Metallic Guy




第十七話 忍者の、試練



昇降口のガラスに貼り付けられたロボット兄弟四人の写真と、その裏に書かれた怪文書。
あの事件から今までは何も起こっていないけど、それでも、そこから生まれた波紋は確実に広がっていた。
元からあった、彼らを受け入れる空気と受け入れない空気が明確になったのだ。
教室の中だけじゃなく、学校全体がそんな感じだ。といっても、嫌う、とかじゃない。
ヒューマニックマシンソルジャー達に、近付かない人は絶対近付かなくなった。
でも近付く人は近付いてきて、ちゃんと彼らを生徒として認めている。ただ、それだけの違いだ。
あたしはこの状態なら悪くないような気もしていたけど、この微妙なバランスがいつまで持つか、心配だった。

崩れたら、どうなるか。

それが、あたしが今一番心配な事だ。




新聞部の部室は、文化部と言うこともあって二階にある。
そこから見下ろせるグラウンドでは、サッカー部が練習を繰り返している。
部員達の掛け声を聞きながら、あたしは机の上に置かれた写真を取り、ぴんと弾く。
軽く歪んで跳ね飛んだ写真は空中を滑り、手前の箱に落ちる。するり、と他の写真の上に乗った。
その箱の傍で頬杖を付く鈴音も同じように写真を手にしていたが、ぎゅっと口元を締め、あらぬ方向を見ていた。
先日の張り紙は、まだまだあたし達の中では尾を引いている。忘れようにも忘れられない。
そのせいなのか、あたしの手元の原稿用紙は真っ白いままで、校内誌の記事はさっぱり書き進んでいなかった。


「どうでもいいんだが」

新聞部の部長が、変な顔をした。
銀縁のメガネを直してから、片手に持ったシャーペンであたし達の後ろを指す。

「なんでここにいるんだ?」


あたしが振り返ると、きっちりと正座していたインパルサーが顔を上げた。膝の上に、本を広げている。
その隣で胡座を掻いて座っているリボルバーは右の弾倉を外していて、中を覗いている。磨いていたらしい。
彼は全体的に黒ずんでいる薄っぺらい布を口元に挟んでいたが、それを外して握り、ぐるぐる振り回した。

「愚問だな、兄ちゃん。このオレが、スズ姉さんから離れるわけにはいかねぇんだよ」

「えと、僕は連れてこられました。早く帰ろうと思っていたのですが」

純文学らしき分厚い背表紙の本にしおりの糸を挟んでから、インパルサーはリボルバーを指した。
近頃、前にも増してパルは良く本を読んでいる。あたしも本は好きだけど、それにしたって量が凄い。
今彼が手にしている本は、今日借りたばかりのものだ。それも二冊目。めちゃめちゃハイペースだ。

「目に入るだけで鬱陶しい色合いなんだけどなぁ。赤い方は」

やりづらそうに、部長はリボルバーから目を外した。見ると、その手元の原稿用紙もあまり進んではいない。
リボルバーは機械油の染み込んだ布を背中に回し、押し込んだ。整備は終わったようだ。
また手前に差し出された手には、もう布はなかった。どうやら、装甲の中に入れたらしい。
がしょん、と巨大な弾倉を元に戻す。それをぐるんと一回転させてから、リボルバーは部長を見上げる。

