機動駐在コジロウ




転ばぬ先のチェーン



 まどかちゃんよね、と声を掛けられた。
 振り返ると、見知らぬ女性が立っていた。はっきりとした目鼻立ちの美人で、見るからに高級なスーツを着込んで ブランドもののハンドバッグを下げていた。女性は笑顔を浮かべかけていたが、ごめんなさい、人違いだったわ、と 一礼して足早に去っていった。ハイヒールの高い足音が遠ざかり、背筋の伸びた後ろ姿は雑踏に紛れた。
 まどか。それは一体、どこの誰の名前だろうか。銀縁のメガネを掛け直してから、吉岡りんねは大学に向かうため に足を進めた。いつもの通学路で擦れ違う人々は、揃ってこちらに視線を注いでくる。男達は羨望と欲望を、女達は 嫉妬と諦観を、りんねにぶつけてくる。それだけ、この肉体の容姿が研ぎ澄まされている証拠だ。
 あの後、吉岡りんねは作り直された。高層マンションのベランダから身を投げ捨てた、前回の吉岡りんねは単なる 転落死として扱われた。吉岡グループの社長令嬢という設定は拭い去られ、前回の吉岡りんねを弄んでいた男達 は様々な手段で口封じされた。自殺に偽装されて他殺された者も少なくはないが、それが世間の明るみに出ることは 絶対にない。警察関係者を抱き込み、吉岡グループと癒着させ、手を回させているからだ。
 首から提げた水晶玉のペンダント、ラクシャがある限り、りんねは何も考えずに済む。命じられるがままに寝起き して行動し、単調な講義を受け、まとわりついてくる学生達をやり過ごし、教授達をあしらい、日常を繰り返すだけで いいのだから。前回の吉岡りんね、否、吉岡りんねに酷似した顔立ちの少女売春の犠牲者である少女の延長線上に 存在しているのが自分であると漠然と捉えていたが、それだけだった。考えるだけ無駄だからだ。
 味が不明瞭な学食を機械的に詰め込み、いつも通りのルートでいつも通りの教室に向かい、いつも通りに講義を 受けていつも通りにゼミに向かい、いつも通りの帰路を辿る。ベルトコンベアに載せられた大量生産品の如く、平坦 な工程を経て淡々と一日を終える。動くマネキン、体温のある人形、血肉を持った記号。
 その日、自宅マンションに戻ったりんねは、翌日の講義に必要なものを通学用のバッグに詰めていたが、不意に 手が止まった。物音がしなければ他の住民から怪しまれる、という理由で付けっぱなしにしているテレビから、ある 名前が聞こえてきたからだ。使い古されている在り来たりな展開を切り貼りしただけの退屈な恋愛ドラマだったが、 売り出し中の新人女優が演じるヒロインが、まどかという名前だった。

