機動駐在コジロウ




バグと鋏は使いよう



 物質宇宙に意識を戻してから、シュユは集落の中をふらついていた。
 船島集落跡地にあるプレハブ小屋に帰っても、面白くないからだ。浄法寺での上映会が終わってから、数時間が 経過しているので、皆、それぞれの自宅に帰っている。日も暮れているので人気はなく、静まり返っていた。底冷え する夜気に馴染む虫の声が足元から上がり、鬱蒼とした針葉樹林では鳥が思い出したように鳴いていた。
 夜露が降りて水気を含んだアスファルトの上を歩いていきながら、皆の住む家を窺っていく。時間帯からして夕食 を終えた頃合いなのだろう、話し声や食器を洗う物音が時折聞こえてくる。農作物が生い茂った田畑からは肥料の 混じった土の匂いが立ち上り、嗅覚を刺激してきた。行く当てもなく、遅い足取りで進んでいると、シュユの視界の隅 に赤い光が掠めた。それが何なのかは、今更考えるまでもなかった。

「やあ」

 シュユは振り返り様に触手を向け、パトライトを点灯させている警官ロボットを捉えた。

「コジロウ君」

「貴殿は早急に住居へ帰還すべきだ」

「それはなぜだい」

「貴殿は政府の保護下にある、要人だ。よって、警護されていなければならない」

「こんなに星が綺麗なんだから、狭い小屋に戻っちゃうのは勿体ないじゃないか。ここの方が良く見えるし」

「貴殿の住居と集落は直線距離にして二キロ六百四十五メートルしか離れていない。よって、恒星の観測に支障を 来すとは思いがたい。尚、集落内では各世帯の住居に光源が多数存在するため、恒星の観測に相応しい場所で あるとは言い難い。よって、貴殿の発言には矛盾が生じている」

「そんなにお堅いことを言わないでほしいなぁ」

「本官は事実を述べているまでだ」

「まあいいや、ちょっと話をしよう」

「本官は貴殿と情報交換を行うべきではない。つばめの護衛、及び集落内の警戒任務に当たっている最中だ」

「相変わらずなんだから」

 シュユはちょっと笑ってから、こっちにおいで、と触手を絡めてコジロウを路肩に引っ張り寄せた。コジロウは抵抗 しようとしたが、それはほんの一瞬で、触手は振り払われなかった。恐らく、つばめからシュユに危害を加えるなと 命令を下されていたのだろう。少し傾斜の付いた地面に腰を下ろすと、コジロウも隣に座った。

「遠い未来か、果てしない過去か、そのどちらでもあって、どちらでもないことだけど」

 シュユはコジロウの赤いゴーグルから漏れる光を帯びた横顔を上げ、星々が散る夜空を一望した。

「ニルヴァーニアンは、神様を得る。君みたいな、硬くて頑丈で武骨で融通が利かない、ニルヴァーニアンにとって 到底理解出来ない存在を神様として敬い、神様の概念を得て、神様を越えて、神様になろうとするんだよ。だけど、 その結果はご覧の通りさ」

「本官には理解出来ない」

「理解出来なくてもいい、覚えてくれていればいいんだ」

 シュユは袈裟懸けに着ている黄色い布の裾を整え、下半身の触手を隠した。

「神様にはなろうとしちゃいけないよ。だって、神様ってのは万能であることが大前提なのであって、欲望という欲望 を削ぎ落として、隙もなくして、余裕も揺らぎもブレもなくさなきゃいけない。その揺らぎやブレを補い合っていることで ニルヴァーニアンは神に近付けたけど、補い合いすぎて、自分達の力だけでは生きることすら危うくなった。だから、 色んな惑星で神様ごっこをしていたんだ。解り切ったことなのにね、上に行けばいくほど、下を幅広くしていく必要が 出てくるってことは。だから、神様になったら、不特定多数を幸せにしなきゃいけない。幸せにしてくれという願望を 受け止めてやらなきゃならない。でも、それは君の任務じゃない。そうだろう、コジロウ君」

「本官の管理者はつばめだ。非常事態、或いはつばめが命令を下している場合を除き、本官はつばめ以外の人間 の命令を受け付けることはない。決して、ない」

「それが解っているなら充分だよ。つばめちゃん以外の誰も、何も、欲しがっちゃダメだ」

「本官には欲求に相当する判断パターンは存在しかねるが、それに近しい情緒は完成しつつある。よって、貴殿の 忠告を理解することは不可能ではない」

「そっか。だったら、いいんだ」

 コジロウが理解してくれるのであれば、それで充分だ。シュユは満足し、頷いた。

「本官より貴殿へ、質問の許可を請う」

「へ?」

 思い掛けない言葉にシュユは戸惑ったが、コジロウに注視されたので、応じてやった。

「ああ、いいよ。で、何を聞きたいの?」

「管理者権限とは、遺産を用いて未開の惑星を開拓するためにニルヴァーニアンのアバターに与えられた生体情報 の一種であるが、管理者権限所有者による接触、及び命令以外では稼働しない遺産を地球へ持ち込んだ理由を 開示してもらいたい」

