機動駐在コジロウ




メモリーは心の窓



 部下の報告を受け、現場に駆け付けた。
 文香はフェラガモのハイヒールを脱ぎ捨てたい衝動に駆られながらも、ヒールを鳴らして走り、つま先に刺すような 痛みを感じながら、小倉重機に割り当てられたスペースへと駆け込んだ。臨時の整備場として解放されている二十 メートル四方の空き地には、所狭しとロボットが詰め込まれていて外装を開かれ、部品交換を行われている。主な 患者はRECのロボットファイター達であったが、瓦礫が散乱しているライブ会場の後片付けの最中に故障した人型 重機やロボットの応急処置も行われていた。
 息を切らして現れた文香に、小倉重機の社員達は一度手を止めた。ライブで使用していた照明を四方に置いて ライトとして使っているので周囲との明暗の差が激しく、一瞬、目が眩みそうになった。文香は走っている間に太股 までずり上がったタイトスカートを整えてから、呼吸も整え、声を上げた。

「つばめさんと、コジロウ君のムリョウとムジンが消えたって、本当?」

「はい、文香さん。こちらです」

 小倉重機のサポートに回っていた吉岡グループの社員がやってきて、文香を案内した。そこかしこに散らばって いる工具や部品に足を引っかけないように気を付けながら、野戦病院のような光景を横目に進んでいくと、頭部と 右腕を破損した警官ロボットの元に辿り着いた。右胸に付いた片翼のステッカーで、それが量産機ではなくコジロウ 本体だと解る。レイガンドーとの激闘で著しい損傷を受けたコジロウは、割れた外装から幾筋もの機械油を垂らし、 渾身の一撃で砕かれた腹部から覗く部品は内蔵じみていて、頭部と右腕は原形を止めていない。
 小倉重機の整備士は顔を見合わせてから、文香にコジロウの損傷部分を見せた。レイガンドーの拳が掠ったことで 破れてしまった片翼のステッカーが付いた胸部装甲が開かれたが、その中には何も入っていなかった。無限動力炉 であるムリョウが収まっているべき縦長の金属枠からは肝心要の中身が抜かれ、ムリョウの真下に設置されていた はずの回路ボックスも抜かれていて、コードだけが垂れ下がっていた。

「どういうことよっ!?」

 文香は激昂し、整備士と社員に迫る。ムリョウとムジンがなければ、佐々木つばめとコンガラを利用してまで実行 した馬鹿げた作戦の意味がない。フカセツテンが吉岡グループの手中に収まったとしても、佐々木つばめが味方に 付いてくれなければ起動させるすら出来ず、ムリョウがなければ微動だにしない。そして、遺産を使える者が手元に いなければ、哀れな娘、りんねを人間にしてやることすら出来ないではないか。全てはりんねのためなのに。

「警備員は何をしていたの!? これだけの人間がいながら、部外者を見逃したって言うの!? 有り得ない!」

 こうなったら、なんとしてでも取り戻さなければ。文香は携帯電話を取り出し、ハルノネットの社長を務めている夫に 電話を掛けようとしたが、背後から携帯電話を取り上げられた。何事かと振り返ると、あの男がいた。

「あまり騒ぐな。ムリョウとムジンを外して量産型の警官ロボットに入れ直したのは、俺だ」

 佐々木長孝だった。文香は思わぬ事に身動いだが、携帯電話を奪い返して言い返す。

「今の今まで何もしようとしなかったくせに、よくもおめおめと顔を出せたものね!」

「そうだな。その通りだ」

 佐々木長孝が音もなく歩み寄ってコジロウの残骸の上に顔を寄せると、整備士や社員達は距離を開けた。長孝は 作業着の袖口から腕を伸ばして、コジロウの外装を慈しむように撫でてやった。

「この損害は予想以上だな。俺の設計が甘かったのか、それとも小倉の腕が上がったのか……。拳の侵入角度と 破損状況から考えると、後者だな。初期の機体に比べればパワーゲインが倍、いや、三倍だ。あいつは勉強熱心 だからなぁ、俺よりもずっと」

