Metallic Guy




黄昏



扉を横に滑らせた手を止め、彼女は西日の差し込む窓を見上げた。
大きな手足をぶら下げて背を曲げる彼は、開け放たれた窓枠を塞ぐように座っていた。
その背に乗せられた、戦闘機の翼を逆さにして貼り付けたような色鮮やかな黄色い装甲が、ぎらついている。
完全に背を向けられているため、左の二の腕に書かれた白い003は、半分ほどしか見えない。
部屋に入ってから、律子は軽く扉を閉めた。今日も来ている、と思いながら。
ぱたん、と扉が壁に当たる音が音楽室に響く。彼の影が伸び、グランドピアノのてかりの一部を消している。
律子はグランドピアノの蓋を開けて譜面台を起こし、抱えていたファイルを開いて、その上に一枚抜いて乗せた。

「好きだねぇ」

「悪いか?」

作ったような、ぶっきらぼうな声。律子は首を横に振る。

「ううん。聞いてくれる相手がいるといないのって、違うから」

彼のシルエットが見下ろしている先は、グラウンドだった。
運動部の掛け声が校舎に反響し、それが廊下を伝わって聞こえてくる。
女子部らしき高めの声を聞き流しながら、ディフェンサーは横顔だけ律子に向けた。
インパルサーのボディカラーに良く似た深い青の、丸みのあるスコープアイの輪郭が強烈な光で薄まっている。
少年のような顔立ちの中で、一番良く動く口元をにやりと上向け、広げた。

「どうせ、やることもねーからな」

「でも、フェンサー君。なんでいつもそこなの?」

不思議そうに、律子はディフェンサーを見上げて首をかしげた。
その動きに合わせて、きっちり編まれた三つ編みが揺れる。白い鍵盤に、細い影が落ちた。
ディフェンサーはまたグラウンドを見下ろし、胡座を掻くような姿勢になる。
多少前傾気味だったが、落ちる気配はない。重力制御を用いて、窓枠に乗っているからである。
胡座のまま頬杖を付いた彼は、やりづらそうに返す。

「別にどうだっていいだろ、そんなこと」

「でもそこ、高くない?」

「たったの三階だ。落ちたところで、アンテナも曲がらねぇ高さだよ。それに、オレをなんだと思ってる」

笑ったような声で、ディフェンサーは言う。

「そこらの柔なマシンと一緒にするんじゃねぇよ、天下のフォトンディフェンサー様だぜ?」

「よく言えるねぇ、そんなこと」

可笑しげにしながら、律子は彼との間を詰めた。きゅっ、と内履きのゴムが床を擦る。
窓枠の高さで身長差がなくなっている、ディフェンサーの後ろからグラウンドを見下ろす。
高校近くの川を走ってきた風が、校舎に吹き付けた。グラウンドに、砂埃が舞う。
その砂が僅かに混じった空気の流れが、二人のいる窓から音楽室へ滑り込んだ。
カーテンがふわりと揺らぎ、グランドピアノを包む眩しい光を遮る。
冬へと近付きつつある冷たい空気を深く吸い込んだ律子は、体をぐいっと伸ばした。

「始めますか」

椅子を引いて、グランドピアノに座る。律子は譜面を見ていたが、ちらりと彼へ振り返る。
まだ、ディフェンサーは背を向けたままだ。これもいつものことだから、あまり気にはならなかった。
練習曲の始めの音の鍵盤に細く長い指を置き、ペダルの一つに足を添えた。
律子の指が鍵盤に沈むと同時に、弦の叩かれる澄んだ音が鳴った。


背中越しに感じる律子の気配と、ピアノの音色に身を任せる。
ディフェンサーはグラウンドの向こうにある、きらきらと輝く幅広の川を見つめていた。
ただの金属弦が、ただの木製のハンマーによって叩かれている音だとは理解している。
起伏のある音階の羅列が、指定されたタイミングで続いているだけだとも。
だが、彼女の奏でる音を聞いていると、彼にはただのモノだとは思えなくなってきていた。
それを表す適当な語彙を捜したが、いいものが見つからない。それはひとえに、彼が本を読まないせいだった。
次兄とは違い、ディフェンサーはあまり読書を好いていないし、必要以外は読もうともしない。
人間じみたアナログなデータ収集方法が、性に合わないと言うこともあるのだが。
それでもなんとかメモリーバンクから語彙を探し出そうとしたが、やはり出てこなかった。
良くある賛美の言葉なら出てきてはいたが、それが先程の感覚に当て嵌まるとは、到底思えなかった。
優しげな音の波が落ち着き、曲のハイライトに差し掛かっていた。
空気を振るわす低音に、ぴんとした高音が重なる。見事な調和が、二人しかいない音楽室を満たした。
今まで聞いていた電磁波の掠れた音とも、ボディを揺さぶる爆発音とも、金属の軋む音とも違っている。
リペアソリューションに浸かっているような心地よさを感じながら、ディフェンサーは彼女の音を聞き続けた。


テンポの良かった音が徐々に遅くなり、最後に低音の鍵盤が押された。
律子は手を止め、一息吐く。そして、振り返る。

「はい、お終い」

「これ、何の曲だ?」

「ノクターン。ちょっと難しいけど、好きなの」

上手く弾けたこともあり、律子は満足そうな笑顔を浮かべる。
聞き終わってから、ディフェンサーはようやくまともに律子へ振り返った。
がしょん、と大きな腕を足の間に下ろし、部屋側へ座り直す。
グランドピアノの蓋を閉じて振り向いた律子の目線は、彼の肩を越した。

