Metallic Guy




第五話 嵐、来たる



門柱に「MISORA」の表札が填っている門の前で、立ち止まる。
開いて中に入ってから、あたしは振り返った。

「どうもありがとう」

そう言うと、神田は照れくさそうに笑った。

「いいよ。そんな」

「んじゃ、風邪引かないでね」

あたしは、軽く手を振ってから玄関に向かった。
ドアを開けながらもう一度振り返ると、神田は片手を挙げている。
そして、やたらに元気の良い歩き方で行ってしまった。
途中から走り始めたのか、ぱしゃぱしゃと走る足音がしていって、じきにその姿は見えなくなった。
あたしはそれを見送り、また笑ってしまった。やっぱり、どこかおかしくて微笑ましい。



玄関でぐしょぐしょになったスニーカーを脱いで、ついでに靴下も脱ぐ。
ふと、背後に影が出来たので振り返る。
インパルサーがあたしを見下ろしているのだが、なぜか軽く首をかしげている。

「おかえりなさい」

「あ、ただいま」

あたしは靴下を持ち、立ち上がる。

「こんなに降られちゃうとはねー…もうぐっしゃぐしゃ」

「インパルス…というか、カミナリもひどいですしね」

いつもの大人しい、落ち着いた声。
だけど、どこか引っかかる。あたしはそれを妙に思いながら、彼を見上げた。

「どうしたの?」

「いえ」

彼はあたしに背を向け、行ってしまった。
変だ。
今朝はあんなにも上機嫌だったのに、何があったというのだ。
あたしは首を捻りながら、リビングへ向かう翼の付いた背を見送った。

「変なの」




雨は、激しくなる一方だった。
普段は庭やベランダに出ている鉢植えがリビングに集められていて、結構狭くなっている。
テレビの天気予報には注意報や警報まで出る始末で、かなりひどいことになっているらしい。
でもそれは一晩だけだそうで、明日の朝にはでからっと快晴になる、との話だった。
あたしはリビングのテーブルにへたりながら、隣で正座しているインパルサーを眺める。
レモンイエローのゴーグルはあたしを見ていたけど、ふいっと逸れる。
ああ、やっぱり変だ。


「パル」

「なんですか?」

「あたし、何かした?」

身を乗り出すと、インパルサーはますます顔を逸らした。

「した、というか…していないから、というか…」

「はっきり言いなさいよ」

そう詰め寄ると、インパルサーはやっとあたしを正視した。

「その…」

でも、言葉は明瞭じゃない。
あたしはついその頭を小突き、彼を睨むように見据えた。
インパルサーは言いづらそうに、やっとまともな言葉を発した。

「あの、サンドイッチ、どうでしたか?」

「サンドイッチ?」

あたしはそう言われて、思い出した。朝に食べた、あれだ。
マヨネーズのマスタードがちょっと効き過ぎていたけど、あたしはあれくらいの方が好きだ。
だけど、あれとインパルサーにはどんな関係があるんだろう。
ちょっと不思議に思いながら、頷いた。

「おいしかったけど。でも、それがどうかしたの?」


「おいしかったんですね!」

いきなりインパルサーは身を乗り出し、ぐっと拳を握った。
あたしは身を引き、目を丸める。今度は何がどうしたと言うんだ。
彼は何度も頷いていて、そのゴーグルの色はライトグリーンだ。
そして顔を上げ、声を上げた。

「良かった。僕は味を見ることが出来ないので、正直心配でしたが、ちゃんと食して頂けるものだったんですね!」

「へ?」

「あのサンドイッチ、僕が作ったんです」

片手の親指を立て、インパルサーは自慢気に胸の辺りを差した。
あたしはもう一度きょとんとし、じっと彼を眺めた。

「…マジ?」

「本当です。といっても、大半はお母様のお手をお借りしてしまいましたが…」

と、照れくさそうに彼は頬を掻いた。
あたしは、ちょっと信じられなかった。
なぜまた唐突に、インパルサーが料理をしているのだ。その理由が、さっぱり見当たらない。
正直、不思議で不思議で仕方がなかった。
目の前で嬉しそうにするインパルサーのゴーグルの色は、ライトグリーンのままだ。
嬉しいと、ライトグリーンなのか。それもまた、ちょっと色が違わないか。

