機動駐在コジロウ




毒を以てドロップを制す



 その後、周防は羽部の高校時代の同級生と接触した。
 羽部の生家のある集落から車を小一時間走らせ、隣町の建設会社を訪ねた。事前に電話を入れておいたことも あり、周防はすんなりと社内に通された。手狭な事務所の片隅にある応接セットに座った周防は、事務員の女性が 運んできてくれたコーヒーを口にしながら待っていると、作業着に身を包んだ男性がやってきた。胸元の社員証の 名前も顔写真も、資料と一致している。周防は腰を上げ、一礼する。

「お仕事中にお呼び立てしてしまい、申し訳ありません」

「いえ、構いませんよ。大して忙しくもありませんでしたから」

 そう言いながら向かい側に腰掛けたのは、紺田悟志だった。背はそれほど高くなかったが、骨太で筋肉質なので がっしりとしていた。濃く日に焼けた肌と明るい表情も含めて、何から何まで羽部は正反対だった。だが、砂井久実 が羽部と最も親しかった高校時代の友人であったと名を挙げたのは、彼だった。羽部と同じクラスの生徒であったと いう以外の接点が見当たらないように思えたが、表面だけに囚われてはいけない。それもまた捜査の基本だ。

「それで、その、羽部が死んだって本当ですか?」

「ええ、そうです。フジワラ製薬に勤めていてサイボーグ関連の薬剤の開発を行っていたのですが、業務上のミスで N型溶解症に罹患してしまったんです」

 周防が白々しい嘘を言うと、紺田は痛ましげに眉を下げた。膝の間で、皮膚の厚い手を硬く組む。

「そうですか……。あの病気って、骨も残らずに溶けてしまうんですよね? 相当苦しかっただろうなぁ……」

 紺田は一度ため息を吐いてから、周防を見やった。

「あの、刑事さんは羽部の実家に行ったんですか?」

「ええ、そうですが。羽部さんの御兄妹から、お話を窺いました」

「え、あの陰気なヘビ女からですか?」

「ヘビ?」

 羽部には馴染み深すぎる単語に周防が反応すると、紺田は周囲を窺ってから声を低めた。

「羽部の実家の人間はどれもこれも変だったんですけど、俺の知る限り、羽部の姉貴に当たる女が一番変だった んです。羽部の姉貴、いつもヘビを掴まえてきては頭を潰していたんです。どこからそんなものを調達してくるのか は解りませんけど、その現場を見たのは一度や二度じゃなかったんです。といっても、毒ヘビじゃなくて青大将とか の毒のないヘビでしたけど、それでも気味が悪いったらありませんでしたよ」

「それは確かに」

「でも、羽部の姉貴がおかしくなったのは、一度死んだからなんですけどね」

「砂井さんは、サイボーグ化なさったんですね?」

 思い返してみれば、砂井家の居間の隅にあった機械は、サイボーグが使用する人工体液濾過装置だ。あの機械 と同じものを、サイボーグである寺坂の住まう浄法寺でも見かけていた。周防が察すると、紺田は頷く。

「そうなんですよ。羽部が中学三年生の頃だったかな……。羽部の姉貴は通学途中に車に撥ねられて、内臓破裂 で死にかけたんですけど、すぐに処置を受けたのでフルサイボーグになったんです。その時搬送された病院に常駐 してあったサイボーグのボディとかはアメリカ製だったので、N型溶解症の被害を受けずに済んだみたいですけど ね。で、それからですよ、ヘビを殺すようになったのは。なんでも、いきなり歩道に降ってきたヘビに驚いて道路に 飛び出した途端に車に轢かれたからだそうで。だからって、ヘビに八つ当たりするのはどうかと思いますけど」

 紺田は乾いた笑いを零してから、背を丸めて組んだ手の上に顎を載せた。

「羽部の話って、なんでもいいんですか?」

「もちろん。どんなことでも構いません」

「だったら、そうだな……。あいつも変な奴でしたけど、悪い奴じゃなかったんですよ。東京の大学に推薦合格して 大企業に就職出来たぐらいだから、頭はずば抜けて良かったし、要領も悪くなかったし、運動だって致命的に下手 だったってわけじゃありませんでした。周りの人間に愛想の欠片もないので、そのせいでハブられることも何度か ありましたけど。でも、俺は嫌いじゃなかったんです」

 紺田は組んだ手の上で、建設現場の仕事で日に焼けた頬をぐいと曲げた。

「なんていうか、あいつには自分の世界が最初からあったんです。高校生の頃っていうか、思春期ってのはそれで なくてもごちゃごちゃしていて、自我が中途半端じゃないですか。でも、あいつはそうじゃなくて。自分のやりたいこと、 やるべきことが見えていたんです。それがやけに大人っぽく思えて。だけど、あいつは友達なんて必要としないタイプ だったし、友達になりかけた人間は羽部の姉貴の友達に追い払われたから、結局、俺もあいつとは」

