機動駐在コジロウ




アバターも笑窪



 風呂から上がった羽部が居間を覗くと、美月がぼんやりとテレビを見ていた。
 ニュース番組がトップニュースとして取り上げているのは、案の定桑原れんげだった。それはそうだろう、十四歳の 少女が、しかも人間ではない存在が大企業の取締役に就任するという異例の中の異例なのだから、取り上げない 方がどうかしている。羽部鏡一はのぼせかけるほど暖まった体を持て余しつつ、髪を拭いながら居間に入った。
 少し毛羽立った畳が足の裏に擦れる感触がむず痒く、居間に籠もっている団欒の余韻が嗅覚を突いてくる。羽部 が足音も立てずに近付いていき、声を掛けると、美月はあからさまに驚いて被っていたタオルを落とした。

「うへあっ!?」

「もうちょっとさ、可愛い悲鳴を出せないわけ?」

「あ、すみません」

「別に謝る必要はないけどさ」

 羽部は美月の背後に胡座を掻くと、美月はタオルを拾って被り直した。さっさと乾かせばいいものを。

「で、その……」

 美月は十四歳らしからぬ語彙と態度で喋る桑原れんげを見、羽部を窺ってきたので、羽部は訝った。

「なんだよ。この僕に対して勿体振った態度を取るなんて万死に値するんだけど?」

「ああ、いえ。そうじゃなくて。羽部さんはこの子についてどう思いますか? 私はただ凄いなーって」

「どうって、別に」

「羽部さんらしからぬ薄ーいリアクションですね」

「なんだよ。それじゃ何かい、この僕は四六時中他人の粗探しをして揚げ足を絡め取りまくった挙げ句に放り投げて 蹂躙して高笑いしているとでも思っているのかい?」

「あれ、羽部さんってそれが趣味なんじゃないんですか?」

「そんなわけないじゃないか。この僕は愚劣な人間を遙か高みから見下ろすべき高尚な存在ではあるけど、評価に 値する人間に対しては小指の爪の先程度は敬意を払うつもりでいるよ」

「じゃ、この桑原れんげって子は凄いってことですか?」

「いや、こいつは……」

 そもそも人間じゃない。だから、人間相手の評価を付けるべきではない。桑原れんげの映像を一目見てそう判断 したからこそ、羽部は曖昧な返事をしたのだ。美月は桑原れんげが一番の友達だ、と言っていたはずだが、それを 綺麗さっぱり忘れている。というより、そもそも桑原れんげと接していた記憶がないのだろう。だから、桑原れんげに 関する記憶が抜けたところで何も感じていないのだ。
 だが、羽部はそうではない。桑原れんげという存在に対し、最初から疑念を持っていた。ということから察するに、 桑原れんげの何かしらの手段による情報操作を受けずに済んでいたのだろう。しかし、それはなぜか。そもそも、 桑原れんげとは何者なのか。それ以前に、なぜ羽部は桑原れんげが人間ではないと直感したのだ。勘に頼った 判断をすること自体、羽部の性格からすれば有り得ない。羽部の体内に残っているアソウギの存在をちらつかせて、 ハルノネットの人間を利用すればある程度は情報を得られるだろうが、他人に情報を乞うのは癪だ。まだテレビを 見ている美月に早く髪を乾かして寝ろと急かしてから、羽部は二階の自室に戻った。
 ふすまを開けようと手を掛けたが、ふすまと柱の隙間から細い光が漏れていた。部屋を出る時に明かりはちゃんと 消してきたはずなのだが。不審に思いながらふすまを開けると、この部屋のかつての住人が使っていたであろう、 古びた学習机のライトが点いていた。電源コードを差し込んだ覚えなどないのだが。

「どういうことよ、これ」

 羽部は疑問に思いながら学習机に近付き、裏を覗き込むと、ライトの電源コードに人形が絡み付いてコンセントに 差し込んでいた。その人形は数年前に流行ったアニメキャラの可動フィギュアであったが、改造して配線を仕込んで あるのか、背中にはボタン電池用の電池パックとスイッチが付けられていた。余程器用でなければ、まずこんなことは 出来ないだろう。羽部はそのフィギュアを外してから、電源コードを抜こうとしたが、ふと手を止めた。
 学習机を壁際から押しやってから背面部を覗き込むと、見るからに怪しげな紙の束が挟まっていた。羽部はそれ を引き抜いて机の上に広げ、顔をしかめた。可動フィギュアと同じキャラクターのアニメ画像やファンアートの首から 上を、全く別人の少女にすげ替えた画像ばかりだった。いわゆるアイコラにも似ているが、あちらはアイドルとヌード という同一の次元の存在同士を合成した画像だが、これは違う。根本的に違うもの同士を混ぜている。

