機動駐在コジロウ




対岸のカーニバル



 一方、その頃。
 アソウギとつばめを体内に取り込んだ伊織が、ダムの通路を塞ぐほどの巨躯に変貌していた。つばめとアソウギ、 そして伊織らとの内なる戦いを知り得ない者達は、怪人から怪獣となった青年を見上げていた。白煙を上げながら 駐車場を駆け抜けてきたコジロウはダムの通路に入ったが、巨大な軍隊アリを目の前にして動作が止まった。全長 十メートル前後はあろうかという軍隊アリは、ぎぎぎぎ、と節々の関節を軋ませながら顎を上げる。体積が膨張した 影響で重量も増えたのか、六本足が噛み付いているコンクリートの欄干に少しばかりヒビが走っていた。
 吉岡りんねの体液を用いた巨大化よりも完成されているのは、火を見るよりも明らかであった。あの時の伊織は 軍隊アリのスケールを引き延ばしただけに過ぎなかったが、今回の伊織は昆虫と人間の利点を同時に取り込んで いた。腹部に一対の足を残してはいるが、四肢は人間のそれだった。背部からは一対の薄く透き通った羽が生え、 触角は短いが鋭敏で、あぎとの隙間から垣間見える口は膜が変形して唇を作っていた。複眼はヘルメットのように 頭部の上半分を覆い、死角は一切ない。進化を遂げた虫だった。

「わぁお、すっげー!」

 コジロウに遅れて現場にやってきた一乗寺は、子供っぽく感嘆した。ヘビ男こと羽部鏡一は軍隊アリとコジロウの 戦闘に巻き込まれないようにと早々にダムの通路から退避しようとするが、不意に痙攣し、動けなくなった。緩んだ 縄のようにアスファルトに這い蹲った羽部は、必死に胴体を曲げようとするが、肉も骨も羽部自身の意志に逆らって あらぬ方向に曲がってばかりいる。そんな羽部を、一乗寺はスナイプライフルの銃口で小突く。

「何やってんの、お前?」

「クソお坊っちゃんは本当にクソだなぁもうっ、ああもうっ、おかげでこの僕までとばっちりをっ」

 羽部は一乗寺の銃口から逃れようと暴れながら、毒突いた。コジロウは伊織を上から下まで丹念に走査し、その 胸部に忘れもしない大きさの熱反応があることに気付いていた。つばめだ。だが、伊織の体内に収まったつばめを 救出しようにも、コジロウの強度が足りていなかった。最初の戦闘で破壊された左腕は自己再生機能を使って修理 出来るような破損段階ではなく、右腕も駆動系に若干の不具合が生じている。両足に装備してあるタイヤも最大限 に加速して移動してきたために、かなりガタが来ている。両足だけで戦うことも不可能ではないが、伊織の外骨格の 分厚さはどう少なく見積もっても十センチはあるだろう。それを破壊するためには、腕力も欠かせない。

「ふはははははははっ! さあ我が息子よ、長年ってほど長年ではないけど一応そう言っておいた方が格好が付く から言っておくが、長年の悲願を達成するのだ! さあ、ダムへ飛び込んでその身を溶かし、下流の住民を怪人化 させてしまうがいい! 一服盛ってダムの関係者を全員黙らせておいたが、彼らが目覚めるまではそれほど猶予は 残されていない、行政にでも通報されたら取水制限が行われて計画は台無しだ! だから、その前に!」

 藤原はマントを翻して高らかに叫ぶが、伊織は反応しなかった。ん、と藤原は首を捻る。

「おい伊織、どうした我が息子よ、せめてリアクションしてくれないと、お父さんは寂しいじゃないか」

「一発ぶち込んどく?」

 一乗寺がスナイプライフルを構えようとしたので、コジロウはそれを制した。

「つばめが敵の体内に捉えられている。よって、ウラン弾を用いるのは得策ではない」

 コジロウの言葉を聞いた途端、わぁっ、と羽部が文字通り飛び退いた。ダムの通路から脱して駐車場まで一気に 後退した羽部は、手近な車を遮蔽物にして身を隠した。藤原も身動いだが、胸を押さえてその場に留まった。

