機動駐在コジロウ




掃き溜めのツール



 懐かしい記憶は、不意に途切れた。
 細切れの夢から意識が浮上してきた美野里は、複眼に映るものを睨め回した。無数に区切られた同じ光景の中 には、白い防護服を着た人間が何人も立っている。至るところに訳の解らない計器が置かれ、電子音が耳障りだ。 透き通ったビニール製の薄膜が周囲を覆っていて、外界と隔てられている。隔離されているのだ。
 ここは一体、どこなのか。再生を終えた顎を開こうとするが、がつん、と金属に阻まれた。触角もテープか何かで 頭部に貼り付けられていて、自由に動かせない。六本の足も同様で、鈍い光を放つ重たい鎖が繋がれた拘束具 に戒められていた。ああ、そうだ。化け物だからだ。人間ではないからだ。虫だからだ。

「意識が戻る前に解剖しちゃえばいいのになぁ。ほら、ここ、見てみろよ」

「うわ、もう再生している。さっきまで、内臓も見えていたのに」

 防護服を着た人間達は美野里を眺め、興味深げに小声でやり取りした。声からして若い女性と男性だ。

「採取した体液の分析は出た? フジワラ製薬から横流しされたデータと比較した?」

「それが凄いんだ。もう血液でも何でもない、D型アミノ酸しかないんだ。被験者が施術された直後の成分は限りなく 人間に近かったんだけど、今は全然。根本から別の生き物だね」

 タブレット端末を操作しながら、中年男性が首を横に振ると、首を覆っているカバーも動いた。

「でも、この技術を人間に使えれば不老不死だって目じゃないですよねぇ……」

 女性が美野里を防護服越しに眺め回してきたが、男性が彼女の肩を叩いた。

「それをやると、俺達もフジワラ製薬と同じ道を辿っちまうぞ。大体、こいつらのは不老不死なんかじゃないんだよ。 体液に成り代わっている妙な粘液が、その場その場でDNAをいじくっているんだ。だから、そう見えるだけだ」

「え? そうなんですか?」

「そうなんだよ。恐ろしいことにな。先天的にこの生き物として産まれた藤原伊織は別だが、こいつみたいに後天的 に体をいじくった連中は、DNAの配列が滅茶苦茶なんだ。何度も切り貼りを繰り返しているから、ほれ」

「うへー……デタラメだ。もう人間でもなんでもないや。でも、そんなのがどうやって繋がっているんです?」

 タブレット端末を覗き込んだ若い男性が尋ねると、中年男性は答えた。

「変身するたびに正確な遺伝子情報がサーバーから転送されてくる、とでも言うべきかな。とにかく、あの粘液だけ ではこんな能力は得られない、ということは立証されているんだ。それで、こういう連中が人間体から怪人体に変身 している最中にも生体組織を採取して分析して、出た結果がこれだ。一秒ごとに配列が組み変わっていって、最後に 元通りに繋がっているだろう?」

「うわー本当ですね。でも、そのサーバーと連絡を取っているって事実をどうやって解明したんですか?」

 女性が不思議がると、中年男性はタッチペンを使って画像をスクロールさせる。

「分厚い鉛で作った箱の中に水を溜めて、更にそれを地中深くに沈めた中に怪人を詰め、脳波に似せた電気信号 を流して強引に変身させようとしたんだ。極限状態で生き残れるかどうかの実験だったんだが、実験は成功せず、 被験者は溶解してただの液体と化したんだ。だから、外部との連絡が取れないと変身出来ないんじゃないか、という 推論が生まれて、それから同様の実験を繰り返した末に判明したんだ」

「非人道的にも程がありませんか?」

 若い男性が不快感を露わにすると、中年男性は肩を竦める。

「相手は人間じゃないんだ。どう扱ったっていいんだし、そもそもこの国には怪人を取り締まる法律がない。イコール で怪人には人権もクソもないってことだ。だから、こいつをどう扱おうとも、何の罪にも問われない」

