DEAD STOCK




4.Under Pass



 ハエ人間は、マゴットと名乗った。
 小柄ではあるが相当な腕力があるらしく、マゴットはデッドストックごとプレタポルテを脇に抱えて地下鉄の線路 を歩いていった。荷物を人質に取られているプライスレスも、ガスマスクにへばりついたハエ達を払い落としながら、 重い足取りでマゴットの背中を追っていった。無数のハエに襲い掛かられて鼻と口を塞がれ、窒息しかけたせいで 意識が遠のいたデッドストックは荷物のように運ばれながら、、自分が心底情けないと思ってはいたものの、反撃に 転じることは出来なかった。全身の骨折を直した後に歩き通したせいで、体力が限界を迎えていたからだ。
 ずるずると引き摺られた末に辿り着いたのは、やけに明るい空間だった。マゴットはプレタポルテを平らな場所に 座らせてやってから、デッドストックを転がし、最後にプライスレスの荷物を放り出した。

「何しやがる、ハエ野郎!」

 プライスレスはマゴットに掴み掛かろうとしたが、マゴットはプライスレスの肩を軽く押すと、やはり疲労が限界まで 蓄積されていたからだろう、プライスレスは呆気なくへたり込んだ。

「ちょっと大人しくしておいてよ。それと、周りのものには迂闊に触らないでね。塔の中から運び出してきたものが 多いし、どれもこれも貴重品なんだからね?」

 えぇとだね、と独り言を漏らしながら、マゴットは壁にずらりと並んでいる棚を探り始めた。デッドストックは背中に 接しているコンクリートの堅さと冷たさを感じ、少しだけ気力を取り戻すと、目を動かした。どうやら、ここがマゴットの 住み処になっているのか、至るところに生活用品が置かれていた。やたらと明るかったのは、天井に等間隔で填って いる棒状の照明装置のおかげらしい。だだっ広い部屋には路線図と看板がいくつも付いていたので、駅の構内だと みていい。名前は知っているが機能は見当も付かない、ジドウカイサツと思しき機械が列を成していた。

「ねえ、この子って人造妖精だよね?」

「だからどうした。手を出したら、お前を殺す」

 デッドストックが余力で毒突くと、マゴットはプレタポルテのガスマスクを外させ、覗き込んだ。

「あー、こりゃひどいや。凄い熱だ。ちょっと口を開けてごらん、真っ赤に腫れちゃっているねぇ、苦しいだろうねぇ」

「おい」

「感染源と病原体はいくらでも思い付くけど、発疹も出ていないし、下痢もしていないみたいだから、手持ちの薬で 治りそうだね。運が良いよ、君は。とりあえず、体を調べてみないと」

「おい」

「その前に、予防接種の後があるかどうかを調べないと。この前の人造妖精は、そうそう、二の腕の裏側に」

「おい」

「何もない。てぇことは、この子は本当に真っ新だったのか。だとすると大変だなぁ、気を抜くと死んじゃうぞ。体力を 維持出来るようにしてやらないとだね。でないと、他の病原体にも感染しちゃう」

「おい!」

 プレタポルテをいじり回しているマゴットに、デッドストックが声を荒げると、ハエ男は面倒そうに振り返る。

「なんだよ、やかましいな。静かにしてよ、集中出来ないじゃないか」

「それは俺の所有物だ」

「でも、これは君の手には負えないよ。放っておくわけにもいかないし」

「お前に触られることを許可した覚えはない」

「僕だって許可をもらった覚えもないけど、見過ごすわけにはいかないじゃない。だって、勿体ないから」

 まずはお風呂に入れてやらないとね、と言い、マゴットは泥だらけのプレタポルテを中両足で抱えた。

「アッパーが僕達に寄越してくれた財産を蛆虫の餌にしちゃうのは、さすがの僕でも気が引けるんだよ」

「おい」

 またもやプレタポルテごと引き摺られそうになったデッドストックが抗議すると、マゴットは立ち止まる。

「君の腕ごと鎖を切っちゃってもいいんだけど、それをやると僕の斧が腐っちゃって勿体ないんだよね」

 すとっきぃー、ようせいちゃあん、どこいくんだよぉ、とのプライスレスの心細い声を背中に受けつつ、デッドストック は渋々立ち上がってマゴットに付いていった。小柄ながら口の回るハエ男は駅の構内を大幅に改造しているらしく、 ケーブルやパイプが何本も床に横たわっていた。ジドウカイサツ前からしばらく歩いていくと、古い言葉で待合室と いう看板が掛かった小部屋に到着した。その中には、驚いたことに水が並々と張られた円形の桶があった。