ふと、窓の外へ目を向けた。
重苦しい雨雲の中を、一筋の雷光が走って、直後に重低音が響く。
それを見ながら、あたしはふと思い出した。

「そういえば、涼平は?」

「ずっと部屋にいるようなんです」

インパルサーは顔を上げ、窓の外を見た。
そういえば、涼平は昔からあたしとは怖いものが正反対だ。
弟は仏壇とか幽霊とかおどろおどろしいものは平気なのに、カミナリや地震には過剰な程に反応して怖がるのだ。
姉弟だというのに、なぜ怖いものが正反対なのか、不思議で仕方ない。

鋭い雷光が、レモンイエローに戻ったインパルサーのゴーグルに映る。

「なんでも、カミナリが怖いとかで」


「怖いかなぁ…カミナリ」

あたしはソファーに座り、クッションを抱いた。
激しい雨が窓を伝い、すぐ近くでもよく見えないような状態になっている。

「あたしは結構好きだけど。落ちさえしなきゃ」

「僕は別に」

「でもパルはロボットだし、機械ならカミナリが落ちると困るんじゃないの? ショートしたりして」

「落ちても帯電しなきゃ大丈夫なんです。突き抜けてしまえば、大した事はありませんから」

こういう感じで、と、インパルサーは上から下に手を動かした。

「それに、僕は普段空中戦をしていましたから、帯電しないように色々と調整してあります。だから、簡単にはショートしませんし、電圧がそれ程強くなければ結構平気なんです」


「ふーん…」

あたしの気がない返事が、雨音に掻き消された。

ざあざあ、とひたすらにやかましい。
普段はやかましいセミの声が聞こえず、雨音に全て包まれてしまっている。
うちの前を車が通るたび、ばしゃあと水を跳ね上げているらしい音がした。
台風といっても、今回のは風が強いタイプではなく、雨がひたすらに降るタイプだそうだ。
だから、こんな状況になっているのだ。


頬杖を付いて、すっかり薄暗い外を眺めた。
結局、いつものようにあたしは園田先輩に近付くことすらままならず、あの写真の真相を聞くことは出来なかった。
聞けるものなら聞いてみたかったし、知りたかった。いや、知れなくても聞くだけで良かった。
でもやはり、遠くで見ているだけなのだから、話しかける勇気すらない。
たまにする会話と言えば新聞部の用事がある時だけで、その内容は結構事務的だから色気もへったくれもない。
今日だって、鈴音があたしの手を掴まなければあのまま何も出来なかっただろう。
なんとなく、あたしはこの恋の行く末が見えた気がした。

何も出来なくて何も言えなくて、ただじっと見ているだけで終わってしまうに違いない。

でも。
これは、本当に恋なのだろうか。

恋ですら、ないのかもしれない。
見かけたときには凄く緊張してどきどきするけど、それから先がない気がする。
それから先を、感じた覚えもない。
恋愛小説のように、ずっと思って胸の奥がじりじりして、夜も眠れなくなる程好きだと感じたことはない。
やっぱり、これはただの憧れなのかもしれない。
だけど、憧れにしてはちょっとどきどきが激しすぎる気がする。

どっちなんだ、あたしよ。



「すっきりしないなぁー…」

考えていたら、いつのまにかそんなことを呟いていた。
インパルサーはあたしを見、首をかしげる。
その拍子に鳴る、キュイン、という軽い音がやけに響くのは、外が雨音でやかましいのにリビングが静かだからだ。
付けっぱなしのテレビからは、台風情報を淡々と読み上げ続けるアナウンサーの声が聞こえている。
インパルサーは、ふと立ち上がった。
そしてどこかを見るようにしていたが、また、座った。
あたしはそれを不思議に思い、きっちりと正座している彼を見る。

