灰色だった世界に、青が戻ってきた。 「由佳さん」 足元のマシンソルジャーを避けてから、彼は近付いてきた。 あたしは傘を放ると、駆け出した。いくら濡れたって、気にするもんか。 河原よりも数倍歩きづらい上に氷みたいな水を掻き分けて走り、力一杯叫んだ。 「パル!」 転ぶように、あたしはインパルサーの胸に飛び込んでいた。 すっかりびしょびしょになっているスカイブルーの胸板は、いつにも増して冷たかった。 でも中のエンジンは熱いのか、触れていると次第に温かくなってくる。肩に、手が乗せられた。 離したくなくて、離されたくなくて、あたしは彼の腰に縋った。 「パル…」 いつもの優しい手付きで、腕の中に納められる。これは、間違いなくパルだ。 戦った直後だからか、ちょっと怖い感じだったけど、彼の声もしてきた。 「汚れますよ。それに」 「そんなの、あとで洗えばどうにだってなる! 風邪引いたって、またあんたが看病してくれればいい!」 「それもそうですね」 落ち着いた、というか、感情の失せたような平坦な口調だった。 あたしは雨と彼の水で濡れた髪を目の前から避けてから、見上げた。 インパルサーの瞳からは赤さが失せて、いつものサフランイエローに戻っている。 「なるべく、早く帰るつもりだったんですが」 雨に混じって、温かい水滴があたしの頬に落ちた。彼の目元から、それは滲んでいる。 周りが冷たすぎるからかもしれない。その温度は、とても心地良く感じた。 抱え上げられ、少し強めに抱き締められた。パルの肩越しに見える翼の青が、目に染みる。 「僕はあなたを守ると誓ったのに、守ることが出来なかった。だからせめて、早く終わらせようと思っていたんです。この馬鹿げた戦いを、一刻も早く」 背中に回された手に力が入ったのか、あたしのコートが握られる。 「ですが焦れば焦るほど、リミットブレイクの回数は増えてしまって…。あなたの嫌う、僕になってしまいました」 「だから、帰ってこなかったの?」 そう言うと、彼は頷いた。 「はい」 気にしていたんだ、あたしが言ったことを。怖かった、ってのを。 静かに冷却水を流すインパルサーは、先程のことを悔やんでいるようだった。 さっきの戦いの時も、瞳が赤かったから。でも、あたしはもう、それを怖いと思わなかった。 戦っていようがいまいが、リミットブレイクしてようがしていなかろうが、パルはパル。 好きなことには、何の変わりもない。だからもう、何も怖くはない。 あたしは彼の首に腕を回して体重を掛け、首を横に振った。 「怖がったりしてごめん。でも、もう大丈夫だから」 「由佳さん…」 「だからさ」 どこまでもどこまでも、こいつは優しすぎる。そんな彼を、あたしは苦しめていた。 申し訳なさと自己嫌悪で泣きそうになったけど、それをなんとか堪える。 「出来る限り、帰ってきて。帰ってこないと、あたしは、あんたに謝れないじゃない」 パルの首の後ろで組んでいる自分の手が、震えているのが解る。 これは、寒さのせいだけじゃない。 「あんたが戦うの嫌いなのに知ってるのに、よく解ってたつもりだったのに」 雨と涙で、視界がぼやけた。 彼の足元に横たわるマシンソルジャーは、ぱたぱたと雨に打たれている。 「戦い、起こすようなことしちゃって」 「ごめんね、パル」 許してくれなくてもいい。ただ、謝れるだけ謝りたかった。 あたしが苦しいのは、あたしのせい。パルが苦しいのも、あたしのせい。 強くなりたい。戦士とまではいかなくても、もっと、強くなりたい。 抱えられていた肩と腰から手が外され、離された。さすがに、嫌われちゃったかな。 あたしの膝と肩を抱え上げて水面から離すと、インパルサーの足元に波紋が広がる。一瞬、強い風が起こった。 「その続きは、屋根の下でお願いします。