横濱怪獣哀歌




風船事変



 作戦の概要はこうである。
 空中庭園怪獣ブリガドーンの情報に基づき、毒ガス怪獣ゴウモンそのものでもある御門岳から放たれた風船怪獣は、 北風に乗って横浜へと向かってくる。風船怪獣の数は多く、詳細な進路を割り出すのは困難なので、大まかな進路 を割り出して風船怪獣との合流地点へと向かう。なるべく標高が高く、街から離れた場所に行き、そこから風船怪獣 を迎撃する。ヒツギに一つ一つ回収させるべきではないか、とも枢からは提案されたが、それでは効率が悪い上に 目立ちすぎるので却下せざるを得なかった。そこで、狭間が考え出したのが――――

「ほな、行くでー」

 横浜から遠く離れた峠道にて、怪獣義肢の両足を曝したリーマオは黒くて丸い物体をぽんと蹴り上げた。黒い糸を 巻き付けた球体で、リーマオはとんとんと足の側面で球体を跳ねさせてから、上空を漂ってきた風船怪獣目掛けて 思い切り蹴り飛ばした。蹴りを入れた瞬間、衝撃波さえ発生するほどの打撃を加えられた球体は一直線に風船怪獣 に向かっていき、激突した。直後、黒い球体は糸を大きく広げて風船怪獣を戒め、ガスを絞り出す。

「んじゃ、どばっと行くかあ!」

 はるばる運ばれてきたガスが空気中にばらまかれると、すかさず御名斗がクライドを構えて撃つ。銃身が真っ赤に 熱するほど溜め込まれていた熱が一気に放たれ、一条の赤い閃光が空中を焼き、ガスに命中して爆発させた。新たな 衝撃波が訪れ、埃と木の葉が舞い上がった。萎んだ風船怪獣は黒い糸を巻き付けられて拘束されると共に、黒い球体 の落下傘として活用されており、空気を柔らかく孕んで落下速度を緩めていた。

「鬼か、お前は」

 今回の作戦では運転手を務める寺崎は、サバンナの後部座席に収まる狭間をバックミラー越しに睨んだ。

「なんとでも言って下さい」

 後部座席の左側に座る麻里子の首から下を見やり、狭間は頭痛を誤魔化すために曖昧な笑みを作った。

「御嬢様の生首を蹴っ飛ばしてカムロに風船怪獣を拾わせる、だなんて……ええいちくしょうっ」

 寺崎はハンドルを握り締めて顔を伏せ、肩を震わす。げらげら笑っているのだ。

「私には悪趣味の極みとしか思えないのですが」

 麻里子の体と狭間の間に座って祝詞を唱えていた枢は、それを中断し、渋い顔をした。

「よっちゃん、そら次だよ次ぃ! 御嬢様も拾ってきたことだしぃ!」

 意気揚々と駆け戻ってきた御名斗は、麻里子の生首を後部座席に投げ込み、風船怪獣をサバンナのトランクに 突っ込んでから、自前のバイクに跨った。リーマオはサバンナの助手席に入り、真紅の両足を投げ出した。

「人間の頭を蹴っ飛ばすのは前々から面白いなぁって思うとったけど、こらたまらんわ」

 上機嫌なリーマオに、枢は悲しげを通り越して絶望的な目をした。狭間は枢を宥めてやりつつ、再び祝詞を 唱え続けるようにと言い聞かせた。狭間の役割は、枢が唱える祝詞を中継して風船怪獣に伝えてやり、その動きを 鈍らせることである。出来れば風船怪獣と話し合って穏便に済ませたかったのだが、どの個体も一言も喋らないので 無理だった。無機質というより無機物的な反応は、羽生の持ち物と化している刃物怪獣ヒゴノカミを思わせる。
 フロントガラスに区切られた視界の隅には、常にヒツギの姿があった。今はさすがにあの棺を下ろしているので、 遠目から見ればどこにでもいそうな二足歩行型の中型怪獣だ。ブリガドーンは視野が高いために情報の精度が 低かったので、ヒツギに改めて風船怪獣の現在位置を細かく調べてもらい、怪獣電波で逐一報告してもらっている。 その甲斐あって、今のところは風船怪獣は一つも取り逃がしていない。というよりも、これは。

