機動駐在コジロウ




シュールに説法



 一ヶ谷市の駅前広場の片隅に、石碑が建っていた。
 N型溶解症の犠牲者を悼む、慰霊碑だった。その除幕式が行われたのはつい先日で、N型溶解症を蔓延させた ということにされている弐天逸流と長らく関わっていた寺坂善太郎も、来賓として呼ばれていた。慰霊碑を建てること 自体は悪いことではないし、サイボーグとなって長らえたはずなのに脳が溶けてしまった犠牲者達の魂がこれで少し は浮かばれればいい、と思ってはいるのだが、式典というものにはどうにも性に合わない。
 だから、当日になってすっぽかしてしまったのである。バックレた、とも言う。一ヶ谷市長や市議達、慰霊碑を設営 するために奮闘していた関係者一同に対しては顔を合わせづらかったというのも、バックレた理由の一つである。 住職という職業と、弐天逸流の悪行が表沙汰になる前から独力で信者達を解放しようとしていたせいで、遺産を 巡る争いとは関わりのない人々からは寺坂はやたらと高評価を受けている。だが、しかし、その実体がどうしようも ない生臭坊主であることは本人が一番理解しているので、周囲からの評価との温度差に耐えられないのだ。

「今度、線香でも上げてやるかな」

 法衣を着ていては目立ってしまうので、寺坂はパーカーのフードを被り、色褪せたジーンズを履いていた。一ヶ谷 駅前は閑散としていて出入りする人間もタクシーもまばらではあるが、どこで誰が見ているのかは解らない。それで なくても、N型溶解症に関する特ダネを仕入れるために報道関係者がうろついているので、迂闊に正体を知られたら 後が面倒だ。以前、取材された際に周囲の評価に釣り合うように外面を良くしてしまったので、そのキャラを貫く必要 があるからだ。だが、それが本当に煩わしい。良い子ぶるのは、昔から苦手なのだ。

「お買い物、済みましたよーう」

 軽い足取りで駆け寄ってきたのは、デニムジャケットにホットパンツ姿の道子だった。もちろん、いつもの女性型 アンドロイドボディを使っているのだが、その日の気分によってウィッグを付け替えたり、化粧を変えたりするので、 普段とは大分印象が違う。日頃は大人しげな黒髪のセミロングヘアだが、今日は派手に決めたい気分だったのか、 きついパーマの掛かった茶髪のロングヘアだった。髪型に合わせた化粧は濃く、太いアイラインが目元を縁取り、 アイシャドーも強めだった。人工外皮に適応した材料で作られた化粧品は種類が乏しく、色も少ないが、道子は 日々化粧を研究しているのか、その時々によって印象が大分変わっている。努力の賜である。