「追い払われた、ってどういうことですか?」

「羽部の奴は、姉貴とその親にぎちぎちに縛られていたんですよ。その理由は、俺も未だによく解りません。羽部が 生まれ育った集落が馬鹿馬鹿しいほど閉鎖的だってのは知っていますけど、深入りするべきじゃないって俺の親も 言っていたので、羽部にも問い質さずにいましたけどね。それで、話は戻りますけど、羽部の姉貴のヘビ女は羽部を 嫌いだ嫌いだって言っているくせに手元に置こうとするんです。高校の入学願書を捨てられかけたこともあったし、 大学の推薦入学だって取り消されそうになったんだそうです。だから、羽部は教師に掛け合って入学願書を高校 で保管してもらって、無事に推薦入学出来たんです」

「そうですか。それは大変でしたね。羽部さんの御家族から窺ったのですが、羽部さんの同級生の妹さんが誘拐 された事件があったそうですが、その前後はどのようなことがありましたか?」

「誘拐? 違いますよ、あれは事故です」

「と、仰ると」

「そいつの妹がいなくなった日、確かに羽部は高校に来ませんでしたよ。でも、その日、羽部は模試を受けるために 遠出していたんですから、いるはずがないんです。証拠ならありますよ、羽部が書いた答案に受験票です。だから、 羽部はそいつの妹に近付いてもいません。あいつの通学ルートの途中にある崖道に、そいつの妹のランドセルが 転がっていただけなんですからね。たぶん、下校途中にガードレールを乗り越えて遊んでいるうちに足を滑らせて、 崖下に滑り落ちたんじゃないですか?」

「ですが、羽部さんの御家族は」

「ヘビ女の言うことなんて、鵜呑みにするものじゃないですよ」

 紺田はいやに真剣な顔をして、周防に釘を刺してきた。なぜ紺田はそこまで羽部に思い入れるのだろうか。単なる クラスメイトの一人に過ぎなかった羽部に、どんな感情を抱いているのか。周防は雑談を絡めながら、紺田の証言を 引き出していくと、徐々に彼の内情が垣間見えてきた。紺田は田舎町から抜け出せない自分にコンプレックスを 持っていて、頭一つ抜きん出ていて都会に旅立った羽部に嫉妬心が高じた憧れを抱いているようだった。だから、 その憧れのせいで羽部の存在自体を肯定してしまうのだろう。紺田から必要な情報を得てから、周防は建設会社 を後にした。確かに、ねじ曲がりすぎた人格と常軌を逸した性癖を取り除いて能力だけを評価すれば、羽部は優秀 な人材だったかもしれない。だが、それだけで何もかもを許してしまうのはあまりにも乱暴だ。
 ヘビを縁取る輪郭もまた、大いに歪んでいる。




 高速道路に乗って都心に至り、羽部が住んでいたマンションに到着した。
 手近なコインパーキングにセダンを駐めた後、周防はマンションの近隣にあるペットショップに向かった。そこは、 羽部がヘビ怪人となる際に材料として使った、メスのグリーンパイソンを買い求めた店である。商店街からは少し 離れた路地裏にある雑居ビルの二階に、その店舗があった。爬虫類や両生類をメインに扱っている店で、看板にも ヘビの絵が描かれていた。狭い階段を昇って店に入ると、独特の湿気が漂ってきた。
 ヘビやトカゲが収まっているケースを横目に周防が奥へ進むと、レジに立っていた店員が声を掛けてきた。何か お探しですか、と愛想良く話し掛けてきたのは、顔の至る所にピアスを付け、緑と黄色のグラデーションに染めた髪を 逆立てている青年だった。事前に電話を入れていたので、周防が警察手帳を見せると、店員はすぐに察した。

「ああ、刑事さんですね」

 ここだとなんですから、と店員は店の奥を示したので、周防は狭いレジの後ろを通っていった。爬虫類に与える餌 である虫が詰まったカゴや、どぎつい色合いのウロコを纏ったトカゲの写真などを横目に見つつ、箱の群れの中 を通っていくと、事務所に辿り着いた。狭いですけど、と店員は言い、周防にパイプ椅子を勧めた。店員は事務机 の椅子に腰掛けてから、店長の古部令司です、と名乗った。

「この店、俺一人でやっているんですよ。昔から、爬虫類が好きで好きでどうしようもなくて」

 外見は仰々しいが中身は純朴なのか、古部はちょっと照れ臭そうに笑った。その際に、Tシャツの襟元からヘビが 牙を剥いて威嚇しているタトゥーが垣間見えた。

「ええと、御電話を頂いてから調べたんですけど、あのお客さんは、確か……」

 古部は雑然とした事務机に積み重ねてあるファイルを取り出し、開き、ページを広げた。

「ああ、あったあった。これですね、メスのグリーンパイソン。四年前の五月十二日に買っていったんです、羽部さん が。うちの店に何度も通い詰めて、この個体のケースをずっと眺めていたから、随分気に入ってくれたんだなぁって 思って、俺も結構嬉しかったんですよ。うちで繁殖させたやつだったんで、尚更」

