DEAD STOCK




12.Climb Up



 彼は一体何者なのか。
 そう考えること自体が野暮なのだと、彼の名の意味が教えてくれる。そういうものとして産まれ落ちた時点で、どう 生きてどう死ぬのかは定められている。だから、彼は何者でもなくなるということで、自分が押し込められた枠組み を破壊しようと目論んだのだ。それが成功したのか否かは、まだ解らない。なぜなら、今はまだ彼の人生の途中に 過ぎないからだ。最後の最後まで読み通さないと、いかなる本も結末が解らないように、彼が死なない限りはその 試みが成功したかどうかの判断は付けられないのだ。
 もっとも、当の本人が死ぬ気は更々ないようだが。ぴりっとした微細な刺激が脳に程良い刺激を与えてくれるから なのだろう、プレタポルテはいつになく頭が冴えていた。目はぼやけていて音も籠もっていたが、どこからか伝わる 情報がそれを補ってくれているので問題はなかった。プレタポルテは少々サイズが大きい靴を引き摺りながら歩き、 ぺたぺたと間の抜けた足音を響かせながら、少し前を行くノーバディの背を追っていった。
 彼の行く先には、ヴィジランテであろう人々が倒れ伏している。彼の不作法な頭突きを受けた途端に、皆は結晶体 へと姿を変えて硬直してしまうのだが、ノーバディはダメ押しで殴り飛ばすのである。その結果、結晶体と化した人々 は壁に激突してガラスやコンクリートに大穴を開け、更に自分自身も砕け散ってしまう。デタラメだ。
 その破片を踏んでは足の裏に傷が付いてしまうので、プレタポルテは出来る限り破片の少ない場所を選びながら 歩いていくと、彼のケーブルを引き摺っている背中が止まった。ケーブルは埋め込み式になっていて抜き差し出来る ものではなかったので、強引に引き千切ったため、尻尾が生えているような状態になっている。

「よお」

 ビルの中央の吹き抜けに至ると、ノーバディはその中心で半球状のガラスに覆われている人影に不躾な言葉を 掛けた。三重になっているガラスはレンズのようで、中心の人物の姿を奇妙に歪ませていた。ガラスと床の繋ぎ目 からは無数のケーブルが這い出していて、さながら植物の根のようでもある。

「久し振りだなぁ、イカヅチ。俺が作った絶縁体の中は、居心地が良いだろう?」

 ノーバディは身軽に跳ねて半球状のガラスが据えられている場所に飛び移ると、ガラスをこんこんと小突いた。 が、中に収まっている者からは、返事がなかった。ノーバディよりも厳つく、一回りは体格の大きいサイボーグで、 広げた両足の間に手をだらりと垂らして項垂れていた。銀色の外装の隙間からは、青白い電流が漏電している。 これこそが、かのイカヅチなのだろう。プレタポルテは階段を一歩一歩慎重に降りながらも、注視していた。

「お前に填められてからというもの、俺はこんなロボットに脳髄を押し込められたばかりか、再びつまらんダウナー に成り下がっちまった。俺はヒーローなんだよ、だからこんなところで立ち止まっている暇はないんだ」

 ごっどん、とノーバディは半球状のガラスに頭突きを喰らわせると、ヒビが走った。但し、内側にだけ。

「そうか。俺には反撃する価値すらないと?」

 イカヅチは答えない。漏電しながら、岩のように黙している。

「だったら、先手を打つまでだ」

 水を吸い上げた氷が凍結するように、ノーバディの額がめり込んだ部分から結晶体が伸び、膨らみ、生えていく。 一枚目の内側で成長した樹氷の如き結晶体は、二枚目を貫いて更に成長し、三枚目の内側に到達した。伸びる ほどに棘が尖り、太くなり、増殖した末に、イカヅチの頭上はぐるりと結晶体に囲まれた。

「この俺に与えた屈辱と同等の苦痛を受けろ!」

 ノーバディは額を外すと、腰を捻って拳を振りかぶった。その拳が半球体を振るわせると、結晶体の棘は一気に 活性化してイカヅチに突き刺さり、関節という関節を破り、抉り、外装の隙間に入り込んで、強引に引き剥がした。 血液のように機械油と人工体液が混じったものが飛び散り、複雑な模様が出来上がった。中でも、最も太い結晶体 がイカヅチの頭部を真下から破壊し、淡い肌色の柔らかなものが撒き散らされていた。あれは、デッドストックらとの 旅の道中で散々目にしてきた、人間の脳の中身だ。あれを潰されて、生きていられる人間はいない。人間は。

