機動駐在コジロウ




後悔、サーキットに立たず



 長孝は触手を動かし、岩龍が備えていたムジンを調整しながら語り始めた。
 三年前。その頃は、コジロウはパンダのコジロウでしかなく、小学五年生になったつばめと穏やかな日々を共に 過ごしていた。パンダのぬいぐるみの中に隠されているムリョウは、つばめの感情の機微を受け取りながら動力を 充填しつつあった。幼いつばめとコジロウの関係も極めて良好で、つばめは喋って動くパンダのぬいぐるみをとても 可愛がっていた。備前家の家庭環境も落ち着いていたので、このままムリョウにつばめの感情を充填していけば、 つばめが十六歳を迎える頃合いにはムリョウをフルパワーで再起動出来るはずだった。その膨大なエネルギーを 利用してフカセツテンを起動させれば、ニルヴァーニアンと遺産を異次元宇宙に旅立たせられる予定だった。クテイ はそのために、ムリョウとムリョウのリミッターを兼ねたムジンを長孝に譲渡していた。だが、異変が起きた。
 つばめに初潮が訪れた。それ自体は人間の肉体的な成長の範疇であり、いずれ訪れることではあったのだが、 それと同時期につばめの精神状態が大いに変動した。素直で利発な少女だったつばめは、金に対する執着を露わ にするようになった。小遣いをもらっても必要最低限しか使わず、小銭を掻き集めて溜め込み、自分の名義で預金 通帳を作って貯金するようになり、現金の束も手元に置くようになった。いつしか、つばめの行動理念の中心は金に なり、人の顔色を窺って振る舞うようになった。打算的で現実的な子供になった。

「それが、コジロウには耐え難かったんだ」

 長孝はペンチで挟んでバーナーで炙っていた工業用カッターを青い炎から下げ、少し冷ましてから、触手に添えて 引いた。赤黒い粘液が岩龍のムジンの上に滴ると、三角形の集積回路は青白い光を帯びた。

「それだけの理由で、感情を切り捨てるのか?」

 小倉は長孝の傷口から目を逸らしながらも、ペンチで岩龍のムジンを剥がした。呆れるほど容易く、分離した。

「小倉だって、身に覚えがあるだろう。直美さんのことだ」

 長孝が指摘すると、小倉は渋面を作りながら、長孝の体液に汚れたムジンを水に浸して洗った。

「ああ、そうだな。そうだよ。俺は直美に心底惚れていた。直美は少し打たれ弱いが、それは俺が支えてやればいい と思って結婚した。会社が上手くいかなくても、愚痴も零さずに一緒にいてくれた。お前みたいに抜きん出た性能の 機械を設計出来ないからって苛ついていても、八つ当たりしても、直美は俺を見限らなかった」

 だがな、と声を詰まらせ、小倉は額を押さえる。

「俺は、直美が独身の頃から弐天逸流にどっぷり浸っていたと知っただけで、あいつの全部が嫌になった。何もかも うんざりして、鬱陶しくて、家に帰るのが馬鹿馬鹿しくなった。俺が死に物狂いで稼いできた金が変な宗教に流れて いくのかと思うと腹が立ってどうしようもなくなって、家に金を入れなくなった。美月と会うのも気まずくて、俺は朝から 晩まで会社にいるようになった。……ああ、馬鹿だよ、俺は馬鹿だ」

 小倉は体を折り曲げ、唇を歪める。

「一度でもいいから、ちゃんと向き合ってやるべきだったんだ。突き放せば突き放すほど、直美は弐天逸流にもっと のめり込んでいくんだから。そうなれば、美月だっていずれ引き摺り込まれると解っていたのに。それなのに俺は、 レイガンドーを改造して、天王山に通い詰めて、お前と腕を競うようになった。レイガンドーと岩龍を戦わせている間 は、嫌なことを考えずに済むからだ。ああそうだ、俺が弱い、俺はタカよりもずっと弱いんだ」

