Metallic Guy




第二十三話 ハッピー・バースディ



「葵さんのお誕生日に、こんな話をするのもなんですけれど」

コーヒーゼリーを食べ終えたマリーは、ハンカチで軽く口元を拭う。
それを膝の上に置き、ぐるりとあたし達を見回した。

「皆さん、ゼル・グリーンという名を覚えていらっしゃいますかしら?」


あたしは聞き覚えのあるその名の持ち主を、思い出した。

「確かそいつ、マリーさんとマスターコマンダーを半殺しにした奴だっけ?」

先日のマリーの過去に出てきた、とんでもない輩だった。思考が普通じゃない男だった。
エリートの出ながら、かなり独り善がりな理由で、レイヴンとマリーを傷付けた男だったと思う。
だけど、それがなんで今出てくるんだろう。そういえば、そのゼルの地位は少佐だったっけ。
文化祭の襲撃で銀色のアドバンサーを操っていた者を、マリーは少佐と呼んでいた。ということは、もしかして。

「マリーさん。そいつが、文化祭の時にパル達を襲いに来た少佐なの?」

「ええ」

頷いたマリーは、手を組んで肘をテーブルに置き、その上に顎を乗せた。
優しげだった目元は歪められ、どこかを睨んでいる。

「大した戦略もないくせに私達を攻めに来た、愚かしい男ですわ」

「でも、文化祭の時に負けたから帰っちゃったんじゃ?」

と、律子が言うと、マリーは返す。

「確かにあの戦いで、私達は、奴に相当な損害は与えられましたわ。撃墜した百二十五体のマシンソルジャーは、単純計算でトランスポートシップ一つ分ほどになりますわ。ですけれど」

「トランスポートシップの隻数は四。まだ、三隻分の我らの部下が残っているでござる」

と、イレイザーがすかさず補足した。マリーは続ける。

「そういうことになりますわ。ゼルのアドバンサーも、あのシルバーレイヴンもどき一機だけではないでしょうし」

「まだまだ戦いは続く、ってわけか…」

そう涼平が洩らすと、マリーは鼻で笑う。
馬鹿にしたような目になり、ゆっくり首を振る。

「戦い? あんなもの、戦いと呼ぶ方がおこがましいですわ。そんな大層なものではなくってよ、涼平さん」


「そのゼルをどうにかしない限り、地球とボルの助達は平和じゃないってことか」

腕を組み、鈴音は壁にもたれた。俯いたため、長い髪が彼女の横顔を隠す。
あたしには、レイヴン以上にゼルの考えが解らなかった。その、思考そのものが。
察するに、ゼルはマリーのことが好きだった。だから、レイヴンに言いがかりを付けて倒そうとした。
そこまでは、まだなんとなく解る。恋心故の暴走、でなんとか片付けられる範囲だ。
だけど、問題はその次だ。マリーの関心が自分へ傾かなかったからと言って、なぜ。
いきなり、レイヴンを殺そうと思うんだろう。短絡的なんてもんじゃない、極端すぎる。
しかもそれだけでは飽き足らず、二人の子供のようなロボット兄弟を襲いに来た。彼らの部下を使って。
非道とか残虐とか色々言葉はあるけれど、こいつに相応しいものがなかなか思い付かなかった。
だけど、普通に考えれば、レイヴンとマリーを半殺しにした時点で逮捕されてもおかしくない。
いや、むしろそれが普通だ。なのに事故として処理されて、お咎めなし。少佐にまでなっている。
なんで、そんなことが許されているんだろう。どうかしている。

