Metallic Guy




第二十一話 天使の、過去



しばらくぶりに訪れたマリーの家は、以前より格段に片付いていた。
あれだけ大量に並んでいた箱はどこかへ消えて、趣味のいい家具が広いリビングに並べられていた。
壁に埋め込まれた棚に並んでいた写真立てもいくつか増えていたけど、やはり伏せられている。
白いソファーの前に置かれたガラスのリビングテーブルには、いくつもティーカップが並んでいく。
あたしはそれを載せていた盆を下ろし、キッチンへ振り返ると、マリーがまた三つティーカップを持ってきた。
クッキーの入ったバスケットをそれらの中心に置き、さゆりはティーカップを数えて呟いた。

「多い…」

「人間だけでも七人だからねー。パル達入れたら、十二人だし」

あたしは、柔らかな白い湯気を立てるティーカップを眺めた。中身は、リンリンリンガーのお茶だ。
すっかりティーカップで埋まったリビングテーブルに、マリーはクリーム色のティーポットを置いた。
細い腕にまくっていたパステルブルーのセーターを元に戻し、バレッタでまとめていた髪をほどいて広げる。

「こんなにリンリンリンガーを入れるのも、久し振りですわ」

「不思議な名前のお茶だね」

シュガーポットとミルクピッチャーを載せた盆をテーブルに降ろし、律子はマリーへ顔を向ける。
マリーは、ああ、と思い出したように律子へ振り向く。

「そういえば、律子さんとさゆりさんはまだ飲んだことがありませんでしたわね。あの頃は、まだ」

「マリーさんが来たのは、夏休みの終わりだったしねぇ」

八等分にされたガトーショコラを載せた大皿をテーブルに降ろし、鈴音は窓の向こうを見た。

「どたばたしてたら、あっという間に秋かー。早いわ」

「まだ、終わらないのかなぁ?」

リビングの壁を見つめ、さゆりが呟く。マリーは掛け時計をちらりと見、返す。

「あと少しですわね。エネルギー充填と簡単な整備ですもの、そうそう時間は掛かりませんわ」


盆をリビングテーブルに置き、あたしは白いソファーに腰掛けた。クッションが柔らかい。
半透明の文字盤に青い光で針が表示されている掛け時計の下に、カレンダーがあった。
昨日の日付に赤い丸が付けられている。丸の中に、文化祭、とマリーの字で書いてある。
今日は、その次の日だ。
うちの高校は祝日を代休にしたいがために、祝日前に行事をやることが多く、今回もそうだった。
だから今日はあたし達にとっては実質代休だけど、小学生諸君にとっては祝日だったりする。ややこしい。
そんな日に、あたし達は唐突にマリーの家に招かれた。文化祭の帰りがけに、約束させられたのだ。
ロボット兄弟はメンテナンスとエネルギー充填があるから解るとして、なんであたし達まで一緒なのだろう。
久々の来客に張り切っているのか、マリーはいやに楽しそうに準備を続けている。
あたしの隣に座った律子は、じっと壁を見つめたまま立ち尽くしているさゆりを手招く。

「さゆりちゃんも、座ったら?」

「それもそうですね」

振り返ったさゆりは、大きなスリッパを引き摺って歩いてきた。
あたしの斜め前、鈴音の隣に座る。スリッパを持て余していたのか、それを脱いでソファーに正座した。
鈴音はゆるく三つ編みにした長い髪を背に投げてから、足を組んで頬杖を付く。

「しっかし、なんで涼君までボルの助達の整備に付いていくかねぇ」

「女性比率が高すぎるから?」

ストレートでお茶を飲んでいたさゆりが、鈴音を見上げる。鈴音は笑う。

「かーもねぇ。ロボットの兄貴達と葵ちゃんがいないと、ホントに女ばっかりだもん」

「逆だったら、私もちょっと気が引けちゃうかも」

そう笑い、律子もお茶を飲んだ。少し傾けた途端に、不思議そうな顔になる。
あたしはさっさと角砂糖とミルクを入れて混ぜながら、律子に言う。

「不思議でしょー、これ。香りは緑茶なんだけど、味は紅茶なのよ。で、色はほうじ茶」

「よく、わかんない…」

難解そうに眉を顰めた律子はまた少し飲んで、首を捻った。あたしも、最初は混乱したよ。
鈴音の隣に座ったマリーは角砂糖だけを入れて飲んでいたが、ティーカップをソーサーに下ろした。
半透明の掛け時計を見上げたのであたしもそちらを見ると、文字盤にはあの読めない文字が並んでいく。
マリーは先程さゆりが見ていた壁を指し、笑む。

