機動駐在コジロウ




情けは人のターミナル



 今から戻る、夜には一ヶ谷に着く。
 未送信のままだったメールを開いた武蔵野は、戻る、を、帰る、に書き換えようとしたが、思い止まった。さすが に図々しすぎるからだ。結局、最初に書いた時のままの文面でメールを送信してから、武蔵野は携帯電話をトレンチ コートのポケットに入れ、武器を満載したトランクを引き摺っていった。東京駅のリニア新幹線の改札口は、いつもと なんら変わらずに人々がごった返していた。
 お土産物を売る売店が気になったが、つばめの好みが解らないので何を買えばいいのか解らず、何も買わずに 売り子の前を素通りした。少し前まではサイボーグの警察官が警備に当たっていたのだが、改札口の内側に立って いるのは人間の警察官と警官ロボットだった。彼らは二十五番線ホームに向かう武蔵野を注視してきたが、事前に 話が通っているのだろう、コートの内側に付けたホルスターに拳銃を差していても咎めてこなかった。エスカレーター に乗ってホームに出ると、二十五番線には既にリニア新幹線が停車していた。
 青と銀色に塗られた車両のドア付近に設置された電光掲示板に行き先が表示され、臨時便・一ヶ谷行、とあった。 更に、貸切、とも。同じホームに面している二十六番線では、長野方面行きのリニア新幹線に乗り込ために乗客達 がずらりと並んでいたが、一ヶ谷行は武蔵野以外は誰も近付こうともしなかった。事前に政府の人間から渡された 特急券と切符で発車時間を確かめると、十数分後に迫っていたので、武蔵野は手近な車両に乗り込んだ。
 がらんとした車内には、武蔵野の他には乗客はいなかった。暖房が効いているので裾の長い黒のトレンチコート を脱いで網棚に載せ、トランクのキャスターをロックしてから、手近な座席に腰を沈めた。それから十数分後、リニア 新幹線は定刻通りに淀みなく発進した。

「俺の雇い主は?」

 使い慣れたブレン・テンを脇のホルスターから抜き、黒光りする銃身に己の顔を映す。今の主はつばめだ。

「俺の目的は?」

 拳銃の重みを確かめながら、銃口を掲げる。つばめをひばりの墓に連れていくことだ。

「俺が戦う理由は?」

 照準に照星を入れ、義眼の右目で凝視する。自分の積み重ねた時間と経験を、否定しないためだ。

「よし」

 自問自答の後、武蔵野はブレン・テンをホルスターに戻した。我ながら格好を付けすぎた決意表明ではあったが、 今一度覚悟が据わった。つばめのためであり、ひばりのためでもあるが、武蔵野自身を守るために銃を取る。単純 すぎるかもしれないが、こういうことは解りやすい方がいい。
 思い返してみれば、武蔵野という人間は自分をあまり省みずに生きてきた。自分に価値を見出せないあまりに、 消耗品になればいいと諦観して戦場に身を投じた。ひばりと出会い、接してからは少しは考えを改めたが、それでも ひばりのためという大義名分がなければ自尊心を支えられなかった。だが、つばめと出会い、ひばりが生き抜いた 証を目の当たりにしていて目が覚めた。佐々木ひばりは武蔵野には掛け替えのない女性ではあるが、それ以前に 佐々木長孝の妻であり、佐々木つばめの母であり、武蔵野とは全く別の家庭を見据えて生きていたのだ。だから、 武蔵野が交われる部分は一切なく、入り込む隙もない。
 だから、ひばりを自己肯定の材料に使うのは止めにしよう。そんなことを続けていても、ひばりが報われるどころ か、つばめまで不幸にしてしまいかねないからだ。それに、佐々木長孝に疎まれる。最悪、憎まれる。そんなことは ひばりも望んでいないだろうし、無用な争いも起こしたくない。だから、武蔵野は全てを腹の内に収めた。
 リニア新幹線は大宮に到着し、しばらく停車した。それから数分後に発車すると、どかどかと荒い足音がどこからか 近付いてきた。車掌にしては行儀が悪く、車内販売にしてはワイルドなので、武蔵野は拳銃に右手を添えて接近 しつつある音源に目を向けた。自動ドアが開くと、冬服を着た長身の女が駆け込んできた。