「逆に聞くけど、なんでそんなことを知りたいの?」

「本官はつばめに関する情報を収集し、把握し、保存する義務がある」

「確かに、クテイと遺産がなければ、つばめちゃんはこの世に生まれていなかったもんねぇ」

 シュユはコジロウの突き刺さるような強い眼差しにちょっと臆しながらも、記憶を掘り起こした。

「ええとね、物質宇宙の男女の恋愛を偏愛していたクテイが不良品扱いされて物質宇宙に廃棄された、っていうこと は知っているね? で、僕がその監督役としてフカセツテンに乗り込んでいたんだけど、そのフカセツテンは別の星 に向かう予定だったんだよ。今更言うまでもないだろうけど、知的生命体は存在しているけど文明は未発達な惑星 だよ。だから、地球で使う予定はなかったんだ。だけど、クテイがああなって僕もこうなっちゃったものだから、遺産を どうにかすることも出来ず、大人しくしているしかなかったんだ。つまり、偶然、たまたま、うっかりってことなんだ。 管理者権限はニルヴァーニアンにとっては珍しくもないものだけど、つばめちゃんはクテイがタカさんの生体情報 をいじったせいで管理者権限との相性が良くなりすぎたんだ。だから、ああいうことになっちゃった。だけど、クテイに 悪意はないし、タカさんだってそう。つばめちゃんを苦しめるつもりでやったわけじゃない。例外はいるけどね」

「偶然であり、他意はないのか」

「そう、偶然。まあ、広い目で見れば必然なんだろうけどね。つばめちゃんが生まれたことも、コジロウ君が造られた ことも、他の何もかも、みーんな。だから、あんまり思い詰めないことだよ」

「本官は、思い詰めるという語彙が相当するほどの情緒は備えていない」

「つばめちゃんのルーツが気になって悩んじゃうんだから、備えているって考えてもいいと思うけどな」

「本官は悩んではいない」

「はいはい」

 コジロウの堅苦しい答えに、シュユは笑ってしまった。

「本官は任務に戻る」

 コジロウは腰を上げ、立ち上がる。バックパックを背負った背中に、シュユは言う。

「宇宙なんてものはね、虫食い穴だらけだよ。物質宇宙も異次元宇宙も、もちろん、僕達の内側にある内面の宇宙 もね。問題はその穴じゃなくて、その穴に何を埋めるかだよ。いい加減な神様でも、便利な道具でも、大好きな人の ことでも、なんでもいいんだけどね。だから、コジロウ君にも穴はあるよ。それを、つばめちゃんのことだけで埋めて おくといいよ。そうすれば、君は絶対に迷わないし、惑わされないし、困らないからね」

「貴殿から忠告されるまでもない」

「だね」

 じゃあね、と警邏に戻ったコジロウに触手を振ってから、シュユは帰路を辿った。船島集落に近付くに連れて道路 の舗装が悪くなっていき、日々重機が行き交うためにアスファルトが磨り減り、砂利道になり、獣道も同然の草むら になった。威勢良く成長している雑草を掻き分けながら、シュユはプレハブ小屋に戻った。
 皆と飲み食いしてから時間が経ったので、食べたものが消化されてしまって空腹に陥っていた。シュユは冷蔵庫や 食糧庫を開けて溜め込んでおいた食糧を取り出すと、腹を膨らませるために食べ始めた。食糧の食感、味、温度、 匂いといった刺激という刺激を受け止めて異次元宇宙に流し込んでやりながら、シュユは神様を得なかった場合の ニルヴァーニアンはどういった進化を遂げただろうかと考えた。だが、行き着くところは変わらないだろう。最初から 神を越えたいという欲求を抱いていなければ、発露するわけがないからだ。
 だから、ニルヴァーニアンを変えなければならない。




