Metallic Guy




第二話 親友来訪



インパルサーは両手を広げて、あたし達に向けて座っていた。頂戴、をしているようなポーズだ。
あたし達はそれを見下ろしながら、話し合っていた。
彼に何を持たせ、どうやれば効率的な訓練が出来るか、ということだ。
ありがたいことに、鈴音は協力すると言ってくれたのだ。あたしは、あなたに感謝しきりです。
当然だけど、編集作業は中断せざるを得ない。
校内誌の記事を書き上げるのは、夜にでもやることにしよう。頑張れ自分、あのプリンが自分ご褒美だ。



「セオリーだとさぁ…」

鈴音が、ソファーの上で足を組んでいた。
彼女はインパルサーの大きめの青い手を見下ろし、顎に手を添える。

「こういうときって、卵を持たせない?」

「あー、よくあるよねぇ」

あたしは、どこぞの企業が開発したロボットの手が卵を持っている光景を思い出した。
あれは手だけのロボットで、やたらにゆっくりした動作だったけど器用だった。
でもさっき写真を易々とぶち抜いた手の力は、卵なんか持たせた途端に握り潰して、爆発させそうだ。
そうなってしまったら、インパルサーもあたしも鈴音も部屋も写真も原稿用紙も、あっという間にべっちゃべちゃの卵まみれになってしまう。


「でも、卵はちょっとやばくない?」

あたしは、鈴音へ言った。
鈴音は、深く頷く。

「百個はちょっと値も張るし、無駄にしちゃニワトリに申し訳ないよねぇ…」

そりゃ食べ物なんだから、粗末にするわけに行かない。勿体ないお化けが出てくる。
仮にインパルサーが爆発させることがないにしても、握り潰した卵はどうなるのだろう。
でも割れた卵は凄く傷みやすいから、必然的に全部調理してしまって食べなければならない。
簡単に考えても、百個は潰すことになる。あたしは、仮に卵を百個割ったとして、割れた卵の行く末を想像した。
なんとなく、その卵の海はあたしの頭の中で好物のプリンに姿を変えていった。
でも、百個だ。冷蔵庫にはなんとか入るかも知れないけど、絶対に傷む前に食べ切ることは出来ない。
いきなり胸焼けがしそうになり、あたしはぐったりと項垂れてしまった。

「プリン百個は嫌だ…好きだけど、好きだけどさぁ…」

「何考えてんの」

あたしの言葉に、鈴音が呆れたらしい。当然だ。あんまりにも脈絡がないし、馬鹿みたいなことだから。
インパルサーは頂戴ポーズのまま、あたしへ顔を向けた。

「タマゴというと、朝方お母様が調理していらっしゃった、黄色い核を持つ楕円形のものですか? あの中身は半透明の液体でしたよね?」

そういえば、今朝は目玉焼きがあった気がする。
インパルサーは、少し困ったように言う。

「液体だけはダメです。関節に入ってショートを起こしてしまいますし、更に故障を招いてしまいますから」

「そりゃあ、あたしもあんたもダメだねぇ」

「はい」

インパルサーは、まだ頂戴ポーズのままだった。
あたしはその手を取って降ろさせると、彼の膝の上に乗せる。

「降ろして良いわよ」

「あ、そうでしたか」

と、彼は少し照れくさそうだった。

「命令が解除されないので、そのままでいろ、という意味だったのかと思ってしまいまして」



「あたしはパルの司令官かい」

冗談めかして、あたしは言った。
するとインパルサーは、落ち着けた声を発した。

「今の僕に指揮権はありませんし、指揮を下すマスターコマンダーも通信圏内にいません。ですから、それはあながち間違いではありませんよ、由佳さん」

「どういうこと?」

興味津々、といった具合に鈴音が身を乗り出してきた。
インパルサーは、あたし達を見回した。

「僕達ヒューマニックマシンソルジャーは、基本的には誰かの命令を受けるか、下すかの違いだけが個体差みたいなものなんです」

「うんうん」

鈴音が、目を輝かせている。


「僕はそのどちらでもあるのですが、マスターコマンダーの専用通信圏内から外れているため、必然として僕への指揮権は解除されてしまったままの状態になっているんです」

「それとあたしがあんたの司令官になるのは、どういう関係があるのよ」

あたしが詰め寄ると、インパルサーは続けた。


「指揮が解除された状態が続くと、僕達はマスターコマンダーの初期設定に従って定められたタイムリミットが作動し、中核となるプログラムが削除されます。ヒューマニックマシンソルジャーとしての中核を失うことで、同時に意義を失うことになります」

