南海インベーダーズ




反逆者的生体兵器奪取作戦



 都心の一等地に、紛れもない戦場が出来上がっていた。
 ひしゃげた人間が内臓と血液を垂れ流し、屈強な自衛官達が炎に巻かれて息絶え、重厚な戦闘車両が横転して 潰れている。その下には逃げ遅れた自衛官達が潰され、呻き声がかすかに漏れている。全面モニター越しに見た 途端に、山吹の脳内には九年前の出来事が駆け巡る。小松建造によって胴体を踏み潰され、血が抜ける喪失感と 秋葉の悲痛な泣き声。絶え間ない絶叫、コンクリートが崩落する轟音。肉が焼ける匂い、脂肪が溶けて滴った音、 焼け焦げた骨が折れる乾いた音。サイボーグボディでは有り得ないはずの吐き気に襲われた山吹は、条件反射で 人型軍用機を止めた。すぐ後ろでは秋葉の操縦する人型多脚重機も制止したが、生身の秋葉は堪えられなかった らしく、入れっぱなしの無線からは水っぽい異音と呻きが流れてきた。
 誰も彼も死に絶えた屋敷の中で唯一立っているのは、主である竜ヶ崎全司郎だった。熱風を孕んだ家紋入りの袖 が翻り、尻尾が垂れ下がった袴が広がる。赤い単眼が上がり、山吹機と秋葉機を見定める。

「おやおや、これはこれは。山吹監督官と田村監督官補佐ではないか。しばらく姿を見ないと思っていたが、まさか 私を裏切っていたとはね。インベーダーへの憎しみをお互いへの愛にすり替えている君達らしからぬ愚行だな」

 竜ヶ崎は足元に落ちていた自動小銃を蹴り飛ばしてから、にたりと口の端を緩める。

「真波と伊号には未練がない、それ故に目こぼししてやったが、お前達には少しばかり未練があるのでね。今、敵対 されては惜しいのだよ。私の正しさを人類に伝えてくれる者がいなければ、私もインベーダー共と同列に扱われて しまうのでね。今からでも遅くはない、私に従属すると誓ってくれれば、お前達二人の謀反は許そう」

『どれだけ賃金が上がったって、そんなのごめんっす! 本当のインベーダーはあんたの方っすよ、局長!』

 山吹機がスタンガンを構えると、竜ヶ崎は顔を背けた。

「やれやれ。私はあの愚かしい男とは違う、この世界を侵略しているわけではないよ」

『うごっ!?』

 途端に山吹機の両足の制御が奪われ、自重を支えられなくなり、真正面から転倒した。

『丈二君、大丈夫、すぐに起こす!』

 秋葉機は多目的作業腕を差し込んで山吹機を起こそうとするが、今度は秋葉機も六本足の制御を失った。

『あぁっ!?』

「貴様らがインベーダー共と共謀した下らん目論見は、既に知り得ているのだよ。私の目を欺こうという腹積もりは 気に入ったが、成功しなければ何の意味もないではないか。連絡手段に電波を使った時点で、勝ち目などない」

 竜ヶ崎は炭化した枝葉を踏みながら、二機の元に向かってくる。

『この感じ、演習の時と同じっすね。まさか、イッチーの能力を……?』

 軍事演習の時と同じく、AI直結で制御を取り戻した山吹機が起き上がると、竜ヶ崎は単眼を細めた。

「それだけだと思ってもらっては、困るのだがね」

 突如、竜ヶ崎の足元の地面が溶けた。ぐにゅりと持ち上がった溶解液は門と横転した装甲車を巻き込んで体積を 一気に増やし、渦を巻きながら迫ってくる。山吹機は秋葉機の前に立ちはだかって防ごうとするが、溶解液は 山吹機に接する寸前で鋼鉄化して尖り、山吹機の胸部を貫通した。

『丈二君!』

 秋葉機から絶叫が迸るが、山吹機は漏電する胸部装甲を押さえ、後退して鋼鉄化した溶解液を引き抜いた。

『へへ、大丈夫っすよ。全面モニターの半分は死んだっすけど、主要機関はやられていないっす』

『虎鉄と芙蓉の複合能力!? はーちゃんでもないのに、なぜ!』

 秋葉機はマニュアル操縦に切り替えて六本足を折り畳み、車輪を出して走行形態に変形した。エンジンを再点火 して急発進し、漆喰屏をぶち破りながら溶接機を改造したヒートカッターを振り上げた。高熱を帯びた右腕が唸りを 上げて竜ヶ崎に迫るが、竜ヶ崎はサイコキネシスを操り、頭蓋骨を叩き割られる寸前で止めた。