「まぁそう言うな。ド派手な方が、敵も味方も士気が高まって面白ぇことになるんだからよ」

「敵なぁ…」

椅子に寄り掛かり、部長は足を組む。部長がよくやるポーズだ。

「そういえば、あれから何もないけど、あの脅迫文ってなんだったんだろうなぁ。知らないか?」

「知っていると言えば知っているかも知れませんけど」

そうインパルサーが言うと、部長は興味深げに彼を見下ろす。
パルはあらぬ方向を見上げていたが、少し首をかしげる。

「ああいったものの真意は、書かれた方に聞かないと解りません」

「それじゃあ、知らないってことか?」

「はい」

こくんとパルは頷く。

「下手に不確実な情報を話してしまうと、混乱しか呼びませんから」


「そういうことですわ」

窓枠に寄り掛かっていたマリーが頷いた。いつのまに。
ふわりと広がったクリーム色のカーテンの手前で、髪を揺らがせながらこちらへ振り向く。

「ごきげんよう。お邪魔いたしますわ」

「ここ…二階なんだが」

「細かいことはお気になさらずに」

優しく微笑みながら、マリーは困惑している部長を見据える。その笑顔に押し切られた形で、部長は頷いた。
あたしは、窓の外を見てみた。ベランダはあるけど足音はしていなかったし、下は中庭だ。
中庭から来たのか、もしかして。だけど中庭に並んでいる木はどれも細くて、とても登れるようには見えない。
本当にどこから来たんだ、マリーさん。凄く気になってきた。

「ベランダ伝いに決まっていますわよ」

あたしが聞くより早くに答え、マリーはあたし達の後ろを歩いていく。先手を打たれてしまった。
少し後ろ側の机から椅子を引くと、すとんとそこに座った。まるで遠慮がない。
マリーは通学カバンから本を取り出すと、めくり始めた。パルと同じことをしている。
青っぽい宇宙空間が表紙の、アメリカ辺りの科学雑誌のようだった。図書室のゴム印が、裏表紙に押してあった。
あたしは彼女から目を外し、真っ白な原稿用紙を見下ろした。今はこっちが優先。
記事にするのは、先日行われた陸上競技大会のことだ。我が校は、そこそこにいい成績を残している。
一応上位に納まったので、今度の地区大会にも出ることになったようだ。取材に付いていかないとなぁ。
陸上なので、当然神田も映っている。その後ろには、園田先輩も。
相も変わらず爽やかな園田先輩を見つつ、あたしはなんとなく懐かしい気分になっていた。
そういえば、あんな時期もあったなぁ。今から考えると、自分の事ながら妙に微笑ましい。
すると、いつのまにかあたしの手元を覗き込んでいた鈴音が、にやりとしていた。

「あの頃の由佳は、可愛かったわねぇ」

何を考えていたのか、鈴音にはあっさり見透かされている。なんてことだ。
あたしは言い返せずにいると、インパルサーがこちらを見上げていた。

「由佳さんはいつでも可愛らしいと思いますが」

「姉さんも、寝起き以外はうっつくしいぞ」

顎に手を添えたリボルバーは、にんまりと笑う。そんなに凄いのか、寝起きの鈴ちゃん。
鈴音は、すぐさま嫌そうな顔をした。言われたくなかったらしい。

「目が覚めるまで時間が掛かるのよ」


部室の壁越しに、廊下を歩く足音が聞こえた。重たいから、きっと弟二人のどちらかだろう。
磨りガラスの填ったドアの前に止まると、おもむろにがらりと開けた。細身のシルエットが、見える。
長身のせいで入りづらいのか、一度屈んでから体を中に突っ込み、入ってきた。ロボット達には、校舎は狭い。
怖い顔をして両手を固く握りしめたイレイザーは、赤いゴーグルをじっと部室の中に向けた。
なんとなくイレイザーを見上げると、なぜかあたしと目が合った。またすぐに逸らすのだろう。

が、逸らさない。

イレイザーは目を逸らすまいとするうちに気合いが入るのか、歯を食いしばって足を広げている。
きっちり十五秒経った直後、凄い勢いで顔を逸らした。あんた、何がしたいのさ。
すぐさま彼は出て行こうと背を向けたがその直後、ひゅん、とあたしのすぐ脇を何かが通り抜けた。
空気を切りながら飛んだ赤い部品が、一直線にイレイザーの後頭部へ向かう。かこん、といい音を立てて命中した。
ぎりぎりと振り向いたイレイザーは、途端に扉の前にへたり込んだ。あんた、本当に何しに来たんだよ。
インパルサーは首をかしげながら、妙な動きをする弟に尋ねた。

