南海インベーダーズ




絶対的少女兵器戦線



 伊号は、呼吸をするよりも簡単に機械を操る。
 太平洋上で巨大シャコ貝を迎え撃つ二十五機のF−15は、無邪気に遊んでいる。人間が乗っていないからこそ 出来る急上昇と急降下を繰り返しては、爆撃と機銃掃射を行って海面を沸騰させている。その震動が数秒遅れて 海上基地にも至り、地鳴りに似た揺れが足の裏に伝わってくる。海面すれすれを飛んでいた一機が巨大シャコ貝に ノーズを突っ込ませたかと思うと、その真上に滑り込んだ一機がバルカン砲を掃射し、惜しげもなく爆砕させた。

『ぎゃーっはっはっはっはっはっはっは!』

 伊号の悪魔じみた笑い声が、司令室はおろか基地全体に響いていた。

『ロッキーなんかに良いとこ取らせるわけねーじゃん! 決まってんだろ、あたしが宇宙最強なんだよ!』

 二機目、三機目、と次々に巨大シャコ貝に激突しては爆砕する。

『ヘビメタなんてマジ無駄だし! ミサイルが通じねーんだったら、こうすりゃいいだけだし!』

 爆砕に次ぐ爆砕で無数の破片が海に飛び散り、どす黒い煙が上がっている。忌部は損害金額を暗算しようとした が、頭痛が起きたので止めた。毎度のことながら、伊号を使うと味方側の被害が大きすぎる。だが、伊号の上げる 戦果は凄まじく、損害金額の何百倍もの被害を及ぼすであろう事態も寸でのところで防いできた実績があるのだ。 だから、国としても伊号を無下に出来ない。が、国民の血税は無限ではないと知ってくれと願って止まない。
 圧倒的な熱量と質量を誇る攻撃を受けた巨大シャコ貝は、緩やかな航行を止めて沈黙した。濃密な黒煙と破損した 機体から流れ出した機械油の帯が海上に漂い、波打っていた。伊号は勝利を確信して笑い声を上げていたが、 巨大シャコ貝はF−15の機首に抉られた貝殻を開き、びゅるりと白い筋肉の紐を弾き出した。

『い゛っ!?』

 恐ろしく太い鞭のような物体に一機が弾かれ、爆砕すると、ダメージが伊号の脳にフィードバックした。

『こんなんで、あたしがどうこうなるわけねぇだろっ!』

 伊号はすかさず後続機を発進させるが、今度は巨大シャコ貝は爆砕した機体のミサイルを振り翳して投擲した。 突然変異して巨大化した生物の反射行動だとは思いがたい正確さで放たれたミサイルは、見事に信管が後続機に 激突した。五機の後続部隊の先頭機のキャノピーに無惨な穴が開き、派手な爆発が後続部隊をも巻き込む。

『ぎぇあっ!』

 伊号は悲鳴を上げて脳を貫いた痛みを吐き出し、苦しげに喘いだ。

『次、行くぞ、さっさと準備しろ!』

 だが、伊号の目の焦点は定まらず、声色は弱く震えていた。脳波計にも異常が見られ、平常時の能力を取り戻す までには休息と投薬が必要だった。真波は内線を使って医療班に連絡してから、伊号に命じた。

「伊号、緊急事態につき全チャンネルを遮断せよ! 呂号と交代する!」

『……ばっか言ってんじゃねー。まだまだ遊び足りねーんだから』

 乱れていた脳波計が一際高く跳ね、伊号の遠隔操作通信電波が発信されたが、海上基地内の後続部隊は一機も 動作を開始しなかった。伊号が屈辱と動揺で目を見開くと、エレキギターの鋭い音色が割り込んできた。