「真水?」

 湿度の濃密な小部屋に踏み入ったデッドストックは、桶の縁から零れ落ちていく透き通った水に魅入られた。自力 で濾過した真水の量はタカが知れているので、一度にこれほど大量の真水を目にしたのは生まれて初めてだった。 アングルワームがパパルナを囲い、ケシの花と大麻を育てさせていた工場で使っていた水もそれなりに綺麗な ものだったが、ここまで透き通ってはいなかった。だが、この水は違う。飛沫さえも眩く、僅かな光を撥ねている。 桶の縁の周囲には排水用の溝が掘られていて、待合室の出入り口から外に向かっていて、余剰分の真水をホーム から線路に流していた。それこそ、勿体ないではないか。

「この服、どうしよう。ドロドロでべとべとなんだけど」

 プレタポルテの服を脱がしながら、マゴットがデッドストックに問うてきたので、デッドストックは我に返った。

「捨てるな。俺のものだ」

「じゃ、後で煮沸消毒でもしてあげるよ。気休めだけど」

「俺の人造妖精をどうする気だ」

「だから、お風呂に入れるの。ああでも、君は触らないでね。腐っちゃう」

「フロ?」

「名前ぐらいは聞いたことあるでしょ、さすがに」

 お風呂に入らずに一生を終える人も少なくはないけどね、と言いつつ、マゴットは桶に水を流し込んでいるパイプ のバルブを捻って水を止めた。それから、壁に貼り付けてあるスイッチを入れ、温度計を水の中に差し込んだ。何を しようとしているのか、察しが付くようで付かない。この場で暴れてプレタポルテを奪い返そうにも、体力が思うように 回復していないので、返り討ちに遭うだろう。かといって、プレタポルテを見捨てるわけにもいかない。仕方ないので、 デッドストックは待合室の隅にあったベンチに腰を下ろし、人造妖精の入浴風景を見守ることにした。

「この桶の中にはね、電熱線が入れてあるんだよ。沸くまで時間は掛かるけど、火を使うよりも安全だから」

 アルコール式温度計が三十八度を指し示すと、マゴットはスイッチを止めた。桶からは真っ白い湯気が立ち上り、 視界を塞いでいた。桶の中に浮かばされているプレタポルテは相変わらず苦しげではあったが、マゴットによって 汚れきった髪を洗われ、柔らかなスポンジで泡立てた石鹸の泡で肌を擦られていくと、次第に表情が和らいだ。 体中を綺麗にされて桶から出されて、乾いた布で体を丁寧に拭かれると、プレタポルテは最初に出会った時と同じ、 いや、それ以上に清冽な妖精となった。ほんのりと火照った頬が愛らしく、クセ毛の淡い緑髪もふわふわだ。

「とりあえず、これでも着ておいて」

 マゴットは呆けているプレタポルテにサイズの大きい服を着せると、プレタポルテはにんまりした。

「うぃ」

「お腹空いた?」

「うぃ」

「じゃ、食べられるだけ食べてから、薬を飲ませてあげる。そうすれば、少しは楽になるはずだよ」

「ぷーるー?」

「どうしてかって? そりゃあ、イカヅチが君を欲しがっているからだよ。滅多なことをすると、リアルな意味での雷が 落ちてくるからね。北欧神話みたいに」

「けしゅ?」

「北欧神話っていうのはね、むかーしむかしの更に昔の人達が考えたお話でね……」

 いきなり打ち解けた二人が仲睦まじく話し始めたので、デッドストックは苛立った。

「おい」

「ああ、ごめんごめん。だって、こんなに可愛い生き物とコミュニケーションを図らないなんて勿体ないじゃない」

 外に行こう、とマゴットはプレタポルテを促すと、プレタポルテはデッドストックを手招いた。

「おにゅわ」

「俺以外に懐くな」

 デッドストックは妙な焦燥に駆られてプレタポルテの額を小突くと、綺麗になったばかりの肌に泥が付いた。それを 袖で拭ったプレタポルテはむくれたが、デッドストックのトレンチコートの裾は離そうとしなかった。ジドウカイサツ前 に戻るとほったらかしにされていたプライスレスが猛然と抗議してきたが、デッドストックは彼の治りきっていない骨を 強かに殴って即座に黙らせた。余計な言い合いをするだけの余力がないからである。
 激痛にもんどり打っているプライスレスの呻き声をBGMにしながら、デッドストックとプレタポルテはまともな食事に 有り付いた。あの桶の水だけでも充分驚嘆に値したが、マゴットが振る舞ってくれた食事はオートミールだったので 更に驚いた。デッドストックは密造酒の材料である穀物を入手していたが、一キロを買い取るだけでも相当な苦労を しなければならず、大金を払わなければならなかったからだ。

「ハエ野郎のくせに金があるのか」

 腹立たしさと理不尽さを抱えながら、デッドストックは口に入れた時点ですぐに腐る穀物を咀嚼した。毒か何かが 仕込まれているのではと勘繰ったが、それらしい味はしなかった。それもまた意外だった。

