横濱怪獣哀歌




印部島電撃作戦



 低く鋭く、サイレンが鳴る。
 その音に真っ先に反応したのは、田室中佐だった。表情が強張り、目線が忙しなく動いて上官の姿を探し、航空基地 へと駆け出そうとしたところで我に返ったのか、その場で足踏みする。藪木は秋奈を背にして立ち上がり、秋奈は目を 見張って辺りを睨み付ける。羽生はホルスターから抜きかけていた拳銃を戻し、腰を上げる。赤木は少し迷った後、 状況を確認してきます、と田室に言い残して食堂を後にした。
 敵襲を知らせる警報であり、本土では空襲警報であったサイレンを鳴らしたのは、他でもないヒツギだ。異常事態 によって航空基地も騒がしくなり、照明が炊かれたのか窓の端が明るくなる。赤木が出たことで待機していた兵士達 も動き出し、荒い足音が廊下で跳ね回っている。田室は息を詰めていたが、左手の拳を解き、呼吸も細く緩めて狭間を 見据えてきた。これは貴様の仕業だろう、とでも言いたげだったが、今の段階では何の根拠がないから罵倒しようにも 出来ないのだろう。生真面目な男だ。

〈人の子、まずは第一段階が済んだぞ!〉

 ヒツギの高ぶった声が脳に突き刺さると、プロペラの唸る音がした。

〈わあああ、敵は、敵はどこなんさー!? みどぅーさるなんさー、わかいびらんー!〉

 訛りのきつい沖縄弁を捲し立てた電影はパイロットなしで発進し、夜空へと浮き上がった。水冷式怪獣エンジンを 震わせながら、古めかしい艦上機が印部島上空をひたすら旋回している。狭間が感じ取った怪獣電波の切れ端から 察するに、ヒツギは電影に偽の出撃命令を下したようだった。戦争末期になるとパイロットの数が足りなくなって いたので、魔法使いの技術を用いて目的地だけを動力怪獣に教え込み、無人で戦闘機を発進させていた。いわゆる 特別無尽攻撃部隊だ。その特別無尽攻撃部隊に配備されていた電影には当時の感覚が染み付いているため、あっさり と騙されてくれた。
 続いて、汽笛が上がる。今度は港からで、係留されている芙蓉がいきなり動力機関を回し始めた。暖気した後に スクリューが回転するとじわりと艦体が前進し始めるが、太く逞しい鎖とタラップが彼女を桟橋に戒めている。だが、 芙蓉はそれを振り切ろうと船速を上げるが、鎖が鳴るだけだった。こちらもまた、ひどく混乱している。

〈いやあああああっ、ガトー級潜水艦がこっちに狙いを付けちゃっているのね! ああ撃たれちゃう撃たれちゃう、 雷撃されちゃうっ! 輸送船を守らなきゃならないのに、私だけなら避けられるのに、海兵達を積んでいるから 急に動けないのよね! ああ、撃たれちゃう撃たれちゃう撃たれちゃうっ!〉

 マニラ湾で轟沈されたことが余程辛かったのか、逃げなきゃ逃げなきゃ、と必死に暴れている。それには狭間も 良心が咎めたが、先に玉璽近衛隊の足を断っておかなければ意味がないのだから仕方ない。岩が砕かれるような 音が夜気をつんざき、金属がへし折れる音と鎖が鳴る音が重なり、続いて芙蓉の悲鳴も聞こえてきた。その悲鳴は 玉璽近衛隊も面々も感じ取ったのか、皆、顔を歪めて頭を押さえる。彼らでさえも負担が掛かったのだから、狭間 は更に強烈だった。悲鳴と共に、成す術もなく死していく海兵達への罪悪感や後悔といった重苦しい感情が怒涛の 如く押し寄せてきて、膨れたばかりの胃が縮み上がりそうになった。

〈僕の出番だ。イッチーが暴れる前に最高のメタルを聞かせてやる〉

 そう言いながら、呂号がサイレンを放っていたスピーカーに接続した。無線ではなく有線で。それを繋いだのも、 もちろんヒツギである。だが、その行動に気付いているのは狭間一人であり、スピーカーから流れ出した音は人間の 聴覚では聞き取り切れないものだった。だが、怪獣には聞き取れる。

「中佐、芙蓉が独りでに抜錨して!」

 速足で戻ってきた赤木に、田室は声を荒げる。

「言われなくても解っている! タヂカラオ、何がどうなっている、報告しろ!」

〈報告っつったって、こっちもそれどころじゃ……〉

〈俺もだ……〉

 動揺を隠し切れないライキリが、鍔が上下するほど激しく震えている。田室は椅子に立てかけておいた愛刀を 左手で握るが、タヂカラオもまた震えていて指が曲がりきらず、ライキリを取り落した。

