DEAD STOCK




10.Rize Up



 ついこの前まで、手元にいたはずのものがヴィジョンの中にいる。
 それが、たまらなく気色悪い。やたらと愛想の良い笑顔を振りまき、光の粒子を纏い、虹色の羽を煌めかせ、金色 の瞳を潤ませながら視聴者を見つめてくる。こいつはこんな顔はしない。泥と砂にまみれて、涎と鼻水を垂らして、 吐瀉物を垂れ流し、飲んだ分だけ、喰った分だけ、きちんと排泄する、ごく普通の生き物だ。頭も悪ければ言葉も 上手く扱えず、いつまでたっても片言で、単語しか口にしない。プレタポルテとは、そういうものだ。
 事態の打開策を見出せて気が抜けたからか右腕の傷跡が今更ながら熱を持ち、体全体が鉛のように重苦しく、 嫌な頭痛がする。クイーンビーに搾り取られすぎて精も根も尽き果てたプライスレスが眠り込み続けているおかげ でもあるが、静かすぎて苛々する。意味もなく左腕を振り上げて壁に叩き付けるが、痛いだけだった。
 落ち着かない、据わりが悪い、収まりが悪い、とにかく無性に気が立って仕方ない。デッドストックは思い付く限り の悪態を吐きながら身を起こし、擦り切れかけたトレンチコートの裾を払ってから立ち上がった。廃墟の窓の外から は這いずり続けている色街の土台が窺えたが、様子は差ほど変わっていない。今はジガバチが見張っているので、 デッドストックが外に出る必要はない。だが、ただでさえ淀んでいる空気が、プライスレスの汗や体液とクイーンビー の甘ったるい匂いによって粘ついているので耐え難かった。ラバースーツ越しであろうとも、だ。
 壁に空いた大穴を潜り抜けて、段がいくつか抜けている錆びた非常階段に至り、上へ向かう。だが、上にあるのは 屋上ではない。ビルの上層階が折れているので、天井のない床だ。イカヅチによる放電は未だに続いていて、 土台の四隅にある鉄骨に雷撃が落ちては爆音を轟かせていた。
 またも胃袋が収縮して込み上がってきたものが食道を迫り上がり、喉の奥に胃液の味が滞る。引きつった腹筋に 促されるがままに体を折り曲げ、ラバーマスクを捲り上げて一息に吐き出した。すぐさま腐っていく胃液と内容物に 背を向けてから、ラバースーツの袖で汚れた顎を拭った。トレンチコートで拭えば、大事な服が腐ってしまうからだ。 胃液混じりの唾液を力任せに吐き捨ててから、深く、強く、息を吸い込むとラバーマスクが顔に貼り付いた。

「俺は」

 何をしている。何をしたい。何をしたかった。

「あの女のせいか」

 リザレクションは確かにいい女だった。デッドストックのような厄介な能力者を受け入れてくれたばかりか、人並み に話し相手にもなってくれた。目を見て、向き合って、ラバースーツ越しではあるが肌にも触れてきた。ただそれだけ であり、そこから先はなかった。きっと、リザレクションは、誰に対しても平等に接する博愛主義者だったのだろう。 だから、金を払って自分を買ってくれたクリスタライズとも交わり、彼の願いも聞き入れ、結晶体と化した。その結果 は悲惨極まりないが、それもこれもリザレクションの判断によるものだ。他者の悪意も存分に入り混じっているが、 我が身に授かった能力を知りながらも自衛する術を持たなかった彼女にも、非がないわけではない。
 愛でもなければ恋でもないが、自己肯定するための材料としては充分すぎたのだ。デッドストックはラバーマスクが 歪むほど強く、両手で顔を覆って背を丸めた。哀れな身の上の女の願いを聞き届けるために、凶暴な悪人連中に 立ち向かい、世にも禍々しい能力を振り翳す様は、いわゆるヒーローではないか。それ以外の何物でもない。地下 世界に生まれ、ヴィランとして生きることしか許されなかった自分が、そんなものに憧れを抱くわけがない。
 それなのに、心臓が、胃が、腸が、肺が喉が皮膚が膀胱が性器が血液が血管が神経が骨が脳漿が脳髄が細胞 という細胞が怖気立つ。千載一遇、好機の中の好機、自らの手で作った機会、悪辣なヴィランの奥底に燻っていた 正義を煌めかせて世界に知らしめることが出来る、最大にして最高の瞬間が訪れたのだと、歓喜に震えている。
 プレタポルテは餌だった。リザレクションの肉片を持っているヴィラン共を誘き寄せるための、アッパーの目である メダマを惹き付けるための、ありとあらゆる者達の興味を惹くための、そして自分自身を奮い立たせるための餌だ。 アッパーのヒーローであるクリスタライズを打倒し、天上世界への道を開けたら、ダウナーのヒーローになれること はまず間違いないだろう。たとえそれが一瞬に過ぎなくとも、栄光が降り注ぐはずだ。
 人造妖精プレタポルテは、悲劇に見舞われた薄幸の少女としては最適すぎる外見だからだ。そのプレタポルテを イカヅチから奪取し、救い出せば、ヒーローではなくヴィランとしての烙印が刻まれるだろう。だが、ヴィジランテとして 大手を振るっているイカヅチを陥落させ、人々が憧れて止まない天上世界へ至る道を開けば、即座にその評価は逆転 するだろう。だが、そのタイミングを誤ればどうなるか。何も成せずに殺されるだけだ。

