Metallic Guy




空と、彼に近い場所で



高い視点から見下ろした世界は、広くて小さかった。
下が見えやすいように傾斜の付いた窓に張り付き、美空は子供のような表情をしている。
前髪を分けているヘアピンをくっ付けんばかりに顔を寄せて、嬉しそうだ。十八になっても、あまり変わらない。
夏休みの始めと言うこともあって、展望台には人が多い。臨海副都心に立つ、超高層ビルの頂上付近の階だ。
このビルの周囲に立ち並ぶ企業のビルは、下からだと高かったけど、上から見るとそうでもないように思えた。
美空は目を輝かせながら、身を乗り出すようにしていた。窓の下を指し、声を上げる。

「神田君。あれさ、鈴ちゃんとこのビルじゃない?」

「高宮の?」

「そう。だってほら、高宮工業ってあるし」

美空が指した先には、一際大きなビルが建っている。その屋上には、企業名の入ったヘリポートがあった。
大きな円の中にHのような記号があり、その記号の下には確かに高宮工業と書いてある。間違いない。
改めて、オレは高宮家の財力を思い知った。こんなところに建てられるなんて、一流の大企業じゃないか。
そんなに凄い家柄なのに、少しもそれを感じさせない。それどころか、上には上がいると謙遜している。
偉い、というかなんというか。きっと高宮には、高宮なりのプライドみたいなものがあるのだろう。
美空には、以前よりも化粧気がある。童顔に合わせたのか、全体的に可愛い感じの色が多い。
下界を見下ろしている彼女の目が、ほんの少しだけ悲しげになった。でも、笑っている。ごく自然な表情で。
近くにいないと、気付かないことだ。だけど近くにいるせいで、いつもこの表情から目を離せない。
ふと、美空が振り向いた。あの憂い気な目はどこへやら、普段の幼い感じに戻っている。

「何?」

「あ、いや」

「そりゃあたしは、鈴ちゃんより化粧は下手だけどさぁ」

ちょっと機嫌を損ねたように、美空はガラスに映る自分の顔を睨んだ。淡い色を乗せた目元が、強まる。
いじらなくても、元から充分可愛いと思う。オレはそう言おうとしたけど、言えずに飲み込んだ。
そういう歯の浮きそうなことを、ぽんぽん言っていたインパルサーの度胸が、少し羨ましくなってきた。
美空は窓から目を外し、寄り掛かれるように備え付けられている補助バーへ腰を乗せた。使い方、違わないか。
パステルブルーのミニスカートから伸びた、健康的な肌色の長い足を放り、窓枠の傾斜へつま先を乗せた。
こん、とサンダルの底が当たった。半袖の白いカーディガンを羽織っている肩に、跳ね気味の髪が掛かっている。

「なんか、夏休み、終わって欲しくないかも」

「終わったら、今度こそ本腰入れて勉強しないとだからなぁ」

オレは、美空の進路を思い出していた。確か、都内の公立大学へ進学するとか言っていた。
むくれながら、美空はぼやく。感情が、すぐに顔に出る。

「自分のためだってことは解ってるんだけど、やる気出ないんだよねー」

「解るなぁそういうの」

「まーでも、頑張るっきゃないか」

はあ、とおおげさにため息を吐いた美空は、顔を上げる。

「そういう神田君は、どこに行くんだっけ?」

「もうしばらく、考えようと思う。まともに進学するのも手だけど、なんか違うんじゃないかなって思えて」

「地球にもさ、銀河警察みたいにロボットポリスがあればいいのにねぇ」

と、美空は冗談めかして笑った。一学期の終業式の後、久々に高校へやってきたスコットがした話だ。
なんでも銀河警察には、アドバンサーなどが起こす犯罪専門の課があるとかで、ロボットポリスはその通称だ。
オレは笑いながら、頷く。あれだけの苦労をして習得したナイトレイヴンの操縦を、忘れてしまうのは勿体ない。

「だよなぁ。採用枠を地球人まで広げてくれたらいいのに」

「だーよねぇ」

けらけら笑いながら、美空は立ち上がった。あ、と思い出すような声を出す。

「またそういえばだけどさ、ナイトレイヴンどうしてる? ここんとこ、さっぱり見てないけど」

「修理は終わったし、細かい調整とか武器の搭載とかも済んでるんだけどさ」

オレは、マリーさんの家の地下に眠らせたままの相棒を思い出した。近頃ずっと、動かしてやれていない。

「下手に世間に見つかって、大事にするわけにいかないだろ? もう、情報操作してくれる人はいないわけだし」

「でも、訓練はしてるんでしょ?」

「まぁな。ずっと、シミュレーターばっかりになっちゃってるけど」

そう話しながら、つい手が操縦桿の握りになっていた。すっかり、体に染み付いた動作だ。
シミュレーターの訓練は悪くないが、ワンパターンであまり好きじゃない。マリーさんが相手の方が、余程いい。
一応、ナイトレイヴン本体のAIとシミュレーターのAIはコネクトしてはいるけど、それでもやっぱり。

