機動駐在コジロウ




一を聞いてジャンクを知る



 裏切るということは、それだけの価値があると自負している証拠だ。
 自分にとっての味方側に損失をもたらし、寝返る先である敵側に利益をもたらす行為なのだから、それなりの価値 がなければ成立しない行為だ。だから、それ相応に自惚れていなければ、裏切ろうとは思わない。羽部鏡一が正に そういう性格で、自分が宇宙で最も重要で完璧で優秀だと思い込んでいたからこそ、フジワラ製薬にも弐天逸流にも 逆らおうとした。羽部は自分の利益を思い求めていたわけではなく、自分の価値を底上げするための箔を付ける ために裏切りを繰り返そうとしていたが、それが果たされる前に遺産争いが激化し、挙げ句の果てに羽部は美野里 にやられてしまった。彼は誰かを裏切れたのだろうか、裏切ったことで自分の価値を上げたのだろうか。
 だが、そんなことを気にしている暇はない。一乗寺は弾丸を込めたマガジンをハードボーラーに差し、チェンバー をスライドさせて初弾を装填させた。愛用していた拳銃ではないが、馴染み深い重量がある方が使いやすいので、 入手してもらった。それ以外のハンドガンや自動小銃、ナイフ、手榴弾などの一通りの装備を揃えてもらったので、 それらを身に付けていった。体中に武装を纏うと、女性化して細くなった骨格と筋肉に重みが加わるが決して不快 ではない。むしろ、自分の中で暴れる衝動を縛る枷が出来た、と喜ばしく思った。
 関東近郊の市街地に、備前美野里が潜伏しているとの情報があった。負傷したことで一層血に飢えた美野里は、 人間を喰らおうとするが、その度に偶然にしては出来すぎている事故が発生して妨げられてしまった。いくら怪人と 言えども、何度も何度も車やロボットに激突されては無傷では済まない。道中で奪い取った生肉などを食した様子は あったが、食い散らかした後のすぐ傍に嘔吐した痕跡があったので、L型アミノ酸の食品を消化吸収出来ないのは 相変わらずのようだった。ここまで弱り切っているのであれば常人が通常兵器で倒せるのでは、と思わないでも なかったが、政府側は美野里を倒すことよりも、一乗寺の能力を試したいようだった。
 そうでもなければ、ここまで周到に手回ししたりはしない。一乗寺は人払いの済んだオフィスビルから、美野里が 潜伏している民家を見下ろした。美野里がこの街に到達する前に、不発弾が見つかったとの名目で住民を排除して おいたので、民間人が美野里に捕食される心配はない。このビルを始めとした背の高い建物にはライフルを構えた スナイパーが配備され、地上には自衛隊の戦闘部隊が待機し、装甲車まで配置されている。民家を取り囲んでいる 迷彩服姿の男達を双眼鏡越しに眺めてから、一乗寺はハードボーラーを無造作に回した。

「あそこの家の人だけを残したのって、囮にするため?」

「平たく言えばそういうことになる。御立派な家に住んでいるが、生活保護の不正受給と脱税と云々、っつーろくでも ない家族が住んでいたから、政府も良心が痛まないのさ。大事の前の小事だ。これまでの前例を考慮して、あの家の 周りの監視カメラを全部潰して、車も一台残らず撤去したのも政府だ。監視網の空白地帯を作ったんだ」

「それって、みっちゃんに邪魔されないためだよね。どう考えても、今まで備前美野里を邪魔してきたのはみっちゃん だし、てか、それ以外に考えられないし」

「ああ、そうだ。設楽道子にどうにかされたら、手間掛けた作戦が台無しになっちまうからな。あの電脳女は、アマラ が手元にあろうがなかろうが関係なく出てこられるようだ。まるで幽霊だ」

「そっかー、みっちゃん、帰ってきたの。で、政府は何がしたいの?」

「ざっくりと言っちまえば、人外の性能テストだな」

 小夜子は一乗寺の見張りを命じられているのか、一乗寺を連行してからというもの、常に目に付く場所にいた。 社員が出払ったオフィスのデスクに腰掛けながら、小夜子は一乗寺の背中越しに街並みを見下ろす。