 色褪せた作業着を着た背中が引きつり、押し殺した呻きが漏れた。

「直美さんのことは、まだ間に合う。あの人は生きているからだ」

 そうだろう、と長孝が小夜子に話を振ると、岩龍が横たわっている作業台に立っていた小夜子は答えた。

「ええ、まあ。弐天逸流から放逐された信者の居場所は洗い出してあるんで、社長の嫁さんも見つかっていますよ。 なんだったら、嫁さんを収容する予定の療養所の場所も教えますよ。その辺の手回しはこれからなんで」

「本当か?」

 小倉が顔を上げると、小夜子は軍手を付けた手で握ったスパナを回した。

「あたしが嘘を吐くメリットがどこにあると思うんすか。遺産絡みのゴタゴタの関係者は大多数が無事じゃないから、 証言を引っ張り出せる可能性がある生存者は丁重に扱いますって。だから、嫁さんに会ってやって下さいよ。RECも 大事ですけど、家族はもっと大事ですからね」

 やべぇクセェこと言っちまった、とぼやき、小夜子は小倉に背を向けた。

「要するに、コジロウは成長したつばめを嫌いたくなかった。幼いつばめに寄り添って暮らしていくためには不可欠 だった感情も、思春期に片足を突っ込んで感情の振り幅が大きくなってきた相手と接する際には枷になるんだ」

 長孝は岩龍の回路ボックスを開けたが、レイガンドーの渾身の打撃で全ての基盤が粉々に砕けていた。

「遠からず、つばめは大人になる。美月さんも大人になる。だが、彼らは違う。経験と情報をどれだけ積み重ねても、 決して成長出来ない。だから、苦しんでしまうんだ」

「そういうお前は、どうなんだ」

 長い間を置いてから小倉が問うと、長孝は基盤の破片をペンチで摘み上げ、眉間に当たる部分を顰めた。

「ニルヴァーニアンに成長という概念はない。当の昔に捨て去った。新規の個体が誕生しても、その精神体も肉体も 生まれながらにして完成している。俺もそうだ。言ってしまえば母さんの分身だ。俺という個人が存在していると思う のは勝手だが、そんなものは幻想だ。佐々木長孝という個体識別名称があり、それで呼ばれているから、俺は俺の 自我を保っているように見えるが、そんなことはない。俺は母さんの分身だ」

「だったら、つばめちゃんのこともそう思うんすか?」

 小夜子の言葉に、長孝は首を横に振る。

「いや、あの子は違う。俺とも違うし、ひばりとも違う。だから、俺と関わるべきじゃない」

「会ってやれよ。俺も、美月と会ってちゃんと話したから、今があるんだ。一度は親らしいことをしてみろ」

 俺が言えた義理じゃないが、と付け加えてから、小倉は洗浄したムジンから水分を拭い去った。その言葉に長孝 は心中がぐらつきかけたが、制した。本心で言えば、娘に会いたい。生物学的にどうなのかは怪しいが、戸籍の上 では長孝はつばめの父親だ。だが、人格が根本から歪んでいる長光がクテイに歪曲した愛情を注ぐ様を見てきた ためなのか、父親としてどう振る舞うべきなのかが解らなかった。その上、長孝がひばりを手放してしまったから、 ひばりは生まれたばかりのつばめを奪われた末に自死した。あの時ああしていれば、という後悔が常に付き纏い、 それ故に新たに行動に出られない。変わることに怯えるならば、変わらなければ良いだけのことだ。
 今、やるべきことは後悔ではない。岩龍を即席で組み上げて再起動させ、レイガンドーに対処出来る戦力を完成 させなければならない。美月を攫っていったレイガンドーの精神状態は極めて不安定で、芽生えたばかりの自我に 過度な刺激を与えれば、レイガンドーは極端な行動に出る可能性がある。政府の人間が早々に手を回しておいて くれたおかげで、レイガンドーの行き先は特定出来ていて、車両による追尾も行っているが、美月の安全を考慮して 制圧は行っていない。放っておけばレイガンドーのバッテリーは半日で切れるが、その隙を待っている間に佐々木 長光が現れてレイガンドーのムジンを奪っていったら、取り返しが付かなくなる。宮元製作所での一戦で、美野里の 肉体を借りている佐々木長孝は大ダメージを受けていたが、政府に回収される前に逃亡しているからだ。
 今度こそ、先手を打たなければならない。だが、社員達にも動揺が広がっている影響で、岩龍の組み立て作業は 思うように進まなかった。かといって、他に戦力になるものはいない。岩龍以外に、レイガンドーに立ち向かえる実力 を持ったロボットは存在しない。量産型の警官ロボットでは相手にならないし、コジロウを呼ぶにしても遠すぎる。

