横濱怪獣哀歌




怪獣大清掃



 神話怪獣エレシュキガルの出現により、寿町を含めた一帯は封鎖された。
 被害者の遺体が見つけられないので被害総数は定まらず、十数人から五十人とされた。彼らの身元を割り出そう にも、そのほとんどが不法滞在者や不法入国者だったので、戸籍自体が存在していなかったからだ。
 狭間が逃げおおせた後、エレシュキガルもいずこへと去ったようだが、それを追えた者は人間にも怪獣にもいない ようだった。海に消えた、空を飛んだ、影に没した、掻き消すようにいなくなった、などと情報は錯綜するばかりで、 どれもこれも当てにならなかった。もっとも、足取りが解ったところで追いかけるか否かは別だが。
 エレシュキガルが引き摺っていた闇が及ぼした被害は人的被害に留まらず、ブルドーザーの如く寿町の道路や家屋 を薙ぎ倒していた。割られた水道管や下水管は数知れず、千切れた電線や電話線も多く、それによって横浜市中区 の一帯のインフラは途絶えてしまった。その中には、古代喫茶ヲルドビスも含まれていた。
 故に、古代喫茶ヲルドビスは臨時休業となった。都合がいいやら悪いやら、と思いながら、狭間は鳳凰仮面―― もとい、野々村不二三に言われた通りの身支度を整えてアパートの玄関先に座り込んでいた。その様を訝しげに 見下ろしてくるのは、弟の真琴である。配線や配管の修理が終わるまではヲルドビスの水も電気も使えないので、 フォートレス大神に一時避難してきたのだ。

「このややこしい時に、あんたはどこに行こうってんだ」

 真琴の言い分は尤もである。狭間は言い返す気も起きず、首を竦めた。狭間の隣に腰掛けているツブラも、その 仕草の真似をする。狭間は父親の形見でもある野良着とゴム長靴を身に着けていたからだ。だが、畑仕事に行く わけではない。野々村が狭間を連れて行こうとしている場所に相応しい格好は、これ以外に有り得ないからだ。
 昨夜の別れ際、鳳凰仮面は狭間に妙なことを申し出た。明朝、迎えに行くから汚れてもいいような格好をしていて くれ、と。どこに連れていくのかは一切説明せず、迎えに行く時間だけを告げてきた。きっと、場所を変えて話をする ためなのだろう。その内容が何なのかは、なるべく考えないでおくことにした。当たり障りのない世間話で終わると は思えないが、良い機会だと考えればいい。鳳凰仮面、いや、野々村不二三とは、腰を据えて話をしてみたかったの だから。彼に出会ったばかりの頃はその恰好の派手さと言動の奇妙さに呆れたが、ツブラを通じて接するうちに徐々に 野々村に好感を抱くようになった。そして、いつしか正義の味方として己の力を存分に振るっている彼に対し、 羨望を伴う敬意を覚えるようになりつつあった。狭間は妙な体質を生かせるようで生かせていないし、仮に生かせる 機会が得られたとしても、狭間自身の能力が低いので大したことは出来ない。だが、野々村は違う。鳳凰仮面 と化すことで、驚異的な身体能力と腕力を惜しげもなく行使し、正義の味方たり得ている。いつか見た、映画の 中のヒーローのように。縫製怪獣グルムによって鳳凰仮面二号として暴れ回る羽目になったのも、今にして思えば、 狭間の内なる願望が表に出たからだろう。エディアカリアとして戦っていた時も、悪い気分ではなかった。
 だから、鳳凰仮面に失望されたくなかった。清廉潔白、というわけではないが、狭間がどんなことをしてきた のかをきちんと話さなければ。彼ほどではないが、狭間なりに見出した正義を解ってもらわなければ。

「帰りは遅くなるだろうから、まあ適当にやっといてくれ」

 愛歌さんとよろしくやっててもいい、と狭間がやる気なく付け加えると、真琴は顔を背ける。

「簡単に出来るものでもないだろ」

「知識はあるんだろうが、人並みに」

「知識と実践は別物だ。それに、愛歌さんは今日中にはまず帰ってこられないだろうし、余計な気を回すだけ無駄 だよ。怪生研がないってことは、怪生研が処理していた怪獣の調査や分析や怪獣による汚染の洗浄や汚染濃度や、 とにかくまあ色々な仕事が怪獣監督省に押し付けられるってことだからさ。他の地方の怪生研も軒並み閉鎖に 追い込まれているようだけど、怪獣使いは何がしたいんだか。そんなことをしたって、怪獣使いと研究者の温度差 がなくなるわけじゃないし、むしろ疎まれるだけじゃないか。研究者達は要領良く民間に鞍替え出来るわけでもない だろうし、優れた知識と技術と経験を備えた研究者達が路頭に迷ったら、遠からず国家レベルの危機に陥る。怪獣 によって支えられている社会を支えている怪獣使いを支えているのは、言うまでもなく怪獣だ。それなのに、どうして こんなことをするんだか。俺なりに色々と考えてみたけど、訳が解らなさすぎて頭が痛くなる」