「どうかしてるよ」

考えていたら、言葉に出てしまった。皆、あたしに振り向く。
レイヴンのやるせなさとかマリーの悔しさとか色々考えたら、押さえられなくなった。

「どうかしてるよ、ゼルもその周りも全部。なのに、なんでそんなのが野放しになってるの?」

「ゼルの父親による徹底した証拠隠滅と、捜査に当たろうとした銀河警察の幹部への買収工作の賜物ですわ」

マリーは手を固く握りしめ、額に当てる。

「本当にどうかしていますわ、あの世界は!」


「ゼル、なぁ…」

胡座を掻いて背を丸め、腕を組んでいたリボルバーが呟いた。

「やることなすこと、無茶苦茶すぎるぜ。上には上がいるっつーことかよ、嫌な上だが」

「要するに、僕らはそのゼルという人に八つ当たりされているんでしょうか?」

と、その隣で正座しているインパルサーが項垂れた。普通に考えれば、そうなるだろう。
思い切り嫌悪感を露わにしたディフェンサーが、けっ、と吐き捨てた。

「だーとしたら、オレらの部下達は散り損じゃねぇか。あーもう、マジでムカつくなゼルの野郎は」

「どうせ戦うんだったら、正面切って一人で来なさいよぉ。苛つくなーぁ」

ばきん、と拳を手のひらに当て、クラッシャーが膨れる。イレイザーが頷く。

「全くでござる。拙者達や部下達を、一体なんだと思っている」


「ところで」

唐突に、イレイザーが出入り口側を指した。兄弟達も、同じ方を向く。
吊られてそっちを見てみるが、引き戸が開いているわけでも、人影があるわけでもない。
イレイザーは顎に手を添えていたが、天井を見上げる。

「先程から外にいる男は…ああ、これが銀河警察の刑事でござるな」

「どこにいるの?」

さゆりが尋ねると、イレイザーはくいっと天井を指した。

「屋根でござる。銀河警察捜査二課所属巡査部長、惑星ベベル出身で、地球年齢に換算すればおよそ二十五歳」

すると、屋根の上から変な声がした。その刑事は、イレイザーの声を聞いているらしい。
天井を見上げたイレイザーは、少し首を動かして何かを追いながら、続ける。

「変身能力を持つ種族、メタモロイドのバットタイプ。人間体での身長は百八十二センチ、体重八十三キロ」

何かが、どさりと引き戸の前に落ちてきた。こけたようで何かが倒れる音と、うぉわ、と叫び声が上がった。
引き戸の方を見つつ、イレイザーはにやりとした。いっちゃんなりの意地悪なのか、これは。

「トランスレーターに頼っているようでござるから、まだこの星へ来て日が浅いと見える」


勢い良く引き戸が開けられ、イレイザーの言った通りの体格の男が現れた。やけに大きな箱を脇に抱えている。
トランスレーター、要するに翻訳機は、目元を覆っている黒いゴーグルだろう。色が濃くて、奥が見えない。
一見すると、ヨーロッパ系の外国人にしか見えない。短めのブラウンゴールドの髪と、色素の薄い肌のせいだ。
開けた引き戸に寄り掛かってあたし達をぐるりと眺めた銀河警察の刑事は、びしりと片手を突き出した。

「ごっ名答ー!」

その手の親指を立て、ぐっと自分を指す。やけにテンションが高い。

「そうよ、オレこそが銀河警察の刑事! その名も、スコット・ブラウン!」

ついでに敬礼し、にやりとした。

「スッチーと呼んでくれたまえ!」


「呼ばないから、絶対」

あたしは、思わず突っ込んでしまった。なんだろう、これが本当に刑事なんだろうか。
ぱっと見の体格と顔立ちは悪くないのだけれど、動きが変だ。テンションも高すぎる。
ていうかなんだよスッチーって。お前は客室乗務員か。そもそも自分で自分に愛称を付けるな。
スコットは引き戸を閉め、背を向けた。すると、スリットの入ったジャケットの隙間から何かが出ていた。
ばさりと広げられた灰色のものは、コウモリのような翼だった。これが、変身能力なんだろうか。
前だったらこれだけでかなり驚いていたかもしれないけど、もう、こういう展開には慣れてしまった。
朝起きたらロボットが部屋に転がっていた衝撃に比べれば、コウモリの翼なんて大したことはない。
あたしは、そう思えてしまう自分が、ちょっと悲しくなっていた。慣れって恐ろしい。
その翼を折り畳んで縮めたスコットは、胸元から五角形で金のエンブレムが付いた黒い長方形のものを出した。
マリーの端末と同じようなもので、ぱこんと開いて立体映像を表示させる。

