横濱怪獣哀歌




怪獣使イ対怪獣使ワレ



 居住臓器は一つではなかった。
 バベルの塔の破片を囲むように螺旋状に連なっていて、居住臓器同士を繋ぐ血管も健在だった。御名斗の偽物 が無残に破壊したのは居住臓器の中でも最も地上に近く、綾繁家の本家筋ではない人間が住んでいた。枢の父親 もその中の一人で、彼は綾繁家に婿入りした人間なのだとヒツギが息も絶え絶えながらも御丁寧に教えてくれた。 綾繁家は女系の一族で男がほとんど生まれないからだ。なので、綾繁家は男女の感覚が世間とは正反対であり、 嫁いでくるのは男で、家庭を守るのも男の役割で、子の世話をするのも家事をこなすのも男だ。だから、怪獣使い としての能力が衰えて外に放り出されると、今まで生きてきた環境とは正反対の価値観で出来上がった世間に混乱 してしまうので、綾繁家の受け皿となる光永家に籍を移して世間に馴染めるように教育されるというわけだ。
 男尊女卑ならぬ女尊男卑の世界が横浜の地下にあることが信じがたいのか、麻里子はしきりに首を捻っていた。 それはそうだろう、彼女は男尊女卑の極みである極道の世界で生まれ育ってきたのだから。狭間もまたそんな気分 だったが、浮世離れした世界というのはそういうものなのだろう、と考えておくことにした。
 バベルの塔の破片は完全な円筒形ではなく、乱切りにされたキュウリだ、とヒツギは表現した。妙に所帯染みた 語彙だったが、血管を伝って進むうちにそれが的確な表現なのだと解った。居住臓器は均等に並んでいるわけ ではなく、全体的に斜めに傾いている。地下に埋められてから半端に自己再生したせいか、表面から不規則に棘が 生えており、外骨格に覆われていない断面からはじゅくじゅくと体液が漏れて地中に滲んでいる。それが横浜 の土壌を汚染していないかと狭間が案じると、ヒツギでも枢でもなく麻里子が答えた。

「汚染されておりますとも。だから、横浜では怪獣由来のヤクを作りやすいのですよ」

 カムロの髪を惜しみなく伸ばした麻里子は、十メートル以上はあろうかという長さの髪をうねらせて移動していた。 ツブラも似たようなことをしていたな、と狭間は思い出してしまい、一抹の切なさに駆られた。

「なるほど、悪人は闇雲に集まっていたってわけじゃないんだな」

〈港がある移民街で物流が活発で人間も怪獣も出入りが激しいから、屑が吹き溜まるってのもあるがな〉

 カムロは最後尾を歩く狭間の前に髪束を出し、その隙間から赤い目を出して瞬かせる。

〈だが、最大の理由はやはりバベルの塔だ。あいつは人でも怪獣でもなんでも集める、そういう性質なんだ〉

「つまり、ごく弱い怪獣電波を放って生物の意識の深いところに潜り込み、思考を誘導する、と?」

 とんでもない怪獣だな、と狭間は肩を竦めると、腰に提げたライキリが刀身を捻る。

〈人類に進化の切っ掛けを与えた石碑怪獣モノリスと似たような性質だが、あれよりは効果は緩い。バベルの塔が 人間と怪獣を一ヶ所に掻き集めてくれたから古代文明が生まれ、発展し、神話時代と鉄の時代の狭間に栄えたんだ。 お前らはもっとバベルの塔を敬うべきだ、とは思うが、文明が進むにつれて文化は変わっちまったからなぁ〉

「エレシュキガルはバベルの塔は欲しがらないのか?」

〈いや、エレシュキガルと光の巨人はバベルの塔には興味を持たない〉

 枢を肩に乗せて歩いているヒツギは、片足を引き摺っているので一歩進むたびに棺を失った背が傾いた。

「じゃあ、ブリガドーンは何なんだ? あれは精霊怪獣のいた時代……神話時代とは別の時代の怪獣なのか?」

〈いや、そのどちらでもない。神話時代よりも以前の時代、古代にして超未来の時代とでも言おうか〉

「もしかして、それがノースウェスト・スミスの時代なのか?」

〈ああ、そうだ。彼は我らの時代よりも遥かに古い時代の地球の生まれだが、文明は鉄の時代よりも更に発展して いる。金星でも土着の人類が繁栄し、宇宙船が星を巡り、光線銃が火を噴き、異星人が跋扈していた。神との隔たり も薄く、それ故にノースウェスト・スミスは幾度となく神に近付いては囚われそうになっていた〉