「何してるんですか?」

「訓練でござる」

力ない声で呟き、イレイザーはドアを掴んで立ち上がった。情けないぞ、四男。
足元に落ちていた赤い部品を手に取り、ゆっくり歩いて近付いてきた。今度は、誰からも目を逸らしている。
リボルバーの手前に来ると、それを待ち構えていた兄の手の中へ落とす。

「さゆりどのの命令でな。近頃の目標は、出来る限り他人から目を逸らさないように、とのことでござる」

「そいつを実行してる、っつーわけか」

リボルバーは肩の弾倉を出し、その中に赤い部品を突っ込んだ。変なところに入れている。
兄達の前にぺたんと座り込んだ四男を、インパルサーはどこか嬉しそうに見た。

「偉いですよ、シャドウイレイザー。頑張って人見知り、直して下さいね」

「ネコノスケどのはもう平気でござるから、由佳どので試してみたのだが…さすがに、まだダメでござったか」

「ネコノスケって、なんですか?」

「さゆりどのが飼われている、真っ黒いネコでござる」

はぁ、と深くため息を吐いたイレイザーは、胡座を掻いて腕も組んでから呟く。

「やはり由佳どのは女性でござるからな…。もう少し、葵どので試した後の方が良かったかもしれぬな…」

「でも、パープルシャドウはマリーさんは平気じゃなかったっけ?」

と、鈴音が訝しげに言うと、イレイザーは顔を上げて曖昧な表情を浮かべた。言われてみれば、確かに。
マリーは科学雑誌から目を外し、ちらりとイレイザーを見下ろす。彼はマリーを横目に、苦笑する。

「マリーどのを女性だと思ったことは、ただの一度もござらんよ」



一瞬、何が起きたのか解らなかった。


素早く机を蹴って高くジャンプしたマリーは白い足を長く伸ばし、真上からイレイザーの首を掴む。
イレイザーを掴んだままバック転して、両手を床に付けたかと思うと、直後に強く蹴り飛ばす。
蹴りと同時に、大きく広がった紺のプリーツスカートの下から、純白のレースに飾られたパンツが露わになる。
天井まで投げ飛ばされた紫の影はすぐに姿勢を正し、たとん、と軽く着地する。片膝を曲げ、床に付けた。
くるっと一回転して机の上に落ちたマリーは、大きくめくれてしまったスカートを押さえてから、すらりと立つ。
イレイザーは背中に伸びている棒状の物を掴んでいたが、ゆっくりと手を外す。

「そうやってすぐ力を用いるから、拙者にはそなたが女性だとは思えぬのでござる」

「思われなくても結構ですわ」

つんと澄ましてマリーは言い返し、机の上から降りて椅子に座った。あたしには、それでいいとは思えないけど。
腰を落として構えていたイレイザーは、やっと姿勢を元に戻した。安心したように、肩を落とす。
部長は格闘戦を終えた二人を眺めていたが、不思議そうに呟いた。

「強い、というか…無茶苦茶だなぁ」

「はい?」

きょとんとしたマリーが顔を上げると、部長は続ける。

「確かに自分より大きい相手を投げる格闘術は多いけど、わざわざ上に投げるなんて、普通は無理だ」

難解そうに目を伏せながら、部長は声を落とす。

「人間業じゃない。あんな不安定な姿勢で、倍以上の体格の相手を投げられるわけがないんだ。しかも足で」

そりゃあそうだろう、人間じゃないんだから。と、あたしは部長に言いたかった。
マリーは見た目は普通の人間みたいだけど、中身はサイボーグで軍人だ。だから、出来るだけだ。
冷静で的確な部長の突っ込みに、鈴音はちょっと困ったようにしていた。うん、あたしも困る。
部長はもう一度マリーとイレイザーを見比べてから、今度はリボルバーとインパルサーにメガネを向ける。