「あのぉ」

 作業場の出入り口が翳り、他の誰でもない声がした。何事かと振り向いた者達は、長孝と小夜子を除いた全員が 硬直した。それもそのはず、全長三メートル近い化け物が立っていたからだ。凹凸のない顔に青白い光を放つ光輪 を背負い、両手足から触手をうねらせている異形。シュユだった。

「起きていて大丈夫なのか」

 ざわつく社員達を横目に長孝がシュユに近付くと、シュユは腰を曲げて長孝と目線を合わせた。

「さっきから僕の意識にノイズが走って、どうにも寝付けないから起きちゃったんだ。体中はまだ痛いし、内臓も大半 が崩れているけど、その辺はまあどうにでもなるから。それで、タカさん、ノイズの原因って岩龍?」

 やけにフランクな口調のシュユは、人間にも聞こえる音声を発しながら、触手を曲げてムジンを差した。

「いや、岩龍じゃない。原因はレイガンドーだ。彼は自我に目覚め、美月さんを攫っていってしまった。だから、岩龍を 再起動させるために作業を急いでいる。都合が良ければ、触手を貸してくれないか」

 長孝が返すと、シュユは触手を一本伸ばし、顎に当たる部分をさすった。

「ああ、そうか。道理でざらざらしたものが流れ込んでくるわけだ。だけど、岩龍を再起動させるのはちょっと難しい かな。レイガンドーは起動したままだったから異次元宇宙との接続が切れても意識を保てているけど、岩龍は一旦 シャットダウンしちゃったから、再起動して再接続させて人格を記憶をダウンロードするには時間が掛かっちゃうよ。 手っ取り早い方法は、僕を乗せてきたトレーラーを警護している量産型の警官ロボットにムジンを載せて岩龍以外 の意識をダウンロードさせることだね。そうすれば、一応戦力は作れるけど」

「そうか。だが、それは誰の意識だ」

 長孝に訝られ、シュユは数本の触手で厚い胸板を示した。美野里に襲われた際の、生々しい傷が残っている。

「羽部君だよ。彼の肉体は滅んだけど、意識は異次元宇宙に飛ばされる寸前に物質宇宙に止められたから、まだ 僕の中にいるんだ。それに、羽部君は美月さんに会いたがっているからね」

 ちょっと借りるよ、とシュユは触手の尖端でムジンを取り上げ、触手をくねらせながらトレーラーに戻っていった。 警官ロボットを流用するのは法律に抵触するのではないだろうか、と長孝は不安に駆られたが、あたしは知らねぇ からな、何も見ていないからな、と小夜子は顔を背けながら笑いを噛み殺していた。
 短時間で警官ロボットの改造を終えたシュユは、警官ロボットを伴って作業場に戻ってきた。姿勢制御プログラム に従った余裕のない歩き方ではない、重心と確信が据わった歩調だった。腰を微妙に曲げたポーズで立ち止まり、 腕を組んでからぐるりと頭を巡らせる。いかにも、自尊心の固まりで斜に構えた若者といった具合だった。

「状況は今一つ解らないけど、叩き起こされたからにはそれ相応の仕事をしてあげようじゃないか。この僕がだ」

 電子合成音声も調整してあるのか、警官ロボットは生前の羽部鏡一の声に酷似した声色で喋った。がしゃりと 両脛からタイヤを出してコンクリートの床に噛ませ、軽くタイヤを転がして慣らしてから、長孝達に向いた。