「あんたの娘の居所は見当が付いているんでしょうね?」

 長孝の悠長さに文香は苛立ったが、一度深呼吸してから語気を改めた。長孝は顔を上げる。

「ああ。強制終了後に無理矢理初期化された状態で起動させられたコジロウは、損傷のショックで一時的に記憶も 初期化されてしまったようだからな。自己修復能力は死んでいないから、アマラがなくとも十二時間過ぎれば、アマラの 異次元宇宙にバックアップされていた記憶やら何やらがダウンロードされて、時間経過と共に元に戻るはずだ。 だが、理論の上では、ムリョウもムジンもあの程度の攻撃じゃびくともしないんだがな。コジロウ本人が現実逃避 をしたがった、と考えるべきか、つばめを労ってやりたいのか。そのどちらとも取れるな」

「そんなことは聞いていないわよ。私が知りたいのは、あんたの娘の居所と、ムリョウとムジンの在処よ。それさえ 手元に戻ってきたら、私はりんねを助けられるのよ。藤原伊織からも遺産からも解放してやって、私達の愛する娘を 人間らしい生活に導いてあげられるのよ。それがどんなに素晴らしいことか。解るでしょ、あんたでも」

 文香は苦々しく口角を吊り上げる。長孝はコジロウの頭部を見下ろし、傷だらけのマスクを撫でる。

「ああ。解るさ。だが、それは文香さんの考えであって、りんねさんの意思じゃないな。彼女が本当に人間に戻って 人間らしい生活を送りたいのかどうか、ちゃんと聞いてやってくれ。伊織君にもだ」

「戻りたいに決まっているでしょ! あの子はずっとあんたのクソ親父の操り人形にされていて、自我が目覚めそう になったら自分の境遇に折り合いが付けられなくなって自殺を繰り返していたような繊細な子なんだから! まともな 人間に戻って当たり前の生活を送りたいに決まっている、遺産絡みの荒事からも世間の猥雑さからも隔絶した場所で 清らかに生きてもらうのが一番なのよ! それがりんねの本来あるべき人生なんだから!」

 俯いてコジロウと目を合わせている長孝に、文香は鬱積した感情をぶつけた。この男さえ、いなければ。

「大体、何もかもあんたが悪いのよ! あんたがあの子を作らなければ、あんたがクソ親父が買い取った女を嫁に しなければ、こんなことにはならなかったのよ! 親に宛がってもらった女とよくもまぁヤれたものね! 相手の女も 女よ、あんたみたいな化け物に股を開くだなんて心底イカレてる! 産まれる前に潰そうとは思わなかったの!?  その上、新免工業に攫わせて安全を確保してから産ませようだなんて、とんでもないことよ! 産ませたら産ませた で迎えにも行かなかったから、結局あの女は死んだじゃない! あんたと関わったからよ!」

 長孝は反論もせず、機械油をレンズの縁に溜めているコジロウの頭部と見つめ合っていた。

「なんとか言いなさいよ、この化け物が!」

 文香の金切り声に、長孝はコジロウの頭部を抱き寄せた。機械油が布地に吸い込まれ、黒く染まる。

「俺のことはどう言ってくれても構わない。事実だからだ。だが、ひばりとつばめをこれ以上侮辱したら、俺はあんたを 絞め殺す。死にたくなければ、ひばりの人生を否定しないでくれ」

「そ」

 そんな度胸もないくせに、と言いかけて、文香は硬直した。長孝の作業着の裾から伸びてきた細長い異物が文香 の首を捉え、ひたりと吸い付いていた。冷え切った肉の帯に圧迫された動脈が激しく脈打ち、喉を押さえられたこと による圧迫感が呼吸を妨げる。目鼻のない顔を上げた長孝は、文香を見据える。

「俺は出来るさ。それだけの覚悟はある」

 文香の首を戒めたまま、長孝は腰を上げた。繋ぎの作業着の裾からは足ではなく無数の触手がはみ出していて、 靴を履いていなかった。シュユとは異なり、光輪は背負っていなかったが、それに準じた部位が存在しているのか、 作業着の背中が奇妙に盛り上がっていた。それが、佐々木長孝という男である。
 力任せに長孝の触手を振り解いた文香は咳き込み、喉を押さえた。人間大に縮小されたシュユ、寺坂善太郎が 触手に侵食され尽くされた姿、とでも言うべき人外の男を涙の滲んだ目で睨む。普段は人間に紛れて生活するため にサイボーグが使用する人工外皮を被って人間の恰好をしているが、今日に限って本来の姿を露わにしていた。 文香は夫であり長孝の実弟である吉岡八五郎から、長孝の異様さは話に聞いていたが、実物を目の当たりにする と腹の底から嫌悪感が湧く。不規則にうねる無数の触手を気色悪いと思わない人間は、まずいないだろう。そんな 男との間に娘を設けた佐々木ひばりは、正気ではない。