「おう」

 寺坂が踵を返すと、道子は食料品の詰まったエコバッグを広げてみせる。

「こんなもんでどうでしょうかね、シュユさんへの貢ぎ物。丁度、駅前のスーパーが特売だったもので、予算の範囲内 で結構な量を買うことが出来ましたよ」

「加工しなくても出せるのばっかりなら、いいんじゃねぇの?」

 その中身を覗き、寺坂がやる気なく返すと、道子はむっとした。

「これでも頑張っているんですからね? いつか必ず、おいしい御料理を作ってみせますからね!」

「どこぞの神様同士が手に手を取ってスキップして信者同士もキャッキャウフフ、な世界になる方がまーだ可能性が あるってもんだ。努力だけは認めるよ、努力だけはな」

「むぅ」

 道子は唇を尖らせながら顔を背けたが、横目に寺坂を窺ってきた。

「それで、さっきは何をしていたんですか?」

「べっつにぃ」

「あの慰霊碑に、私も祀られているんでしょうかね?」

「一応、みっちゃんもN型溶解症で死んだーっていう死亡診断書を作ってもらったしなぁ。んで、それで死亡届を出して 受理されたんだし。だから、そうなんじゃねーの?」

「じゃねーの、ってまた随分と適当ですねー」

「だって、俺、三百万と二万人分の経なんて上げられねぇしさぁ」

「それが出来るのは、本物の神様か仏様ぐらいですしね」

「そうそう。だから、俺達は偽物の神様の御機嫌取りをするっきゃねぇんだよ」

 寺坂は無意識にタバコを吸おうとポケットに手を入れたが、サイボーグ化してからは止めざるを得なかったので、 何も入っていなかった。電子タバコは忘れてしまった。手持ち無沙汰になった右手を遊ばせながら、寺坂は一ヶ谷駅 の地下駐車場に向かった。その片隅に止めてある、愛車の濃緑のアストンマーチン・DB7・ヴァンテージヴォランテ に近付き、遠隔操作でキーロックを解除した。道子は後部座席に食料品を置いてから、助手席に乗り込んだ。寺坂 は運転席に乗り込んでイグニッションキーを差し、エンジンを暖機してから発進した。
 この車は、一度は手放したものだった。弐天逸流から脱退したがっていたが、上位の信者に何度も引き戻されて いた信者を解放してやるため、手切れ金代わりに弐天逸流に押し付けたのだ。その甲斐あって、その信者は一度 は弐天逸流から縁が切れたものの、寺坂の影が失せると再び上位の信者達に擦り寄られて洗脳し直された。あの 時ほど、自分の無力さを思い知った日はない。それと同時に、金と物がいかに儚いかを痛感させられた。弐天逸流 の信者達が欲しがっていたのは、金でも不老不死でもない、心の拠り所だったからだ。
 それは、寺坂も例外ではない。




 車を小一時間走らせた後、いくつもの検問を通り抜け、船島集落跡地に至った。
 政府と内閣調査室と公安とその他諸々から、シュユと接触して交流を図ると同時に異次元宇宙の情報を引き出せ と命じられているので、顔パスも同然なのだが、そこは行政なのでいちいち手順を踏まなければならない。なので、 寺坂と道子は検問を一つ通るごとに手間と時間を食ってしまったが、時間も暇も有り余っているのと、ネット環境が それぞれのボディに備わっているので、退屈を凌ぎながら検問をやり過ごした。
 そして、半日近く時間を駆けて到着したのが、シュユが住まうプレハブ小屋だった。工事現場の片隅に設置されて いるのとなんら変わりない、トタンの壁に筋交いが填った平たい屋根の箱が据えられていた。異星人を持て成すため の住まいにしては貧相すぎると思わないでもなかったが、政府がシュユに関して余計な予算を割きたくないのも 解らないでもない。船島集落跡地の片付けだけでも、何億円も掛かってしまうのだから。
 
「おーす」

 寺坂がノックもせずにドアを開けると、薄暗く湿っぽい空間の中、異形の神が正座していた。

「やあ。そろそろ来る頃かなぁと思っていたんだよ」

「こんにちはー」

 続いて道子が入ると、黄色の布を斜め掛けに巻き付けているシュユは、二人に向き直る。

「それで、今日はどんなものを持ってきてくれたの?」

「ええとですね」

 道子は部屋の隅にあるテーブルにエコバッグを置き、中身を広げ始めた。六個入りのバターロール、コンソメ味の ポテトチップス、生のセロリが一袋、半分に切られたキャベツ、大袋入り製菓用チョコレート、マーガリン、そして最後 にカレーパンと缶コーヒー。本当に特売の商品だけを買ってきたらしく、取り留めがなかった。

「あ、これがいいな」

 ちょっと嬉しそうに言ったシュユが真っ先の触手を伸ばしたのは、マーガリンだった。

「せめてパンに付けて喰えよ」

 寺坂がげんなりすると、シュユはべりべりと箱を開けながら訝しんできた。

「あれ、そういうものなの? だって、人間の食べ物って、脂肪分が多ければ多いほどおいしいって評価される傾向に あるじゃないか。だから、植物性脂肪の塊であるコレは、一番おいしいものなんだなぁって判断したんだけど」

「それは間違いじゃありませんけど、正解でもありません」

 はいどうぞ、と道子がバターロールを一つ差し出すと、マーガリンの蓋を開けてアルミフィルムを剥がしたシュユ は、バターロールに分厚くマーガリンを擦り付けてから、凹凸のない顔の下方に横長のスリットを空けた。その中に マーガリンを大量に付けたパンをねじ込んだシュユは、口を波打たせて咀嚼の真似事をする。