「風船怪獣が峠道に差し掛かる間合いが均等だ。多少の誤差はあるが、大体十五分おきに来ている計算になる」

 だから、車で移動するための時間も取れるし、麻里子の生首を回収する時間も取れている。狭間が呟くと、麻里子 はしゅるりと髪を引っ込めてから自分の体に首を乗せ、繋ぎ目をきちんと合わせてから発言した。

「狭間さんもそうお思いになりますか。きっと、これは私達とあなたを横浜から遠ざけるための作戦なのでしょう」

「だとすれば、まんまとそれに引っ掛かっちまったわけか」

 狭間は髪を掻き乱し、嘆息する。

「だとしても、乗っかっておいた方がいいってこともあるかもよーん」

 銃身を冷ますためにクライドをぞんざいに振り回しながら、御名斗がにやついた。

「その根拠は?」

 寺崎が運転席から身を乗り出すと、御名斗はボニーの引き金を軽く引いて熱を溜める。次の狙撃のためだ。

「エレシュキガルはバイト君が消しちゃったけど、エレシュキガルを引き摺り出すためにクル・ヌ・ギアに繋げられて いる女は未だに横浜に留まっている。ということは、つまり、そういうことでしょ?」

「……またアレが来るのか?」

 結婚式の惨事を思い出したのか、寺崎が怯え気味に零した。

「クル・ヌ・ギアを封じる術は現時点では存在いたしませんが、前回同様、狭間さんが身を挺してクル・ヌ・ギアを 遠ざけてしまうかもしれないと案じたのでしょうね。ですが、御名斗さんの仰る通り、クル・ヌ・ギアが横浜一帯に 立ち込めているのでしたら近付くべきではありませんね。夜が明けるまでは」

 祝詞を唱え続けて疲れたからか、枢は正体を隠し損ねた。カムロを通じて情報を得て厄介な事情を把握している 麻里子と、怪獣使いの出来損ないにして魔法使いの弟子でもある御名斗は枢の正体を知っていない方がおかしい ので、二人は特に何も言わなかった。だが、リーマオはそうではない。

「あの黒いの、そういう名前なんや? てぇことは何か、夜になったらアレが出てくるんか? そないなことになって しもたら、また死体の山が出来てまうんか? そないなことになったら、分捕り放題やないか!」

 体を曲げて助手席から後部座席に身を乗り出してきたリーマオに、狭間は呆れる。

「死体から金品を漁るなんて、いつの時代の話ですか」

「品がないにも程があります」

 枢はやや語気を強めて咎めるが、リーマオは枢の額をぴんと指で弾いた。

「死人に金も酒もいらんやろ、生きとるモンが使うんが当たり前やがな。あんさんこそ、上品ぶりすぎや」

「どういう育ちをなさったら、そのような獣にも劣る発想になられるのですか」

 枢は額を押さえ、やや涙目になりながらも言い返す。途端にヒツギの攻撃的な思念が狭間の脳に突き刺さって きたが、今は堪えろ、今は、と狭間は何度もヒツギに言い聞かせて宥めた。ここでヒツギがリーマオに何らかの 危害を加えれば、光の巨人が出現するよりも先に両者の鍔迫り合いで辺りが壊されかねないからだ。
 リーマオの言わんとするところも解らないでもない。狭間も一度死にかけた身の上なので、生と死は隣り合って いるものであり、人間は死した瞬間からただの肉塊に成り下がってしまうので、生き長らえた者がモノを活用するべき だというのは潔いほど正しい。だが、普通であれば、倫理観やら理性やら何やらに阻まれるので、実行には移せない。 しかし、裏社会で生まれ育ってきたリーマオは、理性はあれども倫理観は極めて希薄なので顔色一つ変えずに死体の 財布を盗んで中身を抜けるのだろう。麻里子とはまた違った意味で、タガが外れている。
 理性とは、社会を生きるための手段に過ぎない。狭間は、死にかけた際にそれを思い知った。人間社会で暮らす には他人との距離感を計り、関係を保っていなければならないから、おのずと常識と秩序を守って行動する。しかし、 社会から切り離されてしまえば、それを保つ必要はなくなる。即物的で確実な暴力こそが権力となり、弱肉強食を体現 した世界となる。怪獣使いと魔法使いの抗争、更にエレシュキガルと共に在る愛歌がクル・ヌ・ギアを地上に解放 してしまえば、死者が跋扈する世界となり、人間の社会が成り立たなくなってしまう。生と死の境界が薄れれば怪獣と 人間の間の均衡も崩れ、両者の境界が曖昧な世界が再び訪れる。神話時代の再来である。もしかすると、枢が思い描いた 結末とは――――

