Metallic Guy




第二十七話 モータル・コンバット



灰色だった世界に、青が戻ってきた。



「由佳さん」

足元のマシンソルジャーを避けてから、彼は近付いてきた。
あたしは傘を放ると、駆け出した。いくら濡れたって、気にするもんか。
河原よりも数倍歩きづらい上に氷みたいな水を掻き分けて走り、力一杯叫んだ。

「パル!」

転ぶように、あたしはインパルサーの胸に飛び込んでいた。
すっかりびしょびしょになっているスカイブルーの胸板は、いつにも増して冷たかった。
でも中のエンジンは熱いのか、触れていると次第に温かくなってくる。肩に、手が乗せられた。
離したくなくて、離されたくなくて、あたしは彼の腰に縋った。

「パル…」

いつもの優しい手付きで、腕の中に納められる。これは、間違いなくパルだ。
戦った直後だからか、ちょっと怖い感じだったけど、彼の声もしてきた。

「汚れますよ。それに」

「そんなの、あとで洗えばどうにだってなる! 風邪引いたって、またあんたが看病してくれればいい!」

「それもそうですね」

落ち着いた、というか、感情の失せたような平坦な口調だった。
あたしは雨と彼の水で濡れた髪を目の前から避けてから、見上げた。
インパルサーの瞳からは赤さが失せて、いつものサフランイエローに戻っている。

「なるべく、早く帰るつもりだったんですが」

雨に混じって、温かい水滴があたしの頬に落ちた。彼の目元から、それは滲んでいる。
周りが冷たすぎるからかもしれない。その温度は、とても心地良く感じた。
抱え上げられ、少し強めに抱き締められた。パルの肩越しに見える翼の青が、目に染みる。

「僕はあなたを守ると誓ったのに、守ることが出来なかった。だからせめて、早く終わらせようと思っていたんです。この馬鹿げた戦いを、一刻も早く」

背中に回された手に力が入ったのか、あたしのコートが握られる。

「ですが焦れば焦るほど、リミットブレイクの回数は増えてしまって…。あなたの嫌う、僕になってしまいました」

「だから、帰ってこなかったの?」

そう言うと、彼は頷いた。

「はい」

気にしていたんだ、あたしが言ったことを。怖かった、ってのを。
静かに冷却水を流すインパルサーは、先程のことを悔やんでいるようだった。
さっきの戦いの時も、瞳が赤かったから。でも、あたしはもう、それを怖いと思わなかった。
戦っていようがいまいが、リミットブレイクしてようがしていなかろうが、パルはパル。
好きなことには、何の変わりもない。だからもう、何も怖くはない。
あたしは彼の首に腕を回して体重を掛け、首を横に振った。

「怖がったりしてごめん。でも、もう大丈夫だから」

「由佳さん…」

「だからさ」

どこまでもどこまでも、こいつは優しすぎる。そんな彼を、あたしは苦しめていた。
申し訳なさと自己嫌悪で泣きそうになったけど、それをなんとか堪える。

「出来る限り、帰ってきて。帰ってこないと、あたしは、あんたに謝れないじゃない」

パルの首の後ろで組んでいる自分の手が、震えているのが解る。
これは、寒さのせいだけじゃない。

「あんたが戦うの嫌いなのに知ってるのに、よく解ってたつもりだったのに」

雨と涙で、視界がぼやけた。
彼の足元に横たわるマシンソルジャーは、ぱたぱたと雨に打たれている。

「戦い、起こすようなことしちゃって」



「ごめんね、パル」


許してくれなくてもいい。ただ、謝れるだけ謝りたかった。
あたしが苦しいのは、あたしのせい。パルが苦しいのも、あたしのせい。
強くなりたい。戦士とまではいかなくても、もっと、強くなりたい。
抱えられていた肩と腰から手が外され、離された。さすがに、嫌われちゃったかな。
あたしの膝と肩を抱え上げて水面から離すと、インパルサーの足元に波紋が広がる。一瞬、強い風が起こった。

