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わたしのかぞく



「いってきまーす!」

「いってきます」

「いってくるでなー」

 三者三様の挨拶をすると、玄関先まで出てきたゾゾが手を振った。

「どうぞお気を付けて。寄り道なさらずに帰ってくるんですよ」

 ランドセルを背負った波号は母親に今一度手を振り返してから、次兄と長女に追い縋った。学ランとスラックスに 大柄なサイボーグボディを押し込めた正弘の歩幅は広く、ちょっとでも気を抜くとすぐに置いてけぼりにされてしまう。 小走りになった波号が自宅から道路に通じる道を通り抜けていくと、ガレージの中で車がヘッドライトを点灯させた。 エンジンを軽く唸らせながら出てきたのは、マッハチェイサーだった。

「あ、マッハ兄ちゃん、帰っていたんだ」

 波号がその場駆け足になってマッハチェイサーに向くと、マッハチェイサーはウィンカーを瞬かせる。

「これから学校か?」

「うん! マッハ兄ちゃんはどうするの?」

 波号が元気よく頷くと、マッハチェイサーは右側のサイドミラーを曲げる。

「俺もこれから大学だ。単位落としたら面倒だしな」

「そっか、頑張ってねー!」

 波号は大きく手を振ってから、門の外で待っている正弘とチヨの元に急いだ。マッハチェイサーはワイパーを上下 させ、手を振るような仕草で下の兄妹達を見送った。三人の姿が見えなくなってから、マッハチェイサーはガレージ から出て人型に変形した。ガレージ後部に設置してある小型コンテナを開けて私物を出し、大学に向かう準備をして いると、イグニスが出し抜けにマッハチェイサーの後頭部を小突いてきた。

「自家用車が大学行くんじゃねぇよ」

「あんたこそ、長男なのに自宅警備一本なのかよ」

 マッハチェイサーは身長四メートル近い体格に似合わぬ勉強道具をまとめ、トランク部分に入れた。体格は伸縮 自在なので、普通に教室で講義を受けられるのである。ヒーロー体質の成せる業だ。
 ランボルギーニに似たSFスーパーカーから変形する人型ロボット、マッハチェイサーは一家の自家用車である。 だが、彼に乗って買い出しに行くことはほとんどない。飛行能力も有しているのだが、それを使うのは本人だけだ。 それというのも、この島が手狭で車を出すほどの用事は滅多にないからだ。買い出しの荷物が多ければイグニスを 駆り出せばいいし、遠出する所用があってもパワーイーグルに頼めば小一時間で解決するからだ。なので、誰にも 乗られずにガレージで燻っていたマッハチェイサーは沖縄本島の大学に編入し、日々勉学に勤しんでいる。

「ていうか、なんでお前はその格好のままなんだよ。脱げよ、車。燃費悪いだろ」

 イグニスが再びマッハチェイサーの側頭部を小突くと、マッハチェイサーはその手を振り払う。

「俺だって出来ることならそうしたい、だがそう出来ないんだ! それより質問に質問で返すな、働け!」

「おっ、俺だって好き好んでクソッ垂れな自宅警備員やってんじゃねぇよ! だがな、このアホみたいな平和な世界 でどうやって機械生命体が食い扶持探せってんだよ、あぁんっ!?」

 額を突き合わせながらイグニスが凄むと、マッハチェイサーはイグニスを突き飛ばしてから外を指した。

「土木工事用ロボットの働き口なら腐るほどあるだろうが! 父さんがやたらめったら暴れて争い事を物理的に潰し まくったせいで、世界中の至るところがボロボロなんだよ! その穴を埋めてこい、今すぐに! この島だって実際の ところはそんなに安定しちゃいない、小松っていう人型多脚重機が退屈凌ぎに修復していたから住めているような ものであってだなぁ!」

「誰が土木工事用ロボットだぁ!? 俺は勇ましくも誇り高いルブルミオンの戦士だぞ、泥水にまみれて鉄骨運んで 地面掘り返すような仕事なんて出来るか! 腕が錆びちまうじゃねぇか、リアルな意味で! ていうかお前は本当は 人間だろうが、機械生命体の真似事なんてするんじゃねぇや、片腹痛ぇぜ!」

