DEAD STOCK




be Idle



 取引は簡単に終わった。
 事前に公衆電話からギャング団の関係者と連絡を取り、場末のナイトクラブで落ち合うことになった。デッドストック は路地裏に吹き黙ったゴミと酒と汚物の匂いに懐かしさを感じながら、重低音と嬌声が鳴り響く店内に入り、暗がり と踊り狂う若者達に紛れて札束とドラッグを交換した。ナイトクラブから出た途端に拳銃を押し付けられたが、即座 に相手の手首を蹴り上げてやった。
 更に奥の路地に向かい、廃車と差ほど代わりのない外見の車に近付いた。窓を小突くと、ゴミ捨て場で拾ってきた 血染めのコートを被っていたプレタポルテが顔を出した。人造妖精は運転席まで移動してドアのロックを外したので、 デッドストックは運転席に乗り込むと、プレタポルテはにこにこしながら出迎えてくれた。

「おかえりなさい」

「ああ」

「だいじょうぶだった?」

「お前の方こそ」

「それは、だいじょうぶ」

 プレタポルテはにんまりして、車体の後部を指した。この車は、ピックアップトラックなので荷台がある。その荷台 に、その辺りを歩いていた獣人の娼婦を掴まえて手足を縛り、転がしておいたのだ。ついでに、その娼婦にその辺りの チンピラから盗んできた酒や金をばらまいておいたので、この車に近付いた者達の関心はそちらに向いた。窓から 荷台を覗いてみると、娼婦は当の昔に殺されていて、細い首には男の骨張った指の痕が付いていた。
 娼婦の死体を適当な場所に放置してから、デッドストックは車を出した。助手席に座っているプレタポルテは短い 指でぺらぺらと紙幣を捲り、金額を数えていた。一万ドルが二十枚、五千ドルが十七枚、百ドルが三十枚。ドラッグ の量には比例していない金額ではないが、それだけあれば食糧は山ほど買い込める。
 街中のモールには行けるはずもないので、街外れの小売店に向かった。顔を隠しているデッドストックが店内に 立ち入るとそれだけで一騒動起きてしまうので、買い出しにはプレタポルテだけが行った。スーツのままではさすが に人前に出られないので、あの建物から持ち出してきた古着のパーカーを着ておいた。そうしておけば、偽物の羽 も隠すことが出来る。駐車場の片隅に止めた車の中で待つこと数十分、小さな体で大きなカートを一生懸命押して プレタポルテが戻ってきた。カートの中には安値だが高カロリーの食料品と様々な生活用品が山盛りになっていた が、その頂点に花束が横たえられていた。適当な空き瓶に挿して飾るつもりで買ってきたのだろう。

「それだけでいいのか」

 運転席から出てきたデッドストックがカートを押さえると、プレタポルテはカートの後ろから顔を出した。その拍子に ブレーキが掛かったカートから品物が零れ落ちそうになったので、デッドストックは左腕で雪崩を止めた。

「うん」

「店員に怪しまれなかったか」

「しらないひとにおかねをにぎらせて、おやのふりをしてもらった」

「いつもの手だな。で、そいつはどうした」

「そのひとをてきとうなばしょにくうかんてんいさせて、おかねはとりもどした」

「そうか。帰るぞ」

「うぃ」

 プレタポルテが買い込んできたものを積み込んでから、デッドストックは車を走らせた。カーラジオからは、最近 の流行歌が流れてくる。惚れた女に振られたことを吹っ切ろうとする男の悲哀を、明るいテンポに載せている。内容 もメロディもあまり好きではないのだが、何度も何度も放送されるので、嫌でも耳にこびり付いてしまう。
 ハイウェイの両脇に連なる街灯は眩しいが、そのオレンジ色の光が届かない部分の闇は深く、濃い。そしてまた、 世界に淀む悪意と穢れも底知れない。アッパーが科学力を駆使して地下世界に封じ込めた一切合切が、あの女を 殺したことで再び世界に蔓延したからか。いや、そうではない。この混沌こそが人類の本質であり、世界を構成する 要素の大部分なのだ。いかなる美貌を備えた人物も、いずれは死して腐敗していく。
 この幸福は、朽ち果てた末の残滓だ。助手席で眠りこけている人造妖精を一瞥してから、デッドストックは左手で ハンドルを回した。覚えのある道を辿っていくと、擦れ違う車の数が減っていき、街灯もまばらになって闇の深度が 増していく。途中で強盗目的の車に進行方向を塞がれたが、その車の主を腐らせて殺し、相手の車の中にあった 安酒や金を奪い取ってやった。証拠隠滅のために、ガソリンに引火させて車ごと強盗を爆発させてから、再び帰路を 辿った。その間、プレタポルテが起きる気配はなく、シートベルトにしがみついていた。
 その無防備な寝顔に、心臓が疼いた。