「まどか」

 まどかちゃんよね、と呼び掛けられた。だが、それは一体どこの誰だろうか。これまで、りんねはアイドルだの女優 だのに似ていると言われたことは何度かあった。けれど、その中にはまどかという名前はなかった。そもそも、あの 女性はどこの誰なのだろう。誰かに似ている気がするが、思い出せない。思い出せる、となぜ感じたのだろう。自分 は吉岡りんねという人形であって、確固たる人格を確立していなければ固有の記憶も持っていない。思い出せる、と 思ったということは、記憶していると認識しているからだ。だが、何を。どこで。疑問が疑問を呼び寄せる。
 まどか。インターネットで検索してみると、膨大な件数のウェブサイトが照合される。ごくごく有り触れた人名であり、 女性名としては一般的だ。漢字で印す場合は、円、となる。だが、それだけだ。それ以上の意味はなく、更に情報を 絞り込んで検索しようにも、検索するためのキーワードが思い当たらない。せめてあの女性が誰なのかが解れば、 検索しようがあるのだが、無限情報記録装置であるラクシャはあの女性に関する情報を公開しようとしなかった。 脳の片隅にちくりと引っ掛かりは感じるのだが、そこから先は開けない。
 ならば、自分が知るべきではないことなのだ。ラクシャに阻まれれば、すぐに興味を失うのがりんねの常である。 だから、それきり、まどかと呼ばれた意味も、あの女性の正体からも関心を失った。そしてまた、いつもと同じ生活を 延々と繰り返していった。大学に入学して三年目を迎えると、周囲の生徒達は就職活動に精を出すようになった。 猛烈な勢いで発展している大企業、吉岡グループと密接な関わりのあるりんねに、就職先を斡旋してくれないかと 持ち掛けてきた生徒も大勢いた。だが、りんねは彼らに何も返しはしなかった。吉岡グループが早々に手を回して、 りんねと少しでも関わりを持った生徒達には、吉岡グループと浅からぬ関係のある企業から内定を与えたからだ。 彼らは狂喜乱舞し、手に手を取って喜んだ。働けることは、それほどまでに幸福なことなのだろうか。
 りんねは人形である。ラクシャから放たれる情報の糸に手足を括られ、精神を繰られ、人間と世間に紛れている、 人間になり損ねた物体だ。生命活動と呼べるような生理現象はあるが、それだけだ。だから、強烈な行動理念に 突き動かされて日々を謳歌している皆が、理解出来ない。
 なぜ働く。なぜ学ぶ。なぜ交流する。なぜ恋愛する。なぜ葛藤する。なぜ衝突する。なぜ行き詰まる。理路整然と した道筋はあるのに、なぜそれを見誤る。砂粒のような矮小な疑問が脳の片隅に積み重なっていき、ざらついた 違和感を産み出すようになった。ラクシャに身を委ねていると、その違和感を忘れられたが、ふと気付くとまたも脳が ざらざらしていた。神経がちくちくしていた。心臓がずきずきしていた。

「まどかちゃんよね」

 また、声を掛けられた。りんねが振り返ると、あの時の女性が立っていた。いつもの大学への通学路で、通学中 の学生達に紛れながら、真っ直ぐにこちらを直視していた。りんねは向き直り、言葉を返す。

「人違いです」

「御誕生日、おめでとう」

 それだけを言いに来たの、と女性は言い残し、ハイヒールを鳴らしながら足早に立ち去っていった。りんねは彼女の 後ろ姿を凝視し、その言葉の意味を考えた。お誕生日。生誕記念日、製造年月日。思い返してみれば、確かに 今日は二体目の吉岡りんねが完成してから三年目だ。だが、それがどんな意味を持つというのだろう。ただの日付 であって、それ以上でもそれ以下でもない。誕生日というイベントで学生達が騒いでいる様は頻繁に見かけたが、 あれは誰かの誕生日を口実に飲み会をしたいだけなのだ。だが、りんねはそんなことはしたくない。祝われるほど 大袈裟なものではないし、そもそも誰が祝うというのか。何を祝うというのか。