「羽部さんは、それほど熱心にこの店を訪れていたんですか?」

「そうですよー、でなきゃ覚えていませんって。最初の頃は、新卒採用されて上京してきたばっかりだったから、服も 態度も垢抜けていなかったんですけど、五月頃になって仕事に慣れてくると一気に弾けちゃったみたいで、余計に よく覚えているんです。それまでは地味なジャケットにジーンズ、って感じだったんですけど、いきなり原色まみれの 服装になったんで。でも、その頃はまだ髪は普通だったかな、うん、そうだった」

 古部は痩せぎすの腕を組み、首を傾げる。

「で、その、羽部さんと色々と話したんですよ。グリーンパイソンの飼い方とかもそうですけど、俺、ずっと一人で店に いるわけですから、話し相手になってもらいたかったってのもあるんです。仕事のこととか、世間のこととかも、まあ 適当に話していたんですけどね。で、そこで、なんだっけなぁー」

 履き古したスニーカーを履いたつま先を振りながら、古部は薄暗い天井を仰いだ。

「そうそう、あれだよ。恋人の話。いや、俺はこんなんですから、そういう相手は何年もいませんけどね。羽部さんも まあ似たようなもんだったんですけど、あの人、女性が怖いんだ、って言っていたんですよ。でも、怖がっているのを 知られるのは嫌だから強い態度に出る、そうするとまた遠巻きにされる、っていう悪循環だってことも。んで、その話 は一度限りだったんですけど、それからしばらくして、羽部さんの住んでいるマンションの住民が行方不明になった 事件があったんです。んで、俺は、怖いっすねー物騒っすねー、って世間話として話したんですけどね、羽部さんは なんだか上機嫌だったんです。べらべら喋っていたし。買っていったグリーンパイソンが大きくなって懐いてきたのが 可愛いって話もしていたんで、たぶん、それだと思うんですけどね」

 古部はリング状のピアスを填めた唇を曲げ、尖り気味の顎をさする。

「んで、それから、この近辺で若い女の子が行方不明になる事件が頻発するようになるんですけど、その度に羽部 さんは饒舌になっていくんです。元々語彙の多い人だったんですけど、立て板に水って感じで喋るようになってくると ややこしい語彙も増えてきて、表現がやたらと大袈裟になってきて。いや、それはそれで面白かったんで、別に俺は 嫌いじゃなかったですよ。はい。んで、なんだろ、そうそう、羽部さんがぶっ飛んだのは、それからもうちょっと後のこと だったかな。あの人、髪を脱色するようになってカラコンも入れるようになったんです」

 そしたらもう、と古部は骨張った肩を竦める。

「何も怖いものはなくなった、これからはもう大丈夫だ、あの子も喜んでいる、と言ってきたんです。グリーンパイソン の子が本格的に懐いてくれるようになったんだな、って思ったんです。大きくなってきたら飼い方も変わってくるから、 その辺のことを今度から教えますねって約束して別れたんですけど、羽部さん、それきりうちの店には来なくなって。 マンションは引き払っていなかったみたいで、たまに近所を歩いている姿は見かけたんですけど。恰好の話し相手 がいなくなっちゃって、俺は暇になっちゃったんですけど、あの人にも事情があるだろうから問い詰めるのもなんだし なーって思って、話し掛けず終いだったんです。で、羽部さんが何かしちゃったんですか?」

「N型溶解症に罹患して亡くなられたんです」

「えっ? N型って、あっあの病気ですよね!? 吉岡グループとその関連会社が製造したサイボーグを使ったら、 生体部品に付いていた病原菌で感染症を起こして、溶けて死んだってやつですよね? つーことはあれなんすか、 羽部さん、サイボーグだったんですか?」

「いえ、サイボーグではありませんよ。羽部さんはフジワラ製薬でサイボーグ関連の薬剤を開発していたのですが、 業務上のミスでN型溶解症に罹患してしまったんです」

「そうっすか……。うっわー、マジショックだわー……。俺の周り、サイボーグはいなかったから、対岸の火事としか 思ってなかったから……。あー、そうだったんすかー……」

「N型溶解症は病原菌が脆弱なので、人間同士の皮膚接触で罹患する危険性は皆無なのですが、羽部さんの 生前の行動を把握しておくために聞き込みをしているんです。念には念を入れておくべきですので」

