Metallic Guy




第十七話 忍者の、試練



しばらく飛んでから降りた場所は、居酒屋の裏口だった。
看板の明かりが隣り合って立っている住宅の隙間から入り込んでいて、薄暗さを少し弱めている。
普通は見えない生活感が至るところから滲み出ていて、玄関口には表札の填ったポストがある。
そこには、神田、とあった。神田の家は、ここのようだ。
イレイザーは少し間を置いてから、ドアに手を掛けようとしたが、身を引いた。
すると、その直後に内側から開いた。隙間からこちらを伺っていたさゆりが、真っ黒いネコを抱いていた。

「おかえり」

ネコを下ろしてから、さゆりはあたし達に頭を軽く下げた。

「こんばんは」

「こんばんは」

あたしもとりあえず挨拶してから、隣で物珍しげにしているディフェンサーを見下ろした。なんでいるんだよ。
そう尋ねようと思ったが、その前にディフェンサーは玄関の奥を覗いた。
軽く片手を挙げ、にっと笑った。誰かいるらしい。

「よう。生きてっかー、訓練生?」

半開きになっていたドアが全開になり、あまり面白くなさそうな顔をした神田が出てきた。
ディフェンサーに何か言い返そうとしたが、その前にあたしに気付き、照れくさそうに少し笑う。
神田は嫌そうに、あたしの後ろに立っているディフェンサーを指した。

「なぁ、なんでディフェンサーまで一緒なんだ?」

「僕にも解りません。付いてこられました」

そうインパルサーが返すと、神田はドアに寄り掛かって深く息を吐いた。
余程大変な訓練だったんだろう。横目にディフェンサーを見下ろすと、何か笑っている。
きっと、神田はマリーにしごかれるのと同時に、ディフェンサーに色々と遊ばれたに違いない。
やりかねない。こいつなら。

イレイザーは自分の通学カバンを開けて、潰さないように入れてきた紙袋を出した。
それを受け取り、さゆりは少し笑う。袋の口を開けて中身を確認し、うん、と頷く。
膝を付いて身を屈めたイレイザーは立てた方の足に腕を乗せ、さゆりと目線を合わせた。

「遅くなってすまぬでござる、さゆりどの。だが、命令は実行出来たでござる」

「いっちゃんにお金渡すの、忘れてた」

と、思い出したようにさゆりが呟くと、イレイザーは後ろ手にあたしを指す。

「由佳どのからお借りいたしたのでござる。後でちゃんと返すでござるから、心配なさるな」

「ありがとうございました」

ぺこりとまた頭を下げてから、さゆりはスカートのポケットを探る。小銭の擦れ合う音がした。
しばらく探っていたが、一度イレイザーにいくらか尋ね、値段を確かめてから取り出す。
百二十円を入れた手をイレイザーに向けると、イレイザーは手を開いてそれを受けて、あたしに向けた。
あたしはそれを受け取り、財布を取り出して中に入れた。しっかり持ってたのか、さゆりちゃん。
さゆりはメロンパンの袋を抱えて玄関に戻り、中に置いてからまた戻ってきた。
イレイザーは、足元に頭をすりつけていたクロネコを抱き上げ、にゃーにゃー鳴いているのをいじっている。

「おぬしは本当に、良く喚くでござるなぁ」

「ネコノスケはいっちゃんが好きだから」

さゆりはイレイザーの手の中にいるネコノスケを撫で、受け取ったがまた下ろした。
今度はさゆりの足元に、にゃーにゃーまとわりついている。人懐っこいんだなぁ、ネコノスケ。
ネコノスケの長い尻尾がぱたぱた揺れていて、地面を叩いていた。また一声、にゃあ、と鳴く。
さゆりはイレイザーを見上げ、いつもよりは多少柔らかい笑顔になる。
ツインテールを揺らすように軽く首をかしげ、彼を見上げる。

「いっちゃん、偉い。ちゃんと買ってきてくれた」

「さゆりどのの命令でござるからな。他の命令も破ってはおらぬでござるよ」

イレイザーはにやりとした。ちょっとカッコ付けている。
彼の額当てのような部分へ軽く手を当てながら、さゆりは頷く。

「偉い偉い」

「そうでござるか?」

「うん。ちょっと無理言ったかなって思ったけど、それもちゃんと守ってくれたんだから。偉くないわけがないよ」

小さな両手でイレイザーの頬を挟み、じっと赤いゴーグルを見る。その光が映って、さゆりの頬も少し赤らんだ。
予想外のことだったのか、イレイザーは動かない。これでは、視線が逸らせないからだろう。
イレイザーとしては逸らしたいのか、腕を引いて腰を落として、逃げる体勢になってしまっている。
さゆりはその様子に気付き、むくれる。表情が出ると、途端に可愛らしい。