「だけど、この素晴らしすぎて死んでも尚放っておかれないレベルで優秀すぎる僕を頼ったからには、どうなっても 文句を言わないでくれる? レイガンドーを無傷で返す気はないし、この体には不慣れだからあの子を助けられる 保証はないんだからね。あったとしても、この僕は報酬も成しに働く気は更々ない。ただ、今回だけは特別の中の 特別というだけなんだから。散り様としてはこの上なく格好良く引き下がったけど、あれじゃいくらなんでもこの僕も 消化不良なんだよ。どうせ三度目はないんだ。だから、気分良く死ぬために心残りを晴らしてくるだけさ」

 羽部は早口で持論を述べていたが、レイガンドーの現在位置をシュユから教えられるや否や、発進した。コジロウ のそれとは若干力加減の違うスキール音が遠ざかっていき、白と黒の姿も程なくして見えなくなった。羽部が本当に 頼りになるかどうかは疑問だが、何も手を打たないよりはマシだ。
 だが、岩龍のムジンを搭載した警官ロボットが発進したからといって、事態が解決したわけでもなければ仕事が 片付いたわけでもない。長孝はシュユに礼を言ってから、岩龍の組み上げ作業に戻った。忙しなく触手を動かして 社員達にも指示を送りながら、ふと違和感に駆られた。シュユとはこういう性格だっただろうか。異種族故に人間を 軽視していたような記憶があるのだが、その記憶はあまりにも希薄で、先入観とすら呼べないほどの浅さだった。 程なくして、シュユは最初からこういう性格だったのだ、と長孝は納得した。すると、先程の違和感が綺麗に消失し、 水を嚥下するかのように淀みなく認識した。シュユとは、異様に手先が器用で素朴な性格の男なのだ、と。
 冷たく湿った風が吹き始め、間もなく雨が降り出した。




 左腕を振りかぶり、腰を入れてストレートを放つ。
 雷鳴にも勝る凄まじい打撃音が轟き、シャッターが吹き飛んだ。濛々と立ちこめる土埃を払ってから中に踏み込む と、年季の入った農耕機が並んでいた。稲の収穫が終わって久しいので、トラクターやコンバインや耕耘機は綺麗 に洗浄されていた。収穫されて間もない籾を詰めた袋が積み重なり、奥には見上げるほど大きな乾燥機があった。 レイガンドーが殴り飛ばしたシャッターは乾燥機に突っ込んでいて、握り潰した紙屑のようにひしゃげていた。
 レイガンドーに続き、美月が中に入ってきた。急に降り出した雨に濡れてしまい、水を含んだ髪が顔に貼り付いて いた。作業着の背中は色が変わるほど濡れていて、体温を奪われたのか、美月はしきりに二の腕をさすっていた。 薄暗く埃っぽい室内を見回し、電源を探したが、一般的なアンペアの低いコンセントしか見当たらなかった。これでは、 レイガンドーのバッテリーを充電出来るほどの電圧は得られない。バッテリーの残量は三分の一を切っていた が、機体のそこかしこに溜まった水気を払っておかなければ今後の動作に差し障りが出てしまうので、レイガンドー は機体の内部温度を高めて強引に乾燥させた。

「どうしよう、どうしよう、どうしよう」

 美月は二の腕をさすりながらへたり込み、同じ言葉を繰り返す。その姿は、父親がロボット賭博に入れ込んでいると 知った時と同じだった。レイガンドーは美月の背後に膝を付き、左手を差し伸べる。

「大丈夫だ。俺は美月の味方だ」

「そうじゃない、そうじゃないよ。レイ、自分が何をしたのか解っているの?」

 額に貼り付いた前髪を掻き上げ、レイガンドーを見上げてきた美月の眼差しは、不安と困惑に揺れていた。

「お願い、今すぐ戻って。私の命令を聞いて」

「その必要はないさ。美月だって、俺がいなくなるのが嫌だったんだろう?」

 腰を曲げ、余熱の残るマスクフェイスを美月に寄せる。美月は顔を覆い、項垂れる。

「うん。だけど、私、自分の我が侭で色んな人に迷惑を掛けたくない。私がレイと別れたくないって言ったら、きっと、 つっぴーや色んな人が大変な目に遭う。コジロウ君が強くならなきゃ、またひどいことになる。だから、だから」