「はあ……そうっすか。で、今、ふと思ったんですけどね、羽部さんがどぎついファッションをするのって熱帯の毒虫 みたいだなぁって。毒があるぞ、死ぬぞ、ヤバいぞーって色だったから。だけど、そうやって周りに示してくれるだけ 良心的だよなーって。だって、羽部さん、マジでヤバかったから。でも、そのヤバさが結構好きだったんですけど」

 古部は羽部の死に余程動揺したのか、語尾が弱まっていた。その後、周防は羽部が購入したグリーンパイソンに 関する資料や情報を聞き出してから、周防はペットショップを後にした。向かった先は、羽部が上京後に住んでいた マンションである。周防の記憶が確かならば、古部が言っていた通り、四年前にこの地区では若い女性が行方不明 になる事件が頻発していた。無論、それは事件として捜査されたが、羽部鏡一の名は容疑者として上がらなかった と記憶している。羽部と失踪した女性達の接点が見出せなかったからか、それとも。
 マンションに入った周防はエレベーターに乗って八階に到着すると、羽部のかつての住まいである八○五号室に 到着した。不動産屋から入手しておいた鍵を使ってドアを開けると、埃っぽく饐えた匂いが漂ってきた。現場保存の ために手を付けるなと地元の警察署に命じてあったため、誰も立ち入らなかったせいである。冷蔵庫の中身が腐敗 していなければいいが、と内心で願いつつ、周防は靴の上にビニールカバーを掛けて室内に入った。
 そこは、異形の空間だった。エキセントリック、サイケデリック、といった単語がよく似合う、どぎつい原色で奇妙な 形をしたオブジェが至る所に飾られていた。気が狂ったような絵が描かれたタペストリー、爬虫類の剥製、動物の骨 を組み合わせて作られた壁飾り、人体模型、骨格模型、そしてヘビを飼っていたであろう水槽、血をぶちまけたよう な赤黒いカバーが掛けられたベッド、生活感のない台所、やけに巨大な冷蔵庫、見事に磨き上げられた包丁、鉈、 斧、ナイフ、注射器、刃物刃物刃物刃物刃物刃物刃物刃物。どこをどう見ても、猟奇殺人者の部屋である。

「あの野郎……」

 思わず毒突いてから、周防は一度深呼吸した。こういう時こそ、現場の雰囲気に宛てられてはいけない。羽部の 抱いていた狂気の片鱗を感じたからといって、毒されてなるものか。一乗寺にも釘を刺されているのだから。

「俺は仕事をするだけでいいんだ」

 だから、余計なことを考えてはいけない。趣味が悪すぎるリビングと隣接している部屋に入ると、ノートパソコンが あり、均等に埃を被っていた。羽部の部屋は電気料金を滞納した末に止められているので、電源が入らないことは 承知の上だ。周防はそれを踏まえて持ってきたバッテリーを接続し、ノートパソコンの右隅にあるダイオードが光を 放つまで待ってから電源を入れた。程なくしてモニターが明るくなり、ホログラフィーが投影された。
 ログイン画面が現れたのでパスワードをクラックするツールを用いてログインし、デスクトップを表示させるとメール が届いていることを示すテキストボックスが出てきた。それをクリックするとメーラーが自動的に起動し、山のような メールが受信された。その送信者はいずれも羽部鏡一であり、携帯電話から自身のパソコンに画像を送信していた らしい。データ容量が大きいのか、この御時世にしては珍しくメールの受信に手間取っているので、その間に他の フォルダを調べてみることにした。
 デスクトップに並んでいるアイコンを手当たり次第にクリックして開くと、次から次へと画像が溢れ出した。ペットの グリーンパイソンを撮影した写真も多いが、少女達の写真はヘビの写真を遙かに上回る量であり、質も高かった。 少女達の写真は一人一人できちんとフォルダを分けられていて、写真の内容によって分類されていた。小分けされた フォルダのタイトルを見ただけで、周防は胃液が迫り上がってきそうになった。
 頭部、腕、足、胸、腹部、内臓、骨、神経、指、爪、性器。欲望の赴くままに少女達を手に掛けた羽部が、性欲を 満たした後、証拠隠滅を兼ねて、死した少女達を解体していく様が手に取るように解ってしまう。その様を仔細に 撮影しただけでなく、写真を分類しているところも含めて、頭痛がするほどおぞましかった。仕事柄、人間が肉片 と化している写真や現場や実物は見慣れているが、こうも目にすると、さすがに気分が悪くなる。
 それでも、周防は意地で調べ続けた。最も古いフォルダに収まっていた最も古い写真には、くたびれたピンク色の ランドセルが映っていた。ランドセルに掛かっている影は若干小柄だったが、それが誰なのかは考えるまでもない。 それらの奥にある崖に面したガードレールは、下から上へ布を押し当てて砂埃を拭い去った痕が付いていた。
 明らかな、殺人の証拠だった。





 


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