 気が向いたので、ガレージの死体を埋めにいくことにした。
 いつまでも生活圏に腐乱死体が転がっていると、さすがにやりづらいからだ。デッドストックは腐乱死体を載せた 台車を左手で押しながら、左脇にシャベルを抱えていた。こういう時は右腕がないのが不便だと感じてしまうのだが、 そればかりは仕方ない。右腕を元に戻さないことを選んだのは、他でもない自分なのだから。台車の上では、砂利を 踏むたびに腐乱死体が跳ねて腐敗汁や蛆虫を撒き散らしていた。振動しているのでハエは一匹残らず飛び立った のだが、餌場に戻ろうと懸命なハエは懸命に腐乱死体にたかっていた。
 二人の住み処の周囲はゴーストタウンと化していて、今にも崩れそうな廃墟が乾いた砂地に並んでいる。どの 建物にも派手な銃創が付いているので、大方、あの建物に住み着いていたギャング団が別のギャング団と抗争を 繰り広げていたのだろう。その証拠に、頭蓋骨が割れた白骨死体が建物の中に何人も転がっていて、骸骨の手に は錆び付いた拳銃が握られたままになっていた。中には、性交中に殺されたであろう男女の白骨死体もあった。 赤茶けた砂地を渡ってきた風が吹き付けると、トレンチコートの裾が翻り、死の匂いが鼻を突いてくる。
 二人の住み処から五キロほど離れた場所に至ったので、デッドストックは地面を掘り返すことにした。だが、まとも にシャベルを使うわけではなく、少し掘った砂の中に左腕を突っ込んで地中の細菌を活性化させてメタンガスを充満 させた後、点火して爆発させた。予想よりも若干浅めではあったが、無事に穴が開いたので、その中に腐乱死体を 投げ込んでから周囲に飛び散った砂を被せてやった。
 腐敗汁が付いた台車と重たいシャベルをその場に捨ててから、デッドストックは廃墟の街を歩いた。気温は高く、 砂の粒子がラバーマスクの隙間から入り込んでくる。物陰から襲われる心配がないのは楽だが、その分、緊張感 に掛けるのは否めない。ここ最近は不死能力者も見つかっていないので、殺人衝動を満たせていないからだろう、 どうにもかったるい。その生温さに心地良さを見出せないのは、やはりヴィランだからだろう。
 軽い苛立ちと退屈を持て余しながら歩き回っていると、辺りは夕闇に包まれていた。デッドストックの右腕のない 影が長く伸び、空っぽの右袖がはためいた。喉の渇きと空腹を覚えたが、耐えられないほどではない。人造妖精が 傍にいない空しさは、別だったが。
 一度でも幸福の甘さを知ってしまえば、以前のように気取れはしない。デッドストックはラバーマスクの下で大きく 嘆息してから、立ち上がり、風に掻き消されてしまいそうな自分の足跡を辿っていった。二人が住み着いている建物 の窓には全て布が掛けられているが、その隙間から針のように細く光が漏れていた。月明かりを頼りに戻り、ドアを 開けると、帰りを待ち侘びていたプレタポルテが飛び出してくるかと思いきや、何もなかった。

「なんだ……」

 内心でひどく落胆しながらデッドストックがリビングに至ると、プレタポルテは不機嫌極まりない表情でソファーに 横たわっていた。不貞寝しているらしく、起き上がりもしない。眉間にはシワが刻まれ、唇もひん曲がっている。機嫌 を損ねるようなことをした覚えはないのだが、とデッドストックは不安に駆られていると、隣室のドアが開け放たれて いた。その中を覗いてみると、破れたマットレスだけが載っていたベッドには真新しい白いシーツが貼られていて、 シーツの中央には大振りな赤い花びらがハート型に並べられていた。