 指の間からぼたぼたと涙を落としながら、美月は精一杯の意地を張っていた。ここでもコジロウなのか。目の前に レイガンドーがいるのに、なぜコジロウと同一視する。そう思うと、欲して止まない美月にも少し苛立ちが湧く。

「だったら、無理をすることはない。今まで通り、ずっと一緒にいよう」

 レイガンドーは美月の背中に左手を添えると、美月は冷え切ったコンクリートに突っ伏した。

「うぅ、ぁ……」

 理性と感情の板挟みによる苦悩を零し、美月は何度もしゃくり上げた。そんなに辛いなら、感情に従ってしまえば いいものを。だから、レイガンドーは己の衝動に従って美月を手に入れた。おかげで、今はとてつもなく清々しい気分 に浸れている。当の美月は迷っているようだが、レイガンドーと濃密な時間を共有すれば、いずれ感情に従った 方が楽だと気付いてくれるだろう。
 美月の上擦った嗚咽と強まった雨音と、レイガンドーの駆動音が手狭な作業場に反響する。外界は薄暗く、両者 の心中と似通っていた。ごめんなさい、でも、やっぱり、と自問自答を繰り返しながら、美月は小さな背中を小刻みに 震わせている。レイガンドーは美月の傍に腰を下ろし、主を見守った。今の美月の心中にはレイガンドーしかいない のだと思うと、幾ばくかの優越感を覚えた。些細なことではあるが、羽部に勝てたのだ。
 
「どうしたらいいのか、解らない」

 ひとしきり泣いて少しだけ落ち着きを取り戻した美月は、上体を起こし、濡れた袖で濡れた頬を拭った。

「レイは、どうしたいの。私を連れ出しても、どうせすぐに見つかって連れ戻されちゃう。左腕だけじゃ、いくらレイでも 頑張れないよ。調整だって終わっていなかったんだからコンディションも万全じゃないし、バッテリー残量も大したこと ないよ。それなのに、なんでこんなことをしたの? 皆、困っているよ。お父さんだって、きっと怒る」

「美月はどうしたい」

「だから、それが解らないの!」

 頭を大きく振った美月は、歯を食い縛り、涙を溜めた目でレイガンドーを見上げる。

「私だって、私だって、本当は我が侭を言いたい! つっぴーとコジロウ君みたいに、レイといつも一緒にいたい!  でも、レイは私だけのものじゃない! RECのトップファイターで、皆のスーパースターで、ヒーローで、もう私だけの お兄ちゃんじゃない! ムジンをコジロウ君の中に戻さなきゃならない! でも、でも、でも!」

 レイガンドーの膝に縋り付いた美月は、滂沱しながら喚き散らす。

「もう嫌だぁ! お父さんは帰ってきたけどお母さんは帰ってこない! 羽部さんだっていなくなった! つっぴーは どんどん遠くなっちゃう! りんちゃんは私の知らないりんちゃんになっちゃった! レイまでいなくなるのは絶対に 嫌だ! 嫌なんだぁあああああああああっ!」

 力のない拳でレイガンドーの外装を殴りながら、美月は腹の底から叫んだ。全身でレイガンドーを欲している彼女 を見下ろし、レイガンドーは回路を走る電流が強烈に高ぶった。人間で言えば総毛立ったようなものだ。そう、これを 求めていた。美月ありきのレイガンドーであり、レイガンドーありきの美月だ。
 泣きじゃくる少女を手中に収め、抱き寄せる。駆動熱の滲む胸部装甲に添えると、美月は全力でレイガンドーの 青い外装に寄り掛かってきた。怒濤のような達成感と幸福感が広がって、バッテリーの電圧が上下する。涙で顔を べたべたに濡らした美月に、レイガンドーはマスクを近付ける。美月は袖で何度も顔を拭ってから、レイガンドーの マスクに顔を擦り寄せてきた。飼い主が愛犬と交わす愛情表現に近い行為を経て、雨に濡れたマスクと涙に濡れた 唇が近付き、弱く接した。詰めていた息を緩めながら身を引いた美月は、頬を紅潮させて俯く。