「皆さん。彼らが、帰ってきましたわ」


やはり白い壁紙の貼られた壁に、赤い光が走って縦に長い長方形を作る。
そのままそれは横へずれて、二倍の大きさになって壁全体を光らせた。
次第に眩しくなってきた赤い光が納まった頃、壁はするっと横へ動いて自動ドアのように開いた。
銀色の空間に並んでいたロボット兄弟と、神田と涼平がそこから出ると、彼らの背後で赤く光るドアは閉まった。
光が完全に消えると、また元の白い壁に戻った。扉が消えた壁を見、涼平は感嘆の声を洩らす。

「すっげぇ…!」

「オレはもう慣れちゃったからなぁ」

あんまり新鮮味がないんだよ、と神田は笑いつつ、まだ壁を見つめている涼平を見る。
クラッシャーは、するりと浮かんであたし達の後ろにやってきた。

「いいよねぇ、さっちゃんやおねーさん達は。こういうの食べられて」

「食べちゃダメですよ。せっかくメンテナンスを行ったのに、故障してしまいますから」

リビングの窓際に正座したインパルサーが彼女を見上げると、クー子はむくれる。

「解ってるよぉ、それくらい。願望なの、願望」

「ま、オレもちったぁその気持ち解るけどな」

インパルサーの隣に座ったディフェンサーがにっと笑うと、クー子はぱっと表情を明るくさせた。
彼らから少し離れた位置に座るイレイザーも、うんうんと頷いた。

「有機物からエネルギー変換を行うことは効率が悪いでござるが、物を喰らうという行為には魅力がある」

「僕も作ってばっかりですけど、出来ることならちゃんと味を見たいです」

と、インパルサーは残念そうに呟く。物を食べられない、というのは彼ら共通の悩みだったのか。
兄弟達の後ろで胡座を掻き、リボルバーはライムイエローの目をマリーへ向ける。

「んで、姉ちゃん。今度は一体、何の用事だ」

「そろそろ、潮時かと思いましたの」

ソファーから立ち上がったマリーは、白いロングスカートを広げながら壁の棚へ向かった。
背を伸ばして、伏せられた写真立てを三つほど取ると、抱えてやってくる。

「あの人のことを、あなた方へいつか話しておくべきだと思っていましたし」

黒くて大きめのフレームのものと、銀色のフレームのものと、それと同じくらいの大きさの白いフレームのもの。
白くて丸みのあるフレームの写真立てをしばらく眺めて目を細めたが、それをリビングテーブルの上に置いた。
黒と銀のものはテーブルに伏せられてしまい、中の写真は見えなくなってしまった。
フレームの中に納まっている二人の人物は、片方はマリーだったが、髪がかなり短くてあたしと同じくらいだった。
ショートカットのマリーの隣で微笑む、長い銀髪をひとまとめにした、青い瞳が目立つ長身の男性。
この人物の笑い方には、覚えがある。パルの笑い方をコピーしたみたいに、そっくりだ。
あたしはその人物と、インパルサーを見比べた。すると、マリーは笑う。