『ロッキー、何しやがる!』

『ヘビメタじゃない。ヘヴィメタルだ。イッチーは引っ込んでいろ』

 最大の武器であるエレキギターの慣らしを終えて戦闘態勢に入った呂号が、冷淡に言い捨てた。

『ロッキー、てめぇ、音波でジャミング掛けやがったな!? 今はあたしが遊んでんのによぉっ!』

 伊号はモニター越しに呂号に喚き散らすが、呂号は戦闘仕様のヘッドフォンを被って伊号の怒声を遮り、ブーツ のつま先でタップしてタイミングを取ってから、最初の音を奏で始めた。同時に広域音波発生器が投下 され、制御不能と化した伊号の戦闘機部隊を貫通して破壊してから着水し、スピーカーを展開した。合計四機投下 された広域音波発生器は巨大シャコ貝を五百メートル四方で囲み、銀色の円盤状の振動板に異形を映した。
 呂号は驚くほど滑らかな指遣いと力強さで、相棒ともいえるエレキギターを使いこなす。忌部も一度は耳にしたこと のあるヘヴィメタルが五百メートル四方の空間に発射された瞬間、十五歳の少女らしからぬ演奏は作品から兵器に 昇華され、さながら電子レンジのように分子を振動させる高周波となって海水を泡立てる。四方から高出力の音波を 浴びた巨大シャコ貝は抵抗のために筋肉の紐を振り翳そうとするが、沸騰したために間欠泉のように吹き出した 高熱の海水に一瞬にして茹で上げられた。呂号の演奏は高まり、高周波も高まり、局地的に熱せられた海水温度は 急上昇していく。素人目に見ても難易度の高いコードを淀みなく弾きこなした呂号は、エレキギターを慣れた仕草で 一回転させ、最後の高音を海上基地内と現場海域全体に美しく響かせた。
 直後、巨大シャコ貝は超高温に耐えきれずに爆砕した。




 作戦終了後、伊号の不機嫌は半端ではなかった。
 脳内圧の調整と血流を安定させる投薬を受けた伊号は、万能車椅子の上から呂号を睨み付けていた。だが、当 の呂号は、いつものヘッドフォンを被って自分の演奏を聴き直していて、自分で自分にダメ出しをしていた。一人、 作戦中もぐっすりお昼寝をしていた波号は、何が起きたのか解らない様子で険悪な二人を見比べていた。
 司令室から少女達の待機室に移動した忌部ら三人は、どうしたものかと考えていた。伊号が不機嫌になる理由も 解らないでもないが、自機の破損によるダメージのフィードバックが大きすぎたのだから、作戦中であっても外されて 当然だ。ただでさえデリケートな脳の持ち主なのだから、大事にしなければ今後の国防に関わってくる。だが、伊号は どうしても納得出来ないらしく、呂号が入ってくるなり目を据わらせてしまった。

「えー、と」

 山吹が話を切り出そうとすると、途端に伊号が噛み付いた。

「なんであたしに任せてくれなかったんだよ、馬鹿山吹! あたしだけでも充分じゃんか!」

「充分じゃなかっただろうが。二度もフィードバックを起こしたせいで、気絶しかけていたじゃないか」

 顔の包帯を緩めた忌部が肩を竦めると、伊号は車椅子を急発進させて忌部に突っ込んできた。

「死ね変態!」

「うおっと、あぶね」

 すかさず山吹が片手で車椅子の突進を止めると、キャタピラが床と擦れて耳障りな音を立てた。

「うるさい」

 それまで黙っていた呂号が眉根を歪めて毒突くと、伊号の怒りの矛先が呂号に変わった。

「元はと言えば、ロッキーがしゃしゃり出てきたのが悪いんだろ! あたしの邪魔すんな!」

「君が考えなしに突っ込むのがいけない。僕は悪くない。悪いのはイッチー」

 呂号が反論すると、伊号は万能車椅子のロボットアームを全て出して威嚇した。

「んだと!?」

「うぁ……」

 伊号の剣幕に怯えた波号が秋葉のスカートを掴むと、秋葉は波号を優しく撫でた。

「大丈夫、大丈夫。いつものことだから」

「これで世界が守れたら、俺にも世界が守れるな」

 忌部は手近なソファーに腰掛け、ぼやいた。伊号はまだ怒りが収まらないらしく、MP3プレーヤーの音量を上げた 呂号から無視されても、手前勝手な文句を叫び続けていた。甲型兵器は自分だけで充分だの、後続兵器のお前らは 不完全だ、ていうかあたしの方が可愛い、とかなんとか。端から聞いているだけでうんざりしてしまったが、山吹と 秋葉は日常的に我が侭放題の伊号と自分の世界に浸り切っている呂号に付き合わされている。考えようによっては、 インベーダーとの戦闘よりもそちらの方が余程重労働かもしれない。

