DEAD STOCK




9.Honey Daw



 ようせいさんは、どこからくるの?

 みんなをえがおにして、おなかもいっぱいにしてくれて、きもちよくしてくれるようせいさんは、工場で作られます。 天上世界にたくさんある工場から、まいにち、三万体のようせいさんが出荷されます。

 ようせいさんの材料は、あたまがよくならないように塩基配列をチョキンと切ったいでんしと、ようせいさんがいつも 笑顔でいるためのおくすりと、おいしいお肉になるためのたべものと、とってもかわいくてキラキラした羽です。

 培養液のプールでぷかぷかして受精卵になったら、人造子宮でぐっすり眠って、成長促進剤と各種ホルモンを 混ぜたカクテルをぽちょんと落とされ、それから培養器の中ですくすく育って、ほら、三ヶ月でできあがり!

 ようせいさんはあなたのものです、どうぞお好きに遊んでね! こつんと殴ると、可愛い声で鳴くよ!

 ようせいさんはにげません、どうぞお好きに使ってね! お腹の中は空っぽなので、赤ちゃんは出来ないよ!

 ようせいさんはおいしいです、どうぞお好きなところを食べてね! ぷりぷりのお尻と心臓がとってもおいしいよ!

 アッパーの心を、舌を、そして動物的な本能を満たしてくれる、極上の商品をいつでもお届けいたします。お近くの スーパーマーケット、ホームセンター、精肉店でお買い求め下さい。必ず、あなたを御満足させます。
 人造妖精の製造、販売、開発は、信頼の品質と実績のフェアリーテイル。クリミナル・ハントには、当社の製品が 使用されております。ダウナーに痛め付けられる人造妖精と同じ遺伝子配列の個体が食べたくなったら、当社に直接 御連絡下さい。最寄りの工場から配送し、三時間以内にあなたの元にお届けいたします。

 ぴかぴか、ふわふわ、ぷにぷにの、みんな大好き、プレタポルテ!
 あなたはわたしの、どこを食べたい?




 ひどい頭痛と猛烈な吐き気と、世界がひっくり返りそうなほどの酩酊感。
 ガスマスクは外されているので、呼吸がいつになく楽だった。だが、吸い込んだ空気の粘っこい甘さが鼻の粘膜に 引っ掛かり、肺に入れ損ねた。ひどく咳き込むと胃の中に少しだけ残っていた胃液が迫り上がり、吐き出すと、頭の 下に置かれていた柔らかい固まりに染み込んだ。涙目になりながら喘ぎ、何度も瞬きすると、少しずつ視界が晴れて 状況が解ってきた。彼がいない。足首に付いた鎖の先には、どろりと腐った右手首だけが残されていた。
 ああ。ああ。ああ。言葉にならない恐怖と混乱と絶望が襲い掛かり、泣き叫ぶ。彼こそは自分を殺してくれるもの だと信じていたのに、彼にだけは殺されたいと願っていたのに、どうして彼から引き離されてしまうのだろうか。
 目の端に影が忍び寄ってきたかと思うと、強引にマスクを被せられて更に甘い空気を吸わされた。その手の主は 黄色と黒の外骨格を持った女王バチ人間、クイーンビーだ。黒く光沢を帯びた複眼が迫り、自分の顔が映る。涙と 鼻水と吐瀉物で顔がべたべたに汚れた、無様な子供だ。背中に埋め込まれている偽物の羽にはフックが付けられ、 ベッドの四方から伸びた細い鎖に繋がれていた。逃げようとすれば、羽ごと背中の皮膚と筋肉を剥がさなければ ならないということだ。女は何かを言っているようだが、上手く聞こえない。
 それもそのはず、産まれて間もない頃に耳を潰されているからだ。だから、相手の言っていることが聞き取れない から言葉も発達せず、舌っ足らずにしか喋れない。だから、偽物の羽に内蔵されている高機能情報端末を通じて、 飼い主から送られる命令を受け取るのが常だ。視力もいい加減なものだ。遺伝子操作で無理矢理成長させられた 弊害なのだろう、個体差はあれども全体的に低すぎる。0.3もあればいい方だ。その原因は、瞳孔の色合いを人間 離れした幻想的な金色にしたからだと言われているが、それ以外にもあるだろう。
 人造妖精は先天的な疾患だらけだ。産まれてから一年も生きられればマシな部類に入り、食用に加工されると しても全身悪性腫瘍だらけでろくに食べられる部位がない個体も多い。知能が低すぎるから愛玩用としては今一つ だが、体が小さすぎるのと反応にも個体差があるので性処理用としても良くはない。それ以前に、アッパーは性欲と 呼ばれる肉体的衝動を徹底的に排除してあるはずなのだが、形だけでも性処理用の機能があれば、アブノーマル な匂いがするので売り上げが伸びるのだろう。だから、結局、皆は食べられる。それ以外に役目はない。