「ロボットだから、ってだけでついなんとなく納得してたけど、考えてみたらあんたらも充分無茶苦茶だ」

中指でメガネの位置を直してから、足を組む。

「推進装置はあるようだけど、あれだけじゃ空中に出られるとは思えない」

「気になりますか?」

と、インパルサーが尋ねると、部長は頷く。

「ああ。ジェットエンジン的な推進で浮かんでいるなら、真下が常に熱されるはずだけど、それもないようだし」


相当に気になるのか、部長はずっと三体のロボットを睨んでいた。そんなに興味を持っていたのか。
ここまで深く詮索する相手は今までいなかったためか、マリーは物珍しそうにしている。結構余裕だ。
だけどあたしは気が気ではなく、鈴音を見たが、鈴音はあらぬ方向を見ていた。関わらないつもりらしい。
妙に緊張した空気は、チャイムによって打ち破られた。下校時刻が近くなってきたようだ。

「仕方ないや」

右手に巻いている腕時計を見、部長は立ち上がった。あたしは、ちょっと安心した。
荷物をまとめながら、部長はあたし達を見回す。やけに残念そうに、息を吐く。

「本当なら答えて欲しかったけど、今日はこれ以上長居は出来ないな。それじゃあ、先に」

「あ、はい」

あたしが頷くと、それじゃ、と部長は出て行ってしまった。確かこの人は、塾に行っていたっけ。
部長の足音が廊下を遠ざかっていくにつれて、妙に緊迫した空気が和らいでくる。あたしも安心してきた。
安心したようにインパルサーは肩を落とし、気の抜けた声を出した。

「…びっくりしました」

「あたしもね」

まさか、部長があそこまで突っ込むとは。あたしも意外だ。
マリーは片手を頬に当てながら、動きを固めているロボット三人へ呟く。

「ああいうタイプが一番手強い、と思いませんこと?」

「ちぃとな」

ぎしりと関節を鳴らしながら、リボルバーは背筋を伸ばす。長い影が部室に伸びる。
立ち上がりながら自分の通学カバンを掴むと、カバンを持っていない方の手でがしがしと後頭部を掻いた。

「あの兄ちゃん、なかなかいい抉り方するじゃねぇか」

「次に会ったらもっと突っ込まれちゃいそうですね、僕ら」

と、インパルサーがリボルバーを見上げると、彼は唸った。

「こういう状況の中じゃ、出来る限り会いたくねぇ相手だな」


「いっちゃんは帰らないの? あんたら兄弟って、全員帰宅部でしょ?」

ふと、あたしは何やらまた様子のおかしいイレイザーに気付いた。通学カバンを、強く抱き締めている。
真剣な横顔のまま、彼はぎゅっとカバンを握り締めた。中身が壊れちゃうぞ。
インパルサーに比べて丸みのある肩装甲をいからせながら、イレイザーは声を上げる。

「存じてはおらぬか!」

「は?」

あたしが思わず聞き返すと、イレイザーはまたがばっと振り向いた。が、目を逸らす。
小さく肩を震わせながら、どん、と踏み込んで間合いを詰めて顔を上げる。
ゴーグル越しでも充分に解るくらい真剣な眼差しを、いっちゃんはあたしに向けていた。

「メロンパンと言う名の食物を大量に売りさばく、移動販売ワゴンの居所を!」

イレイザーの荒い息が、やけに部室に響いていた。この場合、排気音か。
またすぐに目を逸らしてから、さっきよりも強く通学カバンを握り締める。教科書が歪みそうだ。
あたしが思わずインパルサーと顔を見合わせていると、鈴音がイレイザーに尋ねた。

「あんたは食べないだろうから、コマンダーの子に頼まれたの? 確か、葵ちゃんの妹だっけ」

「いかにも、鈴音どの」

イレイザーは頷いたが、鈴音は正視しなかった。あたしと鈴ちゃんじゃ、差でもあるのか。
するとリボルバーの銃身が伸ばされ、ぐいっと無理矢理に鈴音の方を向かされる。大変そうだ。
その状態のまま、イレイザーはやりづらそうに続ける。