「でも……この人、本当は弁護士さんなんですよね? それなのに、どうしてこんなことに……」

 女性が少し同情的な眼差しで美野里を窺うと、中年男性は諌めてきた。

「上の連中がアソウギと呼んでいる液体は、本人の意志がなければ決して同化しないんだ。それも実験で判明した 事実なんだ。だから、こいつは自分の意思で怪人になり、人間に危害を加え、やり返された。そんなことをいちいち 考えていたら、仕事が一向に進まないぞ。試薬を投与して反応を見る。それがなければ、解剖に回す」

「え、でも、上の許可が下りていませんよ?」

 若い男性が躊躇うと、中年男性は急かす。

「そんなものを待っていたら、仕事が終わらんじゃないか。D型アミノ酸の分解酵素を投与してみて、こいつが反応 すれば触手の化け物にも効くはずなんだ。出来れば生体解剖したいところが、あの化け物の皮膚はゴムみたいに 柔らかいのに刃物が通らないから、負傷箇所から分解酵素を流し込むしかない。内臓が溶けずに出てくる保証は ないが、あのまま放置しておくよりはいいさ。どうせ、煮ても焼いても食えない連中だ」

「でも、分解酵素ぐらいで死にますか? って、ああ、さっきありましたね。あの御嬢様が暴走してL型アミノ酸を一瞬 で粉々にする分解酵素を作り出して、触れた人間を次々に水に変えた、って。つくづく恐ろしいですね」

 恐怖に駆られたのか、女性が身震いすると、若い男性は白い手袋を填めた手で上腕をさすった。

「こんなことなら、俺、別の会社に就職しておけばよかったなぁ。吉岡グループに入社出来た俺って人生の勝ち組、 とか思っていたのに、まさか怪人だの宇宙人だのを相手にしなきゃならないなんて。うーキモッ」

「ごちゃごちゃ言っていないで、さっさと行動しろ。まずは分解酵素を持ってこい」

 中年男性はタブレット端末を振って二人を追いやると、二人はまだ何か喋りながら、ビニールの薄膜の外に出て いった。また、防護服姿の人間が入れ替わり立ち替わり出入りし、吊り下がっている点滴を外したり、計器の数値 をチェックしたり、と忙しなくなってきた。分解酵素を投与するための準備なのだろう、瞬膜を貫いていた太い針が 引き抜かれて体液が噴出した。銀色の実験器具に映る自分を見、美野里はぼんやりと考えた。
 散々痛め付けられたホタル怪人は情けなく、研究者達のオモチャに成り下がってしまったようだ。あれほど苦労 して手に入れた弁護士の肩書きも、それに準じて得た社会的地位も、そこに至るまでの経歴も、備前美野里として の過去も、名前も、何もかもが無視されている。否定されている。なかったことになっている。
 現行の法律では怪人は存在が認知されていないので、人間として扱う理由もなければ義務もないため、怪人に 何をしても罪に問われないのは知っている。法律家の端くれであり、我が身に関わることだから、細部まで把握して いる。だが、人間としての経歴が存在していることすらも無視されてしまうのか。ロボットでさえも、破壊すれば器物 破損の罪に問われるというのに、美野里はロボットにも劣るのか。道具ですらないのか。
 確かに美野里は折れた刃だ。コジロウを味方に付けていたのに、武公というロボットファイターに弄ばれ、ご覧の 有様だ。自分なりに頑張って研究し、戦い方も学んでいたつもりだったが、対人戦だけを頭に叩き込んでいたから、 ロボットの対処法はほとんど得ていなかった。コジロウを相手にすることは想定していたが、その場合は真っ先に つばめを手に掛ければいいと考えていたからだ。だが、コジロウ以外のロボットと戦う可能性を見逃していた。浅慮 にも程がある、情けない、腹立たしい、馬鹿馬鹿しい。そんな調子で、よくも長光に褒めてもらえると思い上がって いたものだ。自分で自分が憎らしくなり、美野里は拘束具を噛み千切りかねない力で顎を動かした。
 ばぎんっ、と顔の両脇でボルトが吹っ飛び、ビニールの薄膜を突き抜けた。途端に周囲から悲鳴が上がり、何が 起きたんだと騒ぎになった。何事かと首を捻ると、美野里の顎に填っていた拘束具が壊れていた。試しに顎を開閉 させてみると、それはずるりと抜け落ちて床に転がった。急拵えらしい、不格好な継ぎ接ぎの金属塊だった。