「その続きは、屋根の下でお願いします。このままでは、本当に風邪を引いてしまいますよ」

「パル、あたし」

「それ以上、謝らないで下さい」

あたしが見上げると同時に、パルは唇を重ねてきた。喋らせない、てことか。
泥と硝煙の、戦いの匂いがした。冷たかったけど、優しかった。
あたしがいることを確かめるように軽く力を込めていたが、それをゆっくり離す。

「戦っていることは、僕の意思なんです。由佳さんを守ると決めたのも、由佳さんのために戦うと決めたのも、全て」

「ボルの助も、似たようなこと言ってた」

「あ、そうですか」

と、ちょっと残念そうにパルは目を逸らした。二番煎じみたいに思ったのか。
川面から離れて河原に近付くと、少し高度を下げた。あたしは手を伸ばし、放り投げてしまった傘を掴んだ。
それを畳んでから持つと、高度が上がった。これ以上濡れたところで、別にどうってことはない。
うちに向かって飛びながら、今更ながら高校をサボっていることに気付いた。初めてかも。
でも、今はそれどころじゃない。パルが、ここにいるのだから。




うちに帰ると、午前九時を過ぎていた。父さんと母さんは、もう出勤している。
涼平は二階にいるようだったけど、降りてこなかった。
お風呂に入って体を温めると、やっと手足に感覚が戻ってきた。風邪を引かずに済みそうだ。
濡れたコートやマフラーは、リビングのヒーターの前に置かれて乾かされている。
やっぱり濡れてしまった制服からセーターに着替え、リビングに入ると、インパルサーが待っていた。
あたしよりもずっと汚れていた彼は、自分で体を拭いたようで、汚れたタオルを持っている。
二枚目のタオルで顔を拭いていたパルは、あたしに気付いて振り向いた。

「体温、戻りましたか?」

「うん」

あたしは乾かした髪を指で梳いてから、頷いた。足も感覚が戻っている。
お風呂から出てくるタイミングに合わせて作ったのか、リビングテーブルの上にはマシュマロココアがある。
その用意周到さにちょっと驚いたが、有り難くそれを頂くことにした。
ソファーに座って、その優しく甘いココアを飲む。この味も、しばらくぶりだ。
口の中にタオルを突っ込んでいたインパルサーはそれを取り出してから、あたしを見下ろす。

「由佳さんの靴にも、新聞紙を丸めて詰めておきましたから。明日には乾きますよ」

「何も、そこまでやらなくても。後で自分でするよ、そんなこと」

「これも僕の意思です。やりたいから、やっているんです」

と、インパルサーは笑った。そしてまた、ぐいっとタオルを口の中に突っ込む。
半分ほど飲み込むように入れているため、残り半分が口からだらっと出ていて不気味だ。
水を吐き出していたから、それが気になるんだろう。だけど、それにしたって変すぎる格好だ。
中で動かしているのか、口から出ている残り半分が揺れていた。しばらくすると、それが止まる。
ずるずると引っ張り出されたタオルには、水気と汚れが染みていた。これで結構、綺麗になっているらしい。
とろけたマシュマロが浮かんで、白っぽくなったココアを飲み、あたしは一息吐いた。

「パル」

「なんでしょう」

あまり汚れていない方のタオルで汚れたタオルを包みながら、彼が振り向いた。
中身が半分ほどになったマグカップをリビングテーブルに置いてから、サフランイエローの目を見上げる。
薄暗いままの外とリビングを隔てている窓に映ったあたしの顔は、あまりいいものじゃなかった。
柔らかな湯気を昇らせるココアに広がる波紋が、マグカップに当たって消える。


行かないで。もう、どこにも。


そう言えたら、そう命令出来たらどれだけ楽だろう。
だけどこれは、あたしのただの我が侭だ。しかも、世界を危機に晒しちゃうような我が侭。
膝の上に置いた手を握り締めながら、あたしはそれを見つめていた。
うちの前の道路を通る車が水を跳ねたのか、ばしゃりと大きな音が聞こえた。
リビングは暖まっていたけど、フローリングはまだ少し冷えているようで、スリッパ越しに冷気を感じた。