「逃げないの」

「すまぬ」

申し訳なさそうに呟いてから、イレイザーは姿勢を戻した。まだ、頬から手は離されていない。
さゆりはかかとを上げて背伸びしながら、にっこり笑った。笑うと、凄く可愛い子だ。
イレイザーの頬に当てていた手を少し離したかと思うと、それを彼の後頭部へ回した。この姿勢は、もしかして。
少女らしい薄い唇を僅かに開きながら、イレイザーのそれに近付ける。おい、まさか。


ぎしり、と半端に開かれたイレイザーの手が軋んだ。


目を閉じたさゆりは、少し首を傾けている。なんだか、子供らしくない色っぽさがある。
薄暗いせいで普段よりも濃いめに見える、イレイザーの銀色の唇が、さゆりの小さな唇に塞がれていた。
玄関口で、神田はやりづらそうに目を逸らす。兄としては当然の反応だ。
インパルサーは気恥ずかしげに、あたしを見下ろした。あたしも、見ていて恥ずかしい。
こういうことに慣れていないのか、ディフェンサーは変な顔をしていた。
深く深く口付けてから、やっとさゆりはイレイザーを解放した。照れくさいのか、顔を伏せる。
イレイザーは顔を離されたことで、すぐさま後退った。ぺたりと座り込み、口元を押さえている。
信じられないような表情で、まじまじとさゆりと眺めていたが、呟いた。

「…さゆりどの?」

「ちゃんと買ってきてくれたし、頑張ったから」

はにかみながら返し、さゆりはくるりと背を向けた。
神田は苦々しげにイレイザーを見下ろしていたが、あたしへ目を向けて変な笑いを浮かべた。
ませている、と言いたいんだろう。あたしも言いたい。クラッシャーよりも凄いし。
口元を擦っていたイレイザーはなんとか落ち着いたのか、姿勢を戻してさゆりを見下ろす。

「だから、でござるのか?」

「うん」

さゆりは頷いたが、背を向けたままだった。その度に、ツインテールが揺れる。
ぼんやりと少女の背を見つめながら、イレイザーはまだ口元を押さえている。ゴーグルの色が、強い。
呆然としながら神田へ目を向けた彼は、自分を指した。状況を、理解したらしい。

「葵どの、拙者は…一体」

「オレに聞くな!」

あまりのことに動転したのか、神田の声は上擦っている。
インパルサーは、あたしを見下ろしていた。

「先、越されましたね」

「今ここでそれ言うの?」

「すいません」

あたしが言い返すと、パルは平謝りした。何も、この状況で言わなくたって。
イレイザーは少し笑うと、やっと身を起こした。さゆりはすぐに振り返り、表情を硬くしている。
どうやら、イレイザーの反応が気になっているようだ。当然といえば、当然だ。
腰を上げてまた膝を付いたイレイザーは、おずおずとしているさゆりへ手を伸ばした。

「気になさるな。拙者はただ、少し困っただけでござる」

「いけなかった?」

「いけなくはない。ただ…その、慣れて、おらぬことでござったから」

苦笑しながら俯くイレイザーへ、さゆりは笑う。

「私も」


見ていて、またあたしは恥ずかしくなってきた。なんだよ、このラブラブ全開の空気は。
どうやらあたし達が見ていないうちに、すっかり親密になっていたらしい。ちょっと展開が早すぎないか。
どっちがどっち、というわけじゃないけど、とにかく双方が好き合っているのは一目瞭然だ。
神田はそんな二人を見て、非常に複雑そうにしていた。なんとなく、その姿に同情してしまった。
暇そうにしていたディフェンサーは、肩を竦める。

