機動駐在コジロウ




災い転じてフェイクと為す



 右足の銃創が燃えるように熱い。
 負傷したばかりなのにかなり無理をしたから、傷口が広がってしまったのだ。抗生物質と炎症止めと化膿止めと、 その他諸々を混ぜ込まれた点滴を受けながら、周防国彦は顔の左半分を覆っている包帯に軽く触れた。この布を 剥がせるようになったとしても、自分の顔は元には戻らないだろう。左目は潰れていたので眼球を摘出されている し、頬の切り傷は骨まで達していたからだ。整形手術を繰り返したとしても皮膚が引きつってしまうだろうし、表情筋が 切れているのでこれまでのような表情は出せないはずだ。
 だが、それも仕方ないことだ。政府を裏切って、内通していた新免工業も裏切ったのだから、命を繋げただけでも 御の字だ。ベッドに横たわって発熱と疲労で膨張したかのような脳をやり過ごしながら、周防は笑い声を漏らした。 自分が可笑しくてたまらないからだ。職務に対して実直に、正義感の赴くままに生きてきたというのに、こんなこと で人生を踏み外してしまうとは思ってもみなかった。自分の劣情の歪み方を思い知ると、腹の底がむず痒くなってきて しまう。それでも否定出来ないのは、その歪み方すらも気持ちいいと感じているからだ。

「失礼いたします。御加減はいかがですか?」

 ドアをノックした後に入ってきたのは、スーツ姿の備前美野里だった。その襟元には、かつては吉岡りんねが身に 付けていた水晶のペンダントが下がっている。周防は上体を起こしたが、目眩を感じて寝直した。

「いや、まだまだだ。手間を掛けさせてすまん」

「お気になさらず。国彦さんは貴重な人材ですから、本調子が戻るまではごゆっくりなさって下さい」

 かつての吉岡りんねと同じ口調で語りながら、備前美野里はベッドサイドの椅子に腰掛けた。 

「あのサイボーグの若造はどうした?」

 周防が尋ねると、美野里は緩やかな仕草で長い髪を掻き上げた。それもまた、りんねと同じだった。

「克二さんでしたら、機体の修復とアップグレードのために別の拠点にお運びいたしました」

「俺はともかくとして、あいつまで雇う理由が見えないんだが」

「克二さんは価値観と人格に大いに問題がございますが、その分、武器としての切れ味が抜群なのです。自分以外 の人間を全て虚仮にしていますから、誰に対して引き金を引くことにも躊躇もいたしませんし、目先の快楽のためで あれば如何なる犯罪も厭いません。工作員としては打って付けではありませんか」

「随分とあいつを買い被っているが、だったら俺はどうなんだ?」

「国彦さんは執着心こそが最大の武器です。それがなければ、私はあなたに目を留めることなどなかったでしょう。 世の中には様々な性癖が存在していますし、人間の数だけ性癖があると言っても過言ではありませんが、国彦さん のそれは実に興味深いです。私が命じる仕事を大義名分にして、存分にあの方を追いかけ回して下さい」

 美野里の微笑みは隙のない美しさを湛えていたが、それ故に真意は窺えなかった。

「……言ってくれるな」

 周防が傷の少ない右頬を引きつらせると、美野里はストッキングに包まれた長い足を組んだ。

「ですが、好いておられるのでしょう?」

 女性と男性の間を行き来している一乗寺昇を、と美野里に囁かれ、周防は心臓が疼いた。そうだ。だから、周防 は一乗寺にどうしようもなく惹かれている。屈託のない笑顔で大量殺人を行う様は、無邪気な幼子が虫を嬲り殺しに する様と同じ背徳感がある。船島集落の分校で対峙した時は、一乗寺は殺す相手をそれなりに選んでいると言って いたが、選考基準が解らなければ、それはやはり無差別大量殺人なのだ。長らく、人を守るため、社会を守るために 周防は戦い続けてきたが、それの対極に位置する一乗寺はある意味では清々しい。