「明日になってもつばめが戻ってこなかったら、俺の体を切り刻め」

 長孝は一際太い触手をにゅるりと伸ばし、文香の目の前に差し出した。

「俺の体に残留している管理者権限はつばめの三分の一もないが、使えなくもないだろう。つばめが自分の人生を 選べる、最後の機会なんだ。お前らにそれを潰す権利はない。あったとしても、俺が潰す。真っ先に、あんたを」

「あの子は子供なのよ? 子供が遺産を操る能力を持っていることだけでも非常識なのに、その子供を大人が管理 してやらなくてどうするのよ! どう考えても、ろくなことにならないに決まっているじゃない!」

 負けじと文香は長孝の触手を弾き、喚くが、長孝は目元と思しき部分に深いシワを刻んだ。

「だったら聞こう。今までつばめが遺産を使って誰かを殺したか、傷付けたか、陥れたか? お前らが寄って集って つばめを追い詰めるから、遺産を使わざるを得ない状況になっただけじゃないか。遺産を巡って殺し合ったのも、 遺産による利益を見込んで莫大な金をやり取りしたのも、注ぎ込んだのも、お前らの勝手じゃないか。フカセツテン が再起動した経緯も把握しているが、つばめを陥れたのは備前美野里だ。責任転嫁するんじゃない」

「だからって、放っておいていいわけが!」

 文香は長孝に詰め寄ろうとするが、長孝は身動ぎもせずに文香と向き直る。

「どうせ既に監視しているんだろうが。設楽道子とアマラが構築したハルノネットのネットワークと監視網で追跡して いるんだろうが。そうやって俺に食って掛かるのも、俺を釘付けにしておきたいからだろう。つばめが行く当てなんて たった一つだ、そこまで潰す気なのか。備前夫妻に余計な手を打ってみろ、あんたの内臓を引き摺り出す」

 長孝の目のない視線がぐるりと辺りを見回すと、吉岡グループの社員がびくつき、文香に指示を乞うてきた。確か にその通りだ。吉岡八五郎は思慮深く、抜け目のない男だ。文香から連絡がなくとも、御鈴様のライブが始まる以前 から、いや、つばめが文香に接触した時点からつばめを監視しているだろう。
 文香は長孝の察しの良さが鬱陶しくなったが、長孝の触手で内臓を引き摺り出されては元も子もないので、監視 中止のメールを打ち、送信した。もっとも、それを夫が受け入れてくれる保証はどこにもないのだが。

「俺はここから動かない。つばめが帰ってくるまでは」

「帰ってこなかったら?」

「先刻通り、俺を好きにしてくれていい。俺はつばめの人生に従う」

 そう言うと、長孝は触手を引っ込めてその場に座り込んだ。文香は喉元に突き付けられていた触手が退いたことで 安堵しかけたが、気を取り直して社員達に指示を送った。仕事は文字通り山積みなのだから、休んでいる暇など ない。ライブ会場を片付けたことで出た廃棄物の処理、フカセツテンが沈んだ海域を封鎖し、フカセツテンの管理と 調査を吉岡グループだけで独占するために、政府に圧力を掛けなければ。より強固な情報統制も行い、遺産関連 の情報を外部に漏らしている人間を掃討しなければ。長孝を一瞥してから、文香は整備場を飛び出した。
 佐々木長孝が、佐々木つばめが、腹の底から憎たらしい。自分の禍々しさを知りながらも無計画に佐々木ひばりを 妊娠させて子供を産ませた考えなしの男に、道具としての価値以外は皆無なのに感情的に生きようとする愚かな 小娘に、愛して止まないりんねの生殺与奪を握られているなんて、許し難い。あの親子の命に比べれば、りんねの 命は遙かに重く、儚く、脆いものなのに。歯を食い縛りすぎて唇を切り、文香は口紅ごと血を拭った。
 愛されるべきは、りんねだけだ。