「顎の筋肉も再生していたのか!? まさかそんな、神経まで切れていたのに!」

 中年男性が後退ると、美野里は少しだけ気分が晴れた。そうだ、怯えてくれ。恐れてくれ。

「鎮静剤! いやそんなものは効かない、液体窒素でも持ってこい! あるだろ、成分分析用に持ち込んだやつ が! 早くしろ、動き出したら喰われるぞ!」

 中年男性は現場の主任なのか、指示を飛ばすが、部下達の動きは鈍かった。皆、自分以外の誰かが動いてくれ と考えているようだった。再度怒鳴られると、少々間を置いてから人々は動き出し、液体窒素のボンベを引き摺って 薄膜の中に運んできた。重たそうな円筒形のボンベの下にはキャスターが付いていて、それに繋ぐための安全弁が 付いた金属製のチューブも抱えてきた。手が震えているのか、上手く弁が開けないらしく、作業が滞っていた。
 顎が動くのであれば、他の部位も動くはずだ。そう確信を得た美野里は上両足を曲げてみると思い通りに曲がり、 鎖が根本から外れ、大きくしなった。鞭のように揺れた太い鎖は液体窒素の安全弁を開こうと苦戦していた人間の 頭部に激突し、防護服の内側に赤黒い液体が散り、崩れ落ちた。頭蓋骨でも砕いたのか。

「うっ……」

 それに臆した人間が身を引こうとすると、中年男性が防護服を掴んで引き留めた。

「ここで逃げてどうする! いいから、お前が代わりに開けろ! 早くしないと、被害が出る!」

 続いて中両足、下両足、と鎖を引き抜いて、下両足で直立する。触角を止めていたテープを剥がしたが、爪先に 貼り付いてしまったので、爪を擦り合わせてテープを刮げ落とした。触角を揺らして匂いを絡め取ると、様々な薬品 の匂いが濃厚に漂っていた。鎖が邪魔なので引っ張ってみると呆気なく千切れたが、手錠のように填っている金属 の輪は見事に溶接されていて、美野里の爪だけでは壊せそうになかった。そんなものは後回しでいい、今は早急に ここから脱出しなければ。そしてまた、長光の役に立たなければ。
 爪を振るうと、ぐにゃりとした手応えの後に生温い液体が噴き上がった。がなり立てていた中年男性の首が舞い、 ビニールの薄膜に突っ込んだ。凄まじい絶叫が窓を震わせ、我先に逃げようとドアに人々が殺到する。美野里は 血で汚れたビニールシートを切り裂いて外に出ると、頭部をぐるりと回した。シュユを痛め付けられる、D型アミノ酸 の分解酵素を手に入れておくべきだと判断したからだ。だが、それらしいものは見当たらない。

「分解酵素はどれ?」

 逃げ遅れた人間を下右足で踏み付け、無遠慮に尋ねると、防護服の中で荒く息をしながら手を挙げた。がくがく と上下する指が示したのは、錠前が付いているジュラルミンケースだった。拾ってみると、大きさに割に軽かったので 保温用に出来ているのだろう。錠前を壊すのは簡単だが、迂闊に中身を出したせいで効力を失っては何の意味も ない。シュユの居所を突き止めてから錠前を壊し、中身を出し、シュユを切り裂いて注ぎ込んでやる。
 そうすれば、長光に褒められる。




