Metallic Guy




第二十四話 聖なる、夜に



「もうちょっとだけ待ってねー」

寒空の下、クラッシャーが片手を突き上げた。リビングからの明かりが、つやりとボディを照らしている。
どういうわけだか、あたし達は外へ連れ出されていた。気温も下がっていて、コートを着ていても寒い。
ロボット兄弟は寒さを感じていないらしく、平気そうだ。こういうとき、便利そうだなぁ。
クラッシャーは何かの液体を球体にして、それを片手の上に浮かばせている。

「配合が難しくってさぁー、ちょっと手間が掛かっちゃったんだよね」

「つか、それ何なんだ?」

涼平が尋ねると、クラッシャーはにんまりと笑む。

「すぐに解るよー」

ぽん、と軽くその液体を跳ねさせたクラッシャーは、それをディフェンサーへ投げた。
ディフェンサーは軽く指を曲げて、その液体をシールドでくるむ。どこにでも、発生させられるようだ。
薄黄の光を纏った液体を手の中に納めたディフェンサーは、暗闇の空を見上げた。

「インパルサーの兄貴、さっさとセッティングしとけよー!」

そういえば、さっきからパルがいなかった。あたしは、ディフェンサーの視線の先を辿る。
青い細身のシルエットが、両手に何か持って浮かんでいた。それを空中に置くと、降下してきた。
とん、と膝を曲げて着地したインパルサーの背からは、二枚とも翼が消えていた。
翼がないと、どうにも変な感じがする。思わず、じっと眺めてしまった。

「上に置いてきたんです」

と、インパルサーは上空を指した。あたしはその先でなく、彼の背後を覗いた。

「なんかしっくり来ないなぁ」

「そうですか?」

体を捻って、パルはこちらに背を向けた。ブースターの間には、翼の填っていた隙間がある。
銀色の三つの円筒がリビングからの光でぎらついていて、眩しい。飛んできたばかりだからか、熱そうだ。
あたしは、いやに背中がすっきりしているパルを見上げた。なんか、落ち着かない。

「そうだよ。ていうか、翼って外れたんだ」

「外れますよ。今まで付けっぱなしだっただけなんです」

姿勢を戻したインパルサーは、レモンイエローのゴーグルを上空へ向けた。その先で、何かが少し光る。
大きめの飴玉ほどの物を指に挟んでいたイレイザーは、それを軽く投げた。影丸を抜き、ひゅんと空中に振った。
銀色の線が闇を切り裂いたあと、細かくなったものが散る。イレイザーは、それを全て手の中に受け止める。
かなり細かく刻まれたそれをディフェンサーの持った液体に落とし、沈ませた。
刀を収納したイレイザーは、細長い柄をかちりと背部に差し込んだ。

「中和剤はこれくらいでいいでござろう。あまり入れると、着火が鈍るでござる」

シールドの球体の上に手を翳し、クラッシャーは指先をくるんと回した。同じ動きで、液体も回る。
しばらく回されると、細かく砕かれた欠片が馴染んで溶け、完全に消えてしまった。
先程光った一点を睨んでいたリボルバーは、顎に手を添えて少し唸る。

「弾は使えねぇから…そうだなぁ、低威力のショックウェーブをピンポイントだな。それでいけるか?」

「充分充分。リボルバーの兄貴の射撃精度と威力なら、こんなのなんて一瞬で吹っ飛ばせるぜ」

シールドの球体を手のひらの上で浮かばせながら、ディフェンサーが同じ方向を見上げた。
インパルサーは片手を伸ばし、何やら指先を動かしている。その先は、やはり二人と同じ方向だ。
その先に何があるのか、あたしにはさっぱり見えなかった。暗いから、さっぱり見えない。
イレイザーとクラッシャーも同じ方向を見上げていたが、顔を見合わせて頷く。
上げていた片手を引き、インパルサーは兄弟達へ振り向く。

「エネルギーバランス安定しました。いつでも発射が可能ですよ、皆さん」

「発射傾斜角を四十三度で固定されたし、赤の兄者! 黄の兄者、目標、青の兄者のウィングユニット!」

びしりと一点を指したイレイザーが、声を上げた。何を始めようと言うんだろう。
クラッシャーはあたし達の前に出ると、両腕を広げて胸を張った。

「れでぃーすあーんどじぇんとるめーん!」



「イッツ、ショータァイム!」



五人の声が重なると同時に、ディフェンサーはシールドの球体を空中へ投げ飛ばした。
一直線に闇を裂き、彼らが見ていた一点に向かう。その先で、ぴたりと光の球体が止まった。
片手を掲げたインパルサーは、指先をぱちんと弾く。

