放出した。 「ぎいいいいいいいいいいっ!」 人間の声から懸け離れた叫声を吐き出した波号の肉体は、見る間に膨れ上がっていく。スカイツリーのみならず、 近隣のビルや道路なども吸収して体積を水増しさせる材料にする。だが、分解しきれなかったのか、アスファルトを そのまま貼り付け、ビルの看板を生やし、電線をぶら下げ、鉄骨の翼もいびつに曲がっていった。サイコキネシスの 安定を失ったのか、コンクリートと鉄骨の固まりと化した波号は落下した。抉れたスカイツリーに激突し、跳ねてから、 電影やガニガニが待機している広場に転げ落ちる。凄まじい衝撃音と同時に地面に埋まると、波号は動かなく なった。自衛官達は怖々とクレーターを覗き込むが、誰も近付こうとはしない。部下に穴の底に行かせようとする者も いるにはいたが、その当人が竦んでいるので強制はされなかった。誰かがガニガニか電影に行かせればいいと 発言すると、同意の声がいくつも上がった。ガニガニが躊躇しながら行こうとしたので、電影はそれを制した。 「ガニーが対処出来る事態ではない」 『でも、はーちゃんが心配だから、僕が行くよ』 クレーターに踏み込もうとしたガニガニに、電影は首を横に振った。 「その必要はない。電影だけで事足りる」 二の句を継ごうとしたガニガニから離れて、電影はクレーターの斜面を滑り降りた。スカイツリーの足元に出来た 大穴の直径は百メートル以上あり、深さも十五メートルは軽い。アスファルトの破片と土砂と蹴散らしながら降下した 電影は、中心に埋もれているコンクリートと鉄骨の固まりに歩み寄った。子供が作る粘土細工を思わせる形状で、 鉄骨の翼は見る影もなく、無造作に丸められた灰色のコンクリートに浸食されている。直径は十メートル近くはあり、 波号であった名残は鉄骨の端に引っ掛かっているシャツワンピースの切れ端ぐらいなものだった。一目見て、電影 には波号の情報処理能力が足りないのだと解った。波号のコピー能力が拡張されていたとしても、宇宙怪獣戦艦を コピーするには理論的にも物理的にも不可能だ。それ以前に、生体兵器であろうとも人間としての限界から逃れる 術はなく、あれほどの質量と情報量を持つ相手をコピー出来るわけがない。ひとまず、波号の生体活動を一時的に 停止させて仮死状態にさせ、過剰吸収した生体情報を除去するしかなさそうだ。電影はスタンガンを出して放電し、 コンクリートと鉄骨の固まりに近付き、波号本体に近いであろう鉄骨を捜し出すと、それにスタンガンを当てて電流 を流し込む。コンクリートと鉄骨の固まりは身震いしたが、その次の瞬間、電影は弾き飛ばされていた。 「が、ご、がががががががが」 硬い石を擦り合わせたような声を発しながら、コンクリートと鉄骨の固まりはひび割れ、鉄骨にパイプを絡ませた 足を伸ばし、鉄骨にコンクリートを貼り合わせた翼を成し、人とも竜ともつかない形状に変化した波号は直立した。 シャツワンピースの切れ端はコンクリートに飲み込まれ、ピンク色の糸切れが奇妙に目立っている。電影の身長の 倍近い体格の波号は、細切れの鉄骨を組み合わせた尻尾を引き摺りながら、監視カメラのレンズを融合させたの であろうレンズの複眼に光を宿した。電影の右肩の上を通り抜けた視線は、電影の右肩の外装と共にクレーターの 斜面を煙のように消失させ、都市の地下に眠る配管や配線をも貫通した。シャッターを閉じて瞬きした波号は、今度は スカイツリーを仰ぎ見る。レンズの複眼が捉えたであろうスカイツリーの下半分もまた、電影の右肩の外装などと 同じく掻き消され、粒子すらも残らなかった。クレーターの外側からは自衛官達のどよめきが聞こえ、逃げ惑う足音 も多く聞こえてくる。クレーターの縁から覗き込んできたガニガニに、電影は叫んだ。 「総員、緊急退避! 波号は情報過多による能力発現不全によって、視覚情報取得能力と空間転移能力が同時に 暴走した可能性が大! よって、波号の視界に入った物体は並列空間へと転送される! 退避、退避、退避!」 『へ……へいれつくうかん?』 何のことだかさっぱり解らず、ガニガニはきょとんとした。ガニガニの声に反応したのか、波号の首が動き、上空の 雲を消失させた視線がガニガニへと近付いていく。電影は足元を踏み切って上昇すると、ガニガニの巨体を強引 に持ち上げて両足のスラスターを全開にした。自衛官達を詰め込んだ戦闘車両が爆走する道路を、両足に装備 されたタイヤを使って滑走していく。仰向けに抱えられたガニガニは八本足を蠢かせて文句を言っていたが、波号の 目線が向いたであろうビルの上半分が刮げ取られる瞬間を目にすると納得したのか、大人しくなった。 事態を収拾しなければ。 10 12/15 |