「ねえ、フェンサー君」

「あ?」

多少気の抜けた声を出したディフェンサーに、律子は向き直った。

「そこ、景色良いよね」

「ん、ああ」

片足を窓枠に乗せ、その上に腕を乗せた。ディフェンサーは、後方を見る。
確かにこの窓は、グラウンドと川が一望出来、市街地も見渡せる。小学校は反対側になる。
文化祭の襲撃の際に上空へ出たときは、あまり見ていなかった。そうでない時でも、あまり下は見ない。
ディフェンサーは改めて景色を見、悪くない、と思っていた。律子は、楽譜をファイルに入れる。

「上から見たら、もっと良い景色なんだろうなぁ」

「飛ぶか?」

くいっと外を指し、ディフェンサーは律子を見下ろす。言ったあとで、彼は今更ながら緊張していた。
なるべく平静を装おうとしたが、感情を抑え込むとあまり良い顔付きにならない。
きっと、怒ったようにしか見えないんだろうな。ディフェンサーは、そんな自分が少し嫌になる。
律子はファイルを抱えて振り返り、きょとんとしていたが、ふにゃりと表情を崩した。

「悪いよ、そんなの」

「永瀬、お前ってさあ」

「うん?」

「高いところ好きだろ?」

以前から思っていたことを、ディフェンサーは口に出した。
すると、律子はファイルで顔を覆ってしまった。ゆっくり下げ、目だけ出す。

「…解っちゃった?」

「そりゃ解るさ。ここ最近からとはいえ、ずっと」

見ていた、を飲み込んでから、ディフェンサーは続けた。

「お前の部下してりゃあ、嫌でも」

「それじゃあ、その…」

ファイルを胸に抱え、おずおずと律子は彼を覗き込む。部下を使うことに、まだ慣れていないのだ。
窓枠から飛び降りたディフェンサーは、自分の通学カバンを片手に持ち、彼女を見上げる。
律子は自分の通学カバンを開けて楽譜のファイルを入れてから、申し訳なさそうな笑顔になる。

「本当に、いいの?」

「絶対に落とさねぇし、下手に高度上げねぇから安心しろ。永瀬んちまで、どうせたったの数キロだろ」

「でも」

困ったように眉を下げた律子は、メガネを外した。通学カバンからケースを取り出し、入れる。

「私、重くないかなぁ?」

「はぁ?」

変な顔をしたディフェンサーに、律子は情けなさそうに笑う。

「私、結構体重あるんだもん」

「アホ。さっきも言ったと思うが、オレをなんだと思ってやがる。マシンソルジャーだぜ?」

呆れ果てたように、ディフェンサーはため息を吐いた。

「人間一人の体重なんて、軽すぎるくらいだ。いらねぇ心配するんじゃねーよ」

「それじゃ、お願いフェンサー君!」

両手を合わせて、律子はディフェンサーへ身を屈める。
彼女を見上げたディフェンサーは、びしりと最敬礼しながらにっと笑った。

「ラジャー」




「うっわぁーあ」

上空へ出た途端、律子は歓声を上げた。
ディフェンサーの大きな手の中に座り、巨大な片腕に身を預けている。
腰を落として姿勢を安定させたディフェンサーは、装甲越しに伝わる、彼女を感じまいとしていた。
飛行することを提案したのは自分だが、いざ実行すると、その距離の無さに戸惑ってしまった。
これを兄達はあっさり行ってきたかと思うと、羨ましいやら度胸があるやら、と、感心してしまう。
眼下に広がる市街地は薄暗くなりつつあり、家々の窓やネオンが目立ち始めている。
律子は目を輝かせながら、じっと空を見上げる。空を飛べたことが、嬉しくて仕方ない。

「空が近いなぁ」

その表情を見るまいとして、ディフェンサーは彼女の向こうの空を見据えていた。
雲の所々が裂けており、その隙間から漏れた日差しが地上へ落ちている。
それを見つけ、律子は嬉しそうな声を上げた。

「天使の梯子! そっか、昼間にちょっと雨が降ったもんね」

「ただの日光だろ」

「もう、ロマンがないなぁフェンサー君は」

律子は顔を背け、不満げにむくれる。ディフェンサーは訳が解らず、首を捻った。
進むに連れて風が強まり、ぱたぱたと三つ編みが揺れた。柔らかな前髪も広がり、額が露わになっている。
徐々に太陽は西の果てへ近付き、空は濃いオレンジ色に染まっていった。
ディフェンサーの腕にもたれた律子は、紺色のブレザーの腕に顔を乗せ、満足げに目を細めた。

「綺麗だなぁ…。だから、高い所って好き」

派手なカナリアイエローの装甲に不似合いな、彼女の長い指が置かれていた。
それを律子の肩越しに確認したディフェンサーは、何も言えなくなった。
いつもならば言える軽い悪態も、出てこない。年齢の割に幼げなコマンダーの横顔から、目が離せない。
オーバーヒートとも違うじんわりとした熱さがエンジンから滲み出し、弱い痛みに変わる。

「そうだな」

そんな言葉しか、出てこなかった。
ビル群の並ぶ地平線へ沈んでいく太陽を横目に、彼は胸の痛みと戦っていた。
彼女を支える手に、自然と力が入っていく。絶対に、落としてはならない。
エンジンの過熱が彼女に伝わってしまわないことを、ディフェンサーは柄にもなく祈っていた。
この感情の名称を捜そうとしたが、案の定、適切な語彙が見つからない。
今度から、少しは本を読むべきかもしれない。ディフェンサーは、内心で苦笑する。
西の果てに、太陽が消えていく。彼女を手放さなければならない場所、彼女の家まで後少し。


それが、彼には。

どうしようもなく、残念なことに思えた。







04 7/21