Metallic Guy




第二十一話 天使の、過去



「つまり」

嫌そうに、神田が顔をしかめた。

「オレのネーミングセンスは、マスターコマンダーと一緒だったってわけか」

「でも、神田君の方はまだ捻ってるからいいじゃん」

あたしは、とりあえずフォローする。このままじゃ、ちょっと不憫だ。

「マスターコマンダーの方は、自分の名前ひっくり返しただけだし。響きは良いけどさ」

「そうそう」

クッキーをつまんでいた鈴音は、その手を止めて神田へ目を向ける。

「だけど、これでちょっと納得が行ったわ。ボルの助達のネーミングセンスがいやにストレートだと思ったら、名付け親が元からあんまり捻らないタイプだったとはね」

「バックアップメモリーの正体が、マリーさんとマスターコマンダーの思い出の品だとは思いも寄りませんでした」

自分の胸に手を当てていたインパルサーは、顔を上げてマリーへ向けた。
そういえば、パルの中に入れられていたバックアップメモリーも銀色で逆三角だった。
あたしは、それを手にしたときのマリーの様子を思い出し、しっくり来た。だから、あんな顔したんだ。
マリーはセーターの胸元に手を入れ、細い鎖に繋がれた銀の逆三角のエンブレムを取り出す。

「ええ、私も驚きましたわ。まさか、あれがそんな使い方をされるなんて思っていませんでしたわ」

「バックアップメモリーってなんだよ、パル兄?」

訳が解らないのか、不思議そうに涼平がインパルサーへ尋ねる。
考えてみれば、あの時のことを知っているのはあたしと鈴ちゃんとボルの助ぐらいだった。
ロボット兄弟を除いた他の面々も、興味深そうにパルへ目を向けている。
インパルサーはマリーをちらりと見たが、涼平へ向き直った。

「ええと、僕やフレイムリボルバーが、地球に来る切っ掛けになった出来事なんですけど…長くなりますよ」

「いいですわよ、ソニックインパルサー。あなたの話も、どうせだから話すべきですわ」

ティーカップを持ち上げたマリーがそう返すと、インパルサーは、それでは、と正座し直した。
周囲の視線を集めているのでやりづらそうにしながら、彼は最初の頃の経緯を話し始めた。
アステロイドベルトでの兄弟同士の戦い、その時に仕込まれたマスターコマンダーのバックアップメモリー。
地球へ来た理由に、故障しているせいであたしの部屋へ降ってきたときのこと。
リボルバーの到来と、夏祭りでの決戦。それらをなるべく簡潔にまとめて、パルは一気に皆へ話した。
喋るだけ喋って疲れたのか、インパルサーは肩を落として深く息を吐いた。

「とまぁ、こういうわけなんです。由佳さんと鈴音さん以外には、お話ししていませんでしたけど」

「最初からオレらに関わってねぇ葵ちゃんやらには、別段どうでもいい話だったしな」

と、リボルバーは付け加えた。まぁ、確かにそれはそうなんだけどさ。
いきなり重たい話を聞いたせいか、律子がおろおろしながら、あたしとパルを見比べている。
今し方、マリーからマスターコマンダーの過去の話を聞かされているのなら、余計に混乱してしまうだろう。
涼平は夏祭りの戦いの真相を知り、相当に驚いたのか、さっきから変な声を出している。
神田も神田で話を飲み込もうとしているらしく、黙ってしまった。だが、彼らとは対照的なのがさゆりだった。
ミルクたっぷりで真っ白なお茶の残りを飲んでから、ソファーに深く座り込む。

「原因がないと、結果にはならないってことか」

「まぁ、そういうこったな、パープルコマンダー」

リボルバーが頷くと、さゆりはマリーへ顔を向けた。

「でも、それと恋は別物? 原因がなくても、結果にはなっちゃうの?」

「そういうさゆりさんはどうですの?」

そうマリーが聞き返すと、さゆりは考えるように唸る。
イレイザーを見てから、またマリーを見上げる。さゆりの頬は、少し赤らんでいた。

「原因はあったかも。だけど、こうなっちゃうなんて考えてもみなかった」

「それがきっと、さゆりさんの恋ですわ」

マリーは、空になったさゆりのティーカップにお茶を注いだ。
結構時間が経っているはずなのに、中身のお湯はまだ温かった。ティーカップから、湯気が高く立ち上る。
ことん、とガラステーブルの上にティーポットを置いたマリーは、ガトーショコラを手にした。
フォークで三等分くらいにすると、それを口の中へ放っていた。あっという間に、食べ終えてしまう。
空になった皿をテーブルに置いたマリーは、ふう、と一息吐く。