「ぬあっ!?」

 なんだ、一体なんなんだ。心底驚いたデッドストックは仰け反り、後退り、更に後退って、しばらく考えた。昨日見た テレビ番組の中には、甘ったるすぎて吐き気さえ覚える恋愛映画があった。その中のワンシーンに、確か、これと 同じ状況のものがあった。ということは、プレタポルテはそれを再現してから、デッドストックが帰ってくるのを今か今か と待ち構えていたわけだ。だが、いつまでたっても帰ってこないので、待ちくたびれて不貞寝したのだ。
 あまりの気まずさに、胃が絞られるように痛くなってきた。デッドストックは慎重にソファーに振り返ると、人造妖精の 様子を窺うが、起きてくる気配はなかった。どう謝ったものか。いや、下手に謝ると余計に怒らせる。かといって何も せずにいれば、もっと怒らせる。だったら、どうすればいいのやら。
 デッドストックは必死に恋愛映画のシーンを思い出そうとするが、あの映画は退屈すぎたので途切れ途切れにしか 記憶はない。だが、プレタポルテをこれ以上怒らせずに宥めるためには、それ以外に手段はなさそうだ。奥歯を ぎりぎりと噛み締めながら、頼りない脳細胞を奮い立てた末に思い出したシーンは、目鼻立ちが整っていて程良く 体が引き締まっている男優が、華奢だが胸がやたらと大きくて化粧の濃い女優を横抱きにしてベッドへと運んで いくシーンだった。しかし、そんなことが出来るものか。恥ずかしすぎて、嘔吐しそうになる。

「ううう……」

 デッドストックは腹を押さえて背を曲げて、呻いた。自身の羞恥心と人造妖精の笑顔を天秤に掛けたが、どちらが 重たいのかは考えるまでもない。後者だ。だが、しかし。あまり迷っていては人造妖精が起きてしまうので、それから しばらく悶絶した後、デッドストックはプレタポルテの小さな体を抱え上げた。
 ベッドの中央に寝かせてしまうと、花びらが台無しになるので、デッドストックはプレタポルテを抱えたままベッドの 端に腰掛けた。額を押さえて喉の奥から呻きを零していると、プレタポルテが目尻に溜まった乾いた涙を拭いながら 瞼を開き、むっつりと見上げてきた。その視線に耐えかねて目を逸らしかけるが、元に戻す。

「なんというか、その」

「ゆるさない」

「だろうな」

「あんなに、どきどきしたのに」

 プレタポルテは唇を尖らせながら身を起こし、デッドストックの頬をラバーマスクの上から抓んだ。

「少し痛いぞ」

「はずかしい。こんなことをかんがえて、じっこうした、わたしがはずかしい」

「俺はもっと恥ずかしい」

「だから」

「だから?」

「いちいち、いわせない」

 なんねんつきあっているとおもっているの。そう言って、プレタポルテはデッドストックの首に細い腕を回してくる。 待っている間に体を丁寧に洗ったのか、色素の薄い肌は隅々まで磨き上げられていて、薄緑色の髪はふんわりと 膨らんでいる。少女にしか醸し出せない色香に混じって、上品とは言い難い香水の匂いが鼻を突いてきたが、彼女 なりに考えた末のお洒落なのだと思うと腹も立たない。それどころか、いじらしさに劣情が煽られる。
 夜は、まだ始まったばかりだ。




