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「嬉しい」

 体長八メートル弱の巨大なヤシガニ、ガニガニは鋏脚を広げて上向けた。

「悲しい」

 ガニガニは鋏脚を下げ、ヒゲと触角も下げた。

「いやいや」

 ガニガニは鋏脚を曲げて頭部を覆い、丸まった腹部を左右に振った。

「僕は強いぞ」

 ガニガニは鋏脚をばちんばちんと打ち鳴らし、誇らしげにヒゲを上げた。

「お腹が空いた」

 ガニガニはヒゲと触角の尖端を震わせ、哀切な眼差しを注いできた。

「お姉ちゃん大好き」

 ガニガニは鋏脚を思い切り上げ、胸部から生えた六本足も全て伸ばして巨体を逸らした。

「おおー、凄い」

 紀乃が思わず拍手すると、ガニガニの一連のジェスチャーを解説していた小松はマニュピレーターの尖端で 頭部を軽く擦り、単眼のようなメインカメラのシャッターを半分下げた。人間で言うところの半目である。

「別に自慢出来るような技能じゃない。というか、ガニ公の意志が解ったところで役に立たんだろうが」

「じゃ、あれは?」

 紀乃はサイコキネシスで小松の真上に浮かぶと、校庭で寝転んだガニガニを指した。小松は上体を少しだけ迫り 出してメインカメラをズームさせ、ガニガニを凝視する。青黒い外骨格に包まれた巨大なヤシガニは、背中の甲羅を 砂地の地面にごりごりと擦らせながら胴体をくねらせる。時折飛び出した複眼でこちらを窺いながら、鋏脚と六本足を 蠢かせている。小松はしばらく悩んでから、答えた。

「……セクシーポーズ」

「正解!」

 紀乃がぐっと親指を立てると、ガニガニも鋏脚の片方を上げた。小松は六本足を縮め、身を引く。

「それこそ無駄も無駄じゃないか。大体、甲殻類が色気を振りまいたところで何の意味がある」

「超可愛いじゃーん。ねー?」

 紀乃が満面の笑みでガニガニに向くと、ガニガニも頭部を捻り、こちん、と顎を鳴らした。

「付き合ってられん」

 辟易した小松は六本足のシリンダーを上下させ、東側の集落に向かう斜面を降り始めた。だが、半分程度降りた ところで一旦振り返り、人目を憚らずにいちゃついている紀乃とガニガニを見上げた。紀乃の甲高い歓声に外骨格が 擦れ合う硬質な騒音が混じり合い、ガニガニが声の代わりに発する顎の衝突音が聞こえてくる。ハートマークでも 飛び交っていそうな現場から少しでも離れようと歩調を早めたが、ふと、小松の脳裏にある考えが過ぎった。
 愛想を振りまけば、少しは宮本都子に好かれるのだろうか。だが、自分がガニガニのような態度を取る様は想像 しただけでもガソリンが逆流してしまいそうになり、頭部を左右に振って払拭した。甲殻類を羨むなど、我ながらどう かしている。自嘲と自戒を混ぜながら、小松は建設途中のログハウスの骨組みが立つ崖に向かっていった。
 余計なことを考えている暇があったら、仕事に集中しなければ。



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