夜が更けても、北斗は気落ちしたままだった。 少しばかり、礼子の反応に期待していた。それをあそこまで切り捨てられると、さすがにきついものがあった。 部屋に戻る気も起きず、かといって自主訓練をする気分にもなれず、仕方ないので休憩コーナーに座っていた。 旅館の玄関脇にある自動販売機と多少古い型のゲーム機が密集した一角で、簡素なソファーに腰掛けていた。 なぜ、こうも上手く行かない。作戦や戦略であれば、寸分の隙もなくこなせるのに、礼子だけはそうならない。 思うようにしようと思えば思うほど邪険にされて、ことごとく反論されてしまう。いつも、彼女はそうだった。 自衛隊の隊員達とも、教育係である神田葵とも、実質的に父であるフレイムリボルバーとも兄弟の南斗とも違う。 彼らに聞いてもあしらい方は解らないし、逆に自分で考えろ、と言われてしまう。だから、余計に解らなかった。 北斗は、礼子が好きだ。あの三日間の演習で、初めて会った時はそうでもなかったが、次第に惹かれていった。 素っ気なくてやる気のない態度ばかり取るが、やる時はやってくれるし、なんだかんだで付き合ってくれている。 感情回路が動いたのは、一日目の夜。寝入った彼女を腕に抱いて見張っていた時、彼女に服を掴まれた時だ。 それまではあまり頼りにしてこなかったのに、頼られているのだ、と思った瞬間、唐突に気に入ってしまった。 それが、好き、であると認識するまで時間は掛かったが、認識してしまえば、雪崩のように落ちていった。 フレイムリボルバーに言わせれば、それが恋って奴よ、だそうだが、北斗としては恋だとは思っていなかった。 ただ、会えない間隔が開くと無性に寂しくなって、素っ気なくされると感情回路が痛む、それだけのことだった。 だから、会えたら嬉しいし、頼りにされたり褒められたりすると物凄く嬉しくて、エモーショナルリミッターが弱くなる。 戦闘重視の思考にするためにリミッターの設定は上げてあるのに、礼子の手に掛かると呆気なく解除される。 先程、女湯に突っ込んでいったのはそのせいだ。後から考えると明らかに常識外れだが、体が動いてしまった。 一刻も早く好きだと言いたくて、言ってみたら礼子がベタベタしてくるかもしれない、と思っていたからだ。 だが、そうは行かなかった。夕食の席で言ってみても同じことで、それどころか、ベタベタしたくないと言われた。 何がいけないのだ。何が悪いのだ。北斗はメモリーを探って思考回路を働かせてみたが、まるで解らなかった。 思わず頭を抱えていると、スリッパのぺたぺたという足音が近付いてきたので、北斗はすぐさま顔を上げた。 キャラクターものの財布を手にした礼子が、自動販売機の前にやってきた。硬貨を出して、投入口に入れている。 ちゃりん、ちゃりん、ちゃりん、と三回金属音が続くと、自動販売機の販売ボタンが、一斉に赤い光を放った。 礼子は指を彷徨わせていたが、ロング缶の缶コーヒーのボタンを押した。数秒後、ごっとん、と落下してきた。 取り出し口から細長い缶コーヒーを取り出した礼子は、じゃばじゃばと缶を振っていたが、北斗の隣に座った。 北斗は、妙にやりづらかった。気恥ずかしい、情けない、照れくさい、などという感情が思考回路を乱している。 礼子は缶を開けると、半分ほど一気に飲んだ。甘ったるいコーヒーを飲み下してから、北斗を見上げてみた。 北斗は、まだ弱っていた。礼子はここに来るまで考えていた謝罪の言葉をぐるぐると巡らせながら、口を開いた。 「ばーか」 いざ謝ろうとすると変に照れくさくなってしまい、こんな言葉しか出なかった。 「ていうか、なんで私なんかとベタベタしたいわけ? 他の人達のが羨ましくなったとか?」 「まぁ、間違いではない」 北斗が小さく呟くと、礼子はスリッパを引っかけた足をぶらぶらさせた。 「ますます馬鹿。私なんか相手にしても、つまんないだけだよ。大体、どこがいいってのよ」 「全部だ」 迷いのない声で答えた北斗に、礼子は足を振り上げてスリッパを放った。離れた位置に、スリッパが転がる。 「ただの中坊だよ、私は。見た目も良くないし頭もそんなに良くないし、この通り性格も良くないじゃん。理屈っぽくてひねてて、ちっとも可愛げなんてない。私だったら、恋愛対象にもしないけど」 「何をそんなに卑屈になっているのだ、礼子君」 北斗が振り向くと、礼子は顔を逸らした。中身の残った缶を振ると、ちゃぷちゃぷと水音がする。 