「ソニックサンダー、千分の一!」

その一点から発射された閃光がシールドを包み込み、帯電させた。真上に、青い翼が二枚浮かんでいる。
電流の放射を終えた翼はゆっくり動いて、光を纏った球体から離れていった。
手前で、がしゃん、と重々しい音がする。リボルバーの弾倉が、ぐるっと回される。
イレイザーの手の角度と同じ角度で銃口を上げたリボルバーは腰を落とし、声を上げる。

「ヒートショックウェーブ、同じく千分の!」

どん、と発射と同時に強い風が巻き起こった。

「いちぃ!」


直後、眩しいほど光を帯びていた球体が、中心から一気に破裂した。
爆風は巻き起こらず、代わりに、中央から溢れた丸い光の波が空を満たしていく。
色鮮やかな閃光が星のようにきらきらと煌めいて、眩しい帯になっている。
夜空を切り裂いたそれは、まるで。


「花火?」

それしか、思い当たらなかった。
光はゆっくり広がり続け、なかなか消えない。なんか、夏祭りを思い出しちゃった。
その淡い光の下で、クラッシャーは頷いた。親指を立て、ぐっと前に突き出す。

「そう、花火ー! 照明弾だから、あんまり色は綺麗じゃないけどねー」

「ヘビークラッシャーの考えだ。このままもらいっぱなしじゃ、さすがに悪い気がしてよ」

寒さのせいか、蒸気の立ち上る銃口を振ってそれを払い、リボルバーは笑った。
上空へ向けられていたインパルサーの手の中に、がしん、と二枚の翼が納まる。戻ってくるのか。
二枚ともしっかりと背中にはめ込んでから、あたし達へ振り返る。

「こんなもの作ったことがなかったので不安でしたけど、ちゃんと花火に見えましたか?」

「結構立派じゃない。良く作れたわねぇ」

感心したように、鈴音がリボルバーへ笑う。リボルバーは、親指でイレイザーを指す。

「弾薬を作ったのはシャドウイレイザーだ。細かい計算やら合成が出来るのは、こいつだけだからな」

「混ぜたのはヘビークラッシャーでござる。無重力状態の液体火薬を、シールドで固定したのは黄の兄者でござる」

兄に褒められたことが気恥ずかしいのか、イレイザーは目線を逸らす。
ディフェンサーは大きな腕を組み、にやりとした。

「帯電させて発火良くしたのはインパルサーの兄貴だ。オレらの能力の使い道は、戦闘以外にもあったみてぇだな」

「で、最後に炸裂させて花火にしたのはリボルバー兄さん! 共同作戦ってわけ」

腰に手を当て、クラッシャーは小さな胸を張る。
夜空を見上げていたマリーは、ロボット兄弟へ振り向いた。

「あなた方から、私達へのプレゼントということですの?」

「綺麗だった?」

期待したような目で迫ってきたクラッシャーに、マリーはにっこり笑った。

「ええ、綺麗でしたわよ」

ロボット兄弟達は花火が上手く出来たことと褒められたことが嬉しいのか、顔を見合わせて喜んでいる。
少し離れた位置にいる神田は、夜空ではなく、別の方向へ顔を向けていた。何を考えているんだろう。
あたしは神田の表情が険しいことが気になったけど、何も言えなかった。




夜も更けてきたので、パーティーはお開きになった。
千分の一とはいえ、パルがソニックサンダーを放った影響だろうか。先程から、雪が降り出していた。
広い玄関の開け放した扉の前に立つマリーは、あたし達へ軽く手を振った。

「それでは皆さん、お休みなさい」

「お休みなさい、マリーさん」

あたしは手を振り返してから、少し前を行くインパルサーに追い付いた。例によって、皆は先に行っている。
なんでいつもあたし達が遅くなるのかというと、ただ単にあたしの準備が遅いからだ。
学校の帰り支度だって、朝だって、どうやってもあたしはタイミングが遅れてしまうのはそのせいなのだ。
大荷物を抱えたインパルサーは、うっすらと積もった雪の上に並ぶ皆の足跡を踏んでいった。あたしも彼に続く。
傘を差すほどの雪ではないけど、それでも充分寒い。今夜は、お風呂の温度を上げないと。
雪が物珍しいのか、パルはしきりに空を見上げていた。ゴーグルに当たった雪が溶け、水滴になっている。
ふと、パルは目線を下げ、真正面に向けて立ち止まる。あたしはその先を辿り、同じように立ち止まった。
荷物を抱え直し、パルは呟く。

