機動駐在コジロウ




塵も積もればマインドとなる



 食卓に一つ、空きが出来た。
 マホガニーの広々としたテーブルには湯気の昇る朝食が並び、皆、それぞれに割り当てられた席に着いていた。 上座はもちろんりんねであり、武蔵野、伊織、高守、と続いていき、メイドである道子は末席である。人数分の料理を 並べ終えた道子が席に着くと、りんねは伊織の席を見やったが、そこに座るべき青年は影も形もなかった。

「どなたか、伊織さんの行方を御存知ではありませんか?」

 りんねが食卓を見渡したが、返答はなかった。だが、誰一人として戸惑ってはいなかった。伊織の性格からして、 いつか身勝手な行動に出ることは予想出来ていたからだ。むしろ、これまでずっと大人しくしてくれていたのが奇跡 だと思えるほどだった。伊織の殺戮衝動に任せた行動力を封じていたのは、船島集落を含めた周辺地域の交通の 便の悪さだろう。伊織は車を運転する技術は得ていないし、運転しようにもどの車のキーもりんねや武蔵野が厳重 に保管しているので奪いようがない。最寄りのバス停は別荘からは七キロ以上も離れている上に、一日に三便しか 通っていないので当てに出来るものではない。だが、伊織が行くとすればそこしかない。

「道子さん。八重山停留所の、一ヶ谷市内行きのダイヤを調べて頂けませんか?」

 りんねが道子に尋ねると、道子はすぐさま一ヶ谷市営バスのウェブサイトにアクセスし、調べた。

「一ヶ谷市内行きはぁーん、午前六時三十五分とぉー、午後一時二十分とぉー、午後七時四十五分ですぅーん」

「岩龍さん。伊織さんが外出された時刻を御存知ではありませんか?」

 りんねは立ち上がって修理されたばかりのベランダに向かうと、人型重機、岩龍が覗き込んできた。

「おう、姉御! おはようさん! その伊織っちゅうアンちゃんはのう、午前五時五十七分に出てったのう。ワシャあ どこに行くんか尋ねようと思うたんじゃが、ぎっつり睨まれてしもうてのうー! 目ぇ逸らしてもうたんじゃ!」

「野良ネコの縄張り争いみたいだな」

 武蔵野が呟くと、道子は失笑した。

「しかも岩龍さんが負けちゃってますぅーん」

「となると、伊織さんは朝一番のバスにお乗りになってお出掛けになった可能性が非常に高いですね。ですが、伊織 さんは携帯電話をお持ちでしょうから、その現在位置を確かめて下されば、すぐに行方が」

 と、りんねが言うや否や、リビングの片隅から伊織の携帯電話の着信メロディが鳴り響いた。道子が発信するより も早く、自らの携帯電話を操作したのは高守だった。テーブルの下に隠した丸っこい両手で持っていた携帯電話の ボタンを押すと、伊織の携帯電話の着信メロディも途切れた。

「困ったものですね」

 りんねは己の席に座り直すと、嘆息した。武蔵野は不味いが見栄えはいい朝食を横目に、上司に言う。

「お嬢、伊織の奴に何か用事があったのか?」

「ええ、少し」

 りんねはスカートの裾を整えてから、頂きましょう、と言ってフォークを取った。上司が食べ始めたことで、他の面々も 食事を摂った。見栄えはいいが強烈な不味さは相変わらずで、りんねと道子以外は苦労して飲み下した。
 りんねが時折目を逸らすので、武蔵野は何の気成しにその方向を辿ってみると、リビングの片隅に円筒形の容器 が三つ転がっていた。伊織宛の荷物の外箱である段ボール箱と、緩衝材である細かな発泡スチロールと、真っ二つ に割られたディスクも部屋の隅に放置されたままだった。せめて捨ててくれればいいものを、と思いつつ、武蔵野は 異様に辛いフレンチトーストと格闘した。伊織の無断外出がこの朝食から逃れるためだとしたら、非常に賢い選択で あると言える。たった一日だけでも、この朝食から逃れられるのであれば心身が救われる。
 今日は四月末の祝日、昭和の日であり、ゴールデンウィークに突入したが、佐々木つばめ攻略を業務とする面々 には連休は訪れていなかった。なぜなら、りんねが休みを言い渡してくれないからだ。佐々木つばめとの取り決めで 実労働は土日だけとなったので平日は業務から開放されているが、暇というわけではない。りんね以外は派遣社員 のような立場であるため、それぞれのバックボーンの組織と連絡を取り合わなければならないし、伊織の派遣元で あるフジワラ製薬のように表立った行動に出てくることもあるので、その場合は現場の人間が本社の予定を聞いて 細かな条件を摺り合わせなければならない。何事にも言えることだが、行き当たりばったりではダメだ。
 綿密な計画を立て、着実に行動に移せるように手筈を整え、他の面々を出し抜けるように企みつつもその様子を 窺わせないようにし、かといって共闘規定から外れないように気を配る。という具合に苦労に苦労を重ね、つばめを 襲撃するのだが、いかんせんコジロウが強すぎて一蹴されてばかりである。四月の上旬に佐々木長光が逝去した のと同時に始まった業務ではあるが、この一ヶ月弱、一度も成果を上げられていないのが現状だ。
 悪役ほど効率の悪い職業はない。