「どうかしたの?」

「いえ…」

だけどまだ、でももしかしたら、となにやら呟きながら顎に手を当てている。
あたしは彼の前に座り、そのゴーグルを覗き込んでみた。
その奥に見える横長五角形は、ぎゅっと睨むように細くなっている。
しばらくすると、ようやくインパルサーはあたしが近付いていたことに気付き、わぁ、と一声叫んでのけぞった。
のけぞった格好のまま、彼は深く息を吐いた。

「由佳さん…何ですか、その、一体」

「何ごちゃごちゃ言ってるのかなーって」

「別に、大した事ではありません」

と、言いながら、インパルサーは姿勢を元に戻した。
あたしはそれを見上げた格好のまま、妙な顔をする。

「それにしちゃ、やけに深刻そうだったけど?」

「…え、と」

やけに、インパルサーの声が上擦っている。
あたしはそのまま、またちょっと近付いてみた。
すると先程の数倍の反応速度でのけぞり、逃げていってしまう。
そしてついにはテレビの前で止まり、立ち上がって後退るような姿勢になった。
あたしはそれを不思議に思い、同じように立ち上がって彼を見上げた。

「何なのよ」

「僕にも…良くは」

明らかに緊張している。
あたしはそれを訝しく思いながら、腕を組む。
インパルサーは、またあたしからぷいっと顔を背けた。
なんだ、今度は。
あたしはまだ、何もしていないぞ。ただちょっと、近付いてみただけじゃないか。

一瞬。

強烈な雷光が空を駆け巡った。
その直後、間を置かずに爆発するような轟音が地面を揺らし、ガラスをびりびりと鳴らす。
そう遠くない場所に、カミナリが落ちたのだろう。

数秒後、電気が消えた。


薄暗くなったリビングで、あたし達は顔を見合わせた。
すると、どたばたと激しい足音がしてくる。
勢い良く廊下を走ってきたかと思うと、ばたんとリビングのドアが開いた。

「ねーちゃーん!」


叫び声の主は、涼平だった。
半泣きなのか、しゃくりあげている。
開け放したドアの前に立ち尽くし、肩を震わせていた。
あたしはその姿に、少し呆れたけど、手招きした。