「それじゃ、ノースウェスト・スミスは神の世界に引っ張られたのか。じゃあ、会おうにも会えないな」

 怪獣達の無茶な注文は果たされないわけだ。狭間が安堵しかけると、カムロが目の前に髪の刃を突き出した。

〈会えよ! あれにお前が会わないと、どうにもならないことだらけなんだよ!〉

「そうは言うがな、お前らが俺にろくに説明しないもんだから、どの怪獣から何を教えてもらってどこに行けば いいのかがさっぱりなんだよ! 人にものを頼みたかったら、まずは情報を整理してから頼むことだな!」

 ライキリを引き抜いて刃でカムロを弾き返し、狭間は言い返した。

〈あれ、ちょっと待てよ? 人の子にノースウェスト・スミスの居所を教えてやれる、って言い出したのは、 氷川丸じゃなかったのか? あれから氷川丸は何度も人の子と話していたから、てっきり〉

 なんだぁそうだったのかぁ、と気まずげに笑うカムロに、狭間は眉根を曲げる。

「氷川丸だと?」

〈氷川丸は俺達にはこうも言った、重大な情報だから他の怪獣には開示出来ないから、人の子にだけ直接伝える んだと。だから、俺はもうとっくに知っているものだと。なんだよ、知らないなら知らないと言ってくれよ〉

「俺がそう言ったところで、お前らはそれを信じてくれるような性格じゃないだろうが」

 怪獣同士の思い違いのせいで責められていたとは、たまったもんじゃない。狭間はカムロを雑にあしらってから、 ライキリを鞘に戻した。となれば、地上に戻ってからやるべきことがまた増えた。近頃は疎遠にしていた氷川丸 に会い、何がどうなってこうなってしまったのかを問い質さなければ。

「麻里子さんは最後まで付いてくる気なんですね」

 狭間が麻里子の髪の毛に覆われた背を仰ぎ見ると、麻里子は白い指先に毛先を絡めて弄んだ。

「無論です。御名斗さんの偽物がこちらに来ていたということは、本体は地上にいるのでしょうが、それを追いかけた ところで利益はありません。むしろ、怪獣使いの当主を御目に掛かった方が得策というものです。大物との繋がりが 出来れば、それだけで利益が出ますからね」

「御名玉璽は貸して差し上げられませんからね」

 枢は釘を刺すが、麻里子は取り澄ましていた。

「御安心を、それにはあまり興味はありません」

「嘘吐け」

 麻里子とカムロに限って、興味がないわけがないだろう。狭間は半笑いになったが、十四個目の居住臓器に差し 掛かると、肌がぞわりと粟立った。血管の感触も強張り、居住臓器の出入り口から漏れ出してくる空気は、ずしりと 冷え込んでいる。ならば、ここにいるのは。狭間よりも動揺したのは、カムロと麻里子だった。

「……アレがいるのですね」

〈どうする、通り過ぎちまうか?〉

 出来れば相手をしたくないんだが、とカムロはいやに弱気になった。無理もないことである。

「出来るわけないだろうが! というわけだから、枢さんは先に進んでくれ! 後から追い付けたら追い付く!」

 愛歌がいるということは、真琴もいる。狭間は大股に歩いて皆を追い越すと、真っ先に居住臓器の入り口に足を 踏み入れたが、ぐぶ、と変な感触が訪れた。何事かと見下ろすと、汚泥の如き闇が満ち充ちていていた。反射的に 足を引っこ抜いて後退るが、足を浸した部分から体温がごっそりと奪われてしまい、右足が鉛のように重くなる。

〈人の子。ここは地の子のための居住臓器だ〉

 立ち尽くしている狭間を見下ろし、ヒツギが述べた。

「じゃあ、この中にエレシュキガルが……」

 だが、エレシュキガル本体がいなくなっても闇は消えていない。それどころか、闇がはち切れんばかりに詰まって いる。居住臓器の体積はとても大きい、下手をすれば野球場一つ分かそれ以上だ。その規模の闇を愛歌が手に 入れていたら、その闇を用いて綾繁定に戦いを挑んでいたら、綾繁定にやり返されて闇が解放されてしまったら、と 嫌な想像ばかりが脳裏を駆け巡った。愛歌と行動を共にしているグルムを呼び出せば二人の居所が解るのでは、と 狭間は怪獣電波を飛ばしてみるが、バベルの塔の破片が放っている怪獣電波のせいで思うように届かない。向かう 先は同じなのだから、いずれ合流出来るかもしれないが、既に追い抜かれていたらどうにもならない。

