横濱怪獣哀歌




契リ、千切レズトモ



 祝詞を上げ、三々九度の盃を交わし、玉串を神前に捧げる。
 中国マフィアの頭領と横浜を牛耳るヤクザの一人娘は、神前式で夫婦の契りを滞りなく結んだ。それから、両家の 親族と列席者達は大広間へと移り、結婚披露宴が始まった。九頭竜総司郎が音頭を取って乾杯したが、狭間は形 だけで済ませ、酒にも料理にも口を付けずにただひたすらサイダーを飲んでいた。変な目で見られたが、狭間の 隣に座る真琴の紛い物はサイダーすらも口に付けなかったので、もっと変な目で見られた。ツブラは狭間の膝の 上で大人しくしていたが、大人しすぎて一言も喋らなかった。
 配膳が一通り終わると、今度は祝辞が始まった。電報だけでも物凄い枚数になっているので、司会者が送り主の 名前を読み上げるだけでもかなりの時間を要した。それから来賓によるスピーチが始まったのだが、多分に漏れず 長ったらしかった。渾沌側の来賓、九頭竜会側の来賓、双方の親族、友人、と壇上に上げられては似たり寄ったり の演説を行っていた。狭間は怪獣達の声に耳を傾けていたため、それらは全て聞き流していた。

「――――それではここで御登場頂きますのは、新婦、麻里子さんの御友人でいらっしゃいます、狭間真人様。 どうぞ、前の方へ御登場頂けますでしょうか、お願いいたします」

 不意に司会者に名を呼ばれ、狭間は心臓が縮み上がった。プログラムにそんなことは書いていなかったし、新婦 友人としてスピーチをしてくれ、と頼まれた覚えもない。一気に嫌な汗が浮き、鼓動が荒くなる。狭間が辺りを 慎重に窺うと、かなり酔っている御名斗が笑顔を向けてきた。狭間当人に断りもなく、演目を増やしたらしい。 文句を言ってやりたくなったが、もうそんな余裕はない。場を白けさせてはいけないので、狭間は仕方なく腰を 上げたが、麻里子を褒め称えるスピーチなど出来るわけがない。そもそも、何を話せというのだ。
 真琴の紛い物にツブラを任せてから、狭間は酔ってもいないのに覚束ない足取りで壇に上がり、司会者から マイクを渡された。それらしい言葉を並べて凌いでしまえばいい、と思いつつ、狭間は会場に向き直ったが、筋者達 の視線が全身に突き刺さってきた。狭間が麻里子と関わりが深いことは渾沌側にも周知されていて、リーマオに 至っては良からぬ期待を含んだ笑みを浮かべている。その足のカーレンもだ。

「……えぇ、と」

 何言うんだっけ、どう始めるんだっけ、そもそも俺はスピーチなんてしたことない、と狭間は煩悶していたが、 子供の頃に出席した親戚の結婚式の様子を懸命に思い出した。

「たっ、た、ただいま御紹介に預かりました、新婦、麻里子さんの友人の、狭間と申します」

 この次はなんだ、なんだ、と狭間は記憶を掘り返していると、聖ジャクリーンからの怪獣電波が飛んできた。 例文を覚えているから教えてあげるね、と言ってくれたので、狭間は聖ジャクリーンの言葉を復唱することに した。普段であれば撥ねつけるが、今ばかりは無下に出来ない。

〈麻里子さんは名のある御家柄の御嬢様なので、来賓、御親族にはとても御立派な方が多く〉

「麻里子さんは名のある御家柄の御嬢様なので、来賓、御親族にはとても御立派な方が多く」

〈私のような若輩者が拙いスピーチをしていいものかと不安になりますが、御使命を受けたのであれば〉

「俺のような若輩者が拙いスピーチをしていいものかと不安になりますが、御使命を受けたのであれば」

〈この場を借りて、麻里子さんについてお話しさせて頂きます〉

「この場を借りて、麻里子さんについてお話しさせて頂きます」

 ここまでは無難だが、問題はこれからだ。狭間が乾涸びた喉に唾を飲み下すと、聖ジャクリーンが続けた。

〈横浜に来て間もない頃、麻里子さんを初めてお見かけした時、とても美しい方だと思いました〉

「横浜に来て間もない頃、麻里子さんを初めてお見かけした時、とても美しい方だと思いました」

〈品行方正で理知的で〉

「品行方正で理知的で」

〈それなのに学院の出席日数が滞りがちで、テストの点数は良いのにろくに試験を受けないから赤点ギリギリで、 だけど裏から手を回されているから絶対に退学にならないし、外面は良いからサボり三昧の不良には見えなくて、 おまけに強硬派のカムロが頭にくっついているものだから――〉