「…べっつにぃ」 「確かに、あの三人はなかなかの器量の女人だとは思うぞ」 北斗は腕を組むと、うん、と頷いた。その反応に、礼子はやけに物悲しくなってしまい、缶を両手で握り締めた。 「だから、世の中にはああいう物凄い美少女がいるわけよ。だから、ああいうの見ちゃったら、私なんかそういう対象にすらならないんだって。学校でも、そうなんだよなぁ。小学校からの付き合いのなっちんは、女の子女の子してるから三回ぐらい告られてるし、見るからに可愛い子とか綺麗な子にはいつも必ず彼氏がいるし」 「礼子君はそれが羨ましいのか?」 「多少はね。でも、羨んでも仕方ないし、どうにもならないから」 礼子はそう言いながら、自分の言葉で胸が痛んだ。いつのまにか感じていたコンプレックスが、表に出ている。 いつも、そうなのだ。何をしても上には行けないし、どこを取っても五番手ぐらいだし、いいところなんてない。 そのままじゃもっと捻くれてしまう、とは思っているのだが、どうにもならなかった。礼子は、急に涙が出てきた。 無性に情けなくなって目元を拭わずにいると、北斗は上半身を傾げて、俯いている礼子を覗き込んできた。 「なぜ泣くのだ」 「自分が情けないから」 否定するともっと情けなくなるので、礼子は素直に認めた。北斗は頬杖を付き、大きな手で銀色の頬を支えた。 「自分は別に、外見で礼子君を好いているのではないぞ。自分と共に戦ってくれたからこそ、好きなのだ」 「でも、男って、結局は見た目に流されるんだよねぇ」 そういう男子を、よく目にする。その結果修羅場になるのを、礼子は何度か見ていた。北斗は、礼子を見つめる。 「外見とはそれほど大事なのか?」 「大事も大事よ」 「ははぁ。だから礼子君は卑屈になっているのだな。あの三人と比較してしまうと、そう思うのは仕方ないが」 「それ、遠回しに私はダメだって言ってるようなもんなんだけど」 礼子が引きつった笑みを作ると、北斗は仰け反った。 「断じて違う、断じてそういう意味ではないぞ礼子君!」 「北斗。あんた、やっぱり馬鹿だ」 礼子はとどめを刺されたような気分になり、肩を落とした。北斗は姿勢を戻すと、体を縮めている礼子を見下ろす。 「だがな、礼子君。礼子君は、礼子君であるからこそ、自分は好きなのだ」 「具体的に説明してみてよ。四百字以内で」 「原稿用紙一枚分か。少し待て」 北斗は少し黙っていたが、言った。 「自分は礼子君が好きだ。素っ気なく淡々としていて何事にも冷めているようだが、自分がチョコレートを差し出したぐらいで大はしゃぎしてしまうような子供染みた部分があり、眠ったまま自分に縋り付いてくるようなか弱さもあるのだが、決して守られてばかりの脆弱な女性ではなく、自分の作戦に付き合ってくれる度胸を持っていて、挙げ句に、手榴弾一つで南斗を打ちのめしてしまうほどの強さも持っている。また、北斗の拳の話題にも付いてきてくれるし、自分の長々とした電話にも最初から最後までうんざりしながらも付き合ってくれるし、たまの面会時間には…」 あまりのべた褒めに、礼子は強烈に照れくさくなって北斗を制止した。 「もういい、いいって!」 「礼子君が四百字で述べろと言ったのではないか。まだ自分は二百五十文字程度しか言っておらんぞ」 きょとんとしている北斗に、礼子は目線を落とした。あそこまで褒められると、却って困ってしまう。 「…もう、いいって」 「他にも、まだまだあるぞ」 「もう、勘弁して…」 照れと困惑が一緒くたになっていて、今すぐに北斗から離れてしまいたい衝動に駆られていたが動けなかった。 色々と言い返したかったが、言葉にするよりも先に照れてしまう。意識されることが、こんなに恥ずかしいとは。 だが、北斗は至って平然としていた。褒め殺ししていたとは気付いていないらしく、照れる礼子を訝しんでいる。 「何がそんなに嫌なのだ、礼子君。人間というものは、褒めれば褒めただけ喜ぶはずではないのか?」 「あんたのは、褒め殺しって言うの」 「自分にはそんなつもりはないのだが」 「あんた、天然?」 「自分は人工物だ。見て解らんか」 当然のように言った北斗に、礼子は可笑しくなってしまった。笑っちゃいけないと思いつつも、笑ってしまう。 声を殺して肩を震わせている礼子が、北斗は不思議だったが、次第に笑い声を上げ始めた彼女に安堵した。 この竜神温泉旅館に来てからというもの、礼子は不機嫌に思えるほど無表情で、ちっとも笑っていなかった。 年相応の快活な表情で笑う礼子に、北斗も表情を緩ませた。