「いい様だ、イカヅチ」

 ノーバディは拳を下げて軽く振り、鼻で笑った。

「この期に及んで、生き恥を曝すのか」

 だが、電源を失っても照明は消えず、二度三度と点滅しただけで消えることはなかった。

「マゴットの蛆虫野郎、別電源でも見つけていたのか? まあいい、それならそれで利用するだけだ」

 ノーバディは死んだイカヅチを守っていた半球体を砕き、砕き、砕き、無防備な死に様を曝させてから、通信機材が ないものかと辺りを探し始めた。そんな場所にはない。見つけられたとしても、ただのダウナーでヴィランでしかない ノーバディに使いこなせるわけがないのだ。マゴットはふんだんな知識と情報を与えているから、コンピューター や情報媒体を活用出来る。彼の行動理念が娯楽であると既に把握していたから、ヴィランに力を貸すことは容易 に想像が付いている。だから、この展開は想定済みだ。

「長かったよ。君自身が作った結晶体を破壊出来るのは、理論上、君自身だけだからね」

 辿々しく舌を動かして幼い声帯を震わせ、ダウナー同士が使う汚い英語を用いる。

「……あぁ?」

 訝しげにノーバディが振り返ると、人造妖精は外見に似付かわしくない仕草で側頭部を小突く。

「おかげで、随分と体を休めることが出来たよ。制限された環境で能力を操る訓練も、飽きるほど積み重ねることが 出来た。電気を電波や電磁波に変換して応用することも、生き物の生体電流を操ることも、脳波でさえも支配下に 置けることも、気付けたよ。礼を言おう」

 やめて、黙って、勝手に動かないで、とプレタポルテは懇願するが、電気刺激が拡大して意識を塗り潰していく。

「そして、人造妖精の羽が何なのかもね。私でなければ知れなかったことであり、理解出来なかったことだ。故に、 私はこの戦いに勝利することが約束された! 私は最初から勝利者であり、支配者であり、征服者なのだ!」

 人造妖精の小さな肉体に電流に変換した意識を憑依させたイカヅチは、金色の瞳を見開き、口角を上げる。

「大した物言いだな。ブッ飛んでいやがる」

 ノーバディは肩を揺すり、乾いた笑いを零した。

「ならば、飛ばしてやろう。その方が、騒音が減るからな」

 短い指先に紫電が絡み、爆ぜる。プレタポルテの意志に反して振り下ろされた腕から、雷撃にも匹敵する電流が 放たれて銀色のロボットを焼き、途切れた。腹部装甲に黒い焼け焦げが出来たノーバディはよろめき、汚い罵倒を 吐き出していたが、バランスを崩して仰け反り、吹き抜けの土台である円形の床から落下した。
 数秒後に金属の固まりが激突する音が響いたが、呻き声も聞こえなかった。雷撃を浴びせた拍子に、脳までもが 焼き切れてしまったのかもしれない。人造妖精は痺れの残る手を振り払ってから、偽物の羽に意識を向けた。
 昆虫の羽に似た形状の、虹色に輝く高密度集積回路に電流を走らせる。




 勝手にやってくれ、と思うしかなかった。
 ラバースーツを再び着込んで素肌を隠し、切断された右腕の袖口を縛り、ブーツを履いた後、デッドストックは背後 で繰り広げられている大規模な戦闘を窺った。プライスレスは瓦礫の影からそっと顔を出したが、すぐに引っ込めて は変な声を漏らしている。それもそのはず、ヴィランであるターンオーバーが色街の土台をその名の通りの能力で 逆転させ、バードストライクが朽ち果てた戦闘機を放り投げると、イカヅチの都市に潜んでいたのであろうヴィラン達 が湧き出してきた。が、彼らはジャクリーン・ザ・リッパーの狂気を宿したジガバチの群れに襲われ、大半が早々に やられてしまった。それでも、生き残ったヴィラン達は、それぞれが持つ屑同然の能力を駆使して戦い、色街の土台 に攻め込んできていた。彼らの狙いがなんであれ、関わらないのが一番である。疲れるからだ。
 ヴィランの実質的なリーダーであったスマックダウンの亡き後、バードストライク率いるヴィランは紆余曲折を経て イカヅチ率いるヴィジランテに迎合した、という事情は、バードストライクがイカヅチの都市から現れたことで大体の 想像が付くが、手始めにクイーンビーを屠ろうと考えていたとは思いも寄らなかった。色街の土台がひっくり返された 後に発生した暴風と砂埃に紛れ、バードストライクらに目を付けられる前に手近な瓦礫に身を隠すことが出来たのは 不幸中の幸いだった。隙を見て逃げようにも争いが激しすぎて逃げるに逃げられない、とも言えるが。

