変異体管理局海上基地。 その中でも、特に見晴らしの良いのが川崎側に新造された研究施設である。かつては高速道路であった滑走路が 露出している木更津側とは違い、川崎側は海底トンネルになっているので海が一望出来る。建物の高さとしては、 戦闘機の管制を行う管制塔に次ぐ高さで、最上階は甲型生体兵器の少女達の宿舎になっている。三人の部屋は ワンフロアを三等分していて、各自の部屋には生命維持装置や医療器具も完備されている。いつ、何が起きても 対処出来なければ、国防を担う少女達は生かしておけないからだ。 寄宿舎の一角にある食堂では、久し振りに三人が揃って昼食を摂っていた。普段はそれぞれの部屋で食べるか、 検査や投薬で時間が合わないか、単純に会いたくない、などの理由でテーブルを囲んだりはしない。それが今日に 限って揃っているのだが、特に理由はない。伊号は投薬の影響で頭がぼんやりしているので動きたくなかっただけで、 呂号は明るい場所でメロディックデスメタルを聞きたかっただけで、波号は海を見ていたいからだった。 「あーダリィ。すっげーダリィ。ダルすぎてマジやべーんだけど」 万能車椅子のロボットアームを脳波操作するのも億劫なのか、伊号は首を仰け反らせていた。ゴーグルの下の 瞼も重たく下がっていて、朝に打たれた鎮静剤が抜けきっていない証拠だった。脳内圧と血圧が高ぶりすぎるのは、 能力の特異性だけではなく短気な性格も大きな要因だ。そのため、伊号は最も投薬回数が多い個体だった。 「ん」 呂号は手元を見ずにスプーンを使い、オムレツを口に運んで眉根を曲げた。 「甘い。僕の趣味じゃない」 「そうかな、おいしいよ」 波号はスプーンを拳で握り、オムレツに突っ込んで掬い取った。大きく掬い過ぎたので、波号の小さな口には入り きらずに零れ落ちた。波号の隣に座っていた秋葉は、波号の口元とテーブルの汚れを拭いてやった。 「そうだね。だから、ゆっくり食べようね」 「うん」 波号は頷いてまたスプーンを突っ込んだが、オムレツを掬う量は変わらなかった。 「俺は旨いと思うっすけどね、これ。甘いのは野菜の味っすよ、野菜の。だってスパニッシュだし」 三人と同じメニューを食べている山吹が言うと、伊号がロボットアームの先で自分のスプーンを払いのけた。 「てか、こんなんいらねーし。他のはねぇの?」 「俺らよりも良いもの喰っておいて、文句言う方がおかしいと思うっすけどね。職員食堂と単価が大違いなんすよ」 山吹はオムレツを食べ終えてサラダに取り掛かると、呂号が不快感を露わにした。 「お前が喰うな。それは僕達のものだろう」 「それについては前に説明したじゃないっすか。俺は君らの監督官なんすから、君らが食べるものを食べて調べる のも仕事じゃないっすか、仕事。毒味役っつーか、まあそんな感じっすね」 上品なカップに入ったコンソメスープを一気に呷った山吹は、残ったパンを囓った。 「タダメシ喰ってるだけじゃん」 マジ最低、と伊号は吐き捨てたが、伏せがちだった瞼を急に上げた。 「ん、なんだこりゃ」 「何がっすか?」 山吹が聞き返すと、伊号はそっぽを向いた。 「お前にはマジ関係ねーし」 そう言った伊号のゴーグルの内側に、細分化されすぎて素人目には意味の解らない情報の羅列が駆け巡った。 波号の世話をしていた秋葉は伊号のゴーグルを見、一度瞬きしてから告げた。 「イッチー。それは越権行為。過剰な情報摂取は脳の負担となり、再度の投薬が必要となる」 「うっせぇ」 伊号は舌打ちしたが、ぼんやりした意識では脳波制御が上手くいかなかったらしく、情報の羅列が止まった。山吹は 食べ終えた皿を重ねながら、秋葉と一度目を合わせ、無線通信で伊号の通信履歴を辿った。あらゆる機械を脳波 だけで遠隔操作出来る伊号であっても、能力の限界はある。セキュリティやブロッキングを擦り抜けて情報を抽出 出来ても、通信履歴までは削除出来ないように設定されているからだ。