「シスコンでロリコンたぁ、救いがねぇなー」

「黙らぬか兄者!」

がばっと振り返ったイレイザーは、じゃきんと手の甲からクローを伸ばして構えた。
その様子に、ディフェンサーはけたけた笑っている。つくづく性格が悪いなぁ、こいつは。
インパルサーはどうするべきか迷っているようだが、結局何も出来なかった。こういうときは弱いのか。
しばらくイレイザーはディフェンサーを睨んでいたが、ぷいっと顔を背ける。まだ、そのゴーグルの色は強い。
何も仕掛けてこない弟に拍子抜けしたのか、ディフェンサーはつまらなそうにする。期待しすぎだ。
ネコノスケは暇になってしまったらしく、あたしの足にまとわりついていた。可愛いなぁ、ネコは。
その黒く尖った耳を撫でていると、ふとあることを思い付いた。結構下らないことだけど。
あたしはパルを手招きすると、彼はすぐにやってきた。屈み込み、首をかしげる。

「なんですか?」

「あれ、出して」

「あれって…ああ、あれですか」

ごそごそと自分の通学カバンを探り、インパルサーは例の赤い缶を取り出す。
慰めにも励ましにもならないだろうけど、この状態の神田はさすがに見ていてきついものがある。
だけど今のあたしに出来ることがあるならば、これくらいだ。ドクターペッパーをあげるくらいだ。と、思う。
あたしは、ドクターペッパーを神田に向けた。神田は、当然ながら変な顔をした。

「美空、それ…オレ、なんかしたか?」

「あげる。慰めにもならないとは思うけど」

「あ、うん…」

ますます難解な表情になり、神田はあたしの手からドクターペッパーを受け取った。
腕時計を見ると、いい感じに夜遅くなっている。まずいなぁ、これは。
パルの首辺りに手を掛けると、彼はひょいっとあたしを抱え上げてくれた。話が早い。

「じゃ、あたし帰るから。また明日ね」

「またな」

困り果てたような顔をなんとか笑わせ、神田は片手を挙げる。あたしも軽く手を振る。
ディフェンサーも地面を蹴り、浮かび上がった。ついでに帰る気のようだ。
さゆりの前に立ったイレイザーはまだクローを出したままの腕を振り上げ、声を上げる。

「次に似たようなことを言ったら、兄者とて容赦せぬでござる!」

「へいへい」

馬鹿にしたように返し、ディフェンサーはさっさと遠ざかっていった。
インパルサーもその後に続き、高度を上げていく。あたしは、地上を見下ろす。
神田達の姿が小さくなり、街並みの中に消えた。吹き付ける風は更に冷たくなっていて、本気で寒い。
早く帰って夕ご飯を食べてお風呂に入りたい。とにかく、お腹が空いた。
眼下の夜景なんか目に入らず、あたしの思考は夕ご飯とお風呂に固定されていた。
インパルサーにしがみついて彼の胸に額を当てながら、クラッシャーの言っていたシチューに思いを馳せていた。
今は、パルを意識なんてするもんか。それどころじゃないんだから。




翌日。
あたしは風邪を引くこともなく、ちゃんと登校していた。免疫は、しっかり強化されているようだ。
午前の授業が終わったので、お昼を食べにやってきた屋上は、いつになく人数が多かった。
確かに天気はいい。空はすっきり晴れ渡っていて、風も弱くて日差しは暖かくて心地良い。
だけど、だからって。いきなりこの人数はないんじゃないかと、思う。
まず、いつものあたし達三人と、インパルサーとリボルバー、はまだ解る。
ディフェンサーはたまに来ていたから違和感はないけど、なんでイレイザーまでいるんだろう。
そして、神田とマリーだ。教室組がいきなりこっちに来ると、ちょっと変な感じがする。
あたしはパルの作った可愛くておいしいお弁当を食べながら、右隣に座る鈴音と顔を見合わせた。

「増えたね、鈴ちゃん」

「増えたわねぇ」

サンドイッチを食べる手を止めて、鈴音はあたしへ目を向けた。弱い風に、黒髪が広がる。
あたしの左隣で身を縮めている律子は、少し離れた位置で座っているマリーを眺めていた。
マリーはやけに大量のパンを食べていたが、顔を上げた。ハンカチで口元を拭ってから、こちらを見る。

「私は用事がありますの。教室にいたのでは、あなた方とお話し出来ませんもの」

「で、なんで葵ちゃんまで来てるの?」

鈴音はコーヒー牛乳を飲みつつ、斜め前でコンクリートに座り込む神田を見下ろした。これが一番珍しい。
神田は一番先に食べ終えていて、あたしのよりも一回りは大きいお弁当箱を袋に突っ込んでいる。
きゅっと袋の紐を締めてから、コンクリートへ足を投げ出した。