「ん……」

 紙の裏地から文字が透けて見えたので、裏返してみると、そこには件の少女に宛てた妄執的な文章がみっちりと したためられていた。桑原れんげ様。文面の内容から察するに、この画像を作ってプリントアウトして文章を書いた 人物と桑原れんげなる少女は、ネットゲームを通じて出会ったようだった。これらを書いた主は、この部屋のかつての 主であるとみてまず間違いないだろう。そんな人間の名前ぐらいは、把握しておくべきかもしれない。
 羽部はコラージュ画像の手紙を学習机に放り投げてから、部屋の隅に追いやっておいた中学校の通学カバンを 手にした。埃を払い、擦り切れかけたビニール製のカブセを上げ、ネームプレートを見つけた。
 一ヶ谷市立第二中学校、三年D組、美作彰。




 紅茶の淹れられたティーカップを取った手は、テレビの中に映っている手と同じだった。
 暖炉の手前に設置されている応接セットには、桑原れんげが腰掛けていた。紺色のジャンパースカートにボウタイ を襟元の結んだ半袖ブラウスという、佐々木つばめの通っている分校と全く同じ制服姿だった。白いハイソックスを 履いている足はスリッパには履き替えておらず、ローファーのままだった。
 桑原れんげと対峙しているのは、別荘の主である吉岡りんねだった。だが、紅茶に手を付けようともせずに桑原 れんげを凝視していた。大型液晶テレビでは、先程から同じニュース映像が延々と流れ続けている。桑原れんげの ハルノネット社長就任会見である。アナウンサーが次の話題に移行しようとするも、新たなニュース原稿の内容は またもや桑原れんげのものだった。アナウンサーはそれに対して疑問を抱きかけるが、愚直に読み続ける。同じ少女 の名前と話題だけを繰り返し、繰り返し、繰り返し。

「頭の良いあなたのことだから、事の次第はすっかり把握しているだろうけど」

 桑原れんげはティーカップを軽く回してから、くいっと紅茶を飲み干してソーサーに戻した。

「私を手に入れたいと思わない? りんねちゃん?」

「確かに、あなたは遺産の産物としてはかなり優れたものです。ハルノネットの通信網とそれに関わるデータバンク を掌握した上で人心に働きかけることが可能になれば、吉岡グループのマーケティングが容易になることでしょう。 たとえ吉岡グループに反感を抱く者がいたとしても、その人心を操作してしまえばいいのですから。ですが、それが イコールで利益に繋がるというわけではありません。需要と供給のサイクルを支配することが、企業の成功であるとは 限らないからです。早計です」

 りんねは容赦なく辛辣な言葉を浴びせるが、れんげは動じもしない。

「でもね、りんねちゃん。私と手を組めば、いいお金儲けが出来るんだけどなぁ。お金は嫌いなのぉ?」

「いえ。この資本主義社会においては、現金に勝る権力はないと判断しております」

「だったら、ぱあーっとお金儲けをしようよ!」

 景気良く両手を広げたれんげに、りんねは聞き返す。

「具体的にはどのような計画をお持ちなのですか」

「んーと、そうだなぁ。とりあえず、ハルノネットの携帯とかを使っている人間の脳を一括で管理しちゃうの。で、皆の 頭をダメにしてから嘘八百の病気をでっち上げて、効きもしない薬にお金をジャブジャブ使わせる」

「大規模なリコールと集団訴訟を受けてハルノネットが破綻します。却下します」

「じゃ、これはどう? 人間の意識を拾い上げて私の作った異次元宇宙に引っ張っていって、そこからこっちの宇宙 に意識を引っ張り下ろす時に通行料を取るの。問答無用で」

「あなたが言うところの異次元宇宙における通貨が現実世界で換金出来る保証はありません。却下します」

「厳しいなぁー。だったら、これでどうだ! ハルノネットのスパコンを経由して世界中のコンピューターをハッキング しまくって、核兵器を発射するぞーって全人類を脅して」

「そんな稚拙な作戦は、どこぞの地上の楽園と大差がありません。却下します」

「そっかぁー、先手を打たれていたか……」

 ちっ、とれんげは悔しげに舌打ちした。りんねは、ここでようやく紅茶に口を付けた。少し冷めていた。

「あなたは御自分の立場をあまり理解していないようですね」

「そんなことないってばー。だって私は、とにかく物凄いコンピューターから生まれた妖怪で都市伝説でアバターなん でしょ? だから、その立場を大いに生かしてエクストリーム暴挙をやらかそうって企んでいるんじゃないの」