「似ていますでしょう? ソニックインパルサーの笑い方に」

あたしが頷くと、マリーは立ち上がり、写真立てをソファーの向こうに差し出した。

「あなた方に、一番最初に教えておいた方がいいですわね」

「確かに僕に似ていますけど、誰ですか?」

しばらくその写真を眺めていたインパルサーが、顔を上げた。兄弟達もマリーを見る。
マリーは写真立てをインパルサーに渡すと、にっこり微笑んだ。


「あなた方のお父様が、人であった頃の姿ですわ」


兄弟達は予想が付いていたのか、それほど驚くこともなかった。
マリーは一度お茶を傾けると、また目を細めた。

「そういえば、私にお茶の淹れ方を教えてくれたのも、あの人でしたわね」

口元を綻ばせながら、マリーはティーカップをソーサーへ下ろした。

「その人、いえ、マスターコマンダーの元の名は、レイヴン・シルバー。素晴らしい、戦士でしたわ」


「十年前までは」


マリーの声色が、変わった。




私がまだ士官学校の訓練生であった頃は銀河も平和で、銀河連邦政府はあっても軍はなかった頃のこと。
それでも、内乱や小競り合いはあったし、それを止めるためのアドバンサー部隊は存在していた。
政府上層にいらしたお父様の願いもあったし、平和を守りたかった。
なので、私はその部隊に入隊するために必死で、日々訓練と勉学漬けで、友人もほとんどいなかった。
政府直属の士官学校では常に上位でした。あの人、いえ、レイヴンが来るまでは。

その日、私は珍しく授業に遅れそうになっていた。お父様との通信が、長引いたんです。
全速力で寮と校舎を繋ぐ渡り廊下を走って、自動通路の上も走っていけば、ぎりぎり間に合うはずだった。
渡り廊下を覆うクリアーチューブの角を曲がろうとしたその時、右手の角から曲がってきた相手とぶつかった。
互いに全速力だったから、見事なまでに衝突してしまって、抱えていたファイルやデータディスクが散らばった。
丁度レポートを提出する日だったので、いつもより多く持っていたんです。それが、悪かった。
相手は誰だと思って顔を上げると、銀色の髪を一括りにした長身の男性が座り込んでいた。
制服を着ているから生徒だとは解ったけれど、どの学年でクラスかは解らなかった。
彼はばつが悪そうにしながら、私のデータディスクを拾い集めて投げて寄越してきた。

「面倒なことになったな…」

私は投げ渡されたディスクや、足元のディスクを拾い集めてケースに押し込み、立ち上がった。
それと同時に、校内に授業開始のチャイムが鳴り響いた。急ぎたくても急げない焦りの中、私は彼を見下ろす。

「それどころではありませんわよ! あなたのせいで、授業に遅れてしまったではありませんの!」

「なんてこった」

彼は立ち上がり、そのまま走っていった。すぐに、通路の向こうに消えてしまった。
私は先程の彼には、もう二度と会いたくないと思った。ぶつかったのに、謝りもしない相手ですもの。
どうせ学年とクラスは違うだろうし、年上に見えたのでもう会うことはないだろう、そう思った。


遅れたけれど、授業には行かなければいけない。そう思って、私はトレーニングフィールドに向かった。
丁度その日はアドバンサーの操縦訓練の日で、練習試合も数回行う予定だった。
パイロットスーツに着替えてトレーニングフィールドに出ると、もう生徒達は出揃っていた。
教官は私が遅れてきたことに物珍しげにしていたけど、咎めることもなく前方を指した。

「丁度良い。マリー、あいつの相手を出来るか」

武装がほとんどない訓練用アドバンサーが、足元に何機も他の機体を転がして直立していた。
ざっと数えて十体ほどは負かしたようだったけど、ほとんど無傷。足元を見ると、足跡はほとんど動いていない。
最初の位置に立ったまま、あれだけの数を打ちのめした武装なしのアドバンサー。私は、ぞくぞくした。
今までこの士官学校には、教官も含めて、まともに私の相手を出来る人間もプログラムもなかったから。
こんなに強い相手がこの銀河にいたなんて。そう思うと、嬉しくなってしまった。

「何よーもう、たかが練習試合じゃない。本気にならなくったって」

手前に仰向けに転がされていたアドバンサーの胸部が開き、むくれながら女生徒が出てきた。
彼女は私に気付くと、苦々しげにしながら顔を背ける。

「…癪だけど、あんたに任せるわ」

私は彼女へ頷くと、すぐさま格納庫に走った。
あの機体とほとんど性能の変わらないアドバンサーを一機発進させ、それに飛び乗った。

滑空してトレーニングフィールドに着地すると、そのアドバンサーは私の方へ振り返った。
訓練用の、見慣れたくすんだ青の機体なのに。まるで、雰囲気が違っていた。
振り返っても構えることはせず、そのアドバンサーはじっと私を見据えていた。
私はすぐさま飛びかかって蹴り倒そうとしましたが、その蹴りを逆に受け止められて転ばされた。
立ち上がって攻めようと思う前に、追撃が始まって、あっという間にフィールドの端へ。
なんとか脱しようと蹴りを出したが、やはり受け止められてしまい、足を薙ぎ払われた。
そのまま倒されて、私の機体は負けの判定を受け、機能が停止してしまった。