「お前のものだ」

 その声で顔を上げると、目の前に太い金属のヘビが投げ落とされた。デッドストックとプレタポルテを繋いでいた、 あの鎖だった。それを放ったのはハニートラップで、羽を振るわせて遮蔽物の影に滑り込んだ。彼女と入れ替わる 形でジガバチの一匹が後退し、瓦礫と添うようにして低く飛んでいった。色街の土台の軌道に散乱している肉片を 回収し、産卵を控えているクイーンビーの食糧として運んでくるためである。

「お前が何を考えているのかは私達には解らないが、好きなようにすればいい」

 ハニートラップは声を低め、デッドストックにだけ聞こえる程度の音量で言った。

「虫に説教されたくはないが」

 デッドストックが毒突くと、ハニートラップはかちりと顎を打ち鳴らす。

「間違っていないこともなければ、正しくないこともない。やり通した者が勝ちなんだ」

「知っている」

「そうか、だったらいいんだ。だから、私達は女王の街を再興する。娼婦も客もジガバチも街も、取り戻してみせる。 それが女王の願いであり、我らの願いでもあるからだ」

「どうでもいい」

「お前は何を願うんだ。あの女と、あの娘に」

「虫には関わりのないことだ」

「私達は……いや、私はお前に少しだけ願ってしまうよ。オスカーを生き抜かせてくれと」

 他言は無用だ、と前置きしてから、ハニートラップは話し始めた。ハニートラップがジガバチのリーダーとなる前の ことである。ヴィランとして生まれ育ったが、些細なことで凶暴なヴィランの顰蹙を買った末に痛め付けられて荒野 に放り出され、人買いに拾われてクイーンビーの元に安値で売り払われた。それから、ハニートラップは男に操を 差し出す仕事をさせられるようになるが、交わった男達は次々に死んでいった。中には色街の上客もいたので、 殺したのではないかと疑われて拷問を受けたが、身に覚えがなかった。その旨をクイーンビーに伝えると、女王バチ は意外にもハニートラップの言葉を聞き入れてくれ、真偽を確かめると言って、男を差し出してきた。男はその場で ハニートラップを蹂躙してきたが、男は交わっている最中に息絶えた。
 そして、クイーンビーに奇特な能力を買われたハニートラップは、それまで使っていた有り触れた名前の代わりに ハニートラップという名を与えられ、暗殺専門の娼婦としての仕事も与えられるようになった。それから、何十人もの 男と交わっては殺し、殺し、殺し続けたが、ある時にハニートラップを買い受けようとする男が現れた。能力を知った 上でのことだった。当然ながら戸惑ったが、あまりにも男が熱心で、更に多額の現金を携えていたので、男の願いを 聞き入れようと決めた。そして、男に身受けされる日、ハニートラップはいつものように仕事をしたが、交わった末に 死んだ相手は、クイーンビーが差し向けてきた客ではなくあの男だった。気が急いたのか、それとも能力が嘘だとで も思ってしまったのか、当人が死んでいるので真偽の程は定かではない。
 それから十ヶ月後に、ハニートラップは我が子を産み落とした。その年では十五人目に産まれたので、オスカーと 名付けられた。だが、出産を終えてからは体質が変わってしまったのか、ハニートラップは能力を発揮出来なくなり、 ジガバチへと転属させられた。ジガバチをまとめられるほどの統率力を見出されるようになると、ジガバチ達の精神と 意識を繋げさせられてしまった。そのせいもあり、オスカーが人買いに攫われたと知っても、色街を守る仕事と部下達 の思考からは逃れられずに何も出来なかった。それは、これからも変わらない。
 だから、出来ることをやり尽くすしかないんだ、とハニートラップは話を終えた。デッドストックは下らない身の上話 だとしか思わなかったが、あまり煩わしく思わなかったのは、ハニートラップの行動理念にはしっかりとした大義名分 があると知ったからだ。それがなければ、どんなに凄まじい能力者であろうとも、単なる屑だからだ。
 では、自分はどうだ。鈍色に光る鎖を左手で握り締めながら、デッドストックはプレタポルテの左足首に繋がって いた金属の輪に触れてみた。金属の輪の内側には複雑な形状の錠前が仕込まれていたが、断ち切られた形跡も なければプレタポルテの足首も付いておらず、鍵を使って開けたのは明白だった。少なくとも、ダウナーにはそんな 知恵も道具も持っている輩はいない。いたとしても、あの大騒ぎの中でプレタポルテを連れ去りながら、その作業を するのは至難の業だ。となれば、イカヅチの配下に恐ろしく優秀な部下がいるのだろう。
 それが誰かは、これから考えればいい。