 イグニスは戦えない鬱憤もあって捲し立てると、マッハチェイサーは鼻で笑った。

「本能だか何だか知らないが、いい加減に頭を切り換えろよ。順応性がないと生きていけないぞ。ヘラクレスを見て みろよ、あいつは元々はそりゃもう凶暴な人食いの化け物だったのに、今や大人しいペットじゃないか」

「あんなハシゴ状神経系と超高密度集積回路とアルゴリズムの結晶の俺を比較するんじゃねぇ!」

「あと、そろそろ黙っておかないと……」

 マッハチェイサーが片手を広げて制してきたが、人型昆虫と比較されて苛立ちが極まっていたイグニスは、負けじと その手を押し退けて突っ掛かろうとした。が、その時。

「鉄拳制裁ぃいいいいいいいいいっ!」

 風呂場の窓から飛び出してきたのは、まともに体も拭いていないびしょ濡れのパワーイーグルであり、イグニスの 横っ面に拳を叩き込んできた。ごわぁあんっ、と分厚い鉄板で釣り鐘を張り手したような金属音が轟き、イグニスは 大きく仰け反った。マッハチェイサーは余計な被害を被らないために早々に身を引くと、変形し、大学に向かった。 各種センサーが千切れるのではないかと懸念するほどの衝撃に見舞われたイグニスは、目眩を起こしていながらも 上体を起こして薄情な自家用車を引き留めようと手を伸ばすが、その手の上にパワーイーグルが飛び乗った。

「家族とケンカするというのならっ、まずはこの俺と戦えぇえいっ!」

「……すんません」

 全身に湯気を纏っている全裸のスーパーヒーローから目を逸らしながら、イグニスは平謝りした。マントとフンドシ を脱いでも頑なにバトルマスクだけは脱がないので、異様さが際立っている。風呂で茹だったせいで一層血の気が 増しているのか、パワーイーグルは意味もなく胸を張って筋肉を強調した。当然、股間の最強武器も揺れる。

「解ればいいのだっ、解ればっ! 俺はそれを積み重ねっ、この世界に絶対的な平和をもたらしたのだっ!」

「服着ろよ」

「いいか良ぉく聞けっ、イグニスっ! 俺は世界最強銀河最強宇宙最強のスーパーヒーローである以前にっ、全て に置いて最悪の脅威でもあるのだっ! むしろ脅威であれと豆と角砂糖が大好きな変な仮面の男に教えられたっ! 信念だけは揺らがすなとっ! それがヒーローがヒーロー足る証しなのだとっ! そこで俺は直感した、英雄であると 同時に侵略者となりっ、略奪者となると同時に贈与者となれっ、とな! そして俺は行動しっ、ありとあらゆる争いを 物理的に叩き潰すと同時にっ、ありとあらゆる脅威を与えたのだっ! 故に俺はっ、スーパーヒーローの身の上で ありながらも世間からは迫害と差別と侮蔑と汚名をこれでもかと塗りたくられたがっ、そんなものは痛くも痒くもない どころかむしろ嬉しいっ! 俺という英雄と共に共通の敵を見出した人類はっ、一致団結するのだからなっ!」

「あー、そう。なんでもいいから服着てくれよ、見苦しいったらありゃしねぇ」

「うわははははははははっ、見苦しかろうが情けなかろうが泥臭かろうが生臭かろうがっ、俺がスーパーヒーローに して世界最悪のデストロイヤーであることには変わりないのだっ!」

「あぁ面倒臭ぇー」

 パワーイーグルの脳天を突き抜けたハイテンションに辟易してしまったイグニスは、手の上で仁王立ちするパワー イーグルを無造作に掴むと、手首にスナップを付けて自宅に放り投げた。意味もなく豪快な笑い声を放ち続けている パワーイーグルは庭先に向かっていき、そのまま居間に突っ込むかと思われたが、銀色の影が躍り出た。
 ラミアンは銀色のマントを翻して居間の掃き出し窓とパワーイーグルの間に滑り込むと、素早く応戦姿勢になった パワーイーグルから拳を浴びせかけられたが、銀色の爪で拳を挟み、するりと猛烈な力を受け流した。戦う相手を 失ったパワーイーグルはそのまま庭に突っ込み、拳をめり込ませ、地面に大穴を開けた。