「忌部さん」

 秋葉と手を繋いでいる波号が、忌部に近付いてきた。

「なんだ、波号」

 忌部が答えると、波号は秋葉と並んで忌部の隣に座った。

「南の島のお話、聞かせて。覚えていられないかもしれないけど」

「構わないが、どんな話が良い?」

「乙型一号のこと。どんな人なのかなぁって思って」

 ゴーグル越しでも解るほど興味津々の目の波号に、秋葉が忌部を促した。

「乙型一号に関する情報開示規定については、先程局長に確認しましたから、その範囲でどうぞ」

「乙型一号って、私よりお姉ちゃんなの? イッチーとロッキーより強いの?」

 波号が身を乗り出してきたので、忌部は少し笑った。

「波号よりはお姉さんだ、十五歳だからな。だが、伊号と呂号に比べれば弱いな。知っての通り、乙型とは人為的に 能力を開花させて拡張した甲型とは違い、天然物だ。だから、能力にはムラが大きすぎる上にろくな訓練も受けて いないから、戦闘員としての力はない。だが、そう悪い人間じゃないぞ」

「そうなの?」

「ああ、そうだ。悪い人間だったら、俺達みたいに世界平和のために働いたりはしないだろ?」

 忌部がもっともらしく言うと、秋葉がちょっと困ったように眉尻を下げた。嘘ではないが、事実とは異なる。

「そっか。いい人なんだね。いつか、乙型一号のお姉ちゃんに会いたいな」

 無邪気に笑った波号は、レギンスを履いた足をぶらぶらと揺らした。

「そしたら、お友達になってってお願いするの。きっと仲良く出来るよ、乙型だって甲型だって生体兵器だもん」

「なんだよはーちゃん、あたしらディスってんの?」

 急に文句を止めた伊号がむくれると、呂号もヘッドフォンを片耳だけずらした。

「僕達では不満か。そうか不満か。不満なんだな」

「違うよ、イッチーもロッキーも好きだよ? でも、友達が増えたら嬉しいなって思うんだ」

 波号が気まずげに視線を彷徨わせると、伊号は万能車椅子の方向を転換して波号の前にやってきた。

「乙型一号が回収されたら、あたしも混ぜろよな。どんな奴か知りてーし」

「僕も彼女の音を知りたい」

 呂号も波号の前に立ち、膝を曲げて顔を寄せた。波号は二人の手を取り、笑った。

「じゃ、四人で一緒に遊ぼうね! 約束だからね、イッチー、ロッキー!」

 先程とは打って変わった明るい笑い声を交わし、少女達は会話を始めた。邪魔してはならないと忌部が席を外すと、 秋葉もそれに続いた。切っ掛けはどうあれ、伊号と呂号のケンカに片が付いて山吹は安堵したらしく、マスクの 隙間から緩やかに排気した。忌部は秋葉と山吹と並び、遠巻きに三人の少女達を見守った。
 三人の均衡は波号の存在で保たれている。攻撃的な伊号と内向的ながら毒気の強い呂号は、決して相性の良い タイプではない。実戦においても、どちらも広域戦闘型なので上手く同調させないと互いの攻撃が相殺されてしまう。 波号は能力の使いどころが難しいために二人に比べれば遙かに出撃頻度が低いが、実戦経験が少ない分、伊号の プライドと呂号の美学を刺激しない。加えて、波号は人格が希薄なので、打てば打っただけいくらでも響く。記憶が 曖昧であることも手伝って、何を言われても素直な反応を返してくれるので、我が強い伊号と呂号にとっては最高の 話し相手になってくれる。だから、波号は二人の仲を取り持つ緩衝材というわけだ。
 三人のお喋りを背に受けながら、忌部は待機室を後にした。再び忌部島に出発するまでは、まだいくらかの時間が 残っている。その間に報告書を上げ、服と包帯を一枚残らず脱ぎ捨てて休息を取らなければ。
 次なる戦いに備えるためにも。




 一方、その頃。
 変異体隔離特区・忌部島の廃校では、食卓に着いた紀乃が大いに悩んでいた。今日、ゾゾが料理したのはシャコ 貝で、波形の貝殻をぱっくりと開いて火の通った貝柱を露わにしていた。ぐつぐつと煮立っている貝柱の肉汁は匂い だけでもおいしそうで、海水の塩味が程良く効いていることだろう。だが、ミーコが引き摺っていた寄生虫が詰まった シャコ貝がどうしても頭から振り払えず、食欲と気持ち悪さが鬩ぎ合っていた。