 怪獣使いの横暴が余程腹に据えかねていたのか、真琴はべらべらと喋った。

「怪獣使いの目論見は俺にもさっぱりだなぁ」

 狭間はタバコを吸おうとしたが、空っぽだったので包装紙を握り潰した。

「そういう時こそ役立つものじゃないのか、兄貴のアレは」

「怪獣使いの声なんか聞こえないし、聞こえたとしても相手に出来るわけないだろ。国家の大黒柱なんて」

「怪獣使いが使っている怪獣の声は聞こえるだろうが」

「あいつらはなー……。調教されているせいだろうけど、自我が薄くて上手く聞こえないんだよ。喋る奴はいないわけじゃ ないんだが、ちょっとよろしくない感じの思想の持ち主だから相手にしたくないんだよ」

「好き嫌いを言える立場かよ」

「我が身が可愛いんだよ」

「その割に、次から次へと荒事に飛び込んでいるようだけど?」

「荒事の方が俺に飛び込んでくるんだよ」

「兄貴がもっとしっかりしていれば、愛歌さんは苦労せずに済んだだろうに」

 真琴の苦々しげな横顔に、狭間はなんだか焦れてきた。これまでにも、愛歌と真琴をそれとなく二人きりにさせた ことはあったのだが、なかなか進展していないようだった。真琴が女性の扱い方をまるで知らないのと、愛歌が真琴 を男として意識していないのがその原因だろうとは予想出来るが、それは当人同士の問題なので狭間が横から口出し するべきではない。その時が来るまでは、長い目で見守るしかなさそうだ。怪獣使いと怪生研と怪獣監督省の事情に やけに詳しかったのも、激務に忙殺されている愛歌を思うがあまりに調べ尽くしたからだろう。

「で、つまるところ、エレシュキガルって何なんだ?」

 兄の考えを察したのか、真琴は気まずげに目を逸らして話題を変えた。

〈神話怪獣が何かと問われれば、神話怪獣の成り立ちから説明しなきゃならなくなっちまうんだけどなぁ〉

 どるん、と狭間の尻の下でエンジンが唸り、ホンダ・ドリームが会話に割り込んできた。

「神話怪獣の成り立ち? そりゃまたえらく壮大だなぁ」

 狭間が嫌がると、ドリームはため息のように排気を吐いた。

〈仕方ないだろう、人の子。物事を突き詰めると、どうしてもそうなるんだ。川の源流を辿っていくと、山から滲んだ 一滴の地下水であるように、何事にも始まりがあるんだ〉

「五分以内で説明を終えろ、でないと野々村さんが来ちまう」

〈えぇ? ……まあ、努力してみる。神話怪獣というか、神話時代はこの時代とは少し物理法則が違っていたんだ。 太古の昔、怪獣と外見の差があまりない恐竜が栄えた時代は酸素が濃く、重力が弱かったように、次元と空間の 狭間が緩かったんだよ。魔法使いって言われている連中が使っている技術は、その当時に開発されたものだが、 次元と空間のバランスが安定した今となっては無用の長物――の、はずなんだが、魔法使いに関して話を始める と長くなっちまうから割愛する。で、神話時代というのは、人と怪獣の境界も曖昧だったが、人と人の隔たりも また薄かったんだ。なぜなら、言葉の壁がなかったからだ〉

「バベルの塔がいたからだな」

〈そうだ。だから、人の子のように怪獣電波を使って怪獣と話をする人間もいたし、怪獣から人間に話しかけることも 少なくなかった。そして、星と星を渡ることも容易だった。一八九八年の火星怪獣の襲来も、神話時代に確立された 技術を使っていたものだった。バベルの塔が貫いているのは言葉の隔たりだけじゃない、空間も歪めるんだ。ほら、 雨上がりに見かけるだろ? ビニールシートに雨水が溜まって凹んでいるのを。言うならば、バベルの塔はその 水溜りを下から押し上げるような役割を果たしているんだ〉