「参考資料として、こちらをお渡ししておきます」

 そう言って美野里がベッドサイドに置いたのは、デジタルフォトフレームだった。その画面から投影された立体映像 に写っていたのは、かつての一乗寺昇だった。十数年前のものだろう、地味なセーラー服に袖を通している、れっきと した女子生徒だった。セミロングよりも少し長めの栗色の髪をシュシュで結び、明るい笑顔を振りまいている。その隣に いるのは弟らしき少年だったが、顔色がひどく悪い上に車椅子に載っていた。病弱なのだろう。

「お前は一体何者なんだ?」

 一乗寺が少女だった頃の立体映像から目を外した周防は、部屋を出ていこうとする美野里の背に問うた。

「私はあなたと変わりはありませんよ、国彦さん。愛して止まない人を求めているだけです」

 では失礼いたします、と美野里は一礼してから、部屋を後にした。ドアが閉まると同時にオートロックで施錠された らしく、がしゃりと錠が閉まる音が聞こえた。事実上の軟禁ではあるが、身動きが取れないのだから、それに文句を 言えるような立場ではない。それ以前に、ここはどこなのだろう。
 ナユタの暴走によって沈没寸前となった大型客船から命からがら逃亡した周防は、手足を外された鬼無を乗せて モーターボートをひたすら走らせた。右も左も解らない夜の海をひたすらに進み、海岸に辿り着くと、備前美野里が 待ち構えていた。これは佐々木つばめ側の罠だったのかと身構えたが、備前美野里は水晶のペンダントを襟元に 下げていて、別人の表情と口調で話し出した。それは吉岡りんねそのものであり、周防とりんねしか知らない情報を 口にし、りんねから美野里に肉体を乗り換えたのだとも言った。半信半疑ではあったが、周防は死にかけていたも 同然だったので美野里に頼る他はなかった。その後、車両によって輸送される最中に意識を失い、目覚めた時には このベッドで治療を受けていたというわけである。
 レースカーテンの掛かった窓の外に見える景色は、周防の記憶にはないものだった。一ヶ谷市でもなければ都心 でもないので、全く別の土地なのかもしれない。だが、ここがどこなのかはどうでもいい。周防が思いのままに生きる ためには、美野里の体を操っている何者かの助力が必要なのだから。自分を偽る必要がないというだけで、周防は 活力さえ湧いてきた。遺産絡みの争いが収束した暁には、思いの丈を遂げよう。
 そのためにも、生き延びなければ。




 久し振りに目にした我が家は、無性に懐かしかった。
 ようやく帰宅したつばめは玄関に荷物を放り投げて、上がり框に座り込んで両手足を投げ出した。体の隅々まで 疲れ果てていて、車の揺れが骨の髄まで染み付いている。スニーカーを脱いでからぼんやりしていると、久しく耳に していなかったセミの声が聞こえてきた。風防室があるために二重に引き戸が付いている玄関から見える山並みは 相変わらずで、平穏極まりない。この二週間少々の日々は正に怒濤だったので、涙が出るほど安堵した。

「あー……。気が抜けるぅ……」

 つばめがしみじみと漏らすと、大荷物を抱えて戻ってきた道子が笑顔を見せた。

「ですねー。上陸許可が下りてからも、取り調べやら何やらで更に一週間も拘束されちゃいましたからねぇ」

「で、結局、道子さんはそのボディを買い上げたの?」

 つばめが指差すと、道子はサイバーパンクなメイド服を着た女性型アンドロイドのボディで一回転した。

「結構具合がいいんですよ、このボディ! 生命維持装置が大部分を占めているサイボーグボディと違って機械部品 だけで出来ているので、電脳体とも馴染みやすいんです! それに何よりも、見た目が可愛いですからね!」

