DEAD STOCK




17.Breed True



 増殖、分裂、分裂、分裂、更に増殖。
 蛆虫の海、ハエの海、餌である死体の平原。腐肉の一片も残さずに貪り尽くされた死体は干涸らびていて、爪の 生えた下両足で踏むと呆気なく砕けた。心地良い地獄である。マゴットは無数に分裂した自分から流れ込んでくる 意思と、生まれたての蛆虫の意識を絡め取りながら、骨を組み合わせて築いた玉座に腰掛けた。
 中右足が掴んでいるヴィジョン受像機が投影している立体映像では、ジガバチの群れがデッドストックらを捉えて サンダーボルト・シティ跡地へと運び入れる様が映っている。あのドームに入れば最後、簡単に外へは出られまい。 あの恐ろしく巨大なドームは塔の土台であると同時に、天上世界に至ったアッパーを支えるための労働力としての 人間が何万人も詰め込まれ、死ぬまで働かされていた場所だ。故に、出口はない。
 ジガバチもマゴットも、元々はそのドームの中で完成された生態系の一部だった。ジガバチは労働出来なくなった 人間を捕らえては植物の堆肥に変えるばかりか、ジガバチ同士のネットワークを駆使して人間達を監視していた。 マゴットは、衰弱や病気で死んだ人間達を堆肥に変えるために腐肉を喰らうものであり、能力者への対抗手段の 一つでもあった。マゴットは、かつて地上に存在していたハエを掛け合わせて作られた種族ではあるが、ニクバエの 能力に特化している。能力者の隙を衝いて卵を皮膚に植え付けて孵化させ、能力者を内側から貪って殺すために 作られている。だが、それはあまり上手くいかなかったため、マゴットは腐肉喰いとしての役割を果たしていた。
 今の今までは。マゴットは左上足を曲げて頬杖を付くと、肘に当たる関節を預けた部分の頭蓋骨が砕け、その中 に巣くっていたハエの群れがぶわっと飛び立った。一瞬、視界を染めた黒い粒子が遠のいていく。マゴットは複眼に 爪先を添えて、触角を片方立てた。死体の平原の一角で、白骨化した死体が波打ち、骨が迫り上がる。

「やあ。御機嫌、いかが?」

 マゴットが不躾な言葉を掛けると、乾いた骨を割りながら、一匹のジガバチが起き上がる。

「……私をどうするつもりだ」

 額に赤い印が付いたジガバチ、ハニートラップだった。彼女はぎちぎちと顎を鳴らし、威嚇する。

「大したことでもないよ。君に大人しくしておいてほしいだけさ」

 マゴットが肩を竦めると、ハニートラップは太い毒針が生えた腹部を曲げて手近な頭蓋骨を貫く。

「私の部下をどうした」

「君も知っているはずだろう。彼女達と繋がっているのなら。遠隔操作した君にドームまで誘導してもらった後、一匹 残らずドームの中に入ってもらったんだ。その方が、色々と便利だしね」

 にちり、とマゴットは骨の玉座の隙間に埋まっていた蛆虫を一掴みし、艶々と太った蛆虫を爪先で潰す。

「今や、僕達を支配する者はいない。それだけで、言いたいことが解ると思うけどね」

「つまらん。付き合っていられん」

「ジガバチはクイーンビーありきの種族だったけど、それはただ単にクイーンビーの繁殖力が凄まじかったから王座 を譲っていただけであって、クイーンビーがいなくてもジガバチは成立する。クイーンビーのやり方を改善すれば、 もっと効率の良い色街も作り上げられる。ともすれば、イカヅチの立場に成り代われるさ。僕と君は、いや、僕達は 凄まじい繁殖力を持っているんだ。繁殖こそが繁栄に繋がり、繁栄は支配に連なり、支配は統一へと至る。それが 解らないほど、君は愚かじゃないはずだよ。ねえ、ハニートラップ」

「そんなことには興味はないな」

「君はなくても僕はあるさ。僕は、長らくイカヅチのサイドキックだった。いや、世界そのもののサイドキックだったと 言っても過言ではないね。ハエは害虫の代名詞であり、不潔の象徴であり、悪魔のモチーフですらある。それ自体 は決して悪いとは言わないけど、僕は面白くないんだよね。なんとなく」