メインモニターが消えて薄暗くなったコクピットの中、私は久々の敗北を味わっていた。
数年、負けそうになることはあっても負けたことはなかったんです。何に対しても。
負ける悔しさと憤りを胸の中で噛み締めていたら、だんだん今度は腹が立ってきた。あの相手に。
何か言ってやらなければ気が済まない。
そう思ってコクピットを開けようと立ち上がったら、先に外から開けられてしまった。
差し込んでくる逆光の中で、こちらを見下ろすその姿は、先程のあの男子生徒だった。

「…意外だな」

「私に勝ててさぞ嬉しいでしょうね! さっさとそこをおどきになって!」

そう声を上げると、彼は何を思ったのか私に手を差し伸べてきた。
私は苛立っていたのでそれを思い切り弾いてから、さっさとコクピットから出た。
もう一刻も早く、こんなところからは立ち去りたい。そう思っていたけど、出来なかった。
腕を掴まれて止められてしまったので、それ以上は逃げられなかった。

「ちょっと待て。なんでそんなに」

「怒ってるのか聞きたいんですの? いいでしょう、教えて差し上げますわよ!」

私は怒りに任せて、ここ数年の自分の成績と無敗の事をまくし立てる。
とにかく悔しくて腹立たしくて、恥も外聞もなかった。
ぽかんとしながらそれを一通り聞いた彼は、私の腕を放して、目を丸めていた。

「それじゃ、あんただったのか。格闘の天才の、ゴールド家のお嬢様って」

「あら。そこまで知っているのに、なぜ渡り廊下で私を見たときに気付きませんでしたの?」

「そこまでオレは情報通じゃない。第一、そんな女ならもっと」

「もっと、なんですの?」

「いかつい男みたいな、豪傑な女だと思ってたからさ」

そう言っているわりには、彼は無表情に近かった。

「こんなにちっちゃいなんて、思ってもみなかったんだよ。だから意外でさ」

私は彼を見上げていて、やっと気付いた。渡り廊下で会ったときは、あまり解らなかったのだけれど。
地球の単位で言えば、彼は二メートル近い体格で、見上げなければいけない相手だということに。
そんな相手からしてみれば、私はかなり小さく見えて当たり前だった。
日頃から多少気にしていることでもあったし、先程からのことでかなり苛立っていた私は、怒鳴ってしまった。

「無駄に大きさがあるよりは、マシですわ! 大体なんですのさっきから、そんなにあなたは私がお嫌い?」

「そういうわけじゃない」

彼は、私へ背を向けた。

「だが、嫌われたんなら、これ以上近付かない方がいいな。蹴られかねない」

「お望みなら蹴っ飛ばしますわよ。ええ思いっ切り」

「まだまだ死にたくないから、遠慮しておくよ」

アドバンサーから地面までの距離を見、彼は一歩身を引いた。結構、高さがあったから。
くすんだ青い装甲の上を滑るように立ち去ろうとしましたが、途中で彼は振り返った。

「そういえば、まだ」

「名乗ってませんでしたわよ、あなた。私を負かしておいて、名乗らないわけではありませんわよね?」

「元よりそんなつもりはない」

長い銀髪を広げながら、彼は片手で自分を指す。

「二学年第三クラス。機械工学科、出席番号四十五。レイヴン・シルバー。本日付で、こちらに転校」


「これでご満足かな? お嬢様」


その時の私は、四学年。だから、レイヴンは二年下の年下だった。
しかも転校してきたのは、戦闘訓練に特化した私の学科ではなく、まるで畑違いの機械工学科への転校生。
確かにアドバンサーの操縦訓練は志願さえすれば誰でも受けられるものでしたが、転校初日だったなんて。
私は一瞬その事実を飲み込めず…。いいえ、正しくは頭が受け付けてくれなかった。
機械工学が専門の、しかも下級生に戦闘で負けたという事実を。