それは彼女の能力の暴走を封じるための 手段であると同時に、管理局側からの牽制でもあった。 司令室の助けを受けて伊号の通信履歴を辿った山吹は、変異体管理局が二体目の乙型生体兵器の配備に着手 したことを知った。それ自体は以前から囁かれていたことだし、乙型生体兵器一号、すなわち、斎子紀乃の戦果が 上がっていないのだから、いずれそうなると誰もが予感していた。だが、どこの誰が配備されるのだろうか。山吹は これまでに変異体管理局が認定した乙型突然変異体の名簿を思い出してみたが、生体兵器に認定されそうな人間は 彼女しかいないだろう。だが、あまり焦りすぎるのはどうなのか。 「丈二君」 秋葉は満腹になって眠たくなってきた波号を支えてやりながら、山吹に向いた。 「それは上の仕事。私達の仕事ではない。だから、無関係でいるべき」 「それもそうなんすけど、現場ってのがあるじゃないっすか、現場ってのが」 山吹は最後に残ったバターの紙包みを開き、そのままマスクを開けた口に放り込んだ。その様を見ていた伊号が、 うげぇ、と声を潰したが気にしないことにした。どうせ山吹は脳以外は機械なのだし、バターを丸飲みしたところで 胃もたれしないからだ。デザートのイチゴゼリーを食べつつ、現場に戻った忌部に管理局側の動向を伝えるべきか どうかを思案したが、余程のことがない限りは無用な通信を行わないべきだろう。忌部の存在はインベーダー側に 感付かれているし、情報もある程度は露見しているはずだ。もちろんそれは良くないことではあるが、肝心な部分を 見せなければ問題はない。言うならば、全身が透き通っているが今一つ本心が見透かせない忌部のように。 その忌部は、今頃は思う存分露出しているのだろうか。 とんでもなく暑い。 息苦しい。喉が渇いた。狭い。熱い。動きづらい。汗が止まらない。ここから出たい。とにかく出たい。すぐ出たい。 そして何から何まで脱ぎ捨てたい。防護服なんて嫌いだ。ガスマスクなんて嫌いだ。だけど、温泉卵が。 小松の操縦席に座る防護服姿の紀乃は、黙々と斜面を登る小松に揺られながら呪詛のような言葉を延々と繰り 返していた。が、口には出さなかったし、出せなかった。口を開ければますます喉が渇きそうだし、小松を怒らせて その場に放り出されてはリアルに生死に関わるからだ。ガスマスクのフィルターで濾過された空気は、小松の機械 熱と火山の地熱が混じっているため、海辺の潮風には程遠かった。膝の上に抱えている卵の入ったザルは、紀乃 の体温と小松の機械熱で既に温泉卵になっているのではと思ってしまったほどだ。 「おい」 小松から話し掛けられ、特殊部隊さながらの格好の紀乃はガスマスクのせいでくぐもった返事を返した。 「何」 「故障したのかと思った」 「何が」 「お前がだ」 それきり、小松はまた黙り込んだ。 「故障って……するわけないでしょ」 人間なのだから。紀乃は小松の言い草に少し苛ついたが、これ以上何も飲まずにいては血が煮詰まりそうな 気がしたので、卵のザルを隣に置いて防護服の上半身を開き、ガスマスクを外そうとしたが手を止めた。 「ねえ、小松さん。今、この中って火山ガス、入ってる?」 「当たり前だ。俺の操縦席は、大した密閉性はないからな。周りを見てみろ、やばいぞ」 小松が右腕を伸ばして辺りを示したので、紀乃は目を上げた。進行方向の草一本生えていない斜面には亀裂が 走り、その隙間から蒸気が噴き出していた。亀裂の周辺は地面の色が変わっていて硫黄がこびり付いている。見る からに危ない。紀乃は一旦深呼吸して気分を落ち着けてから、後頭部に回した手を下ろした。喉が渇くのは辛いが、 火山ガスを吸って死ぬ方がもっと辛い。 「山頂まで、あとどれくらい?」 紀乃が尋ねると、小松は目測した。 「五百メートルもないが、時間は掛かる。俺の足も万能じゃない、足場が良くなきゃ転げ落ちる」 「だよね」 紀乃は操縦席に座り直したが、どこもかしこも泥だらけだった。