「それだけの動機で、大事を起こすのか」

「どんな出来事にしても、切っ掛けは些細なものだよ。バタフライ・エフェクトってやつさ」

「意味が解らん」

「解らないのであれば、それはそれで構わないよ。僕は、僕の物語を紡ぐんだからね」

 マゴットは、鋼鉄の外骨格を纏った女を眺め回す。いかにも男性的な鈍色の装甲の下には、柔らかく繊細な内臓 と冷たい体液と、曲線だけで形成されている女性の肉体が収まっている。その落差が気色悪いが、同時に奇妙な 扇情にも駆られる。基本的にマゴットは単体繁殖してハエを増やしているので、異性に対して性的欲求は覚えたりは しないのだが、似たような経緯で作られた虫だからだろう、ジガバチには少々特別な感情を抱いている。
 特に、ハニートラップには。イカヅチでなければ見つけられはしなかった、アッパーのデータベースに残されていた 情報が正しければ、地球から脱出した末に宇宙に適応した人類であるイミグレーターは、アッパーとダウナーのよう に源流は同じでも別の種族と化しつつある。そのイミグレーターと交配した混血児を産み落とせたばかりか、自身も また能力者であったハニートラップは特別だ。彼女がいかに特別であるかを調べ尽くし、その体質を応用し、ハエの 群れやマゴット自身も強化出来るかもしれない。ともすれば、クリスタライズ、リザレクションだけでなく、アッパーさえ も陵駕出来る可能性がある。だから、ハニートラップの脳に蛆虫をねじ込んだ。
 マゴットが触角を少し曲げると、その指示を受けた蛆虫がハニートラップの脳内を掻き回した。死なない程度に、 それでいて抵抗する意思を奪い取れるように、蛆虫を誘導していく。その度に彼女はおぞましい悲鳴を上げて痙攣 し、六本足をでたらめに動かして暴れるが、骨が散らかるだけだった。
 その様は禍々しく、それ故に美しかった。




 拘束は、実に呆気なく解けた。
 水に長時間浸して柔らかくしたジガバチの唾液を、ジャクリーン・ザ・リッパーが宿っているジガバチの爪で切って もらったからである。両手が自由になればこっちのものなので、両手足に残っているふやけた唾液を全て剥がして、 プレタポルテとプライスレスのものも剥がしてやった。凝り固まっていた背筋を伸ばすと、関節が鳴った。

「んーと、何から説明してあげよっかなぁ」

 ジガバチの胸部の外骨格の一番上だけを開き、そこに顎を載せた状態でジャクリーンは首を曲げた。

「あ、そうそう。ジガバチの女の子達ってねー、結構可愛いんだよー。顔じゃないよ、性格が。クイーンビーの影響を 一杯受けているせいだと思うけど、ちょっとでも綺麗なものとか可愛いものを見つけると、きゃあきゃあ騒いで目的を 見失いかけちゃったりするのー。でも、ハニートラップがそこでビシッと締めてくれるから、なんとか一纏めになって いるって感じかなー。仕方ないよね、オンナノコだもんね。それでね、蜜の作り方も覚えたんだよ。ジガバチの体の 中にはね、蛋白質から糖分を抽出するための内臓があって、それを使って蜜を作るんだ。だから、クイーンビーが 山ほど持っていたハチミツの原料はね、ジガバチ達が食べた人間の死体だったの。どう、面白いでしょ?」

「なんか……まともになってない?」

 プライスレスが半笑いで呟いたので、デッドストックは訝りつつも同意した。

「言動は変なのは相変わらずだが、まあ、以前よりは意味が通じることを喋っているな」

「うげぉろっ」

 すると、プレタポルテが唐突にえづき、浅い池の手前で吐き出した。プレタポルテの脳裏には、クイーンビーの元 に攫われて間もなく、口にチューブを突っ込まれて消化する前に排泄するほど大量のハチミツを流し込まれた経験 が甦ってしまったからである。それだけでも辛いのだが、その原料が人間の死体だと知ると、尚更気分が悪くなる。 ジャクリーンはジガバチ達の記憶を通じて少しは事情を知っているので、プレタポルテに同情したが、デッドストック とプライスレスは何も知らないので、不思議がっていた。
 ひとしきり吐いてから口を濯ぎ、口直しに少しだけ水を飲んでから、プレタポルテは気を取り直した。ジャクリーンは 涙目ながらも唇を結んでいるプレタポルテの様子を確かめてから、話を続けた。

「それでね、このドームってね、アッパーのお下がりなの。塔を支える土台で、元々は塔に貢ぐ物資を生産するため の工場でもあったんだけど、労働力だった人間が全部死んじゃったから、ドームとその中身だけが残ったの。私達が いた世界、地下世界でまともに生育出来る穀物の種はここにあったもので、品種改良されているから紫外線の 量が大したことなくても育てられたんだ。それと、このドームには入り口はあっても出口はないから、気を付けてね。 私も外には出られないと思うから、当てにはしないでね。まあ、出られないなら出られないなりに幸せに過ごそうね、 ってジガバチの皆と話し合って決めたんだけどね。皆、良い子だから、ケンカしたくないもん」