「……ぉ、あ、むお」

 プレタポルテの聴覚は鈍く、水中で発せられた音声のように籠もっているので、クイーンビーが何を言っているのか 本当に意味が解らなかった。仕草で読み取ろうにも、彼女は自分自身が分泌している神経毒で酔っているらしく、 動作が不規則すぎた。ぼんやりとした視界の中、脳にぴりぴりと刺激が走り、意識が晴れ渡った。

「みゅ」

 それがどこの誰からのものなのか、判別出来なかった。初期出荷状態のままで、クリミナル・ハントに使用された プレタポルテは所有者が登録されていないからだ。それが設定されていれば、誰が持ち主であるかを教えるための 電気信号が羽を通じて脳内に送られると同時に意識を混濁させられ、プレタポルテは主人に従う。だが、その設定が ないのだから、所有者の電気信号が送られてくるわけがない。それに、プレタポルテの主人は。
 口を開いた途端にマスクの内側から凶暴なチューブが伸びて、喉の奥にねじ込まれた。粘膜が引っ掛かれて血 の味が広がり、舌を押さえ付けられたせいで反射的に嘔吐しそうになり、腹部が痙攣する。そのチューブを外そうと マスクを懸命に掴むが、剥がれず、子供の喉には太いチューブは狭い喉を押し広げながら下っていった。その直後、 大量の液体が有無を言わさずに流し込まれてきた。自分の胃の形が解るほどの量で、鼻と口の端から噴き出しても 収まらず、マスクの内側に吐き戻したものが溢れかえってから、ようやく止まった。
 チューブごといくらかの液体を吐き出しながら、プレタポルテは重たく膨らんだ腹を抱えて背を丸めた。それだけの 動作でも内容物が押し出され、髪と顔だけでなく、体がべとべとに汚れた。それはハチミツだった。プレタポルテは 鼻から垂れ落ち続けるハチミツを眺めながら、工場にいた頃のことを少し思い出した。
 鼻と口に培養液を流し込むチューブをねじ込まれ、尿道と肛門には吸引チューブを付けられ、同じ顔をした他人が 何列、何十列と並べられていて、白いライトを当てられながら肥育される。成長促進剤が混ぜられているから、日を追う ごとに自分の体が大きくなっていくのが解った。大きくなった個体からチューブを外され、背中を切られて偽物の 羽を付けられ、出荷されていく。せめて主人に気に入られるように、愛想良くしなければ。人造妖精の振る舞い方の マニュアルに従って、笑って、懐いて、じゃれて、従って、子供らしさを目一杯に。
 そうしなければ、屠られる。