このままでは、本当に風邪を引いてしまいますよ」 「パル、あたし」 「それ以上、謝らないで下さい」 あたしが見上げると同時に、パルは唇を重ねてきた。喋らせない、てことか。 泥と硝煙の、戦いの匂いがした。冷たかったけど、優しかった。 あたしがいることを確かめるように軽く力を込めていたが、それをゆっくり離す。 「戦っていることは、僕の意思なんです。由佳さんを守ると決めたのも、由佳さんのために戦うと決めたのも、全て」 「ボルの助も、似たようなこと言ってた」 「あ、そうですか」 と、ちょっと残念そうにパルは目を逸らした。二番煎じみたいに思ったのか。 川面から離れて河原に近付くと、少し高度を下げた。あたしは手を伸ばし、放り投げてしまった傘を掴んだ。 それを畳んでから持つと、高度が上がった。これ以上濡れたところで、別にどうってことはない。 うちに向かって飛びながら、今更ながら高校をサボっていることに気付いた。初めてかも。 でも、今はそれどころじゃない。パルが、ここにいるのだから。 うちに帰ると、午前九時を過ぎていた。父さんと母さんは、もう出勤している。 涼平は二階にいるようだったけど、降りてこなかった。 お風呂に入って体を温めると、やっと手足に感覚が戻ってきた。風邪を引かずに済みそうだ。 濡れたコートやマフラーは、リビングのヒーターの前に置かれて乾かされている。 やっぱり濡れてしまった制服からセーターに着替え、リビングに入ると、インパルサーが待っていた。 あたしよりもずっと汚れていた彼は、自分で体を拭いたようで、汚れたタオルを持っている。 二枚目のタオルで顔を拭いていたパルは、あたしに気付いて振り向いた。 「体温、戻りましたか?」 「うん」 あたしは乾かした髪を指で梳いてから、頷いた。足も感覚が戻っている。 お風呂から出てくるタイミングに合わせて作ったのか、リビングテーブルの上にはマシュマロココアがある。 その用意周到さにちょっと驚いたが、有り難くそれを頂くことにした。 ソファーに座って、その優しく甘いココアを飲む。この味も、しばらくぶりだ。 口の中にタオルを突っ込んでいたインパルサーはそれを取り出してから、あたしを見下ろす。 「由佳さんの靴にも、新聞紙を丸めて詰めておきましたから。明日には乾きますよ」 「何も、そこまでやらなくても。後で自分でするよ、そんなこと」 「これも僕の意思です。やりたいから、やっているんです」 と、インパルサーは笑った。そしてまた、ぐいっとタオルを口の中に突っ込む。 半分ほど飲み込むように入れているため、残り半分が口からだらっと出ていて不気味だ。 水を吐き出していたから、それが気になるんだろう。だけど、それにしたって変すぎる格好だ。 中で動かしているのか、口から出ている残り半分が揺れていた。しばらくすると、それが止まる。 ずるずると引っ張り出されたタオルには、水気と汚れが染みていた。これで結構、綺麗になっているらしい。 とろけたマシュマロが浮かんで、白っぽくなったココアを飲み、あたしは一息吐いた。 「パル」 「なんでしょう」 あまり汚れていない方のタオルで汚れたタオルを包みながら、彼が振り向いた。 中身が半分ほどになったマグカップをリビングテーブルに置いてから、サフランイエローの目を見上げる。 薄暗いままの外とリビングを隔てている窓に映ったあたしの顔は、あまりいいものじゃなかった。 柔らかな湯気を昇らせるココアに広がる波紋が、マグカップに当たって消える。 行かないで。もう、どこにも。 そう言えたら、そう命令出来たらどれだけ楽だろう。 だけどこれは、あたしのただの我が侭だ。しかも、世界を危機に晒しちゃうような我が侭。 膝の上に置いた手を握り締めながら、あたしはそれを見つめていた。 