「しれっととんでもない事実を言うなよ」

 プライスレスがげんなりすると、ジャクリーンは左目をぎょろつかせる。

「だって、本当だもん。出口があるのかなー、って探し回られて無駄足踏まれて八つ当たりされたくないもん」

「それは確かにそうだが」

「うぃ」

 残酷な事実なら、早めに宣告してくれた方がいい。デッドストックが呟くと、プレタポルテも同意する。

「だから、仲良くしようね!」

 ジャクリーンに不気味に微笑まれ、プライスレスは苛立った。

「お前みたいな妄想クソ女と仲良く出来るか!」

「えぇー。せっかく良い子になれたのにぃ、普通にお喋り出来るようになったのにぃ、つまんなーい」

 プライスレスの態度にジャクリーンは拗ねてしまい、ジガバチの体の腹部が左右に揺れた。

「お前の妄想が収まった理由が解らんのだが」

 とりあえず状況を整理しようとデッドストックが尋ねると、ジャクリーンはすぐさま機嫌を戻す。

「聞きたい? じゃあ教えてあげる! あのね、私ね、あなたにズタボロにされて手足を千切られて半殺しにされて この子の中に突っ込まれてから、私の頭の中に一杯詰まっていたことがね、ジガバチ達に広がって薄くなってね、 すっきりしたんだ! でも、まだちょっとふわふわしていたから、どうしようかなぁって思っていたんだけど、あの子達 が生えていたからちょっと食べてみたの! そうしたら、ふわふわが消えてくれたんだ!」

 ジャクリーンは嬉しそうに右前足を上げ、弱い風にそよぐパパルナ達を指した。

「元々ラリっているところにパパルナのどぎつい毒をぶつけたから、一巡しちゃっただけなんじゃねぇの?」

 プライスレスの意見に、デッドストックは頷いた。

「だろうな」

「でもね、ハニートラップとジガバチ達がね、ちょっと変なの」

 ジャクリーンは物憂げに声のトーンを落とし、ジガバチの体も伏せさせた。

「あなた達が色々やってイカヅチの街を壊しちゃってから、私達は地下世界に戻ってきたんだけど、途中でお腹が 空いたから、その辺にあった死体を食べたんだ。でも、その死体には悪い虫が入っていたみたいで、皆との繋がり が弱くなってきちゃったの。あなた達を攫うように、って命令を受けた時はハニートラップもちょっとは元気だったから お話し出来たんだけど、もうダメになっちゃった。困っちゃう。つまんない」

「誰の仕業か、ってのは」

「考えるだけ無駄だな」

「にゅ?」

 プライスレスとデッドストックは即座に察したが、プレタポルテは解らなかったのか首を傾げた。

「外に出るぞ」

 デッドストックが腰を上げると、ジャクリーンは呆れる。

「今、出られないよーって教えてあげたばっかりじゃなーい。馬鹿なの?」

「げひゃはははははははは、そりゃストッキーは馬鹿も大馬鹿に決まってぇごふぉっげくっ!?」

 笑い転げ始めたプライスレスに膝を叩き込んでから、デッドストックはトレンチコートの襟を正した。

「みゅー!」

 プレタポルテはすぐさまデッドストックの足に縋り付き、その場で飛び跳ねた。

「外になんか出ない方がいいと思うんだけどなぁー。そりゃ、地下世界の方が色々あって楽しいけど、ここにいるのも 悪くないし、居心地もいいし、皆と仲良く出来るし。なのに、どうして?」

「まだやることがあるからだ。刃物女、マゴットの居所は解るか」

「んー、まあねー。私の頭の中の蛆虫は、私の頭の中に生えた刃がぷちって潰しちゃったけど、他のジガバチの子の 蛆虫を経由すればすぐに調べられるけど。てぇことは本気なんだぁ。すごぉーい。わぁー、きゃあーん」

「本気でなければ、生き延びられはせんさ」

 殺したつもりでいたマゴットが生きているだけでも煩わしいのに、ジガバチを操られては輪を掛けて厄介だからだ。 だから、手を下すまでだ。よおしやろうやろう、とプライスレスがやる気になり、プレタポルテも諸手を挙げて賛成した ので、ジャクリーンは呆れつつも付き合ってあげると言った。狂気さえ拭い去られれば、頭は弱いが気の良い女だと 知った。となれば、ドームを破壊する手段を考える必要が出来たが、苦にはならなかった。
 破壊工作は面白いからである。





 


13 9/25