 これでは、聖ジャクリーンのスピーチは使えない。狭間は当てにした自分が馬鹿だったのだと自責して、今一度、 自分の頭でスピーチの文面を練った。

「少し言葉を交わしただけで、彼女は只者ではないと知りました。麻里子さんが自立するために親元を離れ、俺の アルバイト先でもある喫茶店で下宿するようになってからは、以前よりも接点が増えました。そのおかげで、麻里子 さんがどのような女性であるのかがよく解りました。己の生き方に一本筋を通し、生まれ持った境遇を憂うことなく、 そればかりか御家柄に誇りを持ち、時には血を分けた御家族と鍔迫り合いをし、強く在ろうとしておられます」

 褒めているのか貶しているのか。狭間は自分でも解らなくなってきたが、その調子で通した。

「麻里子さんは、いつ何時であろうとも自分というものをしっかりと据えております。外側から見れば不幸な出来事 であろうと、麻里子さんとその――――兄弟からすれば、疑いようのない幸福だと仰いました。なので、俺は心から 麻里子さんとジンフーさんの御結婚を祝福いたします。これからは、お二人で力を合わせ、お二人が見い出した幸福 に満たされた家庭を築いて下さい。以上を持ちまして、お二人の御結婚のお祝いの言葉とかえさせて頂きます。 本日は、本当におめでとうございます」

 もう、どうにでもなれ。狭間は一礼してから素早く引っ込んだが、拍手は起きなかった。それもそうだろう、 麻里子を褒めようとしても褒められる部分が見当たらないのだから。気まずすぎて消えてしまいたかったが、 それも出来ないので、狭間は自分の席に戻った。

〈ごめーん、つい本音が出ちゃったー〉

 聖ジャクリーンの反省の欠片もない声が聞こえ、狭間は四本目のサイダーを開けつつ返した。

〈どうせそんなところだろうと思ったよ〉

 怪獣料理が平らげられた頃合いに、余興が始まった。謡い、詩吟、民謡、披露宴に招かれた舞妓による日本舞踊、 そして中国拳法の剣舞、演武、更に唐獅子が舞い踊った。しかも、いずれの余興も楽団による生演奏付きで、演者 達の襟元や帯にねじ込まれるおひねりの枚数も半端ではなく、中には札束をそのまま突っ込む輩もいた。極め付け は新郎新婦によるデュエットで、ジンフーにカラオケのマイクが渡され、麻里子にも渡された。それから、二人は 近頃流行りのデュエットソングを歌わされたのだが、ジンフーはそれなりに歌が上手いのだが、麻里子は音程も 何もあったものではなかった。だが、笑うに笑えぬ状況なので、狭間は新婚夫婦の不協和音を聞き続けた。
 カラオケが終わると、新婦が家族への手紙を読み上げる段階になった。照明が落とされ、麻里子にスポットライト が当てられる。白無垢姿の花嫁は司会者から手紙を渡され、便箋を広げたが、それを冷ややかな眼差しで睨んで いるだけで読み上げはしなかった。来客達がざわついていると、狭間の感覚に怪獣の声が突き刺さった。

〈この結婚式が刃傷沙汰になることを見越して、チンピラ共の血でエレシュキガルを呼び寄せた上、怪獣共に飴と 鞭を与えて操ろうって腹だろうが、人の子にはそんな芸当は出来ない〉

 斬撃怪獣ヴィチロークだった。

〈それはどうだか。俺に何も出来なくても、怪獣達は出来る。それに、俺には作戦がある〉

 少しむっとして狭間は怪獣電波で言い返すと、ヴィチロークが隠れているであろう親族席ががたついた。

〈生兵法はケガの元だ。悪いことは言わない、天の子もダイリセキも連れて帰れ。それが一番だ〉

〈ここに来て、お前らしくもないことを言い出すもんだな。だが、それも九頭竜会の作戦なんだろ? 信用する わけがないだろうが。大体、俺がなんとかしなきゃ、エレシュキガルは横浜どころか――――〉

 不意に、狭間の感覚に雑音が混じる。狭間とヴィチロークが交わしていた怪獣電波に他の怪獣電波が割り込んで きたため、軽い衝撃すら覚えた。ツブラもそれを感じたのか、肩を竦めている。花嫁による親族への手紙の朗読が なかなか始まらず、来客達は焦れている。すると、麻里子は手紙を司会者に渡し、観音開きのドアを見据えた。
 その、ドアが開いた。門番である男達がドアの隙間から放り込まれたが、昏倒していた。ドアが開き切ると、そこ には、結婚式には似つかわしくない国防色の軍服とマントを着込んだ者達が並んでいた。中心には長身の中年男性、 階級は中佐。右手には真っ赤な髪と赤い瞳を備えた小柄な若い女性、階級は上等兵。左手には軍帽とマントだけを 身に着けた異形、階級は伍長。後方には、やはり国防色の軍服を着た羽生鏡護がいた。階級は少尉。