「その水ってのは、倫理観や経済観念や何やらってところか」

〈そうだ。人間の営みが確かなものとなり、盤石な地盤を築き上げていくにつれて、幻想と神話は遠ざかる。それは 人類という種の成長であり、喜ばしいことなんだ。このまま発展していけば、怪獣もいずれは不要になる。そいつは 寂しいし、やるせないが、仕方ないんだ。幼年期は終わる。必ず〉

「つまり、神話怪獣はあの世のものだと?」

〈そういうことになる。昔はエレシュキガルも力が強かったから、どこへでもクル・ヌ・ギアを出現させられた んだが、弱体化した今となっては火星のクル・ヌ・ギアを維持するだけで精一杯なんだろう〉

「いやに詳しいな、お前」

〈氷川丸の受け売りだよ〉

 ちょっと気恥ずかしげに、ドリームはハンドルを傾ける。話の出所を知った狭間は、氷川丸の気遣い、或いは執着 心に辟易した。氷川丸に疑念を抱いてからというもの、山下公園にも不用意に近付かないようにしているのだが、 こんな形で接触を図ってくるとは。ドリームを通じて言い返してやりたくなったが、反応するとそれだけ相手が増長 するので、何も言わないことにした。
 話を始めてからきっちり五分後、一台の車が舗装されていない道を上ってきた。米軍の払下げであろうジープは ごとごとと走ってくると、フォートレス大神の前で停車した。そこから下りてきたのは野々村不二三で、狭間と 大差のない格好をしていた。野々村は真琴に暑苦しく挨拶してから、狭間とツブラに乗り込んでくれと言ったが、 その申し出を断り、狭間は自分のバイクで追いかけていくと言った。

「そりゃまたどうしてだ、狭間君」

 野良着姿にサングラスを掛けた野々村が不思議がると、狭間はドリームを小突いた。

「ここんとこ、こいつに乗ってやれなかったんですよ。たまに乗らないと、怪獣が拗ねるんで」

「スネルゥ」

 ツブラがドリームにしがみつくと、野々村は眉根を寄せたが承諾した。

「そいつの馬力なら峠道も越えられるだろうが、後で音を上げても知らんぞ」

「どうもすみません」

 狭間は平謝りしつつドリームに跨ると、ツブラはその後ろに乗り、触手と手で狭間の背にしがみ付いてきた。それ から狭間とドリームはジープのテイルに喰らい付いていったが、程なくして野々村が正しいと解った。小田原方面に 進路を向けたジープは、次第に勾配のきつい道を昇っていき、気付けば曲がりくねった山道に突入していた。目的地が 箱根だと解っていたら、余計なことを考えなかったものを。狭間は急カーブを越えるたびに後悔していたが、尻の下 ではドリームがすこぶる上機嫌で、そのおかげで馬力は安定していた。
 箱根に到着したのは、昼前だった。




