鬼蜘蛛姫




第十話 弛まぬ忠義



 杉の枝葉が散り、九郎丸の羽根に埋まった。
 女郎蜘蛛と子蜘蛛が揃って顔を上げると、蜘蛛というには大きすぎる代物が、杉の突端に八本足を絡めていた。 言うならば、それは足の生えた土塊であった。御影石を磨き上げたかのような八つの目玉が茶色い外殻に埋まり、 黄色掛かった茶色と黒の縞模様がいびつな胴体を不気味に飾り立てていた。一際大きな二つの目玉は、さながら 人間のような表情を浮かべて女郎蜘蛛と子蜘蛛、そして九郎丸を睨め付けていた。毒牙の生えた口元からは太い 糸の切れ端がはみ出しており、それは山中の足元に張り巡らされていたものと崖下の巣と同じ太さであった。

「おのれ、土蜘蛛め」

 女郎蜘蛛は喰い掛けていた八雲姫の骸を放り投げると、生き血がこびり付いた牙を剥いた。

「卑しき雌蜘蛛が」

 樹上の土蜘蛛は石を擦り合わせるような鈍い声を発し、口元から太い糸を吐き付けた。それは女郎蜘蛛を狙うかと 思われたが、喰い散らかされた八雲姫の骸を絡め取った。土蜘蛛は大口を開けて八雲姫を飲み下そうとしたが、 女郎蜘蛛が巻き付けた糸が口元に貼り付いたらしく、土蜘蛛は煩わしげに触肢で牙を擦った。その様を女郎蜘蛛が 高笑いし、土蜘蛛がいきり立った。両者の注意が反れていると知った九郎丸は、翼を戒めている糸から逃れよう と必死に藻掻いた。枯れ葉に擦り付け、木の根に貼り付け、試行錯誤していると、糸の粘り気が弱まった。即座に 翼を広げて羽ばたいた九郎丸は、当然のことながら蜘蛛妖怪共に見つけられた。土蜘蛛は苛立ち紛れに太い糸を 吐き付け、女郎蜘蛛もまた土蜘蛛に負けじと火の粉を噴く子蜘蛛を投げ付けてきた。九郎丸は手近な木を背にして 飛んだおかげで辛くも避けたが、次があるとは思いがたい。と、その時、あるものを捉えた。
 土蜘蛛が喰い損ねた、八雲姫の入った糸玉である。生臭い血に染まった糸が綻んで、折れ曲がった破れ目から はらわたが零れていた。血管が繋がったままで土にまみれているのは、肝に違いなかった。九郎丸は目を見張ると、 蜘蛛妖怪共には目もくれずに急降下した。
 子蜘蛛の吐き付けた火の粉で尾羽が焦げ、土蜘蛛が投げ付けた糸が絡みそうになったが、八雲姫の肝を銜えて 上昇した。粘つく血の糸を引きながら懸命に羽ばたいて遠ざかる九郎丸の背後で、蜘蛛と蜘蛛が取っ組み合いを 始めていた。土蜘蛛は杉を蹴って巨体を落とし、女郎蜘蛛を真上から押し潰す。枯れ葉が舞う中、女郎蜘蛛は手近な 木に子蜘蛛を引っ掛けて危ういところで脱して、反撃に転じた。子蜘蛛を全て放って土蜘蛛に炎を浴びせると、土蜘蛛 は山林が震えんばかりの叫びを発して仰け反った。妖しき炎は土蜘蛛の外殻に生えた毛を舐めるように燃やし尽くし、 目を煮詰め、手足を縮こまらせる。だが、それで終わりはしなかった。子蜘蛛と女郎蜘蛛を繋ぐ糸に足先を掛けると、 ぐいと引き寄せた。思いがけず足場が崩れた女郎蜘蛛は子蜘蛛を切り離そうとしたが手遅れで、炎に巻かれた土蜘蛛 が覆い被さってきた。九郎丸が逃げ去る直前、女郎蜘蛛の凄絶な断末魔が上がった。八雲姫のように喰われたに違いない。
 一刻も早くこんな山から逃げようと思ったが、生憎、九郎丸は精も根も尽き果てていた。目の前で愛おしい姫君が 喰われたばかりか、自身も手傷を負っていたからである。騙し騙し飛んでいたが、いずれ墜落してしまう。その前に 地上に降りなければ、と糸の切れ目を探して回った。すると、八重山の中程に奇妙な洞窟があった。洞窟の上部に 小さな穴が空いていて、入り口も大木に塞がれているので、一見すれば岩山にしか見えぬ洞窟であった。
 これ幸いとばかりに上部の穴から滑り込んだ九郎丸は、洞窟の奥に向かった。八雲姫の肝は温もりも鼓動も消えていたが、 八雲姫には変わりないので、九郎丸はクチバシを使って土を掘り返した。洞窟の中の土は強張っていて、クチバシ が折れそうになった。時間を掛け、底は浅いが穴と呼べるものを作った九郎丸は、その中に八雲姫の肝を大事に 収めると土を被せた。だが、それだけでは獣に見つかって掘り返されるであろう。せめて石を転がして載せてやろうと 辺りを見回していると、洞窟の入り口を塞いでいる大木がざわめいた。傾きかけた西日に照らされている影絵は、 忘れもしない八本足が伸びていた。
 九郎丸が声を失っていると、大きすぎる体を大木に引っ掛けながらも、それは 洞窟に入り込んできた。毒々しい朱色の輪郭を帯びた影を仰ぎ見ると、九郎丸は訳もなく嬉しくなった。なぜならば、 八雲姫その人だったからである。丸みのある肩の曲線、腰よりも長い艶やかな黒髪、ほっそりとした顎、傷一つない 白い指先、襟元から覗く滑らかな首筋。と、そこまで見つめてはっとした。八雲姫だとしてもなぜ髪が長いのだろう。 浅黒く日焼けしていないのだろう。鮮やかな朱色の着物を纏っているのだろう。では、これは、一体。