「いやいや大丈夫だ、羽部君。即死するわけじゃないぞ、じわじわと寿命が縮むだけだぞ」

「そりゃそうでしょう、社長は真人間なんだから! でも、この優れすぎている僕は違うんですからね!」

 ひいぃっ、と羽部は慌てて逃げようとするが、体の自由が効かないので思うようには逃げられなかった。一乗寺は 羽部を指し示してコジロウに向くが、コジロウは一乗寺も羽部も意に介さなかった。逃がしちゃっていいものかねぇ、と 一乗寺は不満を抱きつつ、通常の弾丸を込めた愛銃で無造作に羽部を撃った。二発撃って一発命中し、ヘビ男の 頭部に穴が空いて液体が飛び散ったが、羽部は少しつんのめっただけで倒れもせずに這い進んでいった。
 伊織と真正面から向き合ったコジロウは、両足を歩行形態に戻して歩み出した。タイヤを使用すればバーストして 使い物にならなくなる。破損した左腕の根本から過電流を放出して攻撃することも可能だが電圧を安定させられる 保証はなく、コジロウ自身が爆砕するかもしれない。右腕は打撃を放って一撃で破損しなければ御の字という程度 であり、パワーゲインもかなり落ち込んでいる。両足は使えるが、上半身のフレームにまで響きかねないダメージが 影響して安定性がいくらか失われている。それでも、コジロウは戦わなければならない。
 腰を落として右腕を引き、無限動力炉、ムリョウから高じたエネルギーを機体に満たしていく。元々コジロウの機体と ムリョウは釣り合っていない。お互いを騙し騙し、余剰エネルギーを廃熱と共に放出しながら、加減をして動かして いる。しかし、今はそんな加減をしている場合ではない。満身創痍のコジロウに出来ることは自爆覚悟の一撃離脱 攻撃だけであり、敵の隙を探している余裕もなければ時間もはない。つばめが伊織の体内に囚われてからの時間が 長ければ長いほど、つばめのダメージは増していく。今、この瞬間でさえも。
 ゴーグル型のアイセンサーが力強く輝き、泥水に汚れたマスクフェイスが赤い光の輪郭を帯びる。関節が馬鹿に なっているために拳の形から開けない右手の拳を掲げて、巨躯の怪物を睨み付ける。伊織は近付いてくる。複眼を 覆う透明の外骨格もまた厚く、初夏の山の新緑とダム湖の濃い青を映し込んでいる。ぎぃぎぃ、と鳴き声というには 耳障りな軋みを漏らしながら身を乗り出してくる。巨躯故に動作が若干鈍くなっている爪を曲げ、コンクリート壁から 剥がし、平手打ちをするかのようなモーションで振り上げる。その瞬間に、コジロウは全てのセンサーを使い、伊織の 弱点を見計らった。全ての回路を働かせ、全ての情報を集約し、全ての力を尽くす。

「この俺に勝てるとか思ってんじゃねぇよ、クソが」

 外骨格の分厚さは部位によって多少の違いはあれど、均等だ。だが、その一部分だけが抉れていた。巨大化する ためにアソウギの能力を全て回したからか、勝利を確信したが故の伊織の気の緩みか、或いはつばめの計らい なのか。いずれにせよ、これを見逃す手はない。腰関節を鈍く擦らせながら捻り、パワーを溜める。

「一度俺に負けた奴が、勝てるわけねぇだろうがぁあああっ!」

 伊織は甲高い笑い声を上げながら、断頭台に振るギロチンの如く爪を振り下ろす。左上足が振り下ろされて爪が コンクリートに食い込んだ一瞬の隙を見逃さず、コジロウは駆け出した。伊織の左上足の肘に当たる関節を蹴って 曲げ、姿勢を崩した後、欄干が砕けるほど強く蹴り付け、軍隊アリの胸元へと跳躍する。
 コジロウの拳が杭のように突き立てられたのは、彼の左足のタイヤが摩擦で削った部分だった。小さな焦げ跡に 過ぎず、穴と呼べるほどの傷口ではなかったが、それは今し方までのことだ。コジロウが機体が分解する寸前まで 高めたパワーを込めた拳は陽炎を纏うほどの高熱を持ち、同時に両足のつま先を胸部と腹部の隙間に突き立てて 惜しみなく破壊力を注ぎ込んでいった。折れ曲がりかけている両足のエグゾーストパイプからは猛烈な排気が吹き 上がり、一瞬、視界が奪われる。金属の破砕音が起き、コジロウの右腕の外装がひび割れ、歪み、右の拳の手首が 右腕に埋没していく。それが肘から上腕に至り、右腕の肩の根本のジョイントが潰れて弾け飛ぶ。その破片が彼の 右耳のパトライトを貫通し、赤い塵に変える。マスクフェイスの塗装が自身の廃熱で焼け、黒ずんでいく。
 そして、遂に右腕が破損した。今し方まで上体を支えていた右腕を失い、コジロウは大きく仰け反る。それを伊織が 鬱陶しげに振り払い、あぎとを打ち鳴らして威嚇する。が、身を乗り出しかけた時に動きを止めた。

「……あぁ?」

 胸部の外骨格に、穴が空いていた。コジロウの白と黒に塗装された右腕が外骨格を貫き、その穴からアソウギと 怪人が混ざり合った粘液が漏れ出していた。伊織はそれがすぐに塞がるものだと思ったのか、傷口に爪も添えずに 両腕を失って蒸気を噴いているコジロウに迫ってくる。粘液の帯がコンクリートの上に伸びていく。