 箱根山とその麓の芦ノ湖は、全国有数の温泉地だ。
 だが、その湯に浸るのは人間ではなく怪獣だ。火山である箱根山から湧き出す温泉は、怪獣の外皮に堆積した 汚れを洗い流すには最適で、そのために全国各地から中型怪獣が運び込まれてくる。怪獣に付着した汚れを温泉 に浸すと火山性ガスに等しい成分のガスが噴出するので、芦ノ湖の湖岸は常に有毒性のガスに包まれ、そのせい で草木はほとんど生えていない。怪獣の汚れを落とす性質を持つ小型怪獣が芦ノ湖に何百体も放流され、彼らが 世俗の垢にまみれた怪獣達を清めてくれるのだが、運び込まれる怪獣の数が多くなると間に合わなくなる。
 そこで活躍するのが、日雇い労働者だ。粗末な作りではあるが高性能な防毒マスクを付け、芦ノ湖全体に満ちた 温泉の高温を凌ぐために怪獣の外皮から作られた耐熱服を着、中型怪獣の背に乗り、クワやツルハシを振るって 中型怪獣の表面に付着した泥の固まりや老廃物を砕き、削り、落とす。防毒マスクの息苦しさと湯の熱さで一〇分も しないうちに参ってしまうので、こまめに交代して休憩する必要がある。日給は破格だが、それだけ過酷な仕事だと いうことだ。今は亡き狭間の故郷である船島集落にも、小規模ながらも怪獣の湯治場はあったので、仕事の厳しさを 案じるよりも先に懐かしさが先に立った。
 広々とした湖面からは湯気が立ち上り、温泉特有の匂いを多大に含んだ淡い霧が、山間の景色を柔らかく包み 込んでいた。湖畔に並ぶ建物は日雇い労働者達が利用する簡易宿泊所、いわゆるドヤで、その隣にあるのは彼らの 収入を吸い上げるための賭博場だった。狭間のドリームと野々村のジープは、芦ノ湖から離れた駐車場に停めた。 湖畔に近付き過ぎると、湯気に含まれる塩分が車体が傷めてしまうからだ。
 ツブラを一人には出来ないが仕事場には連れていけない、と狭間が逡巡していると、野々村のジープが子守を 快く引き受けてくれた。持ち主同様、面倒見がいい。ツブラもジープの動力怪獣が気に入ったらしく、率先して ジープに乗り込んでお喋りしていた。
 野々村が先に連絡しておいてくれたらしく、現場に到着して早々に仕事が割り当てられた。道具は用意された ものを使え、と現場の主任と思しき男に言われたが、防毒マスクは買い取りで耐熱服は貸し出しだった。それと 交通費を差し引きすると、稼ぎはほとんど残らない。胴元だけが儲かるように、上手く出来ている。
 狭間と野々村は手漕ぎボートに乗り、湖岸から五〇メートルほど離れた場所に浮かぶ中型怪獣の元まで移動した。 行きも自力、帰りも自力というわけだ。錨の付いた鎖を巻き付けられている怪獣の背に乗り、ボートのロープを 怪獣のツノに結わえつけてから、道具を下ろした。

「狭間君」

 それまで言葉少なだった野々村に話しかけられ、狭間は彼に向き直った。互いに防毒マスクと目の粘膜を守るため のゴーグルを被っているので、表情は窺いづらい。話したいこと、話すべきことが山ほどある。だが、思うように 言葉がまとまらなかったので、当たり障りのない返事をした。

「はい」

「寿町に現れた神話怪獣が、あの子ではないと解っている。狭間君があの子を利用するはずがないということも、 解っている。俺の紙芝居を観終わった後、手を繋いで帰るところを何度となく見たからだ。狭間君は、最初の頃 こそあの子を邪険に扱っていたから歩調が合っていなかったが、最近はそうじゃない。半端に繋いでいた手も、 ちゃんと繋いでやるようになった。あの子の話を最後まで聞いてから、答えてやるようになった。あの子の背に 合わせて中腰気味で歩くようになった。どれだけ大事にしているのか、痛いほど伝わってくる」

 そこまで観察されていたのか、と狭間は恥じ入る。野々村はゴーグルの奥で目元を歪め、額を押さえる。

「すまない、俺はどうにも上手くないんだ。昨日は頭に血が上っていた。解っているつもりだったんだが、俺は 押さえが効かなくなる時がある。横浜から離れていないと、エレシュキガルとやらに喰われた人間を一人も助ける ことが出来なかった自分が情けなくて、気が狂いそうになる。俺なんかが勝てる相手じゃないと解っているのに、俺の つまらない正義感が死んでもいいから体を張れと叫ぶ。――――鳳凰仮面は俺であって俺じゃない、俺のどうしようも ない部分が剥き出しになった姿なんだ」

 野々村がツルハシを握る手に力を込めると、耐熱服でも隠し切れない筋肉が盛り上がる。

「一体何が起きている? 俺はそれを知りたい。君はそれを知っているだろう、狭間君」

「どうしてそう思うんです」

 野々村の鬼気迫る眼差しに、狭間は目を逸らしかけたが堪えた。

「あの修羅場を生き延びたのは、俺が知る限りでは君と九頭竜会の三人と渾沌の女幹部だけだ。エレシュキガル が直接触れなくても、エレシュキガルが通った道を挟んだ家屋やビルの中では何十人も死んでいた。突然死として 処理されたようだが、本当は彼らは命を吸われたんじゃないのか? あの影の固まりに」

「俺がそれを肯定したら、野々村さんはどうするんです?」

「殴りに行く」

「神話怪獣は、さすがに野々村さんでも」

「いや、人間だ」

「じゃあ、当てがあるんですか」

「ある!」

 ツルハシを振り上げた野々村は、怪獣の背に叩き付ける。堆積物で出来た石が砕け、散る。その衝撃に驚いた のか、中型怪獣が波打った。その揺れが収まってから、狭間もツルハシを振り上げて下ろすが、野々村のように はいかなかった。石の端が割れた程度でしかなく、ヒビも入らなかった。