「今の今まで、うちの国は人外共に支えられていた。人間もどきもそうだが、サイボーグもシュユに頼っていたから こそ成立していたんだ。だが、それがどっちもダメになっちまったから、人口が目減りしたんだよ。ハルノネットと新免 工業のサイボーグが全員御陀仏なんだ、各方面で大打撃だ。あいつらがいてくれたから、生身の人間じゃ厳しい 原発の解体作業も進んでいたんだが、あいつらが死んじまったから作業は中断しちまったんだ。宇宙ステーション の建設とか月面基地の建設とかもだ。真っ当なサイボーグの社会的立場を保証する法律のせいでもあるが、連中 はロボットには出来ないが生身じゃきつい、って率先して仕事を引き受けてくれていたからな。警官ロボットと同型 のロボットを量産して後釜にするにしたって、一台一台の製造コストが馬鹿にならねぇし、ムジンと同レベルの演算 能力が備わってねぇと、どれだけ機体性能が良くても出来の良い等身大フィギュア止まりなんだ。だから、今までは ムリョウとムジンのネットワークを利用して警官ロボットの性能を底上げしていたってわけなのさ。だが、つばめが 遺産争いに辟易して、ムリョウっつーかコジロウを機能停止しちまったら、そうもいかなくなっちまう」

「でもさ、政府はアマラを押収したんでしょ?」

「まーな。でも、あれはどうやっても扱えなかった。設楽道子の電脳体が離れたせいなのかもしれねぇが、つばめの 生体組織をくっつけても、電気刺激を与えても、反応すらしなかった。アマラさえ使えれば、そこから引き摺り出した 情報やら演算能力やらでコジロウネットワークなしでも警官ロボットを操れただろうし、他にも色んなことが可能だった んだが、アマラが動かないんじゃどうしようもねぇ。っつーことで、イチに目を付けたわけだ」

「だけど、俺は遺産の産物であって遺産を扱えるわけじゃないよ。馬鹿じゃないの?」

「あたしもそう思うんだが、他の連中はそうは思わないみてーでさ」

 小夜子は天井に向けて煙を吐き出してから、フィルターを浅く噛んだ。

「で、つばめを飼い殺しにする計画もないわけじゃない。遺産を思い通りに動かしてもらう代わりに欲しいものを全部 やる、って感じらしいが、それが上手くいくわけがねぇよ」

「そりゃそうだよ。つばめちゃん、そういうのが一番嫌いだもん」

「だろ? ガキの頃から頭捻って要領良くして媚び売って、ぬいぐるみの腹の中に現金を詰めていた性格だからな。 旨い話に裏がある、ってことぐらい解っているさ。利益を得る分だけの弊害だって承知している。遺産を相続する時 にはお得意の損得勘定は鈍ったみてぇだが、まあ、解らんでもない。コジロウに惚れるなっていう方が無理だ」

 あたしだって一目惚れする、と小夜子ははにかんだ。

「だから、上の連中は本音を言えばつばめとコジロウを手に入れたいんだが、そうもいかないだろうってことでイチで 手を打とうと考えたんだよ。んで、シュユの肉体を掻っ払って、フジワラ製薬の研究員を抱き込んでいじり回させて、 行く行くは怪人未満人間以上の連中を量産しようって腹だ。その時に役立つのが、イチの体だ。人間と人外の違いを 炙り出すためのサンプルとしては最適だし、ともすればイチの生体組織を中和剤にして人間を改造出来るかもしれない からな。スーとの子供でも出来ていたら、それを英才教育するつもりなんだろうさ」

「胸糞悪ぅ」

 一乗寺が唇を尖らせると、小夜子は後頭部で手を組んで胸を反らした。

「ま、言ってしまえば家畜の品種改良みたいなもんだからな。イチは人間とそうでないもののハイブリットだからな、 利用価値を見出さない方がおかしい。藤原伊織は人間の腹を借りて生まれた化け物だが、借りただけだから、人間 の遺伝子はほとんど混じっていねぇし、この前のゴタゴタで吉岡りんねから分離した後は人間的な要素が一切合切 消えちまったから、サンプルにもなりはしねぇ。当てになりそうだった羽部鏡一は備前美野里に殺されたし、元怪人共 は綺麗さっぱり人間に戻ってやがるから、行き着く先はイチなんだよ。アソウギと怪人を扱うノウハウを熟知して いる藤原忠は、新免工業の神名円明が人間もどきにしてオモチャにしていたんだが、そいつも武蔵野のおっさんに 殺されちまったから手に入れようがなくなっちまったし」