「どういうことだ? 羽生技術少尉、これは」

 どんな症状だ、と言いながら歩み出した田室は膝を折り、座り込んだ。

「ガス、毒、いずれも違うが、体の……自由が……」

 赤木はドアに手を掛けて堪えていたが、顔色は徐々に青ざめていき、脱力してへたり込んだ。最も症状が重いのは 藪木と秋奈で、声も出さずに昏倒している。唯一、顔色が変わっていない羽生は、懐からヒゴノカミを出したが、 ヒゴノカミもまた震えていて刃が出せなかった。彼は上官達を一瞥した後、狭間と対峙する。

「この僕が状況を判断してみせよう。怪獣に歌を歌わせたね?」

「その根拠は?」

 少しでも時間を稼がなければ。羽生だけであろうと動かれたら厄介だ。それに、背を向けていい相手ではない。 狭間はじりじりと後退して距離を取るが、羽生もまた徐々に距離を詰めてくる。

「シャンブロウが光の巨人に対して用いる攻撃手段の一つでもある歌と、怪獣使いが怪獣を宥めるために歌う祝詞 は言葉こそ違えども効力は同じだ。だが、この島にそんな芸当が出来る怪獣は――――まさか、呂三九型潜水艦に アクティブソナーを使わせた? けれど、あれは二十年以上前に轟沈していて、印部島近海に来てからは整備どころか 近付きもしていなかったのに。だとしても、そんなものは」

 長続きしない、と言って羽生は拳銃を抜こうとする。が、西側の海中で爆発音が起きたので、羽生は舌打ちして から窓を塞いでいたカーテンを広げ、硬直した。薄暗い海の中には真っ白な水柱が高く上がり、その水柱の上には 鋼鉄製のクジラが突き上げられていた。全長122メートルもの巨体を誇る伊四〇八型潜水艦は、呂号が発射した 魚雷の爆発と炭酸ガス怪獣のガスを解放した勢いにより、浮上し、極太のミサイルの如く宙を舞っていた。

〈げははははははははははははは! 見たかあっ、あたしの海軍魂ーっ!〉

 ぎゃははははははははははは、と悪辣な笑い声を撒き散らしながら、潜水艦としては大きすぎる艦体がしなやかな 放物線を描いて基地へと迫ってくる。これを海軍魂と呼べるのかいなかは後で考えるとして、狭間は窓際に立って いた羽生の襟首を引っ張って座らせると、自分も窓枠の下に潜り込んだ。数拍の後、潜水艦から質量兵器となった 伊号はロの字型の基地の西側に突っ込み、破壊の限りを尽くしながら通り過ぎていった。その際に発生した衝撃波 が窓という窓を砕き、無数の破片が飛び散ってきた。そのどれかで掠り傷が出来て光の巨人が現れてしまったら、 脱出計画もくそもないので、狭間は細心の注意を払いつつガラスの破片だらけの食堂から抜け出した。

「……羽生さん、大丈夫ですか?」

 良心の呵責に駆られた狭間がちらりと技術少尉を窺うと、彼は目玉が零れ落ちそうなほど大きく目を見開いて いて、半開きの口を閉じるのを忘れているようだった。何が起きるか知っていた狭間もかなり驚いたのだから、 予告もなしに潜水艦の特別攻撃を見せつけられてしまっては愕然とするのも無理はない。他の隊員達は、食堂の中程 で床に寝転がっていたおかげでガラスの破片の雨から逃れられているので、この分だと大丈夫そうだ。出入り口に 倒れている赤木は、呂号の歌と伊号の体当たりによる衝撃で完全に気を失っているので、狭間は内心で謝りつつも 彼をまたいで廊下に出た。兵士達は最初の異変で航空基地に向かっていったので、鉢合わせずに済んだ。居残りの 兵士達も伊号の海軍魂の証をどうにかするのが先決なのだが、上官達から命令がないので狼狽えている。彼らの注意 は伊号にだけ引き付けられているので、狭間は楽々と階段を昇り、昇り、昇り、綾繁枢の部屋へと至った。
 そこでは、ヒツギが待ち構えていた。今し方まで海中に潜って呂号にスピーカーの配線を繋いでいたので、全身 海水まみれで磯臭い。おまけに背中に担いでいる棺には海藻やら何やらが絡みついていて、海水を吸ってふやけた 荷物が蓋の隙間からぼとぼとと零れ落ちていた。