「柔よく剛を制す……なんと優雅で麗しき言葉か。合気道とは実にエレガントな武道だ」

 ラミアンは満足げに、拳を地面に突き立てているパワーイーグルを見下ろした。パワーイーグルは地中から拳を 引き抜くと、パワーを受け流されたのが少々不満げだったが、大人しく家の中に戻っていった。もう一度風呂に入り 直して下さいよ、と母親の嘆きが聞こえてきたので、事の次第を見守っていたイグニスは庭に近付いた。

「ありがとな、ラミアン」

「彼は果てしなく純粋だ、それ故に力の方向もまた純粋なのだよ」

 ラミアンは地面に爪を浅く刺すと、魔力を放ち、簡単な魔法で庭の大穴を元通りにした。

「して、イグニス。働きには出ぬのかね?」

「あんたまで、それ言うのか?」

 イグニスが心底うんざりすると、ラミアンは爪先を擦り合わせて土を落とした。

「力と時間を持て余すのは、熟れた果実にナイフを入れぬのと同じこと。いずれは腐り果てる」

「あーあー、解ったよ。仕事探せばいいんだろ、仕事」

 イグニスが渋々歩き出し、外に出ようと門の外に足を踏み出したが、ふと振り返った。

「そうは言うけど、ラミアンは仕事なんてしてねぇだろ? 人のことを言える立場か?」

「案ずるなかれ、赤き戦士よ」

 ラミアンはイグニスに背を向けると、仮面を上げて清々しい空を仰ぎ見た。

「私の卑しき身には、町内会の会合と老人会の寄り合いとゲートボールの練習とシルバー人材センターからの仕事 の要請が課せられているのだ。年長者の義務を勤め上げるのもまた、仕事ではないのかね」

 それは道理かもしれない。イグニスは少々腑に落ちない気もしたが、話を蒸し返して大事にするのも嫌だったので、 ラミアンには何も言わずに外に出た。背後からは無駄に威勢良く風呂に入るパワーイーグルの叫声と、台所から それを諌めるゾゾの声が聞こえていたが、歩き出すと遠ざかっていった。
 自宅から少し離れると、エメラルドグリーンの海が望めた。空はどこまでも高く、吐き気がするほど平和だ。自宅を 出てみたのはいいものの、行く当てがないのも事実なので、イグニスは仕方なしに珊瑚礁の砂浜を歩いた。南国の 離島に点在している民家からは人々の息吹が感じられ、青々と茂った森にも透き通った海にも命が煌めいていて、 退屈すぎて思考回路が焦げ付いてしまいそうだ。潮風に混じってかすかに重機の駆動音が聞こえてきたので、その 方向に目をやると、一体の人型多脚重機が黙々と砂浜の整備工事を行っていた。あれが小松だろう。

「おーす」

 イグニスがやる気なく声を掛けると、小松の上に乗っていたTシャツにジーンズ姿の女が奇声を上げた。

「誰誰レダレダレレレレレ!」

「誰かだなんて、俺には関係ない。俺の仕事にも関係ない」

 小松は女の奇声もイグニスの存在にも意に介さず、作業を再開した。多目的作業腕の尖端に合体させたバケット で砂を掬い上げては、地面の亀裂に流し込んでいく。イグニスは小松に近付くと、食い下がる。

「そう言うなよ。俺にだって事情があるんだから。なんでもいいから、仕事させてくれねぇか? でないと、後でまた 色々と言われちまうんだよ」

「仕事はない」

「ナイナイナイナナーイ!」

 小松が平坦に言い捨てると、奇妙な女が飛び跳ねる。

「お前が今やってんのは仕事じゃねぇか、それの手伝いでも何でもいいんだよ」

 少し苛立ったイグニスが詰め寄ると、小松は半球状の頭部を回転させ、赤い単眼でイグニスを捉える。

「そうか、お前には俺の作業が土木工事に見えるのか。生体構造が特殊な生命体だからかもしれんな」

「見えるエルエルルルルルルルゥー?」

「は?」

 イグニスがきょとんとすると、小松は淡々と述べた。女がまとわりつくのも一切構わずに。

「俺とミーコがワン・ダ・バを通じて観測し、干渉しているのは、並列空間の破損によって偶発的に生じた次元と時空 のエアポケットというべき空白地帯だ」

「解るようで解らんような」

 イグニスが首を捻ると、小松はぐりんと単眼を上げた。

「俺達はお前達の存在している空白地帯には、厳密には存在していない。存在してはならない。存在することを存在 出来ると立証してしまえば、本来の次元と時空における存在を存在させられなくなる可能性が高いからだ。よって、 お前が観測している俺とミーコはいわば影であり、空白地帯に投影された立体映像のようなものだ」