「きゃっほー! しーんかんせぇーんっ!」

 キャスターを鳴らしながらキャリーバッグを引き摺ってやってきたのは、一乗寺昇だった。

「お」

 お前、と言いかけた武蔵野に、女物の服を着て着飾っている一乗寺は明るく声を掛けてきた。

「ねえねえ、これって旅行でしょ? でしょ? だってさ、新幹線だよ? 新幹線に乗るのは旅行に行く時だよね?」

「ちったぁ切符の値は張るが、普通の電車と同じだ。そんなに特別なものじゃない」

 武蔵野が半笑いになると、一乗寺はやけに重たそうなキャリーバッグを置いてから、武蔵野の正面にある座席を 半回転させて向かい合わせにした。そして、その座席に勢い良く腰掛けた。

「えぇー、そうなの? つまんなーい」

「足を組むな。お前の下半身なんざ見たくもない」

 武蔵野は気まずくなり、目を逸らした。一乗寺が着ているのはミニ丈の白いニットワンピースで、その上にボルドーの ポンチョを羽織っていた。が、暖房で暑くなったのか早々に脱いだので、ニット地を丸く押し上げている立派な胸が やたらと目に付いた。身長に見合った長さの足は両サイドにアーガイル柄が入った黒のタイツに包まれ、ヒールの 高い編み上げブーツも履いている。少し前までは服装は男っぽかったのだが、すっかり女性らしくなった。

「可愛い? 色っぽい? 似合う?」

 自慢げに笑った一乗寺は片足を上げてみせたので、武蔵野は上体を捻って目を逸らした。

「はしたない! 足を降ろせ!」

「なんだよ、そのおっさん臭いリアクション。かぁーわぁーいぃーいぃー、って語尾上げて褒めてよぉ」

 一乗寺はむくれながら足を下ろしたので、武蔵野は毒突いた。

「そんな言葉、死んでも言わん」

「あのね、この服、すーちゃんが買ってくれたの。お店のお姉さんと相談して、一番似合うのを買ってもらったんだ」

「よかったな。そうか、お前はあいつと一緒だったのか」

 武蔵野はぞんざいに返し、窓を見た。車窓から見える山々は紅葉が終わりかけていて、色合いが鈍い。

「うん、そうなんだー。でね、半月ぐらいヤリまくってたの」

 恥じらいの欠片もないストレートな物言いに、武蔵野は呆れすぎて笑ってしまった。

「盛りすぎだ」

「でも、あれってちょっと飽きるね。ブッ飛ぶぐらい気持ちいいけど、そればっかりってわけにもいかないし」

 一乗寺はキャリーバッグを開け、飲みかけのペットボトルを取り出して呷った。

「だけど、楽しかった。生きているって感じがした。すーちゃんと一緒にいると、なんだか体が暖まる気がした。でも、 政府も見逃してくれないから、俺とすーちゃんがイチャイチャしまくっていたアパートに踏み込まれて、俺はまた仕事に 駆り出されて備前美野里と戦ったけど、よっちゃんに邪魔されて、変なことをされて、俺はおかしくなっちゃった」

 ペットボトルの底に僅かに残ったミルクティーを振りながら、一乗寺は目を伏せた。

「戦うのが辛いんだ。苦しいんだ。痛いんだ。だから、最後の最後で仕事を放り出して泣いちゃって、戦えなくなって、 備前美野里もよっちゃんも取り逃がしちゃった。俺は自分がどういうふうに使われていたかは解っていたから、人間 臭さなんて求められていないって知っていたから、すーちゃんに殺されるんだろうなって思った。銃を向けられたし。 でも、そしたら、すーちゃんは俺を撃たなかった。それどころか、抱っこしてくれたんだ。変だよね、だって、俺は人間 じゃないんだ。男でも女でもないんだ。戸籍もないから、結婚も出来ないんだよ。それなのに、すーちゃんは俺のこと を殺さないでくれたばかりか、政府の偉い人に一杯文句を言って、俺を生かそうとしてくれたの。だから、また仕事を もらっちゃったんだ」

「その仕事のために、一ヶ谷に帰るのか」

「うん。俺ね、つばめちゃんの暗殺をしろって命令されたんだ。引き受けないとその場で殺されちゃいそうだったし、 すーちゃんも殺されちゃいそうだったから、引き受けたんだ」