 うっすらとした記憶、朧気な過去、曖昧な映像。
 それらの中では、銀色のロボットは恐怖そのものだった。人造妖精は五体満足に産まれてくる者ばかりではなく、 手足が欠損していたり、目玉が一つしかなかったり、唇が裂けていたり、内臓が出来上がっていなかったり、髪や 目の色が規格外だったり、と様々なトラブルを抱えた不良品も出来上がる。
 銀色のロボットは、そういった人造妖精達を培養ポッドから引き摺り出してはチューブやケーブルを引き抜いて、 容れ物の中に放り込む。ぐちょっ、ねちょっ、ばちょっ、と出来損ないの人造妖精達は培養ポッドから出された途端 に死に、折り重なっていく。それから、彼女達は工場の別の製造ラインに載せられて肉を加工され、加工食品として アッパー達の舌を楽しませることになる。
 先程まで生きていたのに、人造妖精同士のほのかな意識の繋がりを共有していたのに、培養ポッドから出されて 間もなく肉を削がれ、磨り潰され、捏ねられ、絞られ、砕かれ、成形されてパック詰めされていく。パック詰めされた 姉妹達が箱詰めされて出荷されていく様を、工場内のモニターで目にしたことも一度や二度ではない。
 だから、自分はここで殺されてしまう。おいしく頂かれてしまう。肉にされてしまう。プレタポルテは目の前に立った 銀色のロボットから逃げようと後退るが、足が震えて力が入らず、がくがくと膝が笑った。

「参ったなぁ、もう」

 胸にノーバディと乱雑な文字が刻まれているロボットは肩を竦め、腰を下ろした。彼の背中には太いケーブルが 何本も刺さっていて、さながら母親の胎内から出たばかりの赤子のようでもあった。

「おい、俺が何かするとでも思ってんのか、あ?」

「ぴぃっ」

 プレタポルテは悲鳴を上げて手近なクッションに埋まったが、そんなもので銀色のロボットを防げるわけがない。 あれは簡単に人造妖精を引き千切り、潰し、殺してしまうのだから。震えすぎて呼吸も浅くなってきたプレタポルテ は目眩がしてきて、背後に置かれていた水差しを倒し、転がしてしまった。

「あーあ、勿体ねぇの」

 銀色のロボットは残念がりながら水差しを元に戻し、底に少しだけ残った水をコップに入れて、プレタポルテへと 差し出してきた。プレタポルテはがちがちと鳴る歯を食い縛っていたが、喉の渇きは覚えていたため、恐る恐る手を 伸ばしてコップを受け取った。慌てすぎて前歯をコップにぶつけたが、水を飲み干すと、胃の中の重みが少しばかり 余裕を与えてくれた。プレタポルテは俯きがちにコップを返し、呟いた。

「めりゅすー」

「そりゃどうも」

 銀色のロボットはコップを受け取ると、水差しの傍に置いてから、プレタポルテと向き直った。

「で、この暮らしはどうだ? 妖精ちゃん?」

「ふぁてげー」

「そうか、疲れたか」

 銀色のロボットはちょっと肩を揺すり、声色を波打たせた。笑ったのだろうか。

「俺も疲れたよ。並行して仕事させられちまったしなぁ。いくら体がコレだからって、注文多すぎなんだよ」

 言われた分の仕事はしたけどさぁ、とぼやきながら、銀色のロボットは円形の部屋の出入り口に転がされている 砂まみれのリュックサックを一瞥した。それは、プライスレスの全財産だった。彼の命よりも大事なものをどうやって 盗んだのだ、とプレタポルテが目を丸くしていると、銀色のロボットは自慢げに親指を立てる。