「延々と喋り続けると、お腹も空きますわね」

「それで?」

あたしの後ろから身を乗り出したクラッシャーが、マリーを見つめる。

「それで、パパはママを助けた後にどうしたの?」

「今から話しますわ。そう急かさないで下さいまし」

マリーは、興味深そうな顔をしているクラッシャーへ笑む。クラッシャーは、うん、と頷く。
他の兄弟達も、マリーへ視線を向けた。結局、皆は親の過去に興味があるらしい。
マリーは、銀縁の写真立てを手に取った。

「思い出してみれば、私とレイヴンはこの時が一番幸せでしたわ」




推進系統がほぼ全壊していた私の機体は、もう動くことが出来なかった。
このまま破損の激しい機体に乗っていることは危険すぎる、とのレイヴンの判断で、両機はコクピットを接続した。
歪み始めていた装甲が動いて、繋がる。シルバーレイヴンのコクピットが開き、こちらへ細い光が差し込んできた。
私はすぐに飛び出そうとしたけど、その前にレイヴンが私の腕を掴み、素早く中に引き寄せた。
直後、乾いた音がして、強い痛みが頬に走った。衝撃で、霞んだ視界が余計に歪む。
しばらくして、やっと私は状況を理解した。レイヴンが、私を殴ったのだと。
殴った姿勢で片手を上げたまま、レイヴンは座り込んでしまった私へ声を上げた。

「どうして救難信号を出さない! どうして銃器を使わない! どうして!」

だん、と私の頭上がレイヴンの拳によって殴られる。

「たったの三年で、こんなに弱くなってしまったんだ、マリー・ゴールド!」

目の前で項垂れて肩を震わすレイヴンは、一見すると怒っているようにしか見えなかった。
けれど、弱まった重力で浮かんだ水滴が滑って、私の頬に当たって割れていた。彼も、泣いている。
それを見て、私も余計に泣けてきてしまった。様々な思いが、一気に溢れ出してしまった。
先に落ち着いたレイヴンは私を強く抱き締めてから、安心したように呟いた。

「オレが気付かなかったら、どうなっていたと思うんだ」

「さあ。考えたくもありませんわ」

久々に感じる彼の体温が、とても心地良い。このままずっと、腕の中に納まっていたかった。
レイヴンも似たようなものなのか、しっかりと私を抱えて離さないようにしている。
しばらく会っていなかったうちに、すっかりレイヴンの体付きは逞しくなっていて、以前より胸が硬かった。
何かの汚れで黒ずんでいる彼の指先が、背中の半分より下まで伸びている私の髪を梳いて持ち上げる。

「すっかり伸びたな」

「あなたは切りっぱなしですわね」

私が彼の髪へ手を伸ばすと、レイヴンは頷く。

「やはり邪魔なんだ。こいつの整備にも、何にでもな」

「あなたらしいですわね」

そう私が笑うと、やっとレイヴンも口元を綻ばせる。
会えなかった三年の間に戦い続けていたせいか、彼は体付きだけではなく表情も硬くなっていた。
それほどまでに、戦いは激しく辛いものだと解った。他人の戦いに介入するだけとはいえ、戦いは戦いだから。
私はこのままずっと、レイヴンとシルバーレイヴンの中にいたかったけど、それはもう無理だった。
ユニオンへ到着した大統領のスペースシップが私のことを報告したらしく、迎えのスペースシップが来ていた。
レイヴンの方も同じで、彼の所属する外部派遣部隊のヘビーバトルシップがやってきていた。
そのまま、私はユニオンへ戻るために回収された。この大失態を、お父様や上官へ報告するために。
スペースシップの窓から、ヘビーバトルシップが宇宙の闇へ消える様を、私はずっと見送っていた。
また、彼に会いたい。それだけが、私を支配していた。