「これって結構塩辛いんだね。うん、でも、悪くないな」

「バターロールがなくなったら、キャベツとセロリにでも付けて食べて下さいね」

「うん、解った。マーガリンって潤滑油みたいなものだね、ぬるぬるするよ。でも、そのおかげで頸部中央の穴から 消化器官に滑り落ちるのが早いから、食べるのが楽だな」

 シュユは細長い触手を伸ばしてバターロールの袋を引き寄せると、一つ取り出して、マーガリンを山盛りに付けて から口に運んだ。シュユの背中に生えた青く発光する光輪、生体アンテナがほんのりと光を増したのは、経口摂取 した栄養源をエネルギーに変換しているからだ。食事の経験を重ねるうち、シュユはアバターである肉体に受けた 刺激を元にして肉体を改造しているようだった。摂取、消化、吸収と来れば次はもちろん排泄なのだが、今のところ は排泄している様子はない。だが、それも時間の問題かもしれない。

「それで、今日はどういう用件?」

 バターロールを食べ終えたので、キャベツの葉を毟ってマーガリンを擦り付けながら、シュユが問うてきた。

「しょーもねぇことだよ」

 寺坂はセカンドバッグから折り畳んだ書類を取り出し、シュユの顔の前に広げてみせた。

「ええと……小難しい語彙とややこしい言い回しではあるけど、要するに、死後の世界があるかどうかを教えてくれ ってことだね。でも、どうしてそんなものがあるのかどうか気になるのかな。肉体に依存した意識が物質宇宙に存在 している以上は、異次元宇宙はおろか多次元宇宙に複数存在している精神世界と呼ぶべき意識の集合体と接触 することすら出来ないんだから、知覚しても無意味なんだ。知覚出来たとしても、物質宇宙の生命体が認識出来る わけがないし、認識出来たとしても理解出来ないよ。万が一理解出来たとしても、理解した瞬間に発狂してしまうのが 解り切っている。そもそも、なんでそんなものを知ろうとするんだろうね? それが一番不可解だな」

 シュユは数本の触手で書類を受け取ると、キャベツの葉をもさもさと咀嚼しながら不思議がった。

「救われたいんだろうさ、生きている連中が」

 寺坂はプレハブ小屋の隅に積み重ねられていたパイプ椅子を二つ出し、シュユの前に広げた。ほれみっちゃん、 と寺坂が手招きすると、道子はおずおずとパイプ椅子に腰掛けたが、途端にパイプが鋭く軋んだ。寺坂が座って みるが、パイプは軋まなかった。サイボーグとアンドロイドでは内蔵されている部品が根本的に違うので、体重も大幅 に違っている。だから、外見は二十歳前後の女性である道子よりも、成人男子の平均を少し上回る体格の寺坂の 方が体重が軽いのである。道子はちょっと拗ね、パイプ椅子に座らずに姿勢を戻した。

「それはどうして?」

 シュユは道子の様子は気にもならないのか、また一枚、キャベツの葉を毟ってマーガリンを擦り付けた。

「負い目があるんだろ。人間もどきだった連中にも、サイボーグ化したけど死んじまった連中にも。だから、そいつら が異次元宇宙で良い暮らしをしているかどうかを知りたいんだ。だが、そんなのは生きている連中の主観であって、 死んでいった連中の主観じゃねぇ。救われているかどうかなんて、一人一人に聞いてみねぇと解らねぇし。あれだ、 風呂の温度と一緒だ。俺はちょっと熱いのが好きだったが、みっちゃんは水みたいに温いのが好きだった。けど、 他の連中はそうじゃない。その中間ぐらいが好きって奴もいるだろうし、俺よりも熱い風呂が良いって奴だっている だろうし、みっちゃんよりも温いのじゃないと気が済まないって奴もいるさ。だから、死後の世界で死んだ連中が幸せ になっているかどうかなんて、誰にも解らねぇ。死んだことで報われた奴もいるだろうし、救われた奴も、許された奴 もいるかもしれない。だから、ナンセンスにも程がある」

「そう思うのなら、どうして僕に話を聞きに来たんだい?」

「金がもらえるからだよ。俺とみっちゃんがシュユと話して、情報を引き出せても引き出せなくても、一定額の報奨金 が出るっていう決まりになってんだよ。みっちゃんはそうでもねぇけど、俺はサイボーグになっちまったせいで、体の 管理維持費が馬鹿にならねぇんだ。人工体液だって、N型溶解症のせいで国内の工場が全部閉鎖されているから 生産もストップしちまって、いちいち輸入物を買わなきゃならねぇんだ。だが、それがまた馬鹿高くてよぉー。足元を 見られすぎて、パンチラどころかパンモロだぜ。だから、金が要るんだよ」