「それはそれとして、先に進むにはどうすりゃいいんだ」

 居住臓器から居住臓器に渡るには、双方を連ねている血管を通る必要があるからだ。狭間が底知れぬ闇を指すと、 ヒツギは枢と顔を見合わせた後、別の方向を示した。

〈回り道するしかない〉

 ごもっともである。強行突破するとなると、無用な犠牲を払わなければならなくなるからだ。カムロと麻里子は 目に見えて安堵し、枢も表情を少しばかり緩めてヒツギに寄り掛かった。狭間は一寸先も見えぬ闇の凝固物を一瞥 したが、ヒツギに続いた。闇から離れるにつれて気温も高まり、狭間の右足の血の巡りも戻ってきた。狭間が良く知る 歌によく似た音色が聞こえた気がしたが、きっとそれはバベルの塔の破片の筋肉が軋んだ音だろう。
 きっと。




 最後の居住臓器に辿り着いた時には、一時間以上が過ぎていた。
 つまり、ブリガドーンが落下してくるまでの残り時間は三十分にも満たないということだ。狭間は腕時計を袖の下 に戻してから、目を上げた。枢の祝詞によって居住臓器の出入り口を塞ぐ粘膜が開かれたが、その先には、金色の 衣装を身に纏った少年と闇のドレスを纏った女が待ち受けていた。二人の行く手を阻んでいるのもまた粘膜の隔壁 だったが、どうしても開けないらしく、光永愛歌はこの上なく不機嫌だった。

「ねえさまってば、私の知らない間に祝詞を変えやがったわね? とことん根性腐ってんだから」

「いや、愛歌さん、それは国家の要人として当然のことなのでは。――あ」

 鳳凰仮面三号は狭間らに気付くと、マスクを剥いで素顔を曝し、ばつが悪そうに笑った。

「……やあ、兄貴」

「……おう、真琴」

 気の抜けた挨拶を返し、狭間は弟と目を合わせた。どちらも言いたいことが山ほどあるのだが、何から言うべき なのか計りかねた結果、こうなってしまった。なんでこんなところにいるんだ、何をしに来たんだ、ここがどこで どういう状況なのか解っているのか、そもそもどうして鳳凰仮面の格好なんだ、と問い質したかったが、いざ本人 を目の前にすると安堵感が先に立ってしまった。

「グルム、とりあえず礼を言っておこうか」

 狭間が弟の肩を叩くと、首に巻き付いた虹色のスカーフに赤い目が現れてにんまりする。

〈ふははははは、やっと俺の正義を解ってくれたか。俺がいなきゃ、今頃人の子の弟はクル・ヌ・ギアの中よ〉

「ということは、お前は海に去ったふりをしてずっと俺を追い回していたんだな?」

〈そりゃあもう! いざという時に現れるのが正義の味方ってやつだからな! そのついでに人の子の弟にも目を 付けていたのさ、人の子は別の意味で危なっかしいからな! どうだ、役に立っただろ!〉

「ああ、大いに役に立った。だが、今回だけだぞ。でないと、真琴の身が持たない」

〈言われなくとも解っているって。こいつは人の子よりも体が細っちいからな、絞め付けも緩くしてある〉

 グルムが目を閉じたので、狭間は愛歌に向いた。

「どうも、お久し振りです」

「ええ。……三ヶ月振りね」

 人ならざる姿に成り果てた愛歌は、やや目を逸らしかけたが狭間に据えた。上半身は以前と変わりなかったが、 肌の色は血の気が一切なく、蝋のように白かった。胸元から下半身を覆うのは闇で織り成されたドレスで、裾が ふんわりと柔らかく波打っている。彼女の周囲はやはり冷たく、凝縮された闇が気温を吸い込んでいる証拠だ。 白と黒で出来上がった女を彩っているピンク色の髪は少し伸びていて、背中の中程に届いている。
 やはり、どこから話せばいいのか解らなかった。あの時までエレシュキガルと一体化していたとは知らなかった、 俺を傍に置いたのはあなたが事を有利に運ぶためだったのか、エレシュキガルの暴走を止めようと俺とツブラが 奮闘しているのをどんな思いで見ていたんだ、あなたがエレシュキガルを引っ込めていてくれたらツブラが あんなにも傷付くことはなかった、ツブラが火星に行くこともなかったんだ、俺も腹を貫かれずに済んだんだ、 別れる必要もなかったかもしれないんだ、ツブラと一緒にいられたんだ。そう、言いたかったが。

「マスターから、愛歌さんの事情を窺いました」

 今、言えることではない。恨み言をぶつけるのは、後でいくらでも出来る。狭間はライキリの柄にきつく爪を 立てて小刻みに震えるほど力一杯握り締め、ありとあらゆる感情を押さえた。