 ペットボトルをぐしゃりと握り潰した一乗寺は、笑顔を曇らせた。

「これでも限界まで譲歩したんだってさ。でも、俺以外の誰かが向かったら色んな意味で拙いから、俺が行くの」

「周防はどうしている」

「内閣情報調査室の人間の二三割が人間もどきだったせいで、動ける人間が減っちゃったから、すーちゃんはまた 元の籍に戻って任務に回されるってさ。他の連中が遺産絡みの仕事を引き受けようとしないからでもあるんだけど。 でね、すーちゃん、泣いてくれたんだ。俺とつばめちゃんのために。本当に変な奴だよ」

 だから好きなんだけどさ、とはにかんだ一乗寺の面差しに、狂気の片鱗は窺えなかった。一乗寺の心身の異変 についての情報も、政府を通じて武蔵野の元に伝わってきていたが、ここまで変わっているとは思っていなかった。 生まれ持った性格が極端なので、真人間には程遠いかもしれないが、遺産を巡る戦いが収束すれば彼女は平穏な 人生を送れるだろう。周防は歪んだ男だが、その歪みがなければ、芯が曲がっている一乗寺には添えない。
 続いて、熊谷に停車した。自動ドアが開くと、一人の少女が乗り込んできた。年相応のファッションに身を包んだ、 小倉美月だった。ハーフ丈のベージュのダッフルコートにデニムのショートパンツを履き、その下に青いカラータイツ を履いている。彼女もまたキャリーバッグを引き摺っていたが、見るからに重たそうなので、武蔵野は手助けした。

「ちょっと貸せ、運んで」

 やるよ、と持ち上げようとして、武蔵野はぎょっとした。少女の腕力では到底持ち上がる重さではなく、まるで床に 貼り付いているかのような手応えだったからだ。美月はいつものサイドテールを揺らし、苦笑する。

「ごめんなさい、これ、ちょっと重くて。駅の中までは台車で運んできたんですけど、リニア新幹線の中で台車を使う わけにはいかないので。途中まではなんとか引き摺ってこられたんですけど……」

「中身は何だ」

 武蔵野は少し外れそうになった肩を押さえながら問うと、美月は恥じらった。

「工具と、コジロウ君の予備の部品と、ムジンと、他にも色々と。他にも必要なものは沢山あるんですけど、そっちは 小夜子さんがうちの会社のトレーラーを使って運んでくれるんだそうです。でも、持って行けるものは自分で持って いこうって思って。それに、ムジンっていうか、レイから離れたくなくて」

「うわぁマジで重っ!」

 一乗寺もキャリーバッグを持ち上げようとして、慌てて引き下がった。美月は彼女の格好を見、笑む。

「一乗寺先生、その服、可愛いですね」

「でしょでしょでっしょー? ほーら、むっさん、俺の服装は褒めるに値するものなんだよ!」

 一乗寺が胸を張ってみせると、美月は迫力さえある大きさの胸を見上げ、ちょっと赤面した。同性の目から見ても、 彼女の胸のの大きさは羨ましいようだ。武蔵野の見立てなので不確かだが、どう少なく見積もってもD或いはEは あるように思える。それを散々弄んだであろう周防が僅かに羨ましくなったが、胸の奥底に押し込めた。
 恐ろしく重たいキャリーバッグは出入り口付近に置いてから、美月は武蔵野らの座席に腰掛けた。ダッフルコート を脱いで網棚に載せようとしたが、手が届かなかったので、武蔵野は今度こそ手を貸してやった。美月は丁寧に礼 を述べてから、コートの下に掛けていたポシェットを開き、名刺入れに近い大きさのジュラルミンケースを出した。

「これが、レイと岩龍のムジンです」

 美月はジュラルミンケースを開き、二人の前に三角形の薄青く発光する基盤を差し出した。

「レイと岩龍も戦うって決めたんです。でも、その相手はつっぴーのお爺さんじゃないし、遺産でもなくて、コジロウ君 となんです。レイと岩龍は、元々はコジロウ君と一つだったんです。このムジンはコジロウ君のムリョウを安定させる ために使われていたんですけど、コジロウ君が自分でムジンを割ったんです。感情を切り捨てるためにそうしたんだ って、つっぴーのお父さんが言っていました。でも、レイはそんなコジロウ君が勝手すぎるって怒って、私を攫って、 羽部さんと……ちょっと、ケンカしたんです」