「ん、んんー?」

 禅問答のような言い回しにイグニスが呻くが、小松は独り言のように続けた。

「次元と時空の自己修復能力が既に発生しているのであれば、早々に手を打たなければならない」

「なければレバレバならならナイナイナーイ!」

 ミーコという名らしい女は小松の胸部に座ると、足をばたつかせる。あ、おい、とイグニスは二人を引き留めようと 手を伸ばすが、どこかに行ってしまった。一人取り残されたイグニスは嘆息し、その場で胡座を掻いた。これで仕事 の当てはなくなってしまった。この島は狭いため、働きに出るにしても場所が限られている。増して、イグニスのような 機械生命体であれば尚更だ。元々人類には持て余されてきた種族なので、平和な世界では文字通り身の置き場が 見つけられないのだ。だが、何もせずに家に帰るわけにもいくまい。けれど、仕事を探すのは億劫だ。
 やる気が失せてしまったイグニスが波打ち際で呆けていると、沖合いに一隻のイージス艦が停泊した。その船腹 から下ろされた着岸用の小型船がこちらに向かってくる。この御時世に密航者もないよな、とイグニスがぼんやりと 見守っていると、小型船が砂浜へと突っ込んできた。一際大きな波が起きて砂浜を濡らした後、引いていく。飛沫が 収まると、小型船の舳先から荷物を背負った男が飛び降りてきた。
 身長は百八十センチ少々で骨格もそれ相応に逞しいが、手足に長さがあるせいかそれほど筋肉質には見えず、 体形も全体的に過不足なく引き締まっている。濃く日に焼けた面差しは険しく、短く切った髪を後頭部に撫で付けて いる。無精髭から高じた不揃いの髭が、太めの顎を縁取っていた。両手の皮は分厚く、親指の付け根には拳銃を 常時扱っていることで生じる痕が出来ていた。表情に力みはないが、眼差しは異様に鋭い。

「あんたも干されたのか?」

 イグニスが右手を挙げて振ってみせると、迷彩服姿の壮年の男、朱鷺田修一郎は早々にタバコを出し、銜えた。

「見りゃ解るだろうが。全く、つまんねぇ世の中になっちまいやがったよ」

「行く当てがないのも俺と同じか」

「こんな島で終わりたくはないが、ここ以外に行く当てがなかったんだよ。お前の家はどこだ」

 ジッポライターで灯したタバコを蒸かして、朱鷺田は今し方乗ってきたイージス艦に振り向くが、沖合いに停泊 していたはずの戦艦も小型船も姿を消していた。イグニスは朱鷺田を視界に入れつつ、沖合いを見やる。

「ああ、新入りか。てことは、あんたは俺らの誰かと知り合いなのか、でなきゃ家族なのか?」

「俺に家族はいねぇよ。今までも、これからもな」

「じゃ、なんで来たんだ? もしかして俺んちの誰かに嫁入りするから、とか?」

「出会い頭に訳の解らないことを言うんじゃねぇ、撃つぞ。空砲だが、お前の外装を抉るには充分だ」

 朱鷺田は口の端から紫煙を漏らし、イグニスを睨む。イグニスは両手を上げ、肩を竦める。

「へいへい。銃声を一発でもぶちかませば、あの筋肉親父が一瞬ですっ飛んでくるから面倒だしな」

「焼きが回ったとは思いたくないがな」

 迷彩柄の戦闘服姿から解るように、朱鷺田修一郎はついこの間までは自衛隊の特殊部隊に勤めていた。国防を 水際で防ぐために過激な作戦を強いられ、人型自律実戦兵器を主力とした部下達に命令を下す立場にあったが、 イグニスと同様に争い事がなくなったために国防も危ぶまれなくなった。その結果、国の内外へ平和になったと示す ために特殊機動部隊が解体されたというわけである。そして、朱鷺田も放逐され、この島に居を移したのだ。