「一体感がないんだよな、あれだと。あんまり、戦ってる気分になれないよ、あれじゃ」

「へぇ」

あまり気のない返事をした美空は、また窓の下を覗き込む。アドバンサーには、相変わらず興味がないようだ。
最初の頃はいちいち落胆していたけど、さすがにもうこの反応に慣れてしまった。仕方のないことだし。
窓に映り込む美空の姿が、高く晴れ渡った空に被る。彼女の視界からは、もうオレは失せている。
映っている方の目線が上がったので、それを追う。スカイブルーを切り裂く、一機の旅客機が通るのが見える。
無防備な背中が、少し丸くなる。俯いた美空は、港の向こうの水平線をじっと見つめた。
分厚いガラスに押し当てられた左手が、握られている。その薬指には、見覚えのあるシルバーリングが填っていた。
それはまるで、インパルサーと美空を繋ぐものに見えた。同時に、他者の介入を阻むシールドのようにも。
近頃、ようやく彼女は落ち着いてきたようだ。インパルサーがいなくなってすぐは、塞ぎ込むことが多かった。
それでも、事情を知らないクラスメイトの前ではいつものように笑って、いつものように振る舞っていた。
だが時折、遠くを見ては泣きそうな目をする。その姿を見ることは、オレには何よりも辛いことだった。
例え励ましたところで、何になる。痛々しい笑顔と、気を遣う言葉が返ってくるだけだ。
実際、三月の頃はそんなことばかりだった。歯痒さとインパルサーへの悔しさで、自己嫌悪に陥りそうだった。
何度も、思った。泣き出しそうなのを堪えて笑う彼女を、力に任せて抱き締めてしまえたら。
だが、それをしてしまったら、美空を傷付けてしまうだけだ。そして、オレを信頼したインパルサーへの裏切りだ。
そう思い、オレは目の前の背へ伸ばし掛けた手を下ろした。解っているなら、なぜ手を出してしまうんだ。
衝動を抑えるために、力を込めて右手を握り締める。手のひらに食い込んだ爪より、胸の方が痛くてならない。
美空は、窓に当てた手を外して振り返る。身長差のせいで、少し上目にこちらを見上げている。

「高いよね」

そりゃそうだ。この展望台は、地上から三百メートル近くはある。

「パルと飛ぶと、こうもいかないんだよね。あたしが生身だから、いちいち気ぃ遣ってくれちゃってさぁ」

それもそうだ。インパルサーは、誰よりも美空に優しい。

「高度もあんまり取らないし、急上昇急降下もしないの。速度も、出来る限り出さないでくれるんだけど」

普通の空中は、ナイトレイヴンのコクピットとは違って重力場をいじっていないのだから当然だ。

「あたしとしては、もうちょっと」

美空の左手が上がり、頭の上を指した。指先が、オレの身長を超す。

「高いところに、行ってみたかったなぁ」


「なんで?」

その理由は、聞かなくても解る気がした。だけど、聞かずにはいられなかった。
美空は上げていた手を下ろし、体の前で組む。左手薬指のリングが、指の間に隠れる。

「パルの世界、ってやつ? 神田君が言ってたみたいに、同じ目線になってみたいの。どんな景色かなーって」

気恥ずかしげに、美空は顔を逸らす。髪の間から、細い首筋が見えた。

「普通に並んでても、パルはでかいしさぁ。一緒に飛ぶときだって、抱えられてるからちょっと下だし」

思った通りだ。オレの割り込める隙間なんて、最初からどこへもありはしない。
だが、その隙間を探してしまう。美空の視界に入れるように、空へ向かう目線をこちらへ向けさせるために。
少しでもいい。美空の心を、オレの元へ捉えたい。

「美空」

無駄な抵抗だって、頭じゃ解ってる。無理なことだって、充分体で理解している。
だけど。


彼女を、諦め切れない。



「ナイトレイヴンなら、その高度まですぐに行ける」



周囲の雑踏が、オレ達の沈黙を誤魔化していた。美空の後ろで望遠鏡を覗く子供が、歓声を上げている。
組んでいる手を握り締めながら、美空はゆっくりとオレへ目を向けた。困っているんだ。
謝ろうと思ったが、言葉が出てこなかった。硬く強張った指先が緩められ、美空の手は解かれる。
ヤスリで綺麗に磨かれた爪が、オレを指す。その下で、美空は笑っていた。

「だぁめ」

ストロベリーピンクのリップグロスが塗られた唇が、にいっと広がる。

「あたしの抱え方知ってるの、パルだけだもん」

手を下げた美空は、申し訳なさそうだった。オレは、顔を逸らす。

「ごめんね」

涙声で、そんなことを言わないでくれ。すぐに泣いてしまうんだから、無理はしないでくれ。
オレは視界を戻し、美空を見下ろした。高宮やマリーさんと違って、強がることが苦手なんだ、この人は。
そんな彼女に、あんなことを言うオレもオレだ。こうなることは、充分予想が付いていたはずだ。
追い込んでどうするんだ。彼女に縋られたいのか、それとも、傷を抉って嫌われたいのか。
どっちにしろ、ろくなことじゃない。身勝手に、美空に触れようとしているだけだ。
美空は化粧が落ちるのを気にしているのか、目元を擦らずにしている。無理矢理、笑ったままだ。
展望台の窓ガラスに姿を映しながら、美空は呟く。小さい声なのに、やたらと良く聞こえた。

「だからさ、神田君」

笑顔の横顔が、伏せられる。

「神田君と一緒にナイトレイヴンで飛ぶのは、あたしじゃないよ」


「…そうだよな」

騎士になり損ねた闇夜のカラスは、青い騎士には勝てない。

「悪い、美空。変なこと言って」


「いいよ。どうしても飛びたくなったら、あたしの方から頼んじゃうかも知れないし」

美空は両手を合わせ、頼むような格好をした。

「その時はよろしくね、神田君」

「了解」

久しくしていなかった敬礼を、彼女へした。同じように、美空も敬礼をしてみせる。
美空の後ろ姿が映り込んだ窓の向こうは、高く抜けた空だ。ぎらついた太陽の光が、ビル群を光らせている。
夜だったら、宇宙が近く思えることだろう。銀河の向こうは、遠すぎるくらい遠いけど。
空に近付くことは出来ても、美空に近付けることはない。インパルサーには、絶対追いつけやしない。

それでも。


オレは、君が好きだ。







04 10/19