うちの前の道路を通る車が水を跳ねたのか、ばしゃりと大きな音が聞こえた。 リビングは暖まっていたけど、フローリングはまだ少し冷えているようで、スリッパ越しに冷気を感じた。 「なんでもない」 そうして言葉に出来たのは、ココアの湯気が半分ほどになった頃だった。 あたしが黙っている間、ずっと、インパルサーも黙っていた。ヒーターの音が、やけにうるさい。 じっとこちらに向けられていたサフランイエローの目は、怒っているのか悲しんでいるのか、解らなかった。 そのどちらも、混じっていたのかもしれない。 すっかり温くなったココアを少し飲み、あたしはパルから目を外した。 頭では解っている。ゼルの操るマシンソルジャーに立ち向かうことが出来るのは、彼らだけなことは。 パルを引き留めたりしたら、それこそ戦いを広げてしまうだけだ。 彼らがマシンソルジャーの襲撃を食い止めなければ、もっと広がってしまうから。でも。 そんなことになると解っているはずなのに、パルをここにいさせたい。もう、戦いになんて向かわせたくない。 好きになんて、ならなければ良かった。ただのコマンダーと部下、友達のままだったら。 こんなに、我が侭にならずにいられたかもしれない。 ふと、顔に影が掛かった。肩に、ずしりとした重量がある。 慎重な動きで、背中からインパルサーの腕が回された。だけど、そのままだ。 抱き寄せることもしないまま、彼はあたしの後ろにいる。サフランイエローの目が、感じられる。 そういえば、戦っているときからずっと、パルはマスクを閉じていない。珍しいことだ。 あたしはマグカップを置いてから、胸の上に置かれた太い腕に手を掛ける。 肩越しに、声が聞こえた。 「由佳さん」 愛おしげな優しい声が、体に伝わってくる。 「謝るのは、僕の方です。守りきれなかった上に、結果として嘘を吐いてしまいましたから」 あたしの肩を掴んでいる手が、弱く握られる。 すぐ傍で、きしり、と指の関節が動いた音が聞こえた。 「すぐに戻ると言ったくせに、一週間経っても戻らなかったんですから」 あたしは、首を横に振った。パルが謝る必要なんてない。 「ちゃんと、戻ってきたもん。嘘なんかじゃない」 「そう言って頂けると、少しは楽になります」 と、パルは安堵したように呟いた。 「リミットブレイクしてしまう回数も、減らせそうな気がします」 「パル」 彼の腕の、マリンブルーの装甲に額を当てた。 そのひんやりした硬さを感じながら、あたしは目を閉じる。 あたしの付けた名前を呼ぶたびに、寒さと一緒に凍りそうになった、痺れが戻ってくる。 だけどそれが、熱に変わることはない。痺れは、痛みに変わってしまっているから。 胸が引き裂かれる、てのはこういう感じのことを言うんだろう。きっと。 ただ、好きなだけなのに。ただ、一緒にいたいだけなのに。それだけで、いいのに。 また潤んできそうな目元を擦ってから、あたしは上にある彼の顔を見上げた。 「あたしは、もう大丈夫だから。傷もほとんど治ったし、心配しないで」 「どこが大丈夫なんですか」 ちょっと怒ったように目元をしかめ、彼はずいっとあたしを覗き込む。 「僕が戻ってきても、あんまり嬉しそうじゃありませんし」 「嬉しいに決まってるでしょ」 「でしたらどうして、少しも笑って下さらないんでしょうね?」 かなり不満げに言い、インパルサーは顔を逸らした。変なことで機嫌を損ねている。 あたしは笑うより前に、怒りたくなった。なんだよ、そんなことぐらいで。 彼の腕に少し力が入り、ぎゅっと抱き竦められる。あたしの肩のすぐ上に首を下ろし、パルはむくれる。 「確かに、今日はあまり時間がありませんから、何も作ることは出来ませんけど…」 「何それ。