「あらよっと」

 前触れもなく一乗寺がスナイプライフルを発砲し、ウラン弾を伊織の体内に撃ち込んだ。コジロウはそれを制する ことも出来ずに横たわっていて、首を上げるだけで精一杯だった。あの弾丸がつばめに当たりでもしたら、ということ を一乗寺はそもそも考えたりしないのだ。伊織は先程以上に鬱陶しげに傷口を払ったが、直後、突っ伏した。

「うぐぉうっ!?」

 上両足を使って這いずろうとするが、その上両足の爪が崩れ落ちて溶けた。更に下両足が溶け、中両足も溶け、 頑強な黒い外骨格も次第に柔らかくなっていく。あぎとが脱してコンクリートに転げるも、硬い衝突音はしなかった。 触角が落ちて複眼が窪み、振り上げた首も根本から崩れ、落ちた。粘液の水溜まりに変貌していく伊織を眺めて、 一乗寺は楽しげににこにこしている。羽部は最早どこに行ったのかも解らないが、藤原は退避しようとせずに息子の 醜態をじっと見据えていた。伊織は懸命に体を起こそうとするが、粘液が広がる一方だった。いつしか、アソウギの 海は川となり、ダムの通路の端から端まで行き渡っていた。
 粘ついた川の中で唯一形を保っていたのは、つばめだった。制服は袖も胸元も切り裂かれて血が滲み、髪も服も 体に貼り付いていて悲惨極まりない状態だったが、生きていた。ツインテールは髪にまとわりついた粘液の重みで 解けてしまったのか、ただのロングヘアとなって肩に届いている。つばめは顔の粘液を振り払ってから、立ち上がろうと するも、アソウギの川が思いの外深かったので躓いてしまった。
 つばめを視認した途端、倒れていたコジロウが立ち上がった。両足のスラスターから出せる限りの熱と風を放ち、 粘液の水面に波紋を作りながら飛行し、アソウギの川に倒れ込みそうになったつばめを胸で支えた。

「熱うっ!?」

 コジロウの熱さに驚いてつばめが飛び退くと、コジロウは着地した。粘液の川から猛烈な蒸気が上がる。

「緊急事態に付き、廃熱が完了していなかったのだ」

「色気の欠片もないなー、相変わらず」

 お互い様だけど、と言いつつ、つばめは前髪を絞って粘液を取り払った。アソウギの粘液による薄膜が肌に付いて いなければ、コジロウの胸に受け止められた瞬間に顔に火傷をしていたことだろう。それについては感謝すべきだ。 コジロウは粘液の中を重たく歩いて右腕を拾おうとするが、左右の腕を失っているので無理だった。

「ね、コジロウ。この人達とアソウギって回収出来るよね?」

 つばめが腕組みすると、コジロウは右腕を拾うことを諦めて姿勢を戻した。

「タイスウを使用すれば可能だ。タイスウの本来の用途は遺産の保存、及び保護だ」

「でもって、タイスウに入れておけば、いつか必ず元に戻してあげられるよね?」

「アマラを使用すれば可能だ。アマラは無限情報処理装置であり、その能力がなければアソウギと同化した人間の 遺伝子情報を選り分け、再編成し、人間として再構築するのは不可能だ」

「ふーん。で、そのアマラってどこにあるの? 私が持っているものじゃないよね?」

「現在、アマラの所有者は不明だ。よって、捜索した後、回収する必要がある」

「ふーん。じゃ、あっちの小父さんに訊いてみようか」

 つばめは腕組みを解いて腰に当てると、藤原を見やった。が、藤原はすぐに腰を引いた。

「いや知らんぞ! 私は断じて他の遺産については知らんからな! なんだったら、会社の裏金を懸けてもいい!」

「でも、他のことは色々と知っているよねぇ? 知らないわけがないよねー?」

 一乗寺は笑顔を保ちながら、藤原の襟首を掴んで軽々と足を浮かせた。身長こそ一乗寺よりは低いものの、藤原は 中年男性らしくがっしりしているので体重もそれ相応に重たいはずなのだが、一乗寺の腕力はそれを上回るよう だった。藤原は一乗寺の手を緩めようとするも、出来ないと知ると抵抗しなくなった。