「おたんじょうび、おめでとう」

 また、誰かに声を掛けられる。雑踏が遠のき、音域が狭まり、視界が暗くなる。

「人違いです」

 りんねは音源には顔も向けず、背を向けた。それでも、声は繰り返す。

「まどかちゃん。いいおなまえだね」

「人違いです」

 りんねは進行方向を直視し、足を進める。それでも、声は離れない。

「まどかちゃんは、りんねちゃんのおたんじょうびをおいわいしてあげないの?」

 まどかなんて存在しない。りんねは自分自身だ。りんねは足を止め、反論すべく振り返る。

「だから、人違いです」

「おいわいしてあげよう。まどかちゃんも、ぐるぐるまわっていっしょになろう」

 けれど、そこには誰もいない。りんねの背後には車道が横たわり、人々の詰まったバスが駆け抜けていった。

「ぐるぐる……?」

 ざらざら、ちくちく、ずきずき、よりも余程楽しげで明るい擬音だ。りんねが呟くと、声が弾んだ。

「そう。ぐるぐるしよう。たのしいよ、きもちいいよ、さみしくないよ。りんねちゃんも、たのしくなれるよ」

 楽しい。それもまた、決して理解出来ない感覚の一つだ。知りたいと思ったことはない、知る意味がない。

「すぐにわかるよ。これが、たのしいってことだよ」

 不意に、りんねの足元が崩れた。視界が湾曲して三半規管が狂い、前のめりに倒れる。黒光りするアスファルト の大河が視界一杯に広がり、梅雨一歩手前の湿気混じりの熱気が肌を温める。歩道と車道を隔てる白線に己の 影が被り、振動を伴ったエンジン音が迫ってくると同時に盛大なクラクションが鳴らされた。
 大きなコンテナを牽引しているトレーラーから生じた運動エネルギーは、りんねの肉体を宙に跳ね上げるためには 充分すぎる量だった。派手なスキール音、人々の悲鳴と絶叫。バッグから零れた教科書やファイルが細切れに なり、紙吹雪となって風に舞い上げられる。上下逆さまになって空中を巡る最中、追突された際の衝撃でチェーンが 壊れたのか、ラクシャが外れて落下していった。生まれて初めての解放感を味わいながら、りんねは衝動的に笑顔 を浮かべていた。世界が回る、ぐるぐるぐるぐる。楽しい楽しい楽しい、とってもとっても楽しい。
 そして、笑顔のまま、街路樹に激突して数十個の肉片と化した。




 夢を見る。
 実質、三度目の死を迎えた吉岡りんねと呼称される遺伝子情報を有した個体は、アソウギのぬるりとした羊水に 浸り、ゴウガシャの胎盤から栄養を注がれながら、淡い意識の海を漂っていた。ああ、また死ねたのか、とうっすらと 認識することが出来るのは、意識が途絶えていないからだ。なぜ途絶えないのだろう。普通の人間は命を落とせば それまでだ。肉体が生命を終えると同時に意識も失われ、蛋白質塊となって腐るだけだ。
 それなのに、なぜ自分は意識が連なっているのだろう。ラクシャによって操られているからだとしても、ラクシャは 外部記憶容量なのであり、吉岡りんね本体とは全く別の個体だ。だが、吉岡りんねに個性は芽生えない。人格も、 自我も、生み出せないように設計されている。それなのに、同一の意識を持つのはなぜなのか。

「りんねちゃんはね、ラクシャの下位階層に偶発的に生まれた精神体なの」

 爽やかな初夏の風が吹き付け、稲穂の青い海が波打つ。白いワンピースを着た少女が微笑む。

「完全な無個性に設定されているからと言って、個性が産まれないとは限らない。工場で大量生産された製品も、 使用者のクセで磨り減ったり、形が変わったりするのと同じなんだ。常に外部からの刺激を受けているから、りんね ちゃんにもクセが付いている。それが自我」

 薄っぺらいサンダルを履いた足で、足場の悪い砂利道を歩いていく。

「私達は個にして全。全にして個。吉岡りんねという概念に起因する個別の人格であると同時に、吉岡りんねと いう概念を連結させる鎖でもあり、吉岡りんねという概念を保つ基礎でもある」

 少女は長い黒髪を風に遊ばせながら、小首を傾げる。

「ラクシャを通じて異次元宇宙に接続しているから、私達は今のりんねちゃんに働きかけることが出来る。そして、 少し未来のりんねちゃんにも働きかけることが出来る。パラドックスを途切れさせないために、繋ぎ合わせるため に、りんねちゃんをぐるぐるさせなきゃならない。そうしなきゃ、彼に出会えない」