「俺って凄ぇだろ? あの大荷物と一緒に妖精ちゃんまで盗んだんだから。ついでに足枷のロックも、ハッキング とピッキングを並行して解除してやったんだからな? でねぇと、妖精ちゃんの左足はちょん切ることになっていた んだからな? 褒めてくれてもいいんだぞ?」

「にょん」

 どこに賞賛する要素があるのだ。プレタポルテが首を横に振ると、銀色のロボットは残念がった。

「あー、そうかよ。妖精ちゃんまでそんなんかよー」

 俺の活躍を認めてくれてもいいじゃんかよぉ、と銀色のロボットがわざとらしく拗ねてみせたので、プレタポルテは さすがに違和感を覚えた。プレタポルテの朧気な記憶の中にいる銀色のロボットは、ただの機械で、喋ったとしても 短い単語だけだった。人造妖精に対しても冷酷極まりなく、こんなに生臭い態度を取ったりはしない。感情があった としても、表には出さなかった。あの時、ドーム状の倉庫で出会った銀色のロボットは別物のようだが、胸に付いた傷 は同じなので、やはり同じものなのだろう。だが、印象が重ならない。
 まるで、銀色のロボットの中に人間が入っているかのようだ。だが、どこの誰が、何の目的で、どうやって。次々に 沸いた疑問がプレタポルテの頭を悩ませたが、答えが出るはずもなく、唇を曲げて首を傾げるしかなかった。すると、 銀色のロボットはその動作を真似て首を曲げてきたので、プレタポルテはむっとした。

「ぷーるー?」

「なんで、ってそりゃ、一から説明するとなると物凄く長い話になっちまうし、ややこしいんだが、説明しないことには 意味が解らないよなぁ。だけど、こいつがあるし、俺の音声もあの蛆虫野郎に拾われているからなぁー。けど、俺は 妖精ちゃんの御世話役として連れ戻されたわけだし。んー、どうしよっかなぁー」

 なんで真似をするの、とプレタポルテは文句を付けたつもりだったのだが、銀色のロボットは違った意図で解釈 したようだった。彼はやけに人間臭い仕草で腕組みして、上体を反らした。が、反動を付けて元に戻す。

「そうだ、お喋り出来るように言葉を教えてやるよ! 余計な御世話かもしれねぇけど、そうすりゃあのガス野郎とも ちったぁ意思の疎通が出来るようになるだろ」

「しぇぶりぇ?」

「ああ、本当だよ。あいつがいてくれないと困るんだよ、俺としては。だから、妖精ちゃんにはガス野郎をしっかりと 銜え込んでもらわなきゃならねぇ。片言ならそれはそれで可愛いっちゃ可愛いんだけど、いつまでもそれだとただの お人形でしかないからな。で、ぶっちゃけた話、妖精ちゃんはあいつのことをどう思っているの?」

 ねえねえねえ、と興味津々に迫ってきた銀色のロボットに、プレタポルテは困惑した。急にそんなことを言われても 答えられる自信がない。確かに彼は特別な存在だが、どう思っているのだろう。改めて考えてみると、彼の存在は自分 の中のどこに位置しているのだろう。プレタポルテは小さな両手で、クッションの布地を掴んだ。
 トレンチコートを羽織った背中。黒い肌。常に漂う臭気。素顔も表情も見えず、態度も素っ気なく、必要最低限しか 喋ろうともしなかったが、水や食糧を求めれば応じてくれた。彼にその気があればという前提に基づいた場合では あるのだが、構ってくれた、遊んでくれた。俺以外に懐くな、と小突いてくれた時、なんだか嬉しかった。
 彼はプレタポルテを利用しているが、プレタポルテもまた彼の影に縋ることで生き延びてきた。だから、短い人生 の軸は彼であり、彼こそが全てだった。それなのに、何の役にも立てていない。餌にされたのだから、その通りの 役割をこなさなければならないのに。軽くなった左足をさすり、プレタポルテは辿々しく彼の名を呟いた。
 不良在庫。





 


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