ユニオンに戻って、防衛部隊本部に行くと、すぐさま長官の下へ向かわされた。
その用件は、想像が付いていた。案の定、今回の大失態の事を延々と攻め立てられる。
お父様の名まで出して、失望しただの情けないだの、とにかくたっぷりと嫌味を言われた気がしますわ。
けれど今回の失態の要因は、宇宙海賊の存在するルートを通るのに、発砲許可を下ろさなかった本部にあった。
実際、数年後に軍法会議で協議されてそのことがはっきりしたけれど、それはそれで置いておいて。
長官は私に責任を全て押し付けた後、こう言い放った。

「今回の事に責任を感じた君は、自発的に降格処分を受ける。いいな?」

私は答えなかった。長官は続ける。

「何、君ほどの才能と実力のあるパイロットを切り落とそうというんじゃない。それ相応の位置に置くだけだ」

ずっと私に背中を向けていた長官は振り返り、声を荒げた。

「散々、君は父上に戦いたいと言っていたそうじゃないか! ならば行くがいい、戦うがいい、外部派遣部隊でな!」

背後の扉の前で、私の部下が息を飲んだ。他にも数人が隊長室にいたけれど、皆、表情が硬くなった。
その頃の外部派遣部隊は、表向きこそ援護や支援に出向く部隊だったけど、要するに掃きだめだった。
戦闘能力はあっても指揮を受けない者や、兵器の扱いしか上手くない者、戦闘以外にはまるで役に立たない者。
銀河連邦政府の方針に合わない信念や才能の隊員達が、集められている部隊だった。

辞令をもらって隊長室から出た私を、護衛小隊の部下達が取り囲んできた。
傍目に見れば、今まで順風満帆だった私の人生が、転落したようにしか思えなかったからだろう。
皆、口々に、ひどい、とか、責任は小隊長にだけじゃない、とか言ってくれた。
中でも一番私を慕っていた新人アドバンサーパイロットの、ゼル・グリーンが泣きそうになっていた。

「なんで、小隊長だけが!」

「クビを跳ねられなかっただけでもマシですわよ。それに、まだ行く当てがあるんですもの。いい方ですわ」

そう言いながら、私は笑っていた。レイヴンの近くに行けることが、嬉しくて仕方なかったから。
けれど、ゼルを含めた護衛小隊の隊員達は、これを私の強がりだと思ったのか、余計に哀れまれてしまった。
私は彼らを宥めてから、辞令を持って早急に人事部へ向かった。一刻も早く、と思って。
最初は通路を早足で歩いていたけど、途中から走り出さずにはいられず、最後には全力疾走になる。
長い暗闇のようだった世界が、一気に色を取り戻し始めていくように感じた。
レイヴンに、また会える。それが、何よりも嬉しかった。


一週間後。
辞令の通り、私は護衛小隊の小隊長から、外部派遣部隊の一隊員に降格した。
ユニオンから飛び立ったスペースシップが降り立った先は、大気はあれど、乾いた薄暗い星。
惑星グラバル。砂に満たされたこの星は、ユニオンから遥か遠く離れていて、正に辺境だった。
スペースポートの待合室から見える窓の外は、絶えず強風が吹き荒れていて、まるで景色が掴めない。
地形も解らず、外部派遣部隊の基地も見えなかった。見えるのは、赤茶けた風と曇り切ってぼやけた空。
私はスペースポートから飛び立った白いスペースシップを見送っていると、背後で足音が止まった。

「こんな辺境に飛ばされるとは、随分と落ちぶれたな」

振り返ると、見上げなければならない長身の姿があった。

「お嬢様」


「ごきげんよう、レイヴン。悪くはありませんわ、少しばかり埃っぽいだけですもの」

にやりとした笑みを、レイヴンは浮かべていた。彼の隣に、見覚えのある人間が数名いた。
いずれも士官学校のアドバンサー訓練で好成績を残しながら、外部派遣部隊に回された面々だった。
その中には、私がレイヴンと初めて手合わせしたときにいたあの女生徒、エラもいた。
彼女はキャラメル色の髪を後頭部で高く一括りにしていて、それを揺らして私を見下ろす。