お菓子があれば、すぐに機嫌が戻ると思ってんの?」 「前例から出した結論です」 妙に自信に溢れた口調で、彼は頷いた。あたしはガキかい。 インパルサーはこちらへ顔を向け、首をかしげた。 「由佳さん。何が良いですか?」 「いきなり聞かれても」 「もう少し時間の出来たときに、必ず作っていきますから」 「んー…それじゃあねぇ」 あたしはソファーにもたれ、ついでにパルの胸にもたれた。こん、と頭が当たる。 頭の後ろにあるスカイブルーの胸の奥から、僅かにエンジン音が聞こえた。 「当然プリンは食べたいけど、もう一度シフォンケーキも食べたいんだよね。ホットケーキもあんなに大量じゃなきゃいいし、アップルパイも悪くないなー。コーヒーゼリーも前のより甘いのだったらおいしいだろうし、タルトもいいなぁ。あ、あといつになったらメロンパン作ってくれるの? 結構これで楽しみにしてるんだよ。それと紅茶のクッキーをさ、今度はアールグレイで作ってみてよ。ダージリンも良かったんだけど、あたしはアールグレイの方が好きなの。でも、チョコレートケーキも外せないなぁ。オレンジリキュール使ったやつ、好きなんだよねー」 「…さすがに僕でも、一度にそれを全部作るのは無理ですよ」 さすがに呆れたような声で、パルは呟いた。あたしは言い終えてから、恥ずかしくなった。 パルが戦いに出るようになって、当然ながらお菓子を作る回数が減った。必然的に、食べる機会も減った。 もしかして、これはその反動なのか。ていうかあたし、そんなに甘いものに飢えていたのか。 自分の食い意地の張りっぷりに、ちょっと自分が嫌になった。これじゃ、太って当たり前だ。 「まぁ…どれか一つで良いわ、うん」 「了解しました」 あたしの肩から手を外し、インパルサーは敬礼した。 「アップルパイはシナモンでいいですか?」 「ラム酒の方が好きかな。シナモン嫌いじゃないんだけど、そんなに好きってわけじゃないし」 「了解しました。それでは、その方向で作りますね」 楽しそうにしながら、彼は頷いた。作る料理が出来て、嬉しいらしい。 あたしは、彼が何を作ってくれるのかが楽しみになった。まぁ、おいしかったらどれでもいいんだけど。 いくら戦いが激しくても、辛い戦いが続いていても。こういう話を出来る辺り、あたし達はまだ幸せな方だ。 胸の痛みが納まることはなかったけど、少しは和らいだ気がした。 外の雨は、弱まってきていた。 屋根を叩く音はまばらになり、朝より大人しくなっている。心なしか、空も明るい。 あたしが外を見ていると、インパルサーは立ち上がった。表情が強張り、戦士の顔になる。 側頭部に手を当ててしばらく黙っていたが、申し訳なさそうな目をあたしへ向ける。 「ブルータイプマシンソルジャーのパルスを、三十五機確認しました。行かなければならないようです」 パルは背を向け、窓に向き直る。 「また、必ず戻ってきます」 「うん。待ってるから」 あたしは、頷く。それくらいしか、出来ることはない。 笑うように息を漏らしてから、パルは頷き返す。そして窓を開けると、雨と風が吹き込んできた。 するりと浮かび上がってから、こちらを見下ろした。レモンイエローのゴーグルに、あたしが映る。 雨にマリンブルーの装甲を叩かれながら、インパルサーはじっとあたしを見つめた。 強い風が吹き付けて、空の雲が動かされた。その隙間から、白い光が覗く。 空から地上に落ちている光の柱を背にしながら、彼は胸に手を当てる。 「止まない雨はないように、終わらない戦いもありませんから」 その手が握られ、ぎしり、と手の関節が軋む。 「どんな始まり方だろうとも、終わります。いえ、終わらせます!」 「本当に、ごめんね」 「僕は戦士です。そして、僕達は生まれながらの戦士なんです」 握った拳が広げられて、あたしへ差し出される。 