彼が、膝の上の手を握り締めたように見えた。

「意義を失うと、メモリーバンクはマスターコマンダーの設定によって情報の吸収を止め、同時にシンクロしているメインプロセッサーの成長が止まります。そうなると、メモリーバンクとメインプロセッサーの機能が停止し、僕はヒューマニックマシンソルジャーの最大の特徴であるエモーショナルも、機能を停止してしまうんです」


「失ったままだと、どうなるの?」

あたしが呟いた。
簡単に考えると、思考も感情も何も止まってしまう、ということらしい。やばいよ、それ。
インパルサーは、少し言いづらそうだった。

「ソルジャープラントも兼ねている、マザーシップからミドルシップが自動的に発進され、僕達を回収にやってきます。エモーショナルが消えると同時に、マザーシップへのコマンド…シグナルウェーブが発せられますから」

彼の声は徐々に落ちていく。
自動的に、だけがちょっと強められていた。

「ミドルシップの全長は一万七千テラスケール…この惑星、地球の衛星である月のおよそ三倍です」




静寂が、車の音で破られた。影が、いくつか通っていく。



「マジで!?」

鈴音の声が、裏返る。ミドルなのに、月の三倍なのだから驚かない方が難しい。
あたしも信じられない。地球から見た月はあんなに大きいのに、もっと大きいなんて。ミドルなのに。
インパルサーは、淡々と、でも気落ちした声で続けた。

「本当です。ですが、そんなスケールのスペースシップが地球規模の惑星に接近したら、当然ながら重力異常を起こし、その惑星は壊滅してしまいます。そうなったら、コズミックレジスタンスは今も戦っていますが、更に戦いが戦いを呼んでしまい、星間戦争の無限連鎖が発生して、僕達の銀河は壊滅してしまいます」


インパルサーの話に出てくる、マスターコマンダーとはとんでもない奴だ。
それが、これを聞いた直後のあたしの感想だった。
機械の兵隊だからって言っても、インパルサーには意志も感情もある。きっと、他のマシンソルジャーにもある。
意志も感情もある相手の記憶を、まるで消耗品みたいに記憶を消したりしてもいいのだろうか。良くない、絶対に。
そいつは血の通った人間、いや、緑色でも良いから血の通った宇宙人なんだろうか。
そんな奴が、ご丁寧に自軍のロボット兵士を回収しに来るとは思えない。
なのに、月の三倍もあるミドルシップをわざわざ発進させるのは、きっと事故を装った襲撃と、惑星を次々に壊滅させて戦いを増長をさせる気なのだ。
確信はないけど、そう思えて仕方なかった。
ヒューマニックマシンソルジャーって、思っていたよりずっと不憫なのかもしれない。


鈴音が、苦虫を噛み潰したような顔をしている。

「ひっどい。わざわざ意志や感情を作っておいたくせに、消しちゃうの?」

「スズネさんのような意見が銀河連邦政府から出たので、銀河平和協定が作られました。それは、僕達ヒューマニックマシンソルジャーのコアブロック、あ、メモリーバンクとメインプロセッサーとエモーショナルの総称ですが、の機能を可能な限り維持させていくように、という協定でした。なのでマスターコマンダーは協定に従って設定を切り替え、先程述べたような状態には、簡単にはならなくなったのです」

ここで、ちょっとだけインパルサーの声が明るくなった。
ふと、あたしは思い出したように言った。実際、今思い出した。

「で、それとあたしがあんたの司令官、ってのはどういう関係があるの?」


「機能維持に一番大切なのは、機能を稼動させるための意義を持たせておくことなんです。そこで、マスターコマンダー専用通信圏外の惑星や衛星に落下してしまったりした場合には、その惑星に存在する現地住民に接触して、部下なり奴隷なり道具なりなんなり、とにかく僕達を稼動させておくことが出来るような意義を頂くことが、最優先事項になるんです」

インパルサーは、あたしを見た。

「なので、その意義を頂いた相手がその惑星に置ける司令官というか、一時的なコマンダーになるんです。だから、由佳さんは僕のコマンダーなのです」


話の筋は本筋から外れていたように思えたけど、外れていなかったらしい。
でも、あたしはいつのまにインパルサーのコマンダーなんかになっていたんだろう。
さっぱり記憶にないし、なるような必要がまるで見当たらない。
意義なんていう大層なもの、あたしはインパルサーに与えたんだろうか。
戸惑いながら、インパルサーに尋ねた。