「さゆりどのがご所望なのでござるが…拙者には、メロンパンがいかなるものかまるで解らぬのでござる」

「教えてもらわなかったんですか?」

本を収めた通学カバンを抱えて立ち上がったインパルサーが、イレイザーに尋ねる。
イレイザーは鈴音の方を向かされたまま、返す。

「それもまた試練だ、とさゆりどのが命令したのでござる。しかも、兄者方には頼るな、と…」

「結構厳しいわねー、その子」

通学カバンに写真やら原稿用紙やら入れた鈴音は、多少中を整理してから、ファスナーを閉めた。
それを肩に乗せると、ちらりと左手首の細い腕時計を見た。ブランドは解らないけど、値の張りそうなものだ。
彼女はあたしへ振り向き、申し訳なさそうに笑う。鈴ちゃんも用事があったらしい。

「じゃ、私は帰るわ。もうちょっとしたら、家庭教師が来ちゃうのよ。待たせるわけに行かないから」

「うん。ばいばい、鈴ちゃん」

「じゃね、由佳」

と、軽く手を振り、鈴音は出て行った。お嬢様も大変だなぁ。
その後にリボルバーは続いて廊下に出ようとしたが、狭い扉に引っかかっている。肩の弾倉がでかすぎるのだ。
しばらくしてやっと脱出すると、がっしゃんがっしゃん足音を立てながら鈴音を追っていった。騒がしい。
マリーは科学雑誌を抱えて、軽くあたし達に頭を下げる。

「それでは、ごきげんよう。今日は葵さんと手合わせいたしますので、早く戻らなければなりませんの」

あたしが止める前に、さっさとマリーも出て行った。とん、と扉が閉められ、廊下を軽い足音が通る。
ということは、もしかしなくても。
背後のインパルサーを見上げると、彼は仕方なさそうに首を振る。あたしも早く帰りたかったのに。
急にしんとしてしまった部室に、イレイザーの申し訳なさそうな声が響く。

「拙者の任務にご同行願えぬか、由佳どの。おぬししか、頼れぬのでござる」

見上げると、イレイザーはかなり参ったような顔をしていた。本当にメロンパンが解らないんだろう。
あたしは迷っていたが、この顔を見て、少しイレイザーが哀れに思えた。人見知りするのにお使い、なんて。
後方のインパルサーを見ると、彼はあたしが言う前に頷いた。
困り果てているシスコン忍者を見上げ、あたしは言う。こうなったら、仕方ない。

「いいよ。でも、さっさと終わらせて帰るからね」

ほんの少し表情を緩めたイレイザーは、深々と頭を下げた。これはこれで丁寧だ。

「感謝いたす」

「それじゃ、行きましょうか」

あたしと自分の通学カバンを持ったインパルサーが、片手で外を指す。
イレイザーは顔を上げ、困ったように腕を組む。

「だがさゆりどのは、兄者方の手は借りるなと」

「いくら弟とはいえ、あなたに由佳さんを連れて空を飛んで欲しくないんです」

むくれているような声を出し、インパルサーは弟を見据える。そんな理由だったのか。
ぎゅっと通学カバンを掴み、大股に歩いてイレイザーの隣を通っていく。勝手に妬いている。
がらっと扉を開けたインパルサーは振り返り、やけに強い口調になる。

「さっさと行きますよ!」

「待たれよ兄者!」

自分の通学カバンを抱き締めたまま、イレイザーはインパルサーを追っていく。
一人部室に取り残されてしまったあたしは、本当は行く気など起きてはいなかった。だけど、仕方ない。
これもさゆりちゃんのためであり、イレイザーのためでもあるのだ。そう思うしかない。
だけど、秋の空を飛ぶのは寒そうだ。冬服のブレザーとベストを着込んではいるけど、ちょっと心配だ。
また、風邪を引いたりしなきゃ良いけど。