 頭の奥から、他人の思考が滑り込んでくる。
 遺産の互換性が、無意識と意識の狭間で情報を共有しようとするためだ。つい先程まで、道子を経由した情報の 奔流に襲われていたと思ったら、今度はまた別の方向からやってきた。携帯電話なら電源を切ればいいのだが、 こればかりはそうもいかない。羽部は鈍い頭痛に顔をしかめながら、上体を起こした。
 それも、備前美野里の思考だ。フジワラ製薬が製造したD型アミノ酸の分解酵素を利用して、シュユを物理的に 殺そうとしている。そんなことをすれば、物質宇宙と異次元宇宙の均衡が崩れてしまうではないか。佐々木長光が クテイに人間達の感情を貢ぐために作り上げた、遺産の互換性を利用したネットワークの均衡は危うい。シュユの 存在が作り出した均衡によってクテイの精神体が異次元宇宙に留まっているからこそ、捕食対象は佐々木一族に 限られているが、それが壊れ、クテイの触手が佐々木一族の外側に伸びてしまえばどうなることか。

「ああもうっ!」

 これだから、危機意識の足りない文系の女は。苛立ち紛れに羽部が怒鳴ると、美月が跳ねた。

「わあっ!?」

「なんだ、いたのか」

 彼女の存在を思い出した羽部が振り向くと、美月はベッドを囲むカーテンにしがみついていた。

「びっくりしたじゃないですかぁ、いきなり大きな声を出さないで下さいよ」

「それは君が勝手に驚いただけであって、この優れすぎて脳細胞が新陳代謝によって死滅することを拒否する僕に 対して失礼極まりないね。大体、なんで病室にいるのさ。着替えるぐらいなら、帰ればいいじゃないか」

 羽部は包帯を巻いたままの顔を背けながら文句を言うと、美月は座り直した。

「なんで着替えたって知っているんですか? 羽部さんの意識が戻ったのって、今朝ですよね」

「そりゃあ」

 単純に二度寝したからだ。丸一日眠って目覚めた後、傷の治りが今一つだったのと、設楽道子を経由して流れて くる異次元宇宙とニルヴァーニアンに関する情報の膨大さに辟易したからである。それを説明するのが億劫だった ので、羽部が黙ると、作業着姿の美月は自分の服装を見下ろして小声で呟いた。やっぱり可愛くないよね、と。
 それが、無性に気に障った。見た目を気にするような場所か、相手か、状況か。大体、着飾ってこられても反応に 困るだけであって嬉しくもなんともない。羽部が日頃から見慣れている美月は、機械油に汚れていてロボットの部品 をいじくり回しながら、作業場で鳴らしている大音量のヘヴィメタルを聞き流している姿であって、背伸びをした服装や 化粧をしている姿ではない。それに、羽部とはそういったデリケートな関係ではないのだ。近所に住む年上のお兄さん のような立場であれば当たり前だろうが、羽部は美月の監視役として差し向けられたのであって。