先程述べていなかった、好きな部分があった。 「うむ、そうだ」 「え?」 笑いを堪えながら目元を拭った礼子に、北斗はにっと笑ってみせた。 「礼子君は、笑うと非常に可愛らしいのだ。自分はそれが一番好きだ」 「ベタな少女漫画の二番手ぐらいの男キャラが言う口説き文句みたいなこと言わないでよ」 すぐに笑いを消した礼子に、北斗はむっとする。 「いいではないか、自分はそう思ったのだから!」 「ま、嬉しいっちゃ嬉しいけどね。そういうこと言われるの」 礼子は、はにかんだ。珍しく女の子らしい顔になった礼子に北斗は見入っていたが、満足げに頷いた。 「ならば、一晩掛けて褒め殺してやろうではないか!」 「だから、それが余計なの。そういうぶっ飛んだところがあるから、イマイチ好きになれないんだって」 途端にげんなりして、礼子は眉を下げた。北斗は身を屈め、礼子と目線を合わせる。 「では、自分がそうでなかったらどうなのだ?」 「んー…」 小さく唸りながら、礼子は横目に北斗を見た。ヘルメットを被って迷彩柄の戦闘服を着た、いかついロボットだ。 ダークブルーのゴーグル状の目には、自分が映っている。表情は至極真面目になっていて、精悍さすらあった。 こういう顔をしていれば、悪くない。戦闘時や訓練時の引き締まった顔付きは好きなのだが、それ以外がダメだ。 礼子の元へ駆け寄ってくる時などはかなり緩んでいるし、子供のように浮かれた表情や態度は、あまり頂けない。 だが、それがなくなったらどうだろう。一直線にこちらを見てくれている、生真面目で、心身共に強い青年だ。 本当に、それだけだったなら、礼子も多少なりとも考えないわけではない。男は、年上で大柄な方が好きだ。 「それさえなかったら、まぁ、悪くないんだけどさぁ。あんたの場合、すぐに突っ走るからさぁ…」 「考慮しよう」 北斗は、礼子の言葉をごく真面目に受け取った。礼子は、余っていたコーヒーを飲み干した。 「ま、頑張ってね」 うむ、という北斗の決意表明を聞き流し、礼子は空になった空き缶を下ろした。まだ、褒め殺しの余韻がある。 あまりその気がなくても、あそこまで徹底的に褒められてしまうと、多少なりともその気になってしまいそうだ。 やばいやばい、と思いながらも、礼子は北斗を見上げた。北斗はいかにして自制するか、考え込んでいる。 本当に自制してくれたなら、どれだけ良くなることだろう。礼子はそれを想像しそうになったが、払拭した。 あまり考えると、うっかり好きになってしまいそうだった。 翌朝。彼らは、変な女将によって見送られていた。 桜色の着物を着たままのギルディオスは、とてつもなく嫌そうな態度で、マイクロバスに乗る彼らに手を振った。 着物に不似合いなガントレットが袖から出され、やる気なく左右に振られていたが、盛大なため息が吐かれた。 その隣で、グレイスが終始上機嫌でいた。またお越し下さいねー、とやたらと元気良く手を振り回している。 マイクロバスに乗りかけたフィリオラは、足を止めた。今にも自殺しそうな雰囲気のギルディオスに、不安になる。 「…小父様、大丈夫なんでしょうか」 「何、心配するな。ニワトリ頭は寸でのところでいつも逃げ出しているのだ、今回も大丈夫だろう」 出入り口付近の座席に座っていたフィフィリアンヌは、身を乗り出した。フィリオラは、眉を下げる。 「ですけど、ここは異世界ですし、この場所はグレイスさんの造ったものですし…」 「大丈夫ですよ、フィリオラさん。ギルディオスさんなんですから」 根拠なく、カインはにこにこと笑っている。フィリオラは、どことなく自分に似た顔立ちの青年を見上げる。 「だと、いいんですけど」 「なんでもいいからさっさと乗れ、フィリオラ。早いところ旧王都に戻らないと、事件捜査が一向に進まん」 後方の座席に座っているレオナルドは、フィリオラを手招いた。フィリオラは荷物を抱え、段を上って乗車する。 「そうですね、レオさん。私も、魔導師のお仕事がいくつかありますし」 「それで、北斗さんはどうしたんです、あれ?」 インパルサーは不思議そうに、最後尾の座席でぐったりしている北斗を指した。その手前の席で、礼子が言う。 「ああ、あれ。バッテリー切れだそうですよ。で、今はスタンバイモードだそうで」 礼子は、大股を開いて眠りこけているような北斗を見やった。インパルサーは、礼子にマスクフェイスを向ける。 「戦闘でもしたんですか?」 「いえ。