秋の空は、やっぱり寒かった。
あたしはインパルサーにお姫様抱っこで抱えられながら、市街地の上を飛んでいた。ぶっちゃけ寒い。
見た目ではそうでもないのだけど、いざ風に当たると冷たくて仕方ない。夏じゃないから。
二つの通学カバンを腕に提げたインパルサーは、あたしの肩をいつになくしっかり押さえている。
あたし達の右側を、背中の棒に通学カバンを引っかけたイレイザーが、前傾姿勢で飛んでいた。
インパルサーみたいに翼がないせいもあるけれど、忍者だから空を飛ぶのはあまり似合っていない。
あたしはふと、スカートを見下ろした。妙に風通しが良いと思ったら、下が全開だ。
これはやばい。マジでやばい。

「パル、ちょっと待って」

あたしはいても立ってもいられなくなり、パルを制止した。彼は少し速度を緩め、止まる。
途端に風は弱くなり、冷たさも半減した。飛んでなきゃ、寒くないようだ。
彼の首辺りに置いていた手を外して、あたしは自分のスカートを指す。弱い風に、裾がひらひらしている。

「手、スカートの下に置いてくれない? このままじゃ全開で」

「ですが、由佳さん。そこは…その」

そこまで言って、インパルサーはふいっと顔を逸らした。ゴーグルに西日が映り込む。
次第にゴーグルの色は西日に負けないくらい強いオレンジになり、徐々に高度が下がってきた。
あたしはぐいっとその顔をこちらに向けさせてから、声を上げる。背に腹は代えられないんだ。

「いちいち意識しない! あたしも意識しないから!」

「ですが…その」

「とにかく、スカート押さえて。このままじゃ真下に大解放で、恥ずかしいから」

「了解しました」

相当照れているのか、インパルサーは小さく返す。膝の裏に置かれていた手が、一瞬外れた。
あたしの下半身が落ちてしまう前に、彼の手があたしのスカートを押さえた。その位置は、太股の裏になる。
ぎりぎり尻には触らない位置だけど、それじゃ安定しなさそうだ。そう言おうと思ったけど、やめた。
真正面をぐいっと見上げているパルのゴーグルの色は、オレンジを通り越して、赤くなっていたからだ。
これ以上何か言ったら落ちる。墜落はないにせよ、絶対落ちる。それだけは回避しなければならない。
またゆっくり高度を上げたインパルサーは、さっきより格段に遅いスピードで飛行を再開した。
イレイザーはどこか妙な顔をしてあたし達を眺めていたが、兄に続く。
あたしはずり落ちそうな尻を気にしつつ、ゴーグルの色をオレンジに戻しつつあるパルを見上げた。
それくらい、なんだっての。最初に来た日には、あたしが着替えていても平然としていたくせに。
今更意識することなんて、ないじゃないか。




しばらく飛んで向かった先は、駅前の商店街だった。
いきなり街中へ降りると、さすがに目立ってしまうので、徐々に高度を下げて路地裏に回っていった。
少し引っ込んだ位置に降りて、ゆっくりとインパルサーは体を地面に近付けていく。
その手前に、たん、と膝を付いてイレイザーが着地する。カッコ付けている。
数十センチまで地面が近付いたので、太股の裏に当てられていた手を外されたが、ちょっとずり落ち掛けた。
インパルサーを掴んで姿勢を整えてから、手を放して着地する。そして、最後にパルが着地した。
路地裏から見る商店街はいつもと違って見えて、不思議な感じだ。明るく照らされた道を、人々が行き交う。
夕飯の買い物時なのか、子供や主婦が多く、それに混じって買い食いする制服姿の学生もいた。

「あうっ」

インパルサーが妙な声を上げたので振り返ると、その背後にイレイザーがしがみついていた。
彼の翼を握り潰さんばかりに掴んで、肩を震わせている。人見知りをするなら、こういうところは苦手だろう。
くるっと背を回してイレイザーをこちらに向けてから、パルは首を回して弟を見下ろした。

