横濱怪獣哀歌




マリネリス番外地



 その家は、怪獣の骨を柱にして、石を切り出して作った板を壁にした家だった。
 なんでも、アトランティスの内部では木材は水に次いで貴重な資材なので、建築物にはおいそれと使えない代物 なのだそうだ。だから、火星の地表で息絶えていた火星怪獣を見つけ出して、サンダーチャイルドを纏った人々が 赴いて綺麗に解体し、アトランティスに運び込んで加工し、活用する。それでも、怪獣の体液と肉だけは使い道が ないので、地中に埋めて土に戻すのだそうだ。野々村が外に出ていた理由も解体作業をするためであり、輝水鉛鉱は ついでに拾ったのだそうだ。そして、イナンナも見つけて拾ってくれたというわけだ。
 怪獣の水晶体を高熱と高圧で溶かして薄く伸ばしたものを填め込んだ窓から差し込む光は、地球に降り注ぐ太陽光 よりも温度は低かったが、光量は充分だった。イナンナは例によって怪獣の皮を使って作られた服を着せられた が、持ち主との体格差が大きすぎるので、裾を引き摺ってしまった。その服を着せられる前に、右腕の根元に 巻き付けられた怪獣の皮を一度外され、軟膏を塗り付けてもらった。そこまでしてもらわなくても、イナンナの 傷は容易に塞がるのだが、野々村の好意は無下に出来ないのでありがたく受け取っておいた。台所と思しき部屋では、 石で出来た枠の中に発光する鉱石があり、その上に置かれたヤカンは湯気を吹いていた。

「飴湯を作ってやれたらよかったんだが、生憎、こんなものしかなくてな」

 だが不味くはないぞ、と野々村は言いつつ、鉱石を削って作った瓶の蓋を開け、やはり鉱石を削って作ったカップに 砂糖を入れてから熱い湯を注いだ。野々村は茶葉と思しき乾燥した植物をポットに入れ、そこに湯を注いだ。右手が ないので触手でカップを支え、イナンナは一口啜った。丁寧に濾過されているので、地中から吸い上げた水分とは 比べ物にならない、清らかな味だった。

「シャンブロウを連れ込んだとなれば、他の連中は黙っちゃいないだろう」

 野々村は自分のカップに濁った色味の茶を注ぎ、口にする。

「アトランティスには、かつて火星探索にやってきた宇宙怪獣戦艦の搭乗員の末裔がいるんだ。そいつらにとっては、 シャンブロウは未だに恐怖の象徴なんだ。触手を怖れるがあまり、サンダーチャイルドでさえも嫌がって使おうとしない 奴もいるほどだ。それでなくとも、君には敵が多い。だが、この鳳凰仮面は正義の味方だ。狭間君がいない今、俺が君を 守ろうではないか」

 野々村の眼差しは柔らかく、我が子に向けるそれに近かった。

「右腕、元に戻るのか?」

「スコシ、ジカン、カカルケド、モドル」

「だったらよかった。五体満足で地球に帰してやらなきゃ、狭間君に一生恨まれちまう」

 野々村はイナンナの頭に手を伸ばしかけたが、躊躇い、引っ込めた。

「それで、狭間君は一緒じゃなかったのか?」

「マヒトハ、イッショ、ジャナイ。マヒト、チキュウ、イル。ダケド……」

 イナンナは手の中の水面を見つめ、そこに映る己と目を合わせた。狭間は、イナンナを救うために自らを犠牲に して活路を切り開いてくれた。あの時は、ああする他はなかった。だが、犠牲になるのはイナンナだけで充分だった はずだ。彼を止められなかった。守り切れなかった。悔しさが後から後から湧いてきて、イナンナは唇を歪めた。
 野々村はイナンナを慰めようと思ったのか、腰を浮かせたが、家に迫ってくる足音に気付いた。すぐにイナンナ を抱えて奥の部屋に運び込み、ドアを閉めた。イナンナはカップを頭上に浮かせていたので、温かなお茶は 一滴も零さずに済んだ。ひとまず、カップを部屋の隅に置いてから、寝床にあった毛布を被って身を隠しつつ、 ドア越しに様子を窺った。野々村は突然の来客を出迎えていた。

「どうしたオシタカ、いきなり来るとはお前らしくもない」

「野々村、あんたはまたマリネリス峡谷に行ってきたのか?」

「見回りついでにちょっと足を延ばしたんだよ。俺の相棒を鍛えるついでにな。それを咎めるつもりであれば、 後でいくらでもやってくれ。今はちょっと忙しいんでな」

「ああ、俺もこれから忙しくなる。邪魔をする」

 オシタカと呼ばれた男は家の中に入ると、がちゃがちゃと音を立てて、道具と思しきものを広げた。

「俺も地球から転送されてきたガラクタを漁りに峡谷に潜ることは多いが、野々村には何度も見逃してもらった。だから、 お互い様だ。宇宙怪獣戦艦の乗組員の末裔たるマリナー家は一大コロニーを築き上げた功労者だが、閉鎖的なのは 頂けない。そんなことだから、いつまでたっても火星から抜け出す方法を見つけられないんだ。だが、俺は違う。 必ず地球に帰る、そして妻と娘に会う。それから、娘と小次郎の結婚式に立ち会う」