「ヒツギ、その棺を下ろしてから海に入ればよかったんじゃないのか?」

 あまりの惨状に狭間がつい肉声を発すると、ヒツギはふいっと顔を背けた。

〈これは私の魂だ〉

〈そうかい、勝手にしやがれ。で、綾繁枢は連れ出せそうか〉

〈無論だ〉

 そう言いながら、ヒツギは手中の鍵束から一つの鍵を選び出した。廊下の突当りにあるいかにも頑丈そうな扉の 鍵穴に差し込み、回すと、すんなりと鍵が開いた。伊号の体当たりの影響で停電してしまっているが、砕け散った 窓から注ぐ月明かりだけで充分に室内の様子が見て取れた。
 怪獣使いの少女は、怪獣ではなく機械に囲まれていた。沢山の管が付いた機械、ケーブルが付いた機械、何かの 計器が付いた機械、機械、機械、機械の群れだ。いずれの機械も怪獣に匹敵するほどの熱を持っているので、 この部屋の中はいやに暑苦しかった。物言わぬ鈍色の箱は部屋の中央に据えられたベッドを包囲していて、深い 眠りに沈みこんでいる枢を威圧的に見下ろしていた。

「これ……なんなんだよ」

 ヒツギが扉を閉めたのを確かめてから、狭間は畏怖混じりに呟いた。床を這い回っているヘビのようなケーブル やチューブをまたいで枢に近付き、布団の下からはみ出していた手に触れてみたが、悲しくなるほど冷たかった。 ヒツギは海水が詰まった棺を揺らしながら主の寝床に近付くと、傅く。

〈枢様を生かすための魔法だ〉

「魔法って、これはむしろ科学じゃないのか?」

〈いや、魔法だ。箱の中身は怪獣使いと魔法使いが方々手を尽くして探し出してきた怪獣が入れられていて、彼らは 電気と振動と音波による刺激で働くように施術されている〉

「だが、こいつらからは怪獣の声も何も聞こえてこなかったぞ? それでも怪獣なのか?」

〈怪獣であり、魔法だ。怪獣使いが怪獣を使役する術は生まれ持った才能と卓越した技術によって成り立っているが、 魔法使いは高度な科学技術に基づいた施術と技術で怪獣を操るのだ〉

「幻想小説に出てくる魔法とは違って、無から有を生み出すわけじゃないんだな」

〈そうだ。怪獣使いの能力によって使役された怪獣は、怪獣の気分次第では発生する熱量などにばらつきがある が、魔法使いの技術で使役された怪獣は脳に少し細工を施されているから気分の変動がないため、生産能力が かなり安定している。よって、魔法使いは過去の戦争では重宝されたのだが、重宝されすぎてほとんどの魔法使い が使い潰されてしまった。件のヴォルケンシュタイン家が良い例だ〉

「ヒツギもそうだが、怪獣達は魔法使いを疎んでいるのか?」

〈何の感情もないと言えば嘘になるが、人間に使い切られて文明を発展させて世界を暖めるのが怪獣の務めである と自覚しているから、その手段が近代的か否かというだけのことだ。怪獣使いは怪獣の精神を侵して祝詞で揺さぶり を掛けて反抗心を失わせ、魔法使いは刃物で脳を切り開いて神経に電極を埋めるが、どちらもやっていることは 大して代わりはない。私の場合は、枢様に精神を侵された時の快感が忘れがたくて枢様へ命を捧げたのだが〉

 怪獣使いと魔法使いの違いについては漠然と捉えていただけだったが、両者の違いは使う技術でしかないと知ると、 改めて海老塚が末恐ろしくなってくる。本土に戻れば、場合によっては海老塚と敵対しなければならないだろうが、 出来れば避けたいところだ。あらゆる意味で戦いたくない。
 予備があるのだ、となんだか自慢げに言いながら、ヒツギは部屋の片隅から新しい棺を取り出してきた。海水が たっぷりと入った棺を外してから、ヒツギは予備の棺の蓋を開けた。柔らかなクッションが箱の内側に張られて いて、点滴を吊り下げられるフックもあり、ヒツギが立っている時は座れるようにと折り畳める椅子までもが 付いていた。ヒツギは枢の布団を剥ぎ、その両手足に繋がっているケーブルやチューブを慎重に外し、ガーゼを 当ててテープで留めた。一つだけ残した点滴の針に、きちんと空気を抜いた点滴のチューブを繋げてやってから、 ヒツギは弱り切った主を棺に納めた。