「え、でも、あたしはパルには何も」



「僕は」

凄く嬉しそうに、インパルサーは少し首をかしげて笑った。

「由佳さんに、新しい名を頂きました。それが何よりの、意義なんです」




そうか。

だからあの時、インパルサーは凄く喜んだのだ。パル、なんて名前を付けられたのに。
記憶を失うことも感情を失うこともでっかい宇宙船を呼ぶことも、なくなったのなら喜んで当然だ。
あたしは妙にほっとしたことと、自分がしたことが正しかったことなのだ、と思って安心した。
一瞬、本当にインパルサーがただのロボットになってしまって、月の三倍もある宇宙船が来て、地球がめちゃめちゃにぶっ壊れてしまうかと思ってしまったのだ。
そうならないと解った途端、妙に気が抜けてしまったらしい。
ぺたんと冷たいフローリングに座り込み、あたしは肩を落としていた。
そんなあたしの肩を鈴音が抱き、ぽんぽんと叩いてくれた。

「由佳、あんたは良い子ねー。ホント」

「はい」

インパルサーが頷く。

「由佳さんは、素晴らしい方だと思います」


なんかよく解らないけど、とにかくあたしはべた褒めされている。
気分は悪くないけど、恥ずかしい。
あたしは照れ笑いしながら、インパルサーをちらっと見た。
彼のレモンイエローにはあたしと鈴音が映り込んでいて、その奥の目みたいなモノは、笑っているように思える。
あたしは照れ隠しに、むくれた。

「言い過ぎだ」



鈴音はあたしをしばらく抱いていたけど、ふと、離した。
そして、思い出したようにインパルサーへ顔を向ける。

「で、なんか忘れてない?」

「忘れて…?」

あたしは、ちょっと思い出してみた。
マシンソルジャーの意義の話をする前は、卵をどうとか言っていた気がする。
でも肝心なのはその卵ではなくて、話し合った原因だとも思い出した。
そして、あたしはインパルサーへ声を上げた。

「そうだ! パルの訓練!」


時計を見上げると、いつのまにか時間は過ぎていた。
午後四時を回り、放っておけばすぐに五時になってしまうだろう。
鈴音は、長い黒髪を少し乱暴に掻き上げた。

「…ダメ、さっぱり良いのが出てこない」

「力加減を、覚えさせるために何を持たせるか、だったよねぇ…」

あたしは、今度はぐったりして肩を落とした。
そしてしばらく考えてみても、やっぱり何も出てこない。
コズミックレジスタンスがどうの、銀河平和がどうの、意義がどうの、といったことが思考を支配しているせいだ。
インパルサーの長話の中身は強烈過ぎて、すぐには思考を切り替えることは出来なかった。
あたし達は顔を見合わせたが、どちらも困ったような顔をしているらしい。
当のインパルサーもそれなりに困っているのか、正座したまま、やっぱり動かない。



不意に、かちゃん、と玄関の方で音がした。
すぐにどたばたと激しい足音がして、廊下を走ってくる。
それは泥まみれの靴下を引き摺りながら、ダイニングキッチンにやってきた。
冷蔵庫を開け、麦茶をコップに注いでいる。
でもそれを飲んでしまう前に、その靴下の持ち主はあたし達に気付いた。

「あれ、鈴音さんじゃん。こんにちは」

「涼君」

鈴音が、涼平を見上げた。
涼平は一気に麦茶を飲んだ後、ダイニングカウンターの向こうからあたし達を見下ろした。

「何してんの、パルと一緒になって」


「それがねぇ」

ほう、としおらしく鈴音は白い頬を押さえた。
しとやかな口調になり、なぜか流し目で涼平を見上げた。

「私達、ブルーソニック君に力加減を覚えさせたいんだけど、そのためには何を使えばいいのか解らないのよ」

「姉ちゃんは?」

「さっぱり。見て解るでしょ」

と、あたしは苦笑した。

「壊しても大丈夫で、でも微妙な力加減が解るくらいのもので、そんなに値の張らないモノがいいんだけどさぁ…」

「んな都合の良いモンあるわけないじゃん」

涼平が一蹴する。うん、あたしでも都合良すぎだと思った。
だけど涼平は何か思い付いたらしく、あ、と言って二階へ駆け上がっていった。
あたしは、しおらしいままの鈴音と顔を見合わせた。何を思い付いたんだろうか、弟は。

しばらくすると、またどたばたと忙しく弟が降りてきた。
階段の最後の段差をちょっと踏み外したらしく、あてっ、と声がする。
少しすると、やっぱり走りながら涼平がリビングへ戻ってきた。


「これ、使えるんじゃね?」

そう言って、涼平は写真だらけのテーブルの上に楕円のものを置いた。
赤とか青とか黄色の楕円で、両端には金色が付いている。ああ、あれか。
あたしはそれを手に取り、息を吹き込んで膨らませた。ぱりぱりっと紙が広がって、すぐに丸いボールになる。
ぽん、と軽く手で跳ね上げながら、自慢気に胸を張る弟を見た。