 四月二十九日、祝日。
 色気に欠ける農協のカレンダーの日付と向き合いながら、つばめは決意を固めた。今日からゴールデンウィークに 突入するが、土日ではないので、吉岡一味の襲撃予定日ではない。船島集落の分校は一ヶ谷市内の中学校の 分校であり、れっきとした公立校なのでカレンダー通りに休みが訪れる。だから、つばめも休みだ。前々から密かに 計画していたことを実行に移すべき時が来た。今日を逃してもゴールデンウィークの後半があるが、初っ端に事を 終えてしまった方がすっきりするし、先延ばししてしまっては決意が鈍るかもしれないからだ。

「いよぉし」

 つばめは一度深呼吸した後、押し入れに向き直った。寝間着を脱いで部屋着のワンピースに着替えると、布団を 畳んで押し入れに上げた。そして、布団を入れた側とは反対側のふすまを開け、ホームセンターで入手したパイプ ハンガーを設置してクローゼット代わりにした空間に手を伸ばした。

「あの時はこれでいいって思ったんだけどなぁー、でもなー、今見るとなぁー……」

 ハンガーに掛かった服を取り出して畳の上に並べ、つばめは首を捻る。ポンチョに似た形でざっくりとした編み目 が大人っぽいサマーニットのドルマン、明るいオレンジのブラウス、デニムのフレアキュロット、ストライプのニーハイ ソックス。足元にはショートブーツでも合わせればよかったのだろうが、生憎、先日買い物に出かけた時はそこまで 気が回らなかったので、手持ちのスニーカーで我慢するしかない。

「んー、でも、他にこれといって服ってないしなぁー」

 つばめは腕を組むと、首を更に捻って天井を見上げた。この服にしても、美野里が進級祝いだと言って都心部の ショッピングモールに連れ出してくれた際に買ってくれたものなのだ。極力無駄遣いをしないで生きてきたので、無論 流行りの服を買い集めるようなことはしなかったし、出来なかった。なので、つばめが服のセンスを磨く機会も皆無 なのであり、美野里が買ってくれた服を着ていった方が無難ではあるが、つばめの個性が出せない。

「ええい、そんなことで悩んでいる時間が無駄だったら無駄だ!」

 つばめは余計な考えを振り払って、ふすま一枚隔てた隣の部屋で寝ている美野里を起こしに行った。姉妹同然の 関係であると言えどもプライベートな空間は必要なので、昨日から部屋を独立させたのである。

「お姉ちゃん、おはよう!」

 だが、美野里が起きる気配は全くなかった。布団の中で芋虫のように丸まっている美野里の周囲には、美野里の 個人事務所を立ち上げるために必要な書類が散らばっていた。文机の上にあるノートパソコンは起動しっぱなしで、 モニターがスリープモードになっている。夜食代わりにしたであろう茶菓子の包みが文机の足元にいくつもあり、 底にコーヒーが少し溜まったマグカップが寂しげに佇んでいる。個人事務所を立ち上げるためにも手続きやら何やら が必要なのは解るが、そこまで急ぐ必要があるのだろうか、と、つばめはふと疑問に駆られた。
 美野里にも色々あるのだろう、と勝手に結論付けてから、つばめは髪が乱れ放題の美野里に近付いて、布団から はみ出している肩を揺すってみた。美野里はゾンビのように呻いてから、ぎこちなく目を開ける。