「ま、モノホンだから安心してくれ、ティーンエイジャー諸君」

神田のパイロット登録証と似たような配置で、スコットの顔写真と読めない文字が並んでいる。
それを消してから端末を閉じた彼は、まじまじとこちらを見回し、あたしで目を止めた。

「あんたらがコマンダーか。なかなか面白いシステムを作ったもんだぜ、マスターコマンダーは」

片手に抱えていた大きな箱を下ろし、それをどんと神田の前に置いた。
神田がその箱とスコットを見比べていると、スコットは声を上げる。

「ハピバ葵ちゃーん! 突っ返すのはなしだぜー?」

箱の包装紙を開いた神田は、ぐったりしたような目をした。見ると、やたら派手な文字がある。
見覚えのある、変身少女アニメのロゴだ。中身は、その主人公達のフィギュアらしい。いわゆる食玩だ。
スコットはそのプリキュアのロゴが並ぶ小さな箱を軽く叩き、にぃっと口元を広げた。

「ちなみに中身は全部ほのかだ! なぎたんはオレが抜いておいた!」

「極端なことしないで下さい。ていうかいりませんよ、こんな」

「まぁそう言うな、これだけ掻き集めるのは大変だったぜいやっはー!」

ずいっとその箱を神田に押し付け、スコットはとにかく上機嫌に笑う。

「どうせ葵ちゃんは白派だろ? ちなみにオレは黒派だ」

「誰も聞いてないっすよそんなこと。つか決め付けないで下さい」

いちいち突っ込みながら、神田は顔を逸らした。相手にしたくないらしい。
スコットのテンションの高さに、あたしはぶっちゃけ付いていけなかった。どこから出てるんだ、この元気。


「スコットさん。あなた、何をしに来ましたの?」

呆れ気味のマリーが尋ねると、スコットは人の良さそうな笑顔になる。

「せっかくカラーリングリーダーもコマンダーも固まってるから、面通ししとこうと思ってよ」

「それだけの理由ですの?」

訝しげに、マリーがスコットを睨む。スコットは肩を竦めた。

「敵わねぇなぁ、大佐どのには。はいはい、ちゃーんと目的も目論見もありますよ」

やけに大きな咳払いの後、スコットは胸を張った。表情を固めると、やっと刑事っぽくなる。
ぐるりとあたし達を見回してから、ばさりと翼を広げた。途端に、体格が増して見える。
骨張った薄い灰色のそれをくいっと上向けて、ポケットに両手を突っ込む。

「いいか、高校生諸君あーんど小学生諸君」



「ゼル・グリーンは、あんたらをどうにかしようと思ってるぜ。間違いなく」



「無論、すぐに殺すとかはないだろう。だがな」

声を低くしながら、スコットは右手を出してひらひらさせる。

「このままじゃ、色んな意味でやばいことには代わりはない。お前らも、周りもな」

店内を見回したスコットは、目線をロボット兄弟で止める。

「だからオレは、さっさとゼルを逮捕しちゃわなければならない。民間人をこれ以上危険にさらせないからな。だが、そのゼルはやたら隠れるのが上手くてな。この間の襲撃の後も、ここら辺一帯を舐めるように捜してみたが、手掛かり一つ出てこない。そこで、だ。ここは逆に、奴の襲撃を利用させてもらう。間接的にとはいえ、接触していることには変わりないからな」

スコットは右手を銃の形にし、ロボット兄弟を指す。

「ゼルがコマンダー諸君に目を付ける前に、なるべく消耗させて欲しいんだ。そしたらきっと、さすがのゼルもボロを出す。いや、出させるためにオレはここに来たんだからな。まぁ、要するにあれだ」