「まーさかここであんたに会うなんて、思ってもなかったわ」

「私もですわ。あなたほどの腕の方と本部でお会いしないのを、不思議だと思っていましたの」

私がそう言うと、エラは可笑しげにする。

「けどマリーが来てくれたから、やっと私らのアドバンサーのセッティングが進むよ。な、ジェイ?」

「そうそう。この間、こいつがあんたに会ってから、まるで仕事しなくなっちまったんだぜ?」

ジェイと呼ばれた長身の青年が、レイヴンを指した。レイヴンはぎょっとしたように、隊員達を見回す。
私には、それが少し信じられなかった。あの後、落ち着かなくなったのは私だけではなかったらしい。
レイヴンを押しやったエラは私へ顔を寄せ、にやりとした。

「聞いてよ。おっかしーんだよー、この鉄仮面野郎は。いつもなら絶対にしない凡ミス、もうぼこぼこやらかしてさ」

「んで、たまにあらぬ方向を見ては、ぼけーっと小一時間そのまんま。もう、おかしいったらなくってよー」

と、ジェイがげらげら笑ったため、レイヴンが彼を蹴り飛ばした。ジェイは、顔面から派手に床に転ぶ。
レイヴンは照れくさくて恥ずかしいのか、私から顔を背けた。それを、エラがまた笑う。

「素直になりなよー、いい加減。愛しの彼女が来たんだからさーあ」

「お前ら、少しは黙ってろ!」

どんどん調子に乗っていく隊員達へ、レイヴンが声を荒げた。
騒ぎは静まるどころか、どんどん大きくなっていた。鉄仮面が怒った、とか言われている。
私はここまでむきになっているレイヴンが、やけに可愛く思えたことを覚えている。
彼が仲間にからかわれていた光景を見たのは、これが最初で最後だったということもあったから。


それから数日、外部派遣部隊の仕事に慣れるために、私はレイヴンやエラ達から色々と教わった。
一度もしたことがなかったアドバンサーの整備や事務仕事、とにかく前の部隊ではやらなかったことばかり。
自炊も一応教えてもらったけど、他のことに忙しく、やる機会があまりなかったので復習出来なかった。
エラやジェイや他のパイロット達の腕が良かったので、私は彼らと手合わせして、戦い方を忘れずにいれた。
もちろん、レイヴンとも何度も何度も戦って、三年の間に鈍ってしまった腕を取り戻すことが出来た。
乾いた砂の惑星での日々は決して快適というわけではなかったし、苦労する方が多かった。
けれど。あのままユニオンで護衛小隊としてやっていくよりは、ずっと楽しかった。

レイヴンの部屋になりつつある第五格納庫は、いつも薄暗かった。
私はその中へ入ると、彼はいつものように大型のホロモニターに向かい、コンソールを叩いていた。
メインエンジンを落とされて眠っているシルバーレイヴンの足元を通って、彼の後ろに進む。
大量に置かれた部品や機材の間を抜けると、ホロモニターに向かっていたレイヴンが振り返った。
青白い光に照らされながら、レイヴンは私へ顔を向ける。

「丁度良い」

そう言って、彼はモニターを顎で示した。見上げると、設計図が表示されている。
すらりとした細身の女性型アドバンサーの完成予想図が、立体映像となってゆっくりと回っている。
背中に長い翼を持っているその姿は、まるで、古代の神話に登場する天使のようだった。
レイヴンはその映像を切り替え、内部を表示させる。天使の中には、重々しい銃器が詰まっている。

「こいつなら、マリーの弱点も解消出来ると思ってな」

「総重量三千ウェイト…なのに、スケールは」

「ミドルクラス。出来る限り重たくして、武器を詰め込んでやったのさ」

得意げに、レイヴンは口元を上向ける。私は、彼を見上げる。

「ですけど、こんなに重たい機体と私の弱点がどう関係ありますの?」

「マリーは自分の体と同じ感覚で、機体を動かしている。だから、軽すぎると却って不利なんだ」

レイヴンは、更に詳細なデータを回り続ける天使の前に表示させた。
装甲もかなり厚く、エンジンも大型機用の物で、とてもじゃないけどミドルクラスのアドバンサーらしくない。