「怖いんなら一人でいなきゃいいのに」

「だっ…」

言葉を詰まらせながら、涼平は声を上げた。

「大丈夫だと思ったんだ!」


ソファーに駆け寄ると、涼平は乱暴に座った。
こちらに背を向けたが、まだしゃくり上げている。
あたしはその頭をがしがしと撫で、横から覗き込んだ。

「無理しないの。停電、すぐに戻るって」

「なんで姉ちゃんは怖くないんだよ」

「そりゃあたしが聞きたいわよ」

あたしは涼平の隣に座り、にっと笑った。

「なんでカミナリがそこまで怖いのか、さっぱりなんだもん」

「僕は平気ですよ」

と、インパルサーがソファーの後ろに立ち、あたし達を見下ろした。
涼平は上目に彼を見たが、すぐに目を逸らす。

「パル兄には解らねぇよ。こういうの…」

いつのまにか、涼平はインパルサーを兄だと認定したらしい。
当のインパルサーは腕を組み、外を眺めている。激しい風雨は、相変わらずだ。

「僕は…そうだなぁ、十億ボルトの電圧が直撃したら、確かに怖いですね。全部の回路、焼けちゃいますから」

「いや、それもう怖いとかそういう世界じゃねぇよ!」

涼平は変な顔をして、インパルサーに振り向いた。
あたしは頷く。

「通り越しちゃって、逆に現実味がないわね」

「うーん…」

インパルサーは屈んでソファーの後ろに腕を乗せ、唸る。

「僕の感じる畏怖の感覚と、由佳さんや涼平君の感じる畏怖の感覚は違うようですね」

「桁違いよ」

その桁の違いは、最初の日に痛感している。
何もかもの桁の差が馬鹿みたいにでかすぎて、実感が沸かない程に。
あたしはそれを思い出し、笑った。

「あたし達の世界とパルの世界は、根本的なものが違うもの」

「違いますか?」

「違うよ」

あたしと涼平の声が重なる。
インパルサーは、少し笑ったような口調になる。

「みたいですね」



何度か、頭上の蛍光灯が瞬いた。
しばらくすると白い光が戻り、またリビングは明るさを取り戻した。
テレビも復活し、何かのドラマの再放送が映し出される。
涼平は安堵したのか、肩を落としてソファーにへたり込む。
あたしはすぐ横にあるインパルサーの横顔へ、目を向けた。
すると彼は目を合わせてしまう前に立ち上がり、組んでいた腕を解いて側頭部に当てる。
しばらくそのままだったが、その手を降ろして首を振る。

「どうしたの?」

あたしが尋ねると、インパルサーは振り向かずに答えた。

「彼が、来ているのかもしれません。いえ、来ています。先程は落雷の影響でコミュニケートウェーブが弱まってしまったのですが、今度は確実に感知出来ました」

「彼?」

「はい。この近くですが、ここではありません」

「パル兄の仲間とか?」

と、涼平が言う。インパルサーは少し考えるように顎に指先を当ててから、返す。

「仲間というか…まぁ、平たく言えばそんなところでしょう」

インパルサーの口調は、明らかに浮かれている。
まるで、久々に親友に会うような。そんな感じだ。
彼は外を眺め、嬉しそうな声を出した。

「フレイムリボルバーがこの星へやってきたということは、ギャラクシーグレートウォーが終わったんですね」


「ふれいむ…りぼるばー?」

いかにもロボットっぽい、横文字の名前だ。
あたしが呟くと、インパルサーは続けた。

「カラーリングネームも入れると、レッドフレイムリボルバー、と言います。彼は第一攻撃隊のリーダーです」

「パルが第二でそいつが第一、ってことはパルより偉いの?」

「いえ。僕らカラーリングリーダーの地位は同じですから、僕と彼は同じ位置にいます」

また、彼は側頭部に手を当てる。

「マスターコマンダーのオールロストによって、コマンドの七十パーセントが解除されました」


何やら、パルの世界が凄いことになっているらしい。
あたしはそう思い、涼平を見た。
涼平も同じように感じているようで、驚いたような顔をしている。

インパルサーはふう、と肩を落とした。

「銀河連邦政府の平和協定が、無事に果たされたようです。これで一段落、といったところでしょうか」


「つまり、戦争が終わったってこと?」

あたしが言うと、インパルサーは頷く。

「そうです。銀河全体を巻き込んだ戦いでしたが、やっと決着が付いたようでして」


そう言った彼の声は、安堵していたのが感じられた。
どれくらいの規模の戦争かは解らないけど、とにかく銀河規模なら凄そうだ。
そんな戦いが終わったのなら、安心して当然というものだろう。


外は、相変わらず激しい雨と風の嵐だ。
強い風に揺さぶられた窓が、がたがた揺れている。
カミナリはいつのまにか納まっていて、雷光も轟きも聞こえない。
あたしはなんとなく外を眺めていたけど、ふと、物足りなさを感じた。
涼平もそうなのか、ダイニングキッチンの方を見ている。

「なんか、腹減ったなぁ」

「そういえばそうだねぇ」

あたしは膝を抱えて、その上に顎を乗せた。

「でも、何か適当なのがあった覚えはないし…どうしたものか」



「はい、はい、はい!」

突然、インパルサーが勢い良く挙手した。

「僕、なんか作りたいです!」


思わず、あたしと涼平は顔を見合わせた。
インパルサーはソファーの前にやってくると、こん、と拳で自分の胸を叩く。
その胸を張って、元気良く声を上げた。

「調理手順と合成材料を教えて頂ければ、僕が作ります!」



「…マジで?」

と、あたしが尋ねると、彼は何度も頷いた。
確かに朝のサンドイッチはおいしかったけど、なぜまたそんなことを。
それを不思議に思うのはあたしだけでなく、当然涼平も変な顔をしている。
だけどインパルサーは胸を張ったまま、ぱしんと敬礼した。


「はい!」






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