「葵さん」

弱く降る雪の中、神田が立っていた。緩い坂の途中、あたし達の直線上だ。
街灯をスポットライトのように浴びていて、濃い影が出来ている。
ジャケットのポケットに突っ込んでいた両手を出し、握り締めて向き直る。

「インパルサー」

神田の目付きが、変わった。



「オレと、戦え」



寒さのせいじゃない。それよりも、もっと強く。空気が張り詰めたのが解った。
マスクフェイスだからインパルサーは解らないけど、神田は真剣な面差しをしている。
それを和らげて隠すためなのか、口元だけは笑っている。マリーさんみたいだ。
あたしは、動けなかった。こういうのを、気迫っていうんだろうか。
インパルサーは、静かに落ち着いた、だけど力の込められた声を出した。

「僕は、出来ればあなたとは戦いたくはありません。ですが、葵さんがそのつもりであれば」

「ありがたいな、警告してくれるなんて。でもな、ずっと前から決めてたことなんだ」

白い息を吐き出しながら、神田はにっと口元を上向ける。

「覚悟は、充分出来てる」


一触即発。
その言葉が、面白いくらいぴったり当て嵌まった。
ここに今、ナイトレイヴンがあったなら。パルも神田も、今すぐに戦っているだろう。
街灯の光を受けたパルの影が、一歩前に出る。あたしは、まだ動けない。


「葵さん」

淡々とした、インパルサーの声が響いた。

「葵さんの覚悟は、何のための覚悟なんですか?」


神田の覚悟は、あたしに好きだと言うため。それだけだ。
それだけの、はずだ。


「全部ひっくるめた、覚悟だよ。戦うため、強くなるため、ナイトレイヴンに乗るため…もっとあるかな」

一歩こちらに近付いた神田は街灯の下から出、影が弱まって闇に馴染んだ。
パルの左肩の002がぎらついていて、眩しい。

「あなたが僕に勝てる保証はどこにもありませんよ、葵さん。それでも来るならば、僕は手加減はしません」

「インパルサー。手加減されて勝つことほど、情けないって知ってるだろ?」

と、神田は軽く肩を竦めた。二人とも、何の話をしているんだ。
ぎしり、とパルの首関節が軋む。頷いたんだ。

「ええ、知っています。曲がりなりにも、僕も勝負の世界に身を置いていましたから」


訳が、解らない。
なんで二人が戦わなきゃならないのさ。敵だけど、そういう敵じゃないはずなのに。
二人の話を遮りたいと思ったけど、上手い言葉が出てこない。まとまらない。
男って、さっぱりだ。どうしてそこまで、しなきゃならないのさ。
それに、どうして。


「どうして」

やっと、言葉が出てきた。

「どうして、パルは神田君とは戦うの? 戦い、嫌いじゃなかったの?」


「この場合、字が違うんですよ。これは、僕がいつもしていた戦い、戦争とは違うんです」

どう違うのか、あたしには見当も付かない。
パルはあたしを見下ろして片手を上げると、空中に指を滑らせて字を書いた。

「格闘の方の、闘いなんです」

「そんなのただの屁理屈でしょ」

実際、そうだとしか思えなかった。理由を付けても、説明されても、戦いは戦いだ。
お互いがぶつかり合って傷付け合って、最後には勝者と敗者に別れるだけ。それだけだ。
あたしは、なんだか急に腹立たしくなってきた。二人の考えが、まるで解らないから。

「大体、なんでわざわざそうしなきゃならないの? あたしには全っ然解らない」

「…どうしてそこで怒るんです?」

不思議そうに、パルが呟く。あたしはその優しい声に、余計に気が立ってしまった。

「怒ってない! 大体ね、そんな話するんならあたしのいないときにするのが常識ってんでしょ」

パルは、申し訳なさそうに顔を伏せた。ああもう、苛々する。
どうしてここまで苛々するのか、自分でもよく解らなかった。神田は、戸惑ったように目線を落としている。
そりゃそうだろう。今まで黙ってたあたしが、いきなり怒り出したんだから。でも、あんたらのせいだぞ。