「どーするぅ?」

 ガスマスクの内側を拭って汚れを取ってから、プライスレスはそれを被り直した。クイーンビーの配下の生き残りと、 イカヅチの配下だったジガバチの群れと、ヴィラン達が争っているが、どの陣営も統率が取れていないので、どこが 勝っているのか負けているのかすらも解らない。ただ、闇雲に殺し合っているだけである。

「収まるまで待つしかないだろうな」

 デッドストックはショルダーバッグを探り、水の入った金属製のボトルと袋を取り出した。ラバーマスクを押し上げて 水を呷ってから、袋に入れておいたジガバチの幼虫を乾燥させたものを囓った。クイーンビーが産んだジガバチの 卵の中には孵化すらしないものがあったので、加熱して乾燥させ、食糧にしたのだ。味は蛆虫よりも良い。

「かったりぃー」

 ジガバチの幼虫の乾いた肉を毟り取ったプライスレスは、ガスマスクの隙間から中に押し込み、咀嚼した。

「どうせ長続きはしないんだ、どいつもこいつも相打ちになって死ねばいい」

「うん、俺もそう思うんだけどさぁ、なーんか引っ掛かることがあるんだけど」

「なんだ」

「言ってもいい? 言っちゃってもいい? 本当に言っちゃってもいいの、いいのね、いいんだよね?」

「さっさと言え、鬱陶しい」

 デッドストックが軽く引っぱたくと、プライスレスはつんのめって後頭部を押さえた。

「ぶっちゃけ、ストッキーはどっちが好きなの? リズと妖精ちゃん」

「はあ?」

 何かと思えば、下らない。デッドストックが面食らうと、プライスレスは両手を広げた。

「つか、はっきりしてくれないと俺としても身の振り方に困るんだけど。ねえ?」

「なぜお前が困るんだ」

「リズは色々とアレな女だけど娼婦だし、殺しても死なないからどうにでもなるけど、妖精ちゃんはそうじゃないじゃん。 上も下もぺったんこなガキンチョだし、ストッキーに放り出されたらすぐに死んじゃうだろ」

「だから、何なんだ」

「だから、って鈍いなもう。そんなんだから、ストッキーはいつまでもストッキーなんだよ、俺以外に懐かれないんだよ、 妖精ちゃんにも愛想尽かされちゃうぞ? とにかく、どっちが本命なのかは決めておけよ。でないと、後で面倒なこと になっちまうからな。手伝ってやらないからな?」

「いらん。というか、お前はさっきから何の話をしているんだ。この非常時に」

「非常時だからこそじゃないの、解ってねぇなぁー。んじゃ、話しやすい場所に移動するぅ?」

「移動するだけ労力の無駄だ」

「じゃ、暇潰しにお喋りする? しちゃう? 俺、ストッキーに話したいことが山盛りてんこ盛りにあるんだけど!」

「黙れ。喉を潰すぞ」

「だったら、なんで俺と一緒にいるの? 何それ、ツンデレのつもり? デレられても困るんだけど、嬉しくて!」

「黙れ。首を折るぞ」

「それじゃ、妖精ちゃんを助けに行きたいけど体が動かないのが癪だから回復するまで待つけど右腕もないし 消耗もしまくっているからいざとなったら俺を盾代わりにして生き延びようってこと!? うわぁマジ外道!」

「そうだ」

「いや待てよ、妖精ちゃんを助けに行きたいけど、って部分を否定しなかったぞ? え、え、ええー?」

「黙れ」

 事ある事に茶化されて騒がれると、心底苛々する。デッドストックは手袋を填めた左腕を振るってプライスレスを 殴り付けると、ようやく黙ってくれたが、まだ何か言いたげだったが睨み付けると大人しくなった。助けに行きたいと 思っているわけではない。単純に、手元に置いていたものがなくなってしまうと落ち着かなくなるだけだ。人造妖精 はデッドストックの拾得物であり、私物だからだ。左腕に巻いている鎖も、それを付けておくべき相手がいなければ ただの頑丈なメリケンサックにしかならない。だから、自分のものを拾いに行くだけだ。
 それだけのことだ。





 


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