「ほほほほほほ」

 袖口で口元を覆った女は、女郎蜘蛛と全く同じ声色を発した。その腰から下は土蜘蛛であり、妖怪同士の禍々しい 喰い合いの末に混ざり合ったのだろう。

「ああ……心地良いぞえ。なんという、甘き、芳しき、麗しき無念か」

 蜘蛛のような女は不釣り合いな下半身から生えた八本足を動かしながら、洞窟の奥に向かってくる。

「五臓六腑に染み渡るとは、正にこのことよ」

 蜘蛛のような女は頬に手を添え、愛おしげに撫で回す。

「この顔も、この手も、この体も、あの女を喰わねば得られなかったもの。ああ……わらわは女になれたのえ」

 九郎丸は物陰に身を隠し、精一杯羽根を膨らませた。せめてもの防御である。

「わらわは最早、下賤な雌ではないわ。女、女、女ぞ」

 とろりと陶酔した蜘蛛のような女は、着物の上から丸い乳房と柳腰をなぞる。その様は震えが来るほど屈辱的 であり、また、吐き気がするほど扇情的だった。九郎丸はぎちりとクチバシを噛み締め、矮小な魂の奥底から噴出 する妄執と戦った。これまで、九郎丸は八雲姫に付き従ってきたのは伊勢実近のような純然たる忠誠心によるもの だと信じていた。また、信じようとしていた。だが、そうではなかったらしい。氏も育ちもない鴉という身分を弁えず、 浅ましい男の感情を抱いていたのだ。そんな己が許し難く、九郎丸は呻きを上げかけた。
 不意に、蜘蛛のような女が目を動かした。八雲姫のそれよりも濃い色香を漂わせている切れ長の目元が開くと、 切り揃えられた前髪が掛かった額の中からも六つの目が現れた。どこからか、きな臭い匂いが漂っていた。洞窟の 出入り口に濁った煙が入り込み、空気を濁らせる。蜘蛛のような女は口元を覆い、眉根を顰めた。