 少女は笑顔を保ったまま、風上に立つ黒い影を見据えた。棘の付いた背中、黒い外骨格、鋭い爪。

「私も彼に会いたいけど、彼が好きになるのは一番最後のりんねちゃんだけ。それが、ちょっとだけ悔しい」

「彼?」

「そう、彼。今のりんねちゃんは会えないけど、次の次のりんねちゃんは会える。羨ましいなぁ」

「彼は誰」

「ふふ、秘密。だって、先のことは解らない方が楽しいでしょ?」

 ねえ、まどかちゃん。そう言って、少女は手を握ってきた。その小さな手を握り返してやりながら、吉岡りんねという 概念の一端を担う一人格、吉岡まどかは微笑み返した。今となってはあの女性が誰なのかも解る。目の前にいる、 一番最初の吉岡りんねの産みの親である吉岡文香だ。お母さんだ。お母さんはりんねの複製体である自分を不憫 に思って名前を付けてくれたばかりか、誕生日まで祝ってくれた。それが、どうしようもなく誇らしい。
 けれど、同時に、ラクシャに保存されていたが異次元宇宙に転送された情報の波間から、吉岡文香に関する情報 を読み取っていた。彼女は佐々木長光の次男である佐々木八五郎を繋ぎ止め、彼の財産を思い通りに使うために 避妊具に穴を開けて、りんねを妊娠した。利己的な俗物、虚飾にまみれた女、強欲な汚物。それでも、母親は母親 なのだと思わずはいられなかった。まどかは意識を情報の海に沈め、少女と共に輪廻の環に向かった。
 更なる、意識の鎖を編むために。




 偽物の両親、偽物の自分、作り物の世界。
 吉岡りんねは、三歳の誕生日を迎えるよりも早く、それを知っていた。華美な美貌を振りまく母親、豪快で恰幅の いい父親、それに仕える者達、会社、自宅、その他諸々。今までの自分よりも格段に視点が低いからだろう、周囲 の出来事がよく見えた。三回目の生を得た吉岡りんねは、五歳児に設定されていた。これまでのりんねには欠けて いた情緒面が補強され、より自然で活発な、人間的な女の子を演じていた。情緒面を抑圧されすぎていた反動で、 立て続けに以前のりんねが自害したので、ラクシャも学習したのだろう。
 天真爛漫、明朗快活、無邪気。そういった単語に当て嵌まる言動を行い、愛想を振りまき、りんねは吉岡グループ の系列会社が経営する幼稚園のリーダー格に上り詰めた。子供達だけではなく、教員達にも好かれるような行動を 取り、小さな世界を完全に掌握した。今にして思えば、それは帝王学の英才教育の一環だったのだろう。それから、 りんねは子供達の保護者までもを支配していった。子供であるからこそ出来る言動を駆使し、人間の脆い部分を 次から次へと突き崩していった。人形が人間で人形遊びをするという、滑稽な状況だった。
 その日も、りんねは幼稚園で権力を行使した。決して偉ぶらず、品良く、丁寧な態度ではあったが、子供も大人も 思うがままに操っては悦に浸っていた。口先だけで行動を左右される人々はとても面白く、そのおかげでりんねは 笑顔を保ち続けていた。その余裕があるから、偽物の両親にも形だけではあるが甘えられていた。情緒の幅が広く なったことで、偽物の両親に嫌悪感を抱くようになっていたが、だからといって無下に出来るものでもない。偽物の 両親はりんねと同じく、ラクシャによって遠隔操作されているからだ。すなわち、偽物の両親とりんねは並列化されて いるのと同等であり、常にラクシャを身に付けているりんねが乱れてしまえばコントロールも乱れて、偽物の両親の 行動が乱れてしまう可能性があった。そのノイズがラクシャの演算能力で修正出来る程度であれば問題はない が、情緒の幅が増えたことでりんねの受け取る情報量も格段に増えたので、ラクシャは演算能力を拡幅するために 異次元宇宙に接続するようになった。その結果、現在のりんねと過去のりんねを連ねる鎖が繋がった。
 小さな帝国を後にした幼い女王は、教員に命じて譲渡させた携帯電話のストラップを無造作に振り回しつつ、吉岡 グループの社員に付き添われながら、歩道を歩いていた。そのストラップは、天然石にアルファベットを一文字ずつ 刻んだものを細い革紐に通してあるもので、教員の交際相手が誕生日プレゼントとして贈ってくれたものだそうだ。 だから、思い入れもひとしおのはずだが、りんねが素敵だねと言っただけで呆気なく渡してきた。交際相手との恋情 よりも、りんねに気に入られる方に比重を置くように仕立て上げたからだ。その教員の名は、TAMAKI。
 幼児故に握力が弱かったからだろう、不意に手中からストラップが飛んだ。社員が慌てて追い掛けるが、遠心力に 従ったストラップは易々と道路を乗り越えていった。そして、対向車線側の歩道を歩いてきた、男子中学生の足元に 転げ落ちた。その男子中学生はストラップを一瞥すると、りんねに乱暴に投げ付けてきた。