桜色の唇に添えられたティーカップを外し、マリーは深く息を吐いた。
しんと静まったリビングに、かちゃりとカップをソーサーに置いた音が響く。

「それが、私とレイヴンの出会いでしたわ」

あたしはひとまず自分を落ち着けるため、冷めてきたリンリンリンガーを飲み干した。
真向かいで、鈴音も同じようにしている。鈴ちゃんもか。
あたしは、空になったティーカップをソーサーに置いた。事実が、すぐには飲み込めない。

「…としした」

「絶対、年上だと思ってたのになぁー…」

口元を押さえて、ソファーにもたれた鈴音は俯く。うん、あたしもそう思ってたよ。
マイペースにガトーショコラを食べていた律子はフォークを置き、ティーカップを傾ける。
半分ほど飲んで、ふう、と息を吐いてから、マリーへ顔を向ける。

「凄い出会いだったんだ」

「ええ。凄まじすぎて、その日のことは一生忘れられませんわ」

と、マリーは笑った。空になった自分のティーカップに、お茶を注いでいく。
色の濃いダークブラウンから立ち上る湯気に、マリーは二つ角砂糖を落とし、スプーンで掻き回す。
しばらく混ぜていたが、その手を止めて銀色のスプーンを出し、ソーサーに横たえる。

「あの後も結局、私は数えるほどしかレイヴンには勝てませんでしたわ。彼は、本当に天才でしたわ」

「しかも、なかなかツラもいいと来てるぜ、オレらの親父は。天は二物を与えまくりだな」

ディフェンサーは写真立てを掲げ、ひらひらさせる。

「機械の方も天才だよ、間違いなく。オレらだけじゃなく、出来の良い兵器をごってり作ったんだからな」

「一見すると、マスターコマンダーは完全無欠な方ですけど、多大なる欠点がありますよね」

そうインパルサーが言うと、イレイザーが頷いた。

「うむ。いかに外見と才能が素晴らしくとも、性格が悪くては全て台無しでござる」

「ちぃと話聞いてるだけで、あの性格の悪さは元からだったってのがよぉく解るぜ」

と、リボルバーはにやりとする。その隣で、クラッシャーが腕を組む。

「マリーさんの神経、いちいち逆撫でしまくりだしー」

「ええ。レイヴンは悪意があろうともなかろうとも、とにかく言い回しに必ず棘がありましたわ」

思い出していたら段々苛ついてきたのか、マリーは目元を歪める。それは確かに嫌だ。

「慣れるまで、時間が掛かりましたわ。その間、何度怒ってしまったことか…。情けないですわ」

「私、そういう人って苦手だなぁ。出来れば、会いたくないかも」

困ったように律子が呟くと、マリーは返す。

「レイヴンは今、ユニオンで冷凍刑に処されていますわ。刑期は現時点で七百年、もっと伸びるかもしれませんわ。だから何があろうとも、あなた方と顔を合わせることはありませんわ」

それを聞いて安心したのか律子は肩を落として、良かったぁ、と表情を緩めた。
ミルクで真っ白くなったお茶を傾けていたさゆりはティーカップを置き、マリーを見上げる。

「だけどなんで、マリーさんはそんな人を好きになったの? 私には、解らない」

「私にも、解りませんわよ。あの人が私を好きになったのも、私があの人を好きになったのも」

くすりと笑み、マリーはあたし達の空になったティーカップにお茶を注いだ。
クリーム色のティーポットをテーブルに置いてから、マリーはあたし達を見回す。

「あなた方だって、解りませんでしょう? 恋に落ちてしまった理由なんて」

あたしは、横目にインパルサーを見た。彼も、あたしを見ていた。
確かにそれは、何度考えても答えなんて出てこなかった。ずっと考えても、堂々巡りだったし。
それが、恋なのかもしれない。理由なんてなくたって、好きになってしまうことが。
あたしは後夜祭のことを思い出してしまい、胸の奥がずきりと痺れた。パル、カッコ良かったなぁ。
マリーは、こちらを見て笑った。気付かれたかな。
だがすぐに視線を外して、マリーは銀色の角張った写真立てに手を伸ばし、伏せていたそれを裏返した。
背中の中程に髪が伸びたマリーと、それとは逆に銀髪を短く切ったレイヴンの姿。
二人は、紺色でかっちりした軍服に身を固めていた。軍服のネクタイは、二人とも色が同じだった。