「……だが、私が知っていることなど大したことじゃないぞ。いや本当に」

「それでも、捜査資料にはなるんだってば。じゃ、調書取ってやるから。主にスーちゃんがね」

 んじゃ連絡しよ、と一乗寺が携帯電話を取り出して操作し、通話した。足元を埋め尽くしている粘液が気色悪いので、 つばめはコジロウの膝を借りて欄干に腰掛けた。といっても、手すりの内側なので、仰け反らない限りは落ちる 心配はない。アソウギに溶けた伊織の生死は不明だが、この様子では当分は動けないだろう。羽部の行方も 不明だが、見つかるのは時間の問題だ。後は、政府関係者か寺坂にでも頼んで、金属の棺、タイスウを奥只見ダム まで運んできてもらえば事は終わる。その後はお風呂に入って、体を綺麗にしよう。
 不意に、一乗寺がライフルを構えた。だが、一乗寺が引き金を引く前に、どこからか放たれた一条の光が藤原を 呆気なく貫いた。悪役じみた衣装と共に胴体に穴が空き、その背後のアスファルトにも黒い穴が穿たれた。藤原は たたらを踏んで後退り、倒れ、それきり動かなくなった。

「ちぇー、取り逃がしちゃったぁー。しっかし、なんつー射程距離だよ。今度はどこのどいつだ、うん?」

 一乗寺は残念そうに唇を尖らせ、硝煙の昇る銃口を下げた。あまりのことに呆然としたつばめは、欄干から滑り 落ちてアソウギの川に座り込んでしまった。つい今し方まで生きて喋っていた人間が撃たれ、動かなくなる光景を 目の当たりにしても平然としていられるはずがない。コジロウはつばめの前に膝を付くと、腕を差し伸べようとするが、 どちらの腕も破損していたので上体を傾けてきた。
 廃熱が行われても尚熱い、コジロウの肩装甲に縋りながら、つばめは震える奥歯を食い縛った。焼け焦げている が本来の形を保っている翼のステッカーには日常が残っている気がして、つばめはそのステッカーに手を添えた。 一乗寺が呼んだのであろう政府のヘリコプターが下りてくるまでは、つばめは身動き一つ出来なかった。アソウギに 溶けた者達は、ほんの一時ではあるが命を預けた相手である藤原忠が殺害されたことで動揺しているのか、不安 そうに波打っていた。そんな中、アソウギの川から一切れの粘液が分裂し、緩やかに放流されている水流に落ちて いったが、現時点ではそれに気付く者は誰一人としていなかった。
 つばめもまた、その一人だった。




 別荘に届いた報告は、大方の予想通りだった。
 誰もがフジワラ製薬の敗北を予期していたとはいえ、競争相手であったとはいえ、寝食を共にした間柄の者達が やられたと知ると少なからずショックだった。別荘の住人達は率先して私語を交わすほど仲を深めていたわけでは ないので、食卓が静まり返っているのは常ではあったが、空気はどこか重苦しかった。伊織と羽部が食卓に付くこと はないのだと解り切っているから、二つ空いた席には最早皿すらも並べられなかった。黙々と味の悪い料理を口に 運ぶりんねの面差しも、無表情ではあるが強張っていた。道子は二人の席を見ては気まずげに目を逸らし、高守は 自分の皿だけを注視し、ベランダの外にいる岩龍は項垂れて肩まで落としていた。武蔵野はそんな面々を横目に、 夕食を詰め込んで早々に席を立った。
 愛車のジープを走らせて夜道を進み、峠道の片隅で停車した。アイドリングさせたまま、エンジンの余熱が籠もる ボンネットに腰掛けていると、エンジン音がほとんどしない電気自動車が静かに近付いてきた。ライトを消してから 下りてきた運転手は、武蔵野に背を向けて話し出した。

「仕事は上手くいった。仮装大会も終わったよ」

「小娘と、その道具はどうした」

「超合金もスライムもおもちゃ箱に入れて持って帰った。綺麗さっぱりな」

「光線銃は?」

「一度撃てたが、一発で壊れた。スナイパーの腕は良かったから、損害が勿体ないな」

「解った。俺の方は引き続き仕事を続ける。そっちも続けてくれ」

「それと、もう一つ」

 ジープに戻ろうとした武蔵野の背に、運転手の男が付け加えた。

「人形遊びが始まっている」

「解った」

 武蔵野はそう返し、ジープに乗り込んだ。運転手の男も自分の車に戻ると、静かに発進した。赤いテールランプ がカーブの先に消えるのを確認してから、武蔵野は愛車のアクセルを踏んでエンジンを高ぶらせた。あの情報が確か だとすると、今後も厄介なことが続きそうだ。だが、他の企業が表立って動き回ってくれれば、吉岡グループや佐々木 つばめの注意はそちらに向き、新免工業は水面下で行動出来る。
 車通りも人通りも一切なく、古びた街灯が一本だけ立つT字路に差し掛かった。武蔵野は一時停止した際にふと バックミラーを見上げ、目を剥いた。思わずシートを乗り越えて後部座席を確認したが、そこに誰もいないのは自分 自身がよく知っている。バックミラーとサイドミラーを今一度確認した後、武蔵野はアクセルを踏んだ。
 こんな夜中に、見知らぬ少女が乗り込んでくるはずもないのだから。





 


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