「戦わなければならないのであれば、全力で戦う。それが普通なんです。守る相手がいるなら、尚更です」 光の柱が、空からあたし達の上に落ちてきた。近くの家々の屋根が、白く輝いた。 白い光の中で目立つマリンブルーの手が、あたしの頬に軽く当てられる。 うっすらと濡れている彼の装甲が、ぎらりと光った。 「由佳さん。僕は、あなたがいるから戦えるんです」 「パルの嫌いな戦いを起こしちゃったあたしを、嫌いにはならないの?」 「嫌うよりもずっと、好きの方が強いですから」 パルの答えが、あたしには照れくさかった。でも、嬉しかった。 照れくさいのと安心したのと嬉しいのが混じって、あたしは笑っていた。 「あたしも、似たようなもんだよ」 「やっと笑ってくれましたか」 安心したように、インパルサーは肩を落とした。するりと身を屈め、近付く。 あたしの目の前で、優しい笑顔になる。 「その方がずっと、素敵です」 「馬鹿」 そう言い返して、彼の胸に拳を当てた。こん、といい音がする。 マリンブルーの指が、あたしの顎へ添えられて上向けられた。 僅かに唇を開かされると同時に、冷たい金属の唇に塞がれる。あたしは手を伸ばし、彼の存在を確かめた。 滑らかな白銀色の頬が、指先に当たる。伸ばせるだけ背を伸ばして、塞ぎ返す。 名残惜しかったけど、いい加減に苦しくなったので唇を外した。すぐ目の前に、パルがいる。 「大好き」 返事の代わりに、もう一度軽くキスをされる。すぐさま離れた彼は、マスクを閉じた。 敬礼して、それでは、と言ってからくるりと背を向ける。翼を倍以上の大きさにしてから、一気に上昇していった。 まだ弱く降り続いている雨を青い翼で切り裂くように、インパルサーが戦いへ向かっていく。 あたしは、パルの姿が完全に見えなくなるまで見送っていた。 次の日は、見事に晴れていた。 すかっとした空は爽やかで清々しかったけど、風が冷たくて仕方なかった。冬だしね。 びしょ濡れだったコートは、一日中干したから乾いている。パルの作ったマフラーも、ふわふわだ。 やっぱり今日も人通りが少ないから、辺りは静かだ。だからすぐに、自転車の近付く音を知ることが出来た。 高い音を立てながらブレーキを掛けた黒いマウンテンバイクから、神田が降りた。 「おはよう、美空」 「神田君、おはよ」 あたしは、白い息を吐き出す神田を見上げた。神田は、心配げに言う。 「昨日、どうしたんだ?」 「ちょっとね」 そう返しながら、あたしは笑った。パルに会えたから、つい表情が緩んでしまう。 神田は訝しげにしていたが、すぐを察したらしい。ハンドルに寄り掛かり、複雑そうな顔になる。 ふてくされながら、神田はあらぬ方向を睨んだ。青春してるなぁ、相変わらず。 「…インパルサーか」 「神田君。あたしが言うのもなんだけどさ、もういい加減に諦めた方がいいんじゃない? あたしのこと」 「そんなに簡単に、吹っ切れるもんじゃないよ」 苦笑しながら、神田は呟いた。人の気持ちは、そう簡単に処理出来るものじゃない。 自分で言っておきながら、あたしは神田の答えに納得していた。恋心なら、それは尚更だ。 マウンテンバイクを押して歩く神田の横顔は、前よりも精悍さが混じっている。どんどん戦士らしくなる。 それを見つつ、あたしはふと思ったことを聞いてみた。前に、パルにも聞いたことがあったけど。 「そういえばさ、神田君てあたしなんかのどこがいいの?」 「どこって、そりゃあ」 寒さと照れのせいか、頬の辺りを赤らめながら神田は目を逸らした。解りやすい。 手袋に包まれた手でがしがしと後頭部を掻きながら、曖昧な言葉を洩らす。 「具体的には難しいけど、その、まぁ、いいものはいいんだ」 気恥ずかしげな笑顔になり、足早に神田は歩き出した。 