 クリスタライズ、クリスタライズ、合間にCM、CM、クリスタライズ、そしてまたCM。
 腐敗した肉が血管を塞いだからか、出血はいつのまにか止まっていた。熱を持って腫れぼったい脳が煩わしく、 いつになくラバーマスクが息苦しい。馬鹿みたいに高い天井の端には、延々とアッパーの番組が放送されていて、 動くに動けない体では退屈なのでおのずとそれを見る羽目になった。考えてみれば、これまで、アッパーの番組は ほとんど音声しか聞いてこなかったので、まともに見るのはこれが初めてだ。だが、感慨など特にない。
 面白くもなんともないし、やかましいだけだった。デッドストックは上体を起こそうとするが、ひどい失血で目眩を 起こしてしまい、再び寝そべった。擦り切れた靴底が埋まるほど立派な絨毯はデッドストックの血をたっぷりと浴びた ので腐っているかと思ったが、そうではないところを見ると、合成繊維を使っているようだ。石油製品か、或いは別の 材料なのか。どちらにせよ、天然素材ではないのであれば、アッパーの財政事情も厳しそうだ。
 また何時間か浅い睡眠と覚醒を繰り返すと、少しずつだが、体力が戻ってきた。ぎこちなく起き上がると、途端に 吐き気に襲われてしまい、ラバーマスクを捲ってその場で激しく嘔吐した。泥とヘドロを混ぜたような色合いの体液 を赤黒く染まった絨毯の上にぶちまけると、徐々に頭が冴えてきた。ということは、これは、この空間に充満している 女王バチの毒素の固まりなのだろう。我ながら、上手く出来ている体だ。

「……ぐ」

 それでも、楽になったとは言い難い。頭痛に目元を顰めながら目を凝らすと、ぼやけた視界の片隅に、乾燥した 粘液の筋がまとわりついている、結晶体の彫像が屹立していた。血が出すぎて足腰に力が入らないので、這って 近付いていき、それに触れる。頭部と両手足は欠損しているが、この乳房、この腰回り、この股間、間違いない。 この女こそがデッドストックに殺してくれと願ってきた、リザレクションである。

「ああ」

 乞われたならば、応じるべきだ。デッドストックは右手首を失った腕を、ぐじゅりと結晶体に押し付けるが、生身の 肉片とは違って腐り始めはしなかった。翳りのない珪素の素肌に、汚い筋が太く擦り付けられただけだった。舌打ち してから、二度三度と擦り付けるが、メタンガスは発生しなかった。ねろりと血が垂れ落ち、何本もの筋を描く。
 なぜ殺せない。殺してやると決めたのに。殺してやらなければ意味がないのに。餌を引きずり回し、ここまで至った 手間と時間と労力が無駄になる。殺せと願ったのはお前だろうが。なのに、俺に殺されないというのか。殺されろ、 殺されろ、俺に殺されろ、あの男ではなく、他の誰でもなく、俺にこそ殺されろ。
 何度も何度も殴り付けるが、滑らかだった右手首の切断面がリザレクションの尖った部分に当たって潰れ、腐った トマトのように弾けた。細かな肉片が飛び散り、骨が露出し、神経が削げ、血管が裂ける。止まっていた血が再び 流れ出し、腕を振り上げるたびに散らばり、周囲にある花に触れては腐らせた。それなのに、女は腐らない。

「ぐ」

 腐れ、腐れ、腐れ。だが、女は腐らない。

「ぐぁあぁあああ」

 血と肉片で彩られた女の肢体に衝動に任せて頭を打ち据えると、ラバーマスクの下で額が割れる。

「うぉぁああ、あ、ぬぁ」

 ぬるりとした生温かい自分の血を舐めると、途端に腐る。それなのに、女は腐らない。

「おおおおおおおぉ」

 女を抱えたまま突っ伏し、左手で床を殴打する。カーペットの下にあるコンクリートには拳は通じず、尖った痛みが 肩から背骨を貫いていく。胃が引き絞られる、内臓が押し潰される、心臓が握られる、息が深く吸えなくなる。
 目的、理由、目標、動機、使命、運命、なんでもいい。自分が据えられるものが欲しかった。応じることで自分という 男に価値があるのだと、安直に思い込もうとした。屑と糞とゴミと反吐しかない世界の中では、自分を肯定出来る ような事柄があるわけがない。むしろ、他人に肯定されることすらも疎んでいた。そうすることで、自分が強くなるの だと考えていた節があったからだ。けれど、そんなことがあるはずもなく、孤独を深めただけだった。たった一人で 生きることは辛くない。辛くないが、空しいのだ。だから、餌を拾って敵を作り、女との薄っぺらい約束を貫くために 行動に出た。名のあるヴィランを殺せば、少なくともヴィラン共の間では認められるからだ。浅知恵と幸運を用いて スマックダウンは相打ち同然に殺したが、その次はないと解っていた。クイーンビーには勝てるはずもないのだと、 勝ったところで何がどうなるわけでもないのだと、当の昔に知っていた。
 クリスタライズについて、デッドストックはほとんど知らない。リザレクションを間に挟んで知っていただけであって、 当人と会ったこともない。ヴィランだった時代の彼を見かけたことがあるような気はするが、近付いたことすらない。 相手は自分以上に厄介な能力者であり、その頃からクリスタライズは名を馳せていたからだ。彼がヒーローとして アッパーに招かれるのは時間の問題だったし、事実、その通りになった。
 悔しさよりも情けなさが先に立ち、それよりも思い上がっていた自分の愚かさが突き刺さってくる。そうやって 思い悩めるのだから、自分はまだまともなのだと感じるが、それもまた思い上がりだ。
 だから、誰よりも何よりも、自分を殺すしかない。