「さあなぁ。マリーさんに引っ張ってこられたんだよ」

屋上の角、フェンスの上に立つイレイザーは、じっと小学校の方を見ていた。近頃は、まともに高校にいる。
それを見ては笑うディフェンサーとイレイザーを見比べ、解りかねるといった表情でリボルバーは腕を組む。
澄み切った空を、リボルバーは見上げた。片目のゴーグルが、日光にぎらりと照る。

「どうせ作戦会議だろ。姉ちゃんがわざわざオレらに近付く理由があるとすりゃあ、そんぐれぇだ」

「作戦?」

きょとんとしながら、律子が食べる手を止めた。彼女にとっては、聞き慣れない言葉だったようだ。
あたしは食べ終えたお弁当箱の蓋を閉じ、箸をケースに入れてから律子へ振り返る。

「この間話したでしょ? 皆がどこから来たか、とか、何のために誰に作られたか、とか」

「うん」

律子は頷く。あたしは続ける。

「で、またなんか敵が来るらしいの。皆は、それと戦わなきゃいけないから」

「そのための作戦会議、ってこと。私達はボルの助達の戦いには関係ないようで、しっかりあるからね」

と、鈴音は律子を指す。にいっと、薄い唇の端が上向けられた。
律子はまだあまりないと思っているのか、訝しげに呟く。

「そうかなぁ?」


「ありますわよ、律子さん」

二つめのカレーパンを食べ終えてから、マリーは一息吐いた。よく食べる人だ。
コーヒー牛乳を少し飲んで、その小さなパックを膝の上に置く。これも二つ目だったりするから、凄い。
長い金髪をふわりと広げながら、マリーはあたし達の方へ振り向く。いつもの笑顔だ。

「あなたは私達の秘密を知っていますわ。口外しないとも、約束しましたわ。これのどこが無関係ですの?」

「あ、そういうことか」

と、思い出したように律子は両手を合わせた。ちょっと反応速度が遅いなぁ、りっちゃん。
大半を食べ終えた鈴音は、空になったコーヒー牛乳のパックをビニール袋に入れる。
がさがさとその口を縛って片付けてから、足を組む。フェンスに背を預けながら、リボルバーを見下ろす。

「それでその作戦とやらは、あの脅迫文と関係あるの?」

「あるも何も、ありゃあ襲撃予告だ。わざわざこの星に来て、わざわざ残していきやがったのさ」

と、リボルバーは吐き捨てた。何かが気に入らないのか、不機嫌そうだ。
あたしは、なぜそう確証が持てるのか解らなかった。あれは、ただの脅迫文じゃないのか。

「なんでそう言い切れるの?」

「一目瞭然でござった。ただ、おぬしらはこの星の者でござるからな。解らぬのも、無理はない」

フェンスの上から、イレイザーは横顔だけこちらに向けた。赤いゴーグルが、ぺかりと光を跳ねていた。
インパルサーは頷き、あたしを見上げた。レモンイエローが、明るさで薄められている。

「ええ。あの脅迫文の末尾に書いてあったあの署名は、惑星ユニオンの言葉でしたから。読めなくて当然です」

「でも、だからってすぐに襲撃予告だって、決め付けられるものなの?」

不思議そうに、律子が首をかしげた。きっちり編まれた長い三つ編みが、揺れる。
ディフェンサーは頬杖を付きながら嫌そうな顔をし、片手を挙げて軽く振る。

「あのユニオン語の文句は、誰がどう見たって襲撃予告だよ。なんたって、こう書いてあったんだからな」



「親愛なる、戦場の堕天使へ」


静かなマリーの声が、広がった。
エメラルドグリーンの瞳は強められ、空を睨んでいる。いや、宇宙を睨んでいる。
べきりとコーヒー牛乳のパックを握り潰し、腹立たしげに口元を歪める。

「昔の通り名ですわ」

「但しその名は、僕らが言っていたものではありませんし、あの脅迫文があるまで知りませんでした」

淡々とした口調で、インパルサーは付け加えた。



「銀河連邦政府軍の方々だけが、マリーさんをそう呼んでいたようですから」



つまり。
敵は、銀河連邦政府軍ということなのか。
あたしは一瞬訳が解らなくなりそうだったが、なんとかそれを理解した。
どういうことなんだろう。軍は、マリーの味方じゃなかったのか。
反乱を起こしたマスターコマンダーを倒した、正義の味方じゃなかったのか。
だけど、これは事実なんだ。こんなことで、彼らがあたし達に嘘を吐く必要なんて、どこにもないから。