「失礼する」

 中佐は壇上の新郎新婦と九頭竜総司郎を睨み、名乗る。

「我らは、真日奔帝国陸軍玉璽近衛隊特務小隊である」

「ぎょくじこのえたいぃ!?」

 寺崎は声を裏返したが、すぐさま懐から拳銃を抜く。他の者達も一斉に立ち上がり、拳銃やナイフを構える。狭間 はその様に臆しつつも、軍人相手にそんなものが通じるわけがないだろうが、とも思っていた。玉璽近衛隊、すなわち 怪獣使い直属の実働部隊だ。怪獣監督省では対処しきれない規模の被害や損害の救済を行う部隊であり、怪獣 使いの命令を最優先とする部隊であり、野々村不二三の古巣だ。国防の要である玉璽近衛隊が、たかがヤクザと マフィアの抗争に出張ってくるとは思い難い。となれば、エレシュキガルの動向を予測した上での行動か。

「一体何の用だ。捜査令状があるというなら、話は別だが」

 九頭竜はヴィチロークを掴もうとしたが、テーブルクロスが翻り、日本刀型の怪獣が浮き上がる。

「おい、どうしたヴィチローク!」

「任務御苦労」

 中佐はマントを広げ、右腕を掲げる。軍服の左袖は平たく萎んでいて、隻腕だった。シャンデリアに掠れるほど の高さを飛んだヴィチロークは弧を描くと、中佐の手袋を填めた手中に収まり、かたかたと鍔を鳴らした。

〈中佐、ライキリ、ただいま戻りました!〉

「ライキリ……?」

 名前はヴィチロークではないのか。狭間が戸惑うと、須藤が前触れもなく絶叫した。何事かと振り向くと、スーツの 左腕の付け根が赤黒く染まり、みぢみぢみぢ、と肉が裂ける異音が聞こえてきた。須藤の咆哮に混じり、めぎぃっ、と 骨ごと肩の関節が折れた。息を荒げながら膝を付いた須藤の左腕が、シニスターが、ごとんと床に転げた。

〈この日をどれだけ待ち侘びたことか! って言っているのは俺だあ!〉

 左手に被せられていた手袋を呆気なく破ったシニスターは、五本の指をがしゃがしゃと動かして床を駆けていき、 中佐の左袖に滑り込んだ。須藤の生温い血がまとわりついた結合部が中佐の左腕の根元に喰らい付くと、中佐は 少し呻いたが、程なくしてシニスターの手のひらが力強く広がった。中佐が緩やかに拳を固めて結合の具合を 確かめていると、シニスターがいつになく高揚した様子で叫ぶ。

〈タヂカラオ、ただいま戻りました!〉

「御苦労」

 中佐が短く告げると、赤い髪の上等兵――田室秋奈が目を見開いた。

「中佐。現状、問題なし。敵影、接近中」

「了解した。行動に移る」

 中佐の眼差しが静かに巡り、両足を怪獣義肢に挿げ替えた女を捉える。

「ひっ」

 リーマオが青ざめて身じろぐと、怪物じみた怪獣人間――藪木丈治は上官に目線を送る。

「あれも分離させるんすか?」

「いや。あれは恩賜怪獣ではない、ただの野良だ」

「そっすか」

 藪木はちょっと残念そうだったが、白無垢姿の花嫁に向き直る。

「となれば、あれを回収するんすね?」

「そうだ。行け」

 中佐が繋がったばかりの左手を掲げると、秋奈が軽やかに駆け出した。一歩、二歩、三歩、とウサギのような 身軽さで跳躍し、テーブルを蹴り、ヤクザとマフィアを数人蹴り倒しながら壇上に至った。新郎新婦のテーブルの 上に直立した秋奈は、マントの下から二本のサバイバルナイフを抜き、躊躇いもなく麻里子に斬り付ける。
 しかし、麻里子の角隠しから伸びた黒髪の刃がその刃を受けた。カムロは髪の間から潰れた目を出し、更に 髪を伸ばして秋奈の斬撃を阻もうとするが、秋奈は無駄のない身のこなしでカムロの髪による攻撃を全て捌いた。 的確に投擲された一本目のナイフが麻里子の胸に、二本目のナイフが麻里子の額に突き刺さると、麻里子は両目 を見開いて仰け反り、崩れ落ちる。カムロは動揺し、怪獣電波を波打たせる。