 およそ半年振りに訪れた備前家は、何も変わっていなかった。
 三階建ての大きな家は窓明かりが点いていて、玄関には季節に合わせた花が咲いている鉢植えが整然と並び、 二台分のスペースがある車庫は一台分が開いていた。美野里の車がなくなっているからだ。備前、と立派な草書体 の文字が刻まれた金属製の表札の下にある呼び鈴を押そうとして、つばめは躊躇った。散々迷惑を掛けてきたのに、 備前家に甘えていいものか。だが、他に行く当てはない。船島集落には、つばめが住む家はないのだから。
 呼び鈴を押せずに身を引いたつばめは、待っていてくれたコジロウに寄り掛かった。理由は不明だが、パンダの コジロウの人格を宿した警官ロボットは、つばめの頭を撫でてくれた。手触りこそ硬かったが、仕草は同じだ。

「つばめちゃん、大丈夫だよ。僕が一緒にいるからね」

 お母さんに叱られたのかな、とコジロウに問われ、つばめは彼の機械熱が滲む胸部装甲に額を当てた。

「それだったら、まだ良かったんだけどね」

 ごめんなさい、反省しています、今度からは気を付けます、と言えば、美野里の母親である備前景子はつばめを 許してくれた。実の子ではないことで常に気後れしていたから、つばめは景子に対して気を遣っていた。景子もそれ を汲んでくれていて、つばめとの距離感を保ってくれた。どうしても寂しくて母親が恋しい時は甘えさせてもらったが、 普段は景子を美野里に譲っていたつもりだった。それなのに、美野里はそう思っていなかったようだ。
 胸が詰まるほどの懐かしさを味わってから、つばめは目元を擦り、備前家に背を向けた。これ以上、誰かに迷惑 を掛けるわけにはいかないからだ。コジロウと手を繋いで、肩からずり落ちかけている高守の意志が宿った種子を 携帯電話と共にポケットに入れてから、立ち去ろうとした。すると、慌ただしい足音の後にドアが開いた。

「つばめちゃん!?」

 つばめがぎこちなく振り返ると、逆光の中に景子が立っていた。夕食の支度をしていたのだろう、エプロン姿だ。 見つかる前に立ち去るつもりだったが、気付かれてしまったようだ。つばめは一礼してから、今度こそ立ち去ろうと すると、景子はサンダルを突っ掛けて門を開けて外に出てくると、つばめの手を握り締めた。

「こんなに冷えちゃって、さあ早く来なさい、風邪引いちゃう! お腹空いていない? 御飯、あるわよ!」

「でも……」

 つばめは語尾を濁した。今し方まで水仕事をしていたであろう景子の手は冷たいが、力強かった。

「コジロウ君、でしょ?」

 景子はつばめの手を離さずに警官ロボットを見上げると、警官ロボットは頷いた。

「はい。僕はつばめちゃんの一番の友達のコジロウです!」

「一緒に来て。つばめちゃんもコジロウ君も、大事なうちの子よ」

 景子に促されるも、つばめは渋った。嬉しさよりも申し訳なさが先に立ち、俯いてしまった。

「でも、私のせいでお姉ちゃんが」

「美野里ちゃんのことは全部知っているわ。だって、私達の娘ですもの」

 だから大丈夫よ、と景子に優しく肩を抱かれ、つばめは意地が綻んだ。コジロウと共に備前家に入ると、玄関には キッチンから漂う暖かな料理の匂いが立ち込めていた。今夜はクリームシチューだろうか。泥で汚れたスニーカーを 脱いでスリッパに履き替え、躊躇いがちに歩いてリビングに入ると、美野里の父親である備前柳一が寛いでいた。 普段は弁護士事務所の仕事が忙しいので帰宅時間も遅いので、珍しい。

「早く入ってきなさい」

 部屋着姿の備前に手招かれ、つばめはコジロウを指した。

「コジロウも?」

「もちろんだ。うちの床は、そんなに柔な作りじゃない」

 度の強いメガネの奥で、備前が目元を綻ばせる。つばめはほっとして、コジロウの手を引いてリビングに入った。 今夜は冷え込みが強いからか、少しだけ暖房が効いていて心地良かった。壁際にある三人掛けのソファーに座ると 背中が沈み、足が浮いた。これもまた、昔から変わらない。