「あんなに誰かを思ったのも、思われたのも、レイヴンが最初で最後でしたわ」

マリーの白い指先が、軽く写真立てを撫でる。




二学年も学科も違う私達だったけど、レイヴンはどんどん飛び級して、一年もしないうちに私に追い付いた。
その度に負ける日々だったけれど、彼が近付いてくることが、やけに嬉しくて悔しかったことを覚えていますわ。
最初の頃は寡黙で無表情だったレイヴンも、次第に表情が出てきて、笑うと感じの良い人になると知った。
だけどそれはほとんど私へ向けられたもので、他のクラスメイト達にはあまり向けていなかったような気がする。
この写真を撮った日は、修了式の後だった。とても天気の良い、清々しい日和だった
レイヴンは撮影してくれたクラスメイトからカメラを受け取って戻ってくると、渋い顔をしていた。
私がどうしたかと聞く前に、カメラを胸元に納めてから不機嫌そうにぼやく。

「朝からやけに不評なんだ。オレが髪を切ると、そんなに変なのか?」

「皆、見慣れてしまっていただけですわ。髪の長かったあなたに」

「だが、もう二度と伸ばす気はないな。邪魔くさいし、軍人らしくないし」

レイヴンは手近な窓に自分の姿を映してから、私へ振り向いた。

「マリーはその方がいい。もう切らない方がずっといい」

「切りますわよ。どうせ邪魔になるだけですし、髪に執着を持つほど女らしくありませんもの」

「まだ根に持ってたのか、あれ…」

呆れたように呟いたレイヴンは身を屈めて、私の髪を軽く指で梳いた。

「何度も撤回しただろう。ただあれは、マリーが男勝りすぎるって言いたかっただけだ」

「言い過ぎですわ」

そう言い返して顔を逸らしたかったけど、出来なかった。彼の手が、私の頬を止めたから。
抵抗する前に引き寄せられて、そのまま口付けらた。この人は、いつもこう。
まだ互いに好きだとは言っていなかったけど、解り切っていたから。
何年も一緒に同じ学校に通って、訓練に明け暮れて、何度もアドバンサーで、時には生身で拳を合わせて。
レイヴンはもう一方の手を、私の胸元に手を入れてから離れた。この人は、いきなり何を。
そう思い、蹴ってやろうと構えると、レイヴンは私を制止した。

「そういうつもりじゃない」

「じゃあなんですの」

「そう怖い顔するな。ほら、訓練のデータを全部入れてたチップがあっただろう?」

「確かにありましたわ。ですけどそれは、教官にお返ししたはずですわ。校内での支給品は、全て」

私が半分怒りながら言うと、レイヴンは私の胸元に入れた手を広げてみせた。

「それじゃあ、こいつはなんだ?」

士官学校の校章が刻まれた、逆三角形で銀色のエンブレム。
それは正しく、私達訓練生の勉学と訓練の日々の記録を一つ残らず刻み込んでいる、データチップだった。
私は胸の内ポケットを探って出すと、同じものがあった。先程入れられたのは、これだった。
但しそれに書かれている名は私ではなく、レイヴンのものだった。彼の手にある方には、私の名が。
私は怒るのも忘れて、レイヴンの無遠慮極まりない行動に呆れてしまった。

「レイヴン…あなた、自分が何をしているのか解っていますの?」

「解ってる。持ち出したら銀河連邦政府の機密に関わるし、入ったばかりの防衛部隊をクビになるかもな」

私の方のデータチップを握り締めながら、レイヴンはにやりとした。

「だけどせっかくの記録なんだ、消されたくはないだろう?」

「それは、まぁ…ですけど、レイヴン」

「どうやって校外に持ち出すか、だろ?」

小型のパーソナルターミナルを取り出すと、データチップを差し込んで、ホロモニターを表示させた。
すぐさま出てくるはずのデータは少しも現れず、ただ真っ平らな表示が続くだけ。
レイヴンは得意げに、私へパーソナルターミナルを向けた。