「なんでもない」


そうして言葉に出来たのは、ココアの湯気が半分ほどになった頃だった。
あたしが黙っている間、ずっと、インパルサーも黙っていた。ヒーターの音が、やけにうるさい。
じっとこちらに向けられていたサフランイエローの目は、怒っているのか悲しんでいるのか、解らなかった。
そのどちらも、混じっていたのかもしれない。
すっかり温くなったココアを少し飲み、あたしはパルから目を外した。
頭では解っている。ゼルの操るマシンソルジャーに立ち向かうことが出来るのは、彼らだけなことは。
パルを引き留めたりしたら、それこそ戦いを広げてしまうだけだ。
彼らがマシンソルジャーの襲撃を食い止めなければ、もっと広がってしまうから。でも。
そんなことになると解っているはずなのに、パルをここにいさせたい。もう、戦いになんて向かわせたくない。
好きになんて、ならなければ良かった。ただのコマンダーと部下、友達のままだったら。
こんなに、我が侭にならずにいられたかもしれない。


ふと、顔に影が掛かった。肩に、ずしりとした重量がある。
慎重な動きで、背中からインパルサーの腕が回された。だけど、そのままだ。
抱き寄せることもしないまま、彼はあたしの後ろにいる。サフランイエローの目が、感じられる。
そういえば、戦っているときからずっと、パルはマスクを閉じていない。珍しいことだ。
あたしはマグカップを置いてから、胸の上に置かれた太い腕に手を掛ける。
肩越しに、声が聞こえた。

「由佳さん」

愛おしげな優しい声が、体に伝わってくる。

「謝るのは、僕の方です。守りきれなかった上に、結果として嘘を吐いてしまいましたから」

あたしの肩を掴んでいる手が、弱く握られる。
すぐ傍で、きしり、と指の関節が動いた音が聞こえた。

「すぐに戻ると言ったくせに、一週間経っても戻らなかったんですから」

あたしは、首を横に振った。パルが謝る必要なんてない。

「ちゃんと、戻ってきたもん。嘘なんかじゃない」

「そう言って頂けると、少しは楽になります」

と、パルは安堵したように呟いた。

「リミットブレイクしてしまう回数も、減らせそうな気がします」


「パル」

彼の腕の、マリンブルーの装甲に額を当てた。
そのひんやりした硬さを感じながら、あたしは目を閉じる。
あたしの付けた名前を呼ぶたびに、寒さと一緒に凍りそうになった、痺れが戻ってくる。
だけどそれが、熱に変わることはない。痺れは、痛みに変わってしまっているから。
胸が引き裂かれる、てのはこういう感じのことを言うんだろう。きっと。
ただ、好きなだけなのに。ただ、一緒にいたいだけなのに。それだけで、いいのに。
また潤んできそうな目元を擦ってから、あたしは上にある彼の顔を見上げた。

「あたしは、もう大丈夫だから。傷もほとんど治ったし、心配しないで」

「どこが大丈夫なんですか」

ちょっと怒ったように目元をしかめ、彼はずいっとあたしを覗き込む。

「僕が戻ってきても、あんまり嬉しそうじゃありませんし」

「嬉しいに決まってるでしょ」

「でしたらどうして、少しも笑って下さらないんでしょうね?」

かなり不満げに言い、インパルサーは顔を逸らした。変なことで機嫌を損ねている。
あたしは笑うより前に、怒りたくなった。なんだよ、そんなことぐらいで。
彼の腕に少し力が入り、ぎゅっと抱き竦められる。あたしの肩のすぐ上に首を下ろし、パルはむくれる。