「だからって、俺がお前らと同居する意味がどこにあるんだ」

 吸い終えたタバコを携帯灰皿にねじ込んだ朱鷺田がぼやくと、イグニスはへらっと笑った。

「いやぁ全く。だが、退屈だけはしねぇと保証してやるぜ」

「いらねぇよ、そんなもん。で、お前らの家はどこにある」

「これからは、あんたの家でもあるんだぜ。よろしくやろうぜ、兄弟」

「ロボットと馴れ合うのは飽き飽きしてんだ、二度とそんな戯れ言をほざくな」

 朱鷺田に毒突かれたが、イグニスは腰を上げて歩き出した。朱鷺田は心底不満げだったが、行く当てがないのは 紛れもない現実なのでイグニスの後を追ってきた。砂浜と道路を繋ぐ藪同然の道を通って、車通りのほとんどない 道路を渡ると、自宅の門が見えてきた。イグニスは出かけたばかりで戻るのは気まずかったが、朱鷺田を案内せずに いてはもっと気まずいので門をくぐった。が、朱鷺田はすぐにはイグニスの後に続いては来ず、二本目のタバコを 銜えて火を灯して深く煙を吸い込んでいた。イグニスは振り返り、訝る。

「ん、どうした?」

 と、イグニスが朱鷺田を視界に入れた瞬間、流れるような動作で左脇のホルスターから拳銃を抜いた朱鷺田は、 それを背後に突き出しながら大きく一歩踏み込んだ。がつん、と金属と金属が激突する音が響く。そして、朱鷺田は 躊躇いもなくコルト・キングコブラの引き金を引いた。空砲ではあるが、平和に耽溺した日常を引き裂くには充分な 破裂音が夏の空気を震わせると、生傷の残る日焼けした横顔にかすかな快楽が浮かんだ。

「いかに優れた光学迷彩であろうと、足音までは殺せない。常識だろ」

 朱鷺田の濃い影が歪み、鮮やかなラベンダー色の外装を帯びたロボットが現れた。が、すぐに石垣に隠れた。

「おいイレイザー、ちったぁ他人に慣れろ」

 石垣の上から彼を覗き込んだイグニスが言うと、紫色のロボット、パープルシャドウイレイザーは顔を覆う。

「こっ、このような見知らぬ方々が住まう中に放り込まれて幾星霜ではござるが、せっ、拙者は、その、影であり 影に徹するべき者であるからして、そっ、それに、慣れろと言われてもにんともかんともぉ……」

「で、何しに来たんだよ」

 イグニスが指先でイレイザーの肩装甲を小突くと、イレイザーはびくついて後退る。

「せっ、拙者、ゾゾどのから、新入りどのの御荷物をお運びいたすよう命令された次第なのでござるが、そっ、その、 話し掛けるよりも先に銃口を突き付けられたが故……」

「俺が悪いのか?」

 不服げに眉を曲げた朱鷺田に、イグニスはげっと声を潰し、朱鷺田を引っ掴んで逃げ出した。

「誰が悪かろうがあの親父が来るのは同じだぁーっ!」

 イグニスが脱兎の如く逃走した直後、暴力的極まる笑い声が轟いて巨漢の男が裏庭から跳躍した。訳も解らずに 振り返った朱鷺田が目にしたものは、二度目の風呂を浴びたので浴衣を羽織っているパワーイーグルが、砲弾の ように空に飛び出した光景だった。浴衣の肩にはなぜか羽根を模したマントが装着されていて、大きく割れた浴衣の 裾と同様に派手に翻っていた。世界が平和になりすぎて持て余した力を発散したいのか、パワーイーグルは拳を 固めて眩い光を収束させると、スラスターを全開にして死に物狂いで沖合いへと逃げていくイグニスへ照準を定め、 気合いと共に拳を突き出そうとした。が、裏庭で盆栽に興じていたラミアンが素早く跳躍してパワーイーグルの目前 に滑り込み、猫騙しを仕掛けたおかげで、イグニスと朱鷺田は命拾いした。
 何事に置いても、極度の正義は困りものである。





 



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Photo by (c)Tomo.Yun




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