「あるから、ずっと俺は正義の味方ごっこをしていたんじゃないか! 俺は、あいつが現れるのをずっと待って いたんじゃないか! 名前なんざなんでもいい、あいつはあいつだ、アレなんだ!」

 振り下ろし、振り下ろし、振り下ろすたびに赤茶けた石が砕けて怪獣の外皮が垣間見える。

「あの事件、忘れもしない!」

 野々村の内に滾っている正義感とそれに付随する感情が腕力に変換され、石を呆気なく砕く。

「ギョクジがなんだってんだああああっ!」

 砕け、砕け、砕かれる。荒ぶる野々村が怪獣の外皮にもツルハシを叩き込もうとしたので、狭間は慌ててそれ を防いだ。怪獣に暴れられて湖水に落ちては、ただでは済まないからだ。狭間に押さえられたことでいくらか 冷静さを取り戻した野々村は、肩で息をしながら、ツルハシから手を離した。

「すまん……」

「警察官を退職された時に、何かあったんですね」

 狭間が遠慮がちに問うと、野々村はマスクの下から零れた汗を手拭いで拭う。

「俺は――――警察官じゃなかった。所属していた部隊の名前を口外することすら機密だったから、女房にすら 言えなかった。だが、今なら言える。言ってしまおう。嘘を吐くのも苦手なんだよ、俺は」

 野々村はツルハシの柄を握り、一つ、深呼吸をする。

「俺は、帝国陸軍の玉璽近衛隊に配属されていたんだ。宮様直属の護衛部隊である御璽ぎょじ近衛隊と似たようなもの だが、実質的に権力が上なのは玉璽近衛隊なんだ。その理由は突き詰めると大政奉還にまで遡らなければならない ほど根が深いんだが、どうにも腑に落ちなかった。だが、玉璽近衛隊は精鋭の中の精鋭だけが配属される部隊であり、 国防の要でもある。だから、上等兵からいきなり准尉に昇進し、玉璽近衛隊に抜擢された時は誇らしかった。 俺は国防の最前線に派遣され、御国とその民を守る盾になれるのだと。けれど、それは……」

 周囲の目と話し声を誤魔化すために作業しながら、野々村は長年の思いを吐露する。

「宮様の血筋と違って、怪獣使いの血筋はデタラメだった。怪獣使いとしての力を持って生まれる子供はほんの 僅かだ、俺が任官していた時だけでも十五人は生まれたが、世に出たのはたったの一人だけだった。選ばれなかった子供の 末路がどうなったのかは、考えたくもない。怪獣使いの子供はどいつもこいつも病弱だが、その原因は母親が 妊娠中に投与される薬のせいだった。怪獣使いの力というのは、棺桶に片足を突っ込んでいなければまず発現 しないものだ。だから、怪獣使いの子供達は生まれたその日が命日になることが多い。生き延びたとしても、 いつも死に掛けているから、十年も生きられれば御の字だ」

 狭間の脳裏に、着物姿の少女、綾繁枢の姿が過ぎる。棺を背負ったヒツギが枢に執着し、枢が狭間を利用して までも怪獣使いとしての地位を持ち上げようとしていたのは、己の命が短いと知っていたからか。

「あの娘もそうだった。綾繁あわれ。俺が守らされていた、怪獣使いの成り損ないの娘だった。軍隊の予備役と同じで、怪獣使いは 消耗品だから予備が山ほどいる。哀はその予備の中では位が高く、現役の怪獣使いが退いたら次は自分が 怪獣使いになって世の中を良くするんだ、哀の次に控えている双子の妹も一緒に怪獣使いになるんだ、と俺に 言った。だが、そんな日は来なかった。来るわけがなかったんだ」

 それからしばらくして、二人とも処分されたんだ。そう言って、野々村はツルハシを振り下ろした。過去の苦い記憶 に抗わんがために、精神的な苦痛を紛らわすために、ひたすら力を振るった。狭間は野々村の呻きを耳にしながら、 ツルハシを担いで振り下ろしたが、今まで扱ったことのない道具には振り回されるだけだった。それでも、野々村 の見よう見まねで怪獣の外皮を覆う堆積物を砕き、耐熱服とマスクの内側を汗で濡らしながら、体を動かした。
 じっとしていると、苦しくなる一方だからだ。





 


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