「ダメじゃないですか。最初からこんなんじゃ」

「あにじゃぁ…」

半泣きなのか、すっかり弱った声を出した。情けなさ過ぎる。
あたしは呆れつつ、二人から目を外して商店街を見回した。狭い路地裏からだと、よく見えない。
これではメロンパンのワゴンがあるのかないのか、さっぱりだ。一度出なければ。
あたしが路地裏から出ようとすると、インパルサーが声を掛けてきた。

「ちょっと待って下さい、由佳さん」

「見てこようと思って」

と、あたしは商店街を指す。インパルサーは首を横に振り、翼から弟を引き剥がした。
背中を押されて数歩前に進んだイレイザーは、表情を引きつらせて兄を見上げる。
パルはイレイザーの肩装甲をぐいっと押しながら、商店街を指す。行け、ということだ。

「偵察任務が一番得意なのは、シャドウイレイザーです。こういう時に出ないでどうするんですか」

「殺生でござるな、青の兄者…」

げんなりと肩を落としたイレイザーの背を、インパルサーはもう一度押した。

「あなたの任務なんですからね。僕と由佳さんは、単なる後方支援要員です」


それでもまだ、イレイザーは出ようとしない。
二人が押し問答を続けていると、商店街を歩いていた子供がこちらに気付き、立ち止まった。
途端にイレイザーはぎょっとしてのけぞり、すぐさまパルの背に回ろうとしたが、彼はその前に逃げる。
路地裏の壁を蹴ってイレイザーの後ろに着地したインパルサーを指し、子供は嬉しそうな声を上げた。

「ロボットの兄弟だ!」

「僕達を知っているんですか?」

イレイザーの後ろから顔を出したインパルサーが、不思議そうに尋ねる。
お使いの途中なのか、小学校低学年くらいの少年は買い物袋を握り締めていた。うん、と頷く。
少年は目を輝かせながら二人のヒューマニックマシンソルジャーを見上げ、声を上げる。

「知ってるさぁ、五年生のロボットの兄さん達だろ? 正座で叱られてたの、覚えてる!」

その言葉に、商店街を歩いていた人達が反応した。叱られてた、の辺りで。
多少なりとも運動会の出来事は話題になっていたのか、視線がどんどん集まってくる。やりづらい。
あたしは身を引いて、インパルサーの影に隠れた。いっちゃんの気持ち、ちょっと解るかも。
イレイザーはすっかり動転してしまい、後退してきた。更に後退しようと足を下げた、その瞬間。


「クラッシュドロップ!」


聞き覚えのある高い声と共に、小さな影が人々の向こうから現れた。
ジャンプして人垣を軽々越えると、背中の大きなブースターを上向け、加速しながら飛び込んでくる。
かかとにある太めのヒールを、真っ直ぐにイレイザーの頭部に向かわせた。
逃げ損なったイレイザーはそのまま蹴られて勢い良くずり下がったが、インパルサーに受け止められた。
あたしはその衝撃を受けつつ、彼の後ろから前を覗く。声の主は、とん、と軽く着地した。

「の、力抜いたやつー。本気でやったら、おねーさんまで吹っ飛んじゃうんだもーん」

母さんの物らしき赤いトートバッグを肩に提げたクラッシャーが、にんまりしていた。
クー子はあたしとインパルサーを見つけると、ひょいっと片手を挙げる。

「インパルサー兄さん、おねーさんと放課後デート?」

「違いますよ!」

即座に否定したインパルサーは、すっかり気の抜けたイレイザーを放る。がしゃん、と傍らに転がった。
あたしは倒れ伏したまま動かない四男を見ていたが、格好からしてお使いに来たであろうクー子へ顔を向けた。
何か買ってきた後なのか、トートバッグはぽっこり膨らんでいる。こっちはちゃんとお使いしている。
クラッシャーは腰に手を当てて小さな胸を張り、あたしを見上げる。嬉しそうな笑顔だ。