小松が動くたびに独りでに動く操縦桿やペダルにも、 天井にも、座席にも、床にも、ミーコの手形や足形がべたべたと付いている。これだけあると、汚れを落とすのに 苦労しそうだ。吸収缶を通して肺に広がった熱い空気をやり過ごしてから、紀乃はミーコの手形に手を重ねた。 「これ、掃除しないの?」 「基盤に水が入ったらどうする」 「それもそうだけど、こんなに汚れてちゃ気にならない?」 「ならない」 小松が言いきったので、紀乃は納得は出来なかったがそれ以上は問い詰めなかった。小松には小松のこだわり があるのだろう。小松の足取りは慎重故に確実だったが、さすがに退屈になった紀乃は話し掛けた。 「ねえ、小松さん」 「なんだ」 「小松さんって、元々は何をしていたの?」 「建設会社の社員だった」 「それが、どうして人型多脚重機と合体しちゃったの?」 「事故だ」 「それはなんとなく想像が付くけど、それだけでインベーダー扱いされるもんなの?」 「俺は特別なことはしていない。ただ、役に立たない機械を処分しただけだ」 「どんなのを?」 「古い機械、故障した機械、弱い機械、小さな機械、つまらない機械、不格好な機械……。そういう連中を、片っ端 から処分した。その部品を寄せ集めて、もっと役に立つ機械を造ろうとも思っていたんだ」 溶岩が固まった岩を避け、大粒の砂利が散らばる斜面に足を食い込ませ、小松は昇っていく。 「だが、連中は俺が手を加える前に勝手に壊れて、それきり動かなくなった。だから、丈夫な機械を使って役に立つ 機械を造ろうとしたんだが、変異体管理局に捕まった」 「で、島流し、ってわけか」 「そうだ」 進行方向に横たわる岩石を避けるため、小松は六本足を曲げ伸ばしして横に移動し、また前進した。 「俺は有益なことをしたはずなんだ。だが、連中は俺を理解してくれなかった」 「そうだねー。私に比べれば、小松さんの方がまだ社会貢献出来そうなのにね」 「紀乃もそう思うのか」 「思う思う。だって、小松さんは機械の部品を寄せ集めて使える機械を造ろうとしたんでしょ? 有益じゃん」 少なくとも、紀乃の半端な超能力よりは良い。紀乃は震動を受け流しながら、彼の脳が収まった箱を見下ろした。 操縦席の空間を狭めている箱はクーラーボックス程度で、というより、元々は本当にクーラーボックスだったらしい。 海辺で見かける釣り人が傍に置いている長方形のプラスチック製のケースで、操縦用のハンドルやレバーの付いた パネルの下に据え付けられている。ケーブルやパイプが側面に繋がれていて、パイプは一回りほど小さな金属製の 箱に繋がっていた。こちらはゾゾが後付けした人工臓器だろう。ミーコはいつも、ここに彼の食事を入れている。 「逆に聞くが、お前は何をしてこうなったんだ」 「特に何も。交通事故に遭ってケガをして、目を覚ましたら、超能力が使えるようになっちゃったの」 「それだけか」 「そうだよ、たったのそれだけ。なのに、こんなことになっちゃってさ」 「だが、きっと何か意味があるはずだ」 「私はともかく、小松さんにはあるかもね。ていうか、何もなかったら逆におかしいって」 「だな」 小松は紀乃の意見に同意し、メインカメラを上下させた。その動きに合わせ、ミーコの泥の手形のせいで画面が ろくに見えないモニターの映像も上下した。途中、小松が火山ガスが比較的薄いルートを通ってくれたので、紀乃は 出来る限り息を止めて一息に水を飲み、喉の渇きを癒した。島の規模の割に標高が高い火山は一千メートル級で、 それ故に火口付近は平地からでは見えなかった。近付くに連れて、遠い昔に噴火で抉れた火口が見えてくると、 紀乃は感心する前にぞっとした。溶岩で削り取られたらしいぎざぎざの縁、見るからに頑丈な冷えた溶岩、底の 見えない灼熱の穴、どれを取っても自然の脅威だ。こんな場所で温泉卵なんて作ったらバチが当たりそうだなぁ、と 今更ながら怖じ気付いたが、ここまで来てしまっては後に引けない。 ガニガニも温泉卵を待っているのだから。 10 6/16 |