 寺坂がへらっと笑うと、道子は渋い顔をする。

「スポーツカーを二束三文で売り払っちゃうからですよ。墓地の設営にお金が必要だって解っているのに、どうして あんなに安く売っちゃうんですか。年代物の車もあったんですから、やろうと思えばもっと稼げましたよ?」

「そりゃ俺の勝手だろうが」

「経済観念ってものを、もうちょっとしっかり持って下さいよ。長光さんというスポンサーがなくなったんですから、今後 は締めるところをきっちり締めていかないと」

 道子に咎められるが、寺坂はだらしなく上体を反らす。

「キャバクラもソープもとんと御無沙汰だし、デリヘルだって呼びようがねぇから呼んでねぇじゃんかー」

「そんなものは微々たる出費です。もっと締めるべきところがいくらでもあります!」

 と、道子が寺坂の浪費癖について力説しようとすると、ばりぼりとセロリを囓っていたシュユが訝った。

「あれ、そんな話をしに来たんだっけ?」

「死んだら金なんて持っていけねぇし、三途の川の渡し賃だって安いもんじゃねぇかよぉー。それに、俺は一生結婚 なんてしねぇし、ガキなんか作れねぇし、下手に残したって余計な面倒事が増えるだけじゃねぇか。長光のクソ爺ィ がやらかしたことを散々見てきたんだ、それぐらい学習してんだよ。俺は死後の世界にも興味はねぇが、俺の未来 にもとんと興味がねぇよ。サイボーグの脳が生きる年数は長くて五十年、短くて十年だって医者が言っていたしな。 だから、俺は何も残しはしねぇよ。墓だっていらねぇぐらいだ」

 寺坂は足を大きく広げ、ふんぞり返る。その様に、道子は呆れ返った。

「全くもう……」

「まあ、それも道理だね。それに、よっちゃんの場合、業が深すぎて今更功徳を積んだところで意味もないだろうし。 あ、これをこうするとおいしいのかな?」

 そう言いつつ、シュユは分厚い縦長の製菓用チョコレートを取り出し、マーガリンをたっぷりと塗り付けた。胃袋を 当の昔に失った二人ではあったが、シュユが油分と砂糖の固まりを興味深げに摂取する様を見ていると、胸焼けが しそうになった。製菓用チョコレートを呆気なく平らげたシュユは、ポテトチップスを開け、一枚ずつ食べた。

「つか、なんで俺のことをナチュラルによっちゃん呼ばわりなんだよ。みっちゃんは普通なのにさ」

 寺坂に文句を言われ、シュユは小気味良い音を立てながらポテトチップスを囓った。

「その方がいいかなぁって思って。個体識別名称を砕けさせて呼称するのは、関係が密接である証拠らしいから、 それに基づいた呼称を使ってみたんだ。よっちゃんは、ほんの一時ではあったけど僕達に近付いていた。精神体 の触手を乖離出来るほどになっていたしね。だから、やりようによっては、よっちゃんは僕達と同じものになれたかも しれないんだ。クテイでも僕でもなく、よっちゃんを切っ掛けにして、地球人類がニルヴァーニアンと同列の上位次元 に移行出来たかもしれない。それを考慮すると、あながち他人とも言い切れないからね」

「そんなもん、クソ喰らえだ」

 寺坂が毒突くと、そう言うだろうと思ったけどね、一応言ってみただけさ、とシュユは肩らしき部分を縮めた。たとえ 神になろうが仏になろうが何になろうが、寺坂は寺坂なのだから。鋭角なサングラスの下から道子を見やると、道子 は文句を言うかと思いきや、黙り込んでいた。誰かに似ているようでいて誰にも似ていない、顔面の平均値を算出 して形成された人工外皮を被った顔に表情はなく、能面のようだった。だから、道子は感情を表情に変換するソフト を強制終了させて表情を殺したのだろうと察した。それだけ、寺坂の言動で道子の心中が波立った証拠だ。
 だが、それに気付かなかったことにした。







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