「あ、そうだ」

 ポケットに入れている高守と携帯電話を潰しては大変なので、つばめは出窓に飾ってある花瓶に高守の種子を 置くと、彼は細い触手を解いて水に浸した。これでしばらくは保つだろう。つばめがソファーに座り直すと、コジロウが つばめの傍に座りたいのか、しきりにつばめを気にしている。

「うーん。僕が大きくなったのはいいんだけど、これじゃつばめちゃんに抱っこしてもらえないや」

 残念、と首を横に振ったコジロウに、備前は噴き出した。

「そうだなぁ。そうだったもんなぁ、君は」

「……あれ?」

 パンダのコジロウと話が出来るのは、つばめだけではなかったのか。彼はつばめのイマジナリーフレンドであった のだから、その空想の生みの親であるつばめとしか話は出来ないのでは。ふと疑問に駆られて思い返してみるが、 コジロウがつばめ以外と会話していた記憶はない。コジロウはお話しするんだよ、と言って備前夫妻にコジロウを 見せたことは多々あるが、それだけだ。つばめが悶々としていると、紅茶を運んできた景子が言った。

「コジロウ君はね、つばめちゃんのお父さんからのプレゼントだったの」

 ダージリンの紅茶と共にカボチャのパイを載せた皿を差し出してから、景子はつばめの向かい側に座った。

「お父さんの?」

 頂きます、と言ってから紅茶に口を付けたつばめは、その暖かさが胃に広がると、凝り固まっていた感情や諸々が 解れていった。ああ、この味、この香りだ。再度紅茶を飲んでから、カボチャのパイをフォークで切って口に運ぶと、 優しい甘さとバターの香りが広がった。食べながらでいいから、と言ってから、景子は話を続けた。

「そうなの。つばめちゃんのお父さんの長孝さんはね、とても器用で、機械技師をしているの。専門分野は人型重機 の設計と開発なんだけど、図面を引いてから自分で組み上げることも多いわ。だけど、色々と事情があってつばめ ちゃんに会えないから、いつも仕送りをしてくれるのよ。だから、つばめちゃんを育てるために使ったお金の出所は、 ほとんどが長孝さんなの。お誕生日やクリスマスにも、必ずプレゼントを贈ってくれたわ。コジロウ君も、その中の 一つだったの。つばめちゃんがうちに来てから、三年目のことだったかしらね」

 景子が警官ロボットに笑顔を向けると、コジロウは小首を傾げた。

「うん、僕は覚えているよ。サブマスターが僕のことを綺麗な包装紙でくるんで、リボンを掛けて、お誕生日おめでとう って書いたカードを貼ってくれたんだよ。それからお父さんの車で運ばれて、おうちに来て、つばめちゃんがケーキを 食べた後に出してもらったんだよ。それで、その時に僕はお喋りしたんだよ。僕の名前はコジロウ、って」

 ちょっと得意げなコジロウに、つばめは徐々に目を見開いた。そうだ、今でもはっきり覚えている。三歳の誕生日、 幼児の体では一抱えもあるパンダのぬいぐるみをプレゼントしてもらったのだ。おいしい御馳走とケーキを食べて、 備前家の皆からお祝いをしてもらって、景子からプレゼントを渡された。ありがとう、と家族に礼を述べてからリボン を解き、包装紙を剥がすと、とても可愛いパンダのぬいぐるみが出てきた。それを抱き締めると、彼は名乗った。
 そうだ。彼の名は、つばめが名付けたのではない。コジロウ自身が名乗ったから、つばめは彼をコジロウと呼ぶ ようになった。けれど、それは自分にだけ聞こえている言葉なのだと信じていた。なぜなら、家族の皆にコジロウが 喋った、動いた、と報告しても笑って受け流されたからだ。だから、空想の友達なのだと思うようになった。けれど、 そうではなかったのだ。ならば、なぜコジロウは動かなくなってしまったのだろう。