「しかもなんでこんなときに、そんな話を勝手に進めてたりするの! そんな場合じゃないの、解ってるでしょ?」

月の裏に潜んでいるゼルが、いつ襲撃してくるかも解らないのに。
実質味方同士で、そんなことをしている暇なんてないのに。


「あんたら、馬鹿じゃないの?」


言ってしまった。あたしも、結構口が悪いようだ。
ちらちらと街灯の明かりに中に落ちる小さな雪が、弱い風によって流されている。
その風が髪を揺らがせ、冷えた頬を撫でる感触があった。あたしは、まだ気が収まらなかった。

「あれだけ嫌いだ嫌いだ言っておきながら、パルは神田君とは戦うって何よ。マジで解らない!」

苛々が増してくる。

「神田君も神田君よ。覚悟のベクトル、すっかり変わってるし。当初の目的とまるで違うじゃない!」

凄く、悔しい。

「あたしは何なのよ! あたしがいる意味なんて、あんたらの戦いにも、前の戦いにも、少しだってないじゃない!」

二人とも、あたしから離れた位置にいる。
あたしのいる場所とは違う、戦士の位置にいるからだ。
それが、悔しくて空しくて仕方ない。

「どうせあたしはただの人間よ! 戦闘ロボットじゃないし、ロボットの操縦も出来ないし、戦ったことなんてない!」

だから、誰の役にも立てない。

「だからって、そこにいるだけでいいなんて勝手に決めないで! あたしだって、あたしだって出来るなら!」



「戦いたいんだから!」



どうして、あたしは戦士にはなれないんだろう。
ゆっくりと降り続ける雪が、足元に溜まっていく。辺りが、白に支配されていく。
薄い明かりを感じて顔を上げると、パルがあたしを見下ろしていた。

「由佳さん」

散々叫んだせいで喉が渇いてしまって、言葉が出てこなかった。
パルは、冷え切った固い手をあたしに向けて伸ばした。

「そういう、ことだったんですか」

あたしは頷く。そうだよ、だからあたしはパルに守られたくないんだ。
出来ることならパルを守りたいから、守って苦しみも痛みも和らげてやりたいから、戦いたいんだ。
好きだから、これ以上傷付く姿を見たくなんてないから。戦う力が、欲しくて仕方ない。
氷のような感触が、頬にあった。パルの指先が、あたしの頬を押さえている。

「思いも寄りませんでした」

徐々に、彼の指先があたしの体温で温くなってきた。

「ですが、戦わないで下さい。由佳さんは、戦士にはなれません。なっては、いけないんです」

軽く抱き寄せられ、額にスカイブルーが当たる。こっちは、ほんのり暖かい。
その奥から、パルの声が響いてくる。僅かなエンジン音も、暖かさと一緒に感じられた。

「戦ってしまったら、きっと、由佳さんは全てを守ろうとする。けれど、それは出来ないんです。無理なんです」

そうだ。あたしは、パルとは違う。優しさのために、自分を犠牲に出来るほど強くはない。
中途半端な優しさで苦しむのは自分だってことぐらい、指摘されなくても解ってる。
それくらい、自分のことだからよく解ってる。けど。

「…だけど」



「闇夜のカラスは」

神田が、くるりと背を向けた。数歩、坂を下る。
街灯の明かりから出たため、上半身がすっぽり影に隠れた。

「カラスの騎士には、なれないみたいだな」

闇に包まれていて、その表情は見えない。
雪をうっすらと肩に乗せたまま、神田は一度こちらへ振り返る。

「だけど、これは負けを認めたわけじゃない」



「戦術的撤退だ」



やけに通る声で、神田は宣言した。
また、弱い風が坂の上から降りてきた。その中で神田は、またな、と少し笑ったような声で言う。
すぐさま小走りに坂を駆け下りていって、規則正しい足音が遠ざかっていった。
その足音が聞こえなくなった頃、あたしは、やっとパルをまともに見上げた。
雪は彼にも積もっていたので、背伸びしてそれを軽く払う。ただでさえ冷えている装甲が、凍りそうだ。
そのまま背を戻そうとしたけど、その前に抱き竦められた。さっきよりも、ちょっと力が強い。
コート越しに感じられる彼の硬さに、胸が苦しくなった。ああ、やっぱりあたしはパルが大好きだ。
離されたくなくて、ブースターのある背に手を回す。太めの円筒が、手袋をした手に触れた。
あたしをしっかり抱えながら、パルは呟く。