〈今しばらくの辛抱です、枢様〉

 ヒツギは枢の青白い頬を太く硬い指で触れようとしたが、躊躇い、下げた。

「触ってやれよ。いや、触った方がいい。怪獣だとか人間だとか、遠慮するもんじゃない」

 そうしなければ、いずれ後悔する。狭間の意見にヒツギは目線を彷徨わせたが、答えずに棺の蓋を閉めた。

〈私は従者だ。主の許しを得ずに、主に触れるべきではない〉

 波号と合流してくる、と言い残し、ヒツギは割れた窓から外に出た。トカゲじみた膜の張った翼を広げて夜風 を掴み、滑らかに旋回していった。森から一斉に飛び立ったのは、彼の眷属であり枢の怪獣行列を成す怪獣達の一団 だった。彼らは陽動を行ってくれるらしく、滑走路へと向かっていった。

「あいつらは連れていくのか?」

〈出来れば連れていきたかったが、そうもいかんだろう。彼らもそれを解ってくれている〉

「ありがたい話だな」

 ヒツギと短く言葉を交わした後、狭間は枢の部屋を出た。混乱の収まらない基地内を通り、階段を何度も下り、兵士 に化けたダイリセキと合流した。彼が地下牢に繋がる通路を塞いでいた兵士達を追い払ってくれていたので、狭間 はすんなりと地下牢に行き着いた。ダイリセキに出入り口を確保してもらいつつ、ダイリセキが入手してくれていた 鍵を使って懲罰房の鍵を開けた。鉄格子の扉が開くと、動物を捕獲するための縦長のケージが床に置かれていて、その 中に入っていた麻里子の生首が片目を開けた。半端に伸びた髪がうねり、カムロが赤い瞳を出す。

〈よう。待ち兼ねたぜ、人の子〉

「麻里子さんは」

〈相変わらずだ。寝ているだけで精一杯〉

「カゴごと運ぶ、ってわけにはいかないな。カゴは鎖で壁に繋がれているから」

 そこで、狭間はダイリセキが着ている軍服に目を付けた。ダイリセキは、これもまた作戦の一環だから、と 言いながら軍服を脱いでくれたので、彼の力を借りて開けたケージから麻里子の生首を引き摺り出し、軍服に包んで 持ち出した。それから、裏口から基地の外に出たが、結果としてダイリセキを見捨てていく形となった。それも また心苦しかったが、ダイリセキはそれでいいのだと言ってくれた。そればかりか、人の子の役に立てて光栄だ、 とすらも。それからしばらくして、ダイリセキとの交信は途絶えた。
 印部島の西側ではなく東側を目指し、ひたすら走る。麻里子の生首を落とさないように、軍服の袖を袈裟掛けに 結んで生首を抱え、とにかく足を前に進める。だが、体力が戻り切っていないのですぐに息が上がり、心臓が痛み、 苦しくなるが、立ち止まってはいられない。月明かりは行く手を照らしてくれているが、それは見張りの兵士 に見つかりやすいということでもある。だが、振り返っている余裕はなく、無我夢中で合流地点に向かった。
 手探りで崖の斜面を下りていくと、岩礁の奥に小振りな潜水艦がちょこんと潜望鏡を出していた。そのレンズが 狭間を捉えたので、狭間が片手を上げると、波七型潜水艦のハッチが開いてヒツギが現れた。今度は枢入りの棺は 下ろしていたので、身軽に飛んできた。彼は狭間と麻里子の生首を抱え、海面すれすれを飛行して波号まで戻り、 すぐさまハッチを閉めた。それから十秒も経たないうちに、波号は急速潜航する。

〈面舵いっぱーい、よーそろー! 進路、横須賀―!〉

 勝手に進路を決めた波号が元気よく宣言したので、狭間は狭い艦内を通って発令所に入った。

「おいおい、そんな目立つところにしていいのかよ」

〈だいじょーぶだって、はーちゃんが一緒だもーん〉

「余計に不安だ」

 狭間は呼吸を整えて襟を緩め、麻里子の生首を管制官が座るための椅子に置き、自分も手近な椅子に座った。 枢入りの棺は発令所の床に横たえられていて、さすがに蓋は外してある。横須賀に到着するまでは何事もなければ いいんだが、と狭間は懸念したが、玉璽近衛隊から逃れられた安堵感と疲労からか、手足に力が入らなくなった。 同時に後悔に襲われかけたが、俺は腹を括ったじゃないか、と拳をきつく握った。
 艦内には、波号が歌う調子外れな軍艦マーチが流れていた。





 


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