「あー……つばめちゃん……。今、何時?」

「朝の七時。でね、お姉ちゃん、良かったらでいいんだけどさぁ」

 つばめは照れ笑いしながら、両手を合わせた。

「車、出してくれない? で、その、えと、うんと、あの、こっ、コジロウと出かけようと思って」

「デートねっ!?」

 途端に美野里は布団を跳ね上げて飛び起きると、寝癖のひどい髪を振り乱してつばめの手を握ってきた。

「だったらお姉ちゃんは全力で応援してあげるわっ! いいのよいいのよ、お姉ちゃんのことなんか気にしなくても!  つばめちゃんとコジロウ君を街に送り出したら、ぱーっとドライブでもしてくるから!」

「でも、事務所の立ち上げは?」

「書類を作るのには慣れているから、そっちの方はちゃっちゃと出来たんだけど、開業資金と事務所をどうしようか なーって思っていて。この集落で開業したってどうしようもないし、お客さんはつばめちゃんオンリーになっちゃうし。 まあ、それでもなーんにも問題はないんだけど、それだと思いっ切り公私混同しちゃいそうでねぇ。だから、ドライブは 物件探しのついでね」

「ちゃんとお仕事してよね、お姉ちゃん。体壊すほど苦労して取った国家資格なんだから」

「そう、そうなのよ! だからお姉ちゃん、しっかりお姉ちゃんしてみせるわっ!」

 力強く言い切った美野里は親指を立ててみせたが、寝起きのだらしなさと寝癖のひどさのせいで、ちっとも格好は 付いていなかった。ノートパソコンの暗転したモニターに映っている自分を見て醜態に気付いた美野里は、ちょっと 赤面して髪を撫で付けた。つばめは姉の枕元から立ち上がり、台所の方向を示す。

「じゃ、朝御飯の支度をしてくるから、お姉ちゃんも着替えてきてね。あと、部屋も片付けておいてね。出掛ける前に 掃除機だけは一通り掛けておきたいし」

「はーい」

 満面の笑みの美野里が挙手したので、つばめは笑みを返した。

「それで良し」

 庭に面した廊下を通って台所に向かうと、米の炊ける甘い匂いが漂っていた。出汁を仕込んでおいた味噌汁は、 これから味噌を溶いて一煮立ちさせるので、それらが混ざるとさぞやいい香りがするだろう。冷蔵庫の中身と朝食 のメニューの折り合いを考えながら、つばめが居間のふすまを開けると、案の定コジロウが待機していた。四月末に なっても船島集落の朝は冷え込むので、囲炉裏では炭が赤く熱していた。

「おはよう、コジロウ」

 つばめが何気ないふうを装って挨拶すると、警官ロボット、コジロウは平坦に返してきた。

「つばめの起床を確認」

「あのさ、コジロウ」

 茶箪笥からエプロンを取り、身に付けながら、つばめがぎこちなく話を切り出す。

「所用か、つばめ」

 コジロウが振り向いたので、つばめは彼に背を向けてエプロンの裾をいじる。

「用事ってほどの用事でもないかもしれないけど、用事って言うべき用事である可能性もなきにしもあらず……」

「意味不明だ、つばめ」

 コジロウはつばめの異変を気にも留めずに、事実だけを述べた。つばめは赤面した顔を隠すため、俯く。

「たっ大したことじゃないかもしれないけど、その、ええとね」

「本題に入ってもらわなければ、本官は判断を付けかねる」

「だっ、だから、その!」

 このままでは堂々巡りが続いてしまうので、つばめは腹に力を込めて言い切った。

「コジロウ! いっ、一緒に遊びに行こう!」

「その理由が見受けられない」

 少しも間を置かず、コジロウが冷ややかに即答した。それは確かに、生粋のロボットであるコジロウには娯楽など 必要ないのだが、ざっくりと切り捨てられると胸が痛んた。全力投球した勇気が空振りどころかファールに終わった 心境に陥り、つばめは少し泣きそうになったが、一度深呼吸して気を取り直した。

「その優秀な人工知能でちょっと考えてみてよ、この朴念仁」

 つばめはコジロウに近付くと、彼の純白の外装を指で弾いた。指の方が痛かった。

「まず、私が出かけるでしょ?」

「それは事実ではない」

「事実っていうか、まあ、今後の予定だね。順調に行けばの話だけど」

「想定すべき事態についての会話だと認識、了解した」

「で、一人で寂しく街に遊びに出かけたとする。お姉ちゃんは他に用事があるって言うし、先生とか寺坂さんを誘えば エキセントリックでエキサイティングな目に遭うのは間違いないから却下、かといって付き合ってくれって誘える友達 もいない。クラスメイトもいない。分校だしね。その間、私はそりゃーもう無防備なわけだ。一応、吉岡一味には襲うのは 土日だけって約束を付けたけど、その約束を律儀に守ってくれるとは限らないじゃん?」