「皆、忙しかったんだねー。てか、人外の戦力って、そこまでして欲しいものなの?」

「あたしもそれはちょっと疑問なんだが、まー、あるとないとじゃ大違いだしな。人間じゃないとかなり無理が利くって のもあるが、人権が無視出来るのが最大のポイントだ。怪人が死のうが生きようが誰も気にしないし、ヤバい薬を どれだけ打たれても文句も言えないし、爆弾括り付けられてテロリストの本部に送り込まれても逆らえないし、実験 って銘打てばどれだけ虐待しても裁判沙汰にもならないし、治安の悪い国で無茶な仕事をさせて死なせても、誰も 何も悲しまないし、責任も取らないで済むんだ。これ以上ない人材だよ」

「さよさよは、それでいいと思うの?」

「まさか。あたしは嫌いだよ、反吐が出るぐらいに」

 小夜子は苦々しげに吐き捨てた後、一乗寺を見やる。

「なんだったら、ここでトンズラしてもいいんだぞ。スーを確保してある車両のナンバーも教えてやる」

「そしたら、さよさよはどうなるの」

「間違いなく殺されちまうな。重要機密を知りまくりだし、イチとスーの関係も、遺産とそれを利用しようとしている 奴らの腹積もりも解っているから、ただでは済まんさ。でも、気に入らない仕事をするぐらいなら、別に良いかなー って思わんでもないんだ」

「なんで?」

「あたしには顧みるものがないってだけだ。男もいないし、家族もいないし。だから、思い切って生きたいだけだ」

「ふーん。さよさよは、俺のこと、特別だと思う?」

 小夜子の荒削りな優しさに、一乗寺はちょっと照れ臭さを感じつつも問うた。小夜子は少し考えた後、言った。

「いや、別に。そりゃー人格が根っこから破綻していて、価値観も倫理観も人間じゃなくて、生まれも育ちも普通とは 言い難いのがイチだが、それはそれだろ。スーにとっては特別かもしれんが、あたしにとってはそうじゃない。あたしの 特別はロボットだからな。愚問だ」

「だろうねぇ」

 小夜子のぶっきらぼうな答えに、一乗寺は無性に安堵した。普通の一端を担えるのかと思うと体中の力が抜けて しまいそうになる。そうだ、そうなのだ。特別になんてなりたくない、人智を越えた存在になんてなりたくない、特別で あればあるほど母親は殴ってくるからだ。ただでさえ脆弱だった弟は、弐天逸流とフジワラ製薬に散々弄ばれた末 に喰い殺された。特別だったからだ。特別という言葉は呪縛であり、呪詛だ。そんなものは、いらない。
 だから、誰かの特別になるのが怖い。特定の人間に好かれるのが怖い。怖いから、殺したくなる。それなのに、 その恐怖に抗って殺せば殺すほど特別になってしまう。犯罪者は普通ではないからだ。だから、普通の代名詞とも 言える公務員になれるならば、と政府に言われるがままに内閣情報調査室に入ったのだが、そこでも人間を殺せと 言われる。真っ当に仕事をこなせば普通になれるのでは、と戦い続けたが、普通とは程遠かった。当たり前の日常 が何なのかを根本的に知らないから、普通に至る道が解らない。それが解らないと、自分は未だに特別のままだ。 そして、その特別とは屑の代名詞だ。世間からはみ出したものを嘲笑する、侮蔑の言葉だ。

「男に戻っても、すーちゃん、俺のことを好きでいてくれるかな」

 飢えた獣そのものである美野里と戦えば、無傷で帰ってこられるわけがない。重傷を負えば今度こそ命を落として しまうか、再び性別が変わってしまう。一乗寺が懸念すると、小夜子は口籠もった。