あたしはそれを追い、付いていった。その感覚、今なら解らないでもない。 幅の広い道路に沿って続く歩道を、前後に並んで歩いていく。神田の背は、ちょっと遠い。 土手の前にある横断歩道で、立ち止まる。赤信号が変わるまで、もうしばらくありそうだ。 とん、と軽い音がした。見上げると、グレーのマフラーを首に巻いているスコットが、電柱の上にいた。 膝を曲げて屈み、あたし達を見下ろしながら片手を挙げる。 「グッドモーニング、葵ちゃんにブルーコマンダー!」 「おはようございます」 朝からテンションの高いスコットに辟易しつつ、あたしは相変わらず寒そうなスコットを見上げる。 高い位置にいるから風が強いのか、黒いスーツの裾と赤いネクタイがばさばさ揺れている。 軽く電柱の上から飛び降りてあたし達の前に着地すると、ばさりと翼を畳む。 「日本時間で午前四時三十六分、二百五十体目のマシンソルジャーがフォトンディフェンサーに撃墜された」 行き交う車を眺めながら、スコットはコミュニケーターを兼ねた警察手帳を取り出した。 それを開いてホログラムを表示させながら、淡々と続ける。 「これでトランスポートシップ一隻分、四分の一を捌いたことになる。生身じゃない分、戦闘処理が豪速だぜ」 「それでもまだ、四分の三が残ってるんだ」 あたしが呟くと、スコットは嫌そうに口元を曲げる。 「ああ、どっちゃり残ってるんだよこれがまた。単純計算で七百五十体、うんざりするぜ」 「そいつを全部捌くまで、どのくらい掛かるか解ります?」 神田に尋ねられ、スコットは頷く。少し警察手帳を操作し、ホログラムを切り替える。 「まぁなー。定期連絡のついでにシャドウイレイザーに計算してもらったんだが、このままの処理速度で行けば…」 不意に、スコットの手が止まった。閉じていた翼を広げ、口元が締められる。 警察手帳を閉じて懐に入れると同時に、逆の手を入れて出した。 ゴーグルの奧の目が強まり、横断歩道の反対側に向けられた。あたしは、その先を辿る。 大型トレーラーが過ぎ去って、砂埃と排気ガス混じりの風が吹き抜けていった。 スコットは横断歩道の反対側が見えた途端、黒光りする拳銃を構える。同時に、じゃきりと銃身を前後させた。 その銃口が睨む先には、誰かが立っていた。 「終わらせはしないさ」 紺色の、かっちりした制服に身を包んだ若い男。この声と、口調は。 その胸元には、銀河連邦政府軍のエンブレムが付いている。間違いない、こいつが。 穏やかそうな顔立ちによく似合う金髪の下で、エメラルドグリーンの瞳がにやりとした。 「終わらせて、たまるもんか。あの人を、手に入れるまでは終わらせるわけがないだろう!」 また、トレーラーが通り過ぎた。 轟音を響かせながらそれが遠ざかった頃には、もう男の姿は失せていた。 スコットは銃を下ろし、深く息を吐いた。胸元に入れてから、煙草を取り出してくわえ、火を点ける。 自分を落ち着けるように吸ってから、スコットは呟いた。 「ゼルだ。相っ変わらず、余裕だけは振りまいてくれちゃってるぜ」 「あれが…」 呆然としながら、神田は横断歩道の反対側を見つめていた。まだ、信号は変わらない。 きっと、来たときも帰るときも転送装置でも使ったんだろう。わざわざそんなことをしてまで、来なくても。 ゼルの姿は、あたしの予想通りだった。表情といい口調といい、杉山先輩と似ている。同じ人種なのかも。 諸悪の根源がついさっきまで立っていた側の歩道は、何事もなかったかのように静かになっている。 煙草のフィルターを強く噛み締めながら、スコットはスラックスのポケットに両手を突っ込む。 「マジで相変わらずだぜ、少佐」 戦いは。 まだ、終わりそうにない。 04 8/20 |