「借りパクじゃねぇの、それ」

 政府の宿泊施設に滞在中に増えた私物を抱えてやってきた寺坂が指摘すると、道子はむくれた。

「いいんです! 新免工業にはちゃんと代金を払いましたし、所有者の名義もつばめちゃんに変更しましたし!」

「その金ってどこから出したんだよ。最近のアンドロイドの値段は馬鹿にならねぇぞ」

 比較的荷物の少ない武蔵野に突っ込まれると、道子は笑顔を保ちながら小首を傾げた。

「そりゃもちろん、スポンサーさんですって。えへっ」

「……え?」

 つばめが面食らうと、道子は両手を胸の前で組んで身を捩った。

「だってだって、つばめちゃんホットラインとかコジロウ君ネットワークとかも整備しましたし、遺産絡みの情報管理と セキュリティの一切合切は担っていますし、それぐらいのボーナスを頂いてもいいじゃないですかー!」

「で、いくらするの、このアンドロイド」

 つばめが渋い顔をしながら道子を指すと、包帯の取れた額を押さえながら武蔵野が言った。

「そうだなぁ、ざっと三百万はするな。余計な機能を付けていれば更に百万は上乗せされるが、ただの船内活動用の メイドロボなら、それぐらいの値段で済む。まあ、この手の外見重視のロボットはセレブ向けのおもちゃとして販売 している商品だから、ちょっとオプションパーツを付ければセクサロイドにもなる仕様だから、内骨格がチタン合金と カーボンで出来ていて体重が軽めになっているんだが、その分割高なんだ。人工外皮の下にも余計なシリコン が山ほど使ってあるから、そのせいで余計に値が張っちまうんだ」

「なんでそんなに詳しいんだよ、むっさんは」

 セクサロイドとか好きなの、と寺坂に茶化され、武蔵野は言い返した。

「そんなわけがあるか! 仕事で何度か使ったんだよ、囮にな! この手のロボットはスパイ経験のある娼婦よりも 余程信用出来るし、自爆させても気が咎めないからだ!」

「返品は……出来ないよなぁ」

 つばめは一足先に居間に上がってはしゃいでいる道子を見、眉を下げた。道子は余程気に入っているのか、少女 のようにはしゃぎながら荷物を解いている。その中身は女性型アンドロイド専用の衣装やオプションパーツばかり で、それらを購入した財源も全てつばめの懐だろう。今現在、つばめの複数ある預金口座にはどれほどの現金が 溜まっているのか把握し切れていないが、三百万円と少々が安い買い物ではないのは確かである。
 これからは、道子だけではなく武蔵野の給料も支払わなければならないし、佐々木家の住民が一人増えたことで 生活費もそれ相応に増える。全体を通してみれば微々たるものだろうが、吝嗇家の気があるつばめにとっては懐の 痛い話である。預金額という分母がどれほど大きくなろうと、出費が増えるのは嫌なのだ。本能的に。

「よし決めた、道子さんの給料からアンドロイドとそのオプションの代金を天引きする!」

 つばめが宣言すると、道子が動作を一時停止した。少々の間の後、泣きそうな顔を作った。

「でっ、ですよねー! つばめちゃんですもんねー!」

「締めるところは締めておかないと後で苦労するのは自分だからね。そうだ、武蔵野さんの部屋を決めておかないと。 部屋数だけは無駄に多いから、どこでもいいっちゃいいんだけど」

 つばめが上がり框に腰掛けている武蔵野に向くと、武蔵野はジャングルブーツを足から引っこ抜いた。

「ああ、そうだな。適当にやっておいてくれ」

「なあ、こいつはどうする?」

 そう言いながら寺坂が背負ってきたのは、熟睡している一乗寺昇だった。但し、その顔付きは丸みを帯び、首から 肩に掛けてのラインも柔らかくなっている。日を追うごとに一乗寺の肉体は女性化が顕著になっていて、体形が変化 した当日は胸と尻が付いただけのようなものだったのだが、今となっては完全な女性に変貌していた。睫毛も長いし、 顎も細いし、指先もすらりとしているし、寺坂が抱えている太股にもまろやかな脂肪が付いている。