「その決意表明を聞くのも何度目になるかは解らんが、付き合うとも。この鳳凰仮面がな!」

 野々村の軽口に、オシタカは笑いもせずに返した。

「だったら、まずはそれに目を通してくれ。今日、拾ってきた新聞だ。日付を見ろ」

「……新聞が発行された国も言語もばらばらだが、間隔が短いな。以前は一週間おきだったのだが、三日おき、二日 おきになっていたが、どれもこれも日付は同じだ。つまり、光の巨人の出現頻度が上がったという証拠だな」

「そうだ。それと、こいつもだ。これがなんだか解るか」

「氷川丸のプレート? ああ、これには俺も見覚えがあるぞ。ということはつまり、そういうことか!?」

「この数年、光の巨人の出現頻度は目に見えて高くなったが、それでも連中は横浜湾でうろちょろするだけだった。 発電怪獣がいて、造船所があったからだ。だが、イナヅマがこちらに飛ばされてきて、造船所も半分切り取られた 状態でやってきたから、横浜湾付近の熱量が大幅に下がったのは間違いない。その結果、光の巨人は熱源を求めて 本土に上陸しようとしたんだろう。その過程で氷川丸にまで被害が及んだらしい。証拠なら他にもあるぞ」

「いや、いい。これだけで充分だ、充分すぎる」

 野々村は動揺を押し殺していたが、それでも声は僅かに震えていた。

「水脈怪獣ムラクモと船島集落の住人達が飛ばされてきた時のことは覚えているな、野々村」

「忘れられるものか」

「居住者数が限界を迎えているアトランティスでは、彼らを収容しきれなかった。だが、ここから最も近い場所に いるレムリアにまで行かせようにも、我らにはろくな移動手段がない。だから、地脈怪獣ウワバミを使って彼ら を運ぼうという話になったが、クミさんが嫌がった。ウワバミはそれ以上に嫌がった。あんたの話に出てくる青年 ほどではないにせよ、クミさんは怪獣と通じ合える体質だ。特に、ウワバミとは強く繋がり合っている。よって、 無理強いは出来ないということになり、食糧と水を制限して新入り達と共存しようということになったが……」

「それから程なくして、レムリアが消えたのだな。黒い水に引き摺り込まれて」

「ウワバミが嫌がっていたのは、それだったんだ。野々村の言うことが正しければ、その黒い水の正体というのは 火星の神話怪獣の一部で、人間の命と熱を喰らう、神話怪獣エレシュキガルで」

「エレシュキガルに対抗出来るのは、シャンブロウだけだ。」

 語気を強めた野々村に、オシタカはやや声色を落とす。

「だが、古い火星人共はシャンブロウを怖れている。マリナー家に意見しようものなら、アトランティスから 追い出されてしまいかねない。難しいもんだな」

「俺が知る限り、シャンブロウは頭が良くて話の解る怪獣なんだがなぁ……」

「だから、なんとしてでも地球に帰る手段を見つけなければならない。アトランティスを宇宙怪獣戦艦に改造 出来るような技術があればいいんだが、生憎、俺は機械は弄れても怪獣は弄れない。それでも、ズブの素人よりは 怪獣に通じているはずだ。やれることはある、ないわけがないんだ」

 オシタカの語気は強く、信念を揺らがすまいという決意が滲み出ていた。どちらも話題には事欠かないのか、次第 に熱が入ってきて話し込み始めた。この分では、当分はあちらには戻れないだろう。イナンナは生温くなったお茶を ちびちびと飲んでいたが、それも空になった。右腕の傷口には薄皮が張り、出血も完全に止まったので、イナンナは 身を乗り出して窓から外を窺った。磨りガラスよりも濁っているので、景色はよく見えない。
 すると、今度は裏手に向かって誰かがやってきた。窓の隣には裏口と思しきドアがあり、施錠されていなかったの で、イナンナは慌てて寝床に上がって丸くなり、カップは触手の中に隠した。荒っぽい手つきでドアを開き、不躾に 入ってきたのは一人の少女だった。その顔には見覚えがある、船島集落の食堂の給仕係、秋田あかねだ。

「野々村さぁーん、ちょっと手伝ってよー! ん、何これ、まあいっか」

 あかねは毛布の固まりを一瞥したが、居間に通じるドアを開け、家主に対面した。

「ミツキさんとこ、まだまだ大変なんだからさあー。ヤンマと一緒に手伝うって約束してたじゃんかー。シュヴェルト 先生の往診だって、とっくに終わったよ」

「いや、それを忘れたわけじゃないんだがな、色々と立て込んでいてだな」

 野々村は取り繕うとするが、あかねは取り合わない。

「言い訳の続きは、ミツキさんちに行ってから聞いてあげる。にしても、ササモトさんと仲が良すぎない? 私が 野々村さんちに来ると、大抵いるんだもん。ササモトさんも自分の仕事があるでしょうに」