「……ん?」

 ふと、自分の立場を思い返してみて、羽部は疑問に駆られた。そういえば、なぜ自分は弐天逸流から美月の監視 を任されたのだろうか。美月の母親は、ハルノネットで設楽道子を偏愛していた美作彰の姉であるが、それだけだ。 美作彰が所有していたアマラは現状では所在不明だが、恐らく騒動の最中に政府にでも押収されているのがオチ だろう。ムジンを奪って弐天逸流の所有物にする、というのが本懐だったのだろうか。だが、羽部が美作彰の部屋 から強奪して弐天逸流に持ち込んだムジンは、今や佐々木つばめの手に落ちている。一時的に御鈴様の脳内に 転送しておいたムジンのプログラムも、コジロウが所有しているムジンの欠片に移し替えられているだろう。ならば、 羽部が美月の傍に置かれた理由はなんだ。なぜ、彼女を見守らなければならない。
 レイガンドーにも、ムジンの欠片は搭載されている。岩龍にもだ。だとすれば、美月はつばめと同じように感情を クテイに喰い物にされるために捧げられた、異形の神への供物なのか。だが、美月の母親である小倉直美が信仰 していたのはクテイではなく、シュユである。そして、シュユの分身の一つであるゴウガシャに日々御経を唱え、祈り を捧げ、信仰心を貢いでいた。しかし、当の美月は母親を遠巻きにしていた。疎んでいた。だから、シュユが美月の 信仰心を喰えていたわけではない。むしろ、美月がいるから、レイガンドーはつばめとは接触せずにいた。遺産と 管理者権限所有者を近付けさせることもなく、均衡を保っていた。それは佐々木長孝の考えであるが、弐天逸流が それに乗っかってくる理由が見通せない。また苛々してきた。

「君さぁ」

 羽部が包帯に隠されていない左目を据わらせると、美月はテレビを付けようとしていた手を止めた。

「はい?」

「レイガンドーが地下闘技場に入り浸る前までは、毎日何していたの?」

「何って……何も。レイの人工知能を成長させるためでもあったんですけど、毎日一緒にいて、学校であったこと とか、テレビのこととか、漫画のこととか、とにかく色んなことを喋ったんです。昔はレイも大人しくて、反応も薄かった んですけど、段々レイも成長してきたなぁって思ったら一気に大人になっちゃって。昔は弟みたいだなぁって思って いたんですけど、今はレイの方がお兄ちゃんって感じで」

 ちょっと照れ臭そうに語る美月に、羽部はまた苛立ちを覚え、無傷の頬を引きつらせた。

「何それ」

「何って、羽部さんが聞いてきたんじゃないですか。失礼な」

「君に礼儀を払うべき立場にあると思うのかい、この素晴らしすぎて非の打ち所を探す意味すらない僕が」

「はいはい」

「なんだその、ロープに振っておいたくせに何もしないで場外に逃げたような反応。気に障るな」

「羽部さんが元気で安心しました。いつもの調子だなぁって。運ばれてきた時、顔の右半分がべっこり抉れていたので 死んじゃうんじゃないかって不安で不安で仕方なかったんです。羽部さんまでどうにかなったりしたら、私、さすがに 折れちゃいそうでしたから。だって、レイがレイじゃなくなるかもしれないから」

 美月は笑みを保ったままだったが、俯き、油染みの付いた作業着を握り締める。

「お父さんが、レイと岩龍に入っているムジンを外してコジロウ君に移し替えるって言っているんです。その方が良い って解っているし、ムジンはつっぴーのものだし、これから何が起きるか解らないからコジロウ君が強くなった方が いいし、これ以上……怖いことに巻き込まれるのは嫌だし。でも」

「レイガンドーの人格は異次元宇宙に依存している部分が大きいね。それはコジロウと同じだ。ムジンを使っている 時点で、連中は遺産に寄り掛かっているからね。だから、ムジンを外せば遺産の互換性から生じたネットワークから 乖離することになるのであって、レイガンドーも岩龍も既存の人格を維持するのは技術的に不可能だ。人格ってのは 過去と経験と知識の累積だけで出来上がるものじゃない」

「です、よね」

 美月は肩を震わせ、声を詰まらせる。ああ鬱陶しい。

「だが、それはムジンが物質宇宙から乖離した状態であることが前提の話だ。コジロウは知っての通り、物質宇宙に 現存している警官ロボットであり、佐々木つばめとベッタベタで事ある事にぶん殴りたくなるぐらいにイチャイチャ している。佐々木つばめのことだ、レイガンドーと岩龍の人格を否定したりはしないだろうし、むしろ残す方向で行く だろう。行かないわけがない。だから、今後はコジロウを経由して異次元宇宙からレイガンドーと岩龍の人格に深く 関わる情報を常時ダウンロードするように設定してくれ、とでも頼めばいい。もっとも、そんな小細工が出来るのは 佐々木つばめじゃなくて設楽道子だけどね。あいつも戻ってきているし、君の頼みを突っぱねるほど冷酷じゃない だろうさ。余程の問題がない限りはね」