「いくら先生でも、今、一人にするのはなぁ……」

 荒れ放題の分校に帰すのは心配だし、目を離すべきではないと思う。つばめが逡巡すると、道子も頷く。

「そうですよねぇ。曲がりなりにも女性なんですから、丁重に扱いませんと」

「だが、元々は男だろ?」

 武蔵野が半笑いになると、寺坂は起きる気配すらない一乗寺を見やった。

「そうなんだよなぁ。そう思うと、俺の背中にべっとり貼り付いている生乳にも色気を感じねぇんだな、これが」

「とりあえず、御布団を敷いてあげなきゃね」

 つばめが寺坂を室内に促すと、敷いてきますー、と道子が早々に動いてくれた。居間と仏間を繋げている和間に 道子が来客用の布団を敷いてくれたので、寺坂は触手を用いて一乗寺を転がした。布団に寝かされた一乗寺は 瞼を開く様子もなく、ただひたすらに惰眠を貪っている。肉体が激しく変化した影響で体力の消耗も激しいのだろうが、 それにしても寝過ぎである。起きていたのは食事時と身体検査の時ぐらいなもので、政府から事情聴取をされる時 は半分寝ながら答えていたほどだ。だが、何人もの専門家にどれほど検査されても、一乗寺の肉体に起きた変化 を解明出来ず、原因不明、としか説明されなかった。当の本人から聞こうにも、その一乗寺は眠ってばかりなので 答えてくれそうにもないし、そもそも本人が事態をきちんと理解しているかも怪しい。

「あ、そうだ、お姉ちゃんは?」

 いつもなら、美野里が真っ先に出迎えてくれるはずなのに。つばめは美野里の部屋に急いだが、美野里の部屋は 雑然としたままだった。法律関係の分厚い本が詰め込まれた本棚に万年床も同然の布団、アイロン掛けはしてある が整理されていないブラウスとスーツ、ノートパソコン、ファッション雑誌の束。長い間閉め切っていたのだろう、部屋の 中の空気は籠もっていた。パソコンデスクに折り畳まれたメモ用紙を見つけ、つばめはそれを開いた。
 つばめちゃんへ、ちょっと出掛けてきます、美野里。紛れもなく美野里の字だったが、つばめはその意味がすぐに 理解出来なかった。まだ使い慣れていない携帯電話で美野里に電話を掛けてみたが、何度掛け直しても美野里の 携帯電話に繋がらなかった。圏外、或いは電源が切られている、とのアナウンスが繰り返されるだけだった。

「これ、どういうこと?」

 一体どこへ。何をするために。つばめは不安と疑問に駆られ、どうせすぐに帰ってくるよね、と思い直そうとした。 だが、二週間もの間が空いていたのだから、その間に用事を済ませて先に帰ってきていてもいいはずだ。長く留守 にするならば、つばめの携帯電話に電話かメールが届いているはずだ。けれど、そのどちらもない。もしかすると、 美野里の身も危険が及んでいるのではないだろうか。一度考え出すと、実体験に基づいた嫌な想像が次から次へと 溢れ出し、つばめはいてもたってもいられなくなった。
 美野里のメモを握り締めたつばめが皆の元に駆け戻り、美野里がいなくなったことを説明すると、意外にも寺坂が 最も冷静だった。しつこいぐらいに美野里に好意を示していたのに、美野里の行動を予期していたかのように平然と していた。道子は笑顔を保ちながら、つばめを慰めてくれた。寺坂達と同じように新免工業に襲われた末に誘拐された のではないか、とつばめが武蔵野に詰め寄るが、武蔵野は訝しげだった。

「備前美野里と小倉美月の奇襲は中止させたし、確実に撤退させたんだがな。独断専行したのかもしれんが、だと しても、あいつらはそう簡単にやられるような連中じゃない。俺達が備前美野里を狙ったのは、あの女が事務所で 仕事をしている最中だったから、出掛けてくると書いたメモを残すためには、一度帰宅する必要がある。メールの類 じゃないし、手書きだからな。となると、あの女が俺の部下を何らかの方法で全滅させた後、一旦帰宅し、そのメモ を書いてから出掛けたと判断すべきだな。備前美野里の私物はなくなっているのか?」