「由佳さん。そろそろ、戻りましょう」

「うん。寒いもんね」

背伸びをしているせいで、いつもより少しだけ、パルのマスクフェイスが近い。
出来る限り足を伸ばしながら、そのマスクに唇を当てた。凄く冷たい。
すぐに離して下がり、彼に縋る。暖かさの増した、スカイブルーの胸板に額を当てる。
好き。大好き。まだそれを言えないから、それを言う代わりだ。
悲しかったけど、苦しかったけど、空しかったけど。
パルの腕の中にいれば、それらを打ち消してくれるくらい、胸の奥は熱くなっていた。




目を開けると、部屋の気温がやけに冷たかった。
首を動かして窓を見ると、カーテンの隙間から差し込む日光が眩しい。
あたしは自分の体温で暖かい布団にくるまったまま、昨日のことを思い出していた。
パルとあたしは、同じようで正反対な悩みを持っていたということだ。戦うことも、戦えないことも苦しいんだ。
だけど、どっちもそう簡単にはどうにも出来ない悩みだ。いつか、どうにか出来る日は来るんだろうか。
考え事をしたかったから、このまま布団の中にいたかったけど、お腹が空いていた。今、何時だろう。
枕元の目覚まし時計を取ろうとすると、その前に紙みたいな感触があった。なんとなく、それを掴む。
手のひらに納まるくらいの大きさで、四角い。こんな大きさのもの、どこかで見たことあるような。
細い金色のリボンの隙間には、小さなクリスマスカードが挟まっていた。クリスマスプレゼントってことか。
開けるためには、起き上がらなくてはならない。仕方なしに上半身を起こすと、やっぱり部屋は寒かった。
あの小さな包みを置いて、カードを抜いてリボンを解いた。藍色の包装紙を開けると、中身は小さな白い箱。

「もしかすると」

いや、もしかしなくても。
あたしは信じられないような気分で、その箱をぱこんと開けた。
綺麗に磨かれた、銀の輪があった。中を抜かれたハートを上にして、白い台座に浅く埋まっている。
それを、台座から引き抜いた。これはどこからどう見ても。うん、間違いない。

「リングだ」

とりあえず、左手の薬指に填めてみた。関節を曲げて、引っかけないように進める。
すぽんと見事に填った。あたしの指は八号だけど、なんで解ったんだろう。
オープンハートのリングを填めた左手を眺めてぼんやりしていると、部屋のドアが開いた。
いつになく慎重にこちらを覗き込んでいるインパルサーに、あたしは左手を向ける。

「パル。これ、高くなかった?」

「なんで、それを僕が置いたって解るんですか?」

「こんなのをあたしの枕元に置くの、パル以外にいないでしょ」

「それもそうですね」

あたしの反応に安心したのか、パルは身を屈めながら部屋に入ってきた。
枕元の目覚まし時計を見ると、もう朝の九時過ぎだった。例によって、寝過ぎだ。
ぬくい布団から足を出すと、フローリングが冷たい。スリッパに突っ込んでから、体を伸ばす。

「寒ぅー…」

「外、凄いことになってますよ」

そう言って、インパルサーはカーテンに手を掛けた。しゃっと横に引かれた途端、光が溢れた。
光だと思ったのは、白だった。昨日よりも多く、雪がどんどんグレーの空から降ってくる。
一面の銀世界とはこのことで、街中が雪に包まれていた。良くもまぁ、一晩でこんなに。
あたしはパルの隣に立つと、住宅街を見渡す。きっと、電車とか止まりまくってるんだろうなぁ。