「戦い続けろ、ってことか」

ゆらりと立ち上がったリボルバーが、スコットを見下ろす。スコットは一歩身を引き、見上げた。
がしゃんと肩の弾倉を回してから足を広げ、ばっぎゃん、といやに強く拳を当てた。
オレンジ色のゴーグルの奥の目がはっきり見えるほど色を強めながら、にやりとする。

「上等だ。オレらにケンカを吹っ掛けたことを、銀河の果てまで後悔させてやろうじゃねぇかよ。ゼルの野郎によ」

他の兄弟達も立ち上がり、同じようにスコットを見据えた。皆、決心が固まっているらしい。
その反応に、スコットはうん、と満足そうに頷いた。また、軽く敬礼する。

「カラーリングリーダー諸君。銀河警察の捜査にご協力、感謝いたします」

ふと、神田を見ると、コントローラーを固く握りしめて真剣な表情をしていた。
また、戦うつもりなんだ。自分のものになった、ナイトレイヴンで。
文化祭の、いや、ナイトレイヴンの乗るようになってからの神田は、どんどん戦士らしくなっていく。
ちょっとどころじゃなく、かなり。神田は、男らしくなってきている。




スコットが帰ってから、あたし達もそれぞれの家へ帰った。
いつのまにか、事態はどんどん悪化していたらしい。あたしの、知らないところで。
戦いは、文化祭で終わったと勝手に思っていた。だけど、そうじゃなかった。
考えてみたら、そっちの方があるわけがない。一度負けたくらいで、素直にユニオンに帰る相手じゃない。
パルも、そう言っていた。これで終わったとは思えない、と。実際、その通りだった。

部屋に戻って、とりあえず机には向かってみたものの、あまり予習の成果は期待出来そうになかった。
刑事らしくない刑事、スコットの言ったことが気になってもいるし。どうにかしようって、どうするんだろう。
さっきから何度もシャーペンでノートの端を叩いてしまうから、点が増えていく。音もうるさい。
ぼんやりしていると、インパルサーが入ってきた。片手には、あたしのマグカップを持っている。

「進んでませんね」

あたしの手元にマグカップを置くついでに、上からノートを覗き込む。みなまで言うな。
柔らかそうなマシュマロが二つ浮かんでいるココアが満ちたマグカップを取り、少し飲んだ。おいしい。
もうちょっと飲んでから、マグカップを机の上に置いた。湯気が、ゆっくり立ち上っている。

「いきなりあんなこと言われちゃ、気になって仕方ないもん」

インパルサーはテーブルの上に自分の勉強道具を広げ、その前に座った。彼の定位置だ。
顔を上げたので、彼のレモンイエローのゴーグルにあたしが映る。

「仕方ありませんよ。今まで、そんなことはなかったんですから」

マグカップに突っ込まれていたスプーンで、半分くらい溶けたマシュマロをすくって食べる。
甘くて柔らかくて、温かい。すぐに、口の中で溶けてしまった。
今までが、本当にこんなマシュマロみたいな状況だった。危険があっても、それはパル達だけの問題だった。
なのに、今度からはそうじゃない。


「足手纏いだよなぁー…」

思わず、声に出てしまった。本当にそうなんだから。
コマンダーといっても、ただいるだけだ。戦うことなんて、出来ないし。
挙げ句、狙われちゃってるみたいだし。まるっきり、足手纏いでしかないじゃないか。
少しでも、パルの役に立ちたいのに。今度こそ、何も出来ないんだろうか。


「だから、泣いていたんですか?」


少し首をかしげたインパルサーが、いきなり言った。なんで、解るんだ。
あたしは驚いてしまい、振り返った。パルは、真っ直ぐにあたしを見上げている。
ゴーグルの奥のサフランイエローがほんの少しだけあって、レモンイエローに混じっている。
しばらくしてあたしの動揺も落ち着いたので、聞いてみた。