「こいつはやりようによっては動きが鈍くて良い的になるが、やりようによっては」

「重心移動だけで、素早く強烈な応戦が可能、というわけですわね?」

「ああ」

頷き、レイヴンは背後にそびえ立つシルバーレイヴンを見上げた。

「シルバーレイヴンとはまるで逆の機体になる。こいつは速度を求めたから、装甲を削れるだけ削ったからな」

「楽しみですわね」

私は、本当にその機体が出来上がるのが楽しみだった。彼の、作ったものだから。
この機体の名は、後にプラチナという名になった。そう、私がいつも動かしているプラチナのことですわ。
レイヴンに手招かれたので近付くと、彼はおもむろに私の作業服の胸元を引っ張った。

「やけに音がすると思ったら、それか」

「いけません?」

作業服の胸元を広げる彼の指を外してから、私は首に下げていた細い鎖を出した。
その先には、あのデータチップが付けてあった。それを見、レイヴンは不安げな目をする。

「いけなくはないが。中身は無事か?」

「ちゃんと確かめましたわよ。それに本体には穴は開けておりませんし、フレームに填めただけですのよ」

私の首元に下がったエンブレムを手にしたレイヴンは、確かにフレームに填っていることを確かめていた。
そのままチェーンごと彼の方へ引き寄せられたので、口付けた。すると、以前にはなかった苦みがする。
コンソールの隣を見ると、地球で言えば煙草に当たる物がある。どうやら、その味らしかった。
彼から離れたので、私がその小さな箱を手に取ると、レイヴンは私の様子を伺ってきた。

「嫌か?」

「いいえ。嫌いじゃありませんわ、こういうの」

そう笑ってみせると、安心したようにレイヴンは息を吐いた。

「そうか」

外を吹き荒れる強い砂嵐が、基地の外れにある格納庫の壁をいつも揺さぶっている。
砂の侵入を防ぐために固く閉じられた隔壁は、更にもう一段階、シャッターを下ろされていた。
だから、僅かな光も外から入らず、シルバーレイヴンの銀色の機体を照らすのはホロモニターの光だけだった。
青白いホログラフィーに照らされたレイヴンの横顔と目は、この頃が一番優しかった。
出撃や訓練のないときは、私は毎日のように、第五格納庫に通っていた。
アドバンサーだけではなく、意思のあるマシンも作ってみたいこと、いつかは可変型にも手を出したいこと。
ユニオンに近付くとどうしても私に会いたくなるから、三年間、出撃以外はずっとグラバルにいたこと。
学生時代は出来なかった自炊が出来るようになったこと、煙草を吸うようになってから、味覚が変わったこと。
レイヴンと私は、三年の間を埋めるように、話せることを全て話した。
それだけで、本当に幸せだったから。

たまにやってくる任務は激しくて、多星の紛争や内乱を援護するという役目から懸け離れた任務も多かった。
犯罪者の護送に、ミスをやらかした他の隊の援護。中には、護衛小隊とあまり変わらない任務もあった。
外部派遣部隊じゃなくて内部派遣部隊じゃないのか、なんて、そんな冗談を何度もエラと交わしましたわ。


そんな、ある日のこと。
整備員も含めて二十数名しかいないのに、やけにだだっ広い食堂に、昼食を取るために私達はいた。
地球で言えばカレーライスに近いものを食べていたスプーンを、エラは私とレイヴンに突き出した。

「結婚しなさい」

隣で水を飲んでいたレイヴンは、思い切りむせた。しばらくの間、激しく咳き込んでいた。
私はエラに言われた言葉がすぐには飲み込めず、片手にスプーンを持ったまま、ぽかんとしていた。
エラは空になった自分の皿に自分のスプーンを放り、身を乗り出してくる。

「見てるとさぁ、もうどうにもこうにもじれったいのよねー、あんた達」

「だが」

咳が落ち着いたので言い返そうとしたレイヴンに、すかさずジェイが絡む。

「お前ら士官学校の頃から一緒じゃんか。そろそろきちんとくっついたって、誰も文句は言わないぜ?」

「二人ともいい歳してるんだし、するんだったら金も余裕も若さもある今だよ!」

エラの隣で、給仕係兼事務員兼オペレーターのバーバラが片手を突き上げる。エラは、うんうんと頷く。

「いっそのこと、既成事実でも作っちゃいなよ。その方が良くない?」

「まーさか今まで手ぇ出してねぇ、てのはねぇよなぁ? 男としてよぅ」

にやりと笑いながら、ジェイがレイヴンと私を見比べた。何を言いたいかは、すぐに解った。
レイヴンは言い返す代わりに、ジェイの座っている椅子を蹴飛ばし、転倒させてしまった。
安物のパイプ椅子と人が床に転がった派手な音のあと、レイヴンはエラへ声を上げる。