「あの娘はどこに行きおった」

 聞き覚えのある、訛りのきつい言葉が聞こえてきた。

「妖怪に喰われたかと思うたがんに、一向に見つからん」

「そんげにややっこしいことをせんと、通り掛かった時に身ぐるみ剥いでしもうたらえかったんじゃねっか」

「そったらことしとったら、また女共に文句言われるすけん、わざわざ手間の掛かることをしとるんでねっか」

「そら、お前らが旅の女と見りゃあ手ぇ付けるからろ」

 男達の粗野な笑い声が洞窟に入り込み、不作法に跳ね回る。

「あの娘、流れ者みてぇな格好をしとったけど、ありゃ都の生まれに違ぇねぇ。言葉が違いすぎらいや」

「ほう、そいつぁええ。都の女ってぇのはおっ母らとは違ってだらしなくねぇから、きっと具合がええぞ」

 また、男達は笑う。汚らしい欲情を剥き出しにした物言いを耳にしながら、九郎丸は血の気が引いていた。八雲姫は 妖怪共の内輪揉めから逃れられたとしても、結局はこの泥と垢染みた男達の慰み者にされたというのか。道理で、 言われたこととは正反対のことばかりが起きるわけである。目玉でも何でも抉り出してやりたくなったが、あまり のことに身動き一つ出来なくなった。九郎丸の苦悩を知ってか知らずか、蜘蛛のような女は、男達が手にしている 松明をじっと見据えていた。獣が火を恐れるのと同じように、妖怪もまた火を恐れる。下劣な男達はそれを知っている からこそ、それぞれの手に煌々と燃え盛る松明を握っていた。太陽が山の端に没すると、夜の帳が下りてきたが、 男達の周囲は明るいままだった。あの娘を見つけるために山狩りをしよう、と誰かが言い出すと、皆、威勢の良い 返事をして松明を振り翳した。火の粉が散るたびに、蜘蛛のような女は眉根に深い皺を刻んだ。

「ここがわらわの山と知った上での狼藉か。許せぬ」

 蜘蛛のような女は松明の火を気にしてはいたが、それ以上に苛立ちが勝っているようだった。

「土蜘蛛はおらぬ。故に、この山はわらわのものぞ」

 言葉尻はいきり立っていたが、蜘蛛のような女の横顔は石仏の如く強張ったままだった。まるで、心というものが 抜け落ちているかのようだ。九郎丸が気付いたほどなのだから、蜘蛛のような女も自分自身の違和感を感じ取って いるのだろう、訝しげに真新しい顔を撫で回した。だが、程なくして興味を失ったらしく、洞窟の入り口を塞いでいる 大木を押し退けて男達に迫った。めきめきと音を立てて根元から折れた木に、男達は一様に動揺し、木を折った主が 女と蜘蛛が混じり合った妖怪だと知ると途端に情けない悲鳴が撒き散らされた。先程までの威勢はどこへやら、 腰が抜けてへたり込んでいる者すらいるほどだった。中には、果敢にも松明を投げ付けてくる者もいたが、蜘蛛の ような女はその松明をすかさず糸で絡め取り、投げ返した。それをまともに食らった男は、粘つく糸のせいで着物に 貼り付いた松明を引き剥がそうとするが離れず、着物ごと脱ぎ捨てようとしたが間に合わず、火達磨と化した。
 助けてくれ助けてくれと言いながら、火達磨になった男は仲間達に近付くが、皆、火の手が回ってくるのを恐れて 我先にと逃げ出していった。だが、逃げた先には土蜘蛛か女郎蜘蛛のどちらかが張り巡らせた糸があったようで、 虫の如く引っ掛かってしまった。彼らの背後に火達磨となった男がよろめきながら近付き、苦しさに喘ぎながら常人 には見えない糸に手を掛けると、その糸を伝ってぱっと火が駆け巡った。途端に、男達は一人残らず火に巻かれて しまった。火を消そうと斜面を転がり落ちる者、熱さと苦しさのあまりに吠える者、蜘蛛のような女を道連れにしようと するが逆に踏み潰される者、などと阿鼻叫喚の有様となった。
 火が収まると、ぶすぶすと煮え滾った人の脂の海に焦げた筋と骨が浮いていた。蜘蛛のような女はそれを一瞥し、 口元を覆った。食べるつもりでいたのかもしれないが、誰も彼もが燃え尽きているので食べるところがなくなって しまったようだった。蜘蛛のような女は物足りなさそうに嘆息したので、九郎丸はその注意が逸れている隙を衝いて 飛び上がろうとした。しかし、おぞましい出来事を続け様に目にしたせいで翼に力が入らず、思うように体を浮かせ られなかった。洞窟の上部に空いている穴から抜け出そうとしたが、その端に強かに頭をぶつけ、落ちた。