「なんで…解るの」

「やっぱりそうでしたか。別に、そんなことは僕は」

「あたしが気にするの!」

つい、言い返してしまった。すると、パルはかしげていた首を元に戻した。

「そうですか」


考えれば考えるほど、自分が嫌になってくる。
どうして、あたしは普通の人間でしかないのだろう。


「由佳さん」

悶々としていたが、その声で顔を上げた。インパルサーが、目の前に立っていた。
蛍光灯が陰って、長い影があたしをすっぽり覆って薄暗い。
その中で目立つレモンイエローのゴーグルと、その奥のサフランイエローが目に染み入る。

「本当に、そう思っているんですか?」

あたしは頷くついでに、俯いた。だって、そうなんだ。
肩に軽く、彼の大きな手が置かれた。服越しだから、あまり冷たくない。
そのまま引き寄せられ、パルの腹部辺りに額が当たる。こっちは冷たい。

「少なくとも、僕はそうは思いませんが」


「ここへ落ちてきて、何も解らなかった僕を、由佳さんは最初に助けてくれました」

あたしは首を振る。あんなの、助けたなんて大層なものじゃない。
ただ、放っておけなかった。それだけなんだ。
パルの手が背中に置かれ、その重みが感じられた。

「もっとありますよ。覚えていますよね?」

忘れるわけがない。夏休みの、やたら大変だったあの時期だけは。
あたしが頷くと、パルは少し笑ったようだった。

「それだけで、充分なんです」



「…あたしが、ダメなの」

宥めるような優しい声を聞いていたら、もっと自己嫌悪が強くなった。

「このままじゃ」


守られてあたしが無事でも、戦って傷付いたパルが、ちゃんと治ると解っていても。
それだけじゃ、ダメだ。嫌なんだ。
気付いたら、目の前にいるパルに縋り付いていた。
彼の内側からは、いつも小さな機械の音がする。冷たさの奥に、確かな温かさがある。

「由佳さん」

その声と共に、ゆっくり髪を撫でられる。
角張った指に髪を引っかけないようにするためか、いやに動作が慎重だ。

「何がどう、ダメなんですか?」

「守られても、守った方はどうなるの? あんたが、辛くないわけないでしょ」

髪を撫でていた手が止まり、頬に当てられた。仕草は、やはり優しい。
ゆっくりと冷たい感触が滑っていったあと、パルはその手を放した。
彼が身を引いたため、その腰に回していた腕を外す。見上げると、屈み込んできた。
インパルサーはあたしに目線を合わせてから、もう一度抱き締めてきた。

「確かに辛いです。ですけれど、由佳さんや皆さんが傷付く姿を見る方がもっと辛いんです」

解ってる。そんなのは、とっくに解ってる。

「僕のことを解って下さろうとしなくても、いいんです。由佳さんが無事なら、それでいいんですから」


「パル」

目の前にあるスカイブルーの装甲が、愛おしくて仕方なかった。
ずっと、ここにいて欲しい。あたしが代わりに戦うことが出来たら、どんなにいいだろう。
少しでも、パルが受ける苦しみを弱めることが出来たなら。どんなに。
彼の奥から感じられる弱いエンジンの熱が、心地良い。

「あんたは、優しすぎるんだよ」

パルは、自分が犠牲になれば、自分が傷付いても周りが助かれば、それでいいと思っているに違いない。
辛いのを押し殺して、さっきみたいなことを言っている姿を見るのが、痛々しくて仕方ない。
そんなんで、良いわけがない。盾も傷は付くし、欠けるし、そんな状態で戦い続ければいつか壊れてしまう。
なんでもっと、パルは自分に優しくできないんだろう。そういうところだけ、不器用だなぁ。

「由佳さんも、充分そうですよ」

と、インパルサーは頷く。あたしには、とてもそうとは思えないけど。
丸みのある感触が髪の上にあったので見てみたら、彼がマスクを寄せていた。
大事にされているのが、解る。あたしが彼を好きなように、彼があたしを好きなのがよく解る。
それだけでいいと思えないのは、なんでだろう。