「あー……まあ、大丈夫だろ、たぶん。あいつ、変だから」

「そっか、そうだよね」

 一乗寺は笑いを噛み殺し、窓際から離れた。作戦開始時刻が近いからだ。

「とりあえず、帰ってこいよ。手足が落ちたら拾ってやる」

 小夜子に見送られて、一乗寺は彼女に手を振り返してからオフィスを後にした。静まり返った廊下を歩きながら、 政府から支給された携帯電話を取り出した。つばめ達に連絡が取れるようにとアドレスを一通り入れてもらったが、 つばめには一乗寺の新しいアドレスを伝えていない。だから、メールを送ったところで不審がられるかもしれないが、 メールを送らずにはいられなかった。戦闘前に何らかのメッセージを残すのは女々しいし、死亡フラグを立てて しまうことになるから、いつもなら敢えて避けていた。それなのに、なんでもいいから残したいと思ってしまった のは、死にに行くつもりだからだろう。
 周防の特別でいたい。周防もろくでもない男だが、そうでもなければ一乗寺を好いたりはしないし、一乗寺も彼の 素の部分に惹かれたりはしない。けれど、一乗寺の中で周防が特別になればなるほど、一乗寺は周防を殺したくて どうしようもなくなる。だから、周防から離れるべきだ。堕落しきった日々の甘ったるさを噛み締めながら、一乗寺は オフィスビルを出た。手慰みに回していたハードボーラーのグリップを握り締め、引き金に指を掛ける。
 いつになく、戦意が湧いた。




 同時刻。
 座卓の隅に置いた携帯電話が鳴り、メールを受信したとの表示が現れた。つばめはそれが誰からのものなのか が気になったが、今、集中すべきはそちらではない。目の前にあるプリントだ。だが、ここしばらく勉強を疎かにして いたせいで、思うように問題が解けなかった。計算式や応用は以前に一乗寺から習っていたのだが、予習と復習を する時間がなくなってしまったので、習ったきりだった。だから、つばめは頭を抱えていた。

「もうちょっと、って感じなんですけどねー」

 教えたら意味ないですし、とプリントの端の書き損じを見て言ったのは、座卓の向かい側に座る道子である。女性 型アンドロイドに合うメイド服をどこからか調達して着ているので、最初に会った時と似たような格好になっている。 コジロウはつばめの背後で正座していて、授業の時間を計るタイマー代わりにされている。時計で充分ではないの だろうかと思わないでもなかったが、コジロウの視線があると勉強に気が入るので、これはこれで有益だ。
 勉強したいと言い出したのは他でもないつばめだ。だが、ここまで頭が鈍っているとは思わなかったので苦戦して いた。意味もなく目を動かしてみても、周囲に答えのヒントなどない。あるのは、年季の入った仏像と祭壇と卒塔婆と 位牌と大量の遺骨だ。それもそのはず、ここは寺坂の実家である浄法寺である。船島集落に戻ってきたはいいが、 自宅に戻れそうになかったので、近所で暮らして見張っておこう、ということになった。船島集落に最も近いドライブ インは吉岡文香の所有する店舗なので勝手に暮らすわけにもいかず、寺坂の実家である浄法寺に転がり込んだ。 玄関の合い鍵は道子が在処を知っていたので、コジロウが玄関の引き戸を破壊せずに済んだ。しかし、その後が 大変だった。寺坂が長年好き勝手に暮らしていたので住居も寺も荒れていて、散らかり放題だったので、それらを 一通り片付けて人間が暮らせる環境を整えるまで一週間は掛かってしまったのだ。その後も、道子が家事の合間に 時間を見つけては片付けていて、つばめもコジロウも手伝っているが、境内にゴミの山が増える一方である。

「残り時間は十七分だ」

 コジロウが冷淡に告げてきたので、つばめは言い返した。

「解っているってば。やっぱり、先生がいた方がやりやすいなぁ」

「一乗寺さんって、教えるのがそんなに御上手でしたっけ?」

 道子に不思議がられ、つばめはプリントの端をシャープペンシルで小突きながら答えた。

「先生の授業は上手っていうか、早いの。だから、それが割と面白かったんだよ」

「それはそれで結構ですけど、そのやり方だと追いつけなくなったら置いてけぼりじゃないですか、それ」

「まー、そりゃそうなんだけど。先生が楽しそうだったから」

 つばめは一乗寺の授業風景を思い出し、頬を緩めた。生徒が一人しかいないのに、一乗寺はいつでもやたらと テンションが高かった。隠れ蓑に過ぎない教師の仕事は退屈だの面倒だのと言っている割に、授業内容はみっちり と詰め込んできて、進行も早かった。寺坂と一緒でろくでもないことしかしないが、学校生活を全力で楽しんでいる姿 は妙に微笑ましかった。今にして思えば、一乗寺はつばめを通して青春をやり直そうと思っていたのかもしれない。 彼女の素性も真っ当ではないから、平凡な生活に憧れていたのでは、とも思う。