「好き嫌いはいけませんよ、紀乃さん」

 ゾゾはシャコ貝を開け、貝殻の割に小振りな貝柱を取り出しては食べていた。

「いけないいけないイケイケイケナイナイナイ!」

 既に大量のシャコ貝を食べ終えたミーコは、握り箸にしている箸を振り回した。

「割と旨い」

 居間兼食堂の窓の外では、先に昼食を食べ終えた小松が感想を述べた。ガニガニにも同じものが与えられていて、 巣の中から半身を出した巨大ヤシガニは、火の通ったシャコ貝をばりぼりと噛み砕いていた。

「うーん……」

 紀乃はトラウマと空腹と戦っていたが、後者に負けて自分の皿に載っているシャコ貝を開いた。

「おやおや、なんということでしょう」

 すると、ゾゾがテレビに向いたので紀乃も目をやると、巨大すぎるシャコ貝が戦闘機部隊と戦っていたが、最後に よく解らない兵器に四方を囲まれたかと思うと、海水が急激に沸騰し、巨大シャコ貝が爆砕した。VTRが終わると、 深刻そうな顔をしたアナウンサーが突然変異体と変異体管理局の戦闘結果を伝えていた。

「失敗失敗シッパイシッパイシッパイ」

 ニュースを見たミーコは落胆し、シャコ貝の殻をがじがじと噛んだ。

「あ、そっか。ガニガニを巨大出来るってことは、シャコ貝も……」

 紀乃は納得したが、やはり生理的嫌悪感が込み上がった。食卓に他の料理は並んでおらず、空腹を紛らわすよう なものはない。味噌汁ですらも、小振りなシャコ貝が口を開けて沈んでいる。こうなってしまった理由は至って簡単 で、大繁殖していたシャコ貝をガニガニと一緒に散歩していた紀乃が見つけ、ゾゾに報告したからだ。おかげで冷蔵庫 にはシャコ貝が大量に詰め込まれ、数日は食材に困らない。だが、よくよく考えてみると、シャコ貝が大増殖した原因は ミーコ以外には考えられないのだ。

「ほらほら、紀乃さん。思う存分お食べなさい」

 どことなくにやけたゾゾは、皿を取って紀乃に近付けた。

「無駄にしないしないナイナイナイナイナイ!」

 ミーコも紀乃に笑みを向けてくると、小松までもが勧めてきた。

「喰えよ。食料だ」

「大丈夫だよね、本当に大丈夫だよね、ほんっとーおに大丈夫だよね!?」

 紀乃はゾゾに何度も念を押してから、自分の分の皿を受け取った。

「ええ、もちろんですとも。ミーコさんの寄生虫は百度以上で五分間加熱すれば完全に死滅しますので、たとえ口に しても害はありません。糸状のものを噛んだとしても、噛み千切ってしまえば、ただの動物性蛋白質として……」

 ゾゾがにんまりと目を細めたので、紀乃は青ざめて皿を突き返した。

「喰えるかぁっ!」

 そのまま椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がり、居間兼食堂を飛び出した紀乃は、あの目に見えない人が助けに 来てくれないかな、と願ってしまった。たとえば、紀乃の代わりにシャコ貝を食べてくれるとか、ゾゾを黙らせてくれる とか。だが、そんなに都合の良いことが起きるはずもないと知っているので、紀乃は空腹が限界を迎えて生理的 嫌悪感が吹き飛ぶまでは自室で大人しくしようと決めた。出されたものは食べるのが礼儀だが、食べるにしてもモノが モノではそれなりの心の準備が必要だ。これで東京なら食べ物の選択肢は無限大なのにな、と、紀乃は少し切なく なったが、無い物ねだりをしてはならないと思い直した。人類に刃向かったことに比べれば、寄生虫入りシャコ貝を 食べることなど大したことはないはずだ。だが、開き直るためには、もう少しだけ時間が掛かりそうだ。
 インベーダーになったとはいえ、紀乃は人間なのだから。





 


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