もっと、近付きたい。もっと、解りたい。


もっと。


彼の戦う苦しみを、和らげてやりたい。

なのに。


「どうしたら、いいのかなぁ」

さっぱり、思い付かない。

「どうしたら、パルがそんなに無理しなくて済むんだろ」


結局。

パルも答えなかったし、あたしにも答えが出てこなかった。
戦わなければいい。それはある。
だけど戦わなかったら、もっとパルは苦しむ。
本当に。どうしたら、いいんだろう。



そんなふうに、どちらも考えてしまったせいか。
なんとなく二人して眠れないまま、時間が過ぎた。予習も出来ず終いだった。
窓を開けると寒いから、カーテンだけ開けた。蛍光灯を消して、弱い月明かりと星の散る空を眺めていた。
また、あの銀色のアドバンサーが出てくるんだろうか。また、あたし達の視界をうろつくんだろうか。
考えただけでも嫌になる。どこまでも自分勝手なゼルという男が、心底腹立たしかった。
背中には、彼がいる。あたしの体温で温まってしまった、固い装甲がある。
放さないようにするためなのか、パルの腕はあたしをしっかりと抱え込んでいた。
頭のすぐ上には、弱い光を放つレモンイエローのゴーグルが、夜空を見上げていた。

「由佳さん」

「ん?」

「僕は今まで、戦うことが辛いと思ったことはいくらだってあります」

彼の目線の先には、かつての戦場が見えているのだろうか。
静かに落ち着いた口調で、パルは呟いた。

「けれど、嫌だと思ったのは初めてです」

「いや?」

上目にマスクフェイスを見上げながら尋ねると、パルは俯く。

「ええ。僕が戦うことが、ここまで由佳さんを苦しめていたなんてと思うと」

「あたしなんて、大したことないよ。パルに比べたら」

「そういう問題ではないですよ。量とかの問題じゃないんです、こういうのは」

夜空を高く飛ぶ旅客機が、赤い光を点滅させながら遠ざかっていった。
静かにしていると、街の方からはざわめきが聞こえてくる。
パルの中で機械が動く音や、エンジンの僅かな唸りも、背中越しに感じられた。
インパルサーはあたしを見下ろし、マスクを開いて笑む。

「由佳さん」

「今度は何」

真っ直ぐにあたしを見るサフランイエローの目が、目立っていた。

「客観的に考えれば、確かに由佳さん達のような方々は、僕らの足手纏いかもしれません」

ですが、と彼は首を横に振った。

「由佳さん達は元々、一般の方々です。すぐに対応が出来なくて、当然なんです。それが普通なんです」

「解ってるけどさぁ、でも」

それでも、少しでも役に立てたら、と思ってしまうのだ。
パルは、あたしを抱く腕に少し力を込めた。でも、苦しくない程度だ。

「ここに、いて下さるだけで充分なんです。僕の手の届く場所に、ずっといて下さるだけで」

「あたしは良くないの。ただ守られてるだけなんて、それだけじゃ」

「由佳さんも、結構我が侭ですね」

と、彼は笑った。あたしはなぜ笑われるのか解らないので、ちょっとむくれてしまった。

「なんで笑うの」

「嬉しいなぁって、思いまして」

表情を綻ばせ、本当に嬉しそうな目でパルはあたしを見下ろす。

「そこまで上官に大事に思って頂けるなんて、部下冥利に尽きますからね」

「恋人とかじゃなくて?」

あたしには、ちょっとそれが意外だった。パルはにんまりする。

「はい。由佳さんが僕を好きだとは言って下さらないじゃないですか。ですから、まだ部下なんです」

そういうことか。
言われた途端、なんだか照れくさくなってきた。
なんとか言い返してやろうと色々考えたけど、結局、出てきたのはこれだった。

「馬鹿」



どうしてこういう、変なところだけ、素直になれないんだろう。
ただ一言、パルが好きだって言うだけじゃないか。
それなのに。それだけなのに。


どうして、あたしは言えないんだろう。







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