「確かに。彼らが取り決めを拡大解釈する可能性は大きい」

「で、見知らぬ街だから、私は迷子になるかもしれないじゃない。未だに携帯も持っていないんだし。そんな時にあの どぎつい御嬢様のえげつない部下が来てごらんなさい、全てがパーだよ」

「パーなのか」

「パーなんだよ!」

 つばめは律儀に同じ言葉を繰り返したコジロウに、手を開いてみせた。コジロウも、つばめに倣って手を開く。

「パーであると了解した」

「だから、コジロウが一緒にいてくれた方が安全確実堅牢強固なわけよ!」

「確かに」

「でも、背後霊みたいに後ろにくっついてこられるだけじゃつまんないの! というわけであるからして改めて言おう、 コジロウ、一緒に遊びに行こう!」

 つばめが勢いに任せて叫ぶと、コジロウはパーにしていた手を下ろした。

「つばめの不可解な命令に内包されている情報を認識、若干不合理さが見受けられるが処理しきれない範疇では ない。よって、つばめの命令を了解した」

「最初からそう言ってくれればいいの」

 なんて回りくどい男だろう。つばめは四角四面のコジロウの扱いづらさに辟易しつつも、そこがいいんだよなぁ、と 思ってしまう。まだまだ子供のつばめでは、コジロウのように明確な判断を下せない。感情任せのいい加減な考え ばかりだから、ここぞという場面で失敗してしまうのが目に見えている。だから、これで釣り合いが取れているのだ。 それに、コジロウがクールを通り越して絶対零度の反応を返してくれるのであれば、大事なお金を無駄遣いをせずに 済むかもしれない。祖父の遺産が山ほどあるからこそ、金銭感覚は地に足を着けておかなければ。

「だが、つばめ。一つ問題がある」

 コジロウに意見され、台所に入りかけていたつばめは足を止めた。

「ん、何?」

「行動計画書を提出してもらわなければ、本官は同行出来ない。なぜなら本官は、つばめの身辺警護を主たる任務 とした警官ロボットであるが故、国家公務員に準じた手続きを行った後に行動を取らなければならない」

 コジロウが役人らしい言葉を言い終えるや否や、居間のふすまが開け放たれた。

「だぁーいじょおぶっ、まぁーかしてぇっ!」

 駆け込んできたのは美野里だった。寝癖だらけの髪を無理矢理シュシュで一纏めにしているが、四方八方に毛先が 跳ね回っている。寝間着から部屋着に着替えてはいるが、顔はまだ洗っていないだろう。唐突すぎる姉の登場に つばめが面食らっている間に、美野里はコジロウのマスクフェイスに一枚の書類を突き付けた。

「はぁーいコジロウ君、行動計画書よ! 別名、お姉ちゃん謹製デートコース!」

「書面を確認、認識、了解した」

 コジロウは美野里が突き付けた書類を眺めて書面を読み取ると、呆気なく思えるほど簡単に了承した。つばめが コジロウと出かけると言ったのはほんの十数分前なのに、行動計画書を作ってきた美野里の仕事は早いどころ の話ではない。もしくは、この事態を予期していて既に作っていたのではあるまいか。有り得ないことではない。

「ちなみに、県庁所在地まで高速バスで遠出するコースと、直江津線で柏崎に出て恋人岬にレッツゴーなコースと、 地味だけどそれなりに楽しめる道の駅コースと、ただのフィールドワークも同然なお散歩コースとあるわよー。んで、 今回コジロウ君にプレゼントしたのは、色々と手っ取り早い上にショッピングだって出来ちゃう、ジャスカよ!」

 美野里が得意満面でウィンクしてみせたが、つばめは喜びきれなかった。確かにコジロウと一緒に出掛けるために 必要な行動計画書を、事前に準備してくれていたのはありがたいが、なぜ選りに選って大型スーパーなのだろう。 ジャスカと言えば全国展開している大型量販店で、はっきり言ってどこにでもある店だ。他に遊べそうな場所がない かと美野里に尋ねてみたものの、そんなものはないわよっ、とにこやかに一蹴された。
 それが田舎である。





 


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