「……そう、なんですか?」

 徐々に顔を上げた美月に凝視され、羽部はちょっと身を引いた。やりづらい。

「これは全てこの僕の仮定に過ぎないから、鵜呑みにすると馬鹿を見る。その通りになるとは限らないけど、それが 実行出来る可能性もなくはないってだけだ。だから、そんなにこの僕を見るな」

「ありがとうございます、おかげでちょっと元気出ました」

 ベッドに身を乗り出してきた美月に微笑まれ、羽部は顔をしかめた。ああ、面倒臭い。

「ああ、そう?」

「羽部さんっていい人ですね」

「馬鹿じゃないの?」

 死体を弄び、喰らうのが好きな輩が善良なものか。羽部は吐き捨てたが、美月は上機嫌だった。

「それでですね、羽部さん。全部終わったら、てか、ゴタゴタが一通り片付いたら、うちの会社に来ませんか?」

「はあ? この僕の専門は遺伝子工学なのであって、油臭いロボットなんかに近付きたくもないんだけど?」

「いえいえ、現場じゃなくて事務方です、事務方。社員もロボットファイターも数が増えてきたので、事務仕事も結構 多くなったんですよ。ですからね」

「お断りだよ。中学生に就職を斡旋されたくはないね」

「そうですか。でも、丁度良いと思ったんだけどなぁ。そうすれば」

 羽部さんともっと話が出来るのにな、と美月は寂しげに呟いた。鬱陶しい。心底苛々する。煩わしい。面倒臭い。 処理しきれない。手に負えない。羽部は温度の高い感情を持て余し、口角を歪めた。自覚するのが嫌だ。こういう 柔らかいものは自分とは最も縁遠いから、敢えて自分から拒絶していた。なのに、美月はそれを知ってか知らずか 羽部の心中に踏み込んでくる。シュユはこれを求めているのだ、と心の隅で認識する。荒れ狂うクテイを盲信的に 愛する佐々木長光と、祖父母に喰い物にされる佐々木つばめを見ているだけでは辛いから、レイガンドーを通じて 美月の柔らかさを喰らっているのだ。それを知っていたから、佐々木長光は吉岡りんねの姿で美月を陥れようと したのだ。シュユを追い詰め、遺産を全て奪い取るために。回りくどいが、周到だ。

「あのさあ」

「はい、今度はなんですか」

「他の男にそういうことしたら、大いに勘違いされてストーキングされて刺されて殺されるからね?」

「なんですか、それ。でも、大丈夫ですよ。レイもいるし、それに」

 美月は語気を濁し、その続きは言おうとしなかった。年相応に幼い横顔には羞恥が浮かび、羽部はまた苛立ちを 覚えた。嬉しいと認めてしまえ、と心中で誰かが囁くが、それを認めたら羽部は己を否定することになる。だから、 最後まで認めなかった。自分に対して好意を抱いてくれている少女に、生温い好意を抱いた事実を否定した。
 適当な用事を命じて美月を病室から追い出してから、羽部は点滴や計器を外し、ベッドから下りた。体は本調子とは 言い難いが、備前美野里の所業を見逃せなかった。だが、それは断じて正義感ではない。倫理観ですらない。単純に、 自分の好意をシュユとクテイのどちらにも喰われたくないと思ったからである。尻尾を振り上げて嵌め殺しの窓を叩き、 砕いてから、折り曲げた下半身を伸び切らせて跳躍し、空中に飛び出した。
 化け物に少女を好く資格はないが、紛い物の神に好意を喰われる理由もない。





 


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