「ほらよ、たまき。つか、そんなもんを振り回してんじゃねぇ」

 クソが、死ね、と吐き捨ててから、男子中学生は去っていった。りんねは投げ返されたストラップと、学ランを着た 少年の後ろ姿を見比べていたが、動揺に襲われた。彼を知っている。だが、どこで、なぜ。ぐるりぐるりと視界が荒く 回転し、足元が不確かになり、りんねはよろけた。あの声、あの横顔、あの遺伝子、あの気配、この互換性。
 間違いない。彼は、藤原伊織だ。藤原伊織は、吉岡りんねという概念に強烈な影響を与える個体である。それが どういった形なのかは定かではないが、吉岡りんねの意識の鎖に彼の名は深く刻み込まれている。ならば、りんねに 接触したことで影響が出たのではないだろうか。投げ返されたストラップを握り、りんねは考えた。
 それから、りんねは来る日も来る日も伊織のことを考えた。藤原伊織と接触した道路に行ってみたり、彼が通って いるであろう中学校を探してみたり、彼に似た背格好の男子中学生を見かけるたびに社員の目を盗んで追い掛けて みたり、と。りんねの好奇心が藤原伊織に集中したため、幼稚園を統べていた権力は徐々に失われていった。だが、 りんねは何一つ惜しくなかった。藤原伊織に出会えたのだから、自分は特別なりんねになれるのだと、根拠もなく 確信していた。けれど、藤原伊織には二度と会えなかった。
 過去のりんねが繰り返してきた過ちを起こすまいと、三年目の誕生日を迎える日、りんねは吉岡邸の一室に幽閉 された。偽物の両親を操っている、ラクシャが仕向けたことだった。伊織に会えれば何かが変わる、どう変わるのかは 解らないがきっと変わる、変わりたい、変わらなければならない。強迫観念に駆られながら、りんねは彼との唯一の 接点であるストラップを握り締めていた。TAMAKI。

「たまき」

 たまき。彼に呼ばれた名を呟いた後、りんねは畳敷きの部屋に据えられている鏡台に向き直った。いかにも子供 らしい、未成熟な美貌を備えた顔を見つめてみるが、空しいだけだった。気付いた頃には夜も更けきり、三年目の 誕生日が終わろうとしていた。胸元に下がったラクシャは、蛍光灯の青白い光を帯びて硬質な光を放っている。

「たまき」

 りんねではない、他の人間の名前。りんねは鏡に額を当て、深呼吸した後に思い直す。そうだ、自分は吉岡りんね ではない別人なのだ。だから、藤原伊織には選ばれなかった。見咎められなかった。そう思っておけば悔しくない、 悲しくない、寂しくない。りんねはストラップを鏡台に落とすと、どこからか声が聞こえてきた。

「おたんじょうびおめでとう、たまきちゃん」

 自分と良く似ているが、口調が異なる声。

「私はりんねじゃなかったんだ」

 りんねが声に応えると、声は返す。

「りんねだけど、りんねじゃないの。ぐるぐるのとちゅうに、いるだけなの。だけど、たまきちゃんはりんねのいちぶ。 だから、またあのひとにあえるよ。きっとあえるよ」

「でも、それは私じゃない」

「だけど、ぐるぐるしないと、もういちどあえないよ?」

「会いたいよぉ……」

「だったら、ぐるぐるしよう。こわくないよ、みんな、いっしょだよ」

「でも、どうやって。ここには、何もないよ」

「めのまえにあるじゃない」

 それを最後に、声は遠のいた。りんねは鏡台の鏡と見つめ合い、徐々に満面の笑みを浮かべた。ラクシャを引き 千切って畳の上に放り捨ててから、部屋の隅にあった灰皿を運んできた。分厚いガラス製の灰皿を振り上げて鏡 に叩き付けると、呆気なく砕け散った。無数に割れた鏡に写る自分と向き合いながら、一際大きい鏡の破片を手に 取る。指先を滑らせて切れ味を確かめてから、それを薄い皮膚に包まれた首筋に添えた。
 また、あの人に会える。それを信じ、少女は喉を掻き切った。





 


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