「全部中身を消しておいたんだ。見た目はな」

「…見た目は?」

私は、凄く嫌な予感がした。レイヴンは頷いて、パーソナルターミナルに何やら入力した。
途端に消されているはずのデータがずらずらと表示されて、中身が全て残っていることを表していた。
ホロモニターを消したレイヴンは、データチップを抜いて胸元に納める。

「空っぽのデータファイルをいくつも置いて、その底の底の底に中身を突っ込んでおいた。普通に見ようとすると何年も掛かるし、ルートが色々と複雑だからそう簡単にはばれない」

「短縮ルートを用いて中身を見るために、先程のパスワードが必要なのですわね?」

「さすがマリーだ。察しがいい」

パーソナルターミナルを私に渡しながら、レイヴンは笑った。

「それが何なのか、当ててみるか?」

「さあ。あなたの考えることはいつも飛び抜けているから、少しも察しが付きませんわ」

私は受け取ったパーソナルターミナルを彼に向け、突き出した。
レイヴンは少し言いづらそうにしていたが、私を引き寄せて耳元へ口を寄せた。

「いいか。一度しか言わない」



「銀河で一番、愛している」



周囲を満たしている修了生や、在校生達のざわめきが消えた。
レイヴンの声と姿しか感じられなくなって、世界が止まったように思えた。
私は彼に言われたことを、絶対に忘れない、と胸の中で誓っていた。

照れくさそうにしながら離れたレイヴンは、防衛部隊の制服の襟元を緩め、背を向けてしまった。
その反応が、私には意外だった。いつもそれとなく、彼は私に触れたり言ったりしていたから。
私は彼の顔が見たかった。だけど、今見に行ったらきっと逃げられてしまう。
そう思って、私は彼がこちらを向くまで、紺色の制服に包まれた広い背を見上げていることにした。
今にして思えば、データチップを持ち出すのが、本来の目的ではなかったようにしか考えられない。
パスワードの言葉を言うための口実にデータチップを持ち出した、としか。
一言、愛していると言うためだけにする行為にしては、少々危険すぎた行為のような気もしたけれど。


私達は揃って同じ防衛部隊に志願し、入隊した。
けれど、配属先は違っていた。
レイヴンは高い操縦技術を持っていたけど、どういうわけだか、辺境の外部派遣部隊へ送られてしまった。
その部隊は、銀河連邦政府に属している惑星で起きる内乱や紛争を納めるために、戦う部隊だった。
私はと言えば、政府高官の娘と言うこともあり、防衛部隊とは名ばかりの護衛役ばかり。
各惑星の主要な人物を守ることは確かにやりがいもあったし、任務の度合いは重要なのも解っていた。
けれど私はこの任務よりも、操縦技術を生かせる戦闘任務を遂行しているレイヴンが羨ましかった。
辺境の部隊だけれど、アドバンサーを主要陣のスペースシップの脇で突っ立たせているよりは余程いいと思えた。
それに、戦いを収めに行った方が、確実に銀河は平和に近付くと思っていたから。
私は何度もレイヴンのいる外部派遣部隊への転任を志願したけど、結局、一度も聞き入れられることはなかった。
お父様が、色々と手を回していたから。親心、と言えばそれまでだけど、あの人の場合は違う。
権力への、浅ましい欲望の固まりだった。お父様は元々政治家一族の生まれだから、かもしれないけれど。
私はお父様達に抑え付けられながら、とにかく任務をこなしていた。仕事をしていないと、潰れそうだったから。
気が付くと、レイヴンとろくに会えないまま、二年が過ぎていた。その間、よく泣いていたことを覚えている。
お父様から与えられた、最新型のアドバンサーのコクピットの中で、何度も夜を明かしたことも。
薄暗いコクピットを開けてくれるレイヴンは近くにいないけれど、彼の言ってくれたパスワードだけが支えだった。

それからまた一年が過ぎた頃、私の願いは少しだけ前進した。
レイヴンがしているような任務に少しも近くはなかったけど、ただの護衛役からは脱却することが出来た。
今までは、主要陣のスペースシップがユニオンのスペースポートに着陸するときだけの護衛だけだった。
けれど今度からは、星間の護衛も務めることになった。
ユニオンから出た瞬間に見た、宇宙に散る星々の美しさは忘れられない。
その中のどこかにレイヴンがいるのではないか、と思いながら宇宙を行くことは、少し嬉しかった。
離れてしまった彼に、ほんの少し近付けたような気がして。