「まだ降りそうだね」

「この雪を降らせている寒気は、明日まで居座るそうですよ。少しは積もるんじゃないでしょうか」

窓を開けたパルは、身を乗り出して雪の降り続ける外を眺める。
あたしは、そんなパルの横顔と左手を見比べた。

「ねぇ、ホントにこれ高くなかった? 結構、値段張りそうな感じするんだけど」

「お母様から頂いていた毎月のお小遣い、使う機会がなかったので溜めてみたんです」

「だけど、それだと数千円くらいしかにならないんじゃないの?」

「他にも、お父様から頂いた臨時収入なども合わせたら、そこそこのお金になったんです」

買ったときのことを思い出しているのか、パルは照れくさそうだった。

「一昨日に由佳さん達が買い物に出ている間、どんなものがいいかとお母様に相談しましたら、見繕ってくれまして」

「…なるほど」

そういうことなら、リングのサイズが合うのも納得が行く。母さんは宝石店の店員だから、知っていて当然だ。
身を屈めながら、じっとパルはあたしを見下ろした。気に入ってるかどうか、不安らしい。
あたしはオープンハートの部分をいじりつつ、その目線から顔を逸らした。なんか、恥ずかしい。

「うん、まぁ。可愛いし、サイズ丁度良いし。ありがと」

「なら、良かったです」

満足げに頷き、パルは窓を閉めた。このままじゃ寒いもんね。
あたしは窓から離れようとしたが、なんとなくパルを見上げた。パルもあたしを見下ろしている。
しばらくそのままでいると、昨日の夜の出来事が思い出されてくる。戦いたい、なんて言ったの初めてだったし。
彼のレモンイエローのゴーグルに映るあたしは、困ったような嬉しいような、不思議な表情をしていた。

「由佳さん」

やけに慎重な口調で、パルは言った。

「もし、もしもですよ。由佳さんが戦うとしたら、それは何のためなんですか?」

「何の?」

改めて聞かれると、答えづらい。パルを守りたいから、なんて。
だけど彼としては聞きたいのか、じっとあたしを睨んでいる。ええい、そんな目で見るな。
はぐらかしてしまおうかと思ったけど、このままにしておくよりも言ってしまった方がいいかもしれない。
ゴーグルの奥に淡く見えるサフランイエローの目を、あたしは見上げた。

「パルってさぁ」

やっぱり、改めて言うのはなんか照れくさい。でも。
これくらいなら、言ってしまえ。

「戦ってると、凄く辛そうでしょ? だからさ、ちょっとでもそれを防ぎたいかなーとか。まぁ、要するに!」

左手で、どん、とパルの胸を殴った。
こうでもしないと、照れくささでどうにかなりそうな気がしたからだ。

「パルを守りたいかなとか思ったの! それだけ!」

自分の左手の薬指でリングがいやに目立っていて、滑らかな銀がつやりと光っていた。
言った、言えたぞ。でもこれを言うだけでこんなに照れくさいんだから、好きなんて到底言えない。
拳をパルの胸に当てたまま、恥ずかしさと照れくささで硬直していると、左手がひょいっと持ち上げられる。
引っ張り上げられた格好で見ると、パルがあたしの左手を両手で持っていた。

「由佳さん!」

「はい?」

まじまじと、二人して見つめ合ってしまった。


「そのまま結婚したらー?」


唐突に、高い声がした。
見ると、廊下からクラッシャーがこちらを覗いている。その手には、クマのギガクラスターが抱かれている。
途端にインパルサーはあたしの手を放し、がばっと妹へ振り返った。クー子はにやにやしている。
パルが言い返す前に、クラッシャーはひらりと遠ざかった。それを、慌てて彼は追おうとした。
ドアを全開にして飛び出そうとする前に、一度パルはこちらへ振り返って敬礼する。

「ちょっと、行ってきます! ああどうしてこう、ヘビークラッシャーってマシンソルジャーはもう!」

あたしが頷くと同時に、階段を駆け下りる音が響いた。何もそんなに慌てなくても。
階段の下から、凄い勢いで否定するインパルサーの声と、やけに高いクラッシャーの声が交互に聞こえた。
その騒がしさをしばらく聞いていたが、涼平の声によって多少は沈静した。もう起きていたのか、弟よ。
開け放したままのドアを閉めてから、あたしは一息吐いた。朝っぱらから、元気だなぁ。
改めて、しっかりと左手のリングを眺めた。薬指にある重みを感じていると、ようやく実感が沸いた。
その実感と一緒に、嬉しさが込み上げてきた。貴金属をもらうのって、こんなに嬉しいのか。
いや、それだけじゃない。パルからだから、余計にそうなのかも。
放っておくと、表情が緩んできちゃいそうだ。凄く、幸せだ。
外は、まだまだ雪が降り続いている。


このまま、ずっと。


何も、起きなければいいのに。







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