DEAD STOCK




Nest Box



 結論から言えば、スマックダウンはイカヅチには勝てなかった。
 イカヅチに正面切って戦いを挑む前に、デッドストックに負けてしまったからだ。彼の最期は呆気ないもので、自身 が組み立てた作戦を逆手に取られた挙げ句、能力の弱点を見つけられてデッドストックにやり返された。烏合の衆に 過ぎなかったヴィラン達はリーダーを失った途端に取り乱し、これもまた呆気なくイカヅチ率いるヴィジランテに捕縛 されてしまった。そして、イカヅチの部下になるか殺されるかという選択を迫られたのだが、ほとんどのヴィランが 前者を選んだ。それもそうだ、死者に義理立てしたところで得をするわけではないからだ。
 スマックダウンと組んでヴィランらしく大暴れしている最中に、バードストライクは新たにイミグレーターの混血児と 思しき情報を得た。当初は半信半疑だった。というより、ようやく見つけた混血児であるスマックダウンを上回る概念 操作系能力者を見つけたくない、という妙な気持ちを抱いていた。柄も悪ければ態度も悪く、短絡的な暴力と欲望を 糧にして生きているスマックダウンという男に対して、バードストライクは奇妙で複雑な感情を抱くようになったせい でもあった。イミグレーターの生体兵器として生み出され、余分なものを一切合切削ぎ落とされ、兵器としての精度 を上げることだけを求められていたバードストライクからすれば、スマックダウンは存在自体がカルチャーショックの 固まりだった。だから、バードストライクの価値観にスマックダウンの人格が焼き付くのは当然の結果だった。
 この感情を、なんと表現すればいいのだろうか。イカヅチが支配するヴィジランテの街、サンダーボルト・シティの 一角にあるビルにて、バードストライクは黙々と物語を読み込んでいた。あれからダウナー同士の戦況は二転三転 していき、スマックダウンが統べていたヴィランの一派はほとんどがヴィジランテに取り込まれ、クイーンビーの色街 で使役されていたジガバチの群れと娼婦達もまたヴィジランテにされた。それもこれも、イカヅチの発電能力とそれ を応用した生体電流操作によるものだ。その流れに逆らえば命を落としかねないので、バードストライクは要領よく 立ち回り、イカヅチの直属の部下であるマゴットの傍に落ち着いた。
 そして、ハエ男から与えられた仕事といえば、かつての人類の残滓である無数の物語を読むことだった。なんとも 馬鹿げた仕事であり、不毛だったが、暇潰しには丁度良いのでマゴットがデータベースから引っ張り出してきた小説 や漫画や童話や寓話といった作品を手当たり次第に読んでいった。

「ああ、またかい」

 マゴットの姿が見えないので、バードストライクは独り言を漏らした。このパターンの物語を読んだのは、何度目に なることだろうか。数えるのも嫌になるほどだ。屈強な大男、粗暴な悪者、飲んだくれの愚か者、そういった男達は 総じて悪役にされていて、主人公の知恵や度胸や小道具でことごとくやり込められてしまっていた。

「そう、そうなんだけどねぇ……」

 スマックダウンもその立ち位置に据えられていたのだ。そう思っておけば、まだ気持ちの整理が付けられる。だが、 それを嚥下したくない気持ちもあり、バードストライクは胸中を淀ませていた。バードストライクがスマックダウンを どれほど気に入っていようとも、彼の持っている概念操作能力では、クォンタム・ドライブを操るに足らなかった。 だから、スマックダウンが生き延びていたとしても、いずれは彼を裏切ることが決まっていた。イミグレーターである 以上、任務を全うしなければならないのだと遺伝子が叫んでいるからだ。
 だが、遺伝子と感情は別物だ。今、ここにいるのはバードストライクというヴィランの男であって、イミグレーターの 宇宙の箱船の中での生存競争を勝ち抜いた生体兵器ではない。あの頃の何も知らない子供ではない。血と泥と、 ドラッグと密造酒の味を知っている。だから、自分の判断が覆ればいいと願って止まない。