なんか、色々と自制してたら疲れ果てちゃったみたいで」 「エモーショナルリミッターを長時間作動させていると、割とエネルギーを喰ってしまいますからね」 インパルサーは納得したように頷いて、由佳の隣に戻った。フィリオラが乗り込んだので、自動ドアが閉まった。 礼子は運転席の方を見てみたが、誰も座っていない。ああ、昨日と同じか、と思っていると理性的な声がした。 天井に付いているスピーカーから、機械的だが人間らしさもある男の声、トゥエルブの声が車内に響いた。 「それでは、お乗りの皆様。そろそろ、発車させて頂こうかな。運転は昨日と同様、車載型人工知能○一二型、愛称トゥエルブが行わせて頂く。異空間転移魔法で空間を飛び越える際には少々の揺れが起きるかもしれないが、それ以外は、極めて安全な運転を心掛けて、あなた方を無事に元の世界へと送り届けるとしよう」 「あ、その前に」 インパルサーは運転席に手を翳してから、窓を開けた。見送りの二人に、深々と頭を下げる。 「二日間、どうもありがとうございました」 「なぁーに気にするな、それもこれも愛しのギルディオス・ヴァトラスと水入らずでいちゃつくためだ」 にやにやと笑ったグレイスは、ギルディオスに寄り添った。ギルディオスは、すぐさま飛び退く。 「あっ、この野郎、やっぱりそれが目当てだったか! 待てトゥエルブ、まだ出るな、オレも乗せていけ!」 「申し訳ないが、そのコマンドは聞き入れられない」 トゥエルブが平坦に返すと、ギルディオスは竜神温泉旅館と書かれたマイクロバスに声を荒げる。 「どういうこったぁ!」 「私の稼働規約に項目が追加されている。その中の一つに、ギルディオス・ヴァトラスの命を受けるな、とある」 「そういうことぉ」 グレイスは、呆然としているギルディオスの太い腕に、腕を絡める。 「大丈夫大丈夫、安心しなってぇー。オレが、ちゃあーんと連れて帰ってやるからよぉ。愛し合った後に」 「誰もてめぇなんざ愛してねぇー!」 うらぁ、とギルディオスはグレイスの腕を振り解くと、背中に載せていた鞘からバスタードソードを素早く抜いた。 その直後、マイクロバスは発車した。ギルディオスが慌てて手を伸ばすが、あっという間に走り去っていった。 礼子は、マイクロバスの中から二人の攻防を見ていたが、すぐに見えなくなった。叫び声も、聞こえなくなった。 ギルディオスの行く末が心配であったが、気にしてもどうにもならないと思い、前に向いて座席に腰を沈めた。 後ろでは、北斗が熟睡している。正確にはスタンバイモードだが、傍目に見れば眠っているようにしか見えない。 礼子は、昨夜の北斗とのやり取りを思い出した。無意識に頬が緩んでしまいそうになり、慌てて表情を固めた。 まだ、そういう段階じゃない。もうちょっとそれらしい過程を経てからでないと、その気になってはいけない。 また次に、北斗と会う時には態度を緩めていって、それから徐々に徐々に変えていかないと不自然で仕方ない。 それに、いきなりコロッと態度を変えたら、南斗にツンデレ認定されてしまう。あの男なら、言いかねない。 礼子は荷物の中から携帯電話を取り出すと、フリップを開いた。画面の左上には、昨夜撮ったプリクラがある。 由佳ら三人と一緒に撮ったものに映っている自分は、困ったような顔をしているが、決して写りは悪くない。 アドレス帳を開いて、下に送っていく。北斗、を選択して決定ボタンを押し、そのメールアドレスを出す。 親指で手早くボタンを連打して、短い文面を作る。そのメールを送信してから、礼子は一人で照れてしまった。 何やってんだ私は、口で言えばいいじゃん、と思ったが、口では決して言えそうにないからメールにしたのだ。 礼子は携帯電話を閉じてスカートのポケットに押し込むと、起きる気配のない北斗を横目に見、口の中で言った。 馬鹿ロボット、と。 二日後。基地に帰還した北斗は、私用の携帯電話に来た礼子からのメールを見て大いに浮かれた。 あまりにも激しく浮かれ回っていたので、南斗に蹴られて神田に怒られたが、それでもはしゃぎ続けていた。 礼子からのメールはごく短い文でしかなかったが、北斗にとってはかなり嬉しいもので、何度も何度も見ていた。 友達からなら始めてもいいよ。 ただそれだけの、礼子らしい愛想のないものだった。その後、北斗は恐ろしく長い電話をして、礼子に怒られた。 その電話の向こうで、礼子がひたすらに照れを押し殺して無表情を作っていることを、北斗はまだ知らない。 二人が戦友からその先に至るのは、また別のお話。 06 3/11 |