「それは誰の語彙ですか?」

 少々不愉快げにりんねが眉根を顰めると、れんげはにんまりした。

「えっとねー、教えてあげてもいいんだけど、教えてほしかったら私の言うこと聞いてくれないかなぁ?」

「その必然性が見当たりません」

「えぇー、遺産の恩恵を受けた仲じゃんかー。それに、これからはりんねちゃんとは対等なビジネスパートナーとして やっていくつもりなんだから、タダでとは言わないよ。だけど、どんなことにも対価が必要なんだ。だからさー、さくっと 言うことを 聞いてくれないかな? でないと、りんねちゃんと言えどもタダじゃ済まさないよ?」

「具体的には、どのような手段を講じるおつもりですか」 

「聞いて驚くがいいよ、りんねちゃん。この私は、遺産同士の互換性を利用した微弱なネットワークを利用した結果、 ムリョウの制御システムにアクセスすることを成功させたのだ! どうだ参ったか」

 あまり起伏のない胸を張るれんげに、りんねは少しばかり反応した。

「あらゆるネットワークから独立して稼働している、コジロウさんにですか?」

「そうだよ。コジロウ君自身がそれに気付いてシャットダウンしてシステムをリカバリーしたとしても、完全に私を排除 することは無理だね。だって、私って概念なんだもん。そういうモノがいるって認識したり、見たり、聞いたりしただけ で頭の中に進入出来ちゃうんだから。それが概念」

 れんげはテーブルに置いてあった焼き菓子を口に放り込み、咀嚼する。

「で、そのムリョウの制御システムを私の支配下に置いちゃう。そうしたら、コジロウ君は私のアバターになる。んで、 佐々木つばめを適当に半殺しにして生体組織だけを半永久的に搾り取れるようにサイボーグ化して、採取した体液 から作った薬剤を利用して、私達遺産は晴れて自由を手にするの。どう、楽しそうでしょ?」

「そうですか。ですが、その計画には大きな欠点があります」

「なーに?」

 にっこりと笑ったれんげを、りんねは睨み付ける。

「道具如きが自我を得たところで、作業効率が低下するだけです。あなたを始めとした遺産が独立した一個の人格を 得て稼働したとしても同じことです。道具の自己判断能力など、当てにならないからです」

「あんたも道具のくせに、なーに言っちゃってんだか。てぇことはあれだね、商談不成立?」

「そもそも、あなたと私は商談の席を設けておりません。思い違いも甚だしいです」

「あ、そう」

 途端にれんげは不機嫌になると、ソファーから立ち上がって腕を組んだ。

「じゃ、りんねちゃんは友達なんていらないんだぁ? そっちがそのつもりなら、私はこうしてずーっとあなたの自尊心 を満たせる話をしてあげたのにね。りんねちゃんよりもちょっとどころか大分頭が足りなくて、りんねちゃんの言うこと よりもかなり馬鹿なことを喋って、そのくせ難しい語彙を使っちゃうような、そんな都合の良い友達がね。そんなこと だから、りんねちゃんはずうっと独りぼっちなんだよ。たった一人の友達も、つばめちゃんに取られちゃうんだよ」

「私には友人などおりません」

「あはは、開き直っちゃうの? でも、そういうのって格好悪いんだよ」

「私に必要なのは、部下だけです」

 りんねは立ち上がり様に、ソファーのクッションの裏側から拳銃を抜いた。躊躇いもなくれんげに照準を合わせて 引き金を引くも、放たれた弾丸は虚空を切り裂いただけだった。額を撃ち抜かれたはずのれんげは無傷で、わざと らしい笑顔を貼り付けていた。一筋の硝煙越しに、りんねはれんげを見据える。

「お引き取り願えませんか」

「じゃ、何も教えてあーげない。アマラがいないと何も出来ないくせに、アマラ以外の遺産は自分で考えることすらも ろくに出来ない馬鹿ばっかりのくせに、そんな馬鹿共を大事に大事に使う奴らなんてもっと馬鹿なくせに!」

 苛立ちを露わにしてれんげは歩き出したが、リビングを出る前に立ち止まり、振り返った。

「あ、そうそう。そのアマラだけどね、返してくれる? でないと、困っちゃうんだよね」

「アマラの所在など、存じ上げておりませんが」

「嘘だぁ」

 れんげは振り返り、口角を弓形に吊り上げた。

「それじゃ、どうしてりんねちゃんは私のアバターの桑原れんげを雇用して使っているの? 利益とお金が大好きな りんねちゃんだもん、それ相応の価値があるって判断した人材じゃないと、そんなことするわけないじゃない。ねえ、 言ってよ。嘘なんでしょ?」