「君達には、私としても感謝しているのだがね」

 竜ヶ崎が手首を返すと、秋葉機の右腕は不可視の力によって軽々と捻られ、根本からねじ切られる。

『うっ!?』

「君と山吹君のおかげで、私の生体組織を摂取させても波号は理性を保っていた。なぜならば、君と山吹君が波号 の人格の根幹に関わる情操教育を行ってくれていたからだ。それがなければ、波号は早々に自我を失って暴走し、 並列空間を発生させた際に対消滅していた可能性もあったのだ。しかし、波号は君達に未練を残していたのだよ。 故に、波号は並列空間から脱して通常空間に戻り、ヴィ・ジュルを体内に吸収してくれたのだよ。変異体管理局の 局員に相応しい成果を上げてくれた君達には、最大限の感謝の意を示そうではないか」

 竜ヶ崎は羽織の合わせ目を緩めると、太い爪先で皮膚を引き裂いた。塞がったばかりでまだ馴染みきっていない 筋肉が爪の尖端で分けられ、赤黒い体液が爪と手首を濡らしていった。胸部の裂け目を両手で広げると、竜ヶ崎の 肋骨の間、心臓の下、肺の間に、一つの臓器のように波号の顔が埋もれていた。山吹は視覚センサーが故障した かと思うほどに動揺し、秋葉は声も出せずに硬直した。それはまるで、竜ヶ崎全司郎の人ならざる肉体を器にした 奇妙な芸術作品のようだった。竜ヶ崎の体液を隅々まで纏っている波号は目を薄く開いてはいるが、瞳孔は完全に 開き切り、どこにも焦点は合っていない。小さな唇も半開きだが、舌先が零れている。首筋の頸動脈には竜ヶ崎の 体内から伸びた血管が突き刺さり、竜ヶ崎と体液を共有しているのか、竜ヶ崎の心臓が脈を打つたびに波号の胸も 僅かに上下している。細い足は膝から下が曲げられて腸の間に収まり、華奢な腕は肝臓らしき臓器を抱えていた。 竜ヶ崎が声を発すると、波号の唇も同じように動いた。

「どうだね、山吹君、田村君。これこそが、生体兵器と呼ぶに相応しい姿なのだよ」

『ド腐れ外道トカゲがああああああっ!』

 脳が煮えかねないほどの怒りに駆られて山吹機が吼えると、竜ヶ崎は喉の奥で低く笑う。

「今まで君達が相手にしてきたのは、生体兵器などではない。単なる突然変異体であり、不安定な化け物なのだよ。 このためだけに、私はこれまで血を連ねてきたのだ。四世代前の滝ノ沢の当主から妾の女を寝取り、その妾の女に 孕ませた娘に子を産ませ、その子の子にまた私の子を産ませ、完成したのが波号なのだよ。変身能力の使い道を 見極めてはいたが、そこから先がうんざりするほど長くてね。妾の女が宿していた能力を煮詰めて使い物になる まで、余計な時間を食ってしまったが、それもようやく終わってくれた」

 竜ヶ崎が右腕を掲げると、秋葉機が破損していない左腕を上げてセメントガンを突き付けた。

『あなたはそれでもはーちゃんの父親なのか、竜ヶ崎全司郎!』

「父親だとも。我が子の才能を最大限に引き出すのは、親の役目ではないのかね」

 竜ヶ崎は秋葉機の右腕を弾き飛ばしてから、一閃、衝撃破を放った。秋葉機は右腕の破片を散弾のように浴びて 上半身の外装がほとんど剥がれ、メインカメラも吹き飛んだ。煽られて姿勢を崩すが、六本足の後ろ二本を地面に 突き立てて辛うじてバランスを保ち、反動を付けて前のめりになった。がくん、と大きく上下した機体からは機械油が 流れ出して池を作っていたが、操縦席の秋葉は渾身の力で操縦桿を倒した。