 一丁のハサミをもらった。
 食べ物の袋を開けづらい、とかなんとか適当な理由を付けて設楽道子から譲渡してもらったものだ。政府の人間 によってシュユの身辺からは、武器になる可能性があるものを徹底的に排除されているので、刃物なんて以ての外 だった。本当はビニール袋を開ける際にハサミなど必要ないのだが、なんでもいいから道具が欲しかった。道具を手に して道具を使う喜びを知れば、ニルヴァーニアンにまた新たな刺激を与えられるからだ。
 物理的に、物質宇宙の物質を変えられる道具だ。シュユは細く分けた二本の触手でハサミを構え、手元にあった 枯れ葉を断ち切った。小気味良く金属同士が擦れて重なり、刃が食い込み、分断された。床に落ちた枯れ葉を見、 シュユは満足した。続いて、小屋の片隅にある棚に詰め込んである書類を取り出しては切っていった。あの映画の 主人公のような芸当は出来ないので、紙切れがデタラメな紙切れになっただけではあったが、単純であるからこそ 楽しい作業だった。切れ味の良い刃で小気味良く切り刻んでいくと、足元には紙吹雪の山が出来上がった。

「なんだこりゃ」

 唐突に不躾な言葉を掛けられたので、振り返ると、ジャージ姿の寺坂善太郎がプレハブ小屋に入ってきた。

「やあ」

 シュユがハサミを振りながら挨拶すると、寺坂は鋭角なサングラスを上げ、紙切れの山を注視する。

「ハサミをもらってやることがそれとは、ガキと同じだな」

「だって、面白いじゃない」

 ちゃきん、とハサミを鳴らしてから、シュユは両腕の触手を大きく広げる。

「僕は物質宇宙に存在していないはずの存在なのに、物質宇宙の物質に物理的な作用を与えられているんだよ。 それが面白くないわけがないじゃないか。僕がハサミを使って紙を一枚切ったことによって発生する事象が、物質 宇宙に認められたという証拠でもあるんだから。アバターもまた物質宇宙の一員であると同時に、ニルヴァーニアン は物質宇宙の戒めから逃れられない、という確固たる事実でもある。だから、僕は紙を切るんだ。僕が紙を切った ことがバタフライエフェクトとなり、物質宇宙全体にどんな作用を及ぼすのか、考えただけでわくわくするよ」

「あーそうかよ、意味解らねぇ。んで、重要書類とかは切ってねぇよな?」

「君達にとって重要なものが、僕にとって重要であるという保証はないよ」

「じゃあ切ったのかよ。また面倒臭ぇことになりそうだなぁ」

 寺坂はシュユが作った紙吹雪の山を一掴みすると、放り投げた。空中に広がり、雪のように舞い散る。

「んで、この前聞いたけど返事を聞きそびれまくっていた質問なんだが」

「ああ、あれね。うん、ニルヴァーニアンに神様はいたよ。でも、その神様はニルヴァーニアンが自分達を神様なんだと 思い込むための踏み台に過ぎなくて、ニルヴァーニアンにとっての神様は自分自身だったんだ。だから、神様はいた ことにはいたけど、いないと言えばいなかった」

「じゃ、お前の神様は何なんだ?」

「おいしいもの!」

「解りやすくて結構だよ」

 寺坂は肩を揺すり、笑った。シュユは意味もなくハサミを動かしながら、寺坂ににじり寄る。

「だからね、色んなものを食べてみたいんだ。もっともっと持ってきてよ、世の中には僕が食べたことがないものが 一杯あるんでしょ? ねえ、よっちゃん?」

「こんなクソ田舎じゃ、店の品揃えも悪いぞ」

「通販があるじゃない」

「あー、そうだな。んじゃ、政府の経費で落ちる分だけだぞ」

「わーい。ありがとう、よっちゃん」

「んで、何が喰いたい」

 かなり面倒そうな寺坂に問われ、シュユは景気良く言った。

「足が多い生き物!」

「タコとかイカとか、そういう系?」

「うん、だと思う」

「思うって……」

 なんだよ適当すぎんな、とぼやきつつ、寺坂はシュユのリクエストを伝えるべく、携帯電話でメールを打ち始めた。 相手は道子である。ニルヴァーニアンの驕り高ぶった価値観を引き摺り下ろすためには、神格化されているものを 一つ一つ潰していく必要がある。まずは、あのロボットと似たような姿をしたものを食べてやり、敬うに値しないもの だという概念を知らしめてやる。タコやイカがどんな味がするのかも楽しみだが、多大なカルチャーショックを受ける であろう同族達の反応が楽しみで仕方ない。
 手元にあった紙を切り、頭と両手足の触手を作り、ニルヴァーニアンにどことなく似せた形に整えた。その触手を 一息に断ち切ると、紙吹雪の山に新たな紙片が降り積もった。そうやって少しずつ変えていけば、いずれはそれが 旧く歪んだ価値観を駆逐し、陵駕し、ニルヴァーニアンが一新される。どれほどの時間が掛かるのかは解らないが、 同族を変えることこそが、自分が変わった理由であり目的なのだと確信する。重要、との朱印が押された書類を 掴んだシュユは、ハサミが赴くままに切り刻み、盛大に紙吹雪を撒き散らした。
 俗なことほど、楽しいものだ。







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