「確かに、今日はあまり時間がありませんから、何も作ることは出来ませんけど…」

「何それ。お菓子があれば、すぐに機嫌が戻ると思ってんの?」

「前例から出した結論です」

妙に自信に溢れた口調で、彼は頷いた。あたしはガキかい。
インパルサーはこちらへ顔を向け、首をかしげた。

「由佳さん。何が良いですか?」

「いきなり聞かれても」

「もう少し時間の出来たときに、必ず作っていきますから」

「んー…それじゃあねぇ」

あたしはソファーにもたれ、ついでにパルの胸にもたれた。こん、と頭が当たる。
頭の後ろにあるスカイブルーの胸の奥から、僅かにエンジン音が聞こえた。

「当然プリンは食べたいけど、もう一度シフォンケーキも食べたいんだよね。ホットケーキもあんなに大量じゃなきゃいいし、アップルパイも悪くないなー。コーヒーゼリーも前のより甘いのだったらおいしいだろうし、タルトもいいなぁ。あ、あといつになったらメロンパン作ってくれるの? 結構これで楽しみにしてるんだよ。それと紅茶のクッキーをさ、今度はアールグレイで作ってみてよ。ダージリンも良かったんだけど、あたしはアールグレイの方が好きなの。でも、チョコレートケーキも外せないなぁ。オレンジリキュール使ったやつ、好きなんだよねー」


「…さすがに僕でも、一度にそれを全部作るのは無理ですよ」

さすがに呆れたような声で、パルは呟いた。あたしは言い終えてから、恥ずかしくなった。
パルが戦いに出るようになって、当然ながらお菓子を作る回数が減った。必然的に、食べる機会も減った。
もしかして、これはその反動なのか。ていうかあたし、そんなに甘いものに飢えていたのか。
自分の食い意地の張りっぷりに、ちょっと自分が嫌になった。これじゃ、太って当たり前だ。

「まぁ…どれか一つで良いわ、うん」

「了解しました」

あたしの肩から手を外し、インパルサーは敬礼した。

「アップルパイはシナモンでいいですか?」

「ラム酒の方が好きかな。シナモン嫌いじゃないんだけど、そんなに好きってわけじゃないし」

「了解しました。それでは、その方向で作りますね」

楽しそうにしながら、彼は頷いた。作る料理が出来て、嬉しいらしい。
あたしは、彼が何を作ってくれるのかが楽しみになった。まぁ、おいしかったらどれでもいいんだけど。
いくら戦いが激しくても、辛い戦いが続いていても。こういう話を出来る辺り、あたし達はまだ幸せな方だ。
胸の痛みが納まることはなかったけど、少しは和らいだ気がした。


外の雨は、弱まってきていた。
屋根を叩く音はまばらになり、朝より大人しくなっている。心なしか、空も明るい。
あたしが外を見ていると、インパルサーは立ち上がった。表情が強張り、戦士の顔になる。
側頭部に手を当ててしばらく黙っていたが、申し訳なさそうな目をあたしへ向ける。

「ブルータイプマシンソルジャーのパルスを、三十五機確認しました。行かなければならないようです」

パルは背を向け、窓に向き直る。

「また、必ず戻ってきます」

「うん。待ってるから」

あたしは、頷く。それくらいしか、出来ることはない。
笑うように息を漏らしてから、パルは頷き返す。そして窓を開けると、雨と風が吹き込んできた。
するりと浮かび上がってから、こちらを見下ろした。レモンイエローのゴーグルに、あたしが映る。
雨にマリンブルーの装甲を叩かれながら、インパルサーはじっとあたしを見つめた。
強い風が吹き付けて、空の雲が動かされた。その隙間から、白い光が覗く。
空から地上に落ちている光の柱を背にしながら、彼は胸に手を当てる。

「止まない雨はないように、終わらない戦いもありませんから」

その手が握られ、ぎしり、と手の関節が軋む。

「どんな始まり方だろうとも、終わります。いえ、終わらせます!」


「本当に、ごめんね」


「僕は戦士です。そして、僕達は生まれながらの戦士なんです」

握った拳が広げられて、あたしへ差し出される。

「戦わなければならないのであれば、全力で戦う。それが普通なんです。守る相手がいるなら、尚更です」

光の柱が、空からあたし達の上に落ちてきた。近くの家々の屋根が、白く輝いた。
白い光の中で目立つマリンブルーの手が、あたしの頬に軽く当てられる。
うっすらと濡れている彼の装甲が、ぎらりと光った。