本当の、ことなんだ。


マリーは長い髪を掻き上げて、目を伏せる。相変わらず、優雅な動作だ。
白くほっそりした足を組み、その上に組んだ手を乗せる。

「大方、私のやり方が気に入らない連中でしょう。理由はどうあれ、カラーリングリーダーを匿っているのですもの」

「ひどい…」

律子が呟くと、マリーは硬い笑みを作る。

「戦いとは、そんなものですわ。優しさは裏目に出、力は味方を変え、信念は己を裏切る…そういう、世界ですわ」

「葵ちゃん。てめぇはそんな泥臭くてえげつねぇ世界に片足突っ込んでるが、抜くんなら今だぜ?」

にやりとしながら、リボルバーが神田に顔を向けた。
神田は表情を強張らせ、声を上げる。

「そんなことするわけあるか! 一度決めたことだ、最後までやってみせる!」

「せいぜい頑張ってくれよー、葵ちゃん。ま、ちっとも期待はしてねぇけどな」

と、ディフェンサーは笑った。神田は言い返すこともなく、座った。
鈴音は細い眉を顰めて、口元に手を添えていた。その姿に、リボルバーは片手を挙げてひらひらさせる。

「心配すんな、スズ姉さん。奴らの戦力はまだまだ回復してねぇんだから、ろくな武装は持ってこれねぇよ」

「そう。だから、たぶん…」

鈴音は、苦しげな声を洩らす。

「敵は、あんたらの部下を使ってくるんじゃないかしら。元々戦闘用だし、五万もいるし…」


兄弟達は予想していたのか、揃って黙ってしまった。鈴音は俯き、薄い唇を噛んでいる。
なぜこうも、次から次へとパル達にとって苦しいことばかりが、続くんだろうか。
それが、戦うために生み出された彼らの運命なんだろうか。辛すぎて、悲しすぎる運命だ。
マリーは目元を歪め、大きな瞳を潤ませている。かつての仲間と戦うのだから、相当に辛いだろう。
あたしは。
彼らに何も、出来ないんだろうか。


「パル」

あたしは、インパルサーを見下ろした。

「あたしに、何か出来ない?」




「何も、しないで下さい」

インパルサーは顔を逸らした。両耳の鋭いアンテナが、きらりとする。
膝の上に置いた手を固く握り締めて、翼の角度を強くさせた。
俯いたことでレモンイエローのゴーグルが陰って、光が少し弱まったように見えた。

「由佳さんは、戦士でも何でもありません。ですから」



「手を、汚さないで欲しいんです」



グラウンドから、昼食を食べ終えて遊び出した生徒の歓声が聞こえた。
扉を閉められた階段の奥からも、騒がしさが伝わってくる。
弱い風が吹き抜けて、あたしの髪を揺らす。彼らの、機械油の匂いがしたような気がした。


「僕達だけで充分なんです。由佳さんも鈴音さんも、律子さんも涼平君もさゆりさんも、普通の方々です」

葵さんは違いましたが、と付け加えてから、パルは続ける。

「ですから、信じていて下さい。必ず全員で帰ってくると、約束しますから。エモーショナルリミッターも、切りません」

「それだけ?」

あたしは、少し悲しくなった。必要とされてないみたいに、思えたからだ。
パルは頷き、顔を上げた。ゴーグルに、あたしが映る。

「はい。それだけで充分なんです」

「それじゃあ、これも約束してよ」

「何をですか?」

無表情に思える、インパルサーのマスクフェイスがあたしを見ていた。
ゴーグルのレモンイエローの奥に、薄くサフランイエローがある。少し、見開かれている。
あたしは、その色と彼を見据える。これしか、思い付かなかった。



「戦いが終わって帰ってきたら」

遠くを飛ぶ飛行機のエンジン音が、あたしの声に混じる。

「少しは、休んで」




「…休む?」

意外そうな声を、インパルサーは出した。
あたしは彼の前に立つと、その丸っこい頭部を小突く。こん、と硬い感触が返ってきた。
ナイフ状の薄べったい銀色のアンテナがあたしの影に入り、ぎらつきが消えた。