「ううん、全然。そのままだった」

「だとすれば、厄介だな。何も持たずにふらっと出向いても問題がないほど、行き先に準備が整えてあったってこと だからな。あの女の背後関係も洗い直さないといかんな、こりゃ」

 武蔵野はつばめを一瞥した後、寺坂に向いた。

「お前は何か知っているんだな、寺坂」

「ま、ちょっとだけな」

 寺坂は包帯で縛られた右手の指を曲げ、小さな隙間を作った。

「けどな、つばめ。みのりんがどうなっていようと、何をしていようと、みのりんがお前を好きであることには嘘はない んだ。だから、みのりんが帰ってきたら、いつも通りに出迎えてやってくれ」

 とにかく信じてやってくれ、と寺坂はつばめの頭を軽く叩き、かかとを履き潰したスニーカーを引っ掛けて玄関先 に出ていった。政府から借りたワゴン車を移動させ、車庫に入れるためだ。武蔵野は余計なことをあまり言わない 性分なので、つばめを慰めもしなければ煽りもしなかった。道子は少しばかり所在をなくしていたが、埃だらけの家を 綺麗にするべく掃除を始めた。つばめは事態が飲み込めず、その場に座り込むだけだった。
 聞き慣れた駆動音が近付き、スキール音と共に土埃が舞い上がった。つばめが目を上げると、長距離を自力で 移動してきたコジロウが、脚部のタイヤを収納した後に蒸気と共に廃熱を行った。コジロウは廃熱によってほのかに 陽炎を纏いながら、逆光の中、つばめに近付いてきた。二週間の中でオーバーホールを行い、人工知能とムリョウ 以外の部品は全て交換したため、赤いゴーグルには傷一つなかった。片翼のステッカーは丁寧に剥がされた後に 全く同じ位置に貼り直され、コーティング剤に覆われてエナメルのように光り輝いている。

「コジロウ、あのね。お姉ちゃんが、いなくなっちゃったの」

 コジロウが玄関に上がってきたので、つばめはメモを広げてみせると、コジロウは平坦に答えた。

「非常事態だと認識する」

「お姉ちゃんのこと、探した方がいいかな?」

「その判断はつばめに委ねる」

 コジロウの落ち着いた語気に、つばめは不安に掻き混ぜられた心中が次第に落ち着いてきた。きっと、美野里にも 事情があるのだろう。美野里はつばめと共に生きてきたが、つばめは美野里の人生を一から十まで把握している わけではないし、つばめも美野里には秘密にしていることが一つや二つある。姉に言いたくないことだってあるし、 言えないこともある。仲が良いからといって、何もかも曝すわけではないからだ。
 だから、美野里の帰りを待つことにしよう。そう判断したつばめは、コジロウや皆にそう伝えた。大人達はつばめの 判断を受け止めてくれ、美野里のことも受け止めてくれた。美野里の事情を知っているらしい寺坂も、それがいい、 と言ってくれた。どんな事情があるにせよ、美野里自身が打ち明けてくれる時を待つべきだ。べたべたに執着する ことばかりが好意ではないし、その逆も然りだ。美野里がいつ帰ってきてもいいように、家を綺麗にしてから、夕食 の支度をしよう。溜まりに溜まった宿題にも手を付けなければ、夏休みも終わってしまう。
 まずは日常を取り戻さなければ。




 銜えタバコを外し、灰皿代わりの空き缶にねじ込んだ。
 柳田小夜子は首に巻いていたタオルで額と首筋の汗を拭ってから、取り外したばかりのコンピューターボックスを コンクリートの床に置いた。その背後には、単眼状のスコープアイを熱線で焼き切られて機能停止した人型重機、 岩龍が頭を垂れていた。吉岡りんねの別荘で破損し、機能停止していた彼を起動して移動させてくれた張本人は 小夜子の作業を手伝おうとはせずに、遠い目をしていた。表情が乏しい男だ。