「やっとお解りになりましたか」

 狭間の思念を察したのか、枢がぽつりと呟いた。

「この結末が一番ろくでもないぞ」

 狭間がげんなりすると、枢は涼しげな面持ちで車窓の外を見やった。

「私はそうは思いませんが」

 生まれながらにして棺桶に片足どころか半身を浸している身の上だから、そう思わずにはいられないのだろう。 寺崎はアクセルを踏んでサバンナを発進させ、次の風船怪獣との合流地点に向かった。車に揺られながら、麻里子 はリーマオに散々蹴り付けられた後頭部をさすった。カムロの髪で防御されているとはいえ、打撃に伴う振動が 頭蓋骨を揺さぶるからだ。麻里子は眉根を寄せていたが、首の切れ目に手を添える。

「あなた様は下賤の私達の頭ではとても及ばぬ高尚なお考えをお持ちのようでいらっしゃいますが、それはあくまでも あなたの立場の上でのお考えなのでしょう? あなた自身は、本当は何をお望みなのです?」

「わたくしは、そのようなことは」

 枢は麻里子から目を逸らすが、麻里子は再度首を外して枢の前に出し、無理に目を合わせる。

「ひえ」

 枢は小さく悲鳴を上げて狭間に縋り付くも、目線を彷徨わせた後、弱々しく漏らした。

「そのようなものは、何もごさいません」

「それはそれは、御立派でいらっしゃいますこと」

 麻里子はリーマオに倣って枢の額を弾こうとしたが、枢が怯えたので、手と首を引っ込めた。

「一つ、良いことがありました。私は生娘でした」

「きむすめ? それは何なのですか、狭間さん?」

 枢の幼い疑問に、狭間はちょっと迷ったが説明した。

「あー……清らかってことだ」

「父親よりも年上ですが、ジンフーはあれでいて私を大事にしようと思ってくれているようです。今のところは、では ありますが。不本意極まりない婚姻ではありますが、私のような女を娶ってくれる男は二度と現われないでしょうし、 妻として扱われるのはあまり悪い気はしないのです。カムロの髪を通じて知ったのですが、あの男は心底狂っている のですよ。私の首を青竜刀で刎ねた時、生首が飛んだ瞬間に目が合ったことが忘れられないようでして、私を目に するたびにその記憶が蘇っておりました。以前はそれが苦痛だったようなのですが、年月を経るにつれて苦痛が 快感に切り替わり、その快感が私への執着心の原動力となっておりました。その結果が、あの結婚です」

 麻里子は頬にするりと擦り寄ってくるカムロを撫でてやりつつ、僅かに口角を緩める。

「気に入らなくなれば、あの男を殺してしまえばいいだけのこと。ですが、もうしばらくはあの男の妻でいてやろうと 思っているのです。私の純潔を喰い散らかさずにいてくれたのですから、それぐらいの義理は通しませんとね。です ので、枢さんも存分に生きるべきなのです。カムロを通じて大体の事情を把握しましたが、こうして外の世界に出た からには、思うがままに過ごせばよろしいのです。怪獣使いと魔法使いの争いなど放っておいて、どこへでも行けば よろしいのです。なんでしたら、そのお手伝いをいたしますが」

「……お構いなく。私は私の務めを果たしてから、自分の時間を過ごそうと考えておりますので」

 枢は視線を揺らしたが、麻里子に定めた。その時が来るまで持ちこたえられるかどうかは解らない、というのは 枢自身が誰よりも知っているだろう。顔色は紙のように白く、肉の薄い手はひどく冷たい。麻里子は何か言いたげ ではあったが、口を閉ざした。外の世界に出てからというもの、枢の好奇心は風船の如く膨らんでいるだろうに、 当人が怪獣使いの責務やら何やらで押さえつけている。
 生まれてからずっと絶対だと信じていたものが全て否定され、枢を取り巻いていた世界は崩れ去り、怪獣使い のみならず魔法使いとも敵対することとなってしまった。いくら大人ぶった態度を取っていても、枢はやはり十歳 の少女でしかなく、年相応に繊細だ。だから、空想と言っても差支えのない未来を思い描かずにはいられない。哀れ で悲しい、傀儡の娘だ。けれど、狭間は枢に同情しつつも彼女を利用しようと企んでいるのだから浅ましい。 それでも、それ以外に活路が見い出せないのだから仕方ない、と割り切った。そうするしかなかった。