「そりゃ、君達みたいなのが僕の蛆虫を買ってくれるからだよ。さっきの桶は蛆虫を煮るための鍋なんだ。乾燥蛆虫 を作るためには、加熱処理をしないとだからね。んで、湯から出して熱いうちに広げて並べて、風と光を当てて乾燥 させて袋詰めして売るの。蛋白源としては穀物よりも優秀だけど、どうにもヴィジランテには評判が悪くて。だから、 君達みたいなヴィランや貧困層が買ってくれて何よりだよ。おかげで、僕はイカヅチに気に入られてね、山ほど本を もらったよ。あの人はアッパー言語を読めないから、僕に解読させたいんだろうね」

 ぐずぐずに煮えたオートミールを口に流し込んでから、マゴットは顎を噛み合わせた。

「お前はヴィジランテなのか」

「厳密に言えばそうなるのかなぁ。確かにイカヅチとは関係があるし、ヴィジランテ絡みの仕事もいくつか回して もらっているけど、だからってヴィジランテの思想に傾倒しているわけじゃないし」

「塔に出入り出来る奴がいるとはな」

「ああ、僕はイカヅチと上手くやっているからね。そうでもなきゃ、ちょっと近付いただけでドカーンさ」

「奴と馴れ合っているのか」

「まさかぁ。僕は彼を利用しているだけだよ、彼が僕を利用しているように」

 スプーンが上手く使えないらしく、プレタポルテはオートミールを掬って口に運ぼうとするが、途中で何度も零して 胸元を汚していた。見るに見かねて、デッドストックは人造妖精の手からスプーンを奪って、オートミールを口の中に 放り込んだ。プレタポルテは眉根を寄せて食べ慣れないものを噛み締めていたが、嚥下し、笑った。嫌いな味では ないらしい。デッドストックは自分の残りを掻き込んでから、プレタポルテに食べさせてやった。

「どうして俺達に手を貸す」

「君達じゃないよ、人造妖精にだよ。塔に出入りしてアッパーの情報を知るようになると、人造妖精について深く 知りたくなっちゃったからさ。でも、人造妖精の持ち主と関係者を放っておくと余計な恨みを買っちゃいそう だから、一纏めにしたってだけさ。もちろん、お風呂と食事と薬の対価は払ってもらうからね」

「ただで厚遇されるとは誰も思っちゃいない。その内訳は」

「蛆虫の餌、作ってくれないかな? 地下鉄を伝ってヴィラン崩れの死体を捜しに行くのもいいんだけど、持って帰る までが大変だから、その辺の行き倒れを引っ張ってきたんだ。でも、まだ腐っていないから、ハエ達の食い付きが 今一つでさ。だから、デッドストックの能力を借りたいんだけど」

「俺と人造妖精を引き離す気か」

「まさかぁ。その鎖は切れないし、僕は君に勝てるわけがないじゃない。この前は、君達が弱るのを待ってからハエ の大群をけしかけたから、僕が勝てただけだってことぐらい解っているさ。腕っ節でヴィランに敵うわけないからね。 まかり間違って人造妖精が死んじゃったら、それこそ、勿体なさすぎるじゃない。仕事をちゃんとしてくれるかどうかは 見張るけど、手出しはしないよ」

 マゴットは舌先でべろりと顎に付いたオートミールを舐め取り、嚥下した。

「君達を生かして泳がせておかないと、面白くならないしね」

「……つまり、それってこういうこったろぉ?」

 うげぇまたアバラ折れた、と唸りながら這いずってきたプライスレスは、三人の傍に寝転がった。

「ただでさえ跳ねっ返りのストッキーは、スマックダウンにケンカ売って勝っちゃった。んでぇ、スマックダウンの手下 だったけどヴィジランテに鞍替えしたスピアーもストッキーがぐちょっと殺しちまった。でもって、クイーンビーの娼館 にいたけどミミズ野郎に買われたパパルナも、ストッキーが殺したことになっちまった。どいつもこいつも血の気が 有り余っているし、縄張り争いをしたくてうずうずしているから、ストッキーの頭越しにド派手なケンカをおっ始める に違いない。んで、蛆虫野郎はそれが見てみたい、ってぇことだろ?」

「うん、大体そんな感じ。だって、本は読み飽きちゃったから」

 だから、争ってほしいんだよね。悪びれずに言い切ったマゴットは、はい餞別、と鍋の底に残っていたオートミール を刮げ取ってデッドストックの皿に放り込んだ。デッドストックはそれをマゴットの顔にぶちまけてやりたくなったが、 さすがにそれは勿体ないので、プライスレスの頭の傍に皿を転がした。
 まともな奴など、この世界にいるはずもない。





 


13 6/19