「おかーさんに頼まれたの。今夜はシチューになるんだってさー、白い方!」

「そっかー。ご苦労さん」

「簡単な任務だもん」

と、クラッシャーは笑う。インパルサーは、足元で動かないイレイザーを見下ろした。

「だ、そうですよ」

「イレイザー兄さんもお使いなの?」

しゃがみ込み、クラッシャーは尋ねる。なんとか顔を上げたイレイザーは、僅かに頷いた。
ぎりぎりと腕に力を込めて起き上がって妹を横目に見、少しだけ表情を綻ばせたが、俯いてしまう。
不思議そうにその様子を眺めていたが、クー子は立ち上がり、首をかしげてあたしを見上げた。

「どしたの、この状態? ヘタレの極みみたいなー」

「いっちゃん、さゆりちゃんからお使い頼まれたんだってさ。で、あたしとパルはその支援」

屈んでクラッシャーと視線を合わせ、あたしは返す。ふーん、とクー子は面白そうな顔をした。
インパルサーは起き上がらない弟を見下ろしつつ、ため息を吐く。

「早く立って下さい、シャドウイレイザー。あまり時間を喰うと、帰りが遅くなってしまいますよ」

イレイザーは、微動だにしない。かなり、人に囲まれたことが堪えているようだ。
困ったようにパルは頬を掻きつつ、クラッシャーへ顔を向ける。クー子は、にやりとして頷く。
クー子はイレイザーの近くにしゃがむと、顔を寄せた。何をするつもりだろうか。
目一杯愛嬌を込めた声で、クラッシャーは四男へ呟いた。

「起きてよぉ、お兄ちゃあん」

すると、イレイザーはすぐさま起き上がった。心なしか、表情が緩い。
がばっと後方へ飛んで着地し、すっと背筋を伸ばして立つ。そして、クラッシャーを見下ろした。
クー子は実に反応のいい兄が可笑しいのか、けらけら笑い出していた。パルもマスクを押さえ、笑っている。
いきなり笑われていることが理解出来なかったのか、イレイザーは首をかしげた。

「兄者、ヘビークラッシャー。その…何が、可笑しいのでござるか?」

「何ってそりゃあ」

あたしは困り果てたように兄弟を見比べるイレイザーの背に、呟いた。

「あんたのシスコンが強烈すぎるからでしょ」

「そうでもないと思うでござるが…」

本気でそう思っているのか、イレイザーは腕を組んで首を捻る。
いや、そうでもあるから笑われてるんだってば。あたしはそう突っ込みたかったけど、やる気が失せていた。
イレイザーは、自覚のないシスコンなのか、もしかして。だとしたら、タチが悪くて当たり前なのかも。
ひとしきり笑って満足したのか、クラッシャーは目元を擦ってから兄二人を見上げた。

「お使いって、さっちゃんの好きなメロンパンだったりする? ワゴンのあれー」

「よく解りますね」

そうインパルサーが返すと、クラッシャーはちょっと残念そうな顔をした。
片手を伸ばして商店街の奥を指しながら、続ける。

「だけど今日はここにはいないよー。無駄足だったねー」

「マジ?」

あたしは思わず、クラッシャーを見下ろす。もうちょっと付き合わなきゃならない、てことか。
クー子は多少あたしに同情しているのか、苦笑しながら頷いた。

「マジ」


安心したような困ったような複雑な表情をし、イレイザーはあたしに振り向いた。
すぐに目を逸らしてしまったが、なんとかこっちを見ようとしている。しばらくして、やっと正視した。
赤いゴーグルは薄暗い中ではパルのゴーグルより目立ち、彼のラベンダー色の装甲を照らしていた。
ぎしりと強く拳を握ったイレイザーは、しゃがむと同時に、どかんと拳をアスファルトに当てる。

「…申し訳ござらぬが、由佳どの」


あたしは頷くしかない。
こんな状況で、断れるわけがないし。


これも、コマンダーの宿命だ。







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