「全くもう、俺ってやつぁ」

 鳥を模した覆面を押さえ、乾いた笑みを零す。バードストライクは裾の長いコートの襟を寄せるふりをして、心臓を 拳で抑え付けた。そうすれば少しは収まるものかと思ったのだが、そんなことはなかった。彼を失った喪失感は埋まる ことはなく、心臓どころか内臓がそっくり抜き取られたかのような空しさに苛まれていた。
 生まれて初めての友人と呼ぶに値する男であったからか。ヴィランの覇道を突き進んでいた男に少なからず憧れて いたからか。あの憎悪を煮詰めたかのような凶相が綻ぶ瞬間を知っているからか。それとも、或いは、もしか すると。浅はかな言い訳を並べ立てても無駄であると解っているのに、真っ向から自分を認められないのは、理性を 未練がましく残しているからだ。そんなことでは、この戦いを生き延びられまい。
 それなのに。




 現実を受け止めるまで、もう少し時間が掛かる。
 塔を登り切って壁に再接近したサンダーボルト・シティから信号を発信し、宇宙ステーションに停泊させている星間 飛行艇である鉄の鳥を遠隔操作して招き寄せた。その船内に至ったバードストライクは、手狭な操縦席に長身の体 を沈めていた。鉄の鳥の動力源である小型のクォンタム・ドライブは、バードストライクが流し込んだ情報を一瞬にして 計算し、結論を弾き出した。宇宙の箱船に備わっているクォンタム・ドライブを操作出来るほどの概念操作能力を 生まれ持った存在はスマックダウンではなく、あの小賢しくて憎らしくてやかましいプライスレスであると。
 そんなことは、今更言われるまでもない。解り切っていたし、察しも付いていた。プライスレスが執心して止まない デッドストックの正体も教えられたが、それはどうでもよかった。人造妖精の素性も明かされたが、それも全く興味を 抱けなかった。ただただ、彼が哀れでならなかった。当の本人にそんなことを言えば、つまんねぇことを考えてんじゃ ねぇぞ、と殴り倒されてしまうだろうが。

「ああ、全くねぇ……」

 バードストライクは全面モニターを透過させて、赤茶けた壁に覆われている地球と、その周りを延々と巡っている 宇宙ステーションと、それらの背後に広がる暗黒の世界を見渡した。あの狭く汚れた世界しか知らなかった彼に、 この景色を見せたら喜ぶのだろうか、笑うのだろうか、もしくは戸惑うのだろうか。自分の正体を教えたら、その場で 殺されていたのだろうか、笑い飛ばされたのだろうか、嫌悪されたのだろうか。
 引き摺りそうなほど長いコートを脱ぎ捨て、投擲するために鳥の死体を挟んでいたベルトを解き、その間に挟んで おいた古びたガスマスクを外した。ゾウの鼻のような形状のガスマスクの内側は汚れきっていたが、それもまた彼の 生きた痕跡なのだと思うと汚いとは感じなくなる。バードストライクは心中を落ち着けるため、スマックダウンの遺品で あるガスマスクを抱えたまま、イミグレーターの世界に誘うべき少年がいる塔を見据えた。

「仕事は仕事、そう割り切るしかないねぇ」

 ガスマスクの眉間を小突いてから、バードストライクは操縦席に座り直した。手のひらを立体映像の生体認証装置 に重ねてセキュリティを全て解除してから、細かな操作を行っていく。イミグレーターの文明からは離れて久しいので まともに扱えるかどうか不安だったが、幼少期からの訓練により、考えるまでもなく手が動いた。
 ガスマスクの内側には、彼の体液もいくらかこびり付いているだろう。その中にまともに遺伝子情報が拾えそうな ものがあれば、回収し、分析し、培養すれば一年足らずで彼の分身が出来上がる。そうなれば、イミグレーターの 閉じた世界に新たな風が吹き抜ける。暴力と欲望と混沌が、あの狭い箱船を掻き乱してくれる。
 自分が何を望んでいたのか。誰を求めていたのか。どんな結末を欲していたのか。今になって、ようやく解るよう になった。バードストライクは、自分を囲んでいる巣箱を壊す日を待ち望んでいたのだ。だが、イミグレーターによる 呪縛から逃れられることもなく、自身の能力で謀反を起こせるわけでもなく、箱の中に収まったままだった。だから、 スマックダウンの力を借りたい。バードストライクの矮小な価値観を破壊してくれた、彼の力さえあれば。
 巣箱どころか、世界をも壊せる。