「なあ」

 小夜子は紫煙が残る吐息を漏らしてから、作業着姿の男の背を見下ろした。

「会いに行けばいいじゃん。てか、顔を見せただけでどうにかなるもんでもないだろ? 現に、岩龍だってあの土地 から引き摺り出せたんだ。だから、娘に会っても大丈夫だと思うぜ?」

「生憎だが、今、あの子に会ったら俺の心が折れちまう。もう一踏ん張り、しなきゃならないからな」

 男、佐々木長孝は立ち上がり、スクラップも同然の岩龍を見上げた。

「まずは岩龍を修理してセッティングし直す。手伝ってくれ、柳田」

「充分手伝ってんだろーが。まあ、別にいいけどな。あんたが造ったロボットをいじらせてもらうんだったら、金なんて いらねぇよ。血が騒ぐなぁー!」

 小夜子が笑いを噛み殺すと、佐々木長孝は苦笑気味に頬を持ち上げた。実際、その通りだからだ。小夜子は彼の 作るロボットに心酔して技師を目指していたが紆余曲折を経て公務員となり、長らくロボットへの情熱を持て余して いたのだが、小倉重機で警官ロボットを量産する計画の際に実力を認められて今に至る。そして、今、遺産絡みの 事件を通じ、地下闘技場で無敗を誇ったロボット、岩龍のオーナーである佐々木長孝に接することが出来た。
 これが楽しくないわけがない。初恋に胸を焦がす少女のように浮かれながら、小夜子は佐々木長孝のパソコンから ダウンロードした岩龍の設計図をホログラフィーに展開し、凝視した。地下闘技場で夜な夜なレイガンドーと火花 を散らしていた頃は、人間型の人型重機を改造したボディだったが、吉岡りんねが岩龍に与えた人型重機を改造 して活用するようだった。設計図を見ているだけでも高揚してきて、改造に改造を重ねられた岩龍が動き回る日が 待ち遠しくてたまらなくなった。小夜子はタバコのフィルターを噛み、内心で身悶えた。
 一ヶ谷市の市街地から離れた廃工場には、立派な工房が出来上がっていた。一ヶ谷市内の商店街の電気屋に 転がり込んで生活する傍ら、小夜子が指示をしてせっせと資材と機材を搬入させたのだ。それもこれも、秘密裏に 内閣情報調査室に連絡を取ってきた佐々木長孝の要求に応えるためだ。もちろん、ただではない。佐々木長孝に はありったけの遺産の情報を開示してもらい、岩龍に使用したテクノロジーも同様だ。佐々木家の内情は政府側も 常々知りたがっていたので、旨味のある取引だった。おかげで、遺産関連の捜査もかなり進展する。

「小倉貞利に預けたブツが美作彰に盗まれた上に遺産の技術と情報が漏れたのは、タカさんの計算か?」

 設計図から目を離さずに小夜子が言うと、佐々木長孝は短く答えた。

「ああ」

「けど、なんで? あたしなら、凄い技術を一人で独占していいように扱うけどな」

「どれだけ優れた技術でも、それを受け入れ、使いこなせる地盤が出来上がっていないと無意味だからだ」

「だから、先に畑を耕しておいたってわけか。なるほど、筋が通っているぜ」

 佐々木長孝の言葉に、小夜子は口角を思い切り吊り上げた。小倉貞利の脇が甘すぎたせいで、ハルノネットに 流出したアマラを含めた遺産の技術により、不特定多数の人間は犠牲になっている。その上、佐々木長孝の管理 が不充分だったがために、彼の愛娘である佐々木つばめが最も犠牲になっている。それなのに、表情一つ変えず に我が道を突き進んでいる。小夜子は笑みを収め、設計図越しに彼を見据えた。
 どこにでもいる、不器用な父親だった。





 


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