「紙風船?」

「あ、いいかも」

鈴音は頷いた。

「それならいくら壊してもすぐに復活させられるし、値段も大したことないし、感触も微妙だし!」

「でしょ、でしょ!」

鈴音に褒められたことが嬉しいのか、やたらに涼平が元気に言った。
なんとも生意気な話だが、弟は鈴音にちょっと憧れているフシがあるらしい。その気持ちは解るぞ、弟よ。

あたしはその紙風船を、インパルサーへ飛ばす。
インパルサーはそれを受け取ったけど、すぐに両手でぱしんと潰してしまった。
でも彼なりに勢いは押さえていたのか、空気はゆっくりと吹き込み口から抜けていった。
彼はゆっくりと手を広げ、片手の上で潰れている紙風船を面白そうに眺める。

「面白いですね、これ」


「んじゃ、決まりね」

ぱん、と鈴音は胸の前で両手を重ねた。
そして立ち上がると、テーブルに散らばった写真を掻き集め、ざらざらと平べったい写真屋の紙袋に入れ始めた。
あたしは時計を見上げて残念そうな顔をしたのを、鈴音は気付いたらしく、あたしを見下ろした。

「本当に悪いけど、私、これからうちに家庭教師が来るの。ごめん、由佳」

カメラの入ったデイパックのジッパーが、じぃっと締められる。
彼女はそれを担ぐと、あたし達に手を振り、足早に出て行こうとした。が、一度立ち止まって振り返る。
デイパックのポケットの中を探って雲模様の封筒を取り出すと、あたしへ投げた。あのメモ用紙と、セットのものだ。
あたしはそれを慌てて受け取ると、鈴音は笑った。

「約束のモノ。堪能しなさい、青い夏!」


じゃね、と言ったかと思うと、鈴音はすぐに玄関を出て行ったようだ。
そして隣の道を、ヒールのある軽い足音が駆けていった。バスの時間、間に合うと良いね、鈴音。
あたしは水色の封筒を持ったまま、ちょっと惚けてしまった。この中に映っている、園田先輩を想像したからだ。
涼平は汗と土に汚れた顔を近付け、あたしの手元を覗き込む。

「姉ちゃん、なにそれ?」

「涼には関係ない」

と、あたしは封筒をショルダーバッグの中に入れた。
涼平は、妙につまらなそうにしていた。
あたしはそんな弟を、横目に見た。

「着替えて顔洗っておかないと、後で母さんに怒られちゃうよ」

「解ってるよ」

心底不満げに、涼平は立ち上がった。
そして、階段を上っていく。



あたしは筆記用具と原稿用紙を片付けながら、ふと、座ったままのインパルサーに気付いた。
彼は潰れた紙風船を前に、ぼんやりしている。
その前に、あたしは屈む。

「パル?」

「訓練をやりたいのは山々なんですが、その」

申し訳なさそうな、あの声だ。

「これを使った訓練は、僕だけじゃ出来ません」

「どうしてよ」

なんとなく、彼が紙風船を扱えない理由は想像出来た。
でも、一応聞いてみた。
インパルサーは紙風船を見下ろしながら、肩を落とした。

「僕じゃ、これに空気を入れて膨張させることは出来ません。排気は出ますが、その排気では強すぎて…」



「なっさけない…」

と、あたしは思わず呟いてしまった。想像通りだったからだ。
インパルサーは自分でもそう思ってしまったのか、頭をもたげてしまった。
背中の翼がへたれていて、目のレモンイエローもちょっと薄くなっている。ああ、泣きたいんだな。
でも、泣きたいのはあたしも同じだ。百回も紙風船を膨らませなければならないのだから。
インパルサーは肩を震わせ、ぎゅっと膝の上の拳を握り締めている。

「本当に、すいません…」

「も、いいよ」

あたしは、彼の頭を軽く小突く。
こん、と硬い音が響いた。

「結構、慣れてきたから」



こんなことに慣れてもどうしようもないと思うけど、慣れなきゃやってられない。
あたしは目の前で縮こまるガタイのでかいロボットを見下ろしながら、そう思っていた。
ブルーソニックインパルサーは、ぱたっと冷却水を足元に落とす。
それを、彼はマリンブルーの手の甲で拭っていた。

「すいません、由佳さん」

「…いいって」


あたしには、そう言うことしか思い付かなかった。
それ以外に、一体何が言えようか。
夏休みはまだまだ長いし、気長にこいつとは付き合っていくしかない。
それに。出会ったばかりで、全部が上手く行くわけがない。



とにかく、あたしもインパルサーも、頑張るしかなさそうだ。






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