「なんだ、その既成事実ってのは!」

「あらぁーん?」

ジェイと同じようなにやり笑いになったエラは、身を乗り出してレイヴンを指す。

「あーんたらガッコの時に出会ってるんだから、もう六年近くじゃなーい。今更、何もないってのはないでしょーん」

「私だったらもう、出会ったその日にげっちゅーらぶらびゅーん!」

よく解らない単語を発したバーバラは、私の両手を取って目を輝かせる。
エラ達が騒がしかったせいか、私達の周囲には他の隊員達が集まってきてしまった。
床に転がったままのジェイは彼らへ事のあらましを説明し、もっと騒ぎを大きくしている。
私はバーバラに強く握られた手が痛かったけど、振り解くことも出来なかった。
レイヴンは他の男性隊員に囲まれて、矢継ぎ早に結婚を急かされてはいたけど、無視を決め込んで黙っていた。
何かを考えるように腕を組んでいたエラは、突然立ち上がって私を指した。

「ぃよぉし!」

大きくて尖り気味の胸を張り、エラは叫んだ。

「鉄仮面野郎がその気なら、その気にさせてやろうじゃないの!」

「何か良い考えでも?」

床から起き上がったジェイが言うと、エラは大きく頷く。

「まずはマリーを花嫁にしちゃう! そしたら絶対、鉄仮面も剥がれてメロリンキューでウェディングに一直線さ!」

「でも、花嫁衣装なんてあるのか?」

ヘビーバトルシップのチーフパイロット、ウォルスが訝しげにエラを見る。
私も、まさかこんな辺境の星に花嫁衣装があるとは思えなかった。するとエラは、ぐいっと自分を指した。

「あるともよ!」

「けど、どこに?」

バーバラが首をかしげると、エラは得意げに笑う。

「私ん部屋」

一斉に他の隊員達から、嘘だ、とか、有り得ない、とか声が上がる。
私も、一瞬信じられなかった。エラが、まさかそんなものを持っているとは思えなかった。
バーバラはしばらく唸っていたが、ぱん、と両手を胸の前で合わせた。

「あ、覚えてるかもー。エラがここに来たときに持ってきたコンテナの中に、白いのがどーんて」

「…マジで?」

半笑いを堪えながら、ウォルスが身を乗り出す。エラは頷く。

「おうさねー、こんな嘘を吐く必要がどこにあるよ。なんか知らないけど、うちの姉貴がどっちゃりくれたのよ」

「ですけどそれは、エラの体格に合わせてあるのでは?」

私が尋ねると、バーバラがハサミを動かすような仕草をする。

「大丈夫大丈夫。そんくらい、裾をじゃきじゃきーっとちょん切っちゃえば」

「私は自分で稼いでがっつり豪華なドレスにするつもりなんだし、捨てるよりはいいっしょー?」

エラに迫られた私は、条件反射でこくんと頷いてしまった。
途端に、周囲が沸き立った。必死にレイヴンは否定しようとしたが、もう無理だった。
結婚式まではしなくとも、私はウェディングドレスを着せられることになってしまった。
しかもそれは、バーバラの裾直しが済み次第すぐに、ということだった。
私は皆のノリの良さと勢いに多少呆れていたけど、正直なところ、楽しみになっていた。
レイヴンを見上げると、彼はあらぬ方向へ顔を向けていたが、彼もどこか楽しそうにしているように見えた。
このまま何もなければ、三日以内に、私はバーバラに仕立て直されたエラのドレスを着せられるはずだった。
けれど、翌日から遠方の惑星への派遣任務が入ってしまい、ドレスを仕立て直すどころではなくなってしまった。
一週間ほどの、いつもの後方支援任務だった。