〈くそぉっ、俺と麻里子の結合部分を的確に切りやがった! これじゃ麻里子の体が動かせねぇ!〉

「マーリーズー!」

 鮮血を噴き出しながら倒れ込んだ新婦を、ジンフーは抱き留めようとするが、秋奈は三本目のナイフを抜いて ジンフーの手を斬り付けた。切れ味が冴えた刃は男の左手首を易々と切り落とし、血の瀑布の下に骨張った手が 転がった。膝を折って左手首を押さえるジンフーに、秋奈は機械じみた頑なな眼差しを注ぐ。

「中佐。処分、遂行?」

「遂行しろ」

「了解」

 秋奈は血が滴るナイフを握り直し、突き出した。が、赤い異物が割り込んできて刃を弾き、更に秋奈の手首を 蹴り付ける。漢服の裾を翻しながら舞ったリーマオは、両足の側面から棘を出して構え、ジンフーと秋奈の間に 立つ。顔色はひどく悪かったが、並々ならぬ覚悟は据わっていた。

「あんさんら、うちらに何の恨みがあるんや! 軍隊のくせして、やっとることは賊と同じやんか!」

「恨みはない。仕事をしに来ただけだ」

 中佐は確かな足取りで歩み出し、親族席に向かう。藪木はその護衛として同行したが、羽生は開き切ったドアを 塞いでいた。誰かが中佐に銃口を向けると、羽生は素早く拳銃を抜いて発砲する。その動作には何の迷いもなく、 狙いも極めて正確だった。中佐は激痛と出血に悶え苦しむ須藤を一瞥した後、九頭竜の前に立つ。

「九頭竜総司郎。光永しのぎの貸与から二十年が過ぎたが、返却期限を当に過ぎている」

「鎬は死んだ、俺の嫁として死んだ。死んだものを返せるはずがないだろうが!」

「鎬を返せないのであれば娘を差し出せ、と令状を出したはずだが」

「あいつは傷物だ! 首も切られた、性格も最悪だ、明日からは俺の娘じゃなくジンフーの嫁だ、そんな屑の中の屑 を玉璽近衛隊とあろうものが欲しがってどうする! 鎬の時は金を受け取ったが、今度はそんなものはいらん!  金なんざ、裏から手を回せばいくらでも手に入る! だが、あのクソッ垂れな馬鹿娘は」

 どこにもやらん、と言いかけたところで、九頭竜の下腹部にヴィチロークが――否、ライキリが埋まる。

「怪獣使いの命令だ」

 ぎち、と刃を捻った中佐は、臓物混じりの血が噴き出す下腹部を押さえた九頭竜を冷ややかに見下ろす。

「あの娘ではなく、毛髪怪獣が入り用なのだ。上が欲しがる以上は、回収する必要がある」

 九頭竜の下腹部からライキリを引き抜いた中佐が目配せをすると、秋奈は麻里子の生首ごとカムロを掴み上げ、 藪木が持ってきた麻袋に詰め込んだ。その最中にも、怒り狂った九頭竜会の構成員が突撃してくるが、藪木は 体格に応じた腕力で難なくあしらい、秋奈はネコ科の動物じみた敏捷さで倒していく。血の染みが広がる麻袋 を担いだ藪木が出入り口へ戻っていくと、秋奈はその背を守り、しんがりは中佐が務めた。
 何なんだ、一体何が起きたというのだ。狭間は完全に腰が引けてしまい、立ち上がることすら出来ずに事の次第を 見守っていた。ツブラは狭間の懐に隠れ、精一杯体を縮めている。真琴の紛い物、ダイリセキもまた大人しくして いる。羽生は拳銃を構えている。三人の軍人達は出入り口に戻り、そのまま出ていくかと思われたが、振り返る。

「人の子もだ」

 その言葉の意味を知るのは、狭間だけだった。ツブラがはっとして顔を上げたが、遅かった。軽い足音が背後に 迫り、椅子から引き摺り下ろされ、床に頭を押し付けられて両腕を背中に回され、強く掴まれる。ツブラも似たような 態勢にされたばかりか、頭から麻袋を被せられて袋の口を紐できつく縛られた。

「ツブラをどうする気だ!」

 狭間はもがきながら喚いたが、秋奈はてきぱきと狭間の両手を縛って後頭部を踏み付けた。

「返答、不可」

「連行しろ」

「了解っすー」

 狭間の叫びに応じることなく、藪木が狭間とツブラ入りの麻袋を担いで外に出ていった。彼の左手には麻里子の 生首入りの麻袋も下げられていたが、カムロも麻里子も微動だにしていないらしく、物音すら聞こえない。大広間の 外へと連れ出されながら、狭間は今一度中を窺った。左手を失ったジンフー、下腹部の傷を押さえるも出血が止まる 気配すらない九頭竜、左腕が独りでに引き抜けた須藤、そして首を失って胸を貫かれた麻里子。
 ほんの数分で、祝宴は惨状と化した。





 


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