「パルも皆も、もう戦いばっかりが能じゃないんだし。ちったぁ高校生らしくしても、いいと思うの」

「高校生らしく、ですか?」

「うん」

あたしは屈み込み、彼のゴーグルの真上をもう一度小突いた。
顔を近付けてゴーグルの奥を見ると、奥のサフランイエローはちょっとだけ色が強まっている。

「戦えないってんなら、その代わり。そういうことになら付き合えるし、やれることもありそうだし」


「悪くない考えですわね、由佳さん」

と、マリーが笑った。拍子抜けしたのか、どこか可笑しそうにしている。
鈴音は腕を組んで、うん、と頷いた。

「確かに、由佳にしちゃあ悪くないわね。そうよねぇ、戦ったらその分遊び倒せばいいのよ」

「私も、一緒?」

ちょっと困ったように、律子は自分を指した。鈴音は、ぐいっと律子を引き寄せる。
慌てふためいて逃れようとする律子を押さえ込みながら、鈴音は頷く。

「当然でしょ。律子も関係者なんだから」

「だけど」

どんどん関わりが強くなっていくことに困ってしまったのか、律子は目を伏せる。
鈴音は律子の頭を軽く叩いてから、解放した。律子はあたしを見、おろおろとしている。
だけど、しばらくして落ち着いたら腹を決めたのか、彼女は一度深く頷いた。頑張れ、りっちゃん。


「ということで、戦い終わったら何して遊びたいか各自考える!」

と、鈴音はロボット兄弟を指して宣言した。逆らえる雰囲気ではない。
リボルバーは拳を高々と突き上げて、立ち上がった。鈴音に命令されたからか、やけに張り切っている。

「いよっしゃあ! そういうことなら、きっちり考えといてやるさスズ姉さん!」

「でもよ、遊ぶったって具体的に何すりゃいいんだ?」

ディフェンサーが首をかしげると、律子は笑う。

「だから、これからそれを考えるんだよ、ディフェンサー君」

「なさそうでありそうじゃん、色々とさ」

あたしはインパルサーのヘルメットを押し、ぐいっと顔を上げさせた。

「どうせ辛いことばっかりなんだし、ちょっとは励みがあった方がいいでしょ?」

「そうですね」

と、嬉しそうにインパルサーは頷いた。なんか、あたしも嬉しくなる。
すたん、とフェンスの上からイレイザーが降りた。赤いゴーグルが、逆光で陰る。

「さゆりどのは」

「さゆりちゃんも涼平もクー子も、仲間外れにするわけないでしょ。みーんな関係者なんだから」

そうが返すと、安心したようにイレイザーは少し笑った。何を心配してんだか。
何をするか早速話し合い始めたリボルバーやディフェンサーは、かなり無茶苦茶なことを言っている。
それを鈴音が止めたり、律子が二人のペースに飲まれて困ったりしている。りっちゃん、慣れてないからなぁ。
イレイザーは何をするか考えようとしているらしいが、まるで思い付かないのか変な顔をしていた。
神田は、空を見上げていた。こっちは先のことより、目前の戦いを考えているらしい。戦士してるね。
それもありだ。実のところ、あたしもそんなものだったりする。
言い出したのはあたしだけど、さっぱりとパル達と何をして遊ぶべきかは思い付かない。考えられないんだ。

戦いがすぐ近くに迫っている、と思うと。


なんとかそれを払拭していると、背後でインパルサーが立ち上がった。
振り返ると、彼は軽く敬礼した。こん、と伸ばし切った指を頭部に当てている。
あたしは同じように敬礼して、パルを見上げた。何度見ても、でかい。

「命令だからね、パル」

「了解しました、由佳さん」

敬礼した手を下げてから、インパルサーは空を見上げた。あたしもその方向を見る。
いつのまにか風が出てきていて、遠くにはうっすらと雲が広がり始めていた。雨が、降るかもしれない。
風に乱される髪を押さえて横目にパルを見ると、彼は両手を思い切り握り締めていた。
あたしは後ろ手に伸ばし、その手の甲に触れてみた。すると少しだけ、彼の手が緩む。
マリンブルーの装甲を指先で軽く撫でると、彼の指先も伸ばされて、あたしの手のひらに少しだけ触れる。
その手は、少しだけ冷たかった。




戦いは、確実に近付いてきている。







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