「先生、今頃、どこで何をしているのやら」

 つばめの独り言に、道子は目を瞬かせた。

「調べましょうか? 政府が追い掛けているみたいですから、それを辿ればシュパッと見つけられますよ」

「いいよ、プライベートだから。それに、また会った時に話を聞けばいいだけのことだから。武蔵野さんも、寺坂さんも、 先生も、お姉ちゃんも。本当にヤバそうな時だけ、教えてくれればいいから」

『僕もそれがいいと思うよ。で、問四なんだけど、そこは』

 座卓の隅に置かれたタンブラーの中で水に浸かっている高守が、携帯電話をタイピングした。

「教えちゃダメですってば。そりゃ、じれったいのは解りますけど」

 道子が高守を遮ると、高守はばつが悪そうに触手を曲げた。

『まあ、うん、そうだけど、退屈で』

「でしたら、今度、適当なロボットでも拾ってきましょうか? そうすれば、高守さんも家事が出来ますから」

 道子の提案に、高守は渋った。

『遠慮しておくよ。さすがに僕でも、ロボットを動かすのは難しいんだよ。土もそんなに合うわけじゃないし』

「じゃあ、何がいいんですか」

『シリコンかなぁ。シュユの肉体に近い植物があれば一番いいんだけど、それがある場所は、しばらく前に道子さん が吹っ飛ばしちゃったから手に入れようがなくなっちゃったし』

「船島集落に入ればクテイさんの影響を受けた植物が山盛りにありますけど、今は物理的に入れませんからねぇ」

 選り好みしますねぇ、と道子にぼやかれ、高守は細い触手をくねらせる。

『それは僕の責任じゃないよ。物質宇宙に適合していないニルヴァーニアンの責任だ』

「そろそろ買い出しに行かないと、冷蔵庫の中身が寂しくなっちゃいますね。近場のお店、開いていましたっけ?」

『一ヶ谷市内全域の避難勧告が命令に変わったから、さすがに難しいんじゃないかなぁ』

「そうなると、通販の配送もストップしちゃいますよね。保存が効くものは買い込んでありますけど、生鮮食品ばかり はそうもいきませんからねー」

『僕は水にD型アミノ酸のスポーツドリンクをちょっと垂らしてもらえばなんとかなるし、道子さんもバッテリーが充電 出来る環境があれば大丈夫だし、コジロウ君は言わずもがなだけど、御主人様がね』

 高守の触手の一本が向き、つばめはむっとした。

「普通の人間なんだから仕方ないじゃない。ナユタと一緒にコンガラは持ってきたけど、あれで複製した食べ物って ちっともおいしくないんだもん。それに、ちゃんとしたものを食べておかないと力が出ないじゃん」

「それは道理ですけど、改めて考えてみると人間って手間が掛かりますよね」

 道子に苦笑され、つばめは拗ねる。

「生き物なんだもん、仕方ないじゃない。当たり前のことを責められても困るんだけど」

「いえいえ別に、そんなつもりでは」

 道子は手を横に振り、はぐらかそうとした。脳を酷使したせいか、つばめは無性に甘いものが欲しくなった。

「なんか、甘ぁーいのが食べたいなぁー。カステラを牛乳に浸したのがいいなぁ」

「び……庶民的ですねー」

 道子が言い淀むと、つばめはへらっとする。

「いいの、事実だから。それに、こうも変な生活が続くと、そういう普通さが懐かしくなってくるから」

「あー、解ります。番組改編期の特番ラッシュが終わって帯番組が復活すると、なんだか落ち着きますもんね」

 つばめの言葉に道子が同意していると、廊下に面した障子戸が閉じた。何事かと皆が振り返ると、仏間の隅から コジロウの姿が消えていた。パトロールにでも出たのだろうか。だが、今は授業中だ。真面目を絵に描いて額縁 を付けて床の間に飾ってあるかのようなコジロウの性分からすれば信じがたいが、非常事態が続いていることを考慮 すれば理解出来なくもない。だが、警官ロボット型のタイマーがいなくなったからといって授業が中断するわけでも ないので、つばめは再びプリントと向き合った。だが、いくら考えても考えても、答えが解らなかった。
 こんな時、管理者権限なんて何の役にも立たない。





 


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