 後日、件の恋愛映画の再放送を見た。
 プレタポルテの集積回路とアッパーの死蔵品のデータベースを利用して情報を弄り、放送局を操ったのだろう、と デッドストックは思ったが、敢えて口には出さなかった。プレタポルテを膝の間に座らせながら、デッドストックは今度 は最初から最後まで映画を見た。妙な出会い方をした男女は紆余曲折を経て結ばれるが、あの恥ずかしいシーン の後に展開は一変した。ヒロインの正体は人間ではなく妖精だが、その素顔は禍々しい化け物であり、文明社会に よって環境が汚染されたために美しさを失ったのだという。ヒロインと恋人となった主人公は大企業に勤める重役で あり、ヒロインが生まれ育った野山を観光目的で開発するプロジェクトのリーダーだった。会社と利益を取るのか、 それともヒロインとの愛を取るのか、主人公は岐路に立たされる。そこでどちらも救う方法を見出すのが主人公と いうものだろう、と思っていたが、主人公はどちらも救えずにヒロインに襲われ、殺される。
 無惨な死体と化すことで俗世の欲望と資本主義から解放された主人公は、ぞんざいに埋葬されるが、ヒロインの 能力でゾンビとして甦った。主人公を助けもせずに責任を押し付けて解雇した会社に復讐に出るのかと思いきや、 主人公は妖精であるが故にこれからも何百年も長らえなければならないヒロインに寄り添い、闇の世界で生きることを 誓った。その結末を見届けながら、デッドストックは膝の上の人造妖精を見下ろした。

「少しは面白かった」

「でしょ?」

「真似をしたくなるわけだな」

「でも、きがすんだ」

「本当に?」

「ほんとう」

 プレタポルテははにかみ、デッドストックの左腕に寄り掛かった。あの薄っぺらいキャミソールに布地を足し、肩紐 も肌触りの良い木綿のリボンに付け替えた服を着ているのだが、そのせいで首筋や鎖骨が剥き出しになっていた。 左手の指先を首筋から喉に軽く触れさせてやると、小動物じみた歓声を漏らしながら顎を上げた。
 エンディングロールでスタッフの名前がずらずらと流れていったが、その脇で人間ではなくなった主人公と妖精の 美しさを損なったヒロインのその後が描写された。二人は同じような境遇の化け物達と出会い、化け物だらけの街を 闇の世界に作る。化け物に囲まれて価値観がすっかり塗り替えられた主人公は、ヒロインを以前と同じかそれ以上に 愛するようになる。ベッドの上には枯れた花びらがハート型に並び、高級なシャンパンの代わりに青黒く腐った水 がグラスを満たし、豪華なディナーの代わりに怪しげなキノコや臓物が食卓に上る。それが二人が見出した幸福で あり、結末なのだ。デッドストックはプレタポルテの要求に応えつつ、ラバーマスクの下で口角を上げた。
 プレタポルテがアッパーの死蔵品を用いれば、左目を取り戻すことも、醜悪に腐った左半分の顔も元に戻すのも 容易だ。その程度、出来ないわけがない。人造妖精の愛らしい顔にプライスレスの愚行の残滓を残しておくのは、 デッドストックのエゴに他ならない。成長しないのをいいことに、移り変わり続ける世界に生じる歪みを潰す鉄槌で あるのをいいことに、彼女の視界と価値を狭めている。まともな倫理観を教えなかったのも、デッドストックの傍ら という矮小な枠の中に収めておきたかったからだ。

「退屈か」

「うぃ」

「そうか」

「でも」

 プレタポルテはデッドストックの顔を、ラバーマスクの上から愛おしげに撫で、輪郭を確かめる。

「わたしは、あなたのもの。あなたも、わたしのもの。それがいちばん、しあわせ」

 だから、もっと。と、プレタポルテは愛撫をねだってきた。何度触ろうとも初々しい反応をする、膨らむはずのない 胸に左手を添えてやると、プレタポルテは息を弾ませる。あれほど貪ったのに、まだ物足りないのか。どれだけ俺から 搾り取れば気が済むんだ。内心で毒突きながらも、目先の快楽に没していた。
 堕落しきった時間の中、頭の片隅で考える。あの少年の面影が色濃く表れているオスカー・ワーグマンがプライス レスと名乗り、二人の元に至る日は遠くないだろうと膨大な経験が囁いてくる。これまでもプライスレスになりかけた 少年や青年に何人も出会ってきた。彼らに近付き、擦れ違い、行き違い、時に敵対したが、地下世界に存在していた プライスレスに近付きつつある手応えを感じていた。この分では、相見える瞬間はそれほど遠くないだろう。
 その日が待ち遠しくもあり、煩わしくもある。







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