『まだまだぁ!』

 半壊も同然の秋葉機は六本の車輪を思い切り回転させ、ドリフトして猛進した。油まみれの玉砂利と折れた庭木を 巻き上げながら、真っ直ぐに竜ヶ崎に突っ込んでいった。先程の反撃で機能の大半を失った左腕を竜ヶ崎の真上に 叩き込むと、竜ヶ崎の頭上を覆う半球状の防護壁の形に破損したが、構わずに何度となく叩き付ける。

『私は決めた! あなたを倒してはーちゃんを取り戻し、丈二君と結婚し、はーちゃんを養子にし、家庭を築くと!』

「片腹痛いな。自分の腹から産んでもいない他人の子に、愛情を抱けるものかね」

 降り注ぐ破片を凌ぎながら竜ヶ崎が一笑すると、山吹機は一回転して回し蹴りを叩き込んできた。

『アリアリ大有りっすよ! まずは俺とむーちゃんが結婚して超ラブラブになる! 次にはーちゃんが俺らの子供に なって、はーちゃんも含めてスーパーラブラブになるんすよ! その辺にあるドノーマルな小学校に通わせる! 仕事が 上がったら寄り道しないで家に帰る! 家計はむーちゃんに一任するから月三万の小遣いで充分! オタク趣味だって はーちゃんとむーちゃんのためなら犠牲に出来る! 酒もタバコも止める! 浮気なんて以ての外! 俺はそういう 父親になりたいんす! はーちゃんはちったぁ世間知らずかもしれないっすけど、そこも含めてマジスッゲェ可愛い んすよ! それを知らないから、あんたはド腐れ外道でファッキンなことが出来るんす!』

「知っているとも。波号は私が造り上げた作品なのだからね」

 竜ヶ崎は不意に防護壁を解除すると、山吹機の足を片手で受け止めた。

『ち、が、あぁああうっ!』

 秋葉機が反対側から多目的作業腕を振り下ろすが、それもまた竜ヶ崎は片手で受け止めた。

「何一つ違わんよ。お前達が言うところの母性だの父性だのいう感情は、私もそれなりに持ち合わせているのだよ。 それをお前達が勝手に思い違いをして、私に一方的な憎悪を抱いているだけではないか」

『戯れ言を! って一度言ってみたかったんすよ!』

 山吹機は掴まれている足を捻って腰を浮かせ、蹴りを加えようとするが、逆に足を捻られて倒された。

『ぐえあっ!』

「私は、私の血を継ぐ者達に等しく執着を抱いている。少しでも利用価値があるからこそ、私の血を煮詰めるように 仕向けてきたではないか。優れた者達をより優れた道へ導くのが、私の情だ。たとえばそう、小松建造だ。珪素生物 であるあれの能力を引き出すために、私は小松建造の肉体を滅ぼしてやったのだ。宮本都子にはゾゾの薄汚い 手垢が付いてしまったがね。鮫島甚平も因子を刺激して在るべき姿に変え、こちら側に引き込んでやったが、あれ は大して役に立たなかった。だが、いずれ、呂号との間に優れた血統の子をもうけてくれることだろう。竜ヶ崎家も、 滝ノ沢家も、忌部家も、私なくして今の繁栄は有り得ないのだよ。お前達の与り知らぬところで、私は常に尽力して いたのだ。それを愛と言わずして、何と言おうか」

 竜ヶ崎は倒れた山吹機に一瞥をくれてから、秋葉機に向き直った。

『それじゃあ……あなたが、小松建造をメテオに誘導させ、丈二君の体を!』

 秋葉機が最後の力で起き上がろうとするが、竜ヶ崎は伊号の能力を行使し、その機能を全て奪い取った。

「気付くのが遅すぎるのだよ、君達も、他の連中も。小松建造をメテオへと誘ったのは、珪素生物である奴の脳波で 竜の首が目覚めてくれまいかと期待したからなのだが、思うような成果を得られなかったのだよ。だが、そのおかげで 新鮮な人間の脳が手に入り、副産物である機械式疑似肉体の研究が捗った。山吹君がいなければ、ヴィ・ジュル を核とした人型軍用機の製造は果たせなかっただろう。君達二人は我らの因子を持たなぬが故に生体改造の余地 はいくらでもある個体だ、今後の研究に貢献してもらうべく殺さないつもりでいたのだが、私の内から波号を奪おうと いうのであれば仕方ない。情報統制を崩さぬためにも、処分しなくてな」