「あのヘビ野郎と?」

 だが、羽部は当の昔に死んだはずだ。武蔵野が訝ると、美月は少し考えてから返した。

「えっと……私にも良く解らないんですけど、羽部さんは死んだけど生きていたって言うか、肉体がダメになったけど 精神が異次元宇宙に飛ばされていなかった、ってシュユさんが言っていました。だから、その精神を警官ロボット に入れて一時的に羽部さんを生き返らせた、じゃなくて、なんていうのかな、あれは。んー、難しい」

「送信したと思ったけどサーバーエラーで未送信だったメールを見つけた、みたいな? うん、きっとそう!」

 一乗寺がいい加減な説明で勝手に納得したので、武蔵野は否定した。

「いや、それは違うと思うぞ。さすがに」

「まあ、とにかく、死んだはずの羽部さんともう一度会えてちょっとだけ話が出来たんです。ひどい話でしたけど」

 美月は若干語尾を上擦らせたが、笑うべきか泣くべきか、という迷いが含まれていた。

「ま、羽部ちゃんってシリアルキラーだしねー。で、少女限定のカニバリスト。そういう話、聞かされたんでしょ?」

 一乗寺の無遠慮極まりない言葉に武蔵野は動揺したが、美月は戸惑いもせずに頷いた。

「はい。凄く驚いたし、怖かったし、嫌だったけど、それでも腹の底から嫌いになれないんです。私、羽部さんのこと がちょっとだけ好きだったからってのもあるんですけど」

「えぇー? 趣味悪ぅーい」

 一乗寺が非難したので、武蔵野は失笑した。

「人のことを言えるような立場か」

「確かに羽部さんはひどい人です、毒ヘビだし。だけど、私が一番凄く寂しくて辛かった時に傍にいたのは羽部さん だったし、羽部さんは私を見下してはいたけど突き放しはしなかったから、気を許したかったんじゃないかなって」

 美月は両膝の上にムジンを持った手を置き、レイガンドーと岩龍を見つめた。

「それ、ちょっと解る」

 一乗寺は笑み、美月の肩を叩いてやる。武蔵野も同意した。

「ああ、まあな。それだけだが」

「だから、今度は私がその立場になりたいんです。友達になるって、そういうことなんじゃないかなって」

 決意を込め、美月はムジンの破片を握り締めた。鋭利な割れ目が小さな手に食い込む。

「んで、シュユが言っていた、ってことは起きたってことなの? なんか、すんごいさらっと言ったけど」

 一乗寺が美月を指差したので、武蔵野はその手を下ろさせてから、美月に問うた。

「あれから、シュユはどうなったんだ? 佐々木長光に操られたシュユはRECのロボットと戦ったが手酷くやられて、 ズタボロの状態で吉岡グループに回収された、というところまでは把握しているんだが」

「割と御元気ですよ? 美野里さんに襲われて生死の境を彷徨ったんですけど、特に飲み食いもせずに回復して いますから。その時に羽部さんも一緒にやられて、羽部さんの体の一部がシュユさんの中に入ったから、羽部さん の意識はシュユさんの中に留まっていたんだそうです。で、異次元宇宙と物質宇宙の接続が切れたから、弐天逸流 の信者だった人達も解放したんだそうです。うちのお母さんもその中の一人で、政府の施設に保護されているんだそう です。治療が終わったら、また一緒に暮らせるんだって」

 母親が帰ってくる日が待ち遠しいのか、美月は顔を綻ばせた。

「んで、またさらっと言ってのけたけど、つばめちゃんの親父さんってどんな人? 俺、資料でしか知らなーい」

 ねえむっさん、と一乗寺に話を振られ、武蔵野は返した。近付いたことはあるが、直視したことはない。

「ああ、俺もだ」

「長孝さんは変わっていますけど、悪い人じゃないですよ。凄く腕の立つ技師ですし」

 本条早稲田から長孝さんとシュユさんと乗ってくるそうです、と、美月は二人に携帯電話のメール画面を見せた。 確かにその通りの文面が表示されている。だが、シュユの大きさは三メートル近い巨体だ。そんなものがどうやって リニア新幹線に乗り込むのだろうか、と武蔵野の脳裏を疑問が駆け巡ったが、それは本条早稲田に着けばおのずと 明らかになるだろうと思い直した。タイミング良く、次の停車駅のアナウンスが始まった。
 女性の電子合成音声が、次は本条早稲田、と言った。




 


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