「では、訂正いたしましょう。アマラという遺産の現在位置については認識しておりませんが、アマラの保持者に ついては認識しております。ですが、私は管理職として部下を守る義務があります」

「へーえ。じゃ、どうしてその大事な部下がいなくなったことに気付いていないの?」

 れんげの浮かれた言葉に、りんねは目を配らせた。キッチンにいるべき者の姿がない。

「そのようですね。ですが、彼女は」

「あいつが役に立ったことってある? ないよね? 何をやらせても失敗ばっかりで、料理はゲロマズで、ハッキングが 趣味の覗き魔で、サーバールームを維持するための電気代が馬鹿にならない。なのに、どうして捨てないの?」

「それは」

「遺産を持っているからだよね? でも、その遺産をちっとも使いこなせていないよね? なのに、どうして?」

「それは……」

「その遺産を使いこなせていれば、仕事だってとっくに終わっていたのにね。部下は部下でも、使えない部下なんて 必要ないじゃーん。それなのに、なんでそんな下らない意地を張るの? ねえ、どうして? それともなあに、幼稚な 仲間意識に目覚めたとか? 有り得ないよね、だってりんねちゃんだもん。友達を売った、りんねちゃんだもん」

「黙りなさい」

 再び、りんねは銃口を上げた。一発、二発、三発、と的確にれんげに照準を据えて発射するが、鉛玉はいずれも 壁に飲み込まれただけだった。れんげは高笑いを放ちながら駆け出して、そのままいずこへと消え去った。足元に 薬莢を散らしながら、りんねは珍しく呼吸を荒げていた。リビングの物陰から事の次第を窺っていた高守がりんねに 近寄り、言葉少なに案じてきたので、りんねは矮躯の男に弱々しく言った。

「いえ、お気になさらず。どうということはありませんよ、信和さん」

 いつのまにか浮き出していた脂汗が、りんねの頬に数本の髪を貼り付けさせていた。それを剥がしてから余熱 が残る拳銃をテーブルに置き、発砲の余韻が重たい肩を回して解した。人型重機の駆動音とジープのエンジン音が 近付いてきたので、りんねはベランダの窓を開けた。夜風と共に排気が吹き込んできて、リビングに濃く立ち込める 硝煙の匂いを散らしていった。ジープから降りた武蔵野は、りんねを見上げる。

「どうした、お嬢。お出迎えとは珍しいな」

「姉御、テレビがちぃとも面白うないんじゃい! 同じ娘の話ばっかりじゃい! DVDでも見させてくれんかのう!」

 ヘッドライトを照らしながらベランダに近寄ってきた岩龍は、幼子のように両腕を振り回す。

「巌雄さん、岩龍さん」

「ん、なんだ」

「なんじゃい、姉御」

 りんねに弱い語気で呼び掛けられ、二人は不思議がりながらも言葉を返す。りんねは深呼吸した後、言う。

「道子さんを捜索して頂けませんか。そして、脳を破壊して殺害して頂きたいのです」

 思わず、武蔵野と岩龍は顔を見合わせた。少々の間の後、武蔵野はりんねを問い質す。

「だが、なんでそんなことをする必要があるんだ? まずは理由を言ってくれ、お嬢」

「道子さんに利用価値があると判断出来なくなったからです。では、よろしくお願いいたします」

 おいお嬢、と武蔵野から呼び掛けられたが、りんねはリビングに戻って窓を閉めた。高守は未だに熱を持っている 薬莢をちまちまと拾い集めていたが、りんねに次の指示を乞うた。ソファーに身を沈めて深く息を吸い、吐き出して から、りんねは壁に埋まった弾丸の回収と壁の修繕を頼んだ。高守は短い返事をすると、すぐさま行動に移った。 矮躯の男の迅速かつ的確な行動を視界の端に捉えながら、りんねは紅茶の入ったティーカップを見下ろした。
 自我に目覚めた道具ほど使い勝手の悪いものはない。妙なクセが付いてしまえば、道具としての利用価値が大い に損なわれてしまうからだ。だから、この紅茶を淹れた女にも、最早興味もなければ用もない。アマラの保持者では ありながらアマラの能力をほんの少しだけしか活用出来なかったような女にも、部下としての価値はない。かすかな 苛立ちに駆られたりんねは、中身の残るティーカップを持ち上げると、しなやかな手付きで暖炉に放り込んだ。
 役に立たないものは、壊すに限る。





 


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