ヘビーバトルシップ・ディアブロス号のブリッジは、やはりその大きさの割りに人員は少なかった。
全長は二百五十スケール、地球の単位で言えば二千メートル級の高火力戦艦。
本来なら管制官や砲撃手がそれぞれいるはずなのだけど、この船にはパイロットを兼ねた人間しかいなかった。
外部派遣部隊の隊長は一応艦長席に座っているけれど、他の仕事がしたいのか、いつも動きたそうにしていた。
遠方に固められた部隊に配備されるにしては、いやに性能が良い船だったことを良く覚えている。

がら空きに近いブリッジのオペレーター席に座っていると、エラがやってきた。
彼女は自機の整備をしてきたのか、水色のパイロットスーツの袖口や裾が少し汚れている。
パイロットスーツのポケットに外した手袋を突っ込みながら、私を見下ろす。

「そこ、やっとくからさ。マリーも、自分の機体の整備とセッティングしてきなさいな」

「ですけど整備なら、離陸前に全て終えて」

「いいからいいから」

半ば無理矢理立たせられた私は、更にバーバラにもせっつかれ、ブリッジから追い出された。
仕方がないので、彼女らに言われた通りに格納庫へ向かうことにした。

格納庫に入ると、いつもならいるはずの整備員達が出払っていた。
それを不思議に思いながら、照明まで落とされている通路を歩いて階段を下り、機体の足元に出る。
ここまでされても、私はまだ解っていなかった。これが、彼女らの策略だとは。
薄暗い中で、唯一光が漏れている大型モニターの前に出ると、コンソールにレイヴンが突っ伏していた。
ここで、ようやく私は理解した。彼女達は、私と彼を二人きりにさせたかったのだと。
よく見ると彼は眠っていて、ホロモニターには、あの純白のアドバンサーの設計図が表示されている。
私はコンソールを叩いてそれを拡大し、細部まで眺めた。何度見ても、素晴らしい機体だった。
一見無茶な設計だけれど、計算が緻密で、バランスは見事に取れていた。背中の、二枚の翼のラインが美しい。
ついその設計図に見惚れていると、いつのまにかレイヴンは起きていた。彼は、私とモニターを交互に見る。

「悪くないだろう。なかなか、見栄えのいいものに仕上がりそうだ」

レイヴンはモニターに向かうとコンソールを叩き始めたが、片手を挙げて私の背後を指した。

「だが、まだまだ手直しが必要だ。悪いがマリー、そいつを淹れてくれないか」

指された方を見ると、熱湯の入ったポットと逆さにされた数個のカップ。そして、四角い缶。
私は缶を手にしたけれど、ラベルは剥がされているし、中身が何なのか見当が付かなかった。
しばらくぼんやりしていると、レイヴンが呆れたような目をしていた。

「箱入りならぬ、コクピット入りのお嬢様もここまで世間知らずだと思わなかった」

「これ、なんですの?」

「茶葉だ。飲んだことはあるだろう、リンリンリンガーだ」

そこまで言って、レイヴンはため息を吐く。私は、本当に呆れられてしまったらしかった。
確かに、そのお茶の名前は聞いたことがあったし、何度も飲んだことはある。
けれど、以前の護衛小隊は他の隊員が淹れてくれたし、学生時代はあまり縁のない飲み物だった。
レイヴンは椅子の背もたれに体重を掛け、少し笑う。

「こっちは手を離せないんだが…仕方ない」

モニターに顔を向け、レイヴンは頬杖を付く。

「茶も淹れられないような女のままでは、一生嫁の貰い手は来ないだろうしな。それに、オレのためでもある」

「あら。結局、私を貰う気ですの?」

「オレの他に、物好きがいると思うのか?」

横顔のまま、レイヴンはにやりとする。私は缶を握り締め、笑う。

「あなたみたいな鉄仮面の隣にいたがる物好きも、私ぐらいでしょうしね」

「お前までそれを言うのか」

と、少し嫌そうにしながら、レイヴンはまたコンソールを叩き始めた。
私は固く締められていた缶の蓋を開けると、柔らかい香りの漂ってきた。中には、茶葉が詰まっている。
その中から飛び出ている銀色の平べったいスプーンを出していると、レイヴンが言う。