「それは大丈夫だ。全ての仕事を終えてから来ている」

 オシタカはやや鬱陶しげに言い返す。

「それじゃ、私はミツキさんちに行っているからね! ひゃっほい、待ってろ赤ちゃん!」

 そう言うや否や、あかねは再度裏口から飛び出していった。ミツキ、という名にはイナンナは聞き覚えがあった。 光の巨人に胎児共々消されてしまった、羽生鏡護の妻と同じ名だった。ということは、羽生の妻は無事だったという ことなのか。それは喜ぶべき事実だが、羽生に伝える術がないのが歯痒い。人間達の、なんと逞しいことか。けれど、 その力強さを感じるほどに罪悪感に苛まれ、イナンナは毛布を抱き締めて唇を噛んだ。
 神話怪獣は、愚かだ。




 右腕が生え始めた頃、イナンナはアトランティスを後にした。
 シャンブロウを毛嫌いする人間達に見つかったら大騒ぎになりかねないし、野々村に迷惑を掛けてしまうからだ。 アトランティスもそれには同意してくれた。居住臓器と地上を繋ぐ血管を開いてくれたので、イナンナは小さな隙間 から外に出ると、砂嵐が吹き荒れていた。硬い砂塵が肌と触手を掠め、低い気温が容赦なく体力を奪う。
 右腕が伸びていくにつれて、飢えが襲ってくる。回復を早めるためには、怪獣の体力か何かを捕食しなければ ならないが、近くにそれらしいものは見当たらない。振り返ると、アトランティスがゆったりと横たわっている姿が 見えたが、イナンナは衝動を堪えて正面に向き直った。あの中にいる人間達に手を出せば最後、エレシュキガルと 同じものに成り下がってしまう。けれど、けれど、けれど。

「人間の味を知ってしまったから、飢えを知ってしまったのね」

 イナンナの影が膨らみ、エレシュキガルが現れる。

「ちがう、わたしは」

 イナンナは触手を窄めて身を縮めるが、エレシュキガルは姉の触手を己の触手で力任せに開かせる。

「そうやって誤魔化しても、体は人の味を求めて止まないんでしょ?」

「ちがう!」

「怪獣である私達が、人間に執着するはずがないじゃない。人間は供物、それだけのことよ。神話時代の 姉様にも、何十人何百人もの供物が捧げられたじゃないの。その時のこと、忘れられるはずがないでしょ?」

 遠い昔、遠い国で、祭壇に捧げられた人々の命を捕食していた頃の記憶は――ある。神話怪獣が熱を生み出す ために必要なのは、輝水鉛鉱と水ではない。神話怪獣を神として崇め奉る人々の信仰心から生じる精神の熱と、 神の供物となる幸福感から生じる熱だ。それを摂取するには、薬と酒を飲まされ、儀礼用の化粧を施され、祭壇に 寝かせられた人々の粘膜に触手を繋げる必要があった。地球に来たばかりの頃は人間一人で二十年は保てたが、 エレシュキガルとその眷属の神話怪獣達との戦いが激しさを増すにつれ、イナンナの消耗も激しくなった。一ヶ月と 持たず、供物の人数も日に日に増えていった。
 民のため、国のため、星のため、ひいては神話時代のためだと自分に言い訳をして、奴隷上がりの若い娘達 の命と心を貪った。それもこれもエレシュキガルに勝つためだ、倒すためなんだ、と何度も自分に言い聞かせながら、 イナンナは娘達の屍の山を築き上げた。けれど、イナンナと本質は全く変わらないエレシュキガルを倒せるはず もなく、火星に追放するだけで精一杯だった。その際、金星から光の扉――今は光の巨人と名を変えているが――を 通じて黄金時代に栄えた都市、ミンガから古代遺跡を転送させ、その遺跡の力を借りてエレシュキガルとその 眷属を追いやったが、いつしかミンガ遺跡はエレシュキガルの配下に成り下がってしまった。
 一体、どこで間違えたのだろう。良かれと思ってしてきたことばかりなのに、どうしていつも上手くいかない。今度も また、そうなってしまうのか。それだけは嫌だ。けれど、どうすればいいのか解らない。イナンナは顔を覆い、触手 の繭を成して身を守った。姉の醜態を目の当たりにしたエレシュキガルの楽し気な笑い声が聞こえてきたが、悔しく はなかった。エレシュキガルは触手で強引に姉の口をこじ開け、小さな肉塊を放り込み、それを触手で無理矢理喉の 奥に押し流した。吐き戻す間もなく、内臓に詰め込まれ、否応なしに消化させられた。
 狭間のものではない血の味がした。





 


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