「……鴉か」

 蜘蛛のような女は飢えた目を向け、九郎丸を捉えた。意識が朦朧とした九郎丸は、八本足をしなやかに動かして 近付いてくる異形をぼんやりと見上げた。これが八雲姫その人であったなら喜んで血肉を差し出したものを。だが、 これは愛する八雲姫とは似ても似つかぬ妖怪だ。悔しさと空しさに駆られ、九郎丸は丸い目を潤ませた。
 蜘蛛のような女は九郎丸の首を抓むと、汚いものに触れるかのように、遠ざけながら持ち上げた。どこから喰おう かと品定めしていたようだったが、蜘蛛のような女は口を開きかけて閉じた。ぞんざいに放り出された九郎丸はまたも 岩に背をぶつけたが、今度はその痛みで頭が冴え渡ってきた。蜘蛛のような女は、面倒臭そうに顔をなぞる。

「この者だけは喰い気が起きぬわ。この女のせいに違いないぞえ」

 蜘蛛のような女は飢えを満たせないやるせなさを湛えた目で、九郎丸を見下ろしてきた。

「これ、鴉や」

「クァ……?」

 九郎丸が喘ぐように応えると、蜘蛛のような女は問うた。

「この女の名は何と申す」

「カァアアアアアアッ!」

 人の言葉は操れぬが精一杯の気力を込め、九郎丸は八雲姫の名を呼んだ。

「ふむ。この女は八雲姫と申すのか。ならば、わらわも今宵から姫となろうぞ。そう……八重姫ぞ」

 蜘蛛のような女は九郎丸の意図を察してくれたようだが、それは一層悪い結果を招いてしまったようだった。選り に選って、このおぞましい女は八雲姫と一字違いの名を名乗ろうというのか。九郎丸は差し違える覚悟を据え、身を 起こそうとしたが、八重姫と名乗った蜘蛛のような女は九郎丸を細い糸に絡めると、軽く投げ飛ばした。

「わらわに良き名を授けてくれたことに免じて、喰らわずにおいてやろうぞ。だが、二度と顔を見せるでない」

 小さな穴から空中に投げ出された九郎丸は、戦場で投石された礫のように夜霧を切り裂いた。だが、それもあまり 長く続くものではなく、失速したかと思った時には森に突っ込んでいた。幸い、枝葉が受け止めてくれたので致命傷 を追うことはなかったが、そこから二度と動きたくなくなってしまった。八雲姫への思いに気付くのに遅すぎたのだ、 と幾度となく後悔のさざ波が打ち寄せる。枝葉に包まれたまま、何も口にせず、水も飲まず、虚ろに過ごした。
 生死の境を彷徨ううちに霊感のようなものを得たのだろう、ある日、八重山の上空を豪風を伴って駆け抜けていく 天狗を目にした。その巨体と力強さに目を見張った九郎丸が一声鳴くと、天狗は鼻が長く赤らんだ顔を干涸らびた 鴉に向けてくれた。天狗は九郎丸の無念を感じ取ってくれたばかりか、八雲姫の無念も察してくれたらしく、九郎丸 を抱えていずこへと飛び去った。行き着いた山奥で、九郎丸はただの鴉から鴉天狗となるべく、妖力やら山伏装束 やら錫杖やら高下駄やらを与えられた。人を魔道に導き、世に仇成せ、と教えられた。八雲姫を付け狙っていた男達 への恨み辛みが未だに燻っている九郎丸にとっては、それは願ってもない役割だった。
 その日から、九郎丸は常世の住人となった。