「由佳さん。僕は、あなたがいるから戦えるんです」

「パルの嫌いな戦いを起こしちゃったあたしを、嫌いにはならないの?」

「嫌うよりもずっと、好きの方が強いですから」

パルの答えが、あたしには照れくさかった。でも、嬉しかった。
照れくさいのと安心したのと嬉しいのが混じって、あたしは笑っていた。

「あたしも、似たようなもんだよ」

「やっと笑ってくれましたか」

安心したように、インパルサーは肩を落とした。するりと身を屈め、近付く。
あたしの目の前で、優しい笑顔になる。

「その方がずっと、素敵です」

「馬鹿」

そう言い返して、彼の胸に拳を当てた。こん、といい音がする。
マリンブルーの指が、あたしの顎へ添えられて上向けられた。
僅かに唇を開かされると同時に、冷たい金属の唇に塞がれる。あたしは手を伸ばし、彼の存在を確かめた。
滑らかな白銀色の頬が、指先に当たる。伸ばせるだけ背を伸ばして、塞ぎ返す。
名残惜しかったけど、いい加減に苦しくなったので唇を外した。すぐ目の前に、パルがいる。

「大好き」

返事の代わりに、もう一度軽くキスをされる。すぐさま離れた彼は、マスクを閉じた。
敬礼して、それでは、と言ってからくるりと背を向ける。翼を倍以上の大きさにしてから、一気に上昇していった。
まだ弱く降り続いている雨を青い翼で切り裂くように、インパルサーが戦いへ向かっていく。
あたしは、パルの姿が完全に見えなくなるまで見送っていた。




次の日は、見事に晴れていた。
すかっとした空は爽やかで清々しかったけど、風が冷たくて仕方なかった。冬だしね。
びしょ濡れだったコートは、一日中干したから乾いている。パルの作ったマフラーも、ふわふわだ。
やっぱり今日も人通りが少ないから、辺りは静かだ。だからすぐに、自転車の近付く音を知ることが出来た。
高い音を立てながらブレーキを掛けた黒いマウンテンバイクから、神田が降りた。

「おはよう、美空」

「神田君、おはよ」

あたしは、白い息を吐き出す神田を見上げた。神田は、心配げに言う。

「昨日、どうしたんだ?」

「ちょっとね」

そう返しながら、あたしは笑った。パルに会えたから、つい表情が緩んでしまう。
神田は訝しげにしていたが、すぐを察したらしい。ハンドルに寄り掛かり、複雑そうな顔になる。
ふてくされながら、神田はあらぬ方向を睨んだ。青春してるなぁ、相変わらず。

「…インパルサーか」

「神田君。あたしが言うのもなんだけどさ、もういい加減に諦めた方がいいんじゃない? あたしのこと」

「そんなに簡単に、吹っ切れるもんじゃないよ」

苦笑しながら、神田は呟いた。人の気持ちは、そう簡単に処理出来るものじゃない。
自分で言っておきながら、あたしは神田の答えに納得していた。恋心なら、それは尚更だ。
マウンテンバイクを押して歩く神田の横顔は、前よりも精悍さが混じっている。どんどん戦士らしくなる。
それを見つつ、あたしはふと思ったことを聞いてみた。前に、パルにも聞いたことがあったけど。