「愛歌さんとマスターがシュヴェルト・ヴォルケンシュタイン魔術少尉の名誉を取り戻そうとしていることは 結構ですが、怪獣使いを失墜させるためだけに、ブリガドーンを呼び寄せて横浜駅に突っ込ませるのは、いくら なんでもやりすぎです。寸でのところで被害を免れられるように手を回してあるかもしれませんが、それが成功 する保証はありません。ブリガドーンは心を閉ざしています、俺が呼びかけても答えないほどに。引き返せるのは 今しかありません。お願いします、愛歌さん。ブリガドーンを空に返す方法を、教えてくれませんか。ガニガニを 暴走させたのも、あなたなんですよね? 怪獣である宮様の御音を真似られるのは、怪獣使いの祝詞を知っている 上で怪獣となった、愛歌さんの他にいないんですから」

 平静を保っていた愛歌の顔が引きつり、口を開けかけて歪めた。あんたなんかに何が解るの、と怒鳴ろうとした が押さえ込んだのだろう、激情を宿した怪獣電波の切れ端が飛んできた。その中に込められた複雑にして苦しい 感情と記憶の数々に、真琴への罪悪感が混じっていたので、狭間は場違いな嬉しさを覚えた。弟の存在は、愛歌 の心中の一部を占めているのだと知れたからだ。

「ブリガドーンを呼び寄せたのは魔法使い、マスターなの。だから、私にはどうすることも出来ないのよ。狭間君にも どうにも出来ないんだったら、なるようになるしかない。ねえさま、いえ、綾繁定も当てにはならないわ。あれは 意識を飛ばしてシビックの動力怪獣に憑依しては好き勝手に遊んでいたけど、気付かないふりをしてやっていたのよ。 まこちゃんにちょっかい出していたのも見逃してやっていたのは、私のクル・ヌ・ギアにねえさまを引き摺り込む 機会を窺うためだったんだけど、それは今さっき成功したの。やっと。だから、ブリガドーンを止める術はないわ」

 うっとりと目を細める愛歌は、この上なく満足げだった。殴り飛ばしてしまいたい、この女を。そんなことの ために、姉妹の諍いの延長の御家騒動で、横浜駅とその周辺を危険に曝すのか。堪えろ、とライキリに窘められた のは、爪が割れそうなほど力を込めて柄を握っていたせいだろう。

「兄貴、そのラジカセはどうしたんだよ」

 鳳凰仮面三号は兄を落ち着かせようとしたのか、狭間が右腕で抱えているラジカセを指してきた。他にもっと聞く べきことがあるんじゃないのか、と狭間は言いたくなったが、これの本来の用途を思い出したので答えるよりも先に 行動に移した。小次郎から貸してもらったミックステープをデッキに入れ、カセットレーベルに書かれたタイトルを 見つつ曲を頭出ししてから、再生した。流れ出したのは、AC/DCのバック・イン・ブラック。
 エッジの効いたエレキギターとパワフルなボーカルのメタルが流れ出し、血管を揺さぶる。祝詞とは異なる歌声を 聞かせられてバベルの塔が驚いたのか、血管が不規則に波打った。その震えが粘膜をも刺激したのか、レンズ 状の粘膜が奇妙に歪んで穴が開き、肉の壁の内に引っ込んだ。道が開けると空気も流れ、生臭い風が吹く。

「――――はぁ?」

 今までの私の苦労はなんだったの、と愛歌がぽかんとすると、枢もまた困惑した。

「え、えっ?」

「兄貴、これってつまり、AC/DCは怪獣使いだったのか?」

 鳳凰仮面三号が妙なことを言い出したので、狭間はカセットテープを止めた。

「馬鹿、そんなわけないだろうが。鮫淵さんがツブラの歌を録音しておいてくれてな、そいつをじっくり聞いてみたら、 気付いたんだよ。この曲に似ているってことに。といっても、曲の全体が似ているわけじゃなくて、端々の音の調子が ちょっと似ているぐらいだがな。怪獣の精神を揺さぶる曲は、人間の精神も揺さぶれるってわけだ」

「待って、それじゃ、もしかして!」

 長年の憎悪を煮詰めた作戦を突き崩されるかもしれない、と愛歌が狼狽えると、狭間はラジカセを担いだ。

「止められますよ、何せ俺は怪獣使われですからね。魔法使いにその気がないのなら、怪獣使いにその気に なってもらうしかないですが、それでもダメだったら俺がなんとかしますよ」

 待ってよ止めなさいよどうせ無駄なんだから、と叫びながら追い縋る愛歌を振り切り、狭間は駈け出した。それを 阻もうとする愛歌を押し止めたのは、麻里子だった。これでまた借りが出来ますね、と軽口を叩きながらも麻里子は 髪束を踊り狂わせ、愛歌が繰り出してきた闇を絡め取っては髪を自切して飲み込ませ、消耗することを惜しまずに 愛歌を圧倒していく。枢とヒツギは狭間を追ってきたが、鳳凰仮面三号は少し躊躇ったものの兄に続いた。
 曲がりくねった血管を駆け抜け、飛び込むと、そこには。





 


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