 八雲姫を取り戻した後のことを、考えぬ日はなかった。
 天狗の妖力で立派な屋敷を設えてやろうか、獣やら何やらを化けさせて大名行列も見劣りするほどの花嫁行列を 作ってやろうか、どこぞから赤子を攫ってきて腕に抱かせてやろうか、欲する物を存分に与えてやろうか、それとも 空を飛び回ってくれようか。八雲姫が喜んでくれるのならば、どんなことでもしてやろう。そのために妖力を得、天狗と 化して常世と現世の狭間を飛び交っているのだから。だが、そのためには、あの蜘蛛妖怪から切り離さなければ 話にならない。八雲姫の魂は肝に僅かながらこびり付いているので、それを溢れんばかりの妖力と共に本来の肉体 に押し込めてやれば、八雲姫は生前の姿を取り戻すであろう。そればかりか、一層美しくなるに違いない。
 と、そこまで考えて、九郎丸は自戒した。八雲姫を嫁に取ってどうする、そんなことでは忠義もへったくれもないでは ないか。あの愚かしい老翁、叢雲のように落ちぶれてしまう。叢雲はチヨを嫁に取ったばかりか、夫婦らしく愛でて いるようだが、九郎丸と八雲姫の間柄はそのような生温いものではない。九郎丸は八雲姫の忠臣なのだから。

「おーい、鴉どーん」

 物思いに耽っている九郎丸に、不躾な声が掛けられた。九郎丸は派手に舌打ちしてから、太い枝に預けていた背を 起こして首を伸ばした。見ると、九郎丸が寝床にしている大木の根元でチヨが糸丸の手を引いていた。

「なんでぇやっかましい、せっかく良い気分でいたってぇのによ」

 九郎丸が羽ばたきながら降りると、チヨと手を繋いでいる糸丸が舌っ足らずに喋った。

「あのね、九郎丸。爺様がね、石を見つけてほしいって。でね、その石は青いやつで……」

「知っておるわい、そんなもん。あの爺ィの御神体の代わりになる、翡翠が欲しいってんだろ。嫌なこった」

 九郎丸が即座に断ると、チヨがむっとした。

「そったらこと言うんでねぇいや。叢雲様がどんなお体かは、鴉どんも知っとるろ? だすけんに、ちったぁお助けして やれいや。鴉どんだって長いことこの辺に住んどるんだし、叢雲様の御世話になっとるすけんに」

「それとこれとはまた別だ。大体、そんな腐れ仕事は人間に任せりゃいいだろ」

「腐れってなんだいや! 言ってええことと悪いことがあるろ!」

 チヨがいきなり怒鳴ったので、九郎丸はちょっと驚いて飛び退いた。

「お、おう、やる気かぁ!?」

「もうええ、もう頼まん! そったらこと言うんだったら、二度と飯も酒も分けてやらん!」

 ほら行くで糸丸、とチヨが糸丸の手を引っ張ったので、糸丸はよろけた。

「ああ、でも、姉上ぇ」

「糸丸も気ぃ付けえいや。鴉どんは底意地が悪いすけん、油断すっと何されるか解らん」

 チヨは糸丸にそう言い聞かせてから、歩調を早めていった。糸丸は名残惜しいのか、しきりに九郎丸に振り返って いたが、チヨに引き摺られて獣道も同然の山道に消えていった。その気配がすっかり遠のいてから、九郎丸はただ の鴉のように一声鳴いた。八雲姫以外の人間はどれもこれも同じだと認識しているし、チヨと糸丸も例外ではない が、連日のように付き合っているせいか僅かばかり愛着を持つようになっていた。しかし、それが八重姫への恨み 辛みを和らげてくれるはずもなく、身も心も焼け付くほどの憎悪が煮詰まるばかりだ。だが、いずれそれも終わる。
 八重姫から、八雲姫さえ切り離してしまえれば。





 


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