 これで何度目になるだろう。
 少なくとも、十回は相手の命を脅し取った。ということは、その回数だけ死んだということになり、負けたということ でもあるのだが、こうして体が動かせていればなんでもいい。はみ出したはずの内臓が腹の中に収まっている重み を感じながら、プライスレスは外れかけたガスマスクを本来あるべき位置に戻した。
 地下の地下を通じてヴィラン共に襲われたのだが、とにかく忙しかった。バードストライクとフライングソーサーの 能力のせいで手足を持っていかれそうになったり、下水道に引き摺り下ろされてからはリンチされたり、力馬鹿の ヴィランに頭を潰されそうになったり、これでもかと痛め付けられてしまった。だが、その都度襲ってきた相手の命 を“寄越して”もらい、自分のダメージを相手にそっくり渡して凌ぎ、逃げ、殺し返し、どうにか首の皮を繋いだ。
 文字通り、首の皮だが。プライスレスは首がずれないように押さえながら、足元で胸を瓦礫に貫かれて倒れている ヴィランを小突くと、呻き声を上げた。まだ意識がある。ならば、脅し取れる。

「おい」

 下手に首を動かすと外れてしまうので、プライスレスは両手で首を押さえながら屈み、男に囁いた。

「あんたの首の具合と俺の首の具合、交換して“くれよ”?」

 無防備に聞き届けてくれた男はびくりと痙攣した後、無傷だった首に刃も当てていないのに切れ目が走り、鮮血 がどっと噴き出してきた。それが収まると、プライスレスの首の傷口は綺麗に塞がっていて、骨までも繋がっていた。 試しに首を回してみると関節がごきりと鳴ったが、これといって問題はなさそうだ。

「んで、これからどうしよっかぁーなーっと」

 プライスレスは死体だらけの真っ暗な空間に腰を下ろすと、手近な死体の荷物を漁って盗んだ手回し式充電器を 使って小さな明かりを灯した。青白い光の輪が広がり、下水道を照らし出すと、新鮮な死体に群がってきたハエの 固まりが一瞬過ぎった。とりあえず、荷物を取り戻さなければ。だが、その後は。
 デッドストックとプレタポルテを助けに行くのが筋では、とは思ったが、あまりにも分が悪すぎる。クイーンビーだけ ならばまだしも、その部下である戦闘部隊のジガバチまでは相手に出来ない。今だって、負傷しすぎて立っているの もやっとの状態なのだ。それに、デッドストックには今まで甘い汁を吸わせてもらった恩はあるが、そこまでの義理は ない。あったとしても、プライスレスは腰を上げるほど情が深いわけではない。と、思っているはずなのだが、妙に 体が疼いてしまう。デッドストックは落ち着きがあるようでいて突拍子がなく、思慮深いようでいて行き当たりばったりの 男なので、危なっかしいのだ。それを思い出してしまうと、あの腐った男のことが無性に気になってきた。
 今頃、デッドストックはどうしているだろうか。クイーンビーの元に連れていかれて、プレタポルテを奪われて、鎖を 繋いでいた右腕を切られて瀕死なのが関の山だ。となれば、今、クイーンビーの関心は人造妖精に集中している。 つまり、クイーンビーの支配下にあるジガバチの統率力にも隙が生まれているはずだ。
 薄い闇の中、少年は歯を剥いて笑った。





 


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