「だったら、さっさと帰るぞ」

「ですが、風船怪獣はまだ沢山おりますし」

 戸惑う枢を押さえ、狭間は怪獣電波の出力を高めた。頭の奥底で軽く疼いていた頭痛が強くなったが、堪えられない ものではない。狭間は北から吹く風に乗って漂ってきた風船怪獣達を怪獣電波で絡め取るようなイメージを頭の中に 描きながら、空を睨み付けた。一つ二つ三つ四つ五つ六つ七つ、と、怪獣電波の網目に引っ掛かった風船怪獣達が 飛行速度を緩めた。その隙に、カムロが上空に撒き散らしていた髪の毛を数本拝借し、それもまた強い怪獣電波で 操る。カムロと麻里子ほど統率の取れた動きは取れなかったが、髪の毛を出来るだけ伸ばして風船怪獣に結わえ付け、 風船怪獣の群れを一つの固まりに仕立て上げた。総数、三十二。

「――――っ、ぶはあっ!」

 さすがに、これは厳しい。狭間は怪獣電波を引っ込める寸前に、ヒツギに風船怪獣の群れを山頂に運ぶようにと 指示した。一纏めにしてしまえば、作業効率は格段に上がる。枢からどうやったのかと問い詰められたが、それを 説明するために体力を使うと車酔いに襲われるという確信があったので、狭間は枢を宥めてからずるりと腰を下げ、 スカジャンの袖で顔を覆って目をきつく閉じた。

「なぜ、ここまでして下さるのですか?」

 枢に手を握られ、狭間は薄く目を開けた。スカジャンの布地越しの光は淡く、少女の手は力が弱い。

「そんなもん、言うまでもねぇだろ」

 ツブラに会いたいからだ。光の巨人を使わずに火星に行くためには宇宙怪獣戦艦を調達しなければならないが、 さすがに狭間も宇宙怪獣戦艦との伝手はない。だが、怪獣使いは空中庭園怪獣ブリガドーンと関わりがあった。 神話怪獣に似て非なるものだが、近年の怪獣に比べれば幻想の世界に近い。だから、怪獣使いとの関わりを経て ブリガドーンと通じ、そして宇宙怪獣戦艦との繋がりを持てれば、いずれ火星に行けるはずだ。
 自分の愚かさなど、誰に言われるまでもなく理解している。正気の沙汰ではないことも。火星に行ったところで確実 にツブラに会えるはずがないのに、イナンナの本体が存在する金星に行っている可能性も否めないのに、心と体が 火星に行きたがる。いや、ツブラがいる火星を求めて止まない。
 恩を買いたければ売るしかない。そのためならば、あれほど世話になった海老塚甲治を仕留めて怪獣使いと政府 に差し出そうとすら考えてしまう、自分の意地汚さに反吐が出る。けれど、それもまた愛なのだと、己を正当化 したくてたまらないから、枢の手を握り返した。もう一方の手では、タバコを探していたというのに。

「それでは、参りましょう」

 麻里子は生首を外してしゅるりと髪で包み、リーマオに手渡した。

「一度にまとめて片付けるんは楽やけど、御嬢様のドタマを蹴り飛ばせなくなるんはホンマ惜しいなぁ」

 リーマオは本気で残念がりながら、寺崎に車を停めさせた。すぐさま御名斗もバイクを停め、はしゃぎながら 熱の残る怪銃を抜いた。きゃっほおう、とリーマオが麻里子の首を風船怪獣の固まり目掛けて思い切り蹴り飛ばすと、 ぎゃはははははははは、と御名斗が怪銃の引き金を絞り切って熱線を放った。それから一秒も経たずに、轟音が 山を揺るがした。熱風が車体をがたつかせ、息苦しくなるほど高ぶった空気の波が襲い掛かってきた。
 おいおいサバンナの塗装が痛むだろうが、とぼやきながらも、寺崎はサバンナを発進させて二人と怪獣付きの 生首を回収しに向かっていった。だが、緊張が途切れたせいで車酔いに見舞われた枢が吐き戻しそうになったので、 寺崎は慌てて枢を後部座席から引き摺り出した。狭間は眉間を押さえ、枢を介抱しようと下りてきたヒツギが 捲し立てる声にならない声と寺崎の罵声を聞き流しつつ、頭痛をやり過ごした。
 けれど、今度は胸の痛みが増した。





 


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