そんな、ある日のこと。
私は何度か通ったことのある星間ルートを、ある惑星の大統領を護衛していた。
そのルートは近頃宇宙海賊が出る、という話だったけど、その大統領はユニオンに急ぎの用事があった。
どちらにせよ、急がなければならない。スペースシップもアドバンサーも、加速出来るだけ加速していた。
ユニオンが目視出来る距離に近付こうとしたとき、重武装のスペースシップが前方に出現した。
それは案の定、宇宙海賊の船だった。
宇宙海賊は重武装のアドバンサーを出撃させ、私達、護衛小隊のアドバンサーを散らしに掛かってきた。
大統領のスペースシップのすぐ傍では、ユニオンの規定でバルカンは一切使えない。なのに、相手はかなりの数。
護衛小隊になってトレーニングを怠っていたわけではないけど、久々の戦闘で苦戦したのは確かだった。
こちらのアドバンサーは、一機、また一機とやられていく。敵は、攻撃に遠慮がなかったから。
私もハイスピードタイプのリーダーアドバンサーに追いつめられて、海賊船の船体に押し付けられた。
センサー類の詰まった首を絞められているせいで、映像が乱れてソナーが弱まった。
なんとか補正しようと思っても、その前に攻撃が続く。護衛機の外装は薄くて、すぐに剥がれていった。
海賊のアドバンサーは私の機体のコクピットに手を伸ばして、驚いたように手を引っ込める。

「中身があるたぁ…なんとも意外だな」

私は海賊船を蹴って飛び出そうとしたけど、背面のブースターが全て潰されていた。
勢いのないまま踏み出してしまったから、そのまま海賊のアドバンサーに捕らえられてしまった。
なんとか脱しようと思っても、コクピットを握り締められていた。

「そんなオモチャみたいな機体でよくここまで戦った。それだけは、褒めてやろうじゃないか!」


コクピットの軋みが強くなって、機体のフレームが少し歪んだのが解った。
このまま潰されてしまえば、即座に死ぬのは目に見えていた。
救援を求めようにも、仲間の機体はほぼ全滅で、大統領のスペースシップはユニオンへ向かった後だった。
抵抗しようにもバルカンもレーザーブラスターも破損していたし、バッテリーもそろそろ限界だった。
殺されてしまう。そう、思ったとき。


眩しい銀色が、モニターに飛び込んできた。


すらりとしたボディラインに、四枚の翼を持った見知らぬアドバンサー。
翼を二枚外してブレードに変形させ、シールドを纏わせて光らせながら次々に敵機を切り裂いていく。
今までに苦戦していたことが馬鹿みたいに思えるくらい、あっさりと倒していってしまう。
私の機体を捕らえているリーダーアドバンサーを蹴って突き飛ばしてから、翼を元に戻して構える。
即座に飛び出して、応戦しようとしたリーダーアドバンサーを殴って殴って殴って、半壊させてしまった。
銀色のアドバンサーは腕の装甲を開いてレーザーガンを出すと、照準を合わせて発砲する。

「リモートコンシャスネスのタイムラグは0.1秒もないが、それが何よりの弱点だ!」

発射された赤い閃光が、半壊したアドバンサーのエンジンを貫く。
直後に激しい爆発が起こり、遠ざかっていく海賊船と、銀色の機体を照らしていた。

「だから、こうしてすぐにやられる。なんで、他の連中はそれが解らないんだ」

細身のマスクフェイスの隙間に覗く赤いスコープアイが、私へ向けられた。


「なぁ、マリー」


聞き覚えのあるあの声が、あの姿が、モニターから伝わってきた。
三年間の間に溜まった愛しさが溢れてきて、それが涙に変わってしまった。
どんどんぼやけていくモニターの向こうに見える、銀色のアドバンサー。その右肩アーマーに、文字がある。
黒い文字で、はっきりとその機体の名が記されていた。


シルバーレイヴン。


それが、レイヴンの新しい機体の名だった。







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