「そういえばさ、神田君てあたしなんかのどこがいいの?」

「どこって、そりゃあ」

寒さと照れのせいか、頬の辺りを赤らめながら神田は目を逸らした。解りやすい。
手袋に包まれた手でがしがしと後頭部を掻きながら、曖昧な言葉を洩らす。

「具体的には難しいけど、その、まぁ、いいものはいいんだ」

気恥ずかしげな笑顔になり、足早に神田は歩き出した。
あたしはそれを追い、付いていった。その感覚、今なら解らないでもない。
幅の広い道路に沿って続く歩道を、前後に並んで歩いていく。神田の背は、ちょっと遠い。
土手の前にある横断歩道で、立ち止まる。赤信号が変わるまで、もうしばらくありそうだ。
とん、と軽い音がした。見上げると、グレーのマフラーを首に巻いているスコットが、電柱の上にいた。
膝を曲げて屈み、あたし達を見下ろしながら片手を挙げる。

「グッドモーニング、葵ちゃんにブルーコマンダー!」

「おはようございます」

朝からテンションの高いスコットに辟易しつつ、あたしは相変わらず寒そうなスコットを見上げる。
高い位置にいるから風が強いのか、黒いスーツの裾と赤いネクタイがばさばさ揺れている。
軽く電柱の上から飛び降りてあたし達の前に着地すると、ばさりと翼を畳む。

「日本時間で午前四時三十六分、二百五十体目のマシンソルジャーがフォトンディフェンサーに撃墜された」

行き交う車を眺めながら、スコットはコミュニケーターを兼ねた警察手帳を取り出した。
それを開いてホログラムを表示させながら、淡々と続ける。

「これでトランスポートシップ一隻分、四分の一を捌いたことになる。生身じゃない分、戦闘処理が豪速だぜ」

「それでもまだ、四分の三が残ってるんだ」

あたしが呟くと、スコットは嫌そうに口元を曲げる。

「ああ、どっちゃり残ってるんだよこれがまた。単純計算で七百五十体、うんざりするぜ」

「そいつを全部捌くまで、どのくらい掛かるか解ります?」

神田に尋ねられ、スコットは頷く。少し警察手帳を操作し、ホログラムを切り替える。

「まぁなー。定期連絡のついでにシャドウイレイザーに計算してもらったんだが、このままの処理速度で行けば…」


不意に、スコットの手が止まった。閉じていた翼を広げ、口元が締められる。
警察手帳を閉じて懐に入れると同時に、逆の手を入れて出した。
ゴーグルの奧の目が強まり、横断歩道の反対側に向けられた。あたしは、その先を辿る。
大型トレーラーが過ぎ去って、砂埃と排気ガス混じりの風が吹き抜けていった。
スコットは横断歩道の反対側が見えた途端、黒光りする拳銃を構える。同時に、じゃきりと銃身を前後させた。
その銃口が睨む先には、誰かが立っていた。


「終わらせはしないさ」

紺色の、かっちりした制服に身を包んだ若い男。この声と、口調は。
その胸元には、銀河連邦政府軍のエンブレムが付いている。間違いない、こいつが。
穏やかそうな顔立ちによく似合う金髪の下で、エメラルドグリーンの瞳がにやりとした。

「終わらせて、たまるもんか。あの人を、手に入れるまでは終わらせるわけがないだろう!」


また、トレーラーが通り過ぎた。
轟音を響かせながらそれが遠ざかった頃には、もう男の姿は失せていた。
スコットは銃を下ろし、深く息を吐いた。胸元に入れてから、煙草を取り出してくわえ、火を点ける。
自分を落ち着けるように吸ってから、スコットは呟いた。

「ゼルだ。相っ変わらず、余裕だけは振りまいてくれちゃってるぜ」

「あれが…」

呆然としながら、神田は横断歩道の反対側を見つめていた。まだ、信号は変わらない。
きっと、来たときも帰るときも転送装置でも使ったんだろう。わざわざそんなことをしてまで、来なくても。
ゼルの姿は、あたしの予想通りだった。表情といい口調といい、杉山先輩と似ている。同じ人種なのかも。
諸悪の根源がついさっきまで立っていた側の歩道は、何事もなかったかのように静かになっている。
煙草のフィルターを強く噛み締めながら、スコットはスラックスのポケットに両手を突っ込む。


「マジで相変わらずだぜ、少佐」



戦いは。

まだ、終わりそうにない。







04 8/20