 鳥は自由だ。
 というセリフを、物語の中で何度となく見かけた。だが、それはあくまでも人間の目線の話であって、鳥には鳥の 生態系がある。縄張りもあれば群れもあり、肉食の猛禽類もいれば花の蜜を吸う種類もいる。空を飛べるから自由 だと思うのは間違いだ。彼らは空を生きるための場所として選び、進化したのだ。故に、彼らにとっての空は戦場で あり、狩り場であり、縄張りだ。そこに厳密な自由はない。そもそも、野生動物に自由という概念があるのか。
 そんな与太話を、粗悪なドラッグに酔っ払った勢いで喋ってしまったことがある。つまんねぇことをべらべら喋って じゃねぇ、とすぐさま殴り飛ばされるかと思いきや、意外にもスマックダウンは神妙な顔をしていた。

「バーディ。お前ってやつぁ、俺の知らねぇことを山ほど知っていやがるなぁ」

 大麻の紙巻きタバコを吸い込んで味わってから、スマックダウンは酩酊して濁った目を向けてきた。

「そりゃあ、あんたの下に来るまでには色々とあったからねぇ」

 バードストライクは唇の端から大麻の煙を漏らし、肩を揺すって笑った。

「他の連中がひけらかす時は、小賢しい野郎だぁって腹が立つんだが、お前にはそれがねぇなぁ」

「ああ、そりゃどうも」

「お前が俺にビビってねぇからだぁなぁ?」

 前触れもなく、スマックダウンは体を傾けてバードストライクを覗き込んできた。

「いやぁ、滅相もない!」

 思わず腰を引いたバードストライクに、スマックダウンは鳥を模した覆面のクチバシを掴んできた。

「いや、違わねぇなぁ。俺と目ぇ合わせても、逸らそうともしねぇ。大したタマぁ、ぶら下げていやがる」

「あんたを敬愛しているからさ、スマックダウン」

「嘘吐け」

「誰があんたに嘘なんか吐けるものかい」

 その時は冗談めかして言った。自覚がなかったからだ。スマックダウンはバードストライクのクチバシを離してから 肩を小突き、遠ざけてから、新たに紙巻きタバコを銜えて火を灯した。既にドラッグと酒で意識が混濁している男達 がとち狂い、げたげたと笑い転げているが、不思議とその声は耳に届かなかった。スマックダウンが煙と共に漏らす 愚痴めいた言葉の方が、良く聞こえていたからだ。

「だったらよぉ、バーディ。俺ぁよぉ、自由ってのが知りてぇんだよぉ」

「今でも充分に自由だと思うがねぇ」

「他の連中はそうかもしれねぇがなぁ、俺はどうにも気詰まりしてんだよぉ」

「イカヅチに勝ち目がないからかい?」

「言い切ってくれるなぁ、おい。良い度胸していやがる」

「俺をお仕置きするかい?」

「お前をお仕置きしちまったら、俺の与太話を聞く奴がいなくなっちまうだろぉがぁ。他のは当てにならねぇ」

「はははは、そりゃいいねぇ」

「だからよぉ、バーディ。俺はよぉ、強くなるしかねぇんだよぉ。強くなって色んな奴をぶちのめして、その死体の上に 立ってみねぇとなんにも解らねぇんだぁ。強ければ自由かもしれねぇがなぁ、強いからってぇのと偉いってぇのはまた 違うからよぉ。んで、偉いってぇのと凄いってぇのもまた違うしなぁ。つうわけだから、自由ってぇのは何なのかを知る ためにはケンカ売るしかねぇってわけだぁ。付き合えよ、バーディ」

「聞くだけ無駄さ、スマックダウン」

「かもしれねぇなぁ」

 げはははははははは、との濁った笑い声を上げたスマックダウンは、毒性の強い酒を呷った。汚染物質だけでなく アルコールや薬物にも耐性の強い能力者でなければ、到底耐えきれない飲み方である。まあ飲めや、とスマック ダウンは珍しく密造酒を勧めてきたが、バードストライクの体は彼ほどの耐性はないので遠慮した。余程機嫌が良く なったのか、スマックダウンは怒鳴りつけもせずに更に酒を呷った。
 死の寸前に脳が反芻してくれた、最高の記憶だった。