「嫌なんだ……」

「ああ、俺もだ」

 レイガンドーは左手を曲げ、美月の背中を出来る限り優しく包む。が、センサーが別の機体が急速接近している と知らせてきたので、レイガンドーはすぐさま美月を下ろして立ち上がった。道路に溜まった雨水を蹴散らしながら 作業場に迫ってきたのは、白と黒の塗装を持った警官ロボットだった。レイガンドーが雨の中に踏み出すと、それは フィギュアスケートのように一回転してからブレーキを掛け、タイヤを止めた。

「やあ」

 伏せた上体を起こしながら、警官ロボットは声を掛けてきた。その口調と声色は、レイガンドーと美月の知る警官 ロボットからは逸脱していた。薄暗い世界で一際目立つ赤いパトライトを輝かせながら、彼は首を曲げる。

「しけ込んでいるところを悪いけど、さっさと片付けさせてくれる? この機体のスペックを色々と調べてみたけど、 たった十五キロを時速百二十キロで移動しただけでもうバッテリーが半分近く減っちゃってね。これ、長距離移動用 にセッティングされていないね。この完璧という言葉が自ら這い蹲ってくるほど完成された僕には相応しくないね」
 
 この態度、この口調、この姿勢は。レイガンドーは左手が軋むほど強く握り締め、身構えた。

「羽部」

「……え?」

 美月は呆気に取られ、警官ロボットを注視した。

「でも、羽部さんは、今」

「情けないから何があったかは話さないけど、平たく言えば死んだんだよ、この僕は。だから、残留思念を拾われて ムジンに押し込められて今に至る、ってわけさ。この僕がタダ働きだなんて未来永劫許されざる大罪ではあるけど、 今回は偶然にも利害が一致している。だから、レイガンドー、この僕が特別にお前を壊しに来てやった」

 警官ロボットに意識を宿している羽部は、指を曲げて挑発する。レイガンドーは、関節から蒸気を噴出する。

「岩龍はどうした」

「その岩龍が今は起きられないから、この僕が代理ってわけ。それぐらいのこと、ムジンの演算能力があれば予測 出来るだろうに。ああ、それとね、美月」

 羽部に不意打ちで名前を呼ばれ、美月は佇まいを直した。

「あ、は、はいっ!?」

「この僕が十年分若くて、この僕がもう少し凡人に近い精神と性癖を持っていて、この僕がほんの少しだけ他人に 対して心を開ける度胸を備えていたら、死ぬ前に面と向かってこう言ってやっていたさ」

 少しは君が好きだった。雨音に紛れるほどの弱い声量ではあったが、その言葉はレイガンドーはもちろん美月の耳 にも届いていた。余程思い掛けないことだったのだろう、美月は驚きを通り越して呆然としていた。

「だから、この人生経験値が低すぎてRPGの序盤のクエストすらクリア出来ない馬鹿なロボットに、この僕が特別に 教えてやろうじゃないか! 身の程ってやつをね!」

 濁った雨水を蹴り上げ、警官ロボットが駆け出した。同時にレイガンドーも身を躍らせ、距離を詰める。美月から 制止する声が投げ掛けられたが、それを認識しなかったことにして、レイガンドーは思い切り左の拳を振り抜いた。 最初の一撃は通じず、遙かに敏捷な警官ロボットはレイガンドーの重たい打撃を軽やかに回避した。そればかりか レイガンドーの懐に滑り込み、鮮やかなアッパーカットを放った。
 豪快な金属音が、雨音を引き裂いた。





 


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