『竜ヶ崎全司郎! あなただけは絶対に許さない!』

 破損して音割れしたスピーカーから秋葉は叫ぶが、竜ヶ崎は鬱陶しげに瞬きした。

「許すつもりもないのであれば、許すなどと言わんでくれまいか。お前達も、継成と変わらんな」

『ツグナリ……?』

 壊れかけた発声装置からノイズだらけの声を発した山吹機に、竜ヶ崎は尻尾を立てた。

「そうか。お前達は知らぬのも無理はない、完全なる部外者なのだからな。だが、その意味を知る日は来るまい」

 尻尾が上がると、山吹機と秋葉機は造作もなく浮き上がった。竜ヶ崎は胸部の裂け目を塞いでから、二人の半壊 した機体を視界に収めた。紀乃のパワーに勝るとも劣らぬサイコキネシスが人型軍用機と人型多脚重機を押さえ、 ほとんど用を成さなくなっていた外装が割れる。深海にも似た圧が加えられ、へし折れたシャフトが完全に曲がり、 割れたバッテリーから溶液が垂れ落ちる。山吹は操縦席から脱しようとするが、サイボーグの腕力を持ってしても、 ハッチを開けなかった。これでは、生身の秋葉では身動きすら出来ないに違いない。焦った山吹は両腕から銃身を 出そうとするが、激しい戦闘で変形機構が破損したのか、ギアが噛み合わなかった。最初の攻撃で開けられた穴は 小さく、通り抜けられそうにはない。仕方ない、と山吹は内装に腕を叩き付けて外装を破損させ、歪んだ部分に指を 差し込んで引き剥がした。銃身が曲がっていないかどうかが心配だったが、一本を除けば大丈夫そうだ。その一本 から弾丸を抜いて暴発を防いでから、山吹は操縦席の背面に体を押し付け、ハッチの蝶番部分にゼロ距離で発砲 した。狭い空間なので発砲音は聴覚器官を襲い、自動補正が掛かるまでの間は聴覚が奪われた。破片がバイザー を擦って横一線に傷を付ける。山吹はすぐさまハッチを蹴り開け、外に脱出したが、上半身を出しただけで恐ろしい 重圧に脳まで砕けそうになった。

「さ」

 両腕の機能が壊れるのも構わずに出せるだけのパワーを出し、体を外に押し出す。

「な」

 ジャングルブーツで愛機の外装を踏み締め、膝を伸ばし、数百キロはあろうかという重圧を背に受ける。

「みぃいいいいいいいいいっ!」

 山吹は強引に胸を張り、ヒューズが飛び散る両腕を広げる。

「山吹紗波! それがはーちゃんの新しい名だぁあああああああああっ!」

 その言葉が響き渡ってから、少しの間の後、サイコキネシスが突如解除された。山吹機も秋葉機も落下して地面 に叩き付けられ、激しい衝撃と金属音が轟く。機体の穴が開いた胴体の上に辛うじて着地した山吹が戦闘態勢に 入ろうとすると、竜ヶ崎は己の手を見つめて目を丸めた。

「まさか、波号に意識があるというのか」

 竜ヶ崎は小さく舌打ちしてから、身を引いた。

「仕方ない。生体調整の後、最終段階に移行しよう」

「待てぇこの野郎!」

 山吹は機体から飛び降りようとしたが、直後、竜ヶ崎の姿は消え失せた。周囲を見渡してみるが、どこにも竜ヶ崎 らしき姿は見当たらない。もしかすると、紀乃らが言っていた瞬間移動だろうか。だとすれば、この戦いは竜ヶ崎 の勝ちだ。インベーダーと手を組み、波号を救うと決めたのに、波号を竜ヶ崎の手中から救い出すどころか、触れる ことすら出来なかった。山吹は戦闘の高揚が徐々に落ち着いてくると、憤りが沸き上がってきたが、今は秋葉を 救い出さなければならない。仰向けになった人型多脚重機の操縦席に這い上がると、秋葉は重圧に負けて気を 失ったらしく、操縦席と内壁の隙間で倒れていた。乱れた長い髪に顔は覆われていたが、横顔は苦しげで、小さな 拳は握り締められていた。山吹は秋葉を抱き上げて操縦席から運び出すと、全壊も同然の自機を仰ぎ見た。
 Save the Daughter! のノーズアートが、ただただ空しかった。