 路地裏の帝王。暗黒街の覇者。最強の仕置き屋。その他諸々。
 人々からそう呼ばれている男は、能力者でありヴィランである。だが、ヒーローでもある。貧困に喘いでスラム街 に吹き溜まっている屑共を掻き集め、一大犯罪組織を作り上げている。能力者というには半端すぎる能力を持って いるが常人としては生きられない者達を肯定している。彼もまた、その組織の一員だった。
 禿頭の左側頭部にはドクロのタトゥーが刻まれ、自害防止用の拘束具であるマスクを被り、屈強な肉体を隠すこと はせずに上半身を曝している、屈強な大男。それが犯罪組織のリーダーである能力者、マックス・ダウナーである。 マックス・ダウナーの能力は特殊なもので、特定の言葉を相手に聞かせると相手の行動を妨げられる、という制約 が多いものだった。だが、使いどころさえ見極めればこれ以上便利な能力はない。しかし、口が露出していると唇の 動きが読まれてしまうので、普段は口元を拘束具で覆って隠している。
 人間でもなければ鳥でもない、半端な鳥人としてこの世に生まれ落ちた、バーナード・ストライドが両親や親族から 疎まれて蔑まれた末に犯罪に走るのは、ごく当たり前のことだった。そして、犯罪者仲間を通じてマックス・ダウナー が統べる犯罪組織に至り、加わるのも解り切ったことだった。
 二人の外見を見れば、クォンタム・ドライブによって地球全体が作り変えられる以前の二人が誰であったのかを 思い当たる者は存在していた。だが、彼らは不死能力者ではなく、犯罪組織の中にも不死能力者は加わっては いなかったために、万物を腐らせる男とその伴侶である人造妖精は出会うことはなかった。それでも、男と鳥の道筋 は交わった。それは、二人がどうしようもない悪人だったからである。

「なんでぇ、そいつぁ」

 タバコの煙が充満する狭い部屋の中、大男が身を捩る。

「物好きな輩がいるってぇことさ」

 顔に拘束具を填めた男の前に、鳥人の青年は鳥の模型を差し出す。但し、その体形は人間に似せられていて、 顔形こそ似ていなかったが羽根は青年と同じ色に塗り分けられていた。つまり、彼を模した模型である。

「これでロイヤリティがいくらか入ってくるんだそうだけど、売れなきゃ話にならないねぇ」

「なんでぇ、いつのまに企業に身売りしやがったんだぁ」

「俺じゃあないさ、企業が勝手にやりやがったのさ。ヒーロー共のオモチャを作るなら、ヴィランのオモチャも作らなきゃ 売れないってことらしいけど、俺を作るよりも先にボスのを作るべきだと思うんだがねぇ」

「なんだったら、その馬鹿な企業の連中をお仕置きするかぁ?」

「ああ、いいねぇ」

 男の肩に羽根の生えた腕を載せ、体重を預ける。男がそれに抗おうともしないのは、鳥が男に対して抱いている 屈折した感情を受け止めているからだ。気付いた頃から、いや、最初に出会った時から鳥は男に猛烈に惹かれて いた。年頃の女性へ抱くべき衝動を、若さ故の情熱を、男に注がずにはいられなかった。それが作り変えられる前 の自分が切望していたことであると知る由もなかったが、鳥はその感情を真っ直ぐに示した。男は鳥の忠誠心を 以前から買ってくれていたからだろう、鳥の狂おしい愛情を受け入れてくれた。だが、その先は期待するんじゃねぇ、とも 言い切られた。それでいい、それだけで充分だ、男と生死を共に出来るのであれば。
 時折見る夢の中での鳥は、少年であり、悪人であり、籠の中の雛鳥だった。巣箱の中で大きくなったせいで、巣箱 よりも大きく体を伸ばせることを知らずにいた。羽根が切られているものだと決め付けていた。だが、そうではない、と 少年が、悪人が、籠の中から脱した鳥が言う。その言葉が、鳥を空へと舞い上げた。
 男の手中で、鳥の模型は握り潰された。鳥は翼を広げて男を誘い、次なる犯罪へと導いた。ヒーローが現れるまで の猶予はそれほど長くはないが、それだけの時間があれば気が済むまで暴れられる。多数の部下を引き連れた 男と鳥は、例の模型を作った企業を訪れ、破壊と暴力の限りを尽くした。怒号と悲鳴と哀願を叫声を浴びながら、 男と鳥は笑う、笑う、笑う。ありとあらゆる悪を肯定し、束の間の悦楽に酔いしれた。
 これぞ自由だ。







13 11/11