「なのに、なんで動かなくなったの? 私が捻くれて、こういう性格になっちゃったから?」

 つばめが罪悪感に似た思いに駆られると、コジロウは少し笑う。

「そうだね、いつか僕はつばめちゃんから別れなきゃいけないからね。つばめちゃんが大人になるためには、僕の 存在はちょっと厄介だからね。でも、つばめちゃんが嫌いになったわけじゃないし、僕が必要ないって判断したわけ じゃない。お別れも言わずに、急にいなくなっちゃってごめんね。本当に急な話だったから、つばめちゃんに御手紙 を書いている時間もなかったんだ。僕がいなくなった本当の理由はね、サブマスターが僕のことを呼び戻したんだ。 今みたいな、警官ロボットに改造するために」

「本当に、お父さんが?」

「うん。マスターのつばめちゃんの三分の一しか管理者権限がないから、サブマスター。でね、僕はサブマスターから とっても大事な命令を下されているんだ。つばめちゃんを守ってくれ、って! いつも傍にいてあげて、正しいことをしたら 一杯褒めて、間違ったことをしたらちょっと叱って、寂しい時は抱っこしてあげて、悲しい時は良い子良い子ってして あげるのが僕の役目なんだ」

 コジロウはつばめの前で片膝を付き、目線を合わせると、つばめを覗き込んでくる。

「だから、僕はつばめちゃんが大好きなんだ。だって、僕のことをとっても大事にしてくれるから!」

「……うん」

 つばめは照れ臭さで赤面し、顔を伏せたが、コジロウがコジロウであったことが本当に嬉しかった。警官ロボットの コジロウに迷わずコジロウと名付けたのは、パンダのコジロウが大好きだったからだ。だから、二人が同一の存在で あると解って気恥ずかしくなった。パンダのコジロウに惜しみなく注いでいた拙い好意が、警官ロボットのコジロウに ぶつけていた手探りの恋心が、どちらでもある彼に向かっていたのだから。幼馴染みに初恋をしたのだ。

「お父さんは、私に会いに来てくれたのかな」

 つばめはコジロウに問うと、コジロウは首を横に振った。

「サブマスターは一度もつばめちゃんには会っていないよ。この僕が言うんだ、間違いない」

「長孝さんは、そういう人だから」

 景子が物悲しげに微笑むと、備前はつばめの肩に大きな手を乗せた。

「話しづらいかもしれないが、夕飯の後にでも美野里の話を聞かせてくれないか。あの子がどうなったのか、私達は ちゃんと知っておかなければならない。時間はどれだけ掛かってもいい」

「つばめちゃん。コジロウ君と一緒に、いつまでもうちにいてくれていいのよ。お部屋はそのままだから、お部屋から 着替えを持っていらっしゃい。お風呂、湧かしてあげるから」

 ゆっくりしていてね、と景子はつばめに微笑みかけてから、キッチンに戻っていった。その後ろ姿を見送ってから、 つばめは少し冷めた紅茶を啜った。そういえば、備前夫妻は何をどこまで把握しているのだろう、と思い、つばめは 尋ねてみた。すると、意外なことに備前夫妻は御鈴様のライブとその目的についても知っていて、情報源は他でも ない長孝だという。となると、つばめの父親は、つばめが思っている以上に身近にいたのだろう。だが、決して姿を 見せなかった。気に掛けているくせに、つばめには会いたくないのだろうか。それが腹立たしくもあり、無性に悲しく なった。気に掛けてくれるのに、会おうとしてくれないのか。
 食卓に並んだのは、予想通りクリームシチューだった。ホームベーカリーで焼いた柔らかなパンに、甘辛いソース が絡められた野菜の肉巻き、ブロッコリーとエビのサラダ、と景子の得意な洋食のメニューだった。つばめはそれを 味わいながら、リビングで大人しくしているコジロウが気になり、何度も振り向いた。その度にコジロウと目が合い、 彼は手を振ってくれた。食事中にも夫妻からは話し掛けられたが、その内容は主に学校や友達のことで、つばめが 船島集落に行く以前と変わらなかった。その気遣いに甘えながら、つばめは楽しいこと、嬉しかったことから最初に 話した。そうすることで、辛いことを話すための心構えを作っていった。
 美野里のいない、備前家での夜は更けていった。





 


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