「そのスプーンで二杯、茶葉をそこのポットの中に入れろ」

「それでいいんですの?」

ポットの蓋を開けて私が聞き返すと、レイヴンは頷く。

「ああ。そいつは結構値が張ったから、味も濃い。それ以上入れると、渋いだけだ」

「では」

私はポットの中に、彼に言われた通りの量の茶葉を落とした。
ポットの蓋を閉めると、レイヴンは片腕を挙げ、私に腕時計の文字盤を見せる。

「そのまま二分半。本来なら三分らしいんだが、オレはこっちの方が好きでな」

「了解しましたわ」

私は彼の腕時計を見てから、ふわりと香りを漂わせ始めたポットへ目をやる。
そのまま二分半が経ったため、私は伏せてあったカップを二つ起こし、注いでいく。
問題がないか聞こうと思ったが、レイヴンが何も言わないため、これでいいのだと思った。
注ぎ終わったカップの一つを差し出すと、彼は少し飲み、顔を背けた。
私はその反応に不安になって、自分の分を飲んでみた。けれど、少し渋いだけで、他は問題がなさそうだった。
彼はもう少しだけ飲んで、やはり顔を背けてしまう。

「…参ったな」

「何か、いけませんでした?」

恐る恐る尋ねると、レイヴンは顔をしかめていた。

「渋いんだ」

「確かに少しだけ渋いかも知れませんけど、そんなには」

「…ダメなんだ」

苦々しげに呟き、レイヴンは半分以上中身が残っているカップを置いた。

「苦いのと渋いのだけは、絶対に」

「あらまぁ意外。煙草は行けますのに?」

「あれはあれだ。これはこれなんだ」

そう弱々しく言い、レイヴンは名残惜しげに余ったお茶を見つめる。
私は弱みなんてなさそうな彼が弱り切っている姿が、少し可笑しく思えた。
堪えきれずに笑い出してしまうと、レイヴンは何も言わずにホロモニターへ体を向け、一気にカップを傾けた。
なんとか飲み干したようで、息を荒げながらコンソールの前にカップを置くと、椅子にへたり込む。
まだ多く残っている自分の分を飲みながら、私は彼を見下ろした。

「苦手なら、無理しなくてもいいと思いますのに」

「そうもいかない」

そう呟いたレイヴンの手前のコンソールに、私は腰掛けた。
ホロモニターから浮き出ながら表示されている純白のアドバンサーは、ゆっくりと回っている。
彼のカップの横に自分のカップを置き、私はホログラフィーの天使を見上げる。

「いつ、出来上がりますの?」

「さあな。どうせならいい武器も掻き集めたいし、何より外装に金が掛かりそうな感じなんだ」

「そんなに手を掛けなくても」

「いや、掛けるさ。なにせ中に乗るのは、お嬢様だからな。それ相応の物にしないと、蹴られちまう」

体を起こしたレイヴンは、笑いながら私とホロモニターを見比べた。私は肩を竦める。

「あら、随分とひどい言い草ですわね。そんなに私は乱暴じゃありませんわよ?」

「さあて、どうだかな」

笑いながら、レイヴンはまたコンソールを叩き始めた。
私は彼の邪魔にならないようにしながら、回り続ける純白のアドバンサーを見つめていた。
このアドバンサーがレイヴンに手によって組み上げられて、搭乗出来る日は遠くないだろう。
その時は、そう思えた。




ふう、とマリーは深く息を吐いた。
裾の広がったロングスカートの中で足を組み、その上に手を重ねて乗せている。
天井を見上げているエメラルドの瞳は、潤んでいる。

「結局、レイヴンの手でプラチナが組み上げられることはありませんでしたわ」

苦しげで弱々しいマリーの表情が、儚くみえた。

「今、私が操っているプラチナは三機目の機体で、全て私が組み上げたものなのです」

膝の上に乗せられた手がぎゅっと握られ、彼女は俯いた。
波打っている柔らかな色合いの金髪がさらりと肩からこぼれ、マリーの横顔を隠す。

「本当に、幸せでしたわ。ずっとこのまま、あの人と一緒にいれると思っていた。…思えたんですもの」



「けれど」

顔を上げたマリーの目元から、ゆっくりと涙が落ちていく。

「歯車が、狂ってしまった」







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