 事後処理を終えたのは、日が暮れた後だった。
 その後、駆け付けた紀乃とガニガニと虎鉄と芙蓉の協力を得て、波号と融合した竜ヶ崎に命を奪われてしまった 哀れな自衛官達の遺体を片付けた。埋葬してやることも考えたが、竜ヶ崎邸の敷地に埋められては彼らの無念は 晴れるどころか深まる一方だと判断し、殺されたままの格好だった彼らを横たわらせてやってシートを被せ、認識票と 隊員証を胸の上に載せた。そうしておけば、自衛隊と警察が彼らを家族の元に返してくれるだろう。
 皆が皆、言葉少なだった。紀乃は顔を強張らせて竜ヶ崎邸を睨み付け、虎鉄と芙蓉はそんな娘の傍にいてやり、 ガニガニは竜ヶ崎に殺された自衛官達を守るように寄り添っていた。意識を取り戻しても頭痛が止まらない秋葉は、 手近な装甲車から引き剥がしたシートの上に横たわっていた。山吹はそんな秋葉の傍に座り、項垂れていた。

「ひとまず、海上基地まで帰ろう。またクソ野郎が現れる前に、体勢を立て直すんだ」

 虎鉄が山吹を促すが、山吹は立てなかった。

「……俺を責めるなら、さっさと責めたらどうなんすか」

「馬鹿言え。山吹がしくじったわけじゃない、俺達がクソ野郎の目論見を見誤っただけなんだ」

 虎鉄が山吹の腕を掴み、立ち上がらせる。山吹はそれを振り解こうとするが、腕が故障していて出来なかった。

「俺……こんなことになるなんて思ってもみなかったんすよ。俺とむーちゃんではーちゃんを助け出せるはずだって、 なんでか知らないけど、思い込んでいたんす。ロッキーも無事だったから、きっとはーちゃんもそうなるんだろうって、 何の根拠もないのに。だけど、そうじゃなかったんす。イッチーだって見つからないし、はーちゃんだって局長のいい ようにされて、俺達は手も足も出なかったんす。俺一人で負けるんならまだいいっすけど、むーちゃんまで……」

 肩を怒らせて俯く山吹に、虎鉄は鋼鉄の拳を固めると、何の躊躇もなく殴り付けた。金属同士の衝突音が響き、 山吹はよろめいて後退る。虎鉄は山吹を殴った拳を軽く振りながら、山吹に背を向けた。

「一度や二度、失敗した程度で男が泣き言抜かすな。波号を自分の娘だと言い張るってんなら、ちょっとやそっとで へこたれるんじゃない。死んでさえいなければ、どうにでもなる。だが、今はお前も田村も体を休めろ」

「了解、っす」

 脳を揺さぶる衝撃の余韻を味わいながら、山吹は頷いた。

「秋葉さんは、私とガニガニで連れて帰るから心配しないでね」

 紀乃は少しだけ表情を緩めると、秋葉を寝かせている座席ごと浮かび上がらせ、ヤシガニ形態に戻ったガニガニの 背に乗せた。紀乃は秋葉の額に浮いた脂汗を拭いてやると、芙蓉の能力による消火活動で鎮火した竜ヶ崎邸を 見やり、唇を引き締めた。ガニガニはかちこちと顎を鳴らし、触角を立てている。

「もう二度と負けない。何があったって負けない。私達には、勝利しか許されていない」

 秋葉は目元を覆った濡れタオルを押さえ、喘ぐように決意を述べた。

「うん。だから、一緒に戦おう」

 紀乃は秋葉を落ち着かせてから、ガニガニを浮かび上がらせた。ガニガニは緩やかにハネを動かしながら、西日に 染まった都心部に向かって飛んでいった。虎鉄と芙蓉はアメリカンバイクに跨ると、山吹をサイドカーに乗るように 言ってきたので、山吹はその言葉に甘えた。両腕が破損していなければ、自力で車を調達しただろうが、ハンドルを 握れないのだから仕方ない。百名近い自衛官達の遺体が並ぶ竜ヶ崎邸を何度も振り返りながら、山吹は虎鉄の拳 による傷が付いたマスクを膝でなぞった。海上基地に到着すれば機体を換装しなければならないが、マスクだけは 換えないように忌部に頼んでおこう。体に付いた傷を忘れてしまえば、今の気持ちも忘れてしまいかねない。敗北の 悔しさとバッテリー溶液